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2015
03.01

お釈迦様の前に悟った方々はなにを説かれたか? ―過去七仏(その1)―

201503010002.jpg
〈年限なら70~80才、この柔軟さと廊下を走る敏捷さ、1メートル以上もある台へのジャンプ力、人間の遠く及ばない生きものです〉

 お釈迦様は言われました。
「私はただ、過去の聖者たちが悟られたことに気づいただけである」
 では、その「過去七仏」とは?

1 ビバシブツ

「忍辱(ニンニク…忍耐)を第一となせ。
 仏説は無為(ムイ)を第一とす」


 この世はまさに忍土(ニンド…耐え忍びつつ人間性が磨かれてゆく世界)です。
 悪口に耐え、暴力に耐え、自分の愚かさに耐え、社会の不条理に耐えつつ、人は人となり、やがては、ありのままに生きながら〈生き仏〉にもなれます。
 お釈迦様も「忍辱は行の尊」と説かれ、弟子が一人で説法の旅に出ようとした時、その資格があるかどうかを調べる尺度が忍耐できるかどうかでした。
 怒りは、身につけたいかなる境地も見識も一瞬にして破壊し、他者を救うことはできません。

2 シキブツ

「もし、目に非邪(ヒジャ…よからぬもの)を見れば、賢者は護って著せざれ。
 醜悪を棄捐(キエン…棄てる)すれば、世にあって智慧者となす」


 目に見え、耳に聞こえるものはどれもが、心次第で、煩悩に火をつけかねません。
 男性が美人を目にすれば「オッ!」と思いますが、そこで余分な執着心を起こせば「非邪」となります。
 動じず、吹いたそよ風を追わぬようにやり過ごすのが賢者です。
 執着し、自己中心的になった心こそが「醜悪」であり、それを離れた人こそが本当の智慧者です。

3 ビシャフブツ

「食において足るを知れ」


 幸福とは何か?
 それは、何ごとについても「足るを知る」心境でしょう。
 手に持つモノ金の量にかかわりなく、〈満ち足りている〉気持こそが幸福というものではないでしょうか。
 この真実がお釈迦様より遥か昔に説かれていました。




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2014
08.09

秋立つや皆在ることに泪して ―俳人の泪―

201408090001.jpg
〈酷暑の中で草刈りをしてくださる方〉

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〈彼はなぜ、水面に浮かぶ葉の上に乗ったのか〉

 暑い暑いと言っているうちに、立秋となった。
 当山のあたりでは、草も車も朝露に濡れ、虫たちの声が天地を満たしている。

「秋立つや皆在ることにして」

 明治から平成にかけて、4代を生きた永田耕衣の作である。
 秋立つ時期は、不思議に来(コ)し方をふり返りたくなる。
 耕衣は、ふり返ろうとした瞬間、〈〉現在、ここに〈生きて在る〉ことに衝撃を受けたのだろう。
 しかも、人々と共に在る……。
 〈〉は完ぺきである。
 過もなく、不足もない。
 机があり、ネコが寝ていて、カラスが鳴いている。
 身体のあちこちが傷み、記憶力は落ちかけ、友と会う機会も減ったが、そのままに生きて在る。
 自分を含め、皆が在るとは何というありがたいことか。
 いつの時代の〈〉も、全体として直感できる時、同じ〈〉を誘う。

 それにしても、世界中で流されているは、耕衣のとあまりにも隔たっている。
 赤十字の施設に逃れていてすら爆撃され、家族を失い、友人を失い、家を失い、傷ついたパレスチナの人々。
 国境も無視して一神教と暴力による支配を目ざすイスラム原理主義勢力に追われ、酷暑の山岳地帯へ逃れるイラク北部の人々。
 医師たちまでもがエボラ出血熱に冒され、病魔と死魔の猛威にさらされているギニアの人々。
 最近の祈りには二つを欠かさない。
「一心祈願不戦日本」
「一心祈願世界平和
 日午後からの寺子屋でも、皆さんと一緒に唱えたい。

