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2014
02.08

なぜ可愛さ余って憎さ百倍となるか ─仏性の力で憎悪を霧消させよう─

20140208004 (2)
〈早朝、玄関前で餌を探す小鳥〉

 なぜ、あれほどしていたのに、これほど憎むようになるのか?
 深く持続する憎しみが起こると、憎まれ、攻撃される側が苦しむだけでなく、憎しみを持つ本人がよりいっそう、苦しむようになります。
 憎しみは三重の執着心が原因となっています。

1 自分への執着心

 相手から自分の思い通りに〈されない自分〉に我慢がならないのです。
 されようがされまいが、相手からやってくるものはすべて相手の側に属しているので、相手からの憎悪も相手の側にある感情です。
 しかし、それを思うがままにコントロールしたいと思うのは、自分勝手というしかりません。
 もちろん、〈されるに足る自分〉になろうと努力するのは自分の側の問題なので、せいいっぱいやればよろしい。
 しかし、その結果、思惑通りに相手の心が動くかどうかは、自分の問題ではありません。
 だから、愛されればそれを喜べばよいし、無視されたり嫌われたりすれば、自分のどこが問題だったのかを考え、体験を今後の糧とすればよいだけのことです。
 自分の生き方は自分の問題、相手がどう反応するかは相手の問題です。
 それをごちゃませにして、期待通りの反応をしてくれないからと相手へ憎悪を持つのは、自分可愛さの独り相撲でしかありません。

2 相手への執着心

 愛している相手のために何もかも捧げられると思っている自分の心をチェックしてみましょう。
 本当にそうか?
 相手が自分の思い通りになっている間だけの独り善がりではないのか?
 相手への執着心は、自分の思い通りに応えてくれている間は愛となり、応えてくれなくなれば憎悪となります。
 いずれも、〈手放したくない〉心が主人公です。
 その証拠に、きれいさっぱり別れてしまえば、あれほどの熱愛も、あれほど真っ黒な憎悪の炎も、消えてゆきます。
 手放せばもはや、それまでなのです。
 手放したくないから、手放せないから、愛し、憎むだけのことです。
 この面で美しいのは渥美清演ずるフーテンの寅さんでした。
 心から「いいな」と憧れていても、執着せず、ただ、相手が幸せであれば嬉しい。
 実は少し淋しく、少しは悲しいけれど……。
 執着心の薄い独り相撲に彩られた寅さんの人生は、なかなかそうはできないけれど、心の底ではそうあるのもいいな、と気づいている私たちの心を清める秋風のような味わいを持っていました。

2014020800022.jpg
松井冬子氏『九想図』〉

3 憎悪への執着心 

 これは難敵です。
 憎悪のエネルギーが生きる力となり、生活の柱にまでなってしまう場合があります。
 まず自己愛から苦しみが始まり、相手への執着心が愛から憎悪へと変質し、やがては、相手がどうであれ、強い憎しみを感じて手紙を書いたりすることそのものが日々の〈生〉を支える最も大きな力になってしまう場合があります。
 たとえ10年前のできごとであろうと思い出すたびに新鮮で、あたかも昨日受けた仕打ちであるかのごとく憎悪という炎の薪となり、薪も炎も燃え尽きはしません。
 こうなると、精神に異常を来すところまで行くか、あるいは、とんでもない暴発をもたらすか、わからないのでとても危険です。

 さて、どうするか。

 まず、自分への執着心は慢心になっているので、自分の姿を省みて未熟さを確認し、慢心という名の勘違いを離れるのが最も大切です。
 もしも〈いい男〉と自負しているなら〈頭の中身〉はどうか?
 もしも〈お金持ち〉なら、〈品格〉はどうか?
 もしも〈秀才〉なら、〈思いやり〉はどうか?
 チェックポイントは無限にあります。
 いくつかまじめにやってみれば、きっと、もうごめんだと嫌になることでしょう。
 いくら考えても自分は完璧としか思えないならば、その方はもう、挫折か災厄というとてつもない爆弾を抱えた状態であると覚悟すべきです。

