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2016
12.04

12月の守本尊は千手観音菩薩様です ─救われる時─

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〈改装中の守本尊道場に、ようやく仏像が建ち始めました〉

 12月は、大雪(ダイセツ)と冬至(トウジ)の師走(シワス…12月7日より1月4日まで)です。
 12月は子(ネ)の月なので、守本尊千手観音(センジュカンノン)様です。

 千手観音〈センジュカンノン)様は天眼無礙智力(テンゲンムゲチリキ)をもって、人々の過去までも見通し、どのような因縁で、何に苦しみ何を求めているかを、無限の(仏教における「千」は無限を意味します)智慧の眼をもってご覧になり、無限の慈悲の手を差しのべ、お救いくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、1年の締めくくりとなる月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

 千手観音〈センジュカンノン)様は、子年(ネドシ)生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあります。
 身体においては、特に腹腰をお守りくださるので、お腹が不調の時などは真言を唱え、ご加護をいただきましょう。

「尊く聖(キヨ)き観世音(カンゼオン)○菩薩(ボサツ)の行を果たさんと○人間界に降り立って○衆生(シュジョウ)の苦しみ同じくし○衆生と共に喜びを○分かち合わんと哀愍(アイミン)し○衆生済度(サイド)に勤(ツト)め往(ユ)く。」


(尊く清らかで聖なる観音様は、菩薩としての務めを果たそうとして人間界に降り立ち、生きとし生けるものの苦しみを自分の苦しみと感じ、生きとし生けるものと喜びも分かち合いたいものだと切に願い、その救済に励む)

 観音様のお救いは、「そうしてはなりません、こうしなさい」と教えるのではありません。
 もしも病気で苦しむ人がいたなら、自分も病人に姿を変えて一緒に苦しみ、それにじっと耐えたり、花に憩いを感じてホッとする姿を見せるなどして、救われる様子を教えてくださるのです。

「善(ヨ)き人々よたとえ百○千万億の衆生(シュジョウ)あり○この世の中の諸々の○苦しみ受けて悩めども○観音菩薩の在(ア)るを聞き○その名至心に称(トナ)うれば○観音菩薩はその音声(コエ)を○即時に観じ応現(オウゲン)し○皆の解脱(ゲダツ)を得せしめん。」


(善男善女よ、無数の生きとし生けるものの世界にあっていかなる苦しみに悩もうと、観音様がおられると知り、その御宝号を一心に唱えておすがりするならば、観音様はその声をただちに聞いて願いを知り、そばに現れて皆をこの上ない安心の世界へお導きくださる)

 私たちは、何かを渇望する時、それを持っており分かち与えてくれるような相手にすがらないではいられなくなります。
 病気になれば、治す術を知っている医師のもとへ走り、お金が必要になれば、銀行へ走ります。
 そのようにして、お互いさま、おかげさま、と生きますが、いよいよどうにもならなくなった時には、「これが欲しい」ということではなく、〈救い〉そのものを求める気持になります。
 これが、おすがりするという状態です。

 だから、具体的な手段を失い尽くし、困り果てた人でなければ、すがらずにはいられないという状態はなかなか理解できません。
 そうしておすがりする者に対して、観音様はすぐさま追いつめられた状態から解放してくださるというのですから、まことにありがたいというしかありません。 
 それが信じられるかどうかは、そこに立ち至り、「南無観世音菩薩」あるいは「おん あろりきゃそわか」、あるいは千手観音様へ「おん ばざらたらま きりく」とおすがりした体験者にとってのみ、意味のある問いとなることでしょう。
 ちなみに小生は、幾度も〝もはやこれまで〟を乗り越えて今、生きており、信じている人の部類に入ります。

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 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた千手観音様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 12月守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、必ずご本尊様へ思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「おん ばざら たらま きりく」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます

※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、

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 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
04.01

