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2016
10.10

埋骨の場をどう考えるか? ─人間は「死者守動物」─

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ウナムーノ

 ある時、はたらきざかりのご主人を失ったAさんが、おを建てた。
 家族のため懸命にはたらき、寸暇を惜しんでは家族を自然の中へ連れて行き、生活の中にも自然の気配や香りを取り込もうとしていたご主人のために、姿を整えられた石造ではあるが、石が持つ自然性も残したおである。
 できあがりを見て、そのことを指摘したらAさんは目を輝かせ、短く答えた。
「私には譲れなかったんです」
 誰に対して何を譲れず、何を現出させたのか?
 詳しくは語らなかったが、言わんとすることは十二分に伝わってきた。

 秋晴れかと思うと、すぐに雨模様となり、寒さも伴うこの時期は、お納骨や、お開眼供養を行うその時まで天候が気になる。
 雨風の中で修法すること自体は慣れているのでほとんど苦にならないが、参列される方々の中におられるご年配の方が健康を崩されはしまいかと気づかってしまう。
 だから、修法できる条件で始められると、「天気がもってくれてよかったですね」あるいは「いいお天気で何よりでしたね」が最初に交わす言葉となる。
 その日もそうだった。
 ただし、修法後のひとことを、皆さんはいつも以上に強いまなざしで受けとめてくださった。
「お骨を納め、手を合わせる場は、ご一家、ご一族にとって、仏神に守られた聖地です。
 ずっと、大切にお守りください」
 スペイン出身の哲学者ミゲル・デ・ウナムーノの言葉を思い出した。

「私は死なねばならないという考えと、その後には何があるのかという謎、それは、私の意識の鼓動そのものなのだ」(以下、『生の悲劇的感情』より)

「人間を他の動物と最も明確に区別するものは、人間は何らかの形で死者を保管し、万物を生み出す母なる大地の恣意にまかせるようなないがしろな態度は決してとらないということであるといえよう。
 つまり、人間は、死者守(モリ)動物なのである。

「生きている者のために、不順な天候が破壊してしまうような土の家や藁小屋しか作らなかった時代に、死者たちのためにはすでに墳が建造されていた。
 石は、住居よりも以前に、のために用いられたのである。

「これは病気であろうか。
 そうかも知れない。
 しかし、病気を気にしない者は、健康をも軽んずる。
 そして人間は、本質的、実体的に病める動物なのである。」

「しかし、その病気はまた、力強いすべての健康の源泉でもあるのだ。


 こうした真実を告げる言葉に解釈は不要だろう。
 参列された皆さんが、涙を浮かべつつ見開いていた瞳には、確かに、まぎれもなく〈健康〉な、澄んで〈力強い〉光が感じられた。

 何も、個別のおを建てることだけを称賛しているのではない。
 送り、納める方法を考えに考え、決心し、埋骨の場に最大の畏敬の念を保ち続けること。
 それこそ、人間が、ウナムーノの言う「死者守動物」である真姿に生きる道ではなかろうか。
 今日もまた、人生相談の方々と、〈病める動物〉同士の対話を行う。
 そこに真実が顕れることを願いながら。




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2015
08.13

すばらしい自然と穢す人間 ―チェルノブイリ、沖縄に思う―

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 チェルノブイリにおいて、事故からわずか20数年後には自然界が復活したことに関し、自然界は大きな力を持っており、人間は自然界の邪魔者ではないか、また、そうした認識もなく、原発事故の処置もできぬままに再稼働をする私たちに対し、お釈迦様ならどうおっしゃるだろうかというご質問をいただきました。
 お釈迦様のお心についてはとてもお答えしかねますが、一仏教徒として雑感を書いてみます。

 人間も自然の一部ですが、他の生きものたちと決定的に異なるのは、〈反自然〉や〈非自然〉なるモノを作り出すというところにあります。
 医薬品は人間を長生きさせ、農薬は稲を大量に収穫させますが、その一方ではその反自然性や非自然性が、私たちに気づく形で、あるいは気づかない形で自然を破壊し、人間そのものをも破壊しつつあります。
 環境破壊、種の絶滅、あるいは各種アレルギーや精神的病気の増加などから、私たちは現代文明が孕む巨大な歪みを感じとっています。
 見えつつある恐ろしい因果関係はあまりに規模が巨大過ぎるため、私たち一人一人は何をすればよいかわからず、わかっても〈蟷螂(トウロウ…カマキリ)の斧〉の無力さにたじろぎ、すくみ、動けなくなっています。
 また、せっかく〈気づいた者〉となっても、麻薬のように効く便利さや快適さや利益の前に、負の因果関係から目を逸らしてしまいます。
 しかし、たとえば今、沖縄で起こっている基地問題は二重の意味で重大な問題を私たちへ突きつけています。

