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2016
10.15

定めた道を歩むには ─死ぬまで未熟─

2016-10-13-0006.jpg

 日々、自分の〈足りなさ〉〈至らなさ〉を痛感している。
 へ、「生前にそこを埋めておきたい」と話した。
 埋める方法を相談したつもりだったが、意外な答が返ってきた。
「もう、外からとり入れる必要はない。
 今、あなたが持っているもので救われている人々がいるのだから、後は、身につけた方法をさらに錬磨し、次代へ確かに受け渡すだけでよいのではないか」

 より勝れたものをもって、より多くの人々の苦を抜き、より多くの人々へ楽を与えたいという勝義心(ショウギシン)のイメージに偏りがあった。
 自分に力が足りないのは事実だが、そこを埋める方法についての思量が足りなかった。
 中年になってから出家したこともあり、たとえば堤防工事なら、より高度な工法を会得するためにには、若くしてプロとなった人々の何倍もの努力が必要だであると覚悟し、やってきた。
 は、残された時間の少ない中で、自分にできる工法そのものの限りない高度化をはかるよりも、自分で使える工法の精度を高め、それをバトンタッチすることに優先順位をつけてはどうかと諭されたのだ。

 目が覚める思いだった。
 そう言えば、遠方に住み、遠隔加持(エンカクカジ)を受けている信徒さんから、自分で出来る祈り方を求められ、伝えた時の達成感は大きかった。
 それは、いわば自分の血肉を分け与えるに等しいが、法の血肉は分け与えても決して減らない。
 分け与える行為そのものが、法をより確かなものへと昇華させる。

 行者は何をすべきか?
 一歩、踏み出した者にとって離れようのない大問題への答は、行者自身の年齢によって変わるのだ。
 懺悔(サンゲ…自らを省みて悔い、他者と社会へ恥じる)して慈悲心を清め、精進して智慧を深めるという一本道でも、菩提心(ボダイシン…まっとうに生きる心)と勝義心(ショウギシン…無限の向上心)のはたらかせ方は違う。

 中年になってから出家し、ご加持(カジ)の法を体得してすぐに一山を開基したA氏を思い出す。
 氏は、宗派が定めた修行の段階をすべて終えたわけではない。
 しかし、実際に救われた人々の求めに応じて場を造り、身につけた修法を駆使して訪れる人々を救っている。
 一個の身体を持って生まれる人間には、手を伸ばす範囲にも、この世にいられる時間にも限りがある。
 お大様はほとんど無限とも思える修法を確立されたが、一凡人に縁となり、駆使できるものはごくごく限られている。
 それをやるしかない。

 医など科学の世界に住む方々と接していると、方法の日進月歩が実感される。
 日々、より進んだ〈救い方〉があみ出され続けている。
 しかし、宗教の世界では、応用法に工夫の余地はあっても、お大様ほどの行者が確立した手法そのものにはまったく手のつけようがないし、すべての手法を、実際に駆使できるレベルまで会得することは不可能だ。
 行者は身につけた範囲のものを磨き、必要とする方のために役立てればそれでよい。
 それが本ものであるかどうかは、自分ではわからない。
 しかし、結果は、ご本尊様と、ゆかりを求める人々が教えてくれる。

 お大様は説かれた。
「自分で功徳の力をつけ、如来様のご加持力をいただき、社会や自然や宇宙の限りないお力を受け、普く供養する心で生きるのが行者のつとめである」
 これは何も行者に限った真実ではない。
 よき願いを持つ人は誰でも、自力や他力といった固定観念を離れ、こうした気持で精進の日々を過ごせば、必ず、その目的とその人に見合った最上の結果が得られることだろう。
 結果にモノサシを当て、50点、100点と点数をつけることは無意味だ。
 その人にとってそうして過ごす以上の方法はなく、得られた結果がその人にとってそれ以上にあり得なければ、何とどう比べられようか。

 若いころはたくさん詰め込もう。
 年をとったら錬磨を深めよう。
 実に、人は死ぬまで未熟、死ぬまで勉強だ。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

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2016
10.06

漢文『法句経』を読んでみる(その9) ─正しい信じ方は?─

2016-10-06-0001.jpg

 前回にひき続き、今回も『法句経(ホックキョウ)』の「篤信品(トクシンボン)第四」を最後まで意訳してみましょう。

〔八二〕賢夫(ケンプ)に習(シュウ)し、智あるに習(シュウ)せよ。清流を楽仰(ギョウゴウ)して、善(ヨ)く水を取るが如(ゴト)し。思い冷たくして擾(ミダ)れず。


仏弟子に慣れ親しみ、智慧ある人とつきあうべし。清流を尊び、求め、よい水が得られるように、煩悩が燃え上がらず、心は澄み、乱れなくなる)