 耕衣はこうも詠んだ。

「死螢に照らしをかける螢かな」

 先に逝ったホタルのすぐそばで、ホタルが光っている。
 生者死者を意図して照らすのか。
 耕衣は実際にこの情景を観たのか?
 それとも、幻影だったのか?
 いずれにしても、あまりのリアリティーにたじろがされる。
 この句を読んだ瞬間、なぜか、脳内スクリーンの左下に横たわったホタル、右上に光るホタルが出現した。
 しかも、まるで自分がかつて観た光景のように鮮やかだったのはなぜだろうか。
 こうして書いているも、同じ構図が頭にある。
 一枚の写真のように。
 耕衣のリアルと私のリアルは重なっているのかも知れない。

 それにしても、「死」と「照らしをかける螢」とは、まさに写真の中で等価であるように、二者で一つのシーンを構成している。
 息をする耕衣も、歩く耕衣も、詠む耕衣も、このシーン中の人物だったのではないか。
 詠む者と詠まれた世界が一つになっている。
 冒頭のは、そこで流されたのだろう。




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2013
03.16

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第131回)─「小説は 死者と生者つなぐ」考(その4 小説と経典)

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〈岩出山の『森栖』さん〉

 3月11日付の朝日新聞に掲載された池澤夏樹氏といとうせいこう氏の対談「小説は 死者生者つなぐ」を読んでいます。

いとう氏
「一人一人を書くということは悼むことかもしれないし、何かにふたをしようとするものへの反抗かもしれない。
 池澤さんは『双頭の船』を故意に軽いタッチで描かれましたね。
 僕のDJもちゃらちゃらとしゃべる。
 客観性があればそこにユーモアが出てくる。
 死者もニヤッと笑うエピソードを書きたかった。」


池澤氏
「深刻にしてしまうと、深刻であることだけで先に行けなくなる。」


いとう氏
「当事者ではないのに深刻になるのは失礼ではないか、という思いもあった。」


 枕経を唱え終わり、ご本尊様から戒名を授かるために故人の人となりを聞かせていただく場面を思い出した。
 喪主様を始め、皆さんを前にして、僧侶は苦を共にする「同苦」の心でありながら、自分も泣きそうな表情になったりせず、穏やかに聴き取りを行う。
 それは、身代わりとなって苦を受ける観音様もお地蔵様も泣いてはおられないのと同じである。
 ことを進めるためには、場をあまり「深刻にして」しまってはならない。
 もちろん、喪主様が言葉につまってしまう場面などはじっと待つが、こちらの気持を場へ入れすぎないように気をつけている。
 いとう氏の言う「失礼ではないか」はよくわかる。
 信念がどうであろうと、世間的なふるまい方としては、所詮は他人という面がいくらかはあった方が場の統一性が保たれ、礼を失しないのだ。

池澤氏
「葬式などの儀式だと、きちんとやったからいいでしょうと納得させられて終わる。
 小説では、向こうへ行こうとしている彼らとともに歩ける。
 どこかでじゃあねといってすっと別れられる。
 余韻が残る。」


 確かに葬儀などの儀式は、心に区切をつけ、次のステージへと向かうきっかけになる。
 当然、なすべきことをきちんと行ったという「納得」が伴わねばならない。
 それには、み仏のお力により、故人が迷わずにこの世からあの世へ行けるよう引導を渡す場が異次元と接していることを、送る方々に実感していただかねばならない。
 導師がみ仏と一体になる修法は、逝く方へも送る方々へも区切の感覚をもたらし、納得への扉を開く。

 氏の言うとおり、儀式はその場で完結する。
 僧侶もまた、そこで〈終わり〉にしているのだろうと一般的には思われているらしい。
 しかし、私はそう考えてはいない。
 年忌供養などを押しつけはしないが、葬儀は始まりであると考えている。
 送られた方が十三仏様に導かれ、あの世で清められ休息をとり、やがては転生の準備をされるのと同じく、送った方々は、身近な人の死を契機として心に供養という新たな流れが起こる。
 数珠を持ったことのない人が数珠を手にし、お線香を点しては精進を誓い、水を供えては布施を誓い、花を挿しては忍耐を誓い、そうして生きることによって先に逝かれた方への報恩を実践しようとする。
 僧侶は決して出しゃばらないが、いつでも皆さんの流れが順調であるように願いつつ、必要とされればできることを行う。
 気配もなく、ふり返れば常に在る影のようでありたいと願っている。

