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2014
10.29

ガダルカナル島よりのご帰還

201410290022.jpg
(産経新聞様よりお借りして加工しました)

 10月24日、ガダルカナルで散華したご英霊のご遺骨が東京の晴海埠頭へ帰還された。
 太平洋戦争後、半世紀にほぼ四半世紀を加えてようやく、艦隊が故国日本へとお連れできた。
 いかなる国であれ栄誉礼をもってお迎えすべきご遺骨が、日本ではこれまで〈貨物〉として取り扱われてきた。
 出迎えた「ガ島未送還遺骨情報収集活動自主派遣隊」の島津寛光隊長(42才)の談話である。
「今までは飛行機の貨物室だった。
 このように艦隊で正式に堂々とご帰還いただけることを喜ばしく思う」(産経新聞より)
 涙しつつ写真へ合掌した。 




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2014
02.26

沖縄の戦場へ(その1)

20140226136.jpg
〈この丘の上にあるものは、ああ、配水タンクとネオンを見下ろす展望台〉

2014022500110906okinawa14.jpg
〈小さな碑盤では、ああ、米軍の火炎放射器が日本軍を焼いている〉

 2月20日、初めての沖縄行きのため、空港へ向かう途中、メールが届いた。
 現地は雨、雨具必携との知らせだが、仙台市内で枕経の修法を行い、そのまま駆けつける強行軍ゆえ、余裕がない。
 ままよ、と搭乗者になった。
 あにはからんや、晴れとなった那覇空港の荷物受取所では、同じ便に同乗の同志A氏(さる道場主)に声をかけられた。
 やはり一緒だったB氏(教諭)も来られ、出迎えてくださった主催者C氏(防大)とD氏(僧侶)に最初の目的地慶良間(キラマ)チージ(通称すりばち丘シュガーローフヒル)へ案内していただく。

 ジェームズ・H・ハラス著『沖縄 シュガーローフの戦い』は記す。

「五十年前に男たちが死んでいった場所は、いま、マクドナルド、ファミリーレストラン、ケンタッキー・フライドチキン、アウトレット、消費者ローン、中古屋が立ち並ぶ想像を絶する場所となっている。」

「一九九三年、沖縄県はこの地区の再開発をはじめると、地中からは、人骨、水筒、錆びた軍需品や装備品の一部などが掘り起こされた。
 一九九三年、沖縄県による新たな配水タンクの建設が計画され、必要な造成工事なされた時点で、地元の芸術家グシケン・セイチョウが、シュガーローフに歴史を説明する碑文と、平和を祈るモニュメントの建設を提案した。
 彼は『那覇市には、沖縄戦を祈念するモニュメントがないが、県民は、ここで起きたことを知る必要がある』と語った。
 第六海兵団協会もこのプロジェクトを後押しし、最終的に那覇市が建設を許可した。」


 また、同著を翻訳した猿渡青児氏は平成22年、この一帯について書いた。

「一九四五年(昭和二十年)五月に、本書で記述されている激戦が繰り広げられた、那覇市北方の安謝川から、安里川の地域は、那覇市の中でも、最も変貌した地域の一つである。
 戦後、この場所は米軍が接収し、米軍嘉手納基地の軍人・軍属向けの住宅地として利用され、一九八七年に日本側に全面返還された。
 その後、那覇新都心と呼ばれる、都市計画にもとづいた新しい街がつくられた。
 ショッピングセンター、シネコン、公園、オフィスビルなどが立ち並ぶ光景は、とても60年前に接近戦闘が繰りひろげられたとは思えない場所に変貌している。」

「『那覇市おもろまち一丁目六番地』これが、現在のシュガーローフの住所である。
 丘は大きく削られ、頂上には那覇市により排水タンクが建設された。
 タンクの周囲は遊歩道がつくられ、展望台も設置されている。
 また、シュガーローフの激戦を記した碑文も設置されているが、人通りはまばらである。
 丘は、中心部以外は周囲を削られているが、昭和二十年当時は、現在の『おもろまち』駅近くまですそ野がひろがっていたと思われる。」


