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2016
11.04

漢文『法句経』を読んでみる(その10) ─戒めに生きる真の安心とは?─

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〈仙北の町で赤信号の数十秒〉

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〈護摩堂・修行道場〉

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〈完璧なプロの仕事ぶり〉

 今回は『法句経(ホックキョウ)』の「戒慎品(カイシンボン)第五」を意訳してみましょう。
 実際に唱えることができるよう、すべてルビをふりました。
 幾度も唱えているうちに、お釈迦様の思いが身近なものになることでしょう。

○戒慎品(カイシンボン)とは、善道(ゼンドウ)を授与(ジュヨ)し、邪非(ジャヒ)を禁制(キンセイ)し、後(ノチ)に悔(ク)ゆる所(トコロ)無(ナ)きなり。


戒め慎みの一章では、善き道を与え、邪で非道な道へ行かせず、後から悔いるところのない生き方へと導く)

〔八八〕人(ヒト)にして常(ツネ)に清(キヨ)く、律(リツ)を奉(ホウ)じて終(オ)わりに至(イタ)り、善行(ゼンギョウ)を浄修(ジョウシュウ)せば、是(カク)の如(ゴト)くして戒(カイ)成(ジョウ)ず。


(常に身口意を清め、教団の決めごとを徹底的に守り、善き行いを清らかに修めるならば、人としての戒めが自然に成就する生き方になる)

〔八九〕慧(エ)ある人(ヒト)は戒(カイ)を護(マモ)り、福(フク)を三(ミッ)つの宝(タカラ)に致(イタ)す。名聞(メイブン)と、利(リ)を得(エ)ること、後(ノチ)に天(テン)に上(ノボ)りて楽(タノ)しむことなり。


智慧ある人は戒めを守り、幸福を三つの宝ものとして得る。名声と、財物と、死後に天界へ上っての楽しみである)

〔九〇〕常(ツネ)に法処(ホッショ)を見(ミ)、戒(カイ)を護(マモ)るを明(アキ)らかと為(ナ)す。真(シン)の見(ケン)を成(ジョウ)ずることを得(エ)ば、輩中(ハイチュウ)の吉祥(キッショウ)たらん。
(常に、因果応報の成り行きで幸福が得られる道筋を見分け、戒めを守るのが智慧ある賢者である。賢者がこの理を理解すれば、この世の人々の中にあって吉祥の生活となる)

〔九一〕持戒者(ジカイシャ)は安(ヤス)く、身(シン)をして悩(ナヤ)み無(ナ)からしむ。夜(ヨル)臥(フ)せては恬淡(テンタン)にして、寤(サ)めては則(スナワ)ち常(ツネ)に歓(ヨロコ)ぶ。


戒めを保つ者の心は安寧で、身体のはたらきに悩まされもしない。寝所では、心に引っかかりがなく眠りへ入り、朝に目覚めては嬉しい気持になる)

〔九二〕戒(カイ)と布施(フセ)を修(シュウ)し、福(フク)を作(ナ)せば福(フク)と為(ナ)る。是(コ)こより彼(カシ)こに適(ユ)きて、常(ツネ)に安処(アンショ)に到(イタ)る。


戒めを守り、布施に勤み、功徳が積まれれば、福徳に恵まれる。この世でも、あの世でも、安寧がもたらされる。

〔九三〕何(ナン)ぞ終(オ)わりに善(ヨ)しと為(ナ)し、何(ナン)ぞ善(ヨ)く安(ヤス)らかに止(トド)まり、何(ナン)ぞ人(ヒト)の宝(タカラ)と為(ナ)し、何(ナン)ぞ盗(ヌス)びとも取(ト)らざる。


(どうすれば、人生の終わりに善き日々であったと満足でき、そこへ至る人生安寧に過ごせようか。何が人々の宝ものであり、いかなる盗人にも奪われずに済むものなのか)

