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2016
06.19

「お前いつまで生きているつもりだ」に思う ─失言と選挙制度─

2016-06-18-008.jpg
〈カラスの背中には〉

 政治家失言は〈付きもの〉らしい。
 だから、国民も聞き慣れ、特に日本人は多様性をそれなりに認める感覚があるので、「誰にでも失敗はあるさ」とばかりに、〈謝れば終わり〉としてきたように思える。
 それはそれで一つの文化であり、社会内で収拾がつかない先鋭的な対立や混乱が起こらないでいることは評価したい。

 しかし、そもそも政治家失言は、庶民レベルの失敗や、うっかりとは違う。
 言ってはならない本音を、言ってはならない立場にいることを知っていながら言ったという事実の持つ意味は大きい。
 だから、その内容が政策の実現や選挙での勝利に障碍になるからと、早々に引っ込められても、国民は、「そうですか」「仕方がない」と済ませるべきではないと思う。

 政治家が国民に注目されるような失言は、常々、本人が掲げている主張と異なっていたり、国民の多くが望んでいることとは相反するような内容を含んでいればこそ注目される。
 つまり、そこでは、〈常々、本人が掲げている主張〉は信念ではなく仮面であることが露呈している。
 また、〈国民の多くが望んでいること〉を本人は決して望んではいないことも証明している。

 今回、看過できないと思うのは副総理・財務相である麻生太郎氏の発言である。
 6月17日、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会において氏は講演し、こう語った。(各種メディア共通の内容である)

「お金を何に使うかをぜひ考えてほしい。
 金は使わなきゃ何の意味もない。
 さらにためてどうするんです?」

「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」

「私のばあさんは、一切貯金はせず、金は息子と孫が払うものと思って、使いたい放題使ってました」


 なお、氏は終末期医療に関して、平成25年1月にこう発言し、撤回している。

「政府の金でやってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。
 さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」


 翌平成26年12月には少子高齢化と社会保障に関して、やはり問題発言の釈明に追われた。

「子どもを産まないのが問題だ」


 こうした一連の発言を眺めてみると、ここにあるのは明らかな本音であり、釈明や撤回で〈なかったこと〉には決してできない大きな問題が見えてくる。
 その大きなものは三つある。

 一つは、政策という看板と、政治家の本音との乖離であり、政治家政策の実現にいのちがけで取り組んでいないという欺瞞である。
 政権を取り、政権を担い、権力を行使し、国を思い通りに動かしたいがための看板でしかないという恐るべき実態である。

 もう一つは、看板通りに国策が進まない理由を、権力者である自分ではなく、世間の心構えにあるとする根本的勘違いと傲慢さである。
 世間の人々は、90才になってなお、生きている自分の周囲にさまざまな問題を抱えているからこそ、「老後が心配」なのであり、本当は死んだ後についてすら、心配なのだ。
 当山の人生相談には、障碍を抱えたお子さんやお孫さんのいる方、貧困に苦しむ方など、生きて行くのが辛い家族を抱えた方々も訪れる。
 お年寄りが安心して死ねないのも、溜めてきたお金を簡単には使えないのも、女性が子供を産めないのも、もちろん個別の理由はあろうが、それがこれだけの社会的現象になっていることは、本質的な責任が個々人にではなく、政府、政治にこそある証拠ではないか。
 仏教的視点から言えば、社会的な悪しき共業(グウゴウ)が、個人的な善業(ゼンゴウ)を押し潰しているように見えてしまう。
 その真実に気づかぬ政治家が政府の中枢にいることは恐ろしい。

 もう一つの問題は、こうした政治風景をもたらした選挙形態である。
 麻生太郎氏のみでなく、これまで、騒ぎになっては消されてきた政治家の失言や暴言をふり返って見ると、この問題の深刻さがわかる。
 小選挙区制によって、政党の支持は政党が決めた政治家の支持とイコールになるしかない。
 つまり、選挙民は〈政策〉は選択できても、候補者の〈人格〉は選択できない。