 相手への執着心については、古来受け継がれてきた対処法があります。
 画家松井冬子氏の『浄相の持続』を観れば一目瞭然です。
 いかなる美貌の持ち主であれ、一瞬後にいのちを落として何の不思議もなく、そうなれば、モノとして崩れ、腐敗し、やがては塵になってしまうしかありません。
 仏教では、その経過をたどる『九想図』を眺めて『九想観』という瞑想を行い、空(クウ)を悟る修行としてきました。
 チベット密教にある言葉です。

「骸骨ばかり見て、墓場を厭わしく思うなら、動く骸骨でいっぱいの街という墓場を、いったいどうして好むのか」


 とは言え、なかなかそうは思えないのが実情です。
 ならば、煩悶が起こった時、相手を一瞬でも〈モノ〉として眺める、あるいは相手の〈パーツ〉を特定して眺めるという視点を持ってみてはいかがでしょうか。
 正統な方法としては当然、般若心経などをきちんと学び、空(クウ)を正しく理解、納得することをお勧めします。

 三番目に陥った時は厄介です。
 憎悪に生きる本人には、自分で運命を転化させる力がないかも知れません。
 状況を理解し、かつ、悶着に直接関係のない方が、何かのきっかけを与えるよう、根気強く支えることです。
 あるいは、そうした幻にすがってなどいられないような生活環境の変化や、我が身に圧倒的な関心を持たざるを得ないような大病などが転換をもたらすかも知れません。
 憎悪の対象となっている方は、なるべく相手の土俵に乗らないようにしましょう。
 思いやりは保っても、道理をふまえたやりとりによる解決をはかろうと無理をしないことです。
 自分自身に憎悪や怒りを決して発生させないよう気をつけながら、時間の経過を待つしかありません。
 もちろん、いかなる場合でも、好転を願う祈りは不要ではありません。

20140208001 (2)

 最後に『ダライ・ラマ 怒りを消す』より、法王の教えを記しておきます。

「意識は意識から生ずる、つまり意識とは生じては滅する瞬間瞬間の意識のつながりなのです。」

「意識のあるところ、無知や怒りも自ずと生じます。
 ネガティブな感情(煩悩)はポジティブな感情と同様に無始の過去より存在しているのです。」

「ネガティブな感情は実際のところ、無知から生まれており、しかるべき根拠をもっていません。
 ネガティブな感情がいかに協力であろうと、正統な根拠をもっていないのです。
 逆に慈悲や智慧といったポジティブな感情は正統な根拠をもっています。
 理にかなった、論理的な根拠のあるものです。」

「仏性はポジティブでもネガティブなものでもなく、ニュートラルです。
 ですからこうしたネガティブな感情をすべて取り除く、浄化することもできるのです。」


 般若心経や理趣経(リシュキョウ)百字偈(ゲ)などによって仏性の力を解き放てば、憎悪は本来の幻として消えて行くことでしょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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2013
10.24

金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕陽の岡に ─与謝野晶子とソクラテス─

201310240062.jpg

20131024004 (2)
〈籠もって寺務を行っていたところ『山海里』さんから一尺ニンジンとジネンジョの差し入れがあり、感謝です〉

「金色(コンジキ)のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕陽の岡に」(与謝野晶子


 イチョウの葉は、時が来れば群れて散る、少しの風にでも、あるいは風がなくても。
 与謝野晶子は、夕陽を浴びて黄色の葉にやや赤みが加わり、光を帯びながら不規則な動きで飛び交う金色の鳥に見立てた。
 イチョウの黄色と夕陽の橙色、そして、ヒラヒラと自在に舞い降りるのは葉か鳥か。
 この絵画のような一首は、明治38年に刊行された歌集『恋衣』にある。
 同歌集には有名な『君死にたまふことなかれ』も掲載されている。
 与謝野晶子の歌でもっとも有名なのは「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」だろう。
 燃えている身と心に触れてみるそぶりもなく淡々と道を説いているばかりの貴男──。
 三つの作品いずれにも、いのちの滾(タギ)りがある。

