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2015
06.23

深発地震が教えるもの ―「つつしむ」は67、「すすむ」は14―

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〈3枚の図は日経新聞様よりお借りして加工しました〉

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 6月1日、日経新聞ニュースは「列島全域グラリ 『深発地震』のメカニズム」を報じた。
 一部を記録しておきたい。

 5月30日夜、小笠原諸島西方沖を震源とするマグニチュード(M)8.1の地震が発生した。
 震源に近い東京都小笠原村の母島に加え、遠く離れた神奈川県二宮町でも震度5強を観測。
 しかも北海道から沖縄まで、全国で震度1以上の揺れを記録する珍しい地震だった。
 震源の深さが682キロメートルと非常に深かったのが原因だ。
 このため正確な震度の予測も難しく、気象庁は緊急地震速報を出さなかった。
 今回のような『深発地震』、普通の地震とは起きる仕組みが異なるという。

■「深発地震」って?

『一般に深さ100キロメートルよりも深いところで発生する地震のことを指す。
 別のプレートの下に沈み込む海のプレートの内部で発生する。
 震源は700キロメートルの深さに達するものもあるという。』

『小笠原諸島付近では、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に約50度の角度で急激に沈み込んでいる。』

『この湾曲部では、ひずみがたまり続ける。
 耐えきれなくなると、巨大な亀裂が発生して地震が起きる。
 今回の地震はプレートの下部で発生したとみられ、震源が深かったと考えられる。』

■全国で揺れを観測

『5月30日、記者会見した気象庁の中村浩二地震情報企画官は広範囲の揺れの要因について、「沈み込んだ太平洋プレート内のかなり深いところが震源だったため、プレートに沿って地震波が遠くまで伝わった」と説明した。』

『今回の地震は震源が日本列島から遠かったため、被害が小さかった。
 地震波は固いプレートの内部を伝わるときは弱まりにくく、陸地の真下で起きた場合は被害が大きくなる。』

■高層ビル揺らした「長周期地震動」

 今回の地震では高層ビルのエレベーターが一時停止し、身動きがとれなくなるケースが相次いだ。
 高いビルで大きな揺れを感じた人も多いはず。
 震源から遠く離れた場所でも大きく揺れる「長周期地震動」が、関東を中心に観測された。

『気象庁によると、地震波はさまざまな揺れの「成分」を持っており、ガタガタという短い周期の揺れのほか、ゆっくりとした長い周期の揺れもある。
 これが長周期地震動で、地震の規模が大きくなるほど発生しやすい。
 短周期の揺れより衰えにくいため、遠くまで伝わるという特徴がある。』

『今回の地震では、長野県中部や神奈川県東部などで長周期地震動の「階級2」を観測。
 宮城県から大阪府にかけては「階級1」を観測した地域があった。』

『気象庁は階級2について「物につかまらないと歩くことが困難」、階級1は「ブラインドなどが大きく揺れる」などとしている。
 揺れの大きさによっては家具の転倒や移動のほか、エレベーターの停止の恐れもあるといい、日頃からの心構えも重要だ。』

 以上を読むと、いくつかの事実が確認される。
1 マグニチュード(M)8.1、震度5強まで達した地震に日本全国、津々浦々まで揺れ、揺れなかった場所はない。
2 深発地震は震度の予測も難しく、気象庁は緊急地震速報を出せなかった。
3 今回は震源が日本列島から遠かったので大過なく済んだが、近くで起きれば大きな被害が発生し得る。
4 震源から遠い場所でも大きく揺れる「長周期地震動」への備えが必要である。

 原発安全性を考える場合、〈活断層が近くにあるかどうか〉ということなどは、ほとんど決め手にならないことが明らかになった。
 全体が揺れる日本列島のどこにも安全が保証される場所はない。
 今回はたまたま、震源が遠いために被害が小さかっただけで、いつ、もっと近くで起こり、大規模な被害が生じたとしても、何の不思議もない。
 古来、先人たちは、天変地異に際して、身をんだ。
 この「」は、死者となり永遠の世界へ還って行った霊を丁重に扱い、巨大な霊力による災いが起こらぬよう、お鎮まりいただくという意味がある。
 また恭しむの「共」が示すとおり、両手で捧げものを奉ずるということも行った。
 そして、頭を垂れて畏(ツツ)しみもした。
 人間の思惑や、はからいや、浅知恵を超えた何ものかを感じ、素直にふるまいを制した。
 思えば、人類は、他の生類(ショウルイ)とはまったく次元の異なる非自然あるいは反自然的ふるまいをしつつ、ここまで生き延びてきたが、それが可能だったのは、おりおりに「つつしむ」という一呼吸を置きながら歩んできたからではなかったか?
 私たちは阪神淡路大震災、東日本大震災、そして火山の噴火や地震の頻発といった人間のコントロールが効かない事態を前にしてなお、忌(ツツシ)まず、斎(ツツシ)まず、謹(ツツシ)まず、謙(ツツシ)まず、厳(ツツシ)まず、都合に合わせてつくったモノサシを振りかざして安全を叫び、このまま突き進むなど、許され得ようか?