〔九四〕戒(カイ)は老(オ)いに終(オ)わるも安(ヤス)く、戒(カイ)は善(ヨ)く安(ヤス)らかに止(トド)まらん。慧(エ)を人(ヒト)の宝(タカラ)と為(ナ)し、福(フク)は盗(ヌス)びとにも取(ト)られず。


(戒めを保てば老いても安寧であり、戒めを説くものが信じられれば常に安寧である。智慧は人々の宝ものであり、福徳はいかなる盗人にも奪われない)

 ここには、戒めを守ろうと自分を縛るのではなく、戒めに添った生き方が自然にできるようになった状態が説かれています。
 そもそも、苦を滅する方法の根本として示された十善戒は、反すれば罰が当たるという性質の決まりではなく、そこを目ざし、そのように生きられてようやく、苦から脱することができるという道筋に他なりません。
 しかも仏教は、盲目的に信じれば救われるノウハウを示す宗教ではなく、あくまでも、一人一人が〈道理である〉と納得して実践することを求めます。
 だから、マインドコントロールとは無縁である点を押さえておきましょう。

 智慧ある人は、本ものの宝ものを知り、偽ものを求めないので、心が乱され苦しむという迷いから離れられます。
 こうした智慧は、至心に学び、納得して実践する過程を経てこそ得られます。
 それは、み仏の子である私たち全員に与えられた可能性であると言えましょう。

 私たちの仏心が花開いて実現する福徳は、誰にも奪われません。
 苦しみ、悩み、怒り、怨み、嘆いたままで過ごし、モノ金や人やいのちなど執着していたすべてから引き離され、大いなる安らぎを得ないままであの世へ旅立つのか、それとも、学び、生き方を変えるか、一人一人の姿勢が問われています。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2016
06.21

晩年のお大師様が表した願いとは? ─迷いを解き、万人を救うために─

2016-06-21-0001.jpg

 お大師様は、み仏の世界へ旅立つ7ヶ月前にこの文章を書かれました。
 すでに死期を悟り、2年前から穀類を断っているという状況にあって、金剛界と胎蔵界という大日如来の世界を表現し、行者が修法し、ご縁の方々が参拝して救われる仏塔とマンダラを造る事業にとりかかられました。
 しかし、高野山に資材が集まり、人は集まっても、食べる食糧が足りないのでお金一銭、米一粒でも布施していただきたいと願い、以下の文章を書かれたのです。
 少々、長いのですが、一文字たりとも省ける部分がありませんので、筑摩書房の「空海全集」から転記してみます。

「夫(ソ)れ諸仏の事業は、大慈を以(モッ)て先と為し、菩薩(ボサツ)の行願(ギョウガン)は、大悲を以て本(ホン)と為(ナ)す。」


(そもそも、もろもろの仏のなされることは、大いなるいつくしみの心を第一とされ、菩薩の衆生をすくわんとする行為と願いは、大いなるあわれみを、要点としている)

 仏菩薩は、私たちへお慈悲をたれておられます。

「慈は能(ヨ)く楽を与へ、悲は能(ヨ)く苦を抜く。
 抜苦与楽(バックヨラク)の基(モトイ)、人に正路(ショウロ)を示す、是(コ)れなり。」


(いつくしみは人々に楽を与えることができ、あわれみは苦しみから救い出すことができる。
 苦しみから脱し、楽を与えてやることの基礎は、人々に正しい仏の道を示してやることに他ならない)

 動物も植物も人間も、生きとし生けるものはすべて、楽に生きられる方向を求め、死へ向かう苦しみから脱したいと願っています。
 それを見捨てられないならば、救われる正しい道を教えてあげるに越したことはありません。

「謂(イ)う所の正路(ショウロ)に、二種有り。
 一には定慧(ジョウエ)門、二には福徳の門。
 定慧(ジョウエ)は正法(ショウボウ)を聞き、 禅定(ゼンジョウ)を修するを以(モッ)て旨と為し、福徳は仏塔を建て、仏像を造するを以(モッ)て要と為す。
 三世の諸仏、十方の薩、皆斯(コ)の福智を営みて、仏果を円満す。」


