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2016
08.09

百文字の写経 ─人間の理想像について─

2016-08-09-0002.jpg
〈世界のどこでも日本人〉

2016-08-09-00012.jpg

 密教の根本経典『理趣経(リシュキョウ)』の核心が詰まっている『百字偈(ヒャクジゲ)』という百文字の写経を行う方が増え、とてもありがたく、頼もしくも思っています。
 ご質問も増えました。
 智慧と慈悲によって、いのちと心を人の道に合わせて生かすという仏教の根本が理解されつつあります。
 これまでも幾度かとりあげましたが、村岡空氏の意訳によって、意とするところをつかまえてみましょう。

「知恵があるものは仏だ
 かれはいつも教えてくれる
 われわれが生きているあいだ
 そして教えは亡びない」


 原文の読み下しは以下のとおりです。

菩薩(ボサツ)の勝慧(ショウケイ)ある者は 乃至(ナイシ)生死(ショウジ)を尽くすまで
 恒(ツネ)に衆生(シュジョウ)の利を作(ナ)して 而(シカ)も涅槃(ネハン)に趣かず」
(優れた智慧を持った菩薩の方々は、迷い苦しむ人々すべてを救済し尽くすまで、
 常に手を貸し続け、安寧の世界へ行ってしまうことはない)

「原則と適用は
 知恵でできあがり
 存在と実体は
 みんな清らかだ」


「般若(ハンニャ)及び方便(ホウベン)の 智度(チト)をもちて悉く加持(カジ)し
 諸法及び諸有(ショユウ)をして 一切皆清浄ならしむ」
(智慧と手だてとの有効な救済手段を用いて
 あらゆる存在といのちあるものたちとを本来の清浄な姿にさせる)

「欲望が世界を整え
 清らかにしているから
 ピンからキリまで
 われわれは救われる」


「欲等(ヨクトウ)をもちて世間を調し 浄除(ジョウジョ)することを得せしむるが故に
 有頂(ウチョウ)より悪趣に及ぶまで 調伏(チョウフク)して諸有(ショウ)を尽くす」
(欲望などによって人々を正しく整え、煩悩を浄め除かせることによって
 天界から地獄界に至るいかなる世界のものたちが持つ苦の原因をも断滅して余すところがない)

「みよ、どぶ泥の蓮華を
 あのけがれない姿を
 われわれだってそうだ
 このままで立派に生きられる」


「蓮體(レンタイ)の本染(ンホンゼン)にして 垢の為に染められ不(ザ)るが如く
 諸欲の性も亦(マタ)然(シカ)り 不染(フゼン)にして群生(グンジョウ)を利す」
(蓮華が本来持っている清浄な色は、いかなる泥や汚れにも染められずその色を保つように
 菩薩も私たちも本来的に具えている意欲は、悪しきものに染められず人々の救済に役立つ)

「大きな欲望を持てば
 大きな楽しみができ
 いつも自由にふるまえ
 成功疑いなし」


大欲(タイヨク)清浄を得て 大安楽にして富饒(フジョウ)なり
 三界(サンカイ)に自在を得て 能(ヨ)く堅固の利を作(ナ)す」
(自他のためになる限りない意欲は清浄であり、限りなく安楽で豊かである
 いかなる世界にあっても自在にはたらき、金剛のような堅固さで自他のためになれる)

 私たちは生きている限り、食べねばならないし、子孫を残そうともします。
 人間はイメージの生きものなので、繁殖力の有無にかかわらずそこは残り、食欲と色欲は続きます。
 それは、食べものをおいしいと感じることであり、異姓を佳いなあと思うことです。

 お釈迦様が、10の戒めの2番目に「盗めない人間になろう」と説かれたのは、ひもじさによる奪い合いが人の輪を壊すからではなかったでしょうか?
 お釈迦様が3番目に「妄りなセックスをしない人間になろう」と説かれたのは、人間が倫理を失ってケダモノに化す身勝手さに警告を発したのではなかったでしょうか?
 そして一番目に「殺せない人間になろう」と説かれたのは、生きものが最も厭うことをしない人間であることは、人間であるための最低条件だからではなかったでしょうか?

