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2015
08.03

8月の運勢 ―慎重な観察と積徳を―

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〈個別型永代供養樹木葬法楽陵』に献花・焼香台ができました〉

 8月のおおまかな世間の運勢運気の傾向について記します。
 今月は、「それ行け!」となった時には慎重に、「もうだめか…」となった時はあきらめず、常に、表面的な様子の裏側にある可能性を考えて行動すれば大過なく過ごせます。 
 特に、頑なになっている人々に対しては、和するも対峙するも、成り行きをよく見極めてから自分の行動を決めましょう。
 気分や勢いで自分から渦に飛び込むのは危険です。

 仏神やご先祖様を敬い奉ずる人には余慶(ヨケイ)があるかも知れません。
 余慶とは、先人の善業が世代を超えて善き結果をもたらすことです。
 また、誰かが善かれと思ってやってくださった結果、嬉しいできごとに恵まれることです。
 もしも、自分一人の力で生きているかのような錯覚に陥って傲慢になれば、反対の余殃(ヨオウ…先人の悪業による悪しき結果)がやってくるかも知れません。

 江戸時代まで寺子屋の教材だった『童子教』は説きます。

「夫(ソ)れ積善(セキゼン)の家には  
 必ず余慶(ヨケイ)有(ア)り
 又好悪(コウオ)の処(トコロ)には  
 必ず余殃(ヨオウ)有(ア)り」


 誰かが見ていようといまいと、じっと徳積みをしている人々は必ず、思いもよらぬ幸いを得ることがあり、悪行を重ねている人々には必ず、災いがやってきます。
 私たちへいのちと心をバトンタッチしてくださったご先祖様へのお盆供養などは、典型的な積善のチャンスです。
 また、忙しい日常生活的ペースから少し離れるこの時期は、目に見えぬ仏神や御霊へ思いをいたし、我が身を振り返ってみるチャンスでもあります。
「日本中が仕事を休み身体を休めて本当の人間性に戻る日、それがお盆です。
 だからこそ人々はこぞってふるさとを目指し、なつかしいわが家へ帰るのです。」(長澤弘隆師編著『真言宗檀信徒のよろこび』より)
 心構えや行動によって明暗がはっきり分かれる時期なので、慎重にやりましょう。

 相手の強気に触発された自分の強気が相手の強気をいっそう燃え上がらせ、チキンレースのようにのっぴきならないところまで行くと大変です。
 相手の好みや、相手が心を許すものに思いをいたし、まごころでやりとりできるよう努力しましょう。
 最も警戒すべきは「自分が絶対、正しい」との思いこみです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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2015
07.26

神殺しの日本人とお盆の意義 ―梅原猛氏の警告に思う―

201507260001.jpg

 来月はお盆を迎えます。
 一年で最も盛んに行われる仏教行事ですが、〈長期休暇〉にばかり気を取られず、ご先祖様からいのちを受け継いで今の生を生きる私たちは、本来の意義を思い起こし、この時期に人としてなすべきことを考え、実践しようではありませんか。

○日本の神殺し

 哲学者梅原猛氏は指摘しました。

「近代日本において神殺しは二度にわたって行われた。」
「廃仏毀釈(ハイブツキシャク)が一度目の神殺しであった。」


 明治に入ってすぐに行われた国家による仏教排斥運動は、現代の私たちが「けしからん!」と叫ぶIS(イスラミック・ステート)の仏教遺跡破壊などとは比べものにならぬほど過激で、徹底した蛮行でした。
 テロは、ISのメンバー一人一人に確固たる宗教的信念があっての異教へ対する破戒行為ですが、日本で起こった官憲や住民による仏教寺院の破壊は、それぞれが先祖から受け継いだ聖なるものへ無理やり刃を向けさせられるという悲惨で恐ろしいものでした。
 ご本尊様や寺院や過去帳は破壊され、焼かれ、還俗(ゲンゾク)させられた僧侶は生きようとして兵士になる者も多かったとされています。
 国家を強くするために心を一つにするよう求められた国民は、現人神(アラヒトガミ)に祭り上げられた天皇と現人神のご先祖様である天照大神(アマテラスオオミカミ)などの神々のみを奉じました。
 み仏だけでなく、自然信仰とあいまった多様な神々もまた、排斥されました。
 嵐のようなできごとを記した資料の多くは敗戦後に抹消されて一種のタブーとなり、廃仏毀釈と国家神道に関する広汎な検証や研究はいまだに不徹底です。
 日本人の持つ一面をきちんと知り、人の心を縛るという恐ろしい国家的蛮行を二度と繰り返さないために、決して〈無かった〉ことにはできない歴史的できごとです。