 碑文は小ぶりなもので、米軍の死傷者数などはあっても、日本軍については「学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した」としか書かれていない。
 米軍の侵攻を一日でも引き延ばすため、最後の一兵までも戦い抜いたという真実は伝わらない。
 米軍の記録『沖縄 シュガーローフの戦い』は、夜間、一人で突撃を敢行し、射殺された「亡霊のような」「ミイラ男」について書く。

「やつの足には包帯がまかれていた。
 片方の足は撃たれていたんだ。
 頭にも包帯がまかれていた。
 そのため片方の目しか見えなかった。
 おまけに腕も包帯がまかれて、三角巾でつられていた。
 でも彼は手榴弾を持っていた。
 彼は満足に歩くこともできず、足を引きずりながらやってきたんだ。」


 アメリカ軍は後方に豊富な物資があり、糧食にも医療にも。もちろん弾薬にも不自由のない戦いだったが、日本軍は違う。
 『沖縄 シュガーローフの戦い』は書く。

「おかしなことだが、ジャップを撃ち殺しても、あまり出血しなかった。」
「アメリカ兵が撃たれると、この世のものとは思えないほど出血した。
 だけど日本兵は血が出ない気がした
 やつらはただ死ぬだけだった。」


 D氏が心をこめて用意し、A氏、B氏、C氏も手伝い、強風を避けるるよう展望台のすぐ下に小さな祭壇が用意された。
 白足袋に履き替え、折五条の袈裟をかけて地面へ正座する。
 C氏が急いでジャンパーを脱ぎ、座布団代わりにと提供してくださったが、もちろん、丁重にお断りした。
 
 見渡す限りの〈戦場〉に結界を張る。
 街のネオンの向こうには、前方から左手に書けて、首里の丘が低く延びている。
 生者も死者も、本来持っている汚れ無き仏性が輝き出るよう、お清めを行う。
 声明(ショウミョウ)を唱え、東方からも南方からも西方からも北方からも、この現世へ、み仏の慈光をいただく。
 不動明王様の修法により、重ねて、苦や悪の辟除(ビャクジョ…取り払う)と結界の法を結ぶ。
 み仏方をお讃え申しあげる。
 あらゆる因縁を解き、あらゆる塞がりを破摧する。
 九字を切る気合は見えぬ海までも届いたと感じられた。
 重ねて、八方天地の仏神にご加護をいただく。
 あらゆるものが即身成仏(ソクシンジョウブツ…今、このままで、み仏たる真姿になる)し、結界内が密厳国土(ミツゴンコクド…真実の世界)となるよう、お力をいただく。
 仏法のお授けを行い、極めて遅まきながら、引導を行う。
 この世とあの世との境を明確にし、いかなる憎悪や苦悩も因縁として遺さぬ修法は、半世紀の時間を超えて御英霊をはじめとする御霊方へ通じた。
 また、当時、この地域の戦闘でいのちを失ったあらゆる生きとし生けるものへ因縁解脱の法を結んだ。
 いまだ、ご供養を受けていないあらゆる御霊方へ、順次、ご供養を行う。
 初七日の不動明王様を初めとし三十三回忌までの十三仏様と、五十回忌の愛染明王様までの法を結ぶ。
 百回忌はきっと、志ある後輩が後に続くだろうと考え、あえて予修法要は行わなかった。
 当時、生きてあった生きものたちへの供養法も行う。
 死者も生者も仏性が開くよう祈り、み仏方へ感謝の誠を捧げ、この場をお守りくださった不動明王様をお讃え申しあげ、修法は終わった。

