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2016
03.20

漢文『法句経』を読んでみる(その3)

2016-03-20-0001.jpg

 寺院や寺子屋ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
 当山では、寺子屋やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。
 小生の土台はこの教えによってつくられました。
 どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
 新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)

 前回に続き【無常品(ムジョウホン)第一】 です。

〔二一〕此(コ)れを知りて能(ヨ)く自(オノズカ)ら静め、是(カク)の如(ゴト)く生(セイ)の尽くるを見て、比丘(ビク)は魔兵(マヒョウ)を厭(イト)いて、生死(ショウジ)より度するを得(う)。


(無常を知って心を静め、生じたものは必ず滅するという真実を見極めて、行者は魔ものの兵士たちを制圧し、生まれては死ぬ迷いの世界から脱することができる)

 これより【教学品(キョウガクホン)第二】へ入ります。

・教学品(キョウガクホン)とは、導くに行う所を以(モッ)てし、己(オノレ)の愚闇(グアン)を釈して道(ドウ)の明らかなるを見ることを得しむ。


(教学品においては、行動の規範を示して導き、自分が愚かで智慧の明かりがない状態であることに気づかせ、教えが智慧の明かりであると理解させるものである)

〔二二〕咄(トツ)哉(カナ)何(ナン)ぞ寐(ビ)を為(ナ)さん。螉(オウ)、螺(ラ)、蚌(ボウ)、蠹(トウ)の類(タグイ)、隠弊(インペイ)するに不浄を以(モッ)てし、迷惑して身(シン)為(タ)りと計(ケ)す。


(こら、起きよ、なぜ惰眠を貪っているのか。ジガバチ・タニシ・ドブガイ・木喰い虫のような者たちよ。不浄なものに覆われているというのに、迷い惑ってそこに我が身があると考えているとは何と愚かなことか)

〔二三〕焉(イズク)んぞ、斫創(シャクソウ)を被(コウム)り、心、疾痛(シッツウ)に嬰(カカ)るが如(ゴト)くにして、衆(モロモロ)の厄難に遘(ア)うに、反(カエ)って用(モッ)て眠るを為(ナ)すこと有(ア)らんや。


(まるで刀傷を受けたように心は病み、痛み、さまざまな災厄や難事に遭遇しているのにもかかわらず、眠りこけているなど何たることか)

〔二四〕思いて放逸(ホウイツ)ならず、仁(ジン)を為(ナ)し、仁(ジン)の迹(アト)を学べば、是(コ)れに従(ヨ)りて憂い有ること無く、常に念じて自(ミズカ)ら意を滅す。


(よく考えて気ままに走らず、他者を思いやり、慈しみ、そうした人々の行跡を学べば、憂いは無くなり、いつも正しい道へ思念を集中して自ずから波立つ心の動きを滅することができる)

〔二五〕正見(ショウケン)にして、学び務めて増やさば、是(コ)れを世間の明(ミョウ)と為(な)す。所生(ショショウ)の福千倍し、終(ツイ)に悪道(アクドウ)に堕せず。


(正しい見解を持ち、学んで増やせば、それが世間を導く灯火となる。いかなる場所に生まれようと福徳は無限に膨らみ、決して地獄・餓鬼・畜生の世界へ堕ちはしない)

〔二六〕小道(ショウドウ)を学びて、以(モッ)て邪見(ジャケン)を信ずること莫(ナ)かれ。放蕩(ホウトウ)を習いて、欲意(ヨクイ)を増さしむること莫(ナ)かれ。


(卑小で誤った道を学び、邪な見解を信じてはならない。気ままな生き方を習い性として我欲を増やしてはならない)

〔二七〕善(ヨ)く法を修し行じて、学誦(ガクジュ)して犯すこと莫(ナ)かれ。道(ドウ)を行ずるに憂い無く、世世(セセ)に常に安(ヤス)し。


(正しく真理の教えを修め実践し、学び、唱えて、決まりに反することを行ってはならない。教えの道を実践する者はいかに輪廻転生を繰り返そうと、心は平安である)

〔二八〕敏(ツト)め学)びて身を摂(セッ)し、常に思(シ)と言(ゲン)とを慎めば、是(コ)れ不死に到る。行(ギョウ)滅すれば、安らぎを得(ウ)。


(よく学んで身体の行動を慎み、常に思念と言葉を慎めば、生死の迷いを超えた境地へ達する。生じ、滅するものに惑わされなくなれば、永遠の安らぎが得られる)