(いわゆる正しい道には、二種の行き方がある。
 一つは瞑想〔定〕と智慧〔慧〕をもっぱらにするもので、第二は、善行に因り人々に福を与えることをもっぱらにする行き方である。
 定と慧は、正しい仏の教えを開いて、深い瞑想を修行することを主とし、福徳を与えるのには、仏塔を建て、仏像を造ることを、要点とする)

 私たちがまっとうに生きたいならば、心を平静にして我欲や自己中心の心から離れ、真理・真実を見極めるのが一つ、もう一つは、他者へ福徳を与えることです。
 つまり、み仏の教えに基づいて瞑想の修行をするか、もしくは仏塔や仏像を造り、人々が救われる場とすることです。
 自分自身の心を制御し、他者のために役立つこと、これが歩むべき正しい路です。

「三世(サンゼ)の諸仏、十方の薩埵(サッタ)、皆斯(コ)の福智を営みて、仏果を円満す。
 是の故に比年、四恩を抜済(バッサイ)し、二利を具足(グソク)せんが為(タメ)に、金剛峯寺に於(オイ)て、毘盧遮那(ビルシャナ)法界体性塔(ホウカイタイショウトウ)二基、及び胎蔵・金剛界両部曼荼羅(マンダラ)を建て奉る。
 然(シカ)るに今、工夫(コウフ)数多(アマタ)にして、粮食(リョウショク)給し難し。」


(過去・現在・未来の仏たち、世界全体の菩薩たちは、みなこの福徳の行いをして、さとりの境地を完成するのである。
 この故に、最近、父母・国王・衆生・三宝の恩に報いんとして、すべての苦を除いて、自利・利他を完全になしとげようと思った。
 そこで高野山金剛峯寺に毘盧遮那仏という宇宙の本体を表すため二基の塔を建て、金剛・胎藏二部の曼荼羅をお作り申しあげることにした。
 しかしながら、今、労役する者はおびただしく、食糧を満足に与えられない)

 悟りを開いたみ仏は、智慧を磨き、世界へ福をもたらした方々です。
 自分勝手な考えを持ち、欲しい、惜しいと貪るままで不動の安寧を得ることはできません。

 そうした役割を果たそうとする仏教者として、お大師様は死期を迎えてなお、仏塔とマンダラを造ろうとされました。
 しかし、山上の高野山では、はたらく人々の食べものにすら事欠くありさまです。

「今思はく、諸(モロモロ)の貴賤の四衆と、斯(コ)の功業を同じくせんと。
 一塵(イチジン)大嶽(タイガク)を崇(タカ)うし、一滴広海を深うする所以(ユエ)は、心を同じくし、力を勠(アワ)すが、之(コレ)致す所なり。」


(今思うに、多くの貴者・貧者・僧・尼僧・男女の信徒たちとともに、この仕事を一緒になし遂げたい。
 塵も積もって大山として聳え、一しずくの水が広い海を、いっそう深くすることができるのは、それは心を合わせ、力を合わせてこそ、できるのである)

 人の道を行くよきことは、相手を選ばず、共に行いたいものです。
 私たちは子供の頃から「塵も積もって山となる」と、精進の大切さと価値を教えられたはずです。
 そして、ことをなし遂げるためには、心を一つにし、真に力を合わせせなばりません。


「伏して乞(コ)ふ。
 諸(モロモロ)の檀越(ダンオチ)等、 各(オノオノ)の一銭、 一粒(イチリュウ)の物を添へて、斯(コ)の功徳(クドク)を相済(アイスク)へ。
 然(シカ)らば則ち営む所の事業(ジゴウ)、不日(フジツ)にして成らん。
 生ずる所の功徳(クドク)万劫(マンコウ)にして、広からん。
 四恩(シオン)は現当(ゲントウ)の徳に飽き、五類は幽顕(ユウケン)の福を饒(ユタカ)にせん。
 同じく無明(ムミョウ)の郷(サト)を脱して、斉(ヒトシ)く大日の殿(デン)に遊ばん。
 敬って勧む。
 承和元年八月二十三日」