 哲学者ソクラテスは、理性の限りを尽くして、知恵や知識には底がないことを説いた。
 いかなる権力者も哲人も、この「無知の知」すなわち、「知らざるを知る」という地点の前では頭を垂れるしかなく、彼は凄まじい怨みや嫉妬や怒りをかった。
 自分も社会も偉いと思っていたのに、〈まだ知らないでいることごとがあることを知っていないではないか〉と偉さの根拠が崩されたのだから、当然といえば当然である。
 それでも彼は、デーモン(神霊)の忠告に耳をかたむけながら、正論と信じることを主張し続けた。
 アテナイの人々は彼を許さず、青年たちをたぶらかした罪と、アテナイの神々以外の神霊を信じた罪をもって死刑に決した。
 彼は従容としてこれを受け容れ、毒盃をあおぐ場所して、国賓クラスの人々用の栄誉に満ちた会場であるプリュタネイオンを望んだ。
 脱獄の機会を無視し、「単に生きるのではなく、善く生きる」者であり続け、「魂ができるだけ優れたものになる」ための道として裁判の評決を重んじ、死を選んだ。
 凄まじい、いのちの滾(タギ)りではないか。

 感性の人も理性の人も、つき動かされて表現し、主張する。
 今年は、托鉢時代の本堂があった聖地の入り口に残るイチョウのそばで、乱舞する金色の小鳥たちに出会う機会があるのだろうか。




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2013
03.29

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その50)─文字は精神の杖─

201303290001
〈『逝きし世の面影』からお借りして加工しました〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教・童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

「一日に一字を学べば
 三百六十字
 一字千金に当る
 一点他生(タショウ)を助く」


(一日に一字を学べば
 一年の間に360もの文字が覚えられる
 そうして覚えたたった一文字でも、大金にあたるほどの価値がある
 文字によって思考されたほんのちょっとした善行でも、苦しみのないところへ生まれ変わるための助けとなる)

 一日にたった一文字ずつでも覚えてゆけば、一年経つうちに360を超える文字が身につきます。
 たとえば、「朝」という文字を覚えれば、夜が白々と明けそめてきた時、「ああ、朝だ」と思え、心に一つの区切りがつき、次の時間へと進む心構えがつくられます。
 また、「朝」の文字に出会えば、明け方の空の色や鳥の声が連想され、あるいは、仕事や学校の始まりといった印象が心に浮かびます。
 文字は思いをまとめたり膨らませたりもします。

 イギリスの文芸誌『グランタ』の編集長ジョン・フリーマン氏(49才)は、産経新聞のインタビューに応じました。
 文藝編集者の役割です。
「新しい才能を発掘し、その作家が(本人すら意識していない)真に書くべきことを探り当てること」
 そのために心がけているのは……。

「常に自分が無知であることを認識し、好奇心を絶やさない」


 作家の原稿用紙を埋めさせるのが、自分もまた精神の〈白紙〉を埋めようとしている編集者の役割であるようです。

 私たちの精神のカンバスには、こうやって一文字、また一文字と書かれ、人は生涯かけて〈その人〉になってゆくのでしょう。
 だから、たった一文字であっても、覚えた文字、あるいは紡ぎ出された文字には、はかりきれない重みがあります。
 私たちの心がそうした文字と感応し合うほんのひとときは、この世の生を潤すだけでなく、次の世へもよき影響を及ぼすことでしょう。
 それが「一点他生(タショウ)を助く」です。
(一点とは非常に短い時間であり、他生とは、生まれ変わった自分です)

 私たちがものを考える時は、必ず文字の助けを借りています。
 ジョン・フリーマン氏のような〈考える人〉は、思考の先に必ず新たな言葉を求めています。
 だから、常に「無知」の自覚があり、好奇心のもたらす意欲が「無知」の荒野を歩ませているのでしょう。

