--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
09.24

一迫別院がスタートします

2016-09-24-00012.jpg
〈「しんこもち」様よりお借りして加工しました〉

 10月2日(日)17時より、栗原市一迫字真坂本町一番地において、第一回目の例祭を行います。
 当山は、かねてから大衡村、加美町、大崎市、栗原市など、仙北地域に住まわれる方々とのご縁も多く、少しでも皆様のお近くで修法できればありがたいことであると考えています。
 場所は、名物「しんこもち」で広く親しまれている『有限会社もちっ小屋でん』様の北隣です。

 ご縁があって広い土地建物をご寄進いただきましたが、とても使い切れません。
 そこで、一階の入り口を小さく仕切り、修法の場としました。
 古い建物なので立派な伽藍(ガラン)ではありませんが、古い平屋を道場とし、托鉢で修行を始めた頃を思えば、夢のようなお話です。

 毎月、一度、第一日曜日の夕刻に行う例祭から始め、地域の方々とのご縁と、当山のスタッフとのかね合いを考えつつ、新たな聖地として造り、守り、徐々に活動を広げて行きたいと願っております。
 もしも、この日に、ご供養や、ご祈祷などを希望される方は、本山となる大和町へ電話(022ー346ー2106)やファクス(022ー346ー2107)やメール(ryuuchi@hourakuji.net)などで3日前までに(急では対応し切れません)お申し込みください。
 ご縁を求める方の宗教や思想は一切問いませんので、おを抱えたままお困りの方なども、どうぞお気軽にご相談ください。

 一軒一軒とお訪ねする托鉢で皆さんのナマの声をお聴きし、皆さんの希望や期待や悩みや怒りに接して、行者と寺院の〈あるべきよう〉を模索してきた当山の姿勢はこれからも、代替わりをしようとも変わらず、揺るぎません。
 どんなことでもお申し出いただき、ご指導をたまわりますよう願う気持ちは尽きません。
 ただただ、ご縁を求める皆さんのため、できることをもって役立たせていただきたいと祈っております。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


スポンサーサイト
2016
07.05

願いのかけ方、成就の仕方 ─懺悔(サンゲ)と廻向(エコウ)─

2016-07-05-0001.jpg
〈彼は彼なりの姿で……〉

 さまざまな方々が、それぞれに真剣な思いでご祈祷を申し込まれます。
 最近は、ご祈祷の前後に唱える経文を一緒にお唱えするよう、お勧めしています。

1 祈願菩薩道(ボサツドウ)

 前部にあるのは、懺悔(サンゲ)やご本尊様との約束などです。
 これまでの行いをすべて懺悔した上で、み仏を信じ、よき願いをかけるのです。

 後部にあるのは、廻向(エコウ)です。
 み仏をご供養し、よき願いをかけるという善行(ゼンギョウ)の功徳(クドク)を、有縁無縁(ウエンムエン)の生きとし生けるものへふり向け、自分が一歩でもよき人生を歩めるようになると同時に、この世もまた一歩でもよき世の中になり、自分以外の生きとし生けるものにも生きる喜びが生まれるよう祈るのです。

 これは、2500年の歴史をかけて仏教がたどり着いた菩薩道(ボサツドウ)としての仏教に縁を結ぶ人々にとって必要不可欠の行為であり、この精神あればそこ、よき願いの成就が確かなものになるからです。
 その精神とは、自利(ジリ)、利他(リタ)、両方の実現を祈りつつ、よき生き方を目ざす心です。

2 自利利他

 自利とは、自分のためになることです。
 自分がしっかりしていなければ、誰かのためにはなかなか、なれません。
 もちろん、それは、いろいろなものに恵まれていることを意味しているのはありません。
 心のライフセーバーにならなければ、心の救済はできず、すべての救済は畢竟(ヒッキョウ)、心の救済だからです。

