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2016
11.12

流されず、地力をつけよう ─11月の運勢─

2016-11-11-0007.jpg
〈四国の霊場で出会ったツワブキ〉

 11月7日から12月6日までの運気の流れと私たちの心づもりについて少々、書いておきます。

○自分の視点を失わないよう

 今月は、仰ぎ見るべきものをまちがわないようにしましょう。
 ポイントは、多数者が仰ぐものだからといって惑わされず、自分なりの価値観で見分けることです。
 無定見のまま、烏合(ウゴウ)の衆に混じっては危険です。

 私たち一人一人の意思は、集まれば多数者の意思となりますが、情報化社会では、氾濫する情報の中にいかなる意思が含まれているか、もっと言えば、いかなる意思が多数者を動かそうとして情報を操作しているか、なかなかわかりません。
 たとえば、アメリカ大統領選挙の最終盤で、FBIのコミー長官がヒラリー・クリントン氏のメール問題を再びとりあげ、わずか数日で訴追なしと発表しました。
 なぜ、ああしたことが行われたのか、誰がどう絡まったのか、選挙の結果とはどういう因果関係が認められるか、ベールに包まれたことだらけです。
 謎のつむじ風に煽られながらアメリカ国民は投票し、結果が出ました。
 何がどうだったかは、歴史が教えてくれることでしょう。

情報客観性を疑ってみたい
 
 情報公開、ネットの時代となり、さまざまな統計が発表されます。
 しかし、その客観性は、必ずしも保証されていません。
 誰しもが〈良い成績〉を見てもらいたい以上、そこに作意がはたらくのは当然だからです。

 たとえば、手術の成功率を取りあげてみましょう。
 A医院は80パーセント、B医院は70パーセントと出れば、多くの人々はほぼ無条件に、A医院を信頼するでしょう。
 しかし、もしも、A医院では患者に早くから手術を勧め、B医院ではなるべく患者の心身と財布に負担をかけぬよう、慎重に手術の時期を見極めているとしたならば、私たちはどう考え、どう選ぶべきでしょうか?
 統計というもののあやふやさや、私たち自身のものの考え方を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか?

 また、情報の流通量を競うネットの業者は、クリックされる機会が多く見込まれる情報を優先して流します。
 そこにも必ず作意があります。
 だから、私たちは、〈鵜呑みにしない〉〈納得するまで調べる〉といったことを心がけねば、作意の掌で転がされかねません。

○肝腎なものを守ろう

 神社仏閣のお詣りはブームの域に達しているそうですが、皆さんは、どういう意識で出かけられるでしょうか。
 観光なら、美しいものや、凄いものを観て満足することでしょう。
 やむにやまれぬ思いで祈らずにいられなくなって出かけるなら、きっと何か、非日常的な得難い体験をすることでしょう。
 どちらの目的であっても、訪れる人々の心が聖地を支えていることは確かです。

 四国の霊場を巡拝し、それぞれの寺院が持つ雰囲気の違いを強く感じさせられました。
 訪れる人の心の波に同調する形で願いを引き受けてしまうような寺院がある一方で、波をすっぽりと吸収してしまうような寺院もありました。
 いずれにしても、僧侶がきちんと祈っている寺院では、お詣りする方々の祈りも又、深まることでしょう。

○嫉妬やへつらいはやめよう 
 
 今月は、他者への嫉妬や、権力者へのへつらいなどにも要注意です。
 勝れている人や精進している人を素直に認められなければ、幻の高慢心を持ち、結果的に自分を貶め、運勢を傾け、和合を損なうだけで、百害あって一利もありません。
 他者の力に過度に頼れば、いつまでも繰られるままでしかありません。 

 有徳の人を尊敬することは、他者と和する優雅でゆとりある心をつくるための第一条です。
 ゲーテはこんなことを言っています。
「生命ある自然の中では、全体というものと結びついていないようなことは、何一つ起こらない。」
 私たちのありようも、他者との関係性の中で揺れ動きます。
 よきものを認め、よきものに共鳴し、よき心を伸ばし、地力をつけたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2016
05.01

慌てる乞食になる? ─5月の運気・運勢─

2016-05-01-000122.jpg
〈日々、皆さんが墓地へお出かけになられます。共同墓や樹木葬などの見学も、本堂のお詣りも、資料の入手もオープンですが、住職から詳しい話を聴きたい場合や契約をしたい場合はぜひ、事前に日時のお約束をお願いします。突然では失礼してしまう場合が多くなりがちです。合掌〉

