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2011
02.12

お布施からリベート

 2月11日付の朝日新聞に「お布施からリベート 僧侶葬祭業者不透明な慣習」なる大見出しが踊った。
 当山にとっては、まことに驚天動地の情報である。
 一読したが、看過できない。

「葬儀で僧侶に包む『お布施』。
 その一部を僧侶葬祭業者に渡している慣習があることが朝日新聞の調べでわかった。
 読経の『仕事』を紹介してくれた業者に対する一種のリベートとみられる。
 お葬式の舞台裏で何が起きているのか」

 当山はこうした慣習を聞いたこともなければ、もちろん、たった一度たりとも葬祭業者リベートのやりとりをした歴史もない。
 リベートは売上割戻(ワリモドシ)あるいは仕入割戻(ワリモドシ)という商習慣であり、リベート=悪ではない。
 しかし、僧侶の修法は宗教行為であり、商習慣に取りこまれてはならない。

「『ご遺族をだましてお布施をつり上げているのも同然で申し訳ない。
 悪習でやめるべきだが、我々は弱い立場でどうしようもない』
 東京都品川区に住む浄土真宗本願寺派の僧侶(65)は、朝日新聞の取材にこう打ち明けた。
 葬祭業者から斎場に派遣され、読経する『仕事』を週2~3回ほど請け負っているという。
「拠点にしていた長野県内の寺の檀家が激減し、15年ほど前に東京に出てきた。
 初めて葬祭業者から仕事を紹介されたとき、リベートを求められた。
 驚いたが、『関東では慣習ですから』と言われ、渋々応じたという。
 半年後、別の業者からお布施の7割の支払いを要求された。
 『そんな罰当たりな』と断ると、『二度と頼まない』と言われ、その後3ヶ月ほどは、どの業者からも依頼が無くなった。
 今では自ら葬祭業者に『営業』をかけて、仕事をもらっているという。」
「横浜市にすむ僧侶(69)は、遺族からお布施を受け取ると、けさ姿のまま近くの銀行に行き、4割を現金自動出入機(ATM)から振り込んでいた。
 葬祭業者に指定された振込先は、聞いたこともない宗教法人名義の口座だったという。」

「食えないから」という理由で世俗の世界へ入るならば、衣を着ている資格はない。
 僧侶は法を結ぶ出世間の行者である。
 出世間で生きていればこそ、人の死において引導の修法を行い、せっぱ詰まって世間的解決方法に窮した皆さんの人生相談に乗り、み仏のご加護で、共に苦へ立ち向かうことができる。
 出世間でない者が衣を身にまとうのは、手術の技術がないのに手術室でメスを手にする外科医のようなものであり、欺瞞でしかない。
 僧侶が業者の使い走りになったら、おしまいである。
 僧侶はお経の〈読み上げ手〉として、一連の儀式に参加しているに過ぎなくなり、〈亡き人へ修法をもってこの世とあの世の区切りをつける〉厳粛な宗教行為である葬儀の根幹は崩壊する。
 僧侶の存在意義は、求めに応じて仏法を具現化できる法力を身につけ、世間的方法ではなし得ない宗教行為を行うところにあり、そのためにこそ出世間で生き、修行し、衣をまとって修法を行う。

 これまで数多くの他寺院の檀家さんたちが人生相談にご来山された。
お布施をお包みすると『これでは食えない』と言って突き返されました」。
 こうした類のお話は聞き飽きるほど耳にした。
 大寺の住職であろうが、貧乏寺の弟子であろうが、僧侶はひとしく生涯、〈一介の行者〉である。
 食えようが食えまいが、祈り、法務に邁進する以外、生きようはない。
 篤信の方からいただいた山里の古家で興した当山は当初、托鉢に歩いても文字どおり食うや食わずであり、夫婦してタンポポやツクシも食べた。
 百円のイワシの缶詰を分け合って食べた。
 しかし、生かしていただき、こうして息をしている。
 生きられるか生きられないかはご本尊様がお決めくださることである。
 なぜなら、たとえダイコン一本であろうとも、寺院へのお布施はすべてご本尊様へ対する善男善女からの尊い捧げものであり、世間的なりわいを離れ、み仏へお仕えする行者はその捧げものをご本尊様としてのみ仏からいただくしか、生きる方法はないからである。
「こんな愚かしく未熟な自分が、これをいただいて良いのか?」という自らへの問いかけを忘れた瞬間、行者としての堕落が始まる。

