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2016
11.23

現代の偉人伝(第237話)元幕下佐田ノ浜 ─やるせなさを糧に変えた人─

2016-11-11-0282.jpg
〈四国霊場の花〉

 元小結舞の海秀平氏は、11月17日付の産経新聞に「舞の海相撲〝俵〟論」を書いた。
 今回とり上げたのは元幕下佐田ノ浜である。
 以下、「華やかな土俵の陰で」より抜粋して転記する。

「人はこれほどまでに変われるものなのか。
 稽古取材で九州場所前に境川部屋の宿舎を訪れたときのこと。
 『一緒に写真を撮ってくれませんか』と声をかけられた。
 目の前に立っていたのは元幕下佐田ノ浜。はきはきとした口調だ。
 入門した頃の彼を知る身としては信じられなかった。」


 いつもながら、簡潔で明快な切り口である。

「人と接するのが苦手で高校の頃は登校拒否の引きこもり
 何もせずぷらぷらしていたとき、体が大きかったことから知人に誘われ、入門。
 相撲のことは何も知らず、勧められるがままだった。
 当時は人と目を合わせずに、下を向いてぼそぼそと話す印象しかない。

 無為の日々を過ごしてきた者にとって、激しい稽古は辛かったろう。
 そもそも裸になるのが恥ずかしくて、風呂に入っては手で前を隠し、まわりの力士に笑われた。
 相撲を取れば誰にも勝てない。
 何度も辞めようと考えた。
 それでも少しずつ番付を上げていくうちに『相撲をやめて実家に帰ると元の生活に戻ってしまう』と思えるようになった。

 相撲部屋では、何をするにも心を開いてまわりの力士と協力しなければいけない。
 米とぎ、皿洗い、掃除、洗濯など、若い衆で一丸となって雑用をこなしているうちに、いつしか自分が引きこもりだったことは忘れてしまった。」


 ここまで読んだだけでも、引きこもっていた青年が、文字どおり裸のつき合いをする世界へ入る決心をしたこと、辛くとも、成果を上げられずとも途中で逃げ出さなかったこと、その事実にはただただ、頭が下がる。

「入門から6年半。
 やっと幕下へと上がった平成25年夏場所に、力士人生が暗転する。
 取組で左膝の靱帯(じんたい)2本と神経を断裂。
 11カ月の入院で4度手術し『もう相撲は取れない』と医師に言われ、泣き崩れた。
 まだ25歳だった。

 師匠の境川親方(元小結両国)もまた、弟子たちの前で『俺の力不足であいつを不自由な体にしてしまった』と泣いたという。
 その話を退院後に聞いた佐田ノ浜の心は震えた。
 そして、親方は5場所連続休場中、自動車の運転免許を取らせ、就職先を探した。
 『こいつは口下手だから』と面接にも同行してくれた。」


 いつもケガの危険と隣り合わせで、現役生活が比較的短い力士にとって6年は長い。
 白鵬関はその間に頂点の横綱まで駆け上っている。
 幕下という地位は十両の下で、頭上には横綱までの70人がいる。
 何でも身内でやる世界では、「一枚違えば家来同然」「一段違えば虫けら同然」と言われ、序列によってあらゆる場面での役割も、待遇もまったく違う。
 ようやく「関取」と呼ばれる十両を目指せる位置まで来て力士生命を断たれた時の師弟はいかなる気持だったか、想像もつかない。

「相撲界を去る直前の正月。
 部屋で浴びるように飲んだ佐田ノ浜は突然泣き叫んだ。
 『まだまだみんなと一緒にいたいんです。辞めたくないんです』と。
 隣に座っていた師匠も目を真っ赤にしてかける言葉が見つからなかった。

 いま、彼は地元・長崎の自動車部品メーカーで働いている。
 力士生活を振り返り『この世界に入っていいことばかりでした』と言い切った。
 やるせなさをこれからの人生の糧に変えられる前向きな性格になったのだろう。」


 いいことばかりと言う述懐に目を瞠(ミハ)り、しばらく動けなかった。
 冒頭の文章「人はこれほどまでに変われるものなのか」に含まれていた内容の重さ、深さに圧倒された。