〔八三〕信(しん)あるは他(た)を染(そ)めず、唯(た)だ賢(けん)と仁(じん)のみ。可好(かこう)は則(すなわ)ち学(まな)び、非好(ひこう)は則(すなわ)ち遠(とお)ざく。


仏道を信じている人は他者の心を悪しく染めない。智慧と慈悲ある人のみが善く染める。仏道修行にとって好ましい人には学び、好ましくない人は遠ざけねばならない)

〔八四〕信(しん)を我(わ)が輿(こし)と為(な)せば、我(わ)が載(さい)を知(し)ること莫(な)し。大象(ダイぞう)の調(ちょう)するが如(ごと)く、自(みずか)ら調(ちょう)するは最勝(さいしょう)なり。


仏道を人生の乗り物とすれば、自分の我欲が行き先をあれこれと迷うことはなくなる。優れた象がすぐに調教に馴染み、手をかけさせないのと同じく、自分を仏道によって調御するのは最もよい方法である)

〔八五〕信(しん)も財(ざい)、戒(かい)も財(ざい)、慚(ざん)と愧(き)も亦(ま)た財(ざい)、聞(もん)も財(ざい)、施(せ)も財(ざい)、慧(え)とを七(しち)の財(ざい)と為(な)す。


信仰も、持戒も、自分で罪を恥じることも、告白して罪を恥じることも、仏法を聞くことも、布施も、智慧も、篤く信じることによって得られる財物である)

〔八六〕信(しん)に従(したが)い戒(かい)を守(まも)り、常(つね)に浄(きよ)く法(ほう)を観(かん)じ、慧(え)もて利行(りぎょう)して、奉敬(ほうけい)して忘(わす)れず。


(信じるところに従って戒律を守り、いつも清浄な心で真理を見すえ、智慧によって自他のために仏道を生かし、仏法を敬い尊んで心から離さない)

〔八七〕生(う)まれて此(こ)の財(ざい)有(あ)り、男女(なんにょ)を問(と)わず、終(つい)に以(もっ)て貧(ひん)ならず、賢者(けんじゃ)は真(しん)を識(し)る。


(人は生まれながらにして、篤く信じることによって生ずるこのような財物を持っており、男女を問わず、心は貧しくない。賢者はその真実を知る者である)

 仏道を信じることの意義や価値がくわしく説かれています。
 教えは学ばないと知り得ませんが、知っただけでは人生を動かしません。
 そこにある真理や真実に心を打たれ、納得したならば、それまでの自分を引っぱり、後押ししてきた「我(ガ)」を導き手とし続けるのではなく、真理や真実にこそ、生き方を合わせて進みたいものです。
 人格の陶冶(トウヤ)も、人生の向上もそこで行われ、決して減らず壊れない真の宝ものが生まれます。

 最後の教えは、私たちが生まれながらにして仏法を実現する力に恵まれていると説いています。
 そのことを知り、真理・真実に自分を合わせることによって力を発揮し、仏法に生きるのが賢者です。
 精進しない賢者はあり得ません。
 自力も他力も論(アゲツラ)う必要はなく、生まれ持った尊い種があることに気づき、智慧による水や養分や日光や温度を与え、花を咲かせるのみです。
 仏性を持たない人はなく、精進なくして得られる成果もまた、ないのです。
 お釈迦様は、生きながらにして、本来のみ仏と成ることの大切さを説かれました。
 智慧によってそれを知ったならば、精進によって結果を出すのみです。

 どう精進すればよいか?
 それを探求し続けたのが仏教の歴史であると言えます。
 縁となった教えについて、自分の頭で咀嚼(ソシャク)し、道理であると確信できたならば、黙々とやってみましょう。
 ただし、常に自分を省みて、未熟さや不明を恥じる姿勢は決して失わないようにしたいものです。
 さもないと、思考停止に陥ったり、頑なになったり、たやすく他者を誹謗したりといった悪弊に陥ります。
 だから、お釈迦様は、「川を渡る時にはいかに大切だった筏(イカダ)であろうと、対岸に着いたならば岸辺へ置き、その後は自分の足という別な道具によって先を目ざさねばならない」と説かれました。
 ある筏のみが頼りであると執着した途端、〈その先〉は望めないことでしょう。