「かつては地元の葬祭業者が『うちで手伝わせてください』と頼んで来たが、檀家の減少に伴って読経の依頼も減り、立場が逆転した。
『檀家は先祖代々引き継がれてきたので、さしたる〈努力〉をしなくても食べていけたが、今では普通の自営業者と同じ。
 寺の存続のためにはやむを得ない』」
「葬祭業者へのリベート分は、結果的に喪主側の支払うお布施に上乗せされている。
 千葉県柏市の会社員の男性(59)は一昨年、市内の斎場で父親の葬式をあげた。
 広島県にある菩提寺と付き合いが無くなり、斎場側に同じ宗派の僧侶を紹介してもらった。
『戒名料』として20万円を僧侶に包むと、お通夜でのお経は20分で終わった。
 斎場の係員に『20万円は最低ランクですから』と言われ、翌日に『お車代』として10万円包むと、告別式での読経は40分に伸びたという。
 この斎場を運営する業者も、お布施の一部を僧侶から受け取っていた。
 男性は『悪い慣習はやめて、きちんと個人の安楽を祈ってもらいたい』と話した。」

 なぜ、出世間的修法が金額によって左右されるのか?
 そこには、いかなる宗教的回答もない。
 だから、宗教行為しか行わない当山は一切、お布施の金額とかかわりなく祈ってご本尊様から戒名をいただき、引導を渡し、年忌供養を行う。
 よほどの事情がない限り、修法についての法話も行う。
 今、何が行われたかをお伝えしないでは申し訳ないし、教えに接していただくところまでが法務であると考えているからである。
 たとえ生活保護を受けておられる方であっても、100人以上の会葬者がある方であっても、一切区別も差別もしない。
 できないのである。
 なぜなら、修法が出世間的に確立された行為であるのはもちろん、「死者とは、肉体という衣を脱いでこの世での修行を終え、故郷である本源なる〈み仏の世界〉へ還り行く〈み仏の子〉である」という信念で引導を渡し、お送りするからである。
 死者は、たとえてみれば温泉につかる客のようなものであり、裸のつき合いとなる時、脱いだ衣裳が立派な背広であっても粗末なシャツであっても関係ないではないか。

 続いて、「宗教法人経由 課逃れも」と題し、慣習宗教法人の問題に切り込んでいる。
 北日本を中心に活動している冠婚葬祭業者は提携する各宗派の寺院に依頼して僧侶を斎場へ派遣し、僧侶は受け取ったお布施の2~5割を業者指定の口座へ振り込むが、口座名は宗教法人になっている。
 宗教法人は葬祭会館にあり、業者の役員が代表役員を勤めている。

「東京国局は、休眠状態の宗教法人を使い、僧侶からのリベートを『お布施』と偽って申告していなかった東京の準大手の葬儀会社に対し、05年6月期までの7年間で約8億円の所得隠しを指摘している。」

 実に、僧侶は〈派遣され〉、〈便利に使われる〉存在になり果てている。
 業者も、僧侶も、そして、葬儀を安易に安くしあげようと肝心の導師をきちんと選ばない会館利用者も、気づかぬうちに宗教行為を汚し、貶めている。
 最近は、各宗派の僧侶を取り揃え、堂々とカンバンを掲げて僧侶の派遣業を営む僧侶もある。
 人材派遣業なるれっきとした商売は、宗教行為であり得ようか?
 葬祭業者が宗教法人を手に入れてお寺を建てるなどという話もある。
 商売人がそうした建物を造る目的は何であろうか?

 当山は、葬祭業者も、納棺師も、仕出し業者も、花屋も、石材業者も、人を送るという尊い仕事を共に行う〈同志〉であると考え、おつき合いいただいている。
 同志に必要なのはただ一つ、〈プロとしての信頼〉である。
 確かに紹介する、あるいは紹介してもらうといった仕事への入り口はあるが、同志としての気持はまったく平等、上も下もなく、義理や恩義の貸し借りもない。
 プロとして恥ずかしくない仕事をしたい、同時に、ご縁の方に喜んでもらいたいという一心で、同志は信頼し合い、手を取り合い、支え合っている。
 当山は信念一つで法務を行い続けられることを、ただただ感謝している。
 かけがえのない同志へ、当山を信じ、金剛のような仏縁の糸を結んでくださる方々へ──。

〈出世間の祈りを共に祈る〉
230206 011




「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2010
09.08

葬儀と戒名へのアンケートについて

 当山は、ホームページ上でアンケート調査を行い、葬儀戒名について皆さんのご意見をお聞かせいただいています。
 托鉢で開いた当山は、皆さんの声を胸に理想を追ってここまで来ましたが、現在はなかなか托鉢に歩く時間的余裕がなくなり、こうした方法で皆さんの奇譚のない考えや感覚に触れさせていただいています。
 一日は24時間しかなく、個々のご意見全てへお答えできないのは申しわけありません。
 時折、こうした形でブログを読まれる方々とも問題を共有し、共に考えていただきたいと願っています。
 これまでご協力くださった皆さん、本当にありがとうございました。

