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2016
06.09

Q&A(その23) ─過ちを清めるには?─

2016-06-04-0006.jpg

 人生相談でいただくことの多いご質問である。
過ちを犯してしまいましたが、心の問題なのです。
 どうすれば償えるでしょうか?」

 私たちは、嘘をついてはいけないことを知っている。
 盗んではいけないことを知っている。
 しかし、どうしても〈やらかしてしまう〉存在だ。

 では、ハッとした時に何をすれば、悪行(アクギョウ)の償いができるか?
 それは、懺悔(サンゲ)と善行(ゼンギョウ)である。
 心底から悔い改めねばならないし、本当に〝悪いことをしてしまった〟と思えば、必ず何かよいことをしないではいられない。

 では、どう悔い改めればよいか?
 まず、我欲に引きずられがちな日常生活から、ちょっと離れる必要がある。
 さもないと自分可愛さから、自分に対する言い訳や、社会に対する言い逃れ、あるいはごまかしを生じ、肝心の罪悪感をうやむやにしたくなる。

 離れる先が宗教の世界である。
 だから、仏教においてもキリスト教においても、懺悔の作法は洗練されてきた。
 当山の例祭は必ず懺悔から始まる。

 古来の作法には叡智が宿っている。
 常に過去のデータや判断が書き換えられる科学の世界とは異なり、宗教の世界ではむしろ、年月を経て研究され、実践されてきた作法にこそ信頼がおける。
 それは、無数の人間が導かれつつ真実性を検証してきたからである。

 もう一つの善行(ゼンギョウ)はどうか?
 そもそも善行(ゼンギョウ)とは何か?
 経典は「仏性(ブッショウ)にすなおな行為」であると説く。

 仏性(ブッショウ)とは、私たちに本来そなわっている、み仏の子たる霊性のことである。
 誰でも持っているのなら何の問題もなさそうだが、月に群雲(ムラクモ)がかかるように、自己中心の我欲(ガヨク)によって覆われている時間がどうしても長くなる。
 まず、自分が生きねばならないからだ。

 では、どうすれば群雲を(ムラクモ)払えるか?
 身体と言葉と心のはたらきを仏性(ブッショウ)に合わせればよい。
 その方法もまた、歴史に磨かれた経典に説かれており、大乗仏教(ダイジョウブッキョウ…皆共に救われようとする仏教)の基本は六波羅蜜(ロッパラミツ…6つの修行道)の実践である。

 さて、6月8日、総勢100名様ほどの中で、こんなお話を申し上げた。
「私たちはどうしても自己中心的に生きてしまいますが、お地蔵様や観音様はそうでなく、自己中心というものがないから菩薩(ボサツ)様なのであり、私たちも、誰かの役に立とうとしたり、始めたことはやり遂げようと精進したり、生きとし生けるものへ感謝をしたりしているうちに、だんだん菩薩)ボサツ)様に近づけます。
 そうした小さな実践を続けていれば魂が清らかになり、この世への執着心や、死への不安や恐怖心が消え、如来様の世界と感応し、安心で生きがいのある日々が送れます」

 六波羅蜜(ロッパラミツ)を学んで善行(ゼンギョウ)を実践したいならば、実践者であろうとする行者に学べばよい。
 苦を抜き楽を与える慈悲の体現者である菩薩(ボサツ)様や如来(ニョライ)様をお祀りしている寺院には、この世の幸せとあの世の安心を得るきっかけがある。
 自分の行いにハッとした時は、懺悔(サンゲ)と善行(ゼンギョウ)を心がけたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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2011
08.08

大きな過ち小さな過ち

 ある先生は、生徒の小さな過ちはしっかり叱り、大きな過ちについては、まず黙って様子を見ているそうです。
 大きな過ちを犯したならば本人は必ず〝しまった!〟と思っているはずなので、あえて追い打ちをかけず自省を待ちます。
 そして生徒なりの受け止め方が見えた頃に、ピシッと結末へ導きます。
 一方、小さな過ちには〝これくらい〟とたかをくくる心が伴いがちです。
 そうした安易な気持がやがて大きな事件を招いては大変なので、過ちを犯したならすぐに指摘して、くり返さぬよう指導するのです。

 ボランティアが街の落書を消すことで青少年の心のすさんだ心を浄めたり、店舗のシャッターのあちこちに落書きされてさびれかけた街が、店主や地域の人々の献身的な作業によってすっかり落書が姿を消してから活気をとりもどしたといった報道がありました。
 靖国神社への旅の途中で立ち寄った手入れの行きとどいた小さな公園では、心ない人々の落書を黙々と消し続けているご老人に会いました。
 片隅に建つコンクリート打ちっ放しの質素なトイレの壁に残されているかすかな線と、何度も何度もこすったらしい擦り傷の痕にしばし目を奪われたものです。

