FC2ブログ
--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
08.23

お釈迦様の教団を乗っ取る? ─タブーにとらわれる危険性─

2016-08-23-0001.jpg
〈緑深い自然墓『法楽の郷』〉

 お釈迦様の晩年、弟子の提婆(ダイバ)が阿闍世(アジャセ)という王の帰依(キエ)によって勢力を持ち、教団の乗っ取りにかかった。
 お釈迦様は弟子たちへ注意された。
 以下、武者小路実篤著『釈迦』から抜粋する。(現代風に漢字と仮名を変えた)

「愚かなものには、あまりに布施(フセ)が多いのは、悪をます原因になる。
 愚癡(グチ)なものは、清浄な行をしないで、弟子をつくることを考え、人の上に立つことを考える。
 人がもし一方で多くの供養を求め、他方で涅槃(ネハン)を求めようとしても、それは無理である。
 涅槃を求める心はいつのまにか、貪欲(ドンヨク)な心となる。
 あまりに寄進を貪るものは自らを傷(ソコ)ね、他人を傷つける。
 だからお前達は提婆が多くの供養を受けるのを羨んではいけない。」

「芭蕉(バショウ)や竹や葦(アシ)は実がなるとそのために死ぬ。
 驢馬(ロバ)も懐妊(カイニン)するとその身を喪う。
 提婆供養を多くもらいすぎると同じ結果になる。」


 お釈迦様は弟子たちから提婆の追放を求められても放置した。

提婆を去らせる必要はない。
 勝手にさしておくがいい。
 しかし阿難(アナン)よ。
 愚かなものには逢ってはいけない。
 一緒に仕事をしてはいけない。
 無用な論議もしてはならない。
 提婆は今、邪念が益ゝ(マスマス)高まっている。
 悪狗(アクク…獰猛な犬)を打てば、ますます凶暴になるようなものだ。
 さわらないがいゝ。」


 提婆は取りまきたちと策謀をめぐらす。

「仏陀の弱点は何処にあるかと云うことを第一に知ることが必要だ。
 そして私の教えの法が仏陀の教えよりも正しいことを人に知らすことが必要だ。」


 彼らは、お釈迦様が供養で出された魚を食べること、供養で受けた上等な着物を身にまとうことを攻撃しようと決めた。

「一 衲衣(ノウエ…糞掃衣〈フンゾウエ─汚物を掃除したようなボロボロの着物〉のこと)を着ける事。
 二 一食(イチジキ)の事。
 三 魚の肉は食わない事、それを食えば善法は生じない事。
 四 食(ジキ)は乞う事、他の招待は受けない事。
 五 春夏の八ヶ月は露座し、冬の四ヶ月は草案に住する事。人の屋舎(オクシャ)を受ければ善法は生じない。」


 大勢の弟子たちが集まった講堂で、ついに提婆はお釈迦様へ面と向かって難詰した。

「世尊(セソン)、私は、この頃つらつら考えてみましたが、沙門(シャモン…出家修行者)は矢張り、一生糞掃衣を着けて過ごすべきだと思います。
 又食事も一日一食にし、乞食法(コツジキホウ)で得たものだけを食べ、他人の家へ食事に呼ばれても御馳走になるのは堕落の始めだと思います。
 それから夏は露地に住み、冬は草庵に住むべきで、立派な家に泊まるのはよくないと思います。
 殊(コト)に魚を食うなぞは殺生戒を重く見る我々には見逃すことのできない悪事ですから、魚の肉は食わないようにすべきだと思います。
 この五つの法を守れば、少欲知足(ショウヨクチソク)の善法を守ることが出来、精進、持戒、清浄の諸徳を自ずから具え、涅槃(ネハン)に早く入れるようになると思います。
 この五法は皆に守らせるようにしなければならないと思いますが、世尊はどうお考えになりますか。」


 お釈迦様は貧しい者から王様まで広く帰依(キエ)を受け、法を説いておられたので、高貴な人からは手厚くもてなされた。
 相手に応じて受ける供養を、提婆は堕落であると指摘した。
 お釈迦様は答えられた。