 5月の運気運勢、世の中の傾向です。 
 今月は、人の道にそっていると信じられるものごとを力強く行って通じやすい時期です。
 自分なりに活き活きと生きる道筋が人間として普遍的な価値を高める時、真の充実感がもたらされることでしょう。

 ただし、古代ローマの哲学者エピクテートスの言葉は覚えておきたいものです。
 彼は、目に見える成果を早く欲しいと急ぐ人に言いました。

「大事なことは何事でも突如として生ずるものではない。
 一個のいちじくでもそうだ。
 もしきみがいまわたしに、じぶんはいちじくがほしいと言うならば、わたしはきみに、時間が必要だと答えよう。
 まず花をさかせるがいい。
 次に実を結ばせるがいい。
 それから熟させるがいい。
 いちじくの実は、突如として、そして一時間のうちに出来上がらないのに、きみは人間の心の実を、そんなに短時間に、やすやすと所有したいのか。
 わたしはきみにいうが、それは期待せぬがいい」(長田弘著『最後の詩集』より)


 私たちは、エピクテートスの言わんとするところがもはや、わかりにくい心性になっているかも知れません。
〝イチジクを買えばいいじゃないか〟
〝イチジクの木を持っている人からもらえばいいじゃないか〟
〝イチジクの木を探してもぎ取ればいいじゃないか〟

 4月14日、哲学者鷲田清一氏は、明治学院大学で、学生たちと対話しました。
 そのおりに大学院生から出された質問です。
「今の大学は『どうお金を稼げるようになるか』で授業が組み立てられていて、グズグズする時間などないのでは?」
 氏は笑って答えました。
「卒業なんて無かったらいいですよね」
「自分が納得して潮時だと思ったら大学から消え、足りなければ復帰する。
 それぐらい自由な大学の例も海外にはあります。
 卒業が就職のパスポートというだけでは、みじめったらしいじゃないですか」

 そもそもなぜ、 親へ莫大な負担をかけながら大学へ行くのでしょうか?
 一つには、生き方がわからず、もう少し考え、学んでから一人前の社会人になるため。
 もう一つには、関心のある方面を深く学んで理想を実現するため。
 学問を探求することは手段でもありますが、学びつつ生きること自体に、人間を創るかけがえのない価値があります。
 何か生きられる本ものをつかみ、同時に自分も人間として本ものに近づくための貴重な人生のいっときが学生時代ではないでしょうか?

 エピクテートスは、イチジクを得ようとしている人に、こう問いかけているのです。
「君は本当のイチジクを欲しているのかい?」
 彼はイチジクの〈価値〉を問題にしています。
「イチジクが何であるか、そのことをわからぬままでは、君の求めているイチジクは食欲を満たす手段でしかない。
 もしも、君がそれだけでよいと言うならば、君はこの世を生きていることの本当の意味も価値もわからぬまま、酔生夢死(スイセイムシ…無自覚で空しく過ごすこと)の人生で終わるしかないよ」
 エピクテートスの時代はそれでもまだ、イチジクが問題にされていました。
 しかし今はイチジクではなく、イチジクを得るための手段である「お金」のみが第一の関心事となり、私たちの一生はますます人生の真実から遠ざかっているやに見受けられます。

 一国の首相をはじめ、私たちは今、どうしてこんなに急(セ)いているのでしょうか?
 セカセカとせわしなく、ピリピリと苛立ち、まるで手品のような〈素早い〉解決策を求めてやみません。
「何事でも突如として」生じさせないと気が済まないかのようです。

 しかし、気をつけましょう。
 手品は技術によって編み出されますが、それは必要条件に過ぎず、成立するための充分条件は私たちの錯覚です。
 これは気をつけ過ぎることはないというほど重い事実です。
 重要なものごとほど、単なる知恵ではなく叡智を集めて行われるべきでしょう。
 しかも実行が実のあるものとなるためには、方策の立案者や実行者への信頼が充分条件として欠かせません。

 物理学者の松井孝典氏は科学が「我々の存在」を理解するために必要な点を挙げました。

「科学は科学以外の他の領域(たとえば哲学)と積極的な関わりを持つことが必要だろう。
 それは科学の問題というよりは科学者の問題である。」(著書『宇宙誌』より)


