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2005
07.15

二二六事件・日本語

 二二六事件で決起し処刑された青年将校たち17人の遺書が、将校たちの遺族でつくられている『仏心会』へ届けられました。
 約70年前、東京の陸軍刑務所で遺書を託された元看守が、仙台市太白区在住の平田俊夫さん(77歳)の父親へ渡したものです。

「我が魂魄(コンパク)を愛するより國を愛するの熱情に死せむ哉(カナ)」 安田少尉
「大君に 御國思ひて 斃(タオ)れける 若き男乃子(オノコ)の心捧げん」 栗原安秀中尉


 こうした命をも捨てるほどの国を思う熱情と、公のために決然と私を捨てる潔さには、信じがたいほどの強さがあります。
 処刑された天才指導者北一輝は、当時の世情を詩に遺しました。

「ああ 人栄え国滅ぶ 盲(メシ)いたる民 世に踊る」

「誰もが我がことのみを考えるようになって、道理や道を見失ってしまった。
 そうした人々が、かりそめの栄華を競っている」との慨嘆です。
 欧米列強の世界植民地化という脅威を前にして国を守ろうとした当時の人々の真情を偲ぶと、自ずから頭が下がります。

 同日、文化庁が行なった「日本語世論調査」の結果が公になり、慣用句の誤用や、いわゆる若者言葉の流行の実態が明らかになりました。
 若者言葉の特徴は、そのほとんどが単純で短い言葉の中に膨大な情報を入れてしまうところにあります。
 日本語はもともと奥行きがあり味わい深いものですが、そうしたレベルではなく、むしろリンゴやミカンやモモといったたくさんの種類を「果物」の一言で表現しているかのように思われます。
 そこで失われるものは、素養です。
 表現する意欲です。便利になる一方、言葉が単なる記号になることによって繊細な感性が鈍磨しはしまいかと怖れています。

 数日前、たまたまつけたテレビで思いもよらぬ場面を観ました。民放で中学生か高校生が日本語の言い回しについての知識を競い、日本一が決まった瞬間です。
 女学生同士の対決で勝利した少女は、「あなたにとって日本語とは何ですか?」と問われ、間髪を入れず「わたくしを美しくしてくれるものです」と答えました。
 こういう人材こそ教育界で活躍してもらいたいものだと、祈るような気持になりました。

 戦後60年、若者たちの自由になる時間は飛躍的に増えました。
 ニートやフリーターといった人々も増える一方です。
 幸せな若者たちには、何よりも読書をして欲しいものです。
 何にも増して、美しい日本語を学んで欲しいものです。
 もちろん、忙しいことは読書できない理由にはなりませんから、それは「暇な」若者たちだけへの思いではありません。
 トイレの中も、お風呂の中も、枕の上も心がけ一つでかけがえのない場となります。
 最も自由なこの三カ所を活かさぬ手はありません。

 美しい日本語に接すれば、自然と古人の魂に触れることができます。
 今の自分という「色眼鏡」や、流行の思想に任せてしまう「思考停止」や、我が身を安全な所に置く「逃避」などが薄れ、いつの時代を生きた人であれ「当時の人々」の真実が解るようにもなるはずです。
 それこそが、国の将来を我がこととして考え、行動し、死んでいったご先祖様への真の供養となることでしょう。




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