お前はなぜ五法がいいと思うなら、自分一人で行わないのか。
 私はそれを決して禁じてはいない。
 むしろ私はそれをほめている。
 だが、それは誰にでも強制すべきではない。
 身体の弱いものもあるし、人の親切を無にしてはならない時もある。
 自分が行うならいいが、それを誰にでも行えと云うのは、事を好むものである。
 思うに、お前は、諸々の比丘(ビク)の和合しているのを、方便(ホウベン)をもって破ろうとして、わざとことを大げさにいい、非常行法(ヒジョウギョウホウ…特殊な決まりごと)を、常行法(ジョウホウギョウ…常に行うべき決まりごと)として説くのであろう。」

「過去の諸仏は糞掃衣をおほめになり、それを着るのをお許しになっている。
 私もそれをほめ、それを着ることを許している。
 私は同時に、居士(コジ…在家で徳の高い人)の供養する衣も着ることを許している。
 過去の諸仏は乞食をおほめになり、お許しになっている。
 私もそれをほめ、それを許している。
 過去の諸仏は一食をほめ、それを許している。
 私もそれをほめ、それを許すが、二食するものを許す。
 過去の諸仏は露地に住むことを賞め、それを許している。
 私もそれをほめ、それを許しているが、又家に住むことも許している。
 私は殺すところを観たり、聞いたり、又私のために殺した疑いのある肉を食うことは許さないが、私の知らない所で、既に殺されてしまった、三つの浄肉は許しているのだ。
 それ等はお前達が思っている程、涅槃(ネハン)に入るさまたげにはならないのだ。
 こうしなければならないとあまりにはっきりときめる方が反(カエ)ってさまたげになる。

 そのことを私は知っているのだ。」


 こう説き、個室での瞑想に入られたという。
 この世で生きることは、あくまでも、他者との〈関係性〉の中にある。
 だから、お釈迦様は、里にいる牛の声が聞こえる範囲に住んで修行するよう説かれた。
 仏道修行は、仙人になるのが目的ではない。

 ちなみに密教の行者は、十善戒などの戒律はふまえた上で、「四重禁戒」も守らねばならない。

正法(ショウボウ)を捨てる心を起こさない。
 悟りを求める心を捨てない。
 正法を他者へ与えることを惜しまない。
 衆生に不利益となることは一切、行わない。」

 自分が救われることと、他者を救うことは同じだからである。
 自分だけが何かをすれば救われる、何かをしなければ救われないというあまりにこまごましたことごとにとらわれると、自分の生活に対して依怙地(イコジ)になり、他者へ対して邪慳になり、つまらぬ軋轢(アツレキ)や深刻な対立や無用の軽蔑、あるいは幻の優越感などを生みやすい。
 また、自分や自分たちに対して、より厳格であることを見せびらかし、何かの手段にしようとする人々は宗教の世界だけでなく、どこにでもいる。

 何かにとらわれることの恐ろしさ、愚かさに気づき、見せかけの厳格さに隠された自己中心的な意図を見破りたいものだと思い、長々と引用しました。
 仏教はあくまでも智慧を大切にする道理の宗教なのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


スポンサーサイト
2015
10.03

Q&A(その11)墓地の年間管理料って何?

201510030004.jpg

年間管理料が発生する一般墓の方も、発生しない共同墓の方も、仲良く聖地をお守りくださっています〉

 ご質問がありました。

「兄が毎年、実家のお寺に年間管理費をお支払いしているので、きれいになっていると思っていました。
 ところが、お彼岸にお参りしたら、お墓がひどく汚れていました。
 どうも釈然としないのですが……」

 ご説明をしました。

「年間管理費は、金額についても、どのように用いるかについても、お寺の事情によって違います。
 だから、他のお寺のやり方について判断するつもりはありません。
 ただ、当山ではこうしていますということをお話しします。
 当山の年間管理費は1年間で5000円です。
 これは、墓地を借りてお墓を造る方のみが対象であり、個別型樹木葬共同墓『法楽の礎』・自然墓の契約者、あるいはお骨をお預かりしている方やペット墓『一心』を用いておられる方については対象外です。
 年間管理費については、契約の際にこう申しあげています。