相撲部屋では親方やおかみさん、力士らが一緒に生活することで人と人との濃密な交わりが生まれ、1人の若者を立ち直らせることもある
 境川部屋の九州場所宿舎でかたわらには女性が寄り添っていた。
 『ちゃんと写真は撮れているの』と初めてできた彼女から言い寄られ、はにかみながら顔を赤くしていた。」


 イジメハラスメントなどで人を潰し、殺すのも人間なら、立ち直らせるのも人間である。
 私たちは人生のどこかで必ず「やるせなさ」を感じる。
 それを「糧」に変えられれば、必ず人生行路は乗り切れるだろう。

 精神医学も薬も医療も発達した現代では、失恋の傷手すら薬で処置し、何ごともなかったかのように生きられるらしい。
 しかし、それで心は大丈夫だろうか?
 練られ、霊性を輝かせられるだろうか?

 やるせなさに独りでぐっと耐え、時には誰かと共に耐え、涙が涸れる頃ようやく見える青空は何ものにも替え難い。
 もちろん、病気の領域にまで入ってしまったなら、薬が有力な助っ人となる。
 しかし、その前段階ではやはり、具わった人間力でやり抜いてみたい。
 誰しもがやるせない同士であり、助け合いたいものである。
 鮮烈で温かい体験を披露してくださった佐田ノ浜氏と舞の海氏に心から感謝したい。




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2016
10.17

【現代の偉人伝第236話】 ─小児科医熊谷晋一郎氏─

2016-10-17-0001.jpg
〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

 10月16日付の朝日新聞『ひもとく』欄は、「相模原事件が問うもの」と題し、自らも脳性麻痺という障害を持つ小児科医熊谷晋一郎氏の一文を掲載した。
 
 私たちは、障害者依存症者など、一人では社会的活動が困難な人々を排除したい意識にかられる場合がある。
 氏は、少数派を排除しようという意識こそが暴力を生むという。
 ご自身の人生をふまえた論旨は、人生相談の場で、ご来山の方々と一緒に立ち往生しがちな小生にとって、目の覚めるような切れ味で真実を明らかにしている。
 以下、7月26日に起こった相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」における大量殺人事件をふまえた文章について考えてみよう。

「私が生まれた1970年代は、脳性まひの子どもが生まれると早期のリハビリで、なるログイン前の続きべく健常児に近づけようとするのが一般的だった。
 もし健常児に近づけなければ、親亡き後、人里離れた大規模施設に入るしかない。」


 托鉢で一軒、一軒と訪ねるうちに、家庭内の障害者と出会うことがしばしば、あった。
 それは裕福そうな豪邸でも、貧しそうな小さいお宅でも同じだった。
 はからずも玄関へ姿を現してしまった家族を追って、必ず誰かが出てこられた。
 そのほとんどは無言、もしくは多くを語らず、重く伏し目がちな視線で、早く返って欲しいと訴えかけてきたことを思い出す。
 わずか10年ほどの間に、そうした光景はすっかり消えた。

「当時の、一部の介助者や支援者の愛や正義を笠に着た、うまくリハビリの課題に応えられない寝たきりの私たちを足で踏みつけるなどの暴力。
 それに対して何もできない怒りと無力感が、緊張とも弛緩(しかん)ともつかない、内臓が落ちそうな感覚にさせた。
 事件は、あの日々に私を連れ戻すのに十分なものだった。
 事件報道に触れ、あの頃の身体感覚がよみがえり、街ゆく人々が急に自分を襲ったりしないかと、身構えるような感覚を覚えた。」


 「内臓が落ちそうな感覚」には嘔吐を覚えた。
 身体は反応したが、思考は想像を許さない。
 恐ろしい断絶、不可知。
 障害を持った方が、それだけの理由で「急に自分を襲ったりしないか」と不安を覚えるならば、彼らは健常者とまったく〈別なこの世〉を生きていることになる。
 しかし、考えてみれば、私たちの偏見は、その対象となる人々を、そうした〈別なこの世〉へ追いやっているのだ。
 世界のどこかで絶えず起こっている宗教や民族の違いによる殺し合いは、差別と隔離の意識が行き着く果ての姿だ。