 梅原猛氏は第二の神殺しも指摘します。

「敗戦によって新しい神道も否定された。
 現人神そのものが、実は自分は神ではなく人間であると宣言されたことによって、この神も死んだ。」
「日本は西洋よりもっと徹底的に神仏の殺害を行ったことになる。」


 そして続けます。

「この神仏の殺害の報いは今徐々に表れているが、以後百年、二百年経つと決定的になるであろう。
 道徳を失っているのは動機なき殺人を行う青少年のみではない。
 政治家も官僚も学者も芸術家も宗教心をさらさらもたず、道徳すらほとんど失いかけているのである。
 政治家や官僚が恥ずべき犯罪を行い、学者、芸術家も日々荒廃していく世の動きに何らの批判も行わず、唯々諾々とその時代の流れに身を任せているのは道徳の崩壊と言わねばなるまい。」
「私は、小泉八雲が口をきわめて礼賛した日本人の精神の美しさを取り戻すには、第一の神の殺害以前の日本人の道徳を取り戻さねばならないと思う。」


○江戸時代の寺子屋に日本人の精神を思う

 当山は氏の指摘を待つまでもなく、江戸時代までの寺子屋で広く用いられた『実語教童子教』を毎月、読み続けています。

「山高きが故に貴(タット)からず。
 樹(キ)有るを以(モッ)て貴しとす。
 人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。
 富は是(コレ)一生の財(タカラ)。
 身滅すれば即ち共に滅す。
 智は是万代(バンダイ)の財。
 命(イノチ)終われば即ち随って行く。」


 人の徳は、地位や財産や体格では測られません。
 この世でどう生きたかという〈まっとうさ〉こそが大切であり、あの世へ持って行けるものは、善き業(ゴウ)という徳の香りだけです。
 もちろん、悪しき業は腐臭となり、地獄や餓鬼や畜生の世界へ導くことでしょう。
 この文章は『実語教』の冒頭にあり、江戸時代までは、小さな児童から市井の大人に至るまで、人倫の基礎を身につけていました。

聖徳太子日本人の精神を思う

 一方、聖徳太子の十七条憲法は為政者の鏡となり、第一条の「和をもって貴しとなす」を目ざし、決定的な対立を招かぬよう穏和な話し合いを行う文化が守られてきました。
 梅原猛氏の言う「日本人の精神の美しさ」は、大和の国にとって「和」を抜きにしては語られません。
 幾度も書いているとおり、特に、最後の第十七条は権力者への普遍的戒めとなっています。
 小さなことなら独断でやむを得ない場合もあるが、大きな問題ほど、過ちを避けるため正々堂々、公正な論議を尽くさねばならないと締めくくっているのです。

「それ事(コト)は独(ヒト)り断(サダ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(アゲツラ)うべし。
 少事はこれ軽(カロ)し。
 必ずしも衆とすべからず。
 ただ大事を論(アゲツラ)うに逮(オヨ)びては、もしは失(アヤマチ)あらんことを疑う。
 故に、衆とともに相弁(アイワキマ)うるときは、辞(コトバ)すなわち理(コトワリ)を得ん。」


 ここで最大のポイントは「間違っているかも知れないと疑う」というくだりです。
 聖徳太子は日本史上まれにみる大天才であり聖者でもありますが、本人は「自分はもとより凡夫である」と述べておられます。
 そして、自らの考えに過ちがあり得ることを熟知した上で訴えました。
「どうか皆さん、いかに正しそうな、あるいは妥当そうな思想や主張や施策であっても、私たち凡夫のやることですから、過ちがあり得るという前提で、衆知を集め公正な議論を行い、人々のため、過たないよう万全を尽くしてください」