『年間管理費によって、当山は墓地全体を管理し、お守りします。
 契約した墓域内は、皆さんが管理し、お守りしてください。
 そうは言っても、状況によっては、皆さんがお墓を建てた墓域内でも小生などが手入れします。
 また、自主的護持会である〈ゆかりびとの会〉の皆さんが、年に2回ほど、境内地全体の草刈りなどをしてくださいます。
 お互いに、まごころで、できることをやって一緒に守りましょう』
 
 当山は、東日本大震災のおりに境内地の周囲160メートル以上にわたって被害が発生しました(皆さんのお墓は大丈夫でした)。
 もちろん、きちんと補修し、今は万全ですが、こうした際も、ご縁の方々へ一軒あたりいくらと頭割りのお布施依頼はせず、すべて借金でまかない、支払いを続けています。
 だから皆さんにも、ご自身のお身内が眠っておられるお墓は、ご自身でしっかりお守りいただきたいと願っています。
 お墓参りは、時間ががかる、手間がかかる、といった日常生活的な価値判断を超えて、感謝や報恩の心を確認するといった人間修行の機会でもあり、自分のルーツを考えたり人生を振り返ったりする貴重な機会でもあろうかと思います。
 自分にいのちをつないでくださった人、自分の身近でかけがえのない時間を共にした人、自分の心の支えになってくれた人、こうした人々の眠る場所をないがしろにしつつ求める自分の幸せとは何でしょうか?
 それは本ものでしょうか?

 当山の共同墓に眠る方々のお身内は、手入れをする対象の墓石がありません。
 それでも、中には、周囲のゴミを拾ってくださったり、草むしりをしてくださったりする方がおられます。
 また、一般墓にお参りされる方の中には、共同墓のご本尊様と共同墓に眠る方々へ手を合わせる方も少なくありません
 あるいは、他家の方々同士が自然に談笑しておられたりします。
 当山と仏縁を結び、安心しておられる方々と共に、皆で聖地を守って行くことこそが大切であり、〈年間5000円の範囲〉をあまり深く考える必要はなかろうかと思います。」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2015
10.02

滅罪とは? ―この世でも、あの世でも―

201509290004.jpg
〈笹倉山に見守られる『自然墓』〉

 私たちは、ふとした時、自分の罪に気づくことがあります。
 また、ご葬儀の眼目は、故人に対する感謝の心を込め、できる限りその罪を滅して安楽の世界へ旅立てるよう祈るところにあります。

○修法には、祈願滅罪とがある

 行者たる僧侶の祈りは、経典の読誦(ドクジュ)や、故人への黙祷や、心を落ちつける瞑想といったイメージにとどまりません。
 皆さんの目的に応じて日常の姿を脱し、必要な〈法の場〉をつくり出し、そこに住し、ご本尊様と一体になって目的の成就を目指すものであり、そうした行為の全体は〈法を修する〉すなわち修法と呼ばれます。
 ご葬儀などの場で、司会の方が「では御導師様、読経をお願いします」などという表現をしますが、経典を〈読む〉なら朗読家の方がプロであり、僧侶がプロであるかどうかは、異次元の創出にかかっています。

 さて、修法は大きく分けて二つになります。
 一つには祈願、すなわち生きている者にとっての現世利益(ゲンゼリヤク)であり、誰でもが持っている「幸せになりたい」「よく生きたい」などという感覚から生じる具体的な願いを叶えるための祈りです。
 もう一つは滅罪、すなわち、煩悩(ボンノウ…無知と我欲がもたらす自他を苦しめる意欲)や業障(ゴッショウ…過去に行った悪しき行為による障り)のために過失を行ってしまわざるを得ない存在である私たちが、その罪を滅することです。
 滅罪には二種類あり、一つは現世に生きる私たちが行う〈罪滅ぼし〉としての行為であり、もう一つは、亡くなった方のための追善供養です。
 追善供養とは、生きている人々が善行による功徳(クドク…よき結果をもたらす影響力)を回し向けて亡き人々の罪過を滅し、安楽な世界へ行って欲しいと行う祈りであり、法会です。
 だから、お通夜や、ご葬儀や、年忌供養などの目的はここにあります。
 故人に感謝し、故人が生前、行わざるを得なかった悪行による因果応報が死後の苦しみをもたらさぬよう願うなら、規模にかかわらずご葬儀などをきちんと行うべきでしょう。