(心よりお願い申しあげる。
 多くの施主たちが、それぞれ金一銭、米一粒をあつめて、この功徳をなしとげるように。
 そうすれば、きっとこの大事業も、日ならずして完成するであろう。
 その行為によって生まれる功徳は永遠に亡びることなく、世界中に広く行きわたるであろう。
 四恩は現在および未来も、その恩に充分に報いることができ、五類の天は、目に見える。また目に見えぬ福を豊かに垂れてくれるであろう。
 そして皆ともに無知の迷いの世界を抜け出して、そろって大日如来のさとりの御殿に遊べるようにさせたまえ。
 謹んでおすすめ申しあげる)

 これは、西暦834年に書かれました。
 今から約1200年前のできごとです。
 恵まれた環境や、約束された栄誉をなげうって仏道に入ったお大師様は、還暦にいたってなお、烈々たる万民救済の意思を持ち、全身全霊をかけて法務に邁進しておられました。
 宮中で修法を行い、般若心経の解説書を書き、高野山ではこうした活動を行っておられました。
 そのおかげで私たちは、現在、学び、実践し、救われ、救うことができます。

 日本が戦争をせず、子供たちが怒りや怨みやイジメの心を離れ、ひいては世界が平和になるよう願い、祈る当山の「不戦堂」建立運動も、フンドシを締め直して進めねば、と奮い立つ思いです。




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2016
05.13

心の眺め方(その2) ─満月を眺めて煩悩(ボンノウ)を滅するには─

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 ブログ「心の眺め方」について、瞑想に関するご質問が多く、満月を眺めて、あるいは満月をイメージして瞑想を行う場合の観想文を書いておきます。
 詳しくは5月14日午後2時からの寺子屋法楽館』にてお話しします。

月輪観(ガチリンカン)における三毒消滅の観想

一 心月(シンガツ)清浄の観

月の清浄なるが如(ゴト)く 自心も無垢(ムク)なり
自性(ジショウ)清浄にして 無貪(ムトン)無染(ムゼン)なり
月の浄徹(ジョウテツ)なるを見て 心の浄性(ジョウショウ)を観ぜよ
本(モト)より貪染(トンゼン)なし 元(モト)これ浄仏(ジョウブツ)なり


(月の光が清浄であるのと同じく、自分の心も本来、垢や穢れを離れている
 心の核である魂は清浄で、貪りも、悪の影響もない
 穢れをまとわぬ清浄な光を放っている満月を見て、自分の心の奥底も又、清浄であることに気づくべし
 心は本来、貪りも悪の影響もなく、そもそもが清浄なみ仏そのものなのである)

二 心月(シンガツ)清凉(ショウリョウ)の観

月の清凉(ショウリョウ)なるが如(ゴト)く 自心も熱を離れたり
慈悲の水を瀧(ソソ)いで 瞋恚(シンニ)の火を消す
月の凉光(リョウコウ)に触れて 心の慈水を澄ませば
無量の恚(イカリ)の焔(ホノオ) 一時に消滅しぬ


(月の光が清凉であるのと同じく、自分の心も熱悩を離れている
 慈悲の水を注いで怒りや憤りの火を消す
 月の涼やかな光に触れて、心にある慈悲の水を澄ませば
 無限の怒りの炎も いっときのうちに消滅する)

三 心月(シンガツ)円満の観

月の円満せるが如(ゴト)く 自心も闕(カ)くることなし
万物を具足(グソク)し 種智(シュチ)を円満す
月の円形(エンギョウ)を見て 心の満体(マンタイ)を観ぜり
福智を円満せる 雙円(ソウエン)の性仏(ショウブツ)なり