 ちなみに、かつての自民党は各派閥の論客を集めた総務会においてこの伝統を守り、全員の納得を得て衆議一決するまで徹底的な議論を行いましたが、小泉内閣時代に多数決を採用し、以後、麗しい伝統は失われ、政界全体から〈多数派の慎重さや謙虚さ〉が消え去ったように思われます。
 グループを白か黒か、多数か少数か、勝者か敗者かと単純に二分し、多数派から「改革」と称する目新しい政策が一方的かつ、次々と登場する危うい政治となった背景には、勝った負けたを面白おかしく眺める有権者とマスコミの姿勢が大きくかかわっていることを忘れるわけにはゆきません。

お盆の意義を考える

 上記のとおり、梅原猛氏の指摘に従い、私生活を行う個人としての人倫と、権力を用いる社会人としての人倫を考えました。
 ようやく、お盆に入ります。
 お盆は、二度の「神殺し」にも消滅させられなかった「日本人の精神の美しさ」が表れる大切な宗教行事です。

 日本人は自分のいのちを決して〈自分だけのもの〉とは考えず、ご先祖様から受け継ぎ、子々孫々へ受け継ぐ〈預かりもの〉と受け止める感覚を大切にしてきました。
 だから「おかげさま」なのです。
 目に見えない「御陰」とは仏神であり、御霊です。
 同時に、目に見えない天地万物や社会から受ける恩恵もまた私たちがいのちをつないで生きるためには欠かせず、こうして、時間的・空間的に無限の功徳へ感謝する言葉としての「おかげさま」は私たちの倫理を支えています。
 ご先祖様や先亡の家族を菩提寺や家でお迎えし、あるいは、お世話になった方々や忘れられない方々のお墓へお詣りするお盆は、日々の暮らしや仕事に追われている私たちがともすれば忘れかけている人間として欠かせない「おかげさま」の心を思い出し、自分の具体的な行動をもってそれをはっきりと御霊へお伝えするかけがえのない機会です。
 以下、長澤弘隆師編著『真言宗檀信徒のよろこび』を元に、お盆を過ごす心構えについて述べてみます。

一 報恩の精神

 ご先祖様のいない人は一人もいません。
 もしも遙かなご先祖様のお一人でも欠けていたなら、私たちはこの世に生を承けていなかったはずです。
 いのちをつないでくださったご先祖様は何とありがたいことでしょうか。
 自然ですなおな感謝の心を形に表しましょう。

二 ご先祖様に対する願い

 ご先祖様は決して無になってはおられません。
 影が形に従うように、いつも私たちをお見守りくださっています。
 その証拠に私たちは、大病に罹ったり、戦場へでかけたりするギリギリの場面で合掌するではありませんか。
 その対象が亡き母であれ、あるいはお大師様であれ、あるいは観音様であれ、すべて「御陰」と言うしかない方々です。
 普段は忘れていても、私たちは無意識のうちにそうした存在を知っており、感じてもいます。
 だから、ご先祖様にご安心いただき、ご加護いただくよう、自然ですなおな願いを持ちましょう。

三 自分を見つめ直す

 本堂や精霊棚や墓地でご先祖様の御霊と時間空間を同じくし、「御陰」を実感することによって、普段は気づかない、あるいは忘れている自分のルーツや家族、親族とのつながりを自覚します。それは、自分が何者であるかを見つめ直す機会でもあります。

 こうしたことをふまえ、同著は指摘します。

「日本中が仕事を休み身体を休めて本当の人間性に戻る日、それがお盆です。
 だからこそ人々はこぞってふるさとを目指し、なつかしいわが家へ帰るのです。」


 大切な時期を有意義に過ごしましょう。




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「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2014
07.13

〈バレなければいい〉は正しいか? ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その79)─

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〈「みやぎ四国八十八か所巡り道場」の気持ちよさは格別です〉