4月の守本尊様は普賢菩薩です

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〈紅梅がほころび始めた自然墓〉

 4月4日から5月4日までは「清明(セイメイ)」と「穀雨(コクウ)」の卯月(ウヅキ)です。
 3月は辰(タツ)の月なので、守本尊様は普賢菩薩(フゲンボサツ)です。

 普賢菩薩様は、『諸善解脱三昧智力(ショゼンゲダツサンマイチリキ)』という、苦を解決し心の平穏を保つ智慧をつかさどるみ仏です。
 煩悩(ボンノウ)は、自分を迷わせ、他から邪魔される魔ものを呼び込み、いざ何かをしようとする時に、思わぬ妨げとなります。
 正しい方法によって煩悩を菩薩(ボサツ)の大欲(タイヨク)へ転換させ、自分と周囲を清め、よき運命の創造に障害となる魔ものを祓いましょう。

 また、普賢菩薩様は、辰己(タツ・ミ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かで無事安全に過ごしましょう。

 以下は、普賢菩薩を讃歎する経文です。

「されば普賢(フゲン)の勝徳(スグレル)は○大日如来の三昧(メイソウ)に○住し菩提(サトリ)の心から○生きとし生ける一切の○衆生(シュジョウ)の為に利益(リヤク)する○共利(キョウリ)群生(グンジョウ)実践の○仏の願いと活動(ハタラキ)を○究竟(モクテキ)とすることにあり。」

普賢菩薩様がすばらしいのは、根本仏である大日如来の瞑想と一体化し、その悟りの心から、あらゆる生きとし生けるものたちのためになろうとして、共に助け合って生きられる世界になるよう、願い、活動することがその役割だからである)

 ちなみに、普賢菩薩様は、すべての生きとし生けるものが幸せに生きるための方法として、10種類の修行を説いています。

1  礼敬諸仏(ライハイショブツ):あらゆるみ仏を礼拝する。
2  称讃如来(ショウサンヨライ):あらゆる如来を称賛する。
3  広修供養(コウシュクヨウ)・あらゆるみ仏に供養する。
4  懺悔業障(サンゲゴッショウ):悪しき業(ゴウ)と、その障害を懺悔する。
5  随喜功徳(ズイキクドク):み仏の功徳を心から喜ぶ。
6  請転法輪(ショウテンポウリン):あらゆるみ仏が法を説いてくださるように願う。
7  請仏住世(ショウブツジュウセ):み仏がこの世におられるように願う。
8  常随仏学(ジョウズイブツガク):常にみ仏へ従い、教えを学ぶ。
9  恒順衆生(コウジュンシュジョウ):常に生きとし生けるものを尊び供養する。
10 普皆廻向(フカイエコウ):善行(ゼンギョウ)の功徳をすべて、生きとし生けるものへふり向ける。

 これを「普賢の十願」と言います。
 心したいものです。

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 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた普賢菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 4月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して普賢菩薩様の真言(真実世界の言葉)を唱えましょう。
 たとえ一日一回の行でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 続けて行う回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

普賢菩薩(フゲンボサツ)

「おん さんまや さとばん」

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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
01.15

厄除祈祷について ─悪業の滅し方─

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 そもそも、悪いできごとは、悪い原因があって起こります。
 因果応報です。
 悪い原因とは、時間に対してかかわってくる〈悪い影響力〉であり、それを悪業(アクゴウ)と言います。
 この悪業は悪行(アクギョウ)によって生じます。
 では、悪行は何によって生ずるか?
 誤ったものの観方です。
 だからお釈迦様は、正しい修行道である「八正道(ハッショウドウ)」の第一番目として「正見(ショウケン…正しい見解)」を説かれました。
 
 正しい見解とは、何よりもまず、ありのままに観ることですが、この〈ありのまま〉が問題です。
 たとえば、私たちは優しい言葉をかけられて喜び、貶(ケナ)されて怒ります。
 優しい人にはまた、そうしてもらいたいと思い、酷い人の顔は二度と見たくなくなります。
 これが煩悩(ボンノウ)の「好(コウ)」と「悪(オ)」です。
 自分の都合で相手を分類しており、〈ありのまま〉から離れています。