1 外国軍の基地を拒否するアメリカからの本格的な独立運動が起こったこと

 およそ世界の独立国で、首都のど真ん中に他国軍(米軍)が自由に飛行できる空域を設け、他国軍の基地(横田基地など)を通って出入りする人間がノーチェックなどという状況は、日本以外、あり得ないでしょう。
 沖縄では、敗戦によって住民が追い出された場所(全島の18パーセント)、そして上空のすべてが進駐した米軍にいまだ、占領されたままになっています。
 こうした中で半世紀以上も被占領者として塗炭の苦しみを負わされた人びとが、あたかも自由意志であるかのように新たな基地の建設を認めるなどということは耐えられるはずがありません。
 私たちは原発を止めようとして止められず、アメリカでは住宅街を避けコウモリの棲息にすら注意しながら用いられているオスプレイの全国的自由飛行を止められず、若者たちを国外の戦地へ送られようとしています。
 これほど明らかな〈非占領状態〉に対して本土の人々は鈍感ですが、毎日、現実的苦しみを味わってきた沖縄の人々は、我慢の限界を超えたのでしょう。
 
2 自然を破壊して基地を造るという行為への正面切った反対運動が起こったこと

 生きものである人間のいのちを食物によって支えてくれる自然、社会生活で疲れた私たちの心身を回復させてくれる自然に対する取り返しのつかぬ破壊と、自然に代わって戦争のための基地が現れることは、自然と親しみ合って暮らす沖縄の人々に耐え難いのです。
 これまで、心身の不調を訴えて当山を訪れた方々のうち幾人もが、御守などを手にして沖縄方面へ足を向け、回復のお礼参りに来られました。
 皆さんが口々に言われるのは、海の美しさと生きものたちの豊かさです。
 私たちが自己快癒力によって当病平癒が実現する場合の「自己」とは、〈自然の一部としての自分〉ではないでしょうか。
 本来の〈自然〉に無理がかかった時、不調になるのではないでしょうか。
 ならば、大自然は文字どおり私たちの故郷であり、母なのではないでしょうか。
 反自然の最たるものが殺人であり、戦争であり、それを最も嫌うのが母です。
 自然と基地との問題は、文明の行く末を考える時、決して避けては通れないはずです。

 さて、ここまできた人間はもはや、自然界にとって邪魔者でしかないのかという問いへ仏教徒として答えるならば、やはり輪廻転生(リンネテンショウ)と因果応報に依るしかありません。
 輪廻転生を観れば、目に見えぬいのちの世界から目に見えるいのちの世界へ生じ、再び見えぬいのちの世界へ還ってゆく者としての人間は、他の生きものたちと何ら変わらないという真実に気づきます。
 そして、いのちあるものたちがすべて、苦を厭っていることもわかります。
 また、人間以外の生きものはすべて、生きるという宿命的欲望を超えてまで他の生きもののいのちを奪いません。
 しかも霊性という高度な意識を持った人間は、そうしたありようを知り、判断し行動できます。
 ならば、モノ金を求めるなど勝手な目的で人間を含む他の生きものへ苦を与えることに何らの意義もなく、そうした行動は本来のありように背くという意味で穢れていると言えます。
 穢れの最たるものが殺人であり、戦争です。
 まず、これを止めることが、人間が〈邪魔者〉とならないための出発点ではないでしょうか。

 一方、私たちは、こうすればこうなるという因果応報を直感的に知っています。
 目前の現象としてはすぐに因と果の糸を結べなくても、心を深めれば、あらゆるものが糸で結ばれていることが疑いもない真理であると気づきます。
 自分がどう考え、何を語り、何をするかによって、必ずいつか、何らかの形で現象世界へ変化が現れます。
 温かい心と行為と言葉と笑顔が人の心を温め、自分も又、温かい心と行為と言葉と笑顔によって温められることを知っています。
 ならば、共に温め合うしかないではありませんか。
 私たちが自然界にとって、他人にとって〈邪魔者〉とならないために大切なのは、思いやりをもって生きることではないでしょうか。