 政党と候補者の都合が100パーセント、投票行動を決定しており、候補者の人となりを知っている選挙民は決して〈人物〉を選択できない。

 一方、政治の流れを観ていると、政策など、紙切れ同様の扱いしか受けてはいないと思える。
 政党は簡単に政策を変え、政治家は旗印を変え、所属する政党を変える。
 もちろん、「政治は生きものである」以上、ある程度は当然の現象だ。
 ならば、選挙民は、どうやって政治家へ希望や夢を託すべきだろう。
 どうやれば、託せるのだろう?
 そのためには〈人物〉を選ぶことが最も大切であり、〈人物〉を選べない小選挙区制が、選挙民の納得できない諸問題を生んでいるのではなかろうか?

 思えば、日本特有の「首相の解散権」が、結果的に嘘をついた政治家の免罪符になっているようだ。
 議員の生殺与奪の権を握っているたった一人の首相は、国会を解散するというとてつもない件につき、一切の制約を受けず、いかなる嘘をついても構わないことになっている。
 解散風が吹くと、国会内だけでなく、マスコミ界も一種の賑わいを見せる。
 解散があってもなくても、より〈意外な〉結果になると、また、一段の盛り上がりを見せる。
 だから、誰も「おかしい」とは言わない。
 しかし、世界に目を転ずれば、少数のエリートに権力が集中することの危険性を知悉している国々では、解散権を縛っている。
 権力者が自分の都合を第一にして勝手な行動をとることのできない仕組みにしている。
 首相の嘘について国民が盛り上がることなどあり得ず、冷静な投票行動によって判断をくだす。
 一方、日本では、総理大臣の嘘が政治劇として許される。
 だから、「1000パーセントありません」と言いながら正反対のことをやる政治家も現れ、人気を博す。
 国民は、劇を楽しみつつ、あまりにも問題の多い政治風土をつくっている。

 国民はもうこのあたりで、立ち止まり、考え、行動すべきではなかろうか。
 選挙では、政権なり政党なりがその時点まで何をやってきたか、これから何をやろうとしているかが、誠実に国民へ伝えられねばならない。
 そして政治家は、自分をかける政策を語り、選挙民はその人物が負託に応えられるかどうか、よくよく見極めねばならない。
 そのためには、政党と候補者の都合のみによって立候補者が絞られるのではない、新たな選挙制度が求められる。
 また、政策なり、人物なりについて大きな問題が起こったならば、政治家は〈説明〉で逃れようと汲々とせず、きちんと〈責任〉を取るべきだろう。

 この稿は、麻生太郎氏への個人攻撃ではない。
 氏には気の毒だが、その発言に含まれている膨大な問題を愚考させていただいた。
 氏と支持者の方々には不快極まりなかろうが、政治家の宿命として、勝手な稿をお許しいただきたい。
 こうした稿を書かねばならないことは極めて残念だ。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
07.23

幸せな死とは?(その2) ―人を幸せにする医学―

201507230001.jpg
〈40年前の結婚式〉

 外科医中山祐次郎氏著『幸せのために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』を読んでいます。

 医師は、「誰もいないはずの部屋のナースコールが鳴った」「誰も入院していない個室で、窓が閉めてあるのにカーテンがずっと揺れていました」「お見舞いに一緒に来た赤ん坊が、何もないところを見てきゃっきゃっと笑っていたり、小さい子どもが誰もいないところを指さして『あれ誰?』なんて言う」などと、意外な事実を述べます。

「医療者であればみな、実は万物を超越した存在を感じていると思います。
 合理的な説明のつかない現象を目の当たりにしている我々は、その見えない『ある力』の存在を否定できないのです。
 だから私は、想定外のことも想定します。
 というより、想定外のことなど何もないと考えています。
 本当に、何が起きても不思議ではないこの世の中、『事実は小説より奇』です。
『何が起きても不思議ではない』と心底思うことができたなら、不測の事態にも動揺が少なくてすみますよね。」