 精進し、我執(ガシュウ)を離れ、他者の苦しみに目を背けず、他者のためになる。
 仏教はそうした柔軟で、包容力のある道を示しています。 




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2016
08.20

タカマツの金メダルと「覚えていない」考 ─会得を目ざす日本の文化─

2016-08-20-0001.jpg

 隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場で、聖ウルスラ学院英智高(仙台市)出身者がバドミントンで金メダルを獲得したことに話題が集まった。
 師範代は、高橋礼華選手(26才)が「19オールとなってから覚えていない」と言った話をとりあげた。
「身体が自然に動いていたんでしょうね」
 彼女はきっと、無心の状態で闘ったのだろう。
 こうやればこうなると、頭が余計な計算はしない。
 何かを得たり失ったりすることが気になりもしない。
 そして身体が動けばそれがきっと、その人にとって〈最善〉というものだろう。
 居合の行者が剣を手にしても同じである。
 刃筋が通り、ピタッと決まった時は、「そうなっている」と言うしかない。

 密教の行者が壇上で印を結び真言を唱え、ご本尊様の世界を観想して〈そこへ入ってしまう〉時と同じである。
 小生はこの状態を「法が通る」と言っている。
 行者の魂が神仏の世界やあの世へと通じてしまう。
 お大師様は、そのこと、すなわち「加持(カジ)」が書かれた『大日経』を発見しても、自分で読んだだけでは実際に通じさせる方法がわからなかった。
 だから海を渡り、伝授を求めてまっしぐらに行動された。
 そして、お大師様が受けた伝授は1200年を経た今でも、世界のどこかで続けられている。
 タカマツの試合ぶりは、私たちが〈そこへ入ってしまう〉時、最高の力が出せることを教えているのではないか。

 行者Aさんから質問された。
「サイコロを振って望みの目を出すという訓練を始めたのですが、丁半なら、どちらを念じても50パーセントの確立を上まわらなければならないのに、私はむしろ、下回ってしまいます。
 どうすればよいのでしょうか?」
 これも初心者によくある現象である。
 表面の意識では「丁」と念じたつもりでも、その底にある疑念や不安などが強いと、意識されない心の部分が〝そうはならない〟と反対に動いているのではないか。
 幾度やっても、心のはたらきが同じパターンであれば、結果は同じだ。
 もしも習い性になれば、結果は表面の意識が願う姿からどんどん遠ざかるかも知れない。
 ここを突破する方法は一つしかない。
 伝授された護身法(ゴシンポウ)をしっかり結び、単純に念ずるという訓練を繰り返すしかない。
 そうしているうちに疑念や不安が薄れ、心全体が単純に「丁」へと向かえば、必ず、「丁」の出る確立は50パーセントを超えてくる。

 タカマツは「覚えていない」状態で勝利した。
 居合の行者は「そうなっている」ところを目ざす。
 密教の行者は「法が通る」ところまでやらねば修法を行ったことにはならない。

 リオデジャネイロのオリンピックで顕著な日本選手の逆転劇には、何かを〈会得〉したという共通の精神的背景があるのかも知れない。
 この〈会得〉こそ、精進(ショウジン)を尊ぶ私たちの文化が持つ精華なのではなかろうか。
 8月7日、フランスのトマ・ブエル氏は、女子体操で活躍する日本人について、「小さなピカチュウがいっぱいだ」「小さい人たちが喜んでいるよ」と中継した。
 差別ではないかという声も上がったらしいが、身体の大きさについてはともかく、日本の文化と日本人のふるまい方がヨーロッパ文化圏の人々からどう見られているのかという興味深い示唆だったと思う。
 科学的関心を高く持ち、狭い国土で大きな人口を養うために何ごとも効率を高め、よいものや、おもしろいものには無心で飛びつく。
 しかし、私たちにはそれだけでなく、とことん自分を鍛え、〈会得〉を目ざすという不退転の文化もある。
 高橋礼華選手の「覚えていない」は歴史に残る言葉となるのではなかろうか。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2016
08.12

仏法を学ぶ価値は? ─漢文『法句経』を読んでみる(その5)─

2016-08-12-0001.jpg

 寺院や寺子屋 ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
 当山では、寺子屋やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。

 小生の土台はこの教えによってつくられました。
 中年にしてこの道へ入った小生は、『法句経』を読み、自分は肝腎なことをいかに知らなかったか、また、知らずに知ったつもりでいたか、痛感させられました。
 ここにある教えはいずれも難しい哲理などではありません。
 中学生ほどの読解力があれば、誰でも〝そうか〟となる範囲のものです。
 それでもなお、〝そうだった……〟あるいは〝──そうなのか〟と心の目を見開かされる思いになることでしょう。

 どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
 新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)
 前回に続き【教学品(キョウガクホン)第二】です。