〔二九〕務めに非ざれば学ぶこと勿(ナ)かれ。是(コ)れ務めなれば宜(ヨロ)しく行ずべし。已(スデ)に念ず可(ベ)きを知らば、則ち漏(ロ)は滅することを得(ウ)。


行者としての務めでないことを学んではならない。務めならばしっかり実践せよ。心へ保っておくべきことを知り尽くせば、煩悩は消滅する)

〔三〇〕法を見て身(ミズカ)らを利すれば、夫(ソ)れ善方(ゼンポウ)に到る。利を知りて健(タケ)く行ず、是(コ)れを賢明(ケンメイ)と謂(イ)う。


(真理をつかんで自分の血肉にすれば、悟りの境地へ至る。その価値を知って果敢に修行するのが、賢く、智慧の明かりを持った者である)




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2015
12.24

殺人者の夢枕に思う ─夢・亡霊・廻向─

20151223000123.jpg
〈磨かれ、鮮やかな紅色をまとった六地蔵様〉

1 殺人事件と夢枕

 12月22日、奈良県警は、無職の川中浩容疑者(52才)を殺人の容疑で逮捕した。
 殺されたのは内縁の妻(82才)である。
 川中容疑者は滋賀県警に自首した。
「実は口論になって人を殺した。
 被害者が枕元に立って、仕事も手につかなくなった」
 
 夢枕に立つ被害者の亡霊に悩まされて自白した例としては、昭和46年に8人の女性を殺した大久保清事件が思い出される。
 スポーツカーに乗り画家を装った被告は幾度も刑務所暮らしをした結果、連続殺人事件を起こし、逮捕後も暴れたりしたが、最後は夢枕に立つ被害者たちの亡霊に耐えきれず自白した。
 また、4人の遺体が埋められていた現場近くでは、ことが発覚する前から幽霊を見る人が相次いでいた。
 被告は証言を覆さないと誓い、2年後に前橋地裁で死刑判決を受けても控訴せず、その3年後には東京拘置所で死刑が執行された。
 被告は最後まで死霊に怯え、死刑を怖れていたが、謝罪や懺悔は一切、なかったとされる。

2 制御できない無意識

 犯人は二人とも夢枕に立つ亡霊を見て、どうにもならないところまで追いつめられたが、それは当然である。
 無意識が起こすものであり、無意識の領域は意識つまり自我が直接、関与できないので、見たくなくても止められず、無意識の世界が変化するまでその夢は反復され得る。

無意識の自立性は情動が起こる時に始まる。
 情動は思いどおりにはならない本能的な反応であって、その反応は意識の合理的な秩序を自然力の爆発によって攪乱する」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)

「我々は無意識を無と呼ぶが、しかしそれは潜在している現実である」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)


 夢は自我のコントロール圏内にはないが、自分のと無関係ではない。

「デカルトが『考える』ことを重視したのに対して、たましいは『想像する』ことを重視する。
 想像(イマジネーション)こそは、たましいのはたらきであり、それを端的に体験するのは夢であろう。
 夢の大切な特徴は、それが人間の意識的自我によって支配できぬことである。
 夢は自我のつくり出したものでない証拠に、われわれは夢の展開がどうなるかまったくわからないし、『思いがけない』人物が登場し、展開が生じる。
 つまり、夢創作の主体は自我ではない。
 このような夢を創り出す主体をたましいであると考えてみるのである」(河合隼雄著『宗教と科学の接点』より)


 私たちは、実際には見たことのない光景を夢の中で幾度も見ることがある。
 意識の外に追いやりたい、記憶から消してしまいたい被害者の様子が繰り返し夢に登場したとて、何の不思議もなく、かつ、どうしようもない。
 夢にうなされ、目覚めては烈しい情動が起こり、事実を口にせずにはいられなかった二人の葛藤はいかばかりだったことか。

3 亡霊廻向

 では、亡霊はいるのか?