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 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 いよいよ、最終回となりました。

「砂で塔を作る人は
 早く黄金色の健康な肌となる
 大切な花を折ってみ仏へお供えする人は
 速やかにみ仏が坐する蓮華の台へと導かれる
 み仏の教えをたった一句、信じて心に保つだけでも
 この世を動かす転輪王ほどの力を持つ
 たった一部しか教えを聞かなくとも
 その徳は世界中の宝ものよりも勝れている」


 現代では、紫外線で肌が灼けることをあまり歓迎しない向きもあるが、以前は、子供たちが陽光を浴びて黄金色の肌になることを健康な証拠として喜んだ。
 砂遊びに夢中になっていると健康な肌が得られるように、花を供えることも、教えを一つ心に保つことも、教えを学ぶことも、必ず大いなる結果に結びつく。
 たとえ僅かな時間しか、かけなくても、教えの扉を開けば、その先には広大で豊潤な世界が広がっている。
 以下、原文である。

「砂(イサゴ)を聚(アツ)めて塔を為(ス)る人
 早く黄金(コガネ)の膚(ハダエ)を研(ミガ)く  
 花を折つて仏に供(クウ)ずる輩(トモガラ)は
 速(スミヤ)かに蓮台(レンダ)の趺(アナウラ)を結ぶ 
 一句信受(シンジュ)の力も
 転輪王(テンリンオウ)の位(クライ)に超(イタ)る  
 半偈(ハンゲ)聞法(モンポウ)の徳も
 三千界(サンゼンカイ)の宝にも勝(スグ)れたり」


「機根が勝れている人は、ぜひ、仏道を学ぶべし
 機根が中くらいの人は、国の恩、親の恩、生きものの恩、仏法僧の恩を忘れないようにせよ
 機根が勝れていない人は、天界から地獄界まで、いずれの世界にも生きている
 どこにいようとも、仏道を学び、仏道を生きることができる」


 機根の上下は、人間を差別する考え方ではない。
 言わば、仏道との相性のようなものである。
 ピンと来る人は仏道を学び、あまりピンと来ない人は、とにかく恩知らずにだけはならないようにしようと説いている。
 そして、先の見えない地獄界やあまり苦を感じない有頂天の世界にあっても、仏神は必ず見ておられるので、縁によって気づきさえすれば導かれ、救われ、誰かのためになることもできるのである。
 以下、原文である。

「上(カミ)は須(スベカラ)く仏道を求む
 中(ナカ)は四恩(シオン)を報(ホウ)ずべし  
 下(シモ)は編(アマネ)六道(ロクドウ)に及ぶ
 共に仏道成(ナ)るべし」


「この経典は、幼い童などを人の道に導こうとして
 因果応報道理について説明した
 日本の書物も外国の書物も引用した
 この経典を読む人は、内容を謗ってはならない
 この書物の教えを聞く人は、内容を笑ってはならない」


 最後に、念を押すように示されているのが因果応報道理である。
 その理由は、あらゆる倫理・道徳がこの道理を離れてはあり得ないからである。
 もしも、稲の種を蒔いて毒ハーブができるならば、私たちは生きられない。
 しかし、ネット社会は、〈匿名性〉によって深刻な状況をもたらした。
 たとえばサイバー攻撃とは、国家的規模による破壊や侵害であり、その暴力性は〈匿名〉であるだけに際立って悪質である。
 もしも、覆面で他人の家へ忍び入り、知らぬ間に家人が大切にしているものを破壊して去ったなら、いかなる罪状が列記されるかを考えればすぐにわかるように、サイバー攻撃は明確な悪行である。
 今は、メールや掲示板で他人を侮辱し、罵倒し、知らん顔ができる。
 もしも面と向かって相手の人格を侵害したなら、反論され、怒りを買い、あるいは悲しませ、落ち込ませ、いずれにしても相手の変化を自分で受けとめねばならないが、自分を隠しているので、相手の変化から無縁でいられる。
 気に入らない相手を闇夜に紛れて棒で殴り、倒れた相手をそのままにして走り去り、何知らぬ顔で翌朝を迎えたなら、その暴力性は〈匿名〉であるだけに際立って悪質ではないか。