 そして、「医師には、結構ゲンを担ぐ人」がおり、中山医師は執刀の際、「必ず赤いパンツをはくように」しているそうです。

 ある患者さんが亡くなり霊安室を訪れた時のことをこう書きました。

「地下の霊安室の前の廊下は朝からひんやりとして、物音ひとつしない。
 霊安室に近づくにつれ、私は感じる。
 人がぬということ。
 んだ人がいるということ。
 その事実がまわりの空気を冷やしている。」


 また、意外な事実が述べられます。

「以前こんな面白いアンケートを見ました。
ぬより辛い状態は存在するか』という質問に、一般の人は三割くらいしか『存在する』と答えなかったのに対し、医師はほぼ100パーセントが『存在する』と答えたのです。
 めちゃくちゃ痛かったり、息苦しくて暴れ回ったり、不安と哀しみで地獄を味わったり、医師は患者さんのそういった辛い状態を実際に見ているので、こういうアンケート結果になったのでしょう。
いのちを延ばす』ことを至上目標にしている医師たちは、患者さんにも『一時間でも一分でも長く生きることがいいことなのだ』と言って、治療にあたります。
 でも自分たちは『いのちを終えた方がまだマシ』という状態があることに同意している。
 なんとも皮肉なアンケート結果ですね。」


 そして、医師はひとりひとり「口に出すことすらはばかられる『葛藤』」を抱いていると告白します。
 人工呼吸器、点滴、輸血などをどうするか、生に直結する判断の場面から、医師は逃れられません。

医学の至上目標は『いのちを延ばす』ことだと言いながら、医師はしばしば、神様が下すような判断を迫られることがあるのです。」


 医師はさらに先へ行きます。

「一度精神科のお医者さんの講演を聞いたときに、質問したことがあります。
『自はいつも病的なものなのですか。
 死にたいと思う気持は、病気なのですか。
《正常な》自死なんてものは存在しないのですか』と。
 答えは、『きわめて難しいが、精神医学では自死を病気として扱う』とのことでした。
 医学の目的が『いのちを延ばす』ことであれば、自死はひとつの病気として治療の対象になるでしょう。
 でも本当でしょうか?
 死ぬより辛い状態があるということを、いのちを終えるよりほかに解決策がないような苦痛がこの世に存在していることを、医師たちは知っているのに。
 医学の語彙は、自死というもの全体を語るには十分ではない気もしています。」


 私たちも知っています。
 苦痛のみの生から脱するために、自らチューブなどを外して欲しいと頼む、あるいは外してしまう患者さんがいることを。
 家族への負担を打ち切るために、点滴などを外して欲しいと頼む患者さんがいることを。
 あるいは、死期を悟り、残りの人生を治療以外のものに使いたいと願い、治療を受けない病人がいることを。
 小生は、命日を予言し、その日に向けて淡々と法務をこなしたお大師様もそのお一人であると固く信じています。
 
 さて、医師はとうとうたどり着きます。

「そしてさんざん悩んだあげく、今私はこう考えます。
 医学の目的とは、『いのちを延ばす』ことではなく、『人を幸せにする』ことであると。」

幸せのかたちは人それぞれです。」


 だから、長生きしたい人にはその手助けをし、苦しく痛い治療を避けたい人には無治療という選択肢もあると示し、臓器を提供したい人にはそうした手続きをし、痛み止めを求める人にはたくさん使い、家で最期の時を迎えたい人にはその準備をし、医師へ任せたい人には道を決めてあげます。

「人を幸せにする。
 そのために医者はいるし、医学はあると思うのです。
 ひょっとしたら、『幸せにする』なんて、傲慢でおこがましいかもしれません。
 でも、私は『幸せになるお手伝いをする』なんて他人行儀名ことは言いたくありません。
 そこには『患者さんを幸せにする』という覚悟と、責任を持っていたいのです。」