 一つは、死後、転生(テンショウ)する先が定まっていない中有(チュウウ)の御霊である。
 行く先がわからず、かつ、引導(インドウ)も渡されぬままの死者は、浮遊するしかない。
 インドのギュメ寺元管長ドルジェ・ターシー師は説く。

「中有の状態は決して楽ではありません。
 むしろ苦しみそのものです。
 なぜなら自分の生まれる先を必死で探さねばならず、また自分の心の投影であるさまざまな化けものや猛獣が現れて本人を苦しめるからです」


 だから、引導とご供養は重要である。

 もう一つは、この世への執着心により地獄などへ堕ちた御霊である。
 同じく、ドルジェ・ターシー師の言である。

「死ぬ際にとりすがって泣きつくと、死に向かう者の気持は大きくとり乱されます」
「死ぬ前にはその人が喜ぶようないい話をしてあげるのです」
「仏法に関する話をしてあげて、法に心が向く状態で死なせてあげることが死者を見取る最高の方法です」


 だから、感謝をもって送ること、ご葬儀における「お別れの言葉」に託すまごころなどは重要である。

 こうしたことを考えても、〈浮かばれない〉御霊が犯人に対して強い怨みの念を持ち続け、生死を超えた広大な無意識の領域で何かの感応が起こり、犯人の〈悪夢〉につながったものと思われる。
 ちなみに、当山では、さまざまな修法の最後にこうした願文を唱える。
「いまだ成仏せざる者には、願わくは成仏せしめん」
 修法の功徳(クドク)を未成仏霊へ廻向(エコウ…廻し向けること)するのである。
 当病平癒や商売繁盛のご祈祷でも、三回忌供養の修法でも、目的とする内容の如何を問わず、ご本尊様からいただいたお力の一部を未成仏霊へふり向け、少しでも成仏への縁としたいと願っている。
 善き願いをもって修法の場に臨んだ善男善女にとっても、善行(ゼンギョウ)の功徳を広く廻向することがさらなる善行となり、本来の目的達成の力となるはずである。

4 日常生活における廻向

 最後に廻向について述べておきたい。
 もちろん、最高の廻向は寺院での修法を依頼することだが、日常生活においてもそれは可能である。
 たとえば咲いている花を見た時は、御霊に対して誓いたい。
〝自分もこの花のように、いかなる雨風にも耐えて自分なりの心の花を咲かせます。
 だから、どうぞご安心ください。
 どうぞ、お見守りください〟
 そして言葉どおりに忍耐し、きちんと生きる姿を見ていただくのである。
 これこそが、菩薩(ボサツ)になるための「忍辱行(ニンニクギョウ)」であり、その功徳を廻向することは、在家の方々にとってすばらしい善行になる。
 こうした善行にいそしんでいれば、無意識の世界が穢れたり歪んだりせず、悪夢にうなされることもあまりないはずである。

 もしも悪夢に苦しむ時は、いつでも修法を受ければよい。
 東日本大震災後、急に濁った井戸を埋めたAさんは悪夢に悩まされるようになった。
 井戸の修法を受けた日から悪夢は去った。
 若い頃からやりたい放題だったBさんは、急に奥さんを亡くしてから眠れなくなり、当山の門を叩いた。
 あらためて御霊のご供養を行ったところ、体調を取り戻された。
 いずれも、〈思い当たる節〉があるのに放置しておいたのが原因だったと推測される。

 夢は知らせであり、警告であり、導きでもある。
 それは、自分の生活を陰から動かす無意識という氷山が水面上に出した頭のようなものであり、慎重に対応したい。




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2015
10.24

死の悲しみから立ち直る道(その2) ―喪失の苦痛と向き合う―

201510240001.jpg

 今回は、悲しみから立ち上がる方法の第二番目、喪失の苦痛と向き合うことです。

2 悲しみがもたらす苦痛を知り、そのはじめから終わりまでを体験すること。

 親しい人、身近な人のは、たとえようのない精神的苦痛をもたらし、多くの方が、何とかしてその現実から逃れたいと願います。
 しかし、寝ても覚めても、仕事をしていても故人のことが不意に頭へ浮かび、たまらない気持になったりします。
 ある方は仕事が上の空になります。
 ある方は酒に浸ります。
 ある方は旅に出ます。
 ある方は引っ越します。
 ある方は後を追いたくさえなります。
 何をしても逃れられないのですが、何かをせずにはいられず、苦しみます。