 要は意欲の用い方に尽きます。
 み仏の子であるわたしたちはすべて菩薩として生きる可能性を持っており、本来の姿で生きるためにはまず、本来の姿を知るための智慧を磨かねばなりません。
 リオデジャネイロ五輪の競泳で金メダルを獲得した萩野公介選手は、子供の頃から水泳を学び、鍛えに鍛えて結果を出しました。
 学び、鍛錬することなしに、潜在能力が最高の結果へと結びつきはしません。
 この『百字偈(ヒャクジゲ)』は、光り輝く萩野公介選手を表現しているようなものです。
 いわば最高のイメージ、人間はそこまで行ける、という可能性の極地を示しているのです。
 その原動力は意欲です。

 ただし、スポーツは競技ですが、人生は競技ではありません。
 その人なりに、その時点で行けるところまで行っていれば、その時点での金メダルを手にしているようなものです。
 人の道を学びつつまっとうに生きれば、必ず、その人なりのメダルを一個、二個と手にしつつ生きられることでしょう。
 手応えというメダルを金色に近づけるためには、金メダルの世界をイメージしたいものです。
 人間性が最高に発揮されれば生き仏であり、その典型としての菩薩は、さまざまなお姿で私たちを惹き付けます。
 菩薩の世界がストレートに説かれた『百字偈(ヒャクジゲ)』を読誦し、写経し、考えることをお勧めしているのにはこういうわけがあります。

 もうすぐお盆なので少々、くどく書きました。
 お経は約30分で書けます。
 チャレンジを……。 




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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2016
08.08

写経の功徳とは? ─生き仏になる体験─

2016-08-08-00012.jpg

 室内の温度計は36・5度という酷暑の中、髙橋香温先生のご指導のもとで、参加者の皆さんは熱心に書道を学び、いつものように『理趣経(リシュキョウ) 百字偈(ゲ)』の写経も行いました。
 メンバーのお一人が引っ越しで今回が最後の参加となり、新しいメンバーも入ったので、5分程、写経功徳についてお話をしました。
 写経で有名なのは、弘仁9年(818)、旱魃(カンバツ)、飢饉、疫病という大災害に見舞われたおり、嵯峨天皇が御所を離れて3日間、持仏堂へ籠もり、般若心経を書写されたできごとです。
 天皇は、こう述べられました。

「朕(チン)の不徳にして多衆に何の罪かあらん」


(大災害が起こるのは、国を統べる自分の不徳のいたすところであり、民衆には何の罪もない)

 写経を行うと共に、お大師様から般若心経についての講話を受けられました。
 そこで用いられたのが『般若心経秘鍵(ヒケン)』です。
 世の中の苦しみは徳の不足によって起こるのだから、責任ある立場にある者ほど、我が身を振り返り、徳行に勉めねばならないと、天皇自らが身を謹まれたのです。
 ものごとが目論見(モクロミ)どおりの結果とならなかった場合、あるいは思いも寄らぬほどよからぬ結果となった場合、今でも「不徳のいたすところです」と口にはします。
 しかし、その〈不足〉を補うべき徳行がどうなされたかは、なかなかわかりません。
 天変地異と天皇の責任がどうかという物理的な因果関係の詮索はさておき、責任を感じた嵯峨天皇がひたすら写経し、講話も受けたお姿には学ぶところ大なるものがあります。

 この一件でわかるとおり、写経は、万人を救うみ仏のお力をいただくための徳行であり、その功徳は、書く本人はもとより、万人へ行き渡ります。
 だから、当山では、納経されたお経の一巻一巻に書かれたそれぞれのご心願が成就するよう祈ると共に、功徳があまねく世界を救うよう重ねて祈っています。
 そうした意味では、写経の功徳は、仏像を造る功徳に通じていると言えるかも知れません。
 たとえば、誰かの病気が治るよう願いを込めながら懸命に彫った仏像に、他の誰かが手を合わせる時、「あなたのために彫ったのではありません」と拒否することはありえないのです。