いとう氏
「音楽や映像ではなく、文字という簡素な、ある意味貧しいメデイアであるが故に、生きる時間とも弔いともリンクがはれる。
 本という形だからこそ、開くたびに、亡くなった人の声や無念が立ち上がってくることを祈ります。」


 池澤氏は「余韻」、いとう氏は「立ち上がってくる」と言った。
 小説の真骨頂は思いの追体験にあるのだろう。
 過去の人々や仮想された登場人物たちが、小説家の筆力によって永遠のいのちを得る。
 高任和夫氏の『光琳ひと紋様』、神部眞理子氏の『玉の緒よ』といった作品では、登場人物たちの生(セイ)の饗宴や哀愁が読者の脳裏へありありと甦る。
 読者は彼らのいのちに伴っている思いと心の音叉が共振し、霊性が活性化する。

 宗教においては経典が似た役割を果たす。
 経典は、見えるものや聞こえるものなどを真実のありようとは異なった形でとらえさせる煩悩(ボンノウ)という勝手なフィルターを外し、瑞々しく安心な世界にいることを思い出させる。
 経典に導かれて心が自己中心を離れる時、過去の人であれ仮想された人であれ現実に生きている人であれ、誰かのためによかれと願いつつ生きる人の魂や誰かのために自分を捨てる人の魂から強く訴えかけられ、奮い立つ。
 
 文字は、音楽や映像のように、華々しく瞬間的な刺激をもたらしはしない。
 しかし、文字を扱うもののうち特に新聞や本は、紙の手触りや匂いに始まる総合的な訴えかけにより、静かで深い印象を与える。
 そして、小説も経典も、読み手の心に従い万華鏡のようにさまざまな面を見せる。

 私は、『光琳ひと紋様』を読んでから、尾形光琳の『紅白梅図屏風』をときおり観るようになりました。
 また、『玉の緒よ』を読んでから、月照の一句「世の中に 生きとし生けるものは皆、ただ玉の緒の 長かれとこそ」が一段と身に迫るようになりました。
 どんな時も『理趣経(リシュキョウ)百字偈(ゲ)』は背骨をシャンとさせてくれます。
 よい書物に親しみ、経典を宝として、死者とも生者とも、共に生きようではありませんか。




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2012
01.22

幸せとは何か ─『法句経』の説く吉祥(その3)─

 この教えは、〈あれば嬉しい〉世間的な生活環境は確かにいを与えようが、それだけでは「を救い、苦しみを克服させはしない」というところから出発しています。
せになって永遠に迷いの世界を離れ、自ら絶対の安寧を得られる」ためにはどう生きればよいか?
 その答として、心構えとふるまいを説かれました。
 後半です。