 十三仏様のご供養あたりでだったろうか、急に雨となった。
 ご英霊をはじめ、いのちを落としたあらゆるものが流す涙雨であろうと感じた。
 即身成仏している導師も、人間の部分において、心に涙雨が降った。
 こめられたのは何だったろうか……。
 修法が終わる頃になり、雨はからりと上がった。
 ご参列の方々がそれぞれお線香を捧げ、供養し、供養会は終わった。
 C氏は、見晴るかす首里の稜線上にご英霊方が捧げ銃(ツツ)の敬礼で並んでおられるのを確信したと言われる。
 正座したコンクリートの地面は、混ぜ込まれた小石たちが痛くもなく、途中から明らかに温かくなり、まるで座布団上に坐しているようだった。
 一言だけ申しあげた。
「ご英霊をはじめ、人間はもちろん、当時、地上でも地下でも生きていたはずのあらゆる生きとし生けるものへ、供養のまことを捧げました。
 たとえご遺骨は私たちの足下にあろうとも、御霊方は、み仏のご加護により、解き放たれたと信じています。
 生きているうちに、いつかは南の戦場へ行き、祈りたいという願いが叶いました。
 役割を果たさせていただいたことに、心から感謝申しあげます。」




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2014
02.22

第四十九回寺子屋『法楽館』─向上する人生・沖縄の激戦地─

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〈植物は最後の勝者か〉

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〈崩落し、永遠に閉ざされるのは今日かも知れない〉

 私たちは、母体にいのちのきっかけを得た時、行く先を知りません。
 そこは迷宮の世界です。
 生まれれば、ただただ〈生〉を求め続け、暑さも寒さもひもじさも、何もかもが自分ではどうにもなりません。
 目が見え、生きるペースができてくると、食べものが主たる関心事になります。
 ひたすら飲み、食い、瞬く間に成長します。
 やがて、我欲が生じ、自己主張し、奪い合うようになります。
 周囲とのぶつかり合いでもまれ、だんだん、ままならぬという現実に気づいて行きます。ルソーはこう書きました。
「あなた方は、子供を不幸にする一番確実な方法は何であるかご存じだろうか。
 それは、何でも手に入れるという習慣を子供につけることだ」。
 ここで、我慢し、互いに譲り合わねば生きられないという現実感をきちんと身につけねばなりません。
 そして、ようやく小学校という〈公〉の場へ身を置き、社会人となる基礎作りを始めます。
 見聞きするものすべてが新鮮で、どんどん吸収し、そうして得た材料によって思慮を深め、心へ宝ものが溜まり始めます。
 これが、受胎から出生、そして運勢が一回りするまでの九年間です。
 ちなみに、数え6歳、満5歳が人生最初の「本厄年」となります。
 また、恐れられる「八方塞がり」は、母体内で始まっているのです。

 このようにして、人生の螺旋階段は一つの到着点へ達し、そのあたりで再び解けぬ難問にぶつかり、手探りから、解決する糸口の発見、何かの獲得と進みつつ螺旋階段を登ります。
 知らぬ間に、〈かつて見たような、通ったような〉道を歩み、今度は前回よりもいくらかは上手に九年ワンセットの修行を終えます。

 この過程は、愛するものとの別れや、病魔との戦いなど、四苦八苦を知る道行きでもあります。
 最近、同期の仲間が『おとしぶみ』という文集を作り、そこへこんなことを書きました。
「我が身の体験として、あるいは家族や他人様に起こったできごととして徐々に四苦八苦を知った。
 ここまで生きてきてようやく宿命を観たような気がする」。

 さて、お釈迦様は、人生につきまとう苦を克服するための方法として、『八正道』を示されました。
 第一番目は、ものの見方を正しくする「正見(ショウケン)」であり、第八番目の心身を整える「正定(ショウジョウ)」まで八つの道があります。
 では、『八正道』は、運気の流れと共に生じやすく、逃れがたい四苦八苦をどのように消滅させるか?
 また、凡人とは異次元の聖者方が霊性によって感得されたお地蔵様や観音様など、さまざまなみ仏方は、いったい、どのように苦の消滅へかかわってくださるか?
 自己中心を離れたみ仏方が示されるお智慧の力とはいかなるものか?
 これこそが人生の大問題であり、見捨てておけぬこの世の苦を抜く方法をつかむところにこそ、真の意味における如意宝珠(ニョウホウジュ)のご加護があります。
 打ち出の小槌は、世間的財宝をもたらしますが、如意宝珠は自他の苦を抜き楽を与える力という究極的宝ものをもたらします。
 3月8日の寺子屋では、こんなお話をいたします。