 Aさんは、ご家族揃ってご主人の十三回忌を行いました。
 短い法話です。
「十三回忌の守本尊様は大日如来です。
 西方浄土におられる阿弥陀如来(アミダニョライ)のお導きで三回忌の追善供養を受け、ゆっくり休み穢れを払い落とした後、東方浄土におられる七回忌の阿閦如来(アシュクニョライ)に導かれて転生(テンショウ)の流れに入られたご主人は、今日、大日如来の智慧と慈悲の仏光で行く手を明るく照らしていただきました。
 もう、安心ですね」
 Aさんは、杖をつきながら立ち上がり、応えます。
「青空のような気持になりました。
 きっと主人もそうでしょう。
 本当に安心しました。
 ありがとうございました」
 翌日、普段どおり我が家で食事を終えたAさんはその晩、冷たくなっていたそうです。
 ご葬儀となり、お孫さんが涙ながらに述べるお別れの言葉にはこうありました。
「お祖母ちゃん、安心な旅立ちだったね。
 よかったね。
 いい顔してるよ」

○罪が生じる原因は煩悩(ボンノウ)にあり、滅罪が欠かせない

 私たちは生まれながらに、貪り・瞋(イカ)り、癡(オロ)かさという三つの煩悩(ボンノウ)につきまとわれています。
 そのために、身体も、言葉も、意識も、そのはたらきが、ともすれば悪行(アクギョウ)となり悪業(アクゴウ)をつくってしまいます。
 だから、人生の宿命として四苦八苦(シクハック)があり、罪も生じます。
 み仏の子として本来清浄な心を持っているのに、悪業の蓋がかぶさり、清浄な心性がそのままに発揮されません。
 そして、この世で結果が出なかった悪業は、輪廻転生によって次の世へと影響力を及ぼし、来世での四苦八苦を招きます。
 自分のためにも、逝かれた方々のためにも、四苦八苦を脱する滅罪の生き方と修法が欠かせません。

滅罪のためには、自分の懺悔(サンゲ)と、殲法(センポウ…罪を殲滅する修法)を受けること

 お釈迦様以来、仏教では毎月2回、布薩(フサツ)が行われてきました。
 布薩とはウパバサタの音写であり、毎月2回、ご本尊様の前で懺悔し、清浄な生活を送りますと約束します。
 お釈迦様の当時は、破戒行為を避けた行者たちが教団の清浄さを確認するための行事だったようですが、当山では、ご縁の方々が戒律を確認し、自らを省み、ご本尊様の前で持戒を誓うというところまで踏み込んだやり方を行っています。
 当山は開山以来、第一例祭(第一日曜日)、第二例祭(第三土曜日)をもって、そうした意味の布薩を続けています。
 修法はこう始まります。

「我れ昔より造りし所の諸(モロモロ)の悪業は
 皆な無始(ムシ)の貪・瞋・癡、(トンジンチ)に由(ヨ)る
 身・語・意(シンゴイ)より生ずる所なり
 一切(イッサイ)我れ今、皆な懺悔(サンゲ)したてまつる」


(私が無限の過去からつくり続けて来たさまざまな悪業は
 すべて、無限の過去から受け継いだ
 貪り、瞋(イカ)り、癡(オロ)かさから生じたものです
 それらのすべてを私は今、心から懺悔します)

 導師も、参加者の善男善女も、こう誓ってから経典や真言を唱え、その功徳による滅罪を祈ります。
 経典は、受持(ジュジ)、読誦(ドクジュ)、聴聞(チョウモン)、あるいは、写経などの功徳力を説いています。
 


