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2015
09.01

好き好んでこの世に生まれてきたのではない ―お大師様の言葉―

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〈伊万里からやってきた魔除けの孔雀〉

 お大師様の言葉です。

「好んでこの世に生まれてきたわけではない。
死ぬこともまた、厭い憎んだところでどうしようもない。
それなのに、私たちは宿命として、何度も何度も生まれては六道(ロクドウ)をへ巡り、何度も何度も死んでは地獄界で炎に焼かれ、餓鬼界で刀に切られ、畜生界で咬み合う」

 以下は原文です。

「それ生は我が好むにあらず。
死もまた人の憎むにあらず。
しかれどもなお、生まれゆき生まれゆきて六趣(ロクシュ)に輪転(リンテン)し、死に去り死に去って三塗(サンズ)に沈淪(チンリン)す」


 私たちは過去世の因縁により、性別や性格や体格などがさまざまな〈特定の者〉という動かせない条件を定めとして持ち、この世に生まれ出ますが、普通は前世(ゼンセ)の記憶がないので、因縁と生まれのつながりを関連づけて認識できません。
 だから、ともすると、「好き好んでこの世に生まれたのではない」あるいは、「親に頼んで生み育ててもらったわけではない」などと考えます。
 しかし、いかに恨み言を言い、斜に構えようと、どこからかこの世にやって来て、死ねばどこかへ帰って行くしかありません。

 その〈どこか〉こそが、地獄餓鬼畜生・修羅・人・天の六道(ロクドウ)であり、特に苦しみの強い地獄餓鬼畜生の世界を三悪道、あるいは三塗(サンズ)と言います。
 どうにもならない状態で、怨み、憎み、嫉妬し、心の炎に焼かれたことはありませんか?
 何かを奪いたくて、あるいはつまらぬ自尊心から、誰かを深く傷つけたことはありませんか?
 自己中心で他人様を虚仮(コケ)にし、裏切り、恩に背くような牙を剥いたことはありませんか?
 私たちはこの世で暗い三悪道を行ったり来たりし、あの世では三塗(サンズ)の川を渡るのに苦労します。
 死後、善業(ゼンゴウ)をたくさん積んだ人は美しい橋を渡って極楽へ行けますが、いのちあるものを尊ばず、他人様を軽んじるなど悪業(アクゴウ)とたくさん積んだ人は深い急流に苦しめられ、なかなか渡れないとされています。
 漫然と生きていれば、こうした循環を繰り返すだけであり、憎み、怨み、怒り、貪り、飢え、別れ、失い、得られず、執着心に縛られて、苦しみは永遠になくなりません。

 私たちは、いよいよのところへ追いつめられた時、他人様の霊性に気づき、自分の霊性にも気づくチャンスがあります。
 観音様のお経は説きます。

「順風満帆平安の○時期(トキ)に思わぬ災難に○出会ったときの苦しみを○救い給うたその人を○観音菩薩応現(オウゲン)の○姿であったと手を合わす○心ぞ真に菩提心(ボダイシン)」


 何もかもがうまくいっているような時に思いもよらぬ災禍に遭い、立ち往生してしまう場面が人生のどこかにあるものです。
 そこで誰かが、手を差し伸べてくれ、「ああ、観音様が現れてくださった」と合掌するようなこともまた、あるものです。
 小生は、得意の絶頂から無一文になり、托鉢修行に生きていた頃、数え切れないほどたくさんの〈観音様〉にお会いして、感涙に咽び咽んだ日々が忘れられません。
 暑い日に一杯のお茶をいただいたことも、寒い日に一椀のおしるこをいただいことも、なかなか修行を受け入れてもらえない地域で最後の一軒から大きなお札をいただいてようやく米が買えたことも、五百円玉一つでそれ以上のガソリンを入れていただいたことも、何もかもが、思い出せば奇跡とすら思えてきます。
 皆さんから「ああ、ありがたい」と思わせていただき、「一人前になり、何としてもご恩にお報いせねば」と決心に決心を重ねさせていただいたからこそ、一山を開創し、ここまで来られました。