 お釈迦様は一人娘を亡くして半狂乱になっているキーサゴータミーへ、芥子の種をもらってきたなら救われると約束しました。
 ただし、条件があります。
 者を出したことのない家からもらわねばなりません。
 ご先祖様のいない人は誰一人いないので、村中を歩いても、ついに種はもらえませんでした。
 彼女は、この過程を通じてと向き合い、自分だけでなく誰しもが親しい人のを体験しているという事実に気づきました。
 無常の鬼はすべての人びとへ訪れていたのです。
 うちひしがれて戻って来た彼女へ、お釈迦様は諭されました。

「この宇宙にはたったひとつけっして変わることのない法則があります。
 それは、すべてのものは変わるということ、すべては無常だということです。
 子供の死があなたの目を開かせてくれたのです」


 彼女はやがて、アラカンさんになりました。
 
 こうして「人は必ず死ぬ」という単純な事実を〈本当に知った〉人びとは、執着心という苦しみの元を手放すことができます。
 そして手放した後には、必ず、優しい心がはたらきだします。
 臨死体験者もそうです。
 あるいは重篤な病気になって気づいた方もおられます。

 医師フレダ・ネイラーは書きました。

「わたしはこういう事態にならなければしなかったような体験をしている。
 それについては癌に感謝しなければならない。
 わたしは謙虚になった。
 死ぬべき存在としての自分を甘んじて受け入れるようになった。
 自分の内なる強さを知った。
 これにはつねづねわたし自身が驚かされている。
 他にも自分自身に関する多くのことを知った。
 それは、わたしがここにきて立ち止まり、振り返り、再び歩きはじめることを余儀なくされた結果に他ならない」


 死を前にしたお祖母ちゃんは笑顔になり、こう言って孫の頭を撫でてくれたそうです。

「私は世界中で一番幸せな病人だよ」


 お別れの言葉が継げた真実です。

 東日本大震災で娘さんを亡くされたAさんは、四国遍路を始めました。
 一回目は無我夢中、おりおりに娘さんとの思い出が瞼に浮かび、泣き泣き歩きました。
 路傍の小さなお地蔵様が愛おしく、哀しく、とても身近に感じられました。
 二回目は歩き方を覚えましたが、やはり、とても泣けました。
 ただし、それが、我が子を失ったせいなのか、それともご加護のありがたさによるものなのか、よくわからない瞬間もありました。
 三回目は、どの札所でもただただ、ありがたく、涙が感謝の涙であることを確信しました。
 お仏壇でお線香を上げる時も、意識がお位牌へ向かうだけでなく、真ん中におられるご本尊様のありがたさを実感できるようになったそうです。

 夫を亡くし、七回忌の法要で、ようやく喪失感から抜け出るまでに回復されたBさんの例もあります。
 たった一人で行われた法要後の法話で申しあげました。
「七回忌は阿閦如来(アシュクニョライ)様のお導きの時期に当たります。
 この如来様がおられるのは、瑠璃(ルリ)の光に満ちた東方浄土です。
 小生はいつも、こう感じながら拝んでいます。
 三回忌で、日が沈む方位の西方浄土におられる阿弥陀如来様のもとでゆっくり休み、七回忌の頃には、東から昇る太陽のような転生(テンショウ)の動きが始まっているのでしょう。
 故人は素晴らしい方だったし、こうして追善供養という尊い廻向(エコウ)も重ねて来られたのですから、きっと、よい世界へ生まれ変わられることでしょうね」
 あの時、Bさんの目には涙が浮かび、その涙には、いつもと違う光も宿っていました。
 数日後、「立ち直れました。しっかり生きます」という手紙が届きました。

 当山では、ご葬儀の後で行う短い法話において、しばしば、こう申しあげます。
「故人は今、自分の死をもって、皆さんへ大切なことを知らせておられます。
 皆さんは立ち止まり、日常の忙しさから離れたひとときを持っています。
 そして死と、無常と、向き合っています。
 普段、忘れている無常の真実に気づいておられます。
 そしてもう一つの真実について知ることができました。
 お線香を点すのは精進を誓い、精進する姿を故人へ見せて安心してもらうためであり、花を飾るのは忍耐を誓い、忍耐強く生きる姿を故人へ見せて安心してもらうためであり、故人は、供養という尊い文化にあらためて気づかせ、私たちへ人生修行の機会をつくってくださったのです」