 白川静著『字統』には「つつしむ」と読む文字が67個、示されている。
 ちなみに「すすむ」は、進むなど14個しかない。
 子々孫々のため、私たちは何としてもみたい。
 大自然への畏敬の念を思い起こし、みたい。
 



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https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2012
04.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その97)─「應」という確かな希望─

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 東日本大震災から1年が経ちました。
 私たちはこの間に大切なものを取り戻したのではないでしょうか?
 それは「」(=応)です。
 白川静によれば、この文字から「心」を除くと、鷹狩りによって神意を問う「うけひ狩り」を意味する文字になるそうです。
 私たちは「~に応じて」と言いますが、その時の心は、やって来ている相手へ対して無垢ですなおになっています。
 相手が〈時〉であろうが、〈所〉であろうが、〈人〉であろうが、〈モノ〉であろうが、〈事〉であろうが。

 大震災前は、「」からはてしなく離れ、世界は自分が主体としてかかわるものであるという観念に支配されていはしなかったでしょうか?
 もちろん、主体性を重んじるのは意義ある姿勢です。
 しかし、すべてをまず、〈自分にとって〉と受けとめ、同じようにより分け、自分の世界を構築する材料としてしまう感覚が強過ぎれば、情報に含まれている切実で、魂へ訴えかけてくる部分が感受できなくなってしまう虞(オソレ)があります。
 たとえば四季の変遷、人やペットとの別れや、その死。
 去りゆくもの、あるいは去ったものをいち早く〈処理〉してしまえば、心は乾きかねません。
 ──無常に流され遠ざかりつつある何ものかから聞こえてくる声なき声。
 実は、無限の過去から伝えられた無数の声こそが私たちの魂のありようを決めており、私たちの未来はすべて、この声々を土壌としてこそ強く健全に育つことのできる樹木だからです。

 アーノルド・トインビー

「12、13才くらいまでにその民族の神話を学ばなかった民族は例外なく亡んでいる」


と指摘しました。
 これは、個人に置き換えてみれば「声なき声を聴けなくなれば、その先の人生は砂上の楼閣となりかねない」とも読み取れます。

 平成23年3月11日以前の私たちは、「」を忘れ、声なき声へ耳を塞ぎつつ先を急いでいました。
 最も日常から遠い死は、あたかも死者以外にとっては〈無いこと〉がごとくに扱われ、死に関する何ごとも早く、安く、簡単に済ませ、この世の、今の、自分の煩悩(ボンノウ)ヘ任せた世界にどっぷりと浸ろうとしていました。
 煩悩とは好きなものごとへ走る、嫌いなものごとから遠ざかる、無関心、楽をしたい、辛いことはしたくない、なげやり、この6つです。
 そこには、自分たちを育ててくれた人やモノや世界、そして無常の川を流れて去った人やモノや世界への畏敬の念も、感謝もありません。

 平成23年3月11日、無常の鬼は最も恐ろしい形相となって現れ、そんな私たちへ喝(カツ)を入れました。
 生き残った私たちが眼を醒まさせられるためというにはあまりに無残で夥(オビタダ)しい犠牲が生じました。
 しかし、それから一年、私たちはじっと生きつつ、徐々に眼を醒まし始めました。
 平成24年3月10日、被災地で汗を流し続けたスコップ団は花火を打ち上げました。
 そのメッセージ

『天国に届いていますか』『私たちは元気です』


は、「」を取り戻し、声なき声への畏敬と感謝を復活させた狼煙ではないでしょうか。
 被災者だけでなく、全国津々浦々からの思いが結集され、メッセージの明確な狼煙が、若者たちの力を中心として力強く上げられたことに深い感謝と安堵を覚えます。

 ナチスの収容所でこの世を去ったエティ・ヒレスムは書き残しています。  

「大切なことは、ある特定の状況からどんな犠牲を払ってでも抜け出すことではない。
 大切なのは、ある状況の中でどんなふうにふるまい、生きつづけていくかということだ」


 被災した方々、災厄へかかわった方々がふるまい、生きた結果が出つつあります。
 そこにはまぎれもなく、希望があると信じています。



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2010
05.10

池ができました

 おかげさまにて、願っていたができました。
 石も木も、石製のイステーブルセットも、皆さんからご寄進いただいたものです。
 庭師の片桐さんは、日が昇ってから暗くなるまでご奉仕作業に勤しんでくださいました。
 これは、皆さんのお心が造ったです。

 木と石とのある光景は、の象徴です。
 私たちの文化は、遙かな畏敬の念を抱き、そこに淵源を持つ清浄な感謝し、共同して自然を守りながらその恵みをいただくことを根底にしています。
 稲作は、人間が自然へ寄り添い、人間同士も寄り添う「の心」を育てました。
 豊かな自然と、この心の二つこそが、私たちの宝ものです。