 ここにある決意は、小生の旗「(人々の)この世の幸せとあの世の安心のために」と何ら変わりありません。
 小生は、役に立たせていただきたいという偽らざる願いを持っていますが、医師は「覚悟と、責任」まで踏み込んでおられます。

 かつてお送りしたAさんは、バブル崩壊後に100億単位の借金を抱えて危機に瀕した企業を守り抜き、傍からはいかなる神力を持っているのかと訝られるほどでした。
 いよいよという頃、震える手を合わせながらAさんは言われました。
「住職さん、私はろくでもないことをさんざんやってきました。
 もう、おすがりできるのはお大師様と住職さんしかありません。
 どうか、極楽へ送ってください。」
 あの時の手の震えと温もりは年月が経ってもまだ、鮮明です。
 低い声で小さく「はい」としか応えられませんでしたが、ベッドにかがみ込みつつ背筋を伸ばす小生の心にも〝必ず〟という石のように動かせない思いが生じました。
 覚悟責任だったのかも知れません。

 ようやく白みかけてきた窓外の世界はヒグラシの声に満ち、湿り気を帯びた空気はひんやりしています。
 すでに暦は6月の夏至において隠遁(イントン…陰の世界へ入ること)しており、立秋まであと半月です。
 ひょっこり出てきた40年ほど前に撮った写真(友人の結婚式)を目の端に入れながらこの稿を書き終えました。
 今日も引導を渡さねばなりません。
 南無大師遍照金剛。
 



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2014
05.28

【現代の偉人伝】第190話 ―沈む船から生徒を救った教師―

20140527020.jpg
〈ペットの共同墓『一心』に捧げられた作品〉

 5月25日付の河北新報は、「生徒誘導に下階へ」を掲載した。
 韓国の旅客船セウォル号が沈没事故を起こした際、乗り合わせたソウル郊外の檀園高校の教師たちが、船内待機を命じられた下生徒たちを救おうと、逃げやすい上階にいたにもかかわらず、下階へ降て避難させた。
 その結果、教師14人のうち救助されたのは3人のみ、遺体の多くは救命胴衣を着けておらず、生徒たちへ着せようとして精いっぱいだったのだろう。

「船が傾いたとき、2年2組担当のチョン・スヨンさん(25)と7組担当のイ・ジヘさん(31)は、5階の女性教師の部屋から下へ降りた。
 2人は浸水する船内でパニックになっていた生徒らに『甲板の上に逃げて』と誘導したと、生還した生徒は話す。
 チョンさんの遺体は3階で、イさんの遺体は4階で見つかったが、いずれも救命胴衣を着ていなかった。
 5階の同室にいた他の女性教師2人の遺体も4階で見つかっている。」
「4階に部屋があった男性教師4人も死亡。
 6組担当のナム・ユンチョルさんは生徒数人を非常口まで引き連れた後、再び下の階へ降りていった。
 遺体は船外で見つかったという。」

 
 江戸時代の寺子屋で用いられていた『童子教』は説く。

「三宝(サンボウ)には三礼(サンライ)を尽し
 神明(シンメイ)には再拝(サイハイ)を致(イタ)せ
 人間には一礼(イチレイ)を成せ
 君(シクン)には頂戴(チョウダイ)すべし」


 寺院や仏壇などの前では仏法僧の三宝へと3回、礼拝を行う。
 神社や神棚の前では東西南北の四方(シホウ)と、北東・南東・南西・北西の四隅(しぐう)、あらゆるところにおわす神々へと2回、礼拝を行う。
 人間に対しては一回のお辞儀を行う。
 師や君に対しては、教育や指導や指示などをありがたく、おしいただく。

 師や君すなわち指導的立場にある者はなぜ、生徒や弟子や部下などから、与えるものをおしいただかれるのか?
 それは、与えるものの内容に価値があり、役立つからだけではない。
 特定の立場を通し、他人への責任を社会的に表明しているからである。
 たとえば20人の部下を持っている人は、20人分の責任がある。
 もしも小さな会社の社長ならば、社員20人に連なる家族たちなどへの責任も間接的に負っている。
 ここを誤り、強権的な態度をとる社長は指示を決して〈頂戴〉されない。
 社長が黙って責任を果たす時、はたらく背中や、まとう空気が、社員たちに〈頂戴〉する心を起こさせる。
 立場をかけ、人生すらかけてこそ、まっとうな社長である。