 また、一心不乱に書くという作業は、身体のはたらきをみ仏の世界に合わせている状態です。
 そして、書き上がった経文を読むのは、言葉のはたらきをみ仏の世界に合わせている状態です。
 さらに、経文の内容に心を向ければ、心のはたらきをみ仏の世界に合わせている状態です。
 こうして、身口意(シンクイ)が自己中心的な業(ゴウ)をつくる日常的な状態から離れれば、それは生き仏になっていると言えるのではないでしょうか。

 写経を終えて帰られる皆さんはどなたも生き仏です。
 合掌して送り出す小生はありがたくてなりません。

 お盆でお寺へ出かけられる時、納経をされてはいかがでしょうか?




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2016
08.04

雪降れば貧しき家も銀の屋根 ─運命の敵視からすべての許しへ─

2016-08-04-0003.jpg

 詩人で住職の村岡空氏は、小学6年生のおりに詠んだ。
 季節外れの一句だが、忘れぬうちに書きとめておきたい。

「雪降れば貧しき家も銀の屋根」


 氏は、子供の頃に両親を失い、太平洋戦争に翻弄されつつ生き延びた。
 預けられた寺では、奇跡的にニューギニアから帰還した前住職から、病気や飢えのために三千人が戦わずして全滅した絶海の孤島で、「最後まで生き残ってお経を上げてくれ」と戦友たちの食べものを譲られた話に耳を傾けた。
 中学生の頃、希望職種を書けと指示された時は、乞食と記入した。
 次々に訪れる人生の不如意と苦しみに翻弄され、自殺未遂するなど、波浪の先に救いとなったのはお大師様の教えだった。
 人間の心が深まり、み仏そのものへと向上する段階を説いた「十住心論」を読み、氏は気づく。

「結局、心の源を探り、現実の自分の立場をよくわきまえることだ、と言われているのではあるまいか。
 とすると、自分の心は、ただ怒りをぶつけるためだけにあるのではない。
 あたかも水の浄化作用にも似て、すべてを許す、といった慈悲を表すためにもある。
 すなわち親は子供を、そのように柔軟な心を持つように生んでくれたはずである
 かてて加えて、現実自分の立場はどうか。
 いやしくも、ひとさまに密教を説こうとする者が、これ以上、他人と争い、他人を傷つけることが、果たして許されるであろうか」


 そして、ある日、高野山で祖父、祖母、両親など先祖代々の法要を営み、奥の院で「南無大師遍照金剛」を唱和した。
 そこで、お大師様の言葉を聞いた。

「許せ、すべてを許せ」


 さて、密教の根本経典として日常的に唱えられているのは『理趣経(リシュキョウ)』である。
 そのエッセンスは「百字偈(ゲ)」と呼ばれている部分であり、毎月、行う当山の書道教室においては、最後に一枚、納経することになっている。
 漢字百文字で書かれた詩は、氏によって見事に意訳された。

「知恵があるものは仏だ
 かれはいつも教えてくれる
 われわれが生きているあいだ
 そして教えは亡びない

 原則と適用は
 知恵でできあがり
 存在と実体は
 みんな清らかだ

 欲望が世界を整え
 清らかにしているから
 ピンからキリまで
 われわれは救われる

 みよ、どぶ泥の蓮華
 あのけがれない姿を
 われわれだってそうだ
 このままで立派に生きられる

 大きな欲望を持てば
 大きな楽しみができ
 いつも自由にふるまえ
 成功疑いなし」


 これほど的確に、かつ、わかりやすく読み解かれた文は目にしたことがない。
 過酷な日々を強いてきたあらゆるものを許す心となった氏の思いが読み取れる。
 当山は、この一文も大切にして行きたいと思う。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2016
07.31

人間、心、いのちの全体性は大丈夫か?