 私たちは、こうした「ああ、ありがたい」「一人前になり、何としてもお報いせねば」の心を忘れなければ、きっと、六道から離れるきっかけをつかめます。
 自他を苦しめるものが薄皮を剥がすように少しづつ離れて行けば、自分が救われるだけでなく、周囲の人々もそうなるきっかけをつくることになります。
 感謝と報恩を忘れずに生きてゆきたいものです。

(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-4732.htmlもご覧ください)




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2013
06.21

他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える。(空海BOTより) ─7月の聖語─

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 お大師様の言葉です。

「他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える」(空海BOTより)


 苦しみの世界とは、苦から抜け出る道の見えない地獄界であり、水などがあっても口から入らない餓鬼界であり、互いに喰い合う畜生界であり三悪道(サンアクドウ)と呼ばれています。
 それはこの世にあるだけでなく、あの世にもあるとされています。
 私たちは過去世の因縁をベースとして現世を生きており、現世は来世のベースとなるからです。
 こうした輪廻転生(リンネテンショウ)は、仏教から生じた思考法ではありません。
 輪廻転生の思考をベースの一つとして誕生した宗教が仏教であり、「今」しか考えない仏教哲学も仏教倫理もありません。

 自分の利益を第一にせず他人の利益をはかる人は、たった今、この世で苦しみの世界から離れる原因をつくります。
 もしも、ひもじい人へおにぎりを分けてあげたなら、現実に、相手の苦が離れるからです。
 見返りを求めずにモノを手放せば、諸悪の根源であるどす黒い執着心が、現実に、薄れるからです。
 苦を抜き楽を与える善行(ゼンギョウ)は、善果(ゼンカ)をもたらす原因になるからです。
 こうして今、相手が救われ、自分も救われ、いつかさらに自分へ善果がやってきます。
 お大師様が「苦しみの世界に行く因縁が消える」と説かれたのは、このことです。

 しかし、今を生き延びられなければ、そうしたことを考える余裕もありません。
 確かに、極限状態にあってなお、尊い行為を実践した人々はおられ、私たちの希望の星となってはいますが、すべての人へ同じような行動を求めるのは酷というものです。
 人も生きものであり、〈自分が生きられる〉方向へ走るのは当然だからです。
 貧困や飢餓や暴力や災害へ立ち向かう社会的意志が必要な理由はここにあります。
〈見捨てておけない〉人々が〈共に〉他者の苦へ立ち向かう時、この世の極楽が実現されます。
 この世の極楽に携われば、もはや、あの世で三悪道に堕ちる心配はありません。

 昭和31年、当時53才の哲学者チャールズ・モリス(米国)は、弥勒菩薩(ミロクボサツ)様へ篤い心で祈りました。
 その一部です。

「われらは弱く、物の豊かさにかえって当惑しています。
 われらの四肢は社会の蜜蜂の巣の中で休(ヤス)らいを知りません。
 われらはまとえる衣装に不安であるくせに裸を怖れます。
 われらは高い山を見ながら、登りもせぬうちにわれらの脚はふるえるのです。
 われらの眼ははば広く見えるそのために、鋭くは見えません。
 多数の神々の声が一人の生き神の声をぼかしてしまったのです。

 真理の名においてわれらが築き上げたのは、言葉の塔ばかり、その塔の中で真理は死んでいます。
 われらは実物で指を傷つけないよう、言葉ばかりを弄んできたのです。
 愛の名において、われらは愛の形成力を裏切ってきました。
 われらはただ取引に損しまいとする愛の商人になってしまったのです。
 親切の名において、われらは外部に伸びる自我の力をみずから抑えてしまったのです。
 われらは己が卑しさを見せかけの謙遜で飾ってきたのです。
 神の名においてわれらは求める人々を十字架にかけてきました。
 われらは己が貧しさを敬神の衣でかくしてきたのです。