 私たちは、自分であれ、他者であれ、〈いかなる人物〉として〈いかなること〉をしようとしているのか、その実態をきちんと観てから判断し、ことをなしたいものです。
 私たちは、求めている対象も、何かを求めている自分自身も、よく観てよく考えたいものです。
 自分を高め、深めるのも、停滞させ、泡(アブク)のようにさせるのも、自分次第。
 古人は言いました。
「慌てる乞食は貰いが少ない」
 青葉の輝き、力強さに学びたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2016
02.03

2月の運勢 ─スウェーデンやアメリカを眺める─

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 2月の運気の流れについて要点を記します。
 今月は全体的に不安定で、何をしようにも確かな具体策が見つかりにくく、もどかしい状況になりやすい時期ですが、もしも、〈変わり目〉をつかんだならば慎重かつ、確実にチャンスを生かしたいものです。
 こうした時期に大切なのは、自分が早く進みたい時ほど、皆のことを考える必要があるということです。
 他人を押しのける〈自分だけ〉の姿勢ではチャンスを失しかねません。
「おたがいさま」の気持で動けば、自分も「おかげさま」に助けられるのです。
共生」がキーワードです。

 共生と言えば、スウェーデンの「積極的労働市場政策」が思い出されます。
 充実した職業教育・失業者や転職者への手厚い教育・再就職の支援などによって労働の高い質が確保されています。
 かつてハンソン首相は、理想国家『国民の家』を目指そうと説きました。

「私たちはしばしば、社会(国や市)を、私たちの共通の家、国民の家、市民の家と見なす。
 家の基礎はコミュニティと相互依存の意識である。

「良い家では、平等、配慮、協同、援助が優位を占める。
 偉大な国民と市民の家にあてはめると、これはあらゆる社会的かつ経済的バリアをなくすことを意味する。
 社会的かつ経済的なバリアが、現在、市民を特権と不遇、支配者と依存者、富者と貧者、高額の資産のある人とそうでない人、搾取する人と搾取される人に分けている。」


 スウェーデンでは労働者の7割が3大労働組合に加盟しつつも国民全ての発展を第一とし、企業もまた社会への貢献を第一としています。
 選挙の投票率は常に7~8割、国民の総意として福祉国家が推進されています。
 権力者が好き勝手なことをせず、国民全体の意志が名実共に国家運営の主役であるという実感があるからでしょう。
 その結果、この国は第一次、第二次世界大戦でも中立を保ち、約二百年間、戦争に加担していません。

 また、「自然享受権」があり、木を伐れば必ず植えねばならず、山河や風景は基本的に「共有財産」として大切に保護されています。
 この「緑の福祉国家」は過去半世紀近く工業国としてGDPを伸ばしているにもかかわらず、エネルギー消費量は横ばいです。
「環境法典」を制定してからもうすぐ20年です。
 
 スウェーデンは遥かに遠い国ですが、同じ地球上にあります。
 学ぶ心があれば隣人と言えましょう。
 ちなみに、私たちに身近な「ムーミン」は、フィンランド人のトーベ・ヤンソンによって書かれましたが、用いられたのはスウェーデン語です。
 ともあれ、今月のような動きが緩慢になりやすい時ほど、目を広く見開き、根本的な問題をよく考え、しっかり行動しましょう。

 ところで、2月1日、アメリカ大統領選挙にけるアイオワ州の党員集会が開かれ、民主党はヒラリー・クリントン氏が辛勝しました。
 わずかな差で敗れたバーニー・サンダース上院議員(74才)の主張は瞠目すべきものです。
 彼は自ら「社会民主主義者」を名乗り、正義を求めるアメリカの社会であまりの格差は許されないと主張、その是正を政策の柱としています。
「1パーセントの人々のためだけでなく、全国民のために働く政府の実現を!」
 アメリカは、自由競争こそがバラ色の未来を招くとし、成功者が英雄視されてきた一種の実験国家です。
 20世紀になり、女性、黒人奴隷、先住民にも権利の平等が認められて以来、自由を絶対視してきましたが、今や、弱肉強食の放置は人間社会に著しい不公正を招くとして、正面から糾弾される事態に立ち至りました。
 オバマ大統領の時代になってすら、ここ3年間で上位1パーセントの富裕層は収入を4割増やし、99パーセントの人々は収入を僅かながら減らしています。
(アメリカの実態はキリスト教徒が主導する階級社会です)
 彼の公約は富裕層への増税、大企業の課税逃れの取り締まり強化、国民皆保険制度、公立大学の授業料無償化と徹底しています。
 自由競争の果てに生じる膨大な〈敗者〉や〈弱者〉を見捨てられないだけではありません。
 彼を支持する若者たちは、勝者や強者の〈層〉と敗者や弱者の〈層〉との間が途方もなく広がっただけでなく、今や、それが固定化しつつあることに対して不満どころか危機感を抱いています。
 まことに異例なことに、彼の選挙資金の7割は1口30ドルに満たない少額の寄附によるものです。