 また、この時点で、優しい人も、酷い人も、そして自分も〈このままずっと生きている〉という前提が置かれています。
 ところが、この前提は、真理でありません。
 私たちは、身体と心を形成するさまざまな要素がたまたま、うまくまとまっているから〈ある特定の人〉として生きているだけです。
 もしも脳溢血や心筋梗塞が起これば、あるいは交通事故に遭えば、あっという間にこの世を去って何の不思議もありません。
 自分の明日のいのちすらどうなるかわからないのです。
 また、脳裏に思い浮かべる優しい人Aさんや酷い人Bさんはたった今、この世のどこかで確実に生きているとは限りません。

 こうした存在のありようを根本から考えてみれば、すべては因と縁によって仮そめに成り立っている空(クウ)なるものとして平等です。
 優しい人も酷い人も自分も。
 み仏に通じる〈平等の眼〉には、誰しもが幸福を望み、不幸を厭うという平等も観えてきます。
 ここまで来れば、ようやく正しい見解になりつつあると言えましょう。

 その結果、自分と周囲を固定したものとしてとらえ、執着心がさまざまにはたらいて「好(コウ)」や「悪(オ)」や無関心である「平(ヘイ)」となる煩悩(ボンノウ)が動きにくくなります。
 また、誤ったものの観方がなくなれば、それを原因として生じていた悪行は行われなくなります。
 そして、悪行の結果として生じた悪業が引き起こした問題へも根本的な対応ができるようにもなるのです。
 これが因縁解脱(インネンゲダツ)に至る道筋の一つです。

 ところが、〝そうか!〟とわかっても、これまでに染みついた正しくない見解とそれに馴染んだ反応の仕方は容易に消せません。 だから仏神へ祈ります。
 合掌をして。
 左手の自分が右手のご本尊様と一体になった感触が、古い見解と習慣を消す力となります。ご加護が降りるのです。
 当山が行う春祭厄除千枚護摩祈祷は、運気の流れによって正しい見解がはたらきにくくなり、〈厄〉が生じるところをご本尊様のご加護で動かし、皆さんの運が開けるよう祈るものです。
 祈り、守本尊様のお導きで正しい見解となり、悪業を滅していただきたいと願っています。




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2015
10.28

Q&A(その12)子供が友だちと争っても謝らない時は?

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〈「因縁解脱をしたいので」と、お焚きあげに持ち込まれた方の許可を得て撮影しました。こうした紙幣を造っていた時代もあったのです〉

 ある時、寺子屋で、相手をケガさせたのに謝らない子供へどう話せばよいか、というご質問がありました。
 こんなふうにお答えしました。

「最初にB君が君の本を奪い、君がその本をとりかえそうとした時、B君が転んでケガをしたんだね。
 そして先生は、両方が相手に謝ることによって、仲直りをさせようとした。
 でも、君は、B君が先に本を取ったのだから、ケガをした原因はB君にあるので、君は謝る必要はないと思っている。
 そうだね?

 こうした場合、もちろん、争いが起こった原因がどこにあるのかを確かめて、また同じような争いを起こさないよう勉強することはとても大切です。
 そういう意味からは、まず、B君がむちゃなことをしたためにこういう結果になったのだから、B君がやったようなことは、誰でもやらないように気をつけなければなりません。
 もちろん、君もね。
 だから先生は、ケガをしたB君にも謝らせた。

 さて、問題はそれだけでは終わらないよ。
 いきさつはどうであっても、実際にB君はケガをした。
 自分で自分を傷つけたのではないのだから、B君のケガは、争った君に無関係ではない。
 こうした場合に考えなければならないのは、B君がケガをしたという事実に対する〈結果責任〉です。
 もちろん、法律の問題ではありません。
 ケガをしたり、何かを失ったりした人が出た場合、その人を〈思いやり〉、〈見捨てない〉ことが大切なんだ。
 そうでないと社会は成り立たない。
 なぜなら、必ず失敗をしてしまう人間は、助け合わないと生きて行けないからです。