 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2015
05.25

樹木葬『法楽陵』は個別型で永代供養宮城県初です

201505250001.jpg

〈上記はイメージ図であり、実際は、豊富な天然石と樹木に囲まれた大きな墓域になります〉

201507020002.jpg

 好評の自然墓に、一人用の個人墓『法楽陵』を設けます。
 永代供養です。
 正面に笹倉山を望むなだらかな丘に芝を貼り、周囲は大きな自然石と、四季おりおりの変化に富んだ招霊木 (オガタマノキ)や桜や紅葉など多様な樹木で囲われます。
 実際にお納骨をしてから13回忌を迎えるまでの年間管理料込みで30万円。
 お納骨をするまでの年間管理料はかかりません。
 また、法楽寺のご本尊様である大日如来にお導きいただく時期となる13回忌に住職が墓地で修法し、その後、一番奥にある専用共同墓へお移しし、永代にご供養申し上げる費用も含まれます。
 この他に必要なのは、カロートを覆う御影石にご希望の文字を彫りたい場合の彫刻料と、墓地の横に設ける大きな掲示板へご希望の文字を表示する場合のプレート代のみです。
 芝生の生育を第一にし、お申し込みをお受けしてから芝生へカロートを造りますので、まず第一期として10区画を募集します。
 どうぞ、資料をご請求ください。
・電話:022(346)2106 ※午前9時より午後5時まで
・ファクス:022(346)2107
:メール:ryuuchi@hourakuji.net




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.18

骨葬、共同墓、そして失った〈家族〉感覚について ―捨て去ったり、忘れたりしていたものは何か?―

2014121800010.jpg
〈今日は好天、自然墓をお見守りくださる笹倉山がはっきりと見えます〉

201412180001.jpg
〈正面のお大師様から縁結びの紐が延びています〉

 雪が降りしきる中で『自然墓』への埋骨を行いました。
 他県から連れてこられたのです。
 ほとんど、物音のしない世界で唱えた般若心経は、灰色になった視界の向こうにそびえる笹倉山へも届くかと思われました。
 本堂で熱いお茶をいただきながら、ご当主が言われます。
「みんなにも正面のお山を見せたかったけど、今日は残念だな。
 実に、『山へ還る』という感じになるんだ。
 来春、また、みんなでお参りに来よう」
 中学生の娘さんが、ストーブに手をかざしながら、明るく応えます。
「うん、来ようね。
 また、来よう」
 帰りしな、奥さんが入り口にある塗香(ヅコウ)に目をとめ、全員が作法どおりに心を清めました。
 本当は入堂する前に行うものですが、いつ、行ってはいけないという決まりはありません。
 きっと、桜の咲く頃にまたご一同で、ご来山され、今度は塗香の作法を終えてからご本尊様へお詣りされることでしょう。

 最近は共同墓への埋骨が増えています。
 名前を貼り出したりしなくてもよい方は『自然墓』、表札のように名前や戒名などを明確に示したい方は『法楽の礎』を選ばれることが多いようです。
 また、骨葬(コツソウ)も多くなりました。
 とにかく斎場でご焼骨をしておき、本堂でご葬儀と百か日までのご供養を行い、そのままお骨を預かったり、あるいは共同墓へお納骨したりと、一日で済まされるのです。

・当山でのご葬儀を求めておられながら、御尊家様と当山の日程がなかなか合わない。
・枕経、お通夜、ご葬儀納骨、と休日がとれない。
・ご遺族間で宗教の違いなどがあり、一連の流れでお送りできない。
・一連の流れを行う資金的余裕がない。
・まったく不意のできごとで、何もできないままに、ずっとお骨を置いてある。

 こうした方々が、本堂で引導が渡されたことを確認し、お骨が自然へ還る形を見届けて安心されます。
 ご葬儀を行わず、共同墓前でのご供養のみにてお納骨されるのも自由です。