 私たちの社会は、人間が思いつく単純で単一な原理だけでは、うまくゆかないものなのでしょう。
 かつてのソ連に代表される共産主義の実験が失敗に帰しただけでなく、アメリカや日本における自由主義の実験も、あまりの弊害をもたらしてしまったことは明らかです。
 イスラム原理主義ももちろん、例外でないはずはありません。
 古人は「人の振り見て我が振り直せ」と言いました。
 人類の歴史はまだ、たかだか20万年です。
 弥勒菩薩(ミロクボサツ)が私たちすべてを残らず救い尽くしてくださるまでは56億7千万年かかるとされています。
 単純な原理を主張するだけでなく、客観的な視点を失わずに学びたいものです。
 それを基に改善する素直で、目先の利にとらわれず、地道な努力がいつの時代にも求められるのではないでしょうか。
 大統領選挙を通じてアメリカがいかなる変貌を遂げて行くのか、楽しみです。

 だいぶ、横道にそれました。
 今月は「共生」をイメージして自分の利を性急に求めず、周囲に起こる動きを冷静に眺め、全体の流れの中でつかみたいものをしっかりとつかむ智慧をはたらかせましょう。
 きっかけを見逃さないためにも、確かな宝ものを得るためにも、守本尊様へ祈りたいものです。 




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
01.11

イラク戦争と靖国神社への祈り(その5) ─運勢の相談、ご葬儀での合唱など─

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〈真善美は光の三原色となってダイヤモンドのような霊性を輝かせる〉

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〈貪り、怒り、愚かさは色の三原色となって悲しみや苦しみに満ちた黯(クロ)い地獄へ導く〉

 平成16年1月、自衛隊イラク派兵に鑑み、小生は、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

○ご意見(2月4日)

 早朝からご祈祷と法話の法務があり、NHK文化センターの講座『法句経を読む』を終えて帰山したら午後1時を過ぎていた。
 ひき続き墓地での打ち合わせやお葬式のご相談などがあり、あっという間に夕方である。
 
 講座で、終戦当時に中学生だった女性Aさんからご意見をいただいた。
「テレビを見ると昔、若い人を戦争に送り出した時と同じ光景ですよね。
 どんなことをしても、孫たちをああやって戦地へは行かせたくないと思いました。
 外国から出兵を頼まれても憲法があるのだからと断れるはずではないでしょうか。
 どこの国の人だって、いのちを一番大事にするのは当たり前のことですよね。
 日本は自ら出兵をせず、『戦争はしてはいけないものだ』と世界へ訴えるべきではないでしょうか」
 午後に来山されたBさんは、きっぱりと言われた。
「日本の現状は、すべて戦後の年月が生みだしたのですから、敗戦を境にして何が失われたか、何を得たのかを問う住職の考えに同感です。
 特に50代60代の人々がこの57年間をふり返って懺悔すべきは懺悔し、学ぶべきは学び、やらねばならないことをしっかりとやらなければなりません」
 いじめや授業の様子などにはっきりと現われている子供たちの精神と振舞の荒廃。
 そこに代表される日本の衰運に対して、大人が責任を感じ行動を起こさねばならない。
 足元が崩れていながら外国へ出兵してどうなることだろうか。

運気の弱い場合には(2月5日)

 人生相談や打ち合わせが重なり、お通夜までびっしりだった。
 明日のお葬式が終るまで再出発はできない。
 これもまたみ仏のお導きなのだろう。

 自分の力が出にくい運勢の方からのご相談があったので、その対処法を記しておきたい。
 運勢はバイオリズムである。
 智慧でそれを活かす人は自力で運命を創りながら生きられる。
 ただ怖れたり流されたりする人は、運勢に翻弄され、いつも山と谷を行ったり来たりして人生を過ごす。
 さて、誰にでも〝自分ではがんばっているつもりなのに、どうも力が出ないなあ、どうしたんだろう〟という時期がある。
 力がなくなったのではなく、何ものかに吸収されてしまう。
 こんな時に自分の力を過信して無理をすると、間に合うはずのものが間に合わなくて失敗する。
 年配者が若い時代に持っていたジャンプ力を過信して沢を渡ろうとすれば、川に落ちてずぶ濡れになってしまうようなものである。
 目的地へ向かう力が出ないなら、焦らず深呼吸をして、まず、たとえ小さなことでも他のためになることを実行したい。
 他へ与え、喜ぶ姿を見て自分も喜べることが大切である。
 この「お互い様」は「おかげ様」である。
 お互いが徳を積めば、それが陰の力となって必ずお互いを救う。
「お互い様」「おかげ様」はありがたい教えである。
 