 不当な攻撃や悪質な勧誘などが横行するネット社会の悪は、因果応報から都合良く逃れられるという強い錯覚によってもたらされた。
 一昔前は、「お天道様が見ているぞ!」と子供の嘘を叱った。
 それは、因果応報を教え、恥を教える言葉だった。
 現代では、お天道様を失ったかのように、卑劣な形でありとあらゆる悪行が横行し、人々はいつでも恥知らずになれる。
 今こそ、因果応報道理すなわち、お釈迦様が説かれた仏教の根本を見直すべきではなかろうか。
 これ以上、〈バレなければいい〉という倫理の崩壊が進まぬよう、強く願ってやまない。
 以下、原文である。

「幼童(ヨウドウ)を誘引(ユウイン)せんが為(タメ)に
 因果(インガ)の道理を註(チュウ)す  
 内典(ナイテン)外典(ゲテン)より出(イ)でたり
 見る者誹謗(ヒボウ)すること勿(ナカ)れ  
 聞く者笑(ショウ)を生(ショウ)ぜざれ」


 もしもこのまま、因果応報道理をあざ笑い続けるならば、私たちの文明に果たして、まっとうな未来はあるだろうか……。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2014
07.06

他人の善行をすなおに喜べるか、ヤクザの男意気に涙できるか ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その78)─

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 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。

「もし、貧窮していて布施に用いられる財物がなくとも、
 他人が布施を行うのを目にしたならば、我がことのように喜びたいものです」


 以下は原文です。

「若(モ)し人(ヒト)貧窮(ビングウ)の身にて
 布施(フセ)すべき財無く
 他の布施(フセ)を見る時
 随喜(スイキ)の心を生(ショウ)ずべし」


 布施の心がある人にとって、自分ができない状況にあることは大変、辛いものです。
 たとえば、極貧だったり、病気だったり、家族の理解が得られなかったり、老いたり、意志があってもできない場合のもどかしさは、言葉になりません。
 そんな時、お金にゆとりのある人が多額の協力金を拠出したり、健康な人がボランティア活動で汗を流したり、家族揃って奉仕活動に参加したり、若い人が街頭募金の先頭に立ったりするのを見ると、淋しくなったり、羨んだり、落ち込んだりするかも知れません。
 そこで、もしも、他人の徳積みを本心から喜べるようであれば、自分が布施をできなくても、心は気高くなります。

 人間らしい尊さが身につくための心がけに以下の三つがあります。

1 有徳者(ウトクシャ)を尊敬(ソンギョウ)すべし

 徳の高い人は、自分で偉ぶったり、経歴をひけらかしたりしなくても、はっきりとそれらしい気配があるものです。
 こうした方に会った時、皆が皆、自分もこういう人になりたいと思えるわけではありません。
 やっかんだり、虚勢を張ったり、無視したりといった態度に陥りがちです。
 いずれも、自分を他人より低くしたくないという〈裏返った慢心〉のなせるわざです。
 これでは、人格が磨かれません。

 大切なのは、慢心に薄汚いと感じる感覚を鈍らせないことです。
 仏教では、常に自分を他人よりも高くしておきたいという誤った自己評価を「慢」と言います。
 代表的なものは「七慢(シチマン)」です。

・ 慢(マン)…自分と同レベルの相手へは闘争心を燃やし、劣っている相手へは自惚れる。
・ 過慢(カマン)…自分と同レベルの相手へは自分が勝っていると誇り、自分より上のレベルの相手へは自分と同レベルであると引き下ろす。
・ 慢過慢(マンカマン)…自分より上のレベルの相手よりも自分はさらに勝っていると自惚れる。
・ 我慢(ガマン)…自分本位で過剰な自負心を抱く。
・ 増上慢(ゾウジョウマン)…力や悟りや財物など、得ていないものを得たと誇る。
・ 卑慢(ヒマン)…遥かに高いレベルの相手に対して、少し負けているだけと虚勢を張る。
・ 邪慢(ジャマン)…自分の悪行や過ちを認めず、すべて正当化し、愚かさを棚に上げて人徳を誇る。