「70年前後の重度障害者が置かれていた状況を知る上で一読を薦めたいのが『障害者殺しの思想』である。
 筆者の横田弘は、思想的な深さとラディカルさで注目された脳性まひの当事者団体「青い芝の会」神奈川県連合会のリーダー的存在だった。
 彼は会の行動綱領に、「われらは愛と正義を否定する」と掲げた。
 今回の容疑者のロジックにも見て取れるように、障害者は悪意というより、愛と正義に基づいて殺されうる存在だという事実を鋭く指摘している。」


 いわゆる「愛」も「正義」も、差別する側における意味と、差別される側における意味が異なり、一つの言葉と概念が同じ世界を目ざす力になることはないという指摘だろう。
 そうした当てにならないものに頼っては生きて行けないことを直視した現実から立ち上がろうという呼びかけに違いない。
 一家族内ですら、家族全員が共有する「愛と正義」で身内の障害者や依存症者を守れないケースが数多くある。
 まして、社会というほぼ無限定の空間においては、共通認識を醸成することは困難だ。
 そこを突破しつつ、偏見・差別というどす黒い意識と戦って行くには、問題意識の共有が不可欠だ。
 

「事件後、薬物依存症の自助活動をするダルク女性ハウスの上岡陽江さんから、『友達やめないでね』というメッセージが届いた。
 これは二度目の衝撃だった。
 当事者研究を通して立場を超えて深めてきた連帯に、ヒビが入りかねないと感じたからだ。
 この言葉は、脳性まひ当事者の私を被害者側と同一視し、薬物依存経験者を容疑者側に同一視する世間の眼差(まなざ)しをふまえてのことだったと思う。
 大麻の使用が犯行の要因だったのではないかとか、措置入院制度見直しを巡る議論の中で、私と上岡さんたちを分断しようとする視線が作用しているのだ。」


 相模原事件では依存症者が障害者への加害者になったことによって、社会から排除されがちな者同士という立場から連帯してきた両者が、対立する意識を持ち始めたのではないかと危惧している。
 なかなか気づかれにくく、深刻な状況である。

「しかし、『その後の不自由』を読めば、依存症者の多くは、自ら暴力の被害者であることが多く、結果信頼して他者に依存できなくなるからこそ、消去法的に物質に依存するしかない状況に置かれていると分かる。
 少ない依存先という点では、健常者向けにできている社会で、家族や施設にしか頼ることのできない重度障害者と変わらない。」


 これも、依存症者の実態をふまえた指摘である。
 好きで依存症という病気になる人は誰もいない。
 そこへ追い込まれる過程と結果を見れば、差別と暴力に脅かされる者として障害者と同じだ。

「介助者もまた依存先が少ない。
『介助者たちは、どう生きていくのか』で、自らも介助者である渡邉は、孤立と過酷な労働環境の中で追い詰められていく介助労働者の姿を描いている。
 元施設職員の容疑者がどのような状況におかれていたか分からないが、安全管理目的で施設が閉鎖的になり、介助者と障害者が密室的な関係に陥ると、暴力を呼び寄せやすくなるだろう。」


 この文章には寒気がした。
 人生相談に来られる介助者の方々のお話から、現場の過酷さを多少、想像できていたからである。
 

障害の有無を越えて、『不要とされるのではないか』という不安に取りつかれた現代人は、今、岐路に立たされている。
 弱い立場にある人を、資源を奪い合う存在として排除するのか、それとも、同質の不安を抱えた仲間として支え合うのか。」


 まったく同感である。
 グローバリズムを錦の御旗とし、すべての正義をそこに収斂させようとする一握りの勢力に都合良く構築されたこの文明は、ほとんどの人々を道具とし、資本と権力をつかんでいる人間以外は、いつでも「不要とされる」存在だ。
 いいかげん、私たちは目を覚まさねばならないと思う。
 私たちは、いかなる文明にあっても、常に「公正さ」だけは等しく求めてきたのではなかったか?
 もしも人間が創る歴史に進歩というものがあるならば、その尺度は、「公正さの実現」以外のものであり得るだろうか?
 今の社会、この文明は、果たしてそのことをどれだけふまえているだろう。
 格差の拡大は、不公正さの拡大にほぼ、等しい。
 言葉を変えれば、人間を道具とみなし、その要不要を決める一部の人々と、要不要すなわち生死を他者に決められる多くの人々との距離が拡大しているのだ。
 後者こそが、「同質の不安を抱えた仲間」ではないか?