 これより【多聞品(タモンボン)第三】へ入ります。

多聞品(タモンボン)とは、亦(マ)た聞きて学ぶを勧めて聞(モン)を積みて聖を成(ジョウ)じ、自ら正覚(ショウガク)を致す。


多聞品は説く。教えを聞いて学ぶよう勧め、聞いた教えを心に積んで己を清め、自ら正しい悟りを完成せしめる)

〔五一〕多聞(タモン)を能(ヨ)く持すること固く、法を奉ずるを垣墻(エンショウ)と為(ナ)し、精進して踰(コ)え毀(ヤブ)ること難くす。是れに従(ヨ)りて戒と慧(エ)成(ジョウ)ず。


(たくさんの教えを聞いて固く保ち、仏法を報じて心の垣根とし、精進して煩悩が侵入しにくくする。これによって戒めは守られ、智慧が生ずる)

〔五二〕多聞(タモン)は志を明らかならしめ、已に明らかなれば智慧増し、智則ち博(ヒロ)ければ義を解(ゲ)し、義を見れば法を行ずること安し。


(たくさんの教えを聞けば志すところが明らかになり、明らかになれば智慧が増し、智慧が博くなれば教義が理解でき、教義を理解すれば仏法の修行が順調に進む)

〔五三〕多聞(タモン)は能(ヨ)く憂いを除き、能(ヨ)く定(ジョウ)を以(モッ)て歓びと為す。善く甘露の法を説き、自ずから泥?(ナイオン)を得るを致す。


(たくさんの教えを聞けば憂いが除かれ、念入りに行う瞑想が喜びとなる。他者へ熱心にみ仏の教えを説き、いつしか自分も涅槃へ赴く)

〔五四〕聞きて法律を知ると為し、疑いを解き亦(マ)た正しきを見、聞(モン)に従いて非法を捨て、行きて不死の処(トコロ)に到る。


(教えを聞いて仏法戒律とを知り、疑問を解き正しい道を見出し、教えを聞くに従ってためにならぬことを捨て去り、絶対安寧の境地に達する)

〔五五〕為に能(ヨ)く師は道を現わし、疑いを解きては明らかなるを学ばしむ。亦(マ)た清浄の本を興し、能(ヨ)く法蔵を奉持(ブジ)せしむ。


(絶対安寧の境地へ導くために、師は道筋を示し、疑問を解いて明らかにそれを知ることができるよう学ばせる。また、清浄な教えの本を興し、たくさんの教えを尊び護持させる)

〔五六〕能(ヨ)く摂(セッ)すれば義を解(ゲ)するを為し、解(ゲ)すれば則ち戒は穿(ウガ)たれず。法を受け法に猗(ヨ)らば、是(コ)れに従(ヨ)りて疾(ト)く安きを得ん。


(心や感覚器官の働きを制御すれば教えの道筋を理解し、理解すれば戒律は破られない。教えを受け、教えに依って修行を進めれば、これによって速やかに絶対安寧の境地へ入られる9

〔五七〕若(モ)し多少聞くこと有りて、自ら大とし以(モッ)て人に?(オゴ)らば、是(コ)れ盲(モウ)の燭(トモシビ)を執(ト)りて、彼を照らすも、自らは明らかならざるが如(ゴト)し。


(もしも、教えを多少聞き、自分は大したものになったと過信して他人へ威張れば、目の見えない人が灯火を手にするようなものである。灯火は彼を照らしても、彼はその明かりで周囲がよく見えるわけではない)

〔五八〕夫(ソ)れ爵・位・財を求め、尊貴なること天福(テンプク)に升(ノボ)るも、弁と慧(エ)あるの世間に悍(タケ)きは、斯(コ)れ聞(モン)を第一と為(ナ)す。


(名誉や地位や財産を求め、神のごとき王になろうとも、正しい言葉と智慧をもって人を救う力がある者としては、教えを聞いて悟った者が一番であり、かなわない))

〔五九〕帝王の聘礼(ビョウライ)は聞(モン)なり、天上天(テンジョウテン)も亦(マ)た然(シカ)り。聞(モン)を第一蔵と為(ナ)さば、最も富み旅力(リョリキ)強し。


(帝王が遠く臣下を派遣して礼を尽くし学ぶのも教えを聞くためであり、天界の最上位にあろうとも同じである。悟った聖者の教えを会得すれば最高の富を得、あらゆる力を発揮できる)

〔六〇〕智者は聞(モン)の為(タメ)に屈し、道(ドウ)を好む者も亦(マ)た楽しむ。王者は心を尽くして事(ツカ)う、釈・梵(ボン)と雖(イエド)も亦(マ)た然(シカ)り。


