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2011
02.21

2月の俳句

 俳人で信徒総代でもある鈴木妙朋さん(仙台市太白区在住)が作った2月俳句です。

降り癖のついて音なく又も

 これでもかとばかり降り続くを「降り癖」がついたとは……。
 窓ガラス外を、白片が間断なく舞い降りる。
 落下はしきりに続き、──続く。
 見えるだけでしかなく、音がまったく伴っていない光景を眺めていると、この世ならぬ思いすら起こる。

独り居の項(ウナジ)に残るさかな

 さは項に受け、後頭部と背中に伝わる。たった一枚のマフラーが、ブルッとする感じを遠ざける。
 マフラーを着ける理由は項を守るためだろうか。
 独り暮らしの空間では、いつまでも気が去らない。
 小さな項は、家中の気すべてを引き受けてしまう。

おろそかになりがち一人居(カン)(クリヤ)

 家を一軒丸ごと暖房してしまう現代人に「」はイメージしにくいかも知れない。
 ガランとした台所がある古いタイプの家では、いつも人のいる居間は暖房で暖かくても、調理の時しか使わない(台所)はとびきり寒い。
 一人暮らしでいると、寒さが余計に足を遠のかせる。

腰痛にヅカヅカと来し寒さかな

 腰痛の強敵は寒さ。
 腰痛持ちの人は人一倍、天気予報が気になる。
 気にしたからといってどうなるものでもないが、やはり気にする。
 そして、やって来た寒気は情け容赦なく痛みをもたらす。
「ヅカヅカと」は、自然と自分との境にあるベールを一枚矧いだ言葉である。

熱あつの飯に割り入れ寒玉子

 小寒から節分までを「寒の時期」といい、その間にできた卵は特に滋養が豊富で身体に良いだけでなく、金運をももたらすと言われ、珍重される。
 高浜虚子は「ぬく飯に落して円か寒玉子」と詠んだ。
 虚子の卵は飯の表面を丸く覆ったが、作者は真ん中の穴に入れた。

ぽたぽたと(ユキシズク)の日のひかり

 春が来て氷のように固く積もっていたが融け出すと、屋根や樹木からが垂れて陽光に光る。
 高い樹の枝から落ちるも、しゃがんで見る盆栽から落ちるも、等しく一瞬の光をもたらす。
 廻り来た陽の気配は喜びと安心と勇気を与え、煌めきには希望も芽生える。

転ばぬやうの朝は滑らぬやう

 切実な句だが、どこかユーモアもある。
 年をとると転倒は最大の恐怖だ。
 ケガが治りにくいだけでなく、じっとしているとたちまち精気が薄れ、パワーを回復するのに時間がかかる。
 文字どおり恐る恐る動く自分を観る〈もう一人の自分〉の眼は優しい。

妖し気なの啼き声春隣

 故美空ひばりは「七色の声」とうたわれたが、ネコも負けてはいない。
 ネコ好きはちゃんと声を聞き分ける。
(西洋の人々は、日本人と違って蝉などの声を聞き分けないらしい。ネコはどうなのだろう)
「節」が来ると、それぞれなりに凝った声を出して賑やかになる。

などはどこ吹く風かうちの

 作者の相棒は、いかにも〈犬でないネコ〉らしく、悠然と我が道を行く性格だ。
 年をとるといっそう、堂々としているのだろう。
 それにしても、我が家のクロは寂しがり屋で、ネコなのに人間の側を好む。
 しかし、やはり年のせいか、静寂をも好むようになった。

昨夜の風つめたく朝に残す

 夕べの風は酷く冷たいと思っていたら、夜半に降り出したであろう雪が朝になっても降り続いているといった状況なのだろうか?
「雪残す」には、「もう、そろそろ降らなくても良い時期なのに、朝になってまだ、降っているの?」という気持が隠れているのだろうか。

〈その一瞬(c0124256_21365980.jpgさんからお借りして加工しました)〉
23022110.jpg




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
06.27

6月の俳句 2

 俳人で信徒総代でもある鈴木妙朋さん(仙台市太白区在住)の句です。妙朋さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって俳句を投稿しておられます。(掲載が月遅れになる場合があります)

父の日や額あじさゐの額開く

                                     
 六月の第三日曜日とされる父の日は、南北戦争後、男手一つで育てられたアメリカ人J・B・ドット夫人の発案による。
 昭和47年にアメリカで国民の祝日とされ、バラを贈る習慣となった。
 この頃、日本で花開く潔く、力強い額紫陽花は、父のイメージである。

父の日やむかし旧家太柱


 旧家に残る太い柱には惚れ惚れする。
 家を形作り屋根を支え、揺るがずに立ち続ける数十年、あるいは数百年……。
 壁を塗り替えたり畳を新しくしたりはするが、柱には手をつけられない。
 手をつけさせる必要もない。
 感謝されにくい、なくてはならぬもの……。

まあいいか自問自答の更衣(コロモガエ)


 更衣の季節になると、しまっておいた衣類を取り出し、あれこれと着方を考える。
 新たな季節は、着るモノと一緒に気持も新しくしてくれる。
 しかし、いきなりは切り替わらない。
 今まで浸っていた気分から抜け出る時期のちょっとした途惑いが表れている。

紫の着物思はす花菖蒲


 花菖蒲の紫色は一枚一枚の葉の中に変化があり、薫風に任せて揺れる時は、光り具合で微妙な変化を見せる。
 着物の色もまた、着る人の動きや仕草によってさまざまな味わいをかもし出す。
 永年、和服に親しんだ作者ならではの連想である。

古茶淹(イ)れて一人ぐらしを存分


 新しいお茶が出回ると、前年に作られたお茶は「古茶」と呼ばれる。
 新茶が喜ばれる一方で、今まであったお茶の値打ちが急に下がってしまう。
 一人暮らしなら、誰を気にして古い、新しいと言うこともない。
 むしろ、古いお茶に変わらず親しむ安心感こそ絶品。

梅雨曇仕立屋は灯を低くして


 梅雨どきは、厚い雲によって昼間でもかなり暗くなり、本を読む時は電灯を灯さねばならない場合もある。
 細かな仕事をする仕立屋さんならなお一層、暗さを強く感じることだろう。
 台を横から照らす電灯の首を曲げて低くするという小さな動作が感興を呼んだ。

木漏れ日の風に吹かるる梅雨


 当山では、早くも黄揚羽を見かけた。
 風が強く吹くと、地面のあちこちにできている水たまりへ落ちはしまいかと心配になる。
 空から射す木漏れ日と地面に広がる水たまり。
 その天国と地獄の間で舞い、つかの間のいのちを精一杯に輝かせる一羽の

ままならぬ疼く腰痛梅雨じめり


 腰痛は決して招きたくない客であるが、時折、前触れなくやって来ては悩ます。
 早く去ってもらいたいのに居座り、ままならない。
 梅雨どきは湿気と、暑さの合間に急降下する気温が腰痛を呼ぶ。
 じめじめした湿気もまた、招かざる客だが、どうしようもない。

腰痛のときどきありぬ蛞蝓(ナメクジ)


 前の句に共通する腰痛と湿気の関係である。
 ナメクジをじっと眺めながら腰痛に耐えておられる姿を想像するのは辛いが、悲壮感のようなものは、不思議と、湧いてこない。
 状況を抱えきってしまった作者の強さだろうか。
 作品が確固と立っているからだろうか。



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