 釈尊は、「小さな悪を軽んじてはならない。水のしずくも時至ればやがて大きな器を満たすように、小さな悪は大罪悪を招く」と説かれました。
 人は、知っていることや反省していることを突かれ聞かされるとムッとして反発したくなります。 
 それが愚かさであり器(ウツワ)の問題なのですが、瞬間的に動いてしまう心は何とも仕方がありません。
 上手に指導する先生の智慧にますます磨きがかかりますよう。

※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110802 021



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2006
03.22

『法句経』の講座が新しいスタートをします

 釈尊の生の言葉が記されているとされる『法句経』は、珠玉のような教えがぎっしり詰まっている宝石箱のようなものです。

「小道(ショウドウ)を学んで以て邪見を信ずること莫(ナカ)れ、放蕩を習うて欲意を増さしむること莫れ」 ―教学品第二―
(本来の人の道と異なるものを学び、邪な見解を信じてはならない。気まま勝手な生き方に慣れ、ただただ欲のままに生きてはならない)

 学ぶべきものを見極めてこそ、学ぶ意義があります。たとえば、ネットで人の呪い方をいくら熱心に学んでも、自らを害するだけです。そうして邪なものの見方をするようになれば、必ず泣きを見ることになりましょう。
 また、今の日本は、何とか生きては行ける社会になった結果、世のため人のために自らを厳しく鍛えようとする人が少なくなり、今日を気楽に過ごし、明日喰う米があれば良いといった刹那的・退廃的な空気が強まっています。
 食欲も、睡眠欲も、財欲も、すべて尊い目標があってこそ活きます。
 もしも齢をとったならば、シャンとして生きること自体が、周囲の人々へ余計な負担をかけないで済む尊い生き方です。
 そのように、生きる目標は、いつ、いかなる状況下にあっても、自分の心一つで立派にうち立てられます。
 人の道を学び、まっとうに生きる目標を持って尊い人生を生き抜きたいものです。
「昼夜に慈を念じて、心に克伐(コクバツ)なく、衆生を害せずんば、是(コノ)行に仇なし」 ―慈仁品第七―
(昼も夜も心に思いやりを抱き、他人を思い通りに自分へ従わせようとする慢心がなく、人々に害を与えなければ、安楽で、他から煩わされることのない日々が送られる)

 私たちは、とかく、我を張りたいものです。
「我がため」でなく、自分の何かを差し出すことには抵抗感があるものです。
 その反対に、誰かのために何かをすれば、後からゆったりとした満足感や暖かい感謝の気持などが出てくるものですが、我欲が邪魔をしてなかなか実行できません。
 お互いの我と我がぶつかることによって、あたかも対向車同志が道を譲り合わないような対立や不満や不都合が生じるのです。
 お互いが道を譲ろうとすればどちらの心にも感謝が生まれ、事後は気持ちの良い運転ができるというものです。
 ここで説く「念じる」とは、心にしっかりと抱き続けるという意味です。
 とにかく、まず、自分が「思いやり」で生きましょう。
 この世を極楽にするには、それが不可欠の第一歩なのです。


「過失(アヤマ)って悪を為すも、追い覆(カエ)すに善を以てせば、是れ世間を照らす、定んで其(ソノ)宣(ヨロ)しきを念ぜよ」 ―放逸品第十―
(もしも、うっかり悪しき行為をしてしまったとしても、善き行為によって過ちをうち払ってしまうような生き方をすれば、やがては世間の人々を導く灯火にもなれよう。このことを忘れず、善行の実践をすべし)

 誰しも過ちは犯すものです。
 すべては「その後」です。
 そのままズルズルと悪行に慣れれば行く先に地獄が待っているかも知れないし、いつまでも悔やんでばかりいては運勢の勢いがなくなり、自分で自分の運命を切り拓けなくなりましょう。
 しかし、深く悔い改め、敢然として善行へ邁進すれば、過去の幻は消え、〈正しく力強く足を踏みしめる現在〉の連続が明るい運命を創ることになります。
 ちなみに、私たちになじみの「空」の思想を完成したとされるナーガールジュナは、若い頃、天才ともてはやされて慢心し、透明人間になる術によって悪行を重ね、危うく殺されそうになりました。
 しかし、身をもって欲情が苦の元であるとを悟った後は求道の生活へ入り、やがてすばらしい教えを説く菩薩様になったのです。

 NHK泉文化センターにおいてこうした教えを共に考える講座が、4月12日(水曜日)から新しいスタートへ入ります。
 身近なできごとを考えたり、質疑応答を行なったりと、和やかな雰囲気でやっています。
 今日の講座の前半は、日本の野球チームが世界一になった感動や、子どもたちの原状についての不安や、時事問題についての不満などでもちきりでした。
 ご興味がおありの方は、見学も可能ですので、お気軽におでかけください。




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