「障害者も、依存症者も、介助者も、社会の周縁に置かれた依存先の少ない密室では、暴力の加害者にも被害者にもなりうる。
 社会が一部の少数派を排除して、自らがクリーンに戻ったという幻想を抱くのではなく、まさにその排除こそが暴力を生むという事実に目を向けるべき時期だろう。
 すべての人の依存先を多く保つ社会が求められる。


 ここで言う「依存先を多く保つ社会」は、誰もが、安定した居場所を見つけられる社会である。
 私たちはそろそろ、鼻先にぶら下げられたニンジンを取り払おうではないか。
 もっと儲けよう、より大国になろう、地球上の悪者をやっつけよう、こうしたイメージよりも、格差が少なく誰もが安心して生きられる公正な社会を目ざしたい。
 そうした国家同士で真の平和を目ざしたい。
 障害者、依存症者、介助者といった方々へ心の目を向ければ、共に生きられる社会、共生社会の価値を感じられることだろう。
 今や、科学技術の最先端を行くネットワークと、生身の人間の共生が模索されている時代だ。
 人間同士の共生は、その一歩、手前の話ではないか。

 それが実現できないままに、一部の者が自分たちに都合良くネットワークを駆使する社会になってしまえば、最後は〈人間〉の反乱が歴史をガラガラポンの渦に落としてしまうかも知れない。
 10月12日午後、老朽化した東電の施設から出火し、ただちに東京都内延べ58万世帯が停電した。
 交通機関も大幅に乱れた。
 電気とネットワークに頼る私たちの文明は根本的な脆弱さを抱えている。
 そこを支えながら何とかこの社会を維持して行くためには、公正な社会における人間同士の共生と連帯が欠かせない。

 熊谷晋一郎氏の一文は深い問題意識を孕んでいる。
 偉人であると思う。




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2016
10.16

【現代の偉人伝第235話】 ─プロ野球DeNAの須田幸太投手─

2016-10-16-0001.jpg
〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

2016-10-16-0002.jpg
〈Yahoo!ニュース様よりお借りして加工しました〉

 平成28年のプロ野球はいよいよ、日本一を決める決戦へコマを進められるかどうか、両リーグ共に最終場面を迎えている。
 10月14日、ここで負ければチャレンジャーの資格を失う横浜DeNAベイスターズの須田幸太投手(30才)は、ケガから復帰した最初の登板で、見事な仕事を成し遂げた。

 須田選手は、セリーグの王者広島東洋カープを相手に3点リードした8回裏、2死満塁という場面を任され、救援のマウンドに立った。
 相手は4番バッター新井貴浩選手。
 2000本安打、300本塁打を達成し、セパ両リーグの花形選手が集まるオールスター戦での打率は5割を超えている強打者だ。
 今年の打率は3割、長打率は5割に近く、ホームランが出れば逆転を許してしまう。

 肉離れからのリハビリ後、緊張した場面で最初の1球を投げた時、思った。
「力を抜いて投げることはできない。
 初球はボールになったが、あそこに投げられたのは、今後の野球人生で大きな意味を持つ」
 全力での勝負ができると感じたのである。
 そして、7球すべて直球で押し通し、カウント2ー1となった最後は外角を打たせた。
 フラフラと右翼に上がった飛球が落ちれば広島に得点を許す。
 指の骨折にもかかわらず出場していた梶谷隆幸外野手が、フェンスも恐れず猛然とダイビングし、ケガをしている左手のグラブに収めた。
 両選手の気迫は試合の帰趨を決した。

 9月24日、巨人戦で左腿に肉離れを起こし、両肩を担がれて無念の降板となって以来、再起を期し、日本一に目標を定めてきた。
「24時間、1秒も無駄にせずリハビリをやってきた」
「1秒たりとも気を抜かないでよかった。
 明日からも全力でいく」