 お釈迦様は「悪を為してはならない、善を為せ、自分を清めよ」と説かれました。
 ありがたいと思います。
 



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2015
06.07

天災と思いやりと ―東日本大震災被災の記 第167回―

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 東日本大震災から1500日が過ぎてなお、ご遺骨を手放せない方々がおられる。
 人生相談に来られたAさんは呟く。

「主人は海が生きがい、というより、海そのもののような人でした。
 しかし、私は今でも自分から海を眺める気にはなれません。
 こうしてウグイスの声を聴くと、ずうっとここにいたいと思ってしまいます。
 毎日、夫のお骨に語りかけます。
 あなたはどこで眠りたいの?
 私はまだ、夢遊病者のようです」

 一緒に考えた。

「そもそも、東日本大震災とは何だったのでしょうね」

 あれは天災だった。
 世界中のあらゆるものは、因果応報の原理によって、生まれ、留まり、崩れ、消えて行く。
 人もネコも、家も山も。
 世界は単純でなく、二つの要素が絡み合っている。
 一つは、それ自身の力が動き、変化してやまない「自然」というモノの世界。
 もう一つは、無限の過去から無限の未来までつながる(ゴウ)という影響力の糸を紡いでやまない「生」の世界。
 天災は、あらゆるを無化しようとするかのように襲い来る凄まじい自然の牙である。
 噛まれたならばそれまで――、無常である。
 5月30日、異常震域というタイプの地震が発生し、日本全国が揺れた。
 北海道から九州まで、免れられる場所はなかった。
 6月5日、マレーシアのボルネオ島でマグニチュード6.0の地震が起き、日本人を含む17人の安否がわからない。
 マレーシアは、タイ、シンガポールと並んで地震の起きない国とされてきたが、地球の〈皺〉はすべて地殻変動の結果なので、そもそも地震とまったく関係のない場所はどこにもない。
 私たちはこうして時折、自然から峻厳な事実を突きつけられる。

 さて、の話である。
 免れ得ない自然現象が発生した時、私たちはそこでいかに行動し、そしてその後、いかに行動したか。
 ここでは生が主人公であり、が動く。
 あるいは逃げ切り、あるいは逃げ切れなかった。
 結果は生と死とに分かれたが、人間がつくるは複雑だ。
 いずれにしてもはっきりしているのは、私たちが〈助け合った〉ということである。
 宗教も信条も人種も超えた思いやりが主人公となり、私たちは支え合ってここまで来ている。

 平成23年6月、被災証明書があれば高速道路を無料で通行できることになった措置に伴い、種々の問題が発生したおり、岩手県住田町長多田欽一氏は、「被災証明書はやみくもに出さない」という方針を表明した。
「国が東北地方の高速道路無料化を制度化したのは、大きな被害を受けた人の復興支援という趣旨のはずです。
 津波ですべてを流された人と、半日停電しただけで物的被害もない人が、同じレベルで復興支援の恩恵を受けるのは、本当に正しいかと考えました」
 最初は不満もあったが、方針を丁寧に説明することによって理解が広まり、町民の多くは無料通行を遠慮した。

 平成24年12月、静岡県島田市の桜井勝郎町長は、岩手県山田町の瓦礫を試験焼却することにした。
 静岡県知事川勝平太氏の「ゴミ処理能力の1パーセントで震災瓦礫の受け入れをしよう」という呼びかけに応じたのだ。
「被災者の苦境を思えば、援助できる者が援助するのは当たり前。
 自治体のトップは余裕があるなら腹をくくって、がれきを受け入れるべきだ。
 最終処分場がないというのはいい訳。
 必要なのは気持だ。
 この際、首長の独断でがれきの処理をやるべきだ」
 風評被害の怖れなどから、当初は賛成するメールは2パーセントほどだったが、やがて、賛成が多くなり、事は動き出した。

 私たちは自然の力によって〈無常〉の現実を突きつけられた。
 しかし、危機に瀕した私たちは隠れていた霊性を発揮し、すばらしい善業(ゼンゴウ)を積みつつここまで来た。
 最近では、その二つとも、忘れかけてはいないだろうか?
 無常を忘れ、過剰な欲に走ってはいないか?
 霊性を忘れ、自己中心、地域エゴに走ってはいないか?
 大切なことを忘れず精進し、生者の側に残った者としての役割を果たしたい。