○身を清め、清浄な修行を実践し、常に賢明な聖者にまみえたいと願い、明らかな智慧のある人に付き従うならば、最もいである。
「斎を持し梵行(ボンギョウ)を修し、常に賢聖を見んと欲し、明智ある者に依附(イフ)す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○徳を得る悟りの道があると信じ、心を正しくして疑いなき確信ヘ向かい、地獄餓鬼畜生から抜け出ようと欲するならば、最もいである。
「道徳有るを信ずるを以(モッ)て、意(ココロ)を正しくして疑い無きに向かい、三悪道(サンアクドウ)を脱)せんと欲す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○わけへだてなき心で布施を行い、諸々の道を得た人々を敬い尊び、又、諸々の天神を敬うならば、最もいである。
「等しき心もて布施(フセ)を行い、諸(モロモロ)の得道(トクドウ)の者に奉り、亦(マ)た諸(モロモロ)の天人(テンニン)を敬う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○常に貪欲と愚かさと憤りの心を離れようと欲し、真理に基づく考え方を習い身に着けるならば、最もいである。
「常に貪欲(トンヨク)と、愚痴と瞋恚(シンイ)の意(ココロ)を離れんと欲し、能(ヨ)く道見(ドウケン)を習い成(ジョウ)ず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○もしも誤った行いを離れ、精進して仏法を生活へ取り入れ、常に仏法に叶った行いに徹するならば、最も幸いである。
「若(モ)し以(モッ)て非務(ヒム)を棄て、能(ヨ)く勤めて道用(ドウユウ)を修し、常に可(ヨ)き事に事(ツカ)う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○天下のために一切を行い、大いなる慈悲心を確立し、思いやりを実践して生きとし生けるものを安寧にするならば、最も幸いである。
「一切、天下の為にし、大慈(ダイジ)の意(ココロ)を建立(ケンリュウ)し、仁(ジン)を修し衆生(シュジョウ)を安(ヤス)んず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○幸いなる福徳を求めたいならば、仏を信じ敬うことである。幸いなる福徳を求めたいならば、まさに真理の教えを学ぶべきである。
「吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に仏を信敬(ソンギョウ)すべし。吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に法句(ホック)の義を聞くべし」

○幸いなる福徳を求めたいならば、諸々の僧侶を供養することである。戒めを身につけ、清浄に生きる者になるならば、最も幸いである。
「吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に衆僧(シュソウ)を供養すべし。戒を具(ソナ)え清浄(ショウジョウ)なる者、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○智慧ある者が世間に住み、常に幸いに生きられる行いを習い、自ら智慧ある考え方を究め血肉とするならば、最も幸いである。
「智者は世間に居(オ)りて、常に吉祥(キチジョウ)の行を習い、自ら慧見(エケン)を致(キワ)め成(ジョウ)ず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

 ここまで聞いてバラモン教の行者たちは歓喜し。帰依しました。
 神に仕えて神から与えられる幸いを超えた不動の幸いを自分で得る方法がわかったからです。

「梵志(ボンジ)は仏の教えを聞きて、心中大いに歓喜す。即ち前(スス)みて仏の足(ミアシ)を礼し、仏と法と衆とに帰命(キミョウ)す」

 釈尊はすぐに行者たちを導き、信じて修行に入った彼らはたちまちにアラカンの悟りを開きました。
 周囲で教えを聞いた人々もまた、真理を観る目を得ました。
 経典にはしばしば、こうした場面があります。
 他の教えでもの足りなく感じていた行者たちや、真理を求めているまじめな人物が釈尊と会い、帰依して修行すると〈たちまち〉悟りを得るのです。
 それは、乾いた喉にコップ一杯の水がたちまち染みこむ感じがするのと同じです。
 乾きは多くの場合、煩悩(ボンノウ)が満足する対象物を求めて止まない欲求に例えられます。
 しかし、真理を求めて止まない欲求もまた、乾きに似て、まじめに、真剣に求めている者は与えられた教えがすぐに血肉化し、一定の境地を得て生き方が変わります。

 私達は、幸せとは何か?という問いから出発しました。
 幸せとは、誰のものでもなく〈自分の〉幸せだったはずです。
 しかし、教えを学ぶと、いつしか〈自分の〉という縛りから解き放たれていることがわかります。
 釈尊の智慧の光が私たちの心の鏡に映じ、指摘されてみると万人がそのとおりに感じ、思うことが極めて自然であろうと納得できます。
 この納得こそが真理によってもたらされた智慧ではないでしょうか。
 すなおに納得した内容を実践すれば、それは、み仏と同じ思いやりのある考え方となり、言葉となり、行動となります。
 つまり、幸せとは、自分という縛りから離れ、み仏と同じになろうとするところにもたらされるのです。
 しかもそれには条件がありません。
 出家するとしないとにかかわらず、納得し、決心し、行動する万人へ不動の幸せがもたらされます。