 また、2月20日から21日にかけて、沖縄の激戦地でいのちを落とされたご英霊をはじめ、すべての方々、また生きものたちへの慰霊と、ご遺骨の収集を行った体験談も少々お話申しあげます。
 共に、自他の苦に負けず、〈見捨てることのできない〉菩薩(ボサツ)を目ざしましょう。
 
・講  師 法楽寺住職遠藤龍地
・日  時 3月8日(日)午後1時30分~3時30分 ※毎月第一日曜日に開催します。
・場  所 法楽寺講堂(イステーブルの席あり)
・参加費 1000円(中学生以下は500円)
・送  迎 午後1時に、『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。




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2013
11.27

レイテ島のご英霊

20131127001 (5)
〈町役場に立つ慰霊碑(産経新聞様よりお借りして加工しました)〉

 レイテ島台風30号に襲われたと報じられてからずっと、ご英霊を慰霊する施設などの状況が案じられてきた。
 当然ながら、島民の方々や滞在中の方々の救助が第一であり、寡聞にしてこれまで、ご英霊に関する報道に接してはいなかった。
 11月26日、8日に台風が島を席巻して以来、おそらく初めて、産経新聞が『日本人慰霊碑立つレイテ島』を掲載した。

 レイテ島では、昭和19年(1944年)に日本軍とアメリが軍との間で激戦がくり広げられ、絶望的な戦力差の下でも退かなかった日本側は79261人の戦死となった。
 ウィキペデイアは「残された将兵の多くが山中で飢餓に倒れ、一部の部隊は生還者がないため今でも消息が判っていない。」としている。

 島には日本、アメリカ、オーストラリア、そしてフィリピンの慰霊碑が並んで建てられ、住民によって守られてきた。
 しかし、今は、そうした方々自体がいのちを失い、家を失われた。
 日本人遺族会はこれまで、30カ所に慰霊碑を造ってきたが、会員の減少と高齢化により、現在は手弁当で、住民に支えられた管理を行うのが精いっぱいという状態である。
 記事は、セブ島日本人会会長石田武司氏の言葉で締めくくられている。
「修復の予算はなく、復旧のめどは立っていない」

 願わくば、自衛隊が住民の生活を確保し、慰霊碑にも手を差し伸べられますよう。

 奇しくも、同日の朝日新聞はインドネシアにおけるご英霊焼骨を報じた。
 全文を転載する。

20131127001 (6)
〈ご英霊焼骨式(朝日新聞様よりお借りして加工しました)〉

 「激戦の島 282人の焼骨

 インドネシアのビアク島(パプア州)で25日、太平洋戦争中に現地で戦死した旧日本兵の遺骨を焼く「焼骨式」が行われた。
 今回、厚生労働省の収集派遣団は平成以降では最多となる282人の遺骨を確認。東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑に納められる。
 日本軍は戦時中、ビアク島を「絶対国防圏」に指定し、連合軍と激戦となった。
 1万人以上が戦死したとみられる。
 兵士は岩手や青森、秋田など東北出身者が多かったとされ、生還したのは約500人にとどまる。
 1956年以降、政府の派遣団は今回を含めて計15回現地入り。確認した遺骨は計4250人になったが、身元が判明した人は1人もいない。
 なお約6500人が残されているとみられる。
 派遣団に参加した有馬咲子さん(72)=福岡県行橋市=は父をビアク島で亡くした。
「召集令状一枚で出征し、ずっと外国で眠らないといけないのはかわいそうです」と話す。
 焼骨式は日本軍が司令部を置いたヌンフォル県の「西洞窟」近くで営まれた。
 洞窟を夫とともに管理しているマテルダさん(41)によると、洞窟と周辺で日本兵約3千人が死亡したという。
 派遣団は今回、焼骨した遺体とは別に密林で日本兵と見られる人骨を見つけた。
 近くに漢数字が書かれた認識票や水筒、薬瓶、戦前の硬貨などもあった。
 地元住民らによると、あちこちに日本軍の手投げ弾が残され、子どもが拾って爆発する事故がたびたび起きているという。



