鈴木六林男(ムリオ)は青年時代に中国から太平洋諸国まで転戦したあげく、負傷して帰国し、平成16年に85才の生涯を閉じた。
この句には季語がない。
六林男は、そもそも季節のない広漠たるところに季節が生じるという感覚を持っていた。
「水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり」
兵士は生きたいがために、水があれば必ず飲む。
生きたいがために、敵を見れば射つ。
その生は〈否応ない〉状況である。
最後は戦死するしかない。
無我夢中の果てに一息つけばこうなる。
「月の出や死んだ者らと死者を待つ」
ようやく月へ目が向くが、もう、半分以上、死の世界へ入っている者として、死んで行った戦友たちこそが近しい友であり、今、息をしている戦友たちもやがて、〈自分たち〉のところへ来るのだと詠んでいる。
月は私たちが最も興趣をそそられる対象の一つであり、四季折々の季節感をまとって現象しているが、生死の両界へ足をかけている者に季節はない。
そして、ここへ行く。
この一句は世界をモノクロに塗りつぶす。
――死者が折り重なっているだけの静寂な世界。
色が消え果てた光景の中に、真っ白でフワフワの牡丹雪が音も立てずに舞い降りる。
まぎれもなく、冬である。
しかし、秋の後で訪れやがて春へと変化して行く冬ではない。
死は〈取り返し〉がつかない。
死者にとって、この冬は〈絶対の冬〉であろう。
生き残った者は、冒頭の句を詠むしかない。
「幽霊の手ばかり見えてあそびおり」
生きている自分と共に死者はいる。
しかし、冥界へ入った者たちはもはや、気配でしかない。
浮かんだ句を記す自分の手は確かなように、気配は手らしき動きを感じさせながら、そこかしこに漂う。
今、書いている自分の手に、死者の手ま重なっているのか……。
生きものとしての自然に近い死ではなく、人間が人間の業(ゴウ)によって死へ追いやられる現場から生き残った六林男の句は、あまりに切ない。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0
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