 最近、関東方面に住む信徒Aさんから、お便りが届いた。
 Aさんは当初、上司を強権的だと思い、困り果てていたが、自分の心をふり返り、上司の様子をありのままに観察したところ、上司が果たしている責任の重さに気づき、それに気づかないでいた自分を恥じた。
 そして、積極的に手伝い始め、職場の空気は一変した。
 やがて上司は、靴をボロボロにすり減らしてはたらくAさんへ靴をプレゼントした。
 感激したAさんは、さらに覚悟を深める。

「早朝一番早く現場に来てゲートを開けて、入場する自動車をチェックする上司の業務を私が代行するように、事務所に申し出ました。
 上司より私のほうがはるかに職場に近く住んでいます。
 覚えることが多く、すぐには変われないのですがやがては上司の負担を軽くするために頑張るつもりでいます。
 上司は本当に助かるはずです。
 応援よろしくお願いいたします。」(Aさんの承諾のもと、プライバシーなどを勘案し、内容を一部変更しながら転載しています)

 Aさんも当山も、仏神のご加護を祈っている。

 檀園高校の教師たちは、師たるべき態度を貫いた。
 いのちをかけて責任をまっとうした。

「犠牲になった生徒の親は、教師の遺影と遺族に
『子供たちは、先生のおかげで最期も怖くなかったでしょう』
と泣きながら感謝を伝えたという。」


 過酷なできごとは人間の暗部を見せただけでなく、霊性の確かな輝きも見せた。
 生徒、教師、そして亡くなられた方々へあらためて合掌したい。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2012
06.26

お母さんを頼む ─父親が息子を大人にする方法─

20120625026.jpg
〈虎を一族に持つ者の堂々たる歩み〉

 人生相談に来られたTさんの余談です。
「いつからでしょうか。
 夫は、仕事で遠出をする時に、息子へ『お母さんを頼むよ』と言うんです。
 欠かしたことがありません」
 お子さんはまだ十代半ば、まだまだ「お父さん」「お母さん」と甘えたい年齢です。
 しかし、お父さんの言葉は、芽生えかけている〈男性〉としての任務矜恃責任といった人格を形成する上で非常に大切な意識へ適切な刺激と養分を与え、すばらしい教育になっています。
 彼は思うでしょう。
「―――俺は男だ」
 親子という関係を超えて、男が男に信頼されるという誇りが芽生えます。
 そして、母親は、その懐が恋しい存在であると同時に、男性である自分が守らねばならない優しく尊い女性として彼の心にイメージされ、彼は、きっと無意識のうちに自分を強く凛々しい男性である、あるいはそうありたいとイメージするはずです。
 一人の男の子は一人前の男性になるという理想的なパターンです。

 これをお聞きしただけで、もうこのお子さんは大丈夫と太鼓判を押せます。
 まだ会ったことのないご主人の男同士の信頼感をベースにしながら息子を育てる智慧、そして、妻への思いやりの深さには脱帽です。
 夫の賢さを世の男性に見習っていただきたいし、こう言わせる妻の姿勢も世の女性に見習っていただきたいと心から思いました。

 ちなみに、Tさんは決して弱々しくはありません。
 しっかり者なのに夫にこういう心を起こさせるものは女性としての可愛さであり、それは年齢と無関係です。

(この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)



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「おん さんざんざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2012
03.19

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その40)─指導者の孤独・重い言葉─

20120319001

 江戸時代まで広く寺子屋で用いられていた教材『実語教童子教』を見直しましょう。
 日常生活でも用いる警句などがふんだんに含まれています。

「国土を治むる賢王(ケンノウ)は  
 鰥寡(カンカ)を侮(ク)ゆることなし」


(国を治める資格のある賢い国王は、孤独に過ごす日々を悔いたりはしません)