 われらは物を見まいと目を盲にしてきました。
 われらは物を考えまいと急ぎ続けてきました。
 われらは実行を延ばそうとするただそのために思想をもちました。
 われらは感覚をにぶらせ、心をくもらせ、筋肉を犬のようにつなぎとめてきました。
 われらは恐れや偽りや欺きの子供です。
 われらは全一ではありません。
 われらは混乱しています。
 われらは弱きものです。

 われらのこの混沌の豊饒を一点に集中したまえ。
 われらに一体性を、埃なき心を、憎しみなしに打擲(チョウチャク)する腕を、
 曇りなき眼を、敢行する勇気を与えたまえ。
 偽りの、作りものの、飾りたてた足場を引き裂き下ろしたまえ。
 われらに単純生を、偽らぬ謙遜を、永劫のウィジョンを、
 一瞬に暖かさを失わぬ心を与えたまえ。
 われらからわれらの恐怖や仮面や逃避を取り去りたまえ。
 われらに弾力性を、このように生まれこのように死することの喜びを、正しい姿勢を、
 苦難にうちかつ強さを、離脱にたえる強さを、愛しうる強さを、与えたまえ、

 御身の出生がそのままわれらの出生となるよう、
 ふたたび宝輪をめぐらしたまえ。」


 遙かな未来に、弥勒菩薩様はお大師様と共にこの世へ現れ、最後の一人まで、すべての人々を救い尽くしてくださいます。
 それが最後の二行です。
 その時を待つまでもなく、私たちは教えに導かれ、弥勒菩薩様の浄土を目ざし、共にこの世へ降りてくる菩薩となりたいものです。
 そのためにも、「他人の利益をはかるように」務めましょう。




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2012
01.22

幸せとは何か ─『法句経』の説く吉祥(その3)─

 この教えは、〈あれば嬉しい〉世間的な生活環境は確かにいを与えようが、それだけでは「を救い、苦しみを克服させはしない」というところから出発しています。
せになって永遠に迷いの世界を離れ、自ら絶対の安寧を得られる」ためにはどう生きればよいか?
 その答として、心構えとふるまいを説かれました。
 後半です。

○身を清め、清浄な修行を実践し、常に賢明な聖者にまみえたいと願い、明らかな智慧のある人に付き従うならば、最もいである。
「斎を持し梵行(ボンギョウ)を修し、常に賢聖を見んと欲し、明智ある者に依附(イフ)す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○徳を得る悟りの道があると信じ、心を正しくして疑いなき確信ヘ向かい、地獄餓鬼畜生から抜け出ようと欲するならば、最もいである。
「道徳有るを信ずるを以(モッ)て、意(ココロ)を正しくして疑い無きに向かい、三悪道(サンアクドウ)を脱)せんと欲す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○わけへだてなき心で布施を行い、諸々の道を得た人々を敬い尊び、又、諸々の天神を敬うならば、最もいである。
「等しき心もて布施(フセ)を行い、諸(モロモロ)の得道(トクドウ)の者に奉り、亦(マ)た諸(モロモロ)の天人(テンニン)を敬う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○常に貪欲と愚かさと憤りの心を離れようと欲し、真理に基づく考え方を習い身に着けるならば、最もいである。
「常に貪欲(トンヨク)と、愚痴と瞋恚(シンイ)の意(ココロ)を離れんと欲し、能(ヨ)く道見(ドウケン)を習い成(ジョウ)ず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○もしも誤った行いを離れ、精進して仏法を生活へ取り入れ、常に仏法に叶った行いに徹するならば、最も幸いである。
「若(モ)し以(モッ)て非務(ヒム)を棄て、能(ヨ)く勤めて道用(ドウユウ)を修し、常に可(ヨ)き事に事(ツカ)う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○天下のために一切を行い、大いなる慈悲心を確立し、思いやりを実践して生きとし生けるものを安寧にするならば、最も幸いである。
「一切、天下の為にし、大慈(ダイジ)の意(ココロ)を建立(ケンリュウ)し、仁(ジン)を修し衆生(シュジョウ)を安(ヤス)んず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○幸いなる福徳を求めたいならば、仏を信じ敬うことである。幸いなる福徳を求めたいならば、まさに真理の教えを学ぶべきである。
「吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に仏を信敬(ソンギョウ)すべし。吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に法句(ホック)の義を聞くべし」