 たとえば、病状が悪化して先の短い方と、こんなやりとりをします。
「住職さんが拝んでいてくれると言うのだから、もう、心配はなくなりました。
 必ず、お不動さんが護ってくれますね」
「そうですか、大丈夫ですよ。
 私もそのうちに行きますからね」
 
 これは、心のありよう一つで、誰にでもできるのです。
 たとえば、逝く人へ感謝し、逝く人も感謝すれば、そこには尊い思いやりのやりとりがあり、互いの救済があります。
 余分なものを取り去って心からありがとうと言えるのは、自分がよき心になり、自分が救われている状態です。
 その誠心が相手に伝われば、心のライフセーバーとして相手を救う大きな力になり得ます。

 利他とは、自分以外の誰かのためになることです。
 皆でよくなろうという心がなければ、どんな願いにも穢れがつきまとっており、真によき願いとは言えません。
 これまた、いろいろなものに恵まれていることを意味しているのはありません。
 お金や地位や知力や体力がなければ、誰かのためになれないわけではないのです。

 たとえば、受験の合格祈願に来られる方と、こんなやりとりをします。
「すばらしいチャレンジですね。
 ところで、合格したら何をやるつもりですか?」
「日本では簡単に克服できるいろいろな病気によって、世界中のあちこちで、子供たちが簡単に死んでしまいます。
 そうした子供たちを救いたいのです」

 こうした利他の志を持った方ならば、首尾よく合格すれば目標へ早く進めるのはもちろん、もし、失敗したとしても、志に即した別の方法を見つけ出して、進めることでしょう。
 合格した途端に遊びまくったり、資格を得て高慢になったりはしないはずです。
 また、受験に失敗したからといって、浮き草のようになるはずもありません。
 他のためになろうとするよき意思は、必ず自分自身をも救う力を持っているのです。

3 確かな救い

 だから、懺悔(サンゲ)ではこう唱えます。(一部です)
「無始よりこのかた
 貪瞋癡 (トンジンチ)の煩悩(ボンノウ)に まつわれて
 身と口と意(ココロ)とに造るところの
 もろもろのつみとがを、
 みなことごとく懺悔(サンゲ)し奉る」
(無限の過去から
 貪り、怒り、愚かさによって積み上げてきた
 さまざまな罪科を
 すべて懺悔いたします)

 廻向(エコウ)ではこう唱えます。(一部です)
「願わくば此の功徳(クドク)を以(モッ)て
 普(アマネ)く一切に及ぼし、
 我れ等と衆生(シュジョウ)と皆共に
 仏道を成(ジョウ)ぜん」
(ねがわくばこの功徳の力を
 広く生きとし生けるものへ及ぼし
 自分自身と生きとし生けるものとすべて一緒になり
 仏道の成就ができますように)

 そして皆さんは、ご来山された時よりも必ずいくばくか、よき心になって帰られます。
 顔に輝きが出て、言葉にも力がこもっており、すでに、ご加護はあるのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
02.02

イラク戦争と靖国神社への祈り(その18) ─感謝と敬意─

201602020001.jpg

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

 まだ、再出発の日を待っている。

○新たな日々(2月26日)

 好意で当山のホームページを管理してくださっている方や協力してくださっている方はもちろん、見てくださる方々にも深い感謝敬意を抱いている。
 ネットでもテレビでも、五感を瞬間的に刺激する面白おかしい情報や戦いの場面が目につく。
 笑いも怒りも恣意的につくられる。
 一方、み仏の教えは、厳しく、耳に痛い面はカットされ、話術や文章の巧みな人々によって、耳をくすぐる〈ちょっといい言葉〉として流布される。
 み仏におすがりして救われるしかないギリギリの現場などは、それがあることすら知られていない。
 普段、必要とされない仏法はあまり関心を持たれず、寺院僧侶も徐々に、〈要らないもの〉とされつつある。
 あるいは、儲けの道具として商業主義に組み込もうとする動きすらある。
 こうした時代に、四角く固い仏法のページを創っていただき、誰かに読んでいただけるのはただただ、ありがたい。