 さて、立場をかえてみよう。
 成り行きしだいでは、君がケガをしていたかも知れない。
 もちろん、君が最初に争いをしかけてしまうこともあるだろう。
 そうした場合、もしもB君が、包帯を巻き手をつっている君に対して知らん顔をしているなら、君はきっと「なんてひどいやつだ!」と怒るだろう。
 絶交するかも知れない。

 しかし、もしもB君が、自分がわざとやったのでもないのに、「A君、ごめんね、大丈夫かい?」と心配してくれたならどうだろう。
 君もこう言えるかも知れない。
「ああ、大丈夫さ。
 元々、僕が悪かったんだから、もういいよ。
 また、遊ぼうね」
 これは、君が、ケガをする結果に関係したB君を許し、B君もまた、争いをしかけた君を許すことを意味しているんだ。

 つまり、B君がどういう〈態度〉をとるかによって、君の心はちがってくる。
 絶好をするのと、また、遊べるのとでは、天と地ほども、君の生きる環境がちがってくる。
 わかるね?

 さて今の状態に戻って考えてみよう。
 君は、ケガをしたB君が今後、君との関係をどうするか、君とB君との関係がどうなるか、そのカギをにぎっているんだ。
 ぼくは悪くない、と言って謝らないのか?
 それとも、B君がケガをしたという事実に〈関係した人〉として、出た結果に対する責任を感じ、「ごめんね」と謝り、「早くなおるといいね」と思いやるか?
 君の態度一つで、B君にとっての生活環境も、君にとっての生活環境も、学校に行く時の気分も決まる。
 さあ、どうしようね。

 私たちは誰でも、失敗をしてしまう人間同士なんだ。
 だから、そうしようとしたわけでもないのに、痛みや苦しみや悲しみや怒りが生じてしまう。
 問題はただ一つ、そうした時にどういう態度をとる人間になるかだ。
 結果責任を感じて謝り、あるいは相手を許し、いっしょになって痛みや苦しみや悲しみや怒りを消して行くか?
 それとも、どっちが正しいかだけを考え、自分が正しいなら相手がどうなってもかまわず、自分が正しくない時だけ謝る、こうした人間になるか?

 そもそも、人間は、自分が一番かわいいので、どうしても〈自分が正しい〉と考えがちだ。
 だから、〈正しさ〉を主張する人ばかりになったら、みんなぶつかり合い、絶好し合い、孤立し、人間社会が成り立たなくなる。
 君が結果責任を感じ、ケガで困っているB君を思いやり、争いをしかけてきたことを許すのは、君が君の住む社会をほんの少し、よくするための大切な態度なんだ。
 よく考えてみようね。」




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2015
02.26

み仏へおすがりする際の考え方

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 最近、相次いで三つのご質問がありました。

1 人生の生き苦しさに負けそうでご加護を求める気持はあるが、祈り方がわからない

 こうした場合は、まず、ご縁の仏神へ心を向ければよいのです。
 たとえば近くの神社へでかけ、本殿の前に佇(タタズ)み頭を垂れるだけでも、心には必ずよい変化が起こっています。
 別に、何かの影が見えたり、お告げが聞こえたりしなくても構いません。
 むしろ、そうした〝見えた気がする〟〝聞こえた気がする〟という感覚をすぐに〈見た〉〈聞いた〉と実体化してしまう方向へ流れるよりは、深閑とした空気と一体になる無為の時間を過ごす方が、健全な変化に至る場合が多いものです。
 画家岡本太郎は、沖縄県久高島の御獄へ行き、天降るとされている聖なる場所を訪れました。
 そこで彼が目にしたのは「森の中のわずかな空地に、なんでもない、ただの石ころが三つ四つ、落ち葉に埋もれてころがっているだけ」の光景でした。
 しかし、彼は「これこそわれわれの文化の原型だと、衝撃的にさとった」そうです。
 私たちの感性には、〈無〉の中に無限の豊饒さや聖性をつかむ力があります。
 神社へでかけると、何となく清められ、何となくリフレッシュした気持になるのはそのせいです。
 この「何となく」そのものに重要な意味と意義があるのではないでしょうか?