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 隠形流(オンギョウリュウ)居合の行者A氏は平成17年、南方の海において、魂入れを行った地蔵菩薩像108体を捧げ、ご英霊のご供養を行った。
 当山は今年の10月、ご英霊のご遺骨を収集しにでかける機会を逸した。
 何としても南方へでかけ、空に、海に、山に、川に、野辺に祈りたい。
 あるいは町や村で祈りたい。
 南無守本尊大法護如来。
 南無大師遍照金剛。
 




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2013
10.09

これでいいのか?仮設住宅とカジノ構想

018.jpg

 信徒Aさんから届いたお便りの一部である。

「先日も、原発事故補償を受けている人たちに対する厳しい言葉を聞きました。
 お金に浮かれ高級車に乗ってパチンコに行く人達と、お金より故郷を返せと思う人達が、外から眺める人達から一括りにされている現実に、差別区別の欠片をみました。
 もっと突き詰めると、高級車に乗ってパチンコにいく人達も、事故で故郷を奪われなければ、そんな生き方をしないで済んだのかもしれませんし、同じ経験をしないで彼らを語る資格があるのだろうか。。とも思いました。
 私がとりくんでいる問題も、裏にあるのはお金お金お金・・・・であることが、はっきり見えております。
 うんざりです。
 道具に過ぎないお金に、踊らされ続ける我々は、実に哀しい生き物ですね。」

 10月8日付の産経新聞は報じた。

「2020年の東京五輪開催決定から1カ月がたち、観光客を呼び込み大きな経済効果があるとされるカジノ構想が熱を帯びてきている。
 各国から多くの観光客が集まる五輪を好機ととらえ、構想を推進する国会議員連盟は今秋の臨時国会で法案の提出を目指す。」


 法案は、「カジノだけではなく会議場や展示場、宿泊施設なども備えた総合的なリゾート(IR)施設とする」方向で検討され、「法案は施行後1年以内に実施法を定めることが含まれており、可決すれば構想は一気に現実味を帯びる」らしい。
 実感の伴わない「IR」という横文字で表記し、国際会議を呼び込もう、地方自治体に入る莫大な税収でもっとインフラを真価させようとバラ色の未来を描けば、反対されにくいかも知れない。

 しかし、千年に一度の大災害に見舞われ、エネルギー分野での国策だった原発が重大な事故を引き起こし、被災者や故郷を追われた人々が先も見えない暮らしをようやくつないでいる日本にあって、復興や再興の充分な施策が目を瞠る効果を発揮しているどころか、災害にからんだ予算が全国で震災とまったく関係のない事業に流用され、その責任はうやむやになり、「仮設住宅で死にたくない」と呻きつつ弱者が死につつある現在、「お祭をやろう」というのはまだしも、「賭場を開いてテラ銭を稼ごう」とは何たる国家運営法であろうか。

 10月8日、経済協力開発機構は、先進国24カ国・地域において初めて実施した国際成人力調査の結果を発表した。
 日本は、出題された3分野のうち「読解力」と「数的思考力」の分野で1位、「ITによる解決能力」は10位だった。
 まさに、子供たちへ〈読み書きそろばん〉を習得させるという国柄がなさせたわざだろう。
 しかも、単なる学力や知識ではなく社会適応能力が測られた調査の結果であり、私たちは、コミュニケーション能力などに危惧は抱きつつも、一定の自信を持ってもよいのではないだろうか。