 ラミレス監督はそれを知っていた。
「けが明けでプレッシャーのかかる場面だったが、素晴らしい仕事をした。
 あそこで打ち取るというのは本当に大きな仕事」

 監督ばかりでなく周囲の誰もが、チーム最多となる62試合に登板した貴重な中継ぎ投手である須田選手の回復ぶりを気にかけている。
 そうした中で「1秒も」無駄にせず最善を尽くしてきたと言い切る覚悟と自信は見事だ。
 だからこそ、「1秒も」気を抜けない対決を制することができたのだろう。
 プロだからと言ってしまえばそれまでだが、「言うは易(ヤス)く行うは難(カタ)し」である。
 道を究める姿勢での仕事ぶりには武者震いさせられた。
 偉人である。

 後日談となるが、翌15日、広島が8ー7の接戦を制し、チャレンジャーを争う戦いは終わった。
 梶谷隆幸選手は4点差を追う3回、意地のホームランを放ち「絶対、諦めない」と言った。
 須田幸太投手は2点差を追う6回、連日の登板にもかかわらず、3者凡退、1奪三振と、勢いに乗る広島打線を完璧に抑えた。
 日本一への夢は断たれたが、両選手の活躍はファンの脳裏に残ることだろう。




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2016
09.21

【現代の偉人伝第234話】 ─子供たちを発達障害から救い出す青木彰氏─

2016-09-21-0001.jpg
〈「ぐっぷの会」様よりお借りして加工しました〉

 ある時、ご縁があって特定非営利活動法人「みんなの教室」を主宰する青木彰氏と対話した。
 教師として勤め上げた氏は、宮城県大崎市田尻において法人を設立し、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、広汎性発達障害など、軽度の発達障害を持った子供たちを支援してきた。
 悲哀の湖から発する霊光のような色合いをたたえた氏の視線は、たとえようもなく勁(ツヨ)い。
 どんな暴風にも消えない灯火のようだ。

 人生相談やご加持(カジ)で、そうしたお子さんや親御さんと接してきた小生は、率直にお訊ねした。
「皆さんの状態が改善されて行くためのポイントはどこにありますか?」
 間髪を入れず、答が返ってきた。
「個別指導です」
 小中高といった伸び盛りの子供たちのうち、6・8パーセントに障害がある。
 40人の教室なら2人以上のお子さんが支援を必要としているが、教師の数にも能力にも限りがあり、学校での個別指導は望むべくもない。
 そこで、退職後に自ら救いの手を差し伸べ始めたという。

「お釈迦様の対機説法(タイキセッポウ)ですね」
 この言葉にも、すぐ、答があった。
シュリハンドクは、十六ラカンの中で、最も多くのお弟子さんがいました。
 彼は発達障害でした」

 学ぶ意思はありながらも、お釈迦様の教えを頭に入れられず、苦しんでいたシュリハンドクへ、お釈迦様は「塵を払わん、垢を除かん」と口ずさみながら掃除をせよと指導した。
 彼はやがて天眼通(テンゲンツウ)という一切衆生(シュジョウ)の過去世を知り尽くす眼力がそなわり、悟った。
 青木氏の目には、子供たち1人1人が障害を抱えるに至った原因も、生きている環境も明らかに見えるのだろう。
 そして、個別の原因と環境がわかれば、それに応じた個別の対処法もわかるのだろう。
 つまり、真の救いは個別にしかもたらされないのだ。

 問題は一般的でも、問題は個々人に千差万別の色合いで現れる。
 一般的対処法だけでは、問題の根を抜くところまでは行けない。
 ある施設で耳にしたお年寄りの言葉である。
「職員さんは、決しておざなりな仕事をしているわけではないが、私の病状や身体の状態をすっかりわかってくれている人はいない。
 だから何でも、通り一遍でしかない。
 病院に連れて行ってもらって、私の身体をわかっている先生に会うのが一番の安心だ」
 それはそうだろうと思いつつ、この世の〈可能〉と〈不可能〉について考えさせられた。