 み仏を信じ、教えと導きの力を信じ、互いの仏性(ブッショウ)を信じ、考え方と言葉と行動を、み仏のそれに一致させましょう。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)こそが、幸せを得る方法なのです。
 方法を実践したいならば、信じられる寺院で導きを受けるか、もしくは自分で「この仏様」と具体的にイメージできるみ仏の経典を唱えたり、真言を唱えたりして〈成り切る〉時間をつくりましょう。
 念持仏(ネンジブツ…身近で祈るみ仏)としてお勧めできるのは生まれによって決まっている守本尊様、もしくは「こうなりたい」との願いに応じたみ仏です。
 一歩でも二歩でもみ仏へ近づき、真の幸せを得ましょう。

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2011
12.27

恩と感謝 ─弔電の真実─

 A子さんの薄化粧した端正な顔は、文字通り眠っていると思えるような穏やかさで、生者の視線を迎えます。
「私たちがとんと忘れている安らかさとはこういうものではないか?」
 そして、惑う私たちを叱るような凛々しさは、帰って行く世界の高貴さを証明してもいます。

 A子さんは、「父親のいない子にしたくない」一心で酒癖の悪い夫に耐え抜き、夫の死後は、パートではたらきながら生計をまかない、夫が残した財物をすべて子供の教育へつぎ込みました。
 兄弟が不祥事を起こした時は積極的かつ献身的に対応して解決し、地域のためにも汗を流しました。

 和室の家族葬へ参加された方々の目は皆、死者の凛々しさが乗り移って強い意志の光をたたえています。
 弔辞はなく、弔電が読み上げられました。
「B夫君を生み、育ててくださった貴女に心から感謝します」
 数通には、まるで示し合わせたかのように、同志から高い評価を受けるB夫氏の生母であるがゆえの深い感謝と強い尊敬がこめられていました。
 聞いてみればあたりまえの文章ですが、内容のシンプルさと率直さが際立ち、忘れられません。
 母としての道を貫いた女性へのこの上ない送る言葉となりました。
 B夫氏の〈自分をかけて行う〉ひたむきさは、まさに母譲りだったのです。

 お大師様は説かれました。

「吾はこれ無始より已来(イライ)、四生(シショウ)六道(ロクドウ)の中に父となり子となって、いずれの生をか受けざる、いずれの趣(シュ…世界)にか生ぜざる。
 もし、恵眼をもってこれを観ずれば、一切の衆生はみなこれ我が親なり」


(私は、いつ始めがあったとも言えない無限の過去からずっと、ありとあらゆる生きものたちの世界で父となり子となって生まれ変わり死に変わりし、訪れない世界はない。
 もしも智慧の眼力で輪廻の真実を見透すならば、一切の生きとし生けるものは自分の親であることがわかるであろう)

 四生は、生まれ方によって分けられる生きものので世界です。
1 胎生(タイショウ)…胎内から生まれるほ乳類など。
2 卵生(ランショウ)…卵から孵化する鳥類や魚類など。
3 湿生(シッショウ)…湿気から生ずる虫など。
4 化生(ケショウ)…業(ゴウ)によって生ずる天人など。
 六道は業によって経巡る迷いの世界であり、地獄から天までの6つです。

 A子さんとB夫氏を想い、お大師様が生涯にわたって説かれた「四恩(シオン…国王・親・衆生・三宝の恩)」と輪廻転生を思います。
 地球上に忽然と現れたいのちの世界では、アリ一匹からクジラまで、恩人も敵も、すべてが欠かせない存在です。
 その中で人間のみが恩を知り、「おかげさま」と生き、「ありがとう」と去って行きます。
 人間を他の生きものと分ける最大の要素は、恩を知り感謝して生きることではないでしょうか。

 A子さん、B夫氏、本当にありがとうございました。
 おかげさまで、今日も道を歩めます。
 A子さん、十三仏様のお導きで必ずや絶対安心の世界へ向かわれますよう祈っています。
 B夫氏、いのちの捨て所で志をまっとうされますよう祈っています。

201112271



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