 護摩の火で眼鏡がひび割れたままなので、よく見えない状態だったが、どうにかお通夜の修法を終えた。
 かつて師僧から「行者は、印を結び真言を唱え観想をして法を行うが、最後は、たとえ布団の上で動けない状態になっても瞬時に法を結べるようでなければならない」と教えていただいたことが初めて実感さた。
 若いうちは若いなりの修行、年をとればそれなりの修行があるものだ。
 一生、一行者でありたいとの思いを新たにさせられた。

○お葬式(2月6日)

 お葬式で合唱が入るという初体験をした。
 故人も喪主も合唱が趣味なのでお別れの言葉に代えて合唱を行いたいという。
 お焼香をする前に、20人ほどが導師・職衆を半円形に囲み、指揮者が端に立ってモーツァルトの「アヴェ ヴェルム コルプス」を演奏した。
 歌詞は、以下のとおりである。
「めでたし、まことの御体
 おとめマリアの御子として生まれたお人
 真の試練を受け、人間の罪のため十字架にかけられた
 引き裂かれた脇腹から流れ出る血
 私たちのため、先に最後の審判をお受けください」(インターネットの「クラシック音楽夜話」による)
 正装した善男善女の歌声は、すすり泣きを交えながらも凛としていて、魂を揺すられる思いがした。

 修法が終っての法話で、「先ほどのように清らかな魂の震えを共有できるならば、きっと争いや戦いのない世の中になることでしょう」と申し上げた。
 真・善・美を追究する哲学や科学、宗教や道徳、芸術は、微妙にずれながらもどこかで重なり合っている。
 真実に発するものは人生にとってよきものであり、美しいものでもあるはずだ。
 重いだけになりがちのお葬式が魂の共振をもたらす、すばらしい企画だった。

○問い(2月7日)

 今日も朝から予約がびっしり。
 地鎮祭の相談に来られたAさんから「お釈迦様の教えだから、どの宗派も結局は同じなんですよね?」と問われた。
 これまで幾度となくいただいたご質問である。
 こういう問いを発する方は、ほとんど例外なく「仏教」を自分の向こう側においていろいろ読んだり聴いたりしているだけで、一つの行に打ち込むといった実践をしておられない。
 み仏の教えと法の中に〈この身このままで〉飛び込んでおられない場合が多い。
 正式な作法で真言を唱えるなり、経典を読誦するなり、瞑想をするなり、経典を書き写すなりして何かをつかんだ方は、〈漠然とした問い〉があまり出なくなる。
 問いは具体性を帯び、回答を受けて心と行が深まり、また一歩、お釈迦様の悟りへ近づくきっかけとなる。
 
 行者として冒頭の問いに答えるならば、「花一輪を捧げる場合、見た目には同じ行為でも、いかなる心で行うかによって、得られる境地という行為の結果はさまざまになります」ということになる。
 たとえば、お葬式の後で必ず行う五種供養の法話を聴き、花を手向ける意味と意義が、「美しいもので飾ってあげましょう」だけではないのだと魂で受けとめた方は、眼の輝きが変わる。
 その方が次に花を捧げる機会があれば、以前とは異なったレベルの心で行われることだろう。
 見た目には同じ作法、同じ行為だが内容は別ものである。
 そのように、どの宗派もお釈迦様の悟られた境地を目ざすが、方法は千差万別であり、方法という〈原因〉が異なれば得られる境地である〈結果〉も違うのは因果の理法どおりである。
 仏教を心の柱としたいのなら、とにかく、縁となった教えを実践することがすべてである。
 すべての宗派におけるご本尊様を尊ぶのがマンダラの教えと法なので、お大師様は生涯、他の宗教宗派と争われなかった。
 当然、当山も同じである。
 仏教徒の根本姿勢は、他の宗教宗派と争わず、縁となった教えを実践することである。