 感謝敬意は、人生相談やご祈祷に訪れる方々へも抱いている。
 皆さんから教えられることや気づかされることが山ほどあるのだ。
 人間関係に苦しんだAさんは、さる教団へ入信したが、求められるお布施が用意できず、勤労奉仕でまごころを尽くしているつもりだった。
 ところが、すぐに周囲から、汗をながすのは当たり前と受けとめられるようになり、一生懸命やればやるほど、金品を修められない肩身の狭さが募って教団を離れようとした。
 そうなると今度は、皆で引き留めにかかられ、ようやく、教団の真姿に気づいた。
 魂の解放をめざすはずの宗教者たちが、信者を縛ろうとすることなどあってはならない。
 いかに高邁な旗を掲げようと、信者を縛ろうとする教団は必ず他の宗教宗派への攻撃的姿勢を持っており、社会的に見れば、そのこと自体が大いに問題である。
 
 脱出劇を切々と訴えるAさんの涙目は忘れられない。
 そもそも、信徒さんが差し出すお布施と、寺院が行う法務のバランスがとれて成り立つ寺院にあって、〈慣れ〉は魔ものである。
 たとえば、護摩法の後で信徒さんがお手伝いくださる仏器磨きのご奉仕は、尊い布施行の実践であり、寺院側は常に心して受けねばならないが、やってもらって当たり前という感覚になれば、不満や傲慢が顔を出し、謗ったり命じたりするようになる場合がある。
 そうなると、奉仕する側にも反発や幻滅や不信が生じて、布施行は腐敗し破綻する。
 何万回同じような動作を繰りかえそうが、布施についても法務についても、行う側・受ける側双方共に、常に心新たでなければならない。
 なぜなら、財物や身体を用いての財施(ザイセ)も、修法による法施(ホウセ)も、その都度、己をみ仏へ投げ出し、己がみ仏に成る行為だからである。
 惰性で「投げ出し」、慣れて「成る」ことはあり得ず、それは偽ものだ。

 平和な日本が保たれ、明日もいのちあるならば、明日も新たでありたい。
 感謝敬意を忘れずに。
 ──ご縁の方々と共に。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
02.01

イラク戦争と靖国神社への祈り(その17) ─お葬式をしてはいけない日?─

201601300031.jpg

 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

 いったん帰山してからの法務が相次ぐ。

○お葬式のできない日(2月25日)

 午前中、長年患っておられたAさんへ引導(インドウ)を渡した。
 覚悟の出立は見事だった。
 午後、終り次第新幹線に乗る予定で地鎮祭の出張祈祷にでかけたところ、枕経のご依頼が入った。
 またしてもご不幸である。
 B家では、大黒柱が不治の病にかかって以来、不測の事態を想定し、かねて、奥さんをはじめご一族が額を寄せあってお寺選びをしておられたのだという。
 忌中の提灯を目印に玄関のドアを開けたら、「よくおいでくださいました」とお揃いでお迎えいただいた。
 寺院が〈選ばれる〉時代にならない限り仏教は衰退すると信じ、日々法務に邁進してきた者としてはまことに心強い。

 さて、ご親族はお葬式の日取りに頭を悩ませておられた。
 諸事情を考え合わせると4日目がよいのだが、4という数を忌む風習があり、どうしたらよいかわからないという。
 4日目にするか、それとも5日目にするかという選択である。

 まず、喪主様から教えを問われた。
「ご住職様、仏教上、どうなっているのでしょうか?
 どういう問題がありますか?」
「私たちは自分で自分の生まれる日も亡くなる日も決められず、生き死にに関することごとにおいて良い日も悪い日もありません。
 だから、俗信は別として、日柄による修法上の障碍は何もありません。
 当山は、どのようにも対応できます。
 どうぞご都合のよい日をお選びください」
 極力、皆さんのご意志を尊重しようと、議論の結果を待った。