 親しい人や可愛いペットなどの死と向き合うのは、かけがえのない何ごとかの入り口です。
 すべては時々刻々、変化して止みません。
 悲しみも辛さも、永久に続くわけではありません。
 無常の真実が観えてくれば、そうした感情をおこさせる〈無常の忘却〉はなくなります。
 そして、無常が肌身に沁みてわかれば、キーサゴータミーのように、悟りを開けるかも知れません。
 フレダ・ネイラーさんのように、謙虚になり、自分の強さを知るかも知れません。
 Aさんのように、み仏のご加護を実感できるかも知れません。
 Bさんのように、しっかり生きられるかも知れません。
 始まる〈何ごとか〉は、きっと、救いの道に違いありません。
 真言やお経は、その強力な伴走者になり得ることでしょう。
 



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2015
10.08

不殺生の人はどうなるか? ―お釈迦様の約束―

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 不殺生戒を念じ、無益な殺生ができない生き方になれば、10の功徳が得られると『大集経(ダイジッキョウ)』に説かれています。

1 どのような生まれをしようと、畏れがない。

 自分の心が慈悲心にあふれていれば、それが周囲の人々に感化を及ぼし、害意を起こさせず、畏れのない平安な日々が送られる。
 しかし、お釈迦様すら二度しか戦争を止められず、故郷の釈迦族は滅ぼされた。
 個々人の善行をたやすく踏みにじる戦争という巨大な悪行はどうしても止めねばならない。

2 どのような生まれをしようと、慈悲心が輝くようになる。


 生きとし生けるものに対して無益な殺生をしないと決心すれば、心中にある仏心が生き生きとはたらき続ける。
 殺生は、貪りか怒りによって愚かな考えが生まれるところに行われる。
 殺すことができず、不殺生戒そのものになって生きれば、貪り、怒り、愚かさが消え、心の核である仏心が遮るものなくはたらく。

3 悪しき習い性を脱する。

 私たちは鉄に錆が生じるのと同じく、悪業(アクゴウ)を積まずにはいられない因縁を背負っているが、戒めに従う清浄な生き方がそうした習い性を削ぎ落とす。
 歯磨きや顔洗いなど生活に習慣的行動があるのと同じく、心にも又、生まれと生活によってさまざまな習慣的はたらきが伴う。
 イジメなどもそうした「パターンの悪しき表れであり、殺せない生き方になれば、無慈悲な考えと行動も消えている。

4 悩みや憂いを離れ、善き決断を行える。

 因果応報の理法により、他のいのちをないがしろにする悪行(アクギョウ)が悩みや憂いをもたらし、善き決断を妨害するが、戒めに従う清浄な生き方は心の黒雲を除き、仏光の中ではっきりとなすべき決断をして善行(ゼンギョウ)に進むことができる。
 悩みや憂いは決して〈外から自分へ襲いかかる〉のではなく、自分の心に生まれ、善心のはたらきを妨げる。
 殺生という最悪の悪行を離れればそれを原因とする悩みや憂いは起こらず、善心は善行を存分に実践させる。

5 寿命をまっとうできる。

 心と環境は互いに影響し合うので、他のいのちを尊ぶならば、自分も生まれ持ったいのち分を尽くして生きられる。
 医師の話を聴くと、感謝し、笑顔を絶やさない人々の中には、科学的判断による確率からすれば考えられないほどの長寿をまっとうする例がいくらもあるという。
 他を慈しまないではいられない心にはきっと、計り知れないほどのエネルギーが隠されているのだろう。

6 神霊のご加護を得る。

 いのちの世界に宿る神霊は、いのちを尊ぶ者を喜び擁護する。
 花に興味のない人は、町並みを眺めても花屋さんが目に入らないかも知れない。
 人であれ、花であれ、山であれ、いのちに不思議さを感じ、精霊や神霊など異次元を感じとれる人はきっと、感得した何ものかから、非日常的なエネルギーをもらえるのだろう。

7 寝ても醒めても安穏で、悪夢に悩まされない。

 戒めに従う清浄な生き方は、周囲から守り育てる徳を集め、護られるので、いつも安心である。
 殺人犯が悪夢にうなされて自白したり、発狂したり、あるいは自殺してしまうといった例は数限りない。
 他者のいのちに手をかけない人には、そういった心配のあろうはずがない。