(月が真円であるのと同じく、自分の心も本来、愚かさのない智慧で満ちている
 あらゆるものが調い、必要な智慧は不足なく備わっている
 月が円形であるのを見て、心も又満ち足りていると観想する
 悟りを得るための福徳智慧が二つの満月のように円かに具わった仏としての本性を持っている)

 こうして貪・瞋・癡(トンジンチ)の三毒を克服しましょう。




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2016
04.29

漢文『法句経』を読んでみる(その4)

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〈陽の薄い曇り日に〉

 寺院や寺子屋 ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
 当山では、寺子屋やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。
 小生の土台はこの教えによってつくられました。
 どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
 新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)

 前回に続き【教学品(キョウガクホン)第二】です。

〔三一〕起(タ)ちて義を覚(サト)らんとする者は、学びて滅すること以(モッ)て固し。着(ジャク)滅(メッ)して自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なること、損(ソン)じて興(オコ)らず。


(一念発起して教えを理解しようとする者は、学び、煩悩が滅して再び迷わない。執着心が滅し、煩悩のままに翻弄されることはなくなる)

〔三二〕是(コ)れ向かうに強さを以(モッ)てし、是(コ)れ学ぶに中(マゴコロ)を得(エ)、是(コ)れに従(ヨ)りて義を解(ゲ)し、宜(ヨロ)しく行(ギョウ)を憶念(オクネン)すべし。


修行は強い志をもって行い、学ぶには苦行と怠惰を離れた瞑想によって精進し、学んで教えを理解し、なすべき修行を離れるなかれ)

〔三三〕学ぶには先(マ)ず母(モト)を断じ、君(キミ)と二臣(ニシン)を率(ヒキ)い、諸(モロモロ)の営従(エイジュウ)を廃す。是(コ)れ上道(ジョウドウ)の人なり。


(学ぶにはまず、自分可愛さを断ち、思い上がりを離れ、外道の見解や律に影響されず、それらの世界から毅然と離れて進む。これが腰の定まった行者である)

〔三四〕学ぶに朋類(ホウルイ)無く、友(ゼンユウ)を得(エ)ざれば、寧(ムシ)ろ独(ヒト)りを守りて、愚と偕(トモ)ならざれ。


(学ぶのに、自分にふさわしい同志がなく、き同輩を得られなければ、いたずらに仲間を探すことなくたった一人で行に邁進し、愚かしい人間と縁を結ぶなかれ)

〔三五〕を楽しみ行を学ぶに、奚(ナン)ぞ伴(トモ)を用いることを為(ナ)さん。独(ヒト)り(ヨ)く憂い無きは、空野(クウヤ)の象の如(ゴト)し。


めに沿った生活を楽しみ、修行を学ぶのにどうして同伴者が必要であろうか。一人で行を実践し憂いなく生きる行者は、広大な野を悠然と歩む象のように悠然たる者である)

〔三六〕と聞(モン)は倶(トモ)に善(ヨ)く、二者(ニシャ)孰(イズ)れか賢(マサ)らん。方(マサ)には聞(モン)に称(カナ)う、宜(ヨロ)しく諦(アキ)らかに学行すべし。


めを守ることと、教えを聞くことは両方ともに善きことであり、いずれが勝るということはない。戒めを守ってはじめて教えを聞く資格がある。しっかり明確に学び実践せよ)

〔三七〕学ぶに先(マ)ず戒を護り、開閉(カイヘイ)に必ず固くして、施して受くること無く、仂行(リョクギョウ)して臥(フ)すこと勿(ナ)かれ。


(学ぶにはまず戒めを守り、心を放恣にせず、他のためになっても我がものを得ようとせず、精進して怠けるなかれ)

〔三八〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、邪(ヨコシマ)に学びて不善を志(ココロザ)さば、生(セイ)一日にして、精進して正法(ショウボウ)を受くるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、邪道を学んで善からぬ生き方をするならば、たった一日であろうと、精進して正しい道理を学ぶ価値とは比べようもない)

