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2014
08.19

平野啓一郎著『透明な迷宮』について ―原発事故後の実存―

201408190001.jpg

 平野啓一郎著透明な迷宮』を読んだ。

「彼は自分が、目に見えない、透明な迷宮の中に迷い込んでしまったという意識に捕われた。」

「恐らくは、震災後――いや、震災よりも更に前からのことで、ただ、あの部屋に監禁され、愛し合うように命ぜられて初めて、彼はそれが迷宮の一つの袋小路なのだと理解したのだった。」

「岡田は、自分がその迷宮のどの辺りを彷徨っているのか、まるで見当がつかなかった。
 その壁は完全に不可視で、不可触であって、迷宮の外側の世界は、微塵の曇りもなく見えていながら、どうやって出口を見つければよいのか、その術がわからなかった。」

「もしその壁が、土や煉瓦で出来ているのならば、外の者たちは、中で誰が迷っているのかを知らないだろう。
 しかし、透明であったとしても、結局、彼らはその内側に閉じ込められている者に、気づきようがなかった。」 

「自分はただ、その目に見えない壁に沿って歩かされている。
 折々、行き止まりにぶつかっては引き返し、別の道を歩んだつもりで、また訳もわからずに同じ道を辿っている。」


 岡田は知り合って間もない女性と共に監禁され、同じ目に遭っている男女たち共々、衆目の前でセックスを命じられる。
 共に暮らそうとした彼女は去り、彼はあの世の屈辱から逃れられない。

「彼は、自分の人生は嘲弄されたと感じていた。
 彼女からというのではない。
 もっと漠然とした、この世界の頽廃そのものからだった。」


 小説の主人公岡田は、人間の行う不条理な行為によって深い傷手を負い、自分の意志による回復は困難となった。
 そのできごとをきっかけとして、そもそも自分の意志など通用しないほどの何かに絡め取られているという真実に気づく。
 そして、自分の人生は「この世界の頽廃」によって「嘲弄」されていると感じる。

 この作品は平成26年に発表された。
 平成23年、氏は、毎日新聞の取材に対して、こう語っている。

「何か悲惨なことが起きた後、その出来事が終わると、やっと日常の時間が動き出します。
 宮城や岩手は悲惨な津波被害を受けましたが、津波自体は終わって日常が動き出しつつある。
 しかし深刻なのは福島の時間です。
 原発事故が終わらないからいつになっても日常の時間が始まらない」

「問題をほぐしてきれいに切り分け、一つ一つに対処する必要がある。
 それはすごく地味な作業ですが、それしか方法はない。
 何であれ地道な頑張りが称賛され、努力が報われる社会になるべきだと思います」

「ちゃらちゃらした時代はやっと終わって、地味にまじめに生きなきゃいけない時代になってきていると感じます」

「震災後によくインタビューを受けてきましたが、やっぱり最後は希望に満ちた明るいコメントを期待されがちです。
 でも、僕は空元気には限界があると思うんです。
 震災直後はそういうものも必要でしたが、そのむなしさも味わいました。
 すごく悲観的に言えば、日本は原発問題もあるし経済も停滞しているし、沈みゆくタイタニック号のような雰囲気もあります。
 でも、それを止められるのは、威勢の良いかけ声ではなく、現実的で具体的な行動だけです」(「この国はどこへ行こうとしているのか」より)


 氏は、「地味な作業」「地道な頑張り」「現実的で具体的な行動」に救いを求め、発言もしてきた。
 しかし、こと、ここに至り、24時間、365日、一人一人を繭のように囲い込み解放を許さない「透明な迷宮」を観ているのではないか。
 もちろん、氏は慎重に「震災よりも更に前からのことで」と書き、いわば、我々の実存そのものを問題にしてはいるが、震災と原発事故が「迷宮」を明らかにし、「迷宮」がはたらきを強めてきたことは確かだろう。

 ほぼ半世紀前、三島由紀夫は『太陽と鉄』に書いた。

「言葉による芸術の本質は、エッチングにおける硝酸と同様に、腐食作用に基づいてゐるのであって、われわれは言葉が現実を蝕むその腐食作用を利用して作品を作るのである。」

 そして、幼少時にこの真実を知った三島由紀夫は「相反する二つの傾向」を生きることになる。

「一つは、言葉の腐食作用を忠実に押し進めて、それを自分の仕事にしようとする決心であり、一つは、何とか言葉の全く関与しない領域で現実に出会はうという欲求」

 三島由紀夫との因縁浅からぬ平野啓一郎氏は、このことを熟知しておられるはずである。
 氏にとって言葉とは何か?
 震災と原発事故へ真摯に対応しようと努力してこられた今、「透明な迷宮」と書かねばならない状況をどう克服してゆこうとされているのか?
 氏の苦悩を想いつつ、彼女との再会へ微かな希望を託した最後の一行を読んだ。

「この透明な迷宮のどこかの一隅で、出口を求めて彷徨い歩いた果てに。……」






 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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