 青木彰氏は、はっきりと旗を掲げておられる。
みんなの教室は、完全な個別指導の形態をとっています。
 教師と生徒がマンツーマンで、子供に合った個人別のカリキュラムを実践し、自分は自分のままでいいと知ってほしいからです。」
 自分の身体を張って、誰かの花を1輪づつ確実に咲かせている。
 生き仏と言えるのではなかろうか。




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2016
09.16

【現代の偉人伝第233話】いじめの撲滅に立ち上がる子供たち 

2016-09-16-0001.jpg
〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

 9月15日付の朝日新聞は「校内に響く『いじめ反対』」を掲載した。
 東京都足立区立辰沼小学校の子供たちが、いじめ防止に立ち上がり、毎日、校内で呼びかけ活動を行っているという。
 パトロールのリーダーが、かけ声を発する。
「みんなで、いじめを、なくしましょう」。
 後に続く隊員が応ずる。
「いじめを、しない、させない、ゆるさな~い」。

 平成23年、大津市で起こったいじめ自殺事件を機に、仲野繁校長と児童会役員らが対策を話し合い、「解決」より「未然防止」を目ざそうといういことになり、翌年、「辰沼キッズレスキュー」(TKR)が誕生した。
 組織は入会も脱会も自由、現在は全校児童447人のうち、254人が隊員の登録を行っている。
 毎日、2時間目と3時間目の間の休み時間に、隊を持ち鉢巻姿となった隊員が、交代で校内を練り歩く。
 放課後の会議もあり、縄跳び選手権や一発芸の選手権などを企画してきた。
「学校が楽しくなれば、だれかをいじめたい気持ちは薄れる」

 治療よりも予防をやろうという姿はすばらしい。
 しかも、活動は毎日である。
 仙台市周辺のピンクチラシ撲滅運動を思い出した。

 平成10年、東北随一の繁華街国分町を中心とした地域に蔓延していた悪名高いピンクチラシを撲滅すべく、宮城県社交飲食業生活衛生同業組合(理事長上村孝氏)が立ち上がった。
 4年間、毎月欠かさず行った「国分町環境浄化デー」のデモ行進とチラシ回収運動が功を奏し、全国初となった「宮城県ピンクチラシ根絶条例」の制定、歓楽街としては歌舞伎町に次ぐ防犯カメラの設置など、一つ一つ成果を積み重ね、平成17年、ついにチラシはなくなった。
 20年戦争と言われた戦いは7年で終結した。
 組合員が一致団結し、チラシの背景にある暴力団の存在、チラシを撒くしか生きようのなくなった人々の生活など、表面に出ないさまざまな問題に粘り強く取り組んだ活動が高く評価され、平成26年、上村孝氏は旭日双光章を受賞した。

 辰沼キッズレスキューの運動にも、さまざまな困難が降りかかってきていることだろう。
 事実、昨年度、同校が把握したいじめの数は28件あり、運動開始以前よりも増えている。
 しかし、仲野繁校長は言う。
「いじめの『芽』のうちに見つけてしまう」ので「深刻なケースは起きていない」。
 子供たちが生活する環境の空気が変われば必ず、子供たちの心も変わる。
 環境と心は鏡が照らし合うように互いの世界を映し出し、互いの世界に影響を与え合う。
 すでに、子供たちは立ち上がり、心が変わった。
 環境である学校の姿が変わらないはずはない。

 何としても、いじめの撲滅という理想を降ろさないで欲しい。
 にかける生き方の体験は、を手にした子供たちの人生を後押ししてくれることだろう。
 小学生の頃、小生はクラスの歌を作り、合唱した。
 先生も仲間もあまりにすばらしく、和を失いたくないと思ったからだ。
 数年前、恩師が他界し、ご自宅でお線香を捧げた。
 運転してくれたのは仲間の一人、講演会にもときおり、仲間が来てくれる。
 共に掲げた心のは半世紀以上経っても、降ろされてはいない。
 
 小生の当時とはまったく比較にならぬほど困難な活動だろうし、やっかみや妨害なども経験するだろうが、あきらめずに続けて欲しい。
 子供たちと日本の未来のため、山里から応援の祈りを続けたい。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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