 施設の方や役場の方や、あるいは司法書士の方からのご質問も相継いでいます。
葬儀をして納骨するのに、いくら用意すれば間に合いますか?」
 いつも、このようにお答えしています。
「いずれも共同墓ですが、『自然墓』へのお納骨は10万円、お名前を貼り出す『法楽の礎』へのお納骨は20万円、年間管理料など、その後でかかる費用は何もありません。
 ご葬儀については、戒名料も含め、みなさんの良識や常識へお任せしています。
 戒名を求めるかどうかも、みなさん次第です」

 立教大学の特任教授平川克美氏は、これからの日本について、こう指摘しています。

「人口が減少し、経済がシュリンク(縮小)していくこれからの日本では、おカネに頼ってばかりではいられなくなります。
 近くにいる人どうしが、助け合わなければ生きていけない時代が訪れつつあるのです」

「おカネだけが飢えから逃れる手段ではありません。
 コミュニティをつくるのも飢えから逃れるひとつの手段です」

「おカネがなくなる、あるいは無価値になる可能性は、現代においても誰にも起こりうることです。
 そうなったときにどうやって生き延びるか――。
 シンプルにいえば、まわりに助けてくれる人がいれば生きていけます

「最後は、人間ひとりでは生きられません。
 縁を大切にして生きていけば、人生そんなに悪いものにはならないと思うのです」

家族制度の歴史は、国家や企業の歴史代もずっと長く、人間の歴史と同じぐらい古いものだと考えることができます」

「わたしたちは、再び家族制度を復活させたり、因習的な世界に戻っていくことはできないでしょう。
 個人という概念、人権という考え方に目覚め、それらを克ちとってきた歴史を巻き戻すことなどできない相談です」

「この壊れた家族制度に代わりうるものを見出していく必要がある

家族制度に代わりうるものが何かを簡単に名指すことはできません。
 まだ、それがどんなものであるのかは、誰も知らず、誰も実践してはいないのです。
 そういった新たな共同体が簡単に根付くことができるとも思いません。
 わたしたちは、現代文明の恩恵を受けすぎており、その利便性や心地よさを簡単に手放すことはできないからです。
 それでもわたしはもう一度、わたしたちが捨て去ったり、忘れたりしていたものを思い出しながら、どこかに漂流しているそれらの切片を寄せ集めることぐらいならできそうな気がしています」


 東日本大震災の直後から、さまざまな方々がご来山されました。
「水を分けてください」
 このあたりは、電気も電話もダメでしたが、水道だけは生きていました。
「ローソクを分けてください」
 明かりを求めて来られました。
 また、全国各地から支援物資が届き、ご来山される方々へもお分けしました。
 長蛇の列に並び、ガソリンを届けてくださったご夫婦もおられます。
 ご不幸があった時は、ガソリンがなく、初めてご遺族の送迎を受け、ホコリと格闘している葬祭会館さんや、被災したご自宅でも引導を渡しました。
 やがて、お骨やお位牌を預ける方々が相継ぐようになりました。

 ここに来て今、思います。
 寺院とご縁を結ぶ方々は、知らず知らずのうちに、ある種の〈家族〉になっておられるのではないか
 失った身内を思い出しながら足を運び、日常的な〈追われる〉意識から離れてゆったりとした時間を過ごす方々は、淋しさや悔しさなどの度合いはそれぞれ異なっていても、一つの〈場〉に佇む人として、いっとき、同じ世界の住人になっておられるのではないでしょうか?
 そうした方々が言葉を交わし合い、自分のご先祖様だけでなく隣のお墓へもお線香を捧げ、あるいは寺子屋やお花見や芋煮会などで談笑するお姿を目にすると心の底から嬉しくなり、寺院を開基した甲斐があったとみ仏へ感謝する思いが強まります。
 皆さんと共に、「わたしたちが捨て去ったり、忘れたりしていたものを思い出しながら」やって行きたいと願っています。
 骨葬共同墓一代墓も、逝かれたお身内の安心を求めることが縁となり、新しい時代にふさわしい緩やかで温かなつながりを創り出すきっかけになって欲しいと願っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。