 に遊ぶ魚たちを眺めていると、人間もそもそもは魚であったこと、実は今もこうした自然の〈恵み〉があって初めて生きていられる魚と同じ存在であることが深く実感されます。

 佳い時候になりました。
 どうぞをご覧になり、心を解放するひとときを持ってください。
 そして、ご本尊様とお会いになってください。
 皆さんの幸せを生む縁となりますよう。

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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2009
09.17

虫の知らせと宗教心

 Aさんは船乗りです。
 岡へ上がると実家へ帰り、お墓参りをします。
 最近、Aさんが老いた母親と並んで寝ていた時のことです。

 真夜中、母親がふと気づくと、Aさんが洗面所でジャブジャブと顔を洗っています。
 目をこすってみたらそれは夢で、横ではAさんが寝息をたてています。
 どうにも気になってしかたがない母親は、お嫁さんに、Aさんが今度船に乗る時はお祓いをした着物を着せるように話しました。
 お嫁さんはただちに言われたとおり、真新しい下着類を調え、お寺で修法してもらい、次の出航を待ちました。
 さて、予定の日が来ました。
 ところが、Aさんは「忙しいから」と、そのままでかけようとしました。
 奥さんが頼み込んでようやく着替えをさせたところへ、船会社から電話が入りました。
「今回は別な人を乗せることにしたので、Aさんは次の船にしてください」
 夫婦はびっくりしましたが、会社からの指令なので従わねばなりません。
 がっかりしたAさんを陸へ残し、船は出航しました。
 数日後、大時化に遭った船は沈み、三人の乗組員がいのちを落としました。
 もしも予定どおり乗っていたなら、Aさんは海の藻屑となっていたかも知れず、一家はご加護を確信したそうです。

 9月13日に放映されたNHK大河ドラマ「天地人」に印象的なシーンがありました。
 上杉討伐に向かった徳川軍が石田三成の挙兵を知って大阪へ引き返そうとした際、直江兼続など上杉軍の諸将たちは、徳川軍を後から攻めて挟み撃ちにするチャンスであると主張します。
 しかし、上杉景勝はただ一人、「敵を背後から討つのはに背く。に背く者は一時的に勝者になったとしても、必ず天に見放される」として首を縦に振りません。
 そうこうしているおり、最上郡が領内へ攻め入ってきました。
 上杉軍はただちに応戦しましたが、もしも全軍が徳川討伐へと走っていたならどうなったかわかりません。

 仏神を信じ、大いなるものへの畏敬を忘れない人は、こうした「おかげ」に満ちた人生を送られます。
 仏神を信じていれば、いかなる祈りも、必ず意深い結果をもたらします。
 たとえば必勝を祈り敗れたとしても「神は我を見捨てたのか」と嘆き絶望することはありません。
 敗れたという新たな現実は、勝とうとしていた時には知り得なかった新たな人生の局面に目を見開かせ、敬虔な心はそこに必ず教えを見いだします。
 最近、大河ドラマの主人公が人気を集めているのは、必ずしも超人的活躍の面が支持されているからではありません。
 むしろ、自分や周囲の人々が辛い場面にあっても清く、直(ナオ)い心を汚さず、高い志を捨てず、節操を守り、深く強い闘志を保ち続けるところに共感と信頼を覚えるからではないでしょうか。

 宗教は、必ずしも特定の仏神を信ずるという形をとるわけではありません。
 たとえばにしても、にしても、守ろうとする道的価値の向こうには、栄枯盛衰転変してやまない人間世界を越えたイメージがあり、畏敬の念がともなうそれは、明らかに宗教心の核となるものです。
 安心で健全な社会とは、人間がこの〈核〉を失わない社会でありましょう。
 私たちは直感的にこのことを知っているからこそ、Aさんご一家のできごとも、上杉景勝の決断も、心に染み込むのでしょう。
 特定の仏神や教についてあれこれと言い立て、あるいは争う前に、お互いの心に潜む〈核〉を尊び合い、認め合うことが大切なのではないでしょうか。



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2008
12.04

紅の暁 夜の語り合い

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 早朝には暁光に染まる山を眺め、夜になって三日金星に目を奪われ、マヤの人々を想いました。
 16世紀、スペイン人によって滅ぼされたマヤ文明には、時刻と天体の動きを計測する高度な技術がありました。
 その一つが、シビル・チャルトゥンの太陽観測施設です。
 まるで凱旋門の中央に二層の石を載せたような「7つの偶像の神殿」が陽光を浴びて橙色に染まり、その前に、素朴な四角柱が建てられた光景を忘れられません。
 マヤの人々は、その石柱で日没の位置を観測していたのです。
 たった一枚の写真が、宗教と科学の共存する文明を彷彿させました。

 頂上に薬師如来が祀られ、かつて信仰の対象だった笹倉山は、中腹に鉄塔が建てられ、麓の広場にはフェンスが回されました。
 アリのように地上を侵食し、ハチのように地下資源を吸い上げている私たちの文明は、金星から眺めれば、いかなるものなのでしょう。
 私たちは、マヤの人々が保持していた畏敬の念や謙虚さといった徳を忘れつつあるのではないでしょうか。

 金星はそんな地球を眺め、夜空を庭として噂話をしているのかも知れません。
 

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