 案の定、聡明な喪主様が道理によって場をリードし、俗信に左右されず、御霊が早く成仏への道へ入り、ご遺族もまた大仕事を速やかに済ませられるよう4日目と決した。
 それを確かめてから「その日は初七日をご守護くださるお不動様のご縁日です」と申し上げた。
 全員が信頼の眼差しを向けて来られ、場にかすかに漂っている不安や不満の気配は霧消した。
 み仏の教えは、真理真実に立ち、気まま心や愚かさや怒りによって自ら苦を招く生き方から脱するための慈悲ある智慧である。
 俗信に対して適切な判断をもたらす智慧の鏡ともなる。
 今日も確かなご縁の糸を結んでいただいた。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
01.15

厄除祈祷について ─悪業の滅し方─

201601150002.jpg

2016011500032.jpg

 そもそも、悪いできごとは、悪い原因があって起こります。
 因果応報です。
 悪い原因とは、時間に対してかかわってくる〈悪い影響力〉であり、それを悪業(アクゴウ)と言います。
 この悪業は悪行(アクギョウ)によって生じます。
 では、悪行は何によって生ずるか?
 誤ったものの観方です。
 だからお釈迦様は、正しい修行道である「八正道(ハッショウドウ)」の第一番目として「正見(ショウケン…正しい見解)」を説かれました。
 
 正しい見解とは、何よりもまず、ありのままに観ることですが、この〈ありのまま〉が問題です。
 たとえば、私たちは優しい言葉をかけられて喜び、貶(ケナ)されて怒ります。
 優しい人にはまた、そうしてもらいたいと思い、酷い人の顔は二度と見たくなくなります。
 これが煩悩(ボンノウ)の「好(コウ)」と「悪(オ)」です。
 自分の都合で相手を分類しており、〈ありのまま〉から離れています。

 また、この時点で、優しい人も、酷い人も、そして自分も〈このままずっと生きている〉という前提が置かれています。
 ところが、この前提は、真理でありません。
 私たちは、身体と心を形成するさまざまな要素がたまたま、うまくまとまっているから〈ある特定の人〉として生きているだけです。
 もしも脳溢血や心筋梗塞が起これば、あるいは交通事故に遭えば、あっという間にこの世を去って何の不思議もありません。
 自分の明日のいのちすらどうなるかわからないのです。
 また、脳裏に思い浮かべる優しい人Aさんや酷い人Bさんはたった今、この世のどこかで確実に生きているとは限りません。

 こうした存在のありようを根本から考えてみれば、すべては因と縁によって仮そめに成り立っている空(クウ)なるものとして平等です。
 優しい人も酷い人も自分も。
 み仏に通じる〈平等の眼〉には、誰しもが幸福を望み、不幸を厭うという平等も観えてきます。
 ここまで来れば、ようやく正しい見解になりつつあると言えましょう。

 その結果、自分と周囲を固定したものとしてとらえ、執着心がさまざまにはたらいて「好(コウ)」や「悪(オ)」や無関心である「平(ヘイ)」となる煩悩(ボンノウ)が動きにくくなります。
 また、誤ったものの観方がなくなれば、それを原因として生じていた悪行は行われなくなります。
 そして、悪行の結果として生じた悪業が引き起こした問題へも根本的な対応ができるようにもなるのです。
 これが因縁解脱(インネンゲダツ)に至る道筋の一つです。

 ところが、〝そうか!〟とわかっても、これまでに染みついた正しくない見解とそれに馴染んだ反応の仕方は容易に消せません。 だから仏神へ祈ります。
 合掌をして。
 左手の自分が右手のご本尊様と一体になった感触が、古い見解と習慣を消す力となります。ご加護が降りるのです。
 当山が行う春祭厄除千枚護摩祈祷は、運気の流れによって正しい見解がはたらきにくくなり、〈厄〉が生じるところをご本尊様のご加護で動かし、皆さんの運が開けるよう祈るものです。
 祈り、守本尊様のお導きで正しい見解となり、悪業を滅していただきたいと願っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。