8 怨みや復讐を受けない。

 殺さず、害さない行いは、周囲に怨みや復讐心を起こさせない。
 日本では5世紀あたりから明治の初めまで仇討ちが社会に認められ、理由の如何を問わず、人を殺せば報いとして殺される可能性が現実的にあった。
 菊地寛著『恩讐の彼方に』は、敵対する同士の心の交流で制度的復讐としての殺人を超越した名作である。

9 地獄界や餓鬼界や畜生界に転生しない。

 慈悲心にあふれている人は、この世でも、あの世でも、殺生と無慈悲の風が吹き荒れる地獄界や餓鬼界や畜生界と縁にならない。
 出口の見えない地獄や、貪りたいの貪れない餓鬼や、咬み合う畜生にならないためには、その最も強力な原因である殺生とまず無縁にならねばならない。
 殺せず慈しむ人は決して、地獄の住人にならない。

10 死後、人間界か天界へ転生する。

 殺し害する心がなければ心身が優しい姿であり、頭に堅い角はなく、口に尖った牙はなく、手に鋭い爪もなく、慈悲心を持った者として生まれ変わる。
 人間界には争いがあり、天界の神々にも他の世界へ行かねばならぬ寿命はあるが、他を傷つける姿をしてはいない。
 あとは、心にも、口にも、手にも武器を持たぬことである。 

 どうでしょう。
 お釈迦様がありとあらゆる仏菩薩を集めてこう説かれたのです。
 共に、不殺生を念じませんか?




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2015
09.09

生まれ変わりたくない方 ―苦はどこから?―

201509080010.jpg
(今の陸前高田市。広田湾から溢れた津波は、このあたりまで来た。田んぼが早々に復活し、皆、稲が塩に強くて驚いたという〉

 当山はおりおりに、こうした願文を唱える。

「いまだ苦しみを離れざる者には、願わくは苦しみを離れしめ、
 いまだ楽しみを得ざる者には、願わくは楽しみを得せしめ、
 いまだ菩提心(ボダイシン…悟りを求める心)を起こさざる者には、願わくは菩提心を起こさしめ、
 いまだ悪を断じ善を修せざる者には、願わくは悪を断じ善を修せしめ、
 いまだ成仏せざる者には、願わくは成仏せしめん」


 ある修法の終了後、ご参列のAさんから、「ちょっといいでしょうか」と声をかけられた。
 Aさんのお母さんは、重篤な病気に苦しみ、死後のことをあれこれと考え、口にしてもおられたという。

「今度生まれ変わるなら、虫は嫌だな、鳥も嫌だな。
 花ならいいかな、でも嫌だな。
 ネコもいいけど野良猫だったら大変だしな」

 やがて転生の希望を、こう結論づけた。

「やっぱり人間しかない。
 でも、こんなに苦しい思いはもう、二度としたくないから、生まれ変わらないよう願って死のう。
 再び、決して、この世へ来ませんように」

 Aさんは言う。

「ちょうど東日本大震災で入院していた病院がやられ、この先生に看取られて死ねれば、という唯一の支えだった先生がおられる病院にいられなくなりました。
 ガソリンがなかったりしてなかなか見舞いに行けず、本当にかわいそうな最期でした。
 近くの住民は身内や友だちが見舞いに来てくれるけど、自分はいつも一人ぼっちだと聴かされた時は、胸が潰れる思いでした。
 だから、亡くなった時は、安堵したような顔を見て、心から『よかったね、お母さん』と言ってあげました。
 苦しみや淋しさからやっと解放されたことを、一緒に喜んだのです。
 そんなふうにして母を送ったので、輪廻転生(リンネテンショウ)のお話を耳にすると、悲しみがぶり返してしまいます。
 さっき、ご住職様が、願わくは苦しみを離れしめ、と祈ってくださったので、悲しみと感謝が湧き上がってきました。
 母はもう、望みどおり戻って来ないのでしょうか?
 それもまた、かわいそうに思えるのですが……」