 人徳者はすなおに尊敬し、自分にもその徳を分けてもらう気持が大切です。

2 善行(ゼンギョウ)を讃歎(サンタン)すべし

3 善行(ゼンギョウ)に随順(ズイジュン)すべし

 いずれも、前項と同じ心構えです。
 善き行いをしている人は心から誉め讃え、自分もその善行に加わりたいと思う気持が大切です。




「困難に陥り、困っている人を見て我がことのように悲しみ、布施をするならば。
 たった一人を救うだけでも、積まれる功徳は大海のように大きい。
 もしも、自分の利益をはかって誰かに施しを行うならば真の布施行ではなく、
 善き報いはせいぜい、芥子粒程度のものであろう」


 以下は原文です。 
 

「心に悲しんで一人に施せば
 功徳(クドク)大海(ダイカイ)の如(ゴト)し  
 己(オノ)が為(タメ)に諸人(ショニン)に施せば
 報(ホウ)を得(エ)ること芥子(ケシ)の如(ゴト)し」


 施しの最大の動機は、「ああ、大変だろうなあ」と心の底から感じる思いです。
 それが「悲しんで」の意味です。
 これが起こると、手を差し伸べないではいられなくなります。
 悟る方法について『大日経』は説きます。
「大悲を根本とする」
 そして、この心が起こるためには、前段として、「人として生きるにはどうすればよいのだろうか?」という根本的な問いと、人の道を探さないではいられない探求心がなければなりません。
「菩提心(ボダイシン)を因とする」
 つまり、人生に迷ったならば、そこから逃げず、問いと探求心を持ち続けることが大切です。
 そうしているうちに、もがく心が、もがく他者への目を開かせてくれるでしょう。
 この教えの肝は冒頭にあります。
 本当に悲しむならば、大悲が起こるならば施さないではいられず、それは容器一杯になった水があふれるようなものです。
 もう、「大海」のような功徳は約束されているのです。

 こうした純粋な気持からではなく自分を目立たせたいとか、恩を売りたいなど、自分本位な考え方で施すならば、せっかくの善行も、芥子粒ほどしか善き報いをもたらさないという教えも、しっかり、心に留めておきたいものです。
 かつて、阪神淡路大震災のおりには、山口組が数十万食とも言われるほど膨大なカップラーメンなどの備蓄品を提供しました。
 東日本大震災が発生した翌日には、稲川会が避難物資を満載した4トントラック25台で北上し、身分を隠して〈目立たぬように〉配りました。
 原発事故の後も、普段着のまま、一般道路で福島をめざしました。
 ほとんど報道されず、微かな情報ももはや、忘れられかけていることでしょうが、陰の主役として、戦後の混乱期に日常生活の秩序を維持した彼らの男意気は伏流水のように残っていたのです。
 文武両道のうち「文」は主として平時における霊性のはたらき、「武」は主として非常時における霊性のはたらきという考え方からすれば、常々、暴力を看板に生きている彼らが非常時に大いなる力を発揮したのも、むべなるかな、という感があります。
 警察も自衛隊も、武の人々ではありませんか。
 ヤクザとして嫌われ、蔑まれている漢(オトコ)たちは、物資を何としても〈受けとってもらいたい〉一心で、黒子のように注意深く行動しました。
 決して忘れられません。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2014
07.05

布施によって喜びを、空に従って清々しさを ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その77)─

2014070400123

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。

「人は、できる限り他人へ施しましょう。
 布施は、人の道を体得する糧となります。
 人は財物を惜しまず、施すようにしましょう。
 財宝に執着すると、人の道を体得できなくなります」

 以下、原文です。

「人(ヒト)尤(モット)も施しを行(オコナ)ふべし
 布施(フセ)は菩提(ボダイ)の粮(カテ)
 人(ヒト)最も財を惜しまざれ
 財宝は菩提(ボダイ)の障(サワ)り」