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〈運慶作の国宝大日如来像(円成寺)。何ものでもなく、何ものにもなる空(クウ)の空(クウ)たる姿〉

 A医師のお話を聴いた。
 医学部がどんどん細分化され、診察の現場で多様な患者さんに対応したり、医療全体が俯瞰できる視点を持っているような若い医師がなかなか、いないらしい。
 飛んでいる飛行機の中で具合を悪くした人がいた場合、スチュワーデスが「お医者さんはいませんか?」と声をかけ、手を挙げた医師が急病患者を救う、などという光景はこの先、あまり期待できないだろうと言う。
 もしも、専門分野以外の病気に手を出した場合、法的責任を問われかねないといった面も心配だ。
 その一方で総合医というものもあり、何でも診る医師だが、場合によっては、患者さんが専門の医師へとバトンタッチされる。
 総合医もまた、全体という分野に特化した知見を身につけるという意味では、細分化された世界を担っている。

 A医師へ訊ねた。
「私たちが病気になった場合、どの医師へ自分の身体を任せるかを決めるのは、特別な場合を除き、医療技術のレベルではなく、信頼できるかどうかという一点ではないでしょうか?
 そうした意味では、医療は全人格的な仕事ではないかと思えますが……」
 そうです、お互いの信頼感が第一です、という返事を耳にしながら、なぜ、人格や信頼といった現場で最も大切なところと、専門家を育てる教育の方向性がずれているのか、考えさせられた。

 やはり、技術偏重、あるいは能率や効率への過度な期待といった文明の問題なのだろう。
 小学生の頃から商売を体験し、大学では、より多くの収入に直結する資格が得られるような学部を選ぶといった方向で進めば、何かが欠けてしまうのではなかろうか。
 技術は道具であり、道具の用い方を決める精神は、技術の習得とは別なところでつくられるはずだ。
 何かを得るための思考や行動ではなく、それ自体が目的であるような思考や行動がある。
 たとえば〝自分はなぜ生きているのか?〟といった問わずにはいられない問いを問い続けること、あるいは星空に魅入られたり、神社仏閣で何かの気配を感じとったりしてボーッと過ごすこと。
 そうして過ごす時間が、人格を陶冶し、信頼される人物をつくるためには欠かせないと、体験上、思う。
 しかし、一見、何の役にも立ちそうにない時間を過ごす心の余裕は、子供や若者たちにあるだろうか?
 去年、ある小学生が話してくれた言葉は、小生の心で御守のように生きている。
「和尚さん、ぼく、独りで近くの公園に行って、丘にある台に座るのが好きなんだ。
 ボーッと眺めるんだ。
 誰も知らないよ」 

 私たちは文明を見直す重大な状況に面しているのではないか。
 人間も世界も、生気や精気や正気を保ちにくくなっている。
 人間、心、いのちが、歪(イビツ)になりかけている。
 それらを軽視する世界になりつつある。
 多様な意見に耳を貸さず、決まり文句を叫び、力で二者択一を迫る人々が世界中でもてはやされつつある。
 私たちの不安、無力感、閉塞感、苛立ちや無慈悲さは今や、尋常ならざるところに来ている。

 インドの詩人ラビンドラナート・タゴールがこう詠んでからもう、一世紀が経つ。

「生をして夏の花のように美しく、死をして秋の葉のようであらしめよ」


 夏の花のような真に活き活きした生、秋の葉のような真に受け容れられた死は、どこへ行ったのだろう。

 ちなみに、『理趣経(リシュキョウ)』はこう説いている。

「私たちが本来持っている無限の意欲は、智慧と慈悲に導かれ、無限の安楽と豊かさをもたらす」


 技術、効率、能率といった〈道具〉を磨きつつも、それらの主人公である心のありようにもっと気を配る文明であって欲しい。
 ドイツには、オリンピックのモットーを「より速く、より高く、より強く」の3つだけでなく、「より美しく、より人間らしく」を加えた5つにしようと提唱する人々がいるらしい。
 ドーピングで揺れるロシアのプーチン大統領が「もっと強く」と鼓舞していることと比較しても、さすが、であると思う。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2015
11.23