○幸いなる福徳を求めたいならば、諸々の僧侶を供養することである。戒めを身につけ、清浄に生きる者になるならば、最も幸いである。
「吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に衆僧(シュソウ)を供養すべし。戒を具(ソナ)え清浄(ショウジョウ)なる者、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○智慧ある者が世間に住み、常に幸いに生きられる行いを習い、自ら智慧ある考え方を究め血肉とするならば、最も幸いである。
「智者は世間に居(オ)りて、常に吉祥(キチジョウ)の行を習い、自ら慧見(エケン)を致(キワ)め成(ジョウ)ず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

 ここまで聞いてバラモン教の行者たちは歓喜し。帰依しました。
 神に仕えて神から与えられる幸いを超えた不動の幸いを自分で得る方法がわかったからです。

「梵志(ボンジ)は仏の教えを聞きて、心中大いに歓喜す。即ち前(スス)みて仏の足(ミアシ)を礼し、仏と法と衆とに帰命(キミョウ)す」

 釈尊はすぐに行者たちを導き、信じて修行に入った彼らはたちまちにアラカンの悟りを開きました。
 周囲で教えを聞いた人々もまた、真理を観る目を得ました。
 経典にはしばしば、こうした場面があります。
 他の教えでもの足りなく感じていた行者たちや、真理を求めているまじめな人物が釈尊と会い、帰依して修行すると〈たちまち〉悟りを得るのです。
 それは、乾いた喉にコップ一杯の水がたちまち染みこむ感じがするのと同じです。
 乾きは多くの場合、煩悩(ボンノウ)が満足する対象物を求めて止まない欲求に例えられます。
 しかし、真理を求めて止まない欲求もまた、乾きに似て、まじめに、真剣に求めている者は与えられた教えがすぐに血肉化し、一定の境地を得て生き方が変わります。

 私達は、幸せとは何か?という問いから出発しました。
 幸せとは、誰のものでもなく〈自分の〉幸せだったはずです。
 しかし、教えを学ぶと、いつしか〈自分の〉という縛りから解き放たれていることがわかります。
 釈尊の智慧の光が私たちの心の鏡に映じ、指摘されてみると万人がそのとおりに感じ、思うことが極めて自然であろうと納得できます。
 この納得こそが真理によってもたらされた智慧ではないでしょうか。
 すなおに納得した内容を実践すれば、それは、み仏と同じ思いやりのある考え方となり、言葉となり、行動となります。
 つまり、幸せとは、自分という縛りから離れ、み仏と同じになろうとするところにもたらされるのです。
 しかもそれには条件がありません。
 出家するとしないとにかかわらず、納得し、決心し、行動する万人へ不動の幸せがもたらされます。

 み仏を信じ、教えと導きの力を信じ、互いの仏性(ブッショウ)を信じ、考え方と言葉と行動を、み仏のそれに一致させましょう。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)こそが、幸せを得る方法なのです。
 方法を実践したいならば、信じられる寺院で導きを受けるか、もしくは自分で「この仏様」と具体的にイメージできるみ仏の経典を唱えたり、真言を唱えたりして〈成り切る〉時間をつくりましょう。
 念持仏(ネンジブツ…身近で祈るみ仏)としてお勧めできるのは生まれによって決まっている守本尊様、もしくは「こうなりたい」との願いに応じたみ仏です。
 一歩でも二歩でもみ仏へ近づき、真の幸せを得ましょう。

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2011
12.19

お地蔵様は同居人

 お大師様は説かれました。

地獄餓鬼畜生三悪道といえども、どうして恐れる必要があろうか。
 み仏は、その世界に即したご加護をお与えくださるのである。
 善き世界へ昇るのも、悪い世界へ堕ちるのも、誰かのせいではなく、すべて自分の招いた結果である。
 栄えるのも、衰えるのもすべて、自分の精進次第である」