 もしも、祈りを具体的に実践をしたい場合は、どうぞ、人生相談をお申し込みください。
 その方に応じた正統な祈り方をお伝えします。

2 今の状態から脱したいのでお寺へご祈祷に行きたいが、自分自身に関する悩みが多く、どう願えばよいかわからない

 まず、第一に押さえておきたいのは、自分そのもののありようについて真剣に悩むのは、人が人である証拠であるということです。
 お金がない、人間関係に躓(ツマヅ)く、気に入った仕事に就けない、結婚できない、などは他者との関係における悩みですが、自分の性格に困っているが、どうすれば変えられるのかがわからない、打たれ弱く、このまま人生を過ごせるかどうか不安でたまらない、など、自分そのものに関する悩みもあります。
 後者は影法師のようなもので、環境や相手が変わろうと、どうにもなりません。
 そうした場合は、因縁解脱や転迷開悟、あるいは運命転化を祈りましょう。
 因縁解脱とは、無限の過去世から連なる悪因縁の影響力から離れ、生き直すことです。
 転迷開悟とは、迷って救いの明かりを求めるいのちと心の力により、真理・真実の方向へ向かうことです。
 運命転化とは、過去世からの因縁と、今の身体と言葉と心のはたらきとによって時々刻々と創り続けている運命の方向を変えることです。
 こうした願いの成就に必要なのはまず、自分自身の努力ですが、自分の姿をよく観て悩むことがすでに立派な努力です。
 次に縁の力ですが、自分が社会内存在として生きていることそのものが、皮膚によって肉体が守られているようなものであり、縁の力によって守られているという真実を示しています。
 もう一つは仏神のご加護ですが、これもまた、気づきさえすれば確かにあるのです。
 善男善女のよき願いを体して祈る行者としては、実践的にも〈在る〉という真実を確信しています。

3 お寺へ相談に行きたいが、勝手に住職の時間をもらうのは申しわけない

 当山では、真剣に悩む方を相手にしての世間話はしません。
 未熟な行者としては、皆さんの人生に関わる問題について、み仏と一体になる法を結ばずに対応することはできないからです。
 もう一つの理由としては、1日が24時間しかない中で、ご縁を求める方々への対応はすべて法務であり、法務に対してまごころからお納めいただくご喜捨によってのみ成り立つ寺院としては、各種催しの後などに設ける自然なお茶会は別として、ダラダラと時間を費やせないからです。
 そして、会話とは互いに相手の人生の一部を分けいただくことだからです。

 考えてみましょう。
 自分が誰かに話を聴いてもらっている時、相手の人生は時々刻々と休みなく減り続けているのです。
 もしも自分の都合でダラダラとしゃべっているなら、誰かの人生を捨てさせているだけの時間かも知れません。
 それは人生そのものへの不誠実というものではないでしょうか?
 当山は、スマホに束縛され、1日のうち何時間も交信に費やしている文化に危うさを感じています。
 互いが意志疎通を円滑にしていると言えば結構ですが、言い換えれば、別の観点ならすれば、1日24時間しかないいのちを毎日、互いに数時間づつ奪い合っているのです。
 ――自分の都合や気分や不安によって。
 一方的な問いかけにすら返事をすることが誠実さの表れであるという強迫観念に囚われている精神、すぐに返事をしないと即、人間関係がおかしくなる文化、いずれも異様ではないでしょうか?
 発信は、受け手の人生を分けいただく神聖なものです。
 だから当山における人生相談では、袈裟衣を着け護身法を結び、心して皆さんの発信を受け止めます。
 小生はどなたと、いかなるやりとりをする時も、相手様の存在に伴う人生の砂時計を意識しています。

 小難しいことを書きましたが、皆さんの真剣な求めに応じて人生相談を受けるのは寺院の法務であり、行者の務めなので遠慮は要りません。
 人生相談で確保できる時間は30分から1時間です。
 どうぞ、問題点をまとめ、日時のお申し込みをしてください。




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