 人の道は畢竟、見返りを求めず誰かのためになり、相手の喜びをすなおに喜べる人になることに尽きます。
 それは、二つの真理に基づいた道だからです。

1 生きとし生けるものは、あらゆるの中で生かされている

 私たちはすべて〈生かされている〉存在である以上、同時に〈生かす存在〉であらねばなりません。
 なぜなら、生かされているとは、自分を〈生かしてくれている〉相手に囲まれていることであり、もしも自分が誰かを生かす存在でなくなれば、周囲を〈生かし合う〉世界が壊れてしまうからです。
 水の分子式は「H2O」です。
 Hで表される水素の分子が二つと、Oで表される酸素の分子が一つ、合計三つの分子が結合して水になっています。
 三つの分子のうち、どれか一つでも外れたならば、水にはなりません。
 それと同じと考えられはしないでしょうか。
 もしも自分が〈生かし合う〉存在から外れようとするならば、生かし合っている世界は濁ります。
 気まま勝手で、奪おうとする人が増えれば、人間界は争いの修羅(シュラ)界や、恥知らずの畜生界へと変質し、行く先は地獄界になります。
 
 誰かのためになることは、人間界に生きる私たちの本源的ありようなので、布施を行うと、深く充実感のある喜びが湧いてきます。
 余分なお金を手にして美味しいものを食べた後で、またもや別の美味しいものを探さないではいられないような、一時的満足感とは異質です。
 布施は、乾いた大地を潤し、淋しい心を潤す慈雨であり、過分な貪りは、乾いた喉に流し込む塩水のようなものなのです。
 生かされ、生かす世界の存在にふさわしい行動によってもたらされる喜びは、親であるみ仏からのご褒美かも知れません。

2 すべては(クウ)である

 もの惜しみをする人は、哀しい人です。
 の真理を知らないか、知っていても我欲(ガヨク)に負けているからです。
 そもそも、五蘊仮和合(ゴウンケワゴウ)と言い、五つの条件がたまたま調っているからこそ、〈自分〉はここにいられます。
 条件がそろい、たまたま存在しているのは、を生きていることに他なりません。
 肉体的条件か精神的条件のどちらかに大きなダメージが生ずれば、たちまちにして〈自分〉はあやふやなものとなり、この世から消える場合もあります。

 五つの条件は以下のとおりです。
・色蘊…肉体やモノ
・受蘊…感受作用
・想蘊…表象作用
・行蘊…意志作用
・識蘊…認識作用

 般若心経を読んだり書いたりしている方は、「五蘊(ゴウンカイクウ…五蘊は皆、である)」及び「無色無受想行識(ムシキムジュソウギョウシキ…色も受想行識も無い)」は、とくと、お馴染みなはずです。

 私たちの心には四魔(シマ)が住んでいるとされています。
 その一つが蘊魔(ウンマ)です。
 蘊魔が強くはたらいている人は、ウジウジと何かかにかに囚われ、周囲へ重い気を漂わせます。
 いかに威勢がよくても、権勢を誇っていても、よく観るとどこかにジトッとした雰囲気があり、カラッとしていません。
 布施は、黒い蘊魔を消す徳の明かりです。
 とにかく、誰のために、何かを手放してみましょう。
 これまでは「惜しい」と思っていたのに、なぜか「清々しい」と感じられることでしょう。
 条件がそろい、たまたま存在しているのは〈自分〉だけではなく、モノもお金もそうです。
 だから、古人は言いました。
「金は天下の回り物」
 思い切って手放すのは、回り物を世間へ回してやっただけのことです。
 空という真理に添った行為だから、清々しくなるのです。

 若い方々は、生きるためのスキルを得ようとするだけでなく、「布施(フセ)は菩提(ボダイ)の粮(カテ)、財宝は菩提(ボダイ)の障(サワ)り」を肝に銘じて世の中へ巣立っていただきたいと願っています。
 すでに巣立った方々にも、もちろん、心に留め置いていただきたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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