 問題は、こうした〈人間力〉を何に用いるかである。
 いかに切れる優秀な包丁であっても、調理以外の目的で手にされれば、災厄をもたらす場合もある。
 Aさんが言われるように「道具に過ぎないお金に、踊らされ続ける我々は、実に哀しい生き物ですね」という自省があればだいじょうぶだろうが、現実はどうだろうか。

 薬師寺の管主だった故高田好胤師は、いくたびも海を越え、慰霊の行脚をされた。
 その言葉である。

「私のような者が、お国のためにいのちを落とされた方々をお慰めするなどという大それたことはできません。
 ただ、ご英霊の恩を忘れ、煩悩のままに好き勝手なことをしている生き残りの日々をお詫びし、今後はしっかりやって行きますとお伝えするのみです。
 悔過(ケカ…仏法僧へ対して過ちを悔い改めること)しか、できはしません。」


 私もいつか、悔過の旅に出て、ご英骨の一片へ手を触れたい。

 私たちは、あまりにキラキラしいイメージをもったものに引きずられてはいないだろうか?
 1917年23才で戦死したフライブルク大学法科学生ウルリヒ・ザルノーは、戦死の直前に牧師へ手紙を送り、戦友の作った詩を母へ手渡してくれと書き残した。

「私は最後まで母のことを思っていた。
 すると、母の老いた手の祝福が
 私の頭の上で慰めの役をしてくれ、
 何ごとも楽になるのであった」


 そして、最後にこうつけ加えている。

「恐らく母はいくらか楽に堪えることができるでしょう。」


 母はこうした存在である。
 そして、あの人も、この人も、無限の生まれ変わり死に変わりの中で、母となり子となってきた同胞である。
 たった今、仮設住宅で「仮設住宅では死にたくない」と呻き、菩提寺の住職がマンションの一室で遺骨と共に暮らしている現状に悲嘆の涙を流しておられる被災者の方々は、長いいのちの流れの中にあって、まぎれもなく、私たちの母であり、子である。
 その呻きや嘆きを忘れ、支援の不備は脇へ置いて「もっと、もっと」と目先の楽を貪ろうとする私たちは、まっとうな文明の創り手であると自負できようか?

 私たちは一人残らず死んであの世へ行き、過去に生きた人々と何らかの接触を行うであろう。
 私たちは一人残らず何者かとして生まれ変わり、未来の人々と何らかの縁を結ぶであろう。
 その時に恥ずかしくないよう、後悔せぬよう、胸を張れるよう、今を生きたい。

 最後に、Aさんのために、お釈迦様の前世物語を書いておきます。

 昔、ヒマラヤの山腹に、生きものたちが仲良く暮らす竹林がありました。
 ある日、火事が起こり、皆、我先にと竹林から逃げ出し始めました。
 その時、麓の池を目指して懸命に飛ぶ1羽のオウムがいました。
 池に入って体中に水をまとい、火事場でそれをふるい落とします。
 何度も何度も繰り返しますが、日は一向に弱まらず、オウムは倒れそうになりました。
 これを目にしたみ仏(お釈迦差の前にも悟りを開き仏陀となられた方々は何人もおられ、お釈迦様が最初の仏陀ではありません)が、オウムに訊ねます。
「お前はそんなことをやって火が消し止められるとおもっているのか?」
 オウムは答えます。
「消せるかどうかは、やってみなければわかりません。
 しかし、私は一緒に暮らしていた仲間を助けたいのです。
 お世話になってきた竹林に恩返しをしたいのです。
 無駄かも知れませんが、私にできることはこれしかないのです」
 そして、オウムは又、残りの力を振りしぼり、池を目ざします。
 その様子にみ仏は微笑を浮かべ、神通力を発揮されました。
 見る見るうちに真っ黒な雲が湧き起こり、烈しい豪雨が一気に火を消し止め、生きものたちも竹林も救われたのでした。
 オウムも。






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