 略式礼服のまま、午後7時から開いている居合の道場へ駆け込んだ。
 帰山後、NHKテレビで、日本を剣道団体戦で世界一に導いた〈無心の一撃〉を眺めながら食事をし、一日が終った。




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2015
10.01

10月の運勢 ―「邪慳」について、たけしと村上春樹に学ぶ―

201510010001.jpg

 今月の運勢運気、生き方のポイント)について記します。
 私たちは、自分が正しいと思う時、あるいは相手が間違っていると思う時、強気になり、あるいは邪慳になり、あるいは攻撃的になります。
「他人に後ろ指を指されない」と信じられる生き方をしていることは誇りであっても、その〈正しさ〉をふり返る心の余裕のあるなしが大問題です。
 私たちは、人が神でなく、いつでも〈自分が正しいと過つ存在〉であることを忘れないようにせねばなりません。

 たとえば誰かが自分の夢を語った時、心に余裕のある状態で聴けば「そう。それで?」とか「それはすばらしい、あなたなら、きっと実現できるよ!」と応じるような人でも、昨夜の夫婦げんかの余韻を引きずっている朝であれば、気のない返事しかできない場合があります。
 すると、きっと理解し、共感し、もしかすると手伝ってくれるかも知れないと小さな期待を抱きながら勢い込んで話した人は、がっかりするだけでなく、ムッとするかも知れません。
 さて、この状況で大切なのは、一瞬、頭に血が上っても、〝えっ!こんな人だったの?〟と決めつけないことです。
 もちろん、〝もう、絶好だ!〟などど心に誓ってはなりません。
 それでは、あなたが相手を〈だち甲斐がない〉と非難する以前に、あなたが相手にとって〈だち甲斐がない〉人になっています。
 〝今日はどうしたんだろう?〟と、早く話題を切り替え、相手の様子を窺ってみましょう。
 客観的に見れば、相手が真剣に話しているのに、ムシャクシャしながら上の空で聞いたことも人間としての〈小さな過ち〉ですが、カッとなって大切な人間関係をどうこうしてしまおうとするのも〈小さくない過ち〉と言えるのではないでしょうか?

 ちなみに、たけし氏は『新しい道徳』で、さすがの指摘をしています。

「これはあくまで印象だが、誰も彼もがインターネットを使うようになって、世の中が昔より不寛容になった気がする。
 自分と違う意見の人間、異端児とか異分子に手厳しくなった。
 正義感を振りかざし、誰かが何か間違ったことをしたら、徹底的に叩きのめさなくては気がすまない、みたいな奴がやたらと多い。」

「『この中で罪を犯したことのない人が、最初に石を投げなさい』
 キリストにそういわれて、昔の人はみんな黙り込んでしまったけれど、今は『じゃあ、僕から』って、どんどん石を投げちゃうんじゃないか。
 ネットの世界には、そういう奴らがうじゃうじゃいるように思えてならない。」


 石を投げる話は、姦通した女性がイエスの前に連れ出された時、〈皆が石を投げつける石打の刑でこの女性を殺したいのなら、自分がそうした罪を犯したことのない人がやりなさい〉という意味で人々に問いかけたところ、誰も石を投げられず、イエス自身も彼女を許したという逸話を意味しています。
 他人へ厳しい態度をとるのなら、まず、自分自身がそうする資格のある人間かどうか振り返る必要があります。
 古人は言いました。

「人の振り見て我が振り直せ」


 英語のことわざはもっと直截的です。

「The fault of another is a good teacher.」


(他人の過ちは、よい教師である)
 こうした智慧や態度が失われれば人間は向上せず、社会は刺々しくなります。
 お互い、気をつけたいものです。

 作家村上春樹氏は、優しいのに、何でも妻に任せっきりで自分からやろうとしない夫を責める妻へ、諭しています。

「そう言われると、僕も耳が痛いです。
 現実的な段取りになると、僕もからきし駄目なところがあって、『ま、適当にやってよ』と丸投げして、よくうちの奥さんに文句を言われています。
 でもね、きっといろんな手配とか段取りとか、現実的なことになるとあなたの方がずっと手早く、ずっとお上手なんだと思いますよ。
 だからなんとなく『よろしく』とまかせてしまう。
 その方が結果的にうまくいくから。たぶん彼が段取りをすると、あなたはぜんぜん気に入らないと思います。
 そういうのって適性があるし、しょうがないです。あきらめましょう。」






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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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