「鰥」は見慣れない文字ですが、妻のない男性のお年寄りです。
 ある勉強会で、この文字の成り立ちが、魚の目から涙が流れている様子を示すと知った時は、皆さんと一緒に「へえ」と小さく嘆息し、しばし、言葉にならなかったものです。
「寡」はその反対に夫のない女性のお年寄りです。
「鰥寡孤独(カンカコドク)」という熟語があり、「孤」は親のない子供、「独」は子供のいないお年寄りを意味し、身寄りがなく淋しい境遇です。

 江戸時代には、国王の孤独を子供たちへいかに教えていたのでしょうか?
「お殿様は何不自由ない暮らしをしているように見えても、最後はすべての責任を自分が負わなければならないのだから、大変な職責を果たしているのです。
 誰かの意見を聞いたりはしても、最後はたった一人で決断し、責任を負うのです」
 あるいは……。
「最も権力のある人は、いつも注意深く過ごさねばならないのです。
 誰かが自分の座を狙っていると考えて、守りをしっかりせねばなりません。
 うかつに周囲の人へ気を許すと、計略にはめられたり、寝首をかかれたりするかも知れないから大変です」
 そして……。
「でも、本当に賢いお殿様であれば、周囲の人々がまちがったことをやろうとした時も、決然として断を下すはずです。
 それができるためには、自分の弱みを見せたり、えこひいきで周囲に対立を生んだり、好きなものごとに溺れていたりはできません。
 何にもとらわれず堂々と決断して、それを実行するには、自分の人間性を厳しく磨いておかねばなりません。
 皆さんも、お殿様のように偉くなって世の中を良くしようと志すならば、友だちと遊んでばかりいないで、自分が強い人間になれるよう、文武両道で自分を厳しく鍛えましょう」

君子の人を誉めざるは  
 則ち民の怨(アダ)と作(ナ)ればなり」


君子と呼ばれるような人は、うかつに人を褒めません。
 褒められた人は周囲から妬まれ、やがては怨まれたりもするからです)

君子は三思一言(サンシイチゴン)」ということわざがあります。
 君子は、一言話す前に三回考え直してみて、それでも確信があるならばようやく口にしてよいのです。
 それだけ周囲へ影響を与えるし、君子自身も一言、一言によって考えている内容が推しはかられるからです。
 現代に当てはめれば政治家の発言などが〈重い言葉〉に該当しますが、〈三思〉が感じられるほどの人はあまりおられないやに見受けられます。
 それどころか、秘しておくべきものを軽々にしゃべり、自分が重要な情報源であることを認知してもらうことで実力者の位置を占めていたいという下心が見えて見苦しい場合もあります。

 能の名人世阿弥は書きました。
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
 肝腎なところを徹底的に突きつめてから表現すべきであるという厳しい教えです。
 舞台に表れるものは、膨大な稽古や準備からすれば、ごくごく一部です。
 大輪の花々をいくつも咲かせられるほどの力をもって、さりげなく咲かせて見せる一輪の花にこそ妙味があるのです。
 その力をむき出しにした表現からは味わいが消え失せます。

 平成元年、竹下内閣の後継をめぐって多士済々な人物が水を向けられた中で、固辞した故伊東正義代議士の「本の表紙を変えても、中身を変えなければだめだ」は歴史に残る一言でしょう。
 彼は権力闘争をして自分が最高権力者のイスに座るよりことよりも、ひとえに日本と自民党がいかにあるべきかを考え、皆でまず、党をきちんと立て直そうと訴えました。
 総理大臣になれる千載一遇(センサイイチグウ)のチャンスを自分から放棄したのです。
 清浄で強い志が、いざという場面での君子たる一言になりました。

 今回は指導者の心構えを学びました。
 子供の頃からこうした薫陶(クントウ)を受ければ、子供たちの心で尊い部分が成長するのではないでしょうか。




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