 Aさんは、被災した仲間と一緒に小さな活動をしておられる。
「そうですよね。
 相手は自然だから、どうしようもなかったんですよね……。
 寒い中を焚き火や炊き出しで過ごしたのは、思いやりがあったからなんですよね……。」
 ご主人のお骨の行方についても整理がついてきたような気がしますと言い、笑顔で帰られた。
 あれは何だったのか、私たちはどう行動しながらここまで来たのか。
 考え、忘れずに過ごしてゆきたい。




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2015
01.28

春祭厄除千枚護摩祈祷のお知らせ ―厄年の注意事項―

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 厄年とは何でしょうか?
 それは、自然の運行に春夏秋冬などのリズムがあるように、自然の一部である私たちの運気にもリズムがあり、そのうちの〈鍛えられる時期〉に当たる年回りのことです。
 米も、柿も、大根も、天地自然の恵みと試練によっておいしくできあがるのと同じです。

 1才が最初の体験となる八方塞がり」においては、〈塞がる〉という流れにあって、伸ばしたい手が思う存分伸ばせない虞(オソレ)があります。
 5才が最初の体験となる「前厄」においては、〈明らかになる〉という流れにあって、隠しておきたいものごとが露呈してしまう虞(オソレ)があります。
 6才が最初の体験となる本厄においては、〈あるがままに見られない〉という流れにあって、努力どおりの結果が出しにくくなる虞があります。
 7才が最初の体験となる「後厄」においては、〈足枷(カセ)がかかる〉という流れにあって、いつもより時間を要する虞があります。
 9年に1度、必ず廻ってくるこうした試練の時期を無事安全に乗り切り、人間として一段と成長できるよう、その年回りにご守護くださる守本尊様へ祈り、自分の努力と周囲の縁の力に加えて仏神のご加護もいただき、敬虔ですなおな心となって万全を期したいものです。

 もちろん、17才や18才など、運気の盛んな時期も、追い風をいいことに有頂天になれば転んでしまうかも知れません。
 厄年は必ず悪いことが起こり、そうでない年は必ずよいことが起こるわけではありません。
 雨の日には傘を差し、晴れた日には帽子をかぶるように、人生の向かい風や追い風それぞれを上手に生かし、自然の一部としての人間生活をリズムよく過ごしたいものです。

 運気の流れとしての1年は立春から始まります。だから、私たちは必ず「春夏秋冬(シュンカシュウトウ)」と言い「冬春夏秋」などとは言いません。
 当山では、立春の到来を前に、千枚の護摩木を焚いて1年間の厄除けを行います。
 千は無限を意味し、厄除け開運のために、それぞれの方の、立春から翌年の節分まで1年間をお守りくださる守本尊様へ最高のまごころを捧げてご供養します。
 運気の強い年回りの方も、弱い年回りの方も、どうぞ、この春夏秋冬をお守りくださる守本尊様をご供養するために、おでかけください。

・日  時:2月1日(日)午前10時~12時
・場  所:法楽寺講堂
・申  込:ファクス(022-346-2107)やメール(ryuuchi@hourakuji,.net)や電話(022-346-2106)
・必要項目:住所・氏名・生年月日
・ご志納金:数え年19才以上の方…5000円 数え年10才~18才の方…3000円 数え年9才以下の方…2000円
・振込口座:ゆうちょ銀行 普通預金 02260-3-4604(宗教法人大師山法楽寺)
・授与品等:御札、御守など(送付希望の方へは発送します)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。



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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2014
11.08

里山医療と里山資本主義、そして法楽米

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 里山について考えさせられた。

1 医師小串輝男氏のこと

 10月30日付の産経新聞は、「地域で完結する『里山医療』」と題し、第2回「日本医師会 赤ひげ大賞」を受賞した医師小串輝男氏(69才)について紹介した。

 小串医院の院長(滋賀県東近江市)を務める氏は、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」にちなんで

「患者よし、医療機関よし、地域よし」

を掲げてきた。
 毎月一回、研究会を開催しており、「医師、看護師、歯科医師、保健師、薬剤師、管理栄養士、社会福祉士、ケアマネジャー、リハビリ療法士、行政職など」が百人超も参加するという。
 氏の開業医に関する理想像は明確だ。

「1人で医療をする時代は終わった。
『一国一城の主』なんて言っとったらいかん。
 医者が地域包括ケアを理解し、威張らんこと。
 専門職の仕事をじゃませず、『みんなで仕事をしよう』と言うのが、これからのいい医者です。」