 二行目の原文は
「諸仏は毎(コト…それぞれ)に威(イ…ご加護の力)を加えたまう」
です。
 たとえ地獄にいても、必ず、地獄での苦しみに即した救済をお与えくださるというのです。
 ならば、もしも出口の見えない地獄界にいると感じたならば、救済を信じてお地蔵様におすがりしましょう。
 御宝号を唱えるところに現れ、脱出できるまで必ず、同居していてくださるのです。

 津波に襲われた沿岸部に今なお「進入禁止」の立て札があります。
 その前で立ち止まり、先に広がっている荒廃の地と海面へ目をやるたびに、この先は人力・人知の及ばない世界なのだと実感させられ、脱力感と共に空しさを覚えます。
 しかし、真言を唱えていると、いのちを冷やし、縮め、沈ませる気配がいつしか去ります。
 そして、また、歩き出せます。
 どうにもならないところで、そのままで、いのちに力を回復させるものこそ、お大師様の説かれる「威」であり加持力です。

 お地蔵様は地獄の同居人であり、お大師様はいのちの同伴者です。
 ギリギリのところで、それは確信できます。
 お大師様の最期のご指示「励まずんばあるべからず」を実践しましょう。

櫻井惠武著:『四国名刹』より〉

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2011
11.09

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第八回) ─地獄行きにならない方法を実践する─

 菩薩(ボサツ)になるための実践道。
 第八回目です。

「『極めて耐えがたい悪趣の苦しみは罪業の結果である』と釈迦は説かれた。
 そのため命を落とそうとも罪業を行わない。
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 私たちは今、ここで苦しんでいますが、それは、誰かが、どこかで苦しんでいることをも意味します。
 その全体像はとうてい把握できませんが、可能性は強く想像できます。

 最も苦が深いとされている三悪趣の「地獄界」にはまず、耐えきれないほどの暑さと寒さがあります。
 私たちは適温の環境でなければ生きて行けません。
 生存を根底から脅かされる状態、それが地獄の世界です。

 次の「餓鬼界」は食べられない、飲めないといった状態です。
 そうした飢えつつ苦しむ餓鬼のうち強力な者が私たちへ害を及ぼすといった怖れが、生け贄という慣習をもたらしました。
 しかし、生け贄を捧げるのは明らかに「不殺生戒」に反する行為です。
 だから私たちは生け贄を用いず、施餓鬼(セガキ)という供養会を行い、清浄な飯食(オンジキ)を捧げて供養すると同時に、み仏の救いを祈ります。

 次の「畜生界」は自分のいのちが他者に委ねられ、不安定な世界です。
 家畜なら飼い主が生殺与奪の権利を持っており、飼い主の意のままになるしかありません。
 野生動物には常に敵との戦いと、餌を獲得するための行動が強いられ、必ず勝ち、必ず餌を得られるとは限りません。
 いつ敗れ、いつ飢えるかわからない状況にあります。
 しかも、そこには寄り添う理解者も救済者もいません。
 孤独に生きられる限り生きるしかないのが畜生界です。

 ダライ・ラマ法王は説かれました。
「自分自身が『三悪趣』の苦しみに耐えられるか耐えられないかをよく考えて、もしこの苦しみに耐えられそうになく、しかも『三悪趣』に堕ちないという自信がないのなら、『三悪趣』に堕ちない自信を持つための方法があるのかどうか、もし、そういった方法があるならば、その方法を実践するかしないか、これらをよく吟味して選択すべきです。
 そして実践することを選んだのなら、遅すぎてしまわないように、そのための準備を整えるべきです。
 なぜ今、実践する必要があるのかといえば、今まさに有暇具足をそなえた人間の体を得て、またいつ死が訪れるやもしれず、その時のための準備がなされていないからです」

 因果応報を信じるならば、自分がどう生きているかを省みて、戒律を守り菩薩(ボサツ)として生きる決心ができるのではないでしょうか。

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