〔三九〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、火を奉じ異術(イジュツ)を修さば、須臾(シュユ)の頃(アイダ)に、戒に事(ツカ)うる者の、福の称(タタ)うるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、林の中で火の神に仕える術を修するならば、たとえひとときでも、戒めを守る行者の福徳をたたえて供養することに及ばない)

〔四〇〕能(ヨ)く行ずるは之(コレ)を可と説くも、能(アタ)わずして空語(クウゴ)する勿(ナ)かれ。虚偽(キョギ)にして誠信(セイシン)無きは、智者の屏棄(ヘイキ)する所なり。


(懸命に修行するのは善きことだが、悟りを得てもいないのにそれらしい言葉をはくなど空虚なことを行ってはならない。偽って不誠実、教えを心から信じていないのは智者が排する態度である)




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2014
04.12

恩と愛とをどう生き、どう死ぬか? ―憎しみや争いを離れる道─

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〈車窓からとらえた『法楽農園』の先住者〉

 ご葬儀の本旨は、いのちを失い、肉体を捨てる機会をもって、迷いの世からみ仏の清浄で安心な世界へと確かな旅立ちができるよう、み仏のご加護をいただき、旅立ちの区切をつけることにあります。
 だから、み仏と一体になった導師は全身全霊を込めて引導(インドウ)を渡します。
 その少し前の段階で必ず、以下の文言が唱えられ、剃髪の修法が行われます。(皆さんには、はっきりと聞こえず、もちろん、目には見えません)

『流転三界中(ルテンサンガイチュウ) 迷いの世界に流転して
 恩愛不能断(オンナイフノウダン)  恩も愛も断てない
 棄恩入無為(キオンニュウムイ)   恩を棄て無為へ入り
 真実報恩者(シンジツホウオンシャ) 真実の報恩者となるために
 剃除鬚髪(テイジョシュホツ)    髪を剃り除く
 永離煩悩(エイリボンノウ)     永遠に煩悩を離れ
 窮極寂滅(クキョウジャクメツ)』  究極の寂滅へ入る


 札幌在住の北尾克三郎氏は、お大師様がこの一文をめぐって書かれた文章について、わかりやすく説かれています。
 ネット上では、「エンサイクロメディア空海」における「空海の『理趣経』講話-恩と愛から-」にあり、出版物としては「密教メッセージNO19」に掲載されています。

「さとりを得た者をブッダ(目覚めた者)と称し、また真実報恩者(しんじつほうおんしゃ:三界の中に流転して、恩愛を絶つことあたわずとも、恩を棄てて無為に入るならば、真実の恩に報いる者なり)と名づける」


 私たちは、父母や師や先輩などの恩を受けて生き、妻や子や友人などの愛情に包まれて生きます。
 実に、恩と愛とは情緒の源であり、人生の潤いをここで知ってこそ、人間たる生き方ができるようになります。
 しかし、この二つは、その一方で、私たちを〈自分の〉親を大切にする、〈自分の〉妻を失いたくない、という形で自己中心の生き方へも導いています。

 ダライ・ラマ法王は厳しく説かれました。

「一般的な考え方によれば、愛とは愛する対象への親近の情を意味している。
 それを敷衍してわれわれは日常、名声を愛するとか、財産を愛するとか、性欲をその感情の底にひそませて人を愛すると言ったりする。
 だが、こうした愛はねじれていると言わねばならない。」

「このような愛は、愛というより欲望そのものだが、自分の期待する結果が得られた場合にのみ、自分の努力に対する成果が得られた場合にのみ、成就することになる。」

「だが、もし、自分をも愛してくれていると考えていた愛する対象が、その態度を変えたり、振る舞いに愛の終わりを匂わせたりしたなら、あるいは、求愛を撥ねつけたり、

自分の期待に背くような行為に出たりしたなら、このときにはいったいどうなるか。
 自己の欲望を満足させようとする期待が裏切られたならどうなるか。
 こうした愛は、いともすみやかに憎しみへと変容する。」