地産地消。相互利他。お互いに他人を利するのが里山の発想。三方よしも同じ。
 地域で完結する地域包括ケアをつくっていく」


 記事である。

「地域包括ケアは来年度以降、本格稼働する。
 医療と介護だけでは住民・患者の生活は立ちゆかない。
 例えば、地域の見守りをもっと密にしたい。
 認知症の人が出歩くことができ、迷子になっても、誰かが声をかけてゆるやかに見守るネットワークを作ること。
 老々や独居の世帯で人が孤独死せずに済むように、医療や介護の網の目からこぼれている人を拾うシステムも作りたい。 
 それは、町づくりでもある。」


 こうした工夫、努力により〈自分たちで自分たちの生活を守る〉ことが今、何よりも求められている。
 それは、おおよそ、顔の見える人たちがさまざまな形の連帯を形成しつつ実生活を生きることである。
 言い方を変えれば、グローバル経済の網にからめとられることを拒否し、自分たちが自分たちの運命の主人公になる決意を固めることでもある。

2 『里山資本主義』のこと

 平成26年の新書大賞を第一位となった『里山資本主義』は書く。
 著者は日本総合研究所の藻谷浩介主席研究員とNHK広島取材班である。

「2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲った。
 いざとなったらマネーなど何の助けにもならない、そういう世の中が、突然目の前に現れた。
 スイッチを入れると電気が使える当たり前の暮らしも、突然ストップした。
 どこか遠くで大量に作られるエネルギーに頼ることが、いかに不安なことか、計画停電で真っ暗になった都会で思い知った。
 生きることのすべてが、自分の手の届かない大きなシステムの中に完全に組み込まれることのリスクが、一気に顕在化したといってよい。」


 私たちは、あの時、目の前に突きつけられた真実をもう、忘れかけていはしないか?
 法楽農園の主役となっておられる地域住民の八嶋さんは、灯油と薪の両方を使える古いボイラーでお湯も風呂も用意し、家族もご近所さんも救われた。
 里山では水道に代わる清浄な水が流れ、米の備蓄があるだけでなく、牛乳も鶏卵も放出され、人々は大難を小難にして過ごせた。
 個々の〈その時〉を救ったのは、当てにならない「大きなシステム」ではなかった。

 そもそも、資本主義社会における「大きなシステム」は、それに関する人々の利益を目的として構成されており、自分たちの利益にならなければ、はたらきはしない。
 そして〈関する人々〉がより少なければ少ないほど大きな利益を得られるので、システムの増殖や拡大化を放置すれば、社会的格差は広がるばかりである。
 今から6年前、サプライムローン問題で勃発した金融危機を乗り切ろうと米連邦準備制度理事会(FRB)は金融の量的緩和を続け、アメリカの失業率はほぼ10%から6%まで改善されたが、パート従業員の割合は依然として高く、増えた所得の95%は上位1パーセントの富裕層へ集中したと見られる。
 事実、FRBは10月、講演で述べた。
「格差は過去100年で最高水準に近づいている。」
 何のことはない。
 格差と金融資本の暴走によってもたらされた金融危機は乗り切ったが、危機を起こしたシステムそのものは微動だにしていない。
 むしろ、危機によって1パーセントの人々はより、利益を膨らませたのではないか。

里山資本主義』の「あなたはお金では買えない」という項目には、こう書いてある。

「お金だけを貯め込んでも、それだけで誰かがあなたのことを『かけがえのない人だ』と言ってはくれない。」

「持つべきものはお金ではなく、第一に人との絆だ。
 人としてのかけがえのなさを本当に認めてくれるのは、あなかたからお金を受けとった人ではなく、あなたと心でつながった人だけだからだ。」

「持つべきものの第二は、自然とのつながりだ。
 失ったつながりを取り戻すことだ。
 自分の身の回りに自分を生かしてくれるだけの自然の恵みがあるという実感を持つことで、お金しか頼るもののなかった人びとの不安はいつのまにかぐっと軽くなっている。


 人間が人間の尊厳を自分たちで守りつつ生き、死んでゆける社会をつくるカギは〈里山〉にあるのではなかろうか。
 今日、当山では、法楽農園で採れた無農薬・無肥料の法楽米を主食とした一汁一菜の食事会を行う。
 集まってくださる善男善女の笑顔が楽しみである。




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