 文字は精神の杖です。
 しっかりした人生を歩めるよう、子供たちへきちんと文字を与えたいものです。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2012
10.29

子供十善戒のすすめ ─子供の導き方を考える─

20121029005.jpg

 まじめなお父さんやお母さんは悩みます。
 子供の導き方がわからないからです。
「良い子なろう」といっても、どのような良い子になることが幸せなのか?
 宗教という道しるべを排除したマニュアルだけでは、導きようになかなか信念が伴いません。

 当山では、『お約束』として「子供十善戒」を提唱しています。

1  不殺生(フセッショウ)…生きものをむやみに殺しません。
2  不偸盗(フチュウトウ)…盗みません。
3  不邪淫(フジャイン)……ふしだらなことをしません。
4  不妄語(フモウゴ)………嘘をつきません。
5  不綺語(フキゴ)…………へつらいを言いません。
6  不悪口(フアック)………悪い言葉で話しません。
7  不両舌(フリョウゼツ)…二枚舌を使いません。
8  不慳貪(フケンドン)……貪りません。
9  不瞋恚(フシンニ)………妬んだり、キレたりしません。
10 不邪見(フジャケン)…悪い考えを起こしません。


 では、もしも「どうしてキレてはいけないの?」と問われたなら、すぐに答が出せるでしょうか?
 自分に答を考えさせるのも一法です。

「キレている時、どういう気持?
 楽しい?
 嬉しい?
 そして、もしも嫌いな子を殴ってしまったらどう?
 楽しい?
 嬉しい?
 そして、君がキレていてケンカになったら、周りの皆はどうだろう?
 楽しい?
 嬉しい?
 その反対に、誰かと仲良くしている時はどう?
 周りの皆はどう?」

 答を待ってから諭します。
 
キレると、自分がとても不愉快になるだけでなく、相手はもちろん周囲にも緊張感が走り、誰からも笑顔が消えてしまいます。
 エスカレートしてケンカになれば、お互いの心に「相手をやっつけよう」という悪い願いが満ち、実際に相手を傷つけたりします。
 もしも自分が顔を腫らしたり血を流したりすれば、それを見たお父さんやお母さんはどれほど悲しむでしょうか?
 自分が殴られた以上に悲しみ、もしかすると相手やそのお父さんやお母さんへ「復讐する」という悪い願いが起こるかも知れません。
 いのちがけで大切に育ててくれた親を悲しませ、とても悪い心を起こさせたならば、それは良いことと言えるでしょうか?

 勉強するのは、必要な知識でどんどん心を満たすことです。
 正しい知識が増えれば、無知という闇が薄れ、できごとにたいする的確な判断ができるようになります。
 知識が増え、練られれば、判断のレベルが上がります。
 それが人間としての向上です。
 お互いに人間としてのレベルを上げられれば、お互いに助け合えるようになります。
 溺れているAさんを泳げるB君が救えるかも知れません。
 どっちへ行けば目的地へ早く着くかわからないでいるB君へAさんが道を教えてあげられるかも知れません。
 それはお互いに嬉しいことで、お互いに笑顔になり、「感謝する」というとても良い心が起こります。

 だから、勉強して必要な知識で心を満たし、お互いに良い心になれるよう、お互いが笑顔で暮らせるように努力しましょう」




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2012
10.01

魂の浄化とは何か?

201210010142.jpg
〈台風一過の早朝〉

 ときおり、「浄化ってしていただけるのですか?」という問い合わせがあります。
 ご祈祷はしますが、貴方の努力も必要ですよと答えると、あまり、ご来山されません。
 もしかすると、超能力者にバシッと清められ、過去の一切をきれいさっぱり始末するといったイメージを持つ方が多いのかも知れません。
 もちろん、そんな都合の良いことは誰にもできず、「もう、貴方はきれいです」などというご託宣など当てになろうはずはありません。
 では、仏法における浄化とは何か?