 死が救いになるという状況は確かにある。
 ここでAさんの口からこぼれた「よかったね」に対して、不謹慎だ、などと非難する資格のある人はいない。
 申しあげた。

「お釈迦様の時代、究極の救いは、輪廻転生からの脱出でした。
 いわゆる解脱(ゲダツ)です。
 人間どころか、楽園のような天界の神々に生まれ変わったとしても、寿命がくれば、餓鬼界や地獄界へ行かざるを得ません。
 楽しい生活をしただけに、行く先との落差はどれほど恐ろしく感じられるか想像もつきません。
 だから、輪廻転生の原因となる迷いを根元から抜き去ってしまいたかったのです。
 そうして、経巡る六道(ロクドウ)から離れた先が声聞界(ショウモンカイ…教えを聴いて悟った世界)、縁覚界(エンガクカイ…周囲の縁によって悟った世界)、菩薩界(ボサツカイ)であり、仏界です。
 お母様がそれほどきっぱりと生まれ変わらぬように願われたのならば、もしかすると声聞や縁覚といったアラカンさんになれる人として再来するかも知れませんね。
 アラカンさんは、この世にいながら、この世の苦から脱することのできた人々ですから……。
 私は、祈りつつ感得したことがあります。
 モノとしての肉体が死後、分解されて大自然へ還って行くのと同じく、心やいのちもまた死後、霧散して目に見えぬ広大な世界へ還って行くのだとしか思えません。
 ピュアに成り切れば、迷いによって生じているこの世との縁がなくなるので、仏界へ行ったままの存在すなわち如来(ニョライ)になるのでしょう。
 そうなれず、この世に生じた者たちは皆、迷いの彩りをまとっているという共通点があるのです。
 お母様が強く望まれた『苦を離れたい』という思いは、無意識の裡に『迷いを離れたい』だったのかも知れませんね」

 Aさんの涙に自分の涙腺も潤むのを覚えながら、北尾克三郎師の文章を思い出していた。

「釈尊が断食苦行を中止し、沐浴によってからだを清め、牛乳粥を摂(ト)り、体力を回復し、涼しい木陰に坐したのは、断食や苦行によっては生きていることの真実は得られない、真実の生は肉体と精神の安らぎからこそ得られ、そこに生存していることの意義があると気づいたのだ。(この気づきが、さとりの原点である)
 そうして深い瞑想に入り、実在している自分に目覚めた。(これがさとりの本質である)
 では、真実の存在に目覚めるには、自らは何をしなければならないのか。
 まずは、清浄に生きることである。
 清浄に生きるとはどういうことなのか、そのためには、生存していることのインスピレーションを得なければならない。
 生存のインスピレーションとは、生きとし生けるものはみな、無垢なる生存欲にしたがって生活し、自然界とのバランスを自ら計り、無心にその生活と環境を守っているということである。
 自然界のバランスが崩れると、生存はないのだ。
 自然界を清浄に保つこと、そこに生きているものの根本の努めがある。」(「菩提樹下の思想」密教メッセージNO.20より)


 このインスピレーションが微(カス)かにでも兆(キザ)す時、現実生活・現代文明との乖離が観えて恐ろしい。
 写真家初沢亜利氏は、東日本大震災の被災地を撮った写真集『True Feelings』で述べている。

生態系の内側で歴史上繰り返されたきた地震と津波の被害は、人類の過ちを意味するものではない。
 5カ月の間、宮城、岩手で私が意識的に向き合ったものは、人類の持つ強固な生命力と共に、精神的復興に欠かすことのできない忘却としたたかさであった。
 自然的治癒能力が人間を含め生態系の内側には存在しているのだ。
 しかし、原子核が融合して高エネルギーを生み出すという太陽圏に属する現象を、厚さ数キロの生態圏に持ち込み、ひとたび制御を失った時、地球内部での修復の糸口を見いだすことは不可能だ。」


 私たち人間は、あらゆる生きものたちが決して比肩できない最高度の知を手にしていながら、〈生存のインスピレーション〉からあまりにも遠く隔たった貪りと憎み合いと破壊行為とで苦しんでいる。
 人間以外の生きものたち皆が「無心にその生活と環境を守っている」というのに、人間だけが、まるで「生存はない」というところを目ざしているかのような営みを続けている。
 私たちの苦しみは、知の暴走によってもたらされているのではなかろうか。
 Aさんのお母さんは、肉体の苦しみの先に、もっと深い人間そのものの苦しみも観ておられたのではなかろうか。
 花やネコを愛しながら生まれ変わりを拒否しつつ逝かれたお母さんを偲び、考えさせられた。合掌

(当山は、プライバシーの保護には深く注意をはらっています。この文章も登場人物や表現に手を加えています)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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