○Aさん
「母の葬儀を行いましたが、事前になんの勉強もしていなかったため、いろんな事に驚きでした。
 もともと家に仏壇もなかったため、すべてが???状態でした。
 いつかはみんな亡くなるという事をあらためて感じ、その時あたふたしない為に勉強しなくてはいけないと強く感じました。」


○Bさん
「お寺のいいなり葬祭業者のいいなりの現状がくやしい」


 多くの方々がこうした感想をお持ちなのではないでしょうか。
 自分も含めて、人は必ず死にます。
 私たちの生はいつも死と隣り合わせなのですが、戦乱や飢饉やテロのような血と死の匂いのするできごとと無縁な日本では、その真実がなかなか実感されなくなっています。
 かつて、室町幕府最後の将軍足利義昭が織田信長に屈しなかった際、信長は天皇と将軍を威嚇するために京都を焼け野原にしました。
 火に焼かれたり鴨川へ飛び込んだりして亡くなった人の数は知れません。
 私たちは戦国の世にロマンを感じたりしますが、庶民の生活やいのちは権力者がちょっと吹けばたちまち消し飛ぶような儚いものでした。
 歴史は権力者の横暴へ歯止めをかける方法を模索してきた道のりという見方もできそうです。
 だから、平均寿命が信長当時より5割以上も延び、不意に殺されない時代に生まれたのはありがたいことではありますが、物事には必ず光と闇の両面があり、死の実感が希薄になったことによって生の実感もまた、薄れつつあるのが事実です。

 Aさんのように、気づいたならば、自分なりに勉強しましょう。
「その時」は、今日、あるいは明日、自分や身近な人へ訪れても不思議ではありません。
 Bさんのように「くやしい思い」で身近な人の死をふり返らないためにも、ぜひ──。
 

○Cさん
「今のお寺は納得がいきません。
 でも、代々長らく檀家のようなので私の一存で変えることは難しそうです。」


 変えるために必要なのは智慧と勇気です。
 皆さんにとって納得の行かないやり方をしている寺院がそのまま存在し続けるのは、仏法が破壊され続けるのと同じです。
 合掌も布施も偽りとなり、それは私たちの心が浮き草のようになることへ通じます。
 真実を観るにも、真実を生きるにも〈流されない〉努力が欠かせません。
 Cさんにとって「その日」が一日も早くやってくるよう期待しています。
 

○Dさん
戒名とは、本来出家したものが授かるものであり、死者に対して戒名を与えると言う行為自体間違ったものであると思います。
 さらに『戒名料』と言って1文字何十万円も取るなどと、仏教を冒涜しています。
 どうしても戒名が必要だと思うならば、自分で付けて名乗れば良いです。」


 こうしたご意見に「そうだねえ」と同感される方も多いことでしょう。
 確かに「戒名とは、本来出家したものが授かるもの」です。
 だから、葬式とは、生前み仏へ帰依されなかった方が死後、導師の修法によって帰依する心が開かれ、迷うことなくみ仏の世界へ旅立つために行われるものです。

 さて、戒名は、私たちがこの世に生まれた時、親が「良い人生を歩んで欲しい」との願いを込めて一生懸命考えてつけてくれます。
 私たちはその思いを体してこの世を生き抜きます。
 亡くなった時は、迷わずみ仏の世界へ旅立てるよう、帰依した者として戒律と共に新たな名前が授かります。
 それが戒名です。
 誰が授けるかといえば、み仏です。
 だから、当山では、ご尊家様の方々から生年月日や仕事や趣味や信念などをお聞かせいただき、至心にみ仏へ祈ってみ仏からいただきます。
 僧侶はそれをご尊家様へお伝えするだけであり、たかが一行者である僧侶が、親の心と同じレベルで戒名を考えつくなど思いもよりません。
 当然、「1文字何十万円も取るなどと、仏教を冒涜してい」ると考え、当山では一切、戒名料を指定したことはありません。

 こうした真実をふまえれば、真の戒名は「自分で付けて名乗」るものではないことがお解りいただけるのではないでしょうか。
 もちろん、戒名を依頼するには信頼できる寺院があればのことですが……。

 もちろん、ここに述べたことは、仏法を信じ、仏法へすべてを預けた一行者の信念ですから、それをどこまでどう信じるか、どう受け容れるかは皆さんの判断次第です。
 だから、当山では、戒名についてのご質問にはお答えしますが、必ずつけなさいといった強制は行いません。
 そして、お通夜の席では、戒名の意義と、実際にみ仏から降りたばかりの戒名の内容についてご説明申し上げ、後からご質問も受けています。
 お送りする流れのすべてが限りなく理解と納得のもとで行われるよう、全力を尽くしています。

〈ミケ子には穢れがありません〉
220905 002




「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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