「なぜこうした愛は憎しみへと変化するのか。
 それはこの種類の愛が〈我〉の上に打ちたてられているからだ。
『私』が愛するからだ。
 それが理由のすべてである。
『私』はどうすれば彼女、あるいは彼の肉体を、心を所有できるか。
『私』の欲望はどうすれば満たされるか。
〈我〉があってそこには〈他〉がない。
 他者は『私』の、いわゆる愛のために存在するにすぎない。」


 実に、恩と愛とは、幻の我(ガ)を主人公とさせてしまう諸刃の剣でもあります。
 ダライ・ラマ法王はさらに説かれます。

「真実の愛は〈他〉もまた自己と同様に、人間であり、一個の存在であることを認めるところから生まれる。
〈他〉もまた〈我〉となんら変わることなく、幸福を願い、痛苦を厭い、苦しみを克服し、平安を獲得したいと願う、生きとし生けるものである。
 これはひじょうに大切なことだ。
〈他〉もまた、〈我〉と同じ幸福を享受する権利を有している。」

「ここから〈他〉、愛の対象への一体感、親近の情、〈他〉への本物の関心が育まれる。
 こうして現れるものが真実の愛である。」


 心から大切にしようとする対象が〈自分の〉親や、〈自分の〉妻だけでなく、〈他〉一般へと広がってこそ、真の意味で恩に報い、愛に生きる者となります。
 そのためにはどうすればよいか?
 答は『理趣経(リシュキョウ)』にあります。
 ふたたび、北尾克三郎氏が読み解いたお大師様の教えに戻ります。

「もし、信仰深い男・信仰深い女があって、一生の内に起こる迷いや苦しみの根本を断ち切り、さとりという安楽の境地に至ろうと思うなら、まず、福徳といのちのもつ無垢なる知のちからとを生じさせる原因となるものを積み、その結果として、無上のさとりに到達すべきである。

 そのいのちのもつ無垢なる知のちからを生じさせる原因になるものというのは、すぐれた経典を書写し、その深い意味を追求し、思考することである。

 そうして、施しをすること、戒めを守ること、忍耐すること、精進すること、精神を統一すること、無垢なる知のちからを発現させることの六つの行ないをすることである。
 それが、福徳の原因になる。

 よくこの思考と行ないの二善を修め、生を授けてくれた父母の恩と、国土の安泰を守る為政者の恩と、衣食住を生産・相互扶助している生きとし生けるもの(動物・植物)の恩と、それらの恩の根本にあるいのちのもつ無垢なる知のちからの存在(仏)・その知のちからがもたらす真理(法)・その真理の教えを伝えるものたち(僧)の三宝の恩との四つの恩に報い、そのおかげに深く感謝をし、それらを救い護(まも)り、生きとし生けるものすべてに恩恵を与えるときは、すなわち自らを利し、他者を利する恵みをともにそなえることになれば、すみやかに一切の無垢なる知のちからの中のもっともすぐれた知のちからに目覚め、そのちからを体得することになるだろう。」


 ここに、剃髪の目的が達成されます。
「永離煩悩(エイリボンノウ)
 窮極寂滅(クキョウジャクメツ)」
 苦や迷いの元である煩悩を永遠に離れ、それらが究極的に寂滅した世界へ入るのです。

 私たちは、2500年も前にお釈迦様が説かれ、1200年も前にお大師様が説かれた安心への道を、なかなか歩めずにいます。
 しかし、いかにこの世で迷っても、せめて、あの世に旅立つ時は、み仏のお力によって自己中心的恩と愛とを離れ、清浄な存在となりたいものです。
 そうして生き死にを繰り返すうちに、徐々に〈無上のさとり〉へと近づき、この世から憎しみや争いが消えて行き、きっと戦争もなくなることでしょう。
 この世で〈真実の愛〉を求めながら、なかかなそうはならずとも、最後はみ仏が必ずお救いくださいます。
 ご葬儀での剃髪と引導との意義をよく考えたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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