1 み仏のご加護

 み仏を信じ、み仏の前で懺悔し、清らかな者として生き直したいと願う心は必ず〈原因〉として何らかの〈結果〉を招きます。
 〈結果〉は、み仏のご加護です。
 ご加護とは、拝んでもらったから、もう、大丈夫といったものではありません。
 み仏は心におられ、そこから告げられる無言の言葉がに響いてくるということです。
 では、懺悔し、み仏の世界へ入った行者の祈祷を受ければ、いかなる言葉がへ届いてくるのか?
 それが、「堕罪の四因」を転じて「善なる四因」を伸ばそうとする心です。

「私は、仏法の説く真理について無知だった。
 これからは、智慧を得られますように」
「私は、気ままで放逸(ホウイツ)だった。
 これからは、人間としての戒めに背かずに生きられますように」
「私は、仏法僧へ不信ばかり抱いていた。
 これからは、信じて導かれますように」
「私は、執着や怒りや慢心などの煩悩に流されていた。
 これからは、煩悩を大欲(タイヨク)に変えて生きられますように」


 無知放逸不信煩悩が「堕罪の四因」です。
 そして智慧・不放逸・信・煩悩の滅尽が「善なる四因」です。
 み仏のご加護とは、「堕罪の四因」に気づき、「善なる四因」が心に浮かぶことに他なりません。

2 自分の努力

 もうおわかりのように、自分の努力とは、「善なる四因」をきちんと心に保ち続けることです。
 前段で気づいた内容を忘れず、戒めを守って生きることです。
 もしも、戒めに背いてしまったなら、また、懺悔し、「善なる四因」をとり戻せばよいのです。
 心のはたらきようには習慣性があり、「堕罪の四因」が習慣づけられている心は、簡単に「善なる四因」だけで動くようにはなりません。
 だから、決心の強さと、粘り強さが求められます。
 自分の汚れを見逃さない誠意を持ち、経典を読んだり、真言を唱えたり、写経を行ったり、自分のできる努力を重ねましょう。

3 自分の努力その2

 努力にはもう一つあります。
 それは、自分を懺悔させたものにヒントがあります。
 なぜ、深く懺悔をしないでいられなかったのか?
 誰かを傷つけてしまったのなら、相手の苦しみを想い、取り返しがつかないことをしたという自責の念が自分を苦しめたからではないのか?
 実に、悪業(アクゴウ)にふさわしい苦しみを感じればこそ、真の懺悔ヘと至ったのです。
 苦しみを感じられない人は、懺悔ができない代わり、悪業にふさわしい別の苦しみを必ず体験せねばならず、しかも、懺悔しないうちは同じような悪業を重ねるので、いつかまとまった大きな苦しみに襲われるのです。

 懺悔する人は、自分が直接、害を加えた相手だけではなく、他の人々の苦しみにも気づくはずです。
 万人に「堕罪の四因」が宿っており、その罪深い行為によって傷つけられる人も又、無数にいるからです。
 他の苦しみを放置せず、自分の苦しみとして引き受け、他の苦しみを解き放ちましょう。
 それによって、自分が犯した悪業の〈結果〉を積極的に先取りしたことになり、必然的に、悪業が持つ悪しき〈結果〉を招く力を消滅させられるのです。
 悪業を積んだ過去の歴史は変えられませんが、悪業のはたらきがなくなれば、それは毒薬が中和剤によって毒のはたらきを失うようなものです。
 これこそが、自分の努力によるの清めに他なりません。

3 結論

 浄化には三つの方法があります。

○至心に帰依(キエ)し、懺悔し、祈りの力によって「堕罪の四因」と「善なる四因」に気づかされること。
○気づいた「善なる四因」を保つ努力を怠らないこと。
○他の苦しみを自分の苦しみとして引き受け、他の苦しみを取り除くことによって、自分の悪業から悪しき結果を招く力を消滅させること。


 仏法が説く真の清めを行い、自他の苦しみを取り除こうではありませんか。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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