Q&A(その15) ─相続問題などで悶着になった時は?―

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〈ジャズスポット・エルヴィン(宮城県登米市迫町佐沼)様のサブスピーカー用アンプ〉

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〈メインスピーカー用のアンプ群は奧の部屋に納められています〉

 理不尽なことを言われたり、されたりして、どうにも腹の虫がおさまらない時は、まず〈観る人〉になることをお勧めしています。
 たとえば、親の面倒をみることと、遺産相続することなどの絡まりで悶着が起きる場合、時間とお金だけの問題ではなく、家族の歴史が生んだ心理的問題が伏線として動かしがたく潜んでいるケースが少なくありません。
 そこをうまく処理しないと、いくら表面的に妥当な落としどころを探っても、対立や不満は解けません。
 相続人それぞれが子供時代にどう育てられたか、どのように親のすねをかじってきたか、兄弟同士の心理的交流はどうだったか、数十年に及ぶ親と子の心理的関係はどうだったか、さらには、親の生き方や商売と子供の関係はどうだったかなど、無数のファクターが裏にあって一つの主張が形成されます。
 親の生前であろうと、死後であろうと。
 ここで抜き差しならない状態となった時は、相手の主張そのものよりも、相手がそのように主張せなばならない背景をよく考えてみることが大切です。
 心理的〈現場〉から一歩、退がり、第三者的に相手を眺めるのです。
 特に、劣等感、引け目、怨み、弱み、それらを背景とした高慢心、頑なさなどの原因となっているものを冷静に考えてみましょう。

 そうして思考を深めている時は、感情の波が静まっています。
 その作業は、相手だけでなく、自分の人生をも、あらためて智慧の光で照らし出し、結果的にどこか謙虚で、敬虔で、すなおな気持になるものです。
 まず、こうした落ちついた気持ちになって問題に対処しましょう。
 もしもなかなか冷静になれない時には、守本尊様の真言を唱えたり、『般若心経』を読誦したり、あるいは『理趣経(リシュキョウ)百字の偈』を写経したりといった行為が救いとなることでしょう。
 
 よく眺めているうちに、相手がどう〈困っているか〉がわかります。
 理不尽な主張をする人は、たとえ態度がどうあろうと、金銭的にどうであろうと、必ず精神的に困っています。
 そこが見えた時、痛めつけられ、傷つけられたと感じている側としては、まず、相手に対して軽蔑や、卑下や、侮りや、怒りなどの心が起きるでしょう。
 当然です。
 でも、澄んだ心の鏡に映し出された相手の心を眺めていると、やがて、哀れみが湧いてくるかも知れません。
 そうなれば、具体的な解決に一歩、進んだことになります。
 こちらの条件を譲る下地ができたからです。

 このように、〈観る〉という作業はとても大きな恩恵をもたらします。
 まとめてみます。

 第一に、感情的にならず、事実が正確に把握できる。
 第二に、後で後悔するようなバカな結論へ至らずに済む。
 第三に、自分自身をも振り返る貴重な機会になる。
 第四に、客観的視点を持つ人生修行になる。
 第五に、相手から来たものに対しての反応という形ではなく、自分自身の心眼で相手との関係を確認できる。
 第六に、相手を否定する気持だけでなく、相手を包むような気持も湧いてくる。
 第七に、自分の気持が変わることによって、具体的な解決へ向かう新たな局面が生まれる。

 どうでしょうか。
 頭に血が上り、〝──どうしてくれよう……〟とカッカしている状態と比べてみましょう。
 打ちのめされ、〝──なんて酷い目に遭うんだろう……〟と打ちのめされている状態と比べてみましょう。
 感情に負けて、できなそうな時は友人や先輩など、本当に親身になってくれる心と、客観的に観る智慧を持った誰かと一緒に考えてみるのも一法です。
 どうぞ、感情に負けず、よい道を見つけられますよう。
 



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「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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