智慧ある者は教えを聞くために礼を尽くし、道を求める者もまた聞いて満足する。王は聖者にまごころで仕え、帝釈天〔タイシャクテン)〕や梵天〔ボンテン〕といった神々も同じである)




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2016
04.29

漢文『法句経』を読んでみる(その4)

2016-04-29-0001.jpg
〈陽の薄い曇り日に〉

 寺院や寺子屋 ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
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 前回に続き【教学品(キョウガクホン)第二】です。

〔三一〕起(タ)ちて義を覚(サト)らんとする者は、学びて滅すること以(モッ)て固し。着(ジャク)滅(メッ)して自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なること、損(ソン)じて興(オコ)らず。


(一念発起して教えを理解しようとする者は、学び、煩悩が滅して再び迷わない。執着心が滅し、煩悩のままに翻弄されることはなくなる)

〔三二〕是(コ)れ向かうに強さを以(モッ)てし、是(コ)れ学ぶに中(マゴコロ)を得(エ)、是(コ)れに従(ヨ)りて義を解(ゲ)し、宜(ヨロ)しく行(ギョウ)を憶念(オクネン)すべし。


修行は強い志をもって行い、学ぶには苦行と怠惰を離れた瞑想によって精進し、学んで教えを理解し、なすべき修行を離れるなかれ)

〔三三〕学ぶには先(マ)ず母(モト)を断じ、君(キミ)と二臣(ニシン)を率(ヒキ)い、諸(モロモロ)の営従(エイジュウ)を廃す。是(コ)れ上道(ジョウドウ)の人なり。


(学ぶにはまず、自分可愛さを断ち、思い上がりを離れ、外道の見解や律に影響されず、それらの世界から毅然と離れて進む。これが腰の定まった行者である)

〔三四〕学ぶに朋類(ホウルイ)無く、友(ゼンユウ)を得(エ)ざれば、寧(ムシ)ろ独(ヒト)りを守りて、愚と偕(トモ)ならざれ。


(学ぶのに、自分にふさわしい同志がなく、き同輩を得られなければ、いたずらに仲間を探すことなくたった一人で行に邁進し、愚かしい人間と縁を結ぶなかれ)

〔三五〕を楽しみ行を学ぶに、奚(ナン)ぞ伴(トモ)を用いることを為(ナ)さん。独(ヒト)り(ヨ)く憂い無きは、空野(クウヤ)の象の如(ゴト)し。


めに沿った生活を楽しみ、修行を学ぶのにどうして同伴者が必要であろうか。一人で行を実践し憂いなく生きる行者は、広大な野を悠然と歩む象のように悠然たる者である)

〔三六〕と聞(モン)は倶(トモ)に善(ヨ)く、二者(ニシャ)孰(イズ)れか賢(マサ)らん。方(マサ)には聞(モン)に称(カナ)う、宜(ヨロ)しく諦(アキ)らかに学行すべし。


めを守ることと、教えを聞くことは両方ともに善きことであり、いずれが勝るということはない。戒めを守ってはじめて教えを聞く資格がある。しっかり明確に学び実践せよ)

〔三七〕学ぶに先(マ)ず戒を護り、開閉(カイヘイ)に必ず固くして、施して受くること無く、仂行(リョクギョウ)して臥(フ)すこと勿(ナ)かれ。


(学ぶにはまず戒めを守り、心を放恣にせず、他のためになっても我がものを得ようとせず、精進して怠けるなかれ)

〔三八〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、邪(ヨコシマ)に学びて不善を志(ココロザ)さば、生(セイ)一日にして、精進して正法(ショウボウ)を受くるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、邪道を学んで善からぬ生き方をするならば、たった一日であろうと、精進して正しい道理を学ぶ価値とは比べようもない)

〔三九〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、火を奉じ異術(イジュツ)を修さば、須臾(シュユ)の頃(アイダ)に、戒に事(ツカ)うる者の、福の称(タタ)うるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、林の中で火の神に仕える術を修するならば、たとえひとときでも、戒めを守る行者の福徳をたたえて供養することに及ばない)

〔四〇〕能(ヨ)く行ずるは之(コレ)を可と説くも、能(アタ)わずして空語(クウゴ)する勿(ナ)かれ。虚偽(キョギ)にして誠信(セイシン)無きは、智者の屏棄(ヘイキ)する所なり。


(懸命に修行するのは善きことだが、悟りを得てもいないのにそれらしい言葉をはくなど空虚なことを行ってはならない。偽って不誠実、教えを心から信じていないのは智者が排する態度である)




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