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2005
07.16

仏像にはパワーがある

「素朴な質問で恐縮ですが、仏像ってどうしてできたんでしょうか?あまりたくさんあってよく解らないんですが」
 Tさんは熱心にお寺まわりをしておられるので、特にこうしたお気持が強くなられたのでしょう。

 学者の説はいろいろあるようですが、一行者としては、釈尊の説かれた真実世界を求める天才的行者たちが感得した〈イメージの表現〉が、お地蔵様やお不動様や観音様などの経典であり、経典に基づいて造られた仏像だろうと考えています。
 それは、仏像を前にして経典を読み、印を結び、み仏の世界をイメージできれば聖なる次元へ入られるからです。信じ、行なえば、必ず結果が出るからです。
「信じて、正確にくり返しなぞる」行者の務めはこれがすべてです。

 いかなる宗教も開祖の説く内容への感動や共感から始まり、それは開祖そのものへの信と重なり、やがては開祖崇拝がさまざまな聖なるイメージを生み、その表現されたものが「真理世界への入り口」となったのではないでしょうか。
 偶像崇拝と称し形あるものの崇拝を禁じている宗教でも、そこで言うところの偶像に代わる何ものかはあります。
 開祖や聖者に憧れ崇めない宗教はありません。
 現に、イスラム世界では聖者の一言で人々がどんどん命を捨てています。
「絶対」を含む一言を発する人は、生きた偶像なのでしょう。

 宗教における「聖なるもの」とは、意識するとしないとにかかわらず「人格としてのイメージ」です。
 親しみやすいお地蔵様、頼りになるお不動様、お優しい観音様、気高いお大日様、安心させてくださる阿弥陀様、どなたも必ず何がしかの人格を感じさせればこそ、手が合わさります。

 悟りを得るとは「実のごとく自らの心を知る」ことであると説かれているのは、迷いの雲や幻の我を払い、魂の核となっている最高の人格を求めよという教えです。
 そうか!と一時は思っても、頑固な雲や我はそう簡単に避けてくれません。
 だからこそ、仏像や経典が心を清め深める導き手となってくださるのです。
 お地蔵様や観音様として活きている聖なる世界が、私たちの魂へイメージとしてはたらきかけ、力となります。そして、お地蔵様と自分、あるいは観音様と自分という意識が消えれば、お大師様の説かれた「即身成仏(ソクシンジョウブツ)」です。

 仏像となっているみ仏の本体は人格であり、み仏は、どなたも私たちの心にお住まいです。




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