宮床開運守本尊 大師山 法楽寺 〜法灯により法友とともに法楽に住せん〜

2008-08

後厄年の過ごし方 その4

 後厄年に強い障りが生じた場合は、ご先祖様や先亡の人々の戒めではないかと考えてみましょう。
 
1 後厄の年は「地」の徳をいただく時期ですが、地は大地であり、梵字のアで示されます。
 ただし、アは単なる地球を指すのではなく、天地万物としてその徳を発揮しておられる大日如来を指します。
 それはすべてを生み出す源であり、育む場所であり、いのちの生きる土台であり、還り行く故郷でもあります。

2 また、大日如来は多宝塔に象徴され、教典によれば、聖なる塔は大地より涌き出るとされています。
 多宝塔は、大日如来の崇高さを表したものです。
 形なき精神世界を確かに感得するために、私たちは授かった五感六根を使います。
 そのための眼に見える形が多宝塔です。

3 さて、多宝塔が大地より涌き出るとはいかなる意味でしょうか。
 それは、精神世界が物質世界に支えられて具体的なはたらきを行うということです。
 人間も、魂が肉体に宿って初めてこの世での修行が可能になるではありませんか。
 父母なくしてこの世に生まれる子どもは一人もいません。

 父に象徴される精神性と母に象徴される物質性の奇跡的な交感が一つのいのちを生みだします。
 私たちには父なる〈天の大日如来〉と母なる〈地の大日如来〉の徳が宿っています。
 だから〈み仏の子〉なのです。

 つまり、多宝塔は私たちの魂そのものです。
 
4 こうした強く「地」の徳をいただく時期に、〈み仏の子〉である輝かしいものに障りといった陰りが生じたならば、いのちの根源からのお知らせと考えねばなりません。
 きっと、私たちより先に生まれ、生き、いのちのバトンタッチをして逝った方々が、やがては私たちも還って行く故郷から何かを教えてくださっているのでしょう。
 み仏と先亡の諸精霊をご供養し、心へ訴えてくるものに謙虚に耳をかたむけ、最後の厄年を乗り切りましょう。

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後厄年の過ごし方 その3

 後厄年に病苦に襲われたならば、自分の言葉に注意して過ごしましょう。<

 病気になった場合の「苦」には、三種類あります。
 一つは病気そのものによる肉体的な苦しみです。
 お腹が痛いとか、だるくて力が入らないなどというものです。
 これは、医療技術の発達によってかなり緩和されるようになり、不治の病気でも、身体的な苦しみに精神が破壊されることなくいのちをまっとうできる場合が多くなっています。


 もう一つは、すべては移りゆき、自分の人生もまた終末を迎えねばならないことに直面させられる苦しみです。
 誕生の瞬間から、次の瞬間には訪れるかも知れない死への歩みを始めているはずなのに、その真実をきちんと把握しながら生きる人はそう多くありません。
 無意識ながら永遠に生きられるようなつもりで日々を過ごすのが普通ではないでしょうか。
 しかし、病気は、死に神が人生の伴侶であることを否応なく気づかせます。

 そしてもう一つは、自分が確かに持っているはずのものを失わねばならない苦しみです。
 どれほど仕事が生き甲斐であった人であっても、ベッドに横たわる身は、もう活動を停止させられています。
 いかに夢を持って子どもを育てていても、ベッドの上にいれば、もう手をかけてやることはできません。
 どんなに親しくつきあっていた友人でも、時の経過とともに見舞いに訪れる回数はだんだん減り、いつしか遠ざかります。

 こうした苦にあって口からこぼれる言葉は何でしょうか。
「どうして私が…」「なぜこんな時に…」「こんなことなら…」「どうしたら良いのか…」「あいつのせいで…」「俺はバカだった…」などなど、苦が愚痴となって表れます。
 心が言葉を生む以上こうなるのは当然ですが、釈尊は、言葉に導かれて病苦を克服せよと説かれました。
「正語」を心がけるのです。
 正直で嘘のない言葉、志を汚さぬ飾りのない言葉、柔軟な心で状況に対応することによって生まれる柔らかで穏やかな言葉、誠の交流を貫く言葉。
 周囲の人々への思いやりを忘れぬ言葉を用いるよう心がけることによって、三つの苦は克服できるのです。

 数年前、不治の病気に犯され若くして世を去った女性が別れの言葉を口にしました。
「生んでくれてありがとう。お父さんとお母さんの娘で幸せだった」
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)とはこのことです。
 こうした言葉が口から出たのは、もう救われている証拠です。
 そして、この一言によって、ご両親はもちろん、家族も、友人知人も、医療や介護に携わった人々もすべて救われています。
 態度も言葉も心も自他を救うみ仏であるならば、もはや「生き仏」というしかないではありませんか。


 心は言葉に表れる一方、言葉によって創られもします。
 自然に出る言葉は、自分の心の状態を教えてくれます。

 苦から脱するには、つまり自他を救うには、教えに学び実践するしかありません。
 自分を鍛える厄年の最後に、人間を人間たらしめている言葉によって自分の心をしっかり確認し、心を鍛えたいものです。

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後厄年の過ごし方2

1 後厄年の守本尊は大日如来様です。
 大日如来が人々の欲するところを観てお導きくださるこの時期は、「欲の実態を知り」「煩悩を大欲へと転化する」ことが困難克服のための大きな力になります。

 およそ生きとし生けるものには、必ず欲があります。
 それは、生きようとする盲目的な意志となって表れます。
 この意志は、自分の生命を維持することを最優先します。我欲の発露です。
 具体的には食欲、性欲、睡眠欲が代表的なものです。

2 さて、自然界が摂理によって動いている以上、カエルやネコなどと同じように人間もそうした欲に任せて生きていて大丈夫かといえば、否です。
 なぜなら、人間以外の生きものたちの欲には自動制御装置がついており、放っておいてもバランスがとれますが、人間は、制御装置がついていないばかりか、無限の想像力と創造力があるので、自己規制をしなければ欲が自他を傷つけ、破壊し、破滅させる虞れがあるからです。
 満腹のライオンは決して獲物を狙いません。
 しかし、人間は、裏切った恋人が憎いばかりに世界の消滅を願い、一国をも得ようとし、永遠の寿命へすら挑戦するではありませんか。
 環境破壊や核戦争によって、地球という生命の庭をすら消滅させかねないではありませんか。

3 それなら、人間の未来はないのかといえば、これも否です。
 人間には自他を救う霊性があるからです。
 それは最高位の仏性(ブッショウ)です。
 ただし、人間も肉体を持っており、見えるもの、聞こえるもの、匂うものなどが強い関心の対象になる以上、肉体の維持にかかわる食欲、性欲、睡眠欲が前に出ようとします。
 次に財欲、そして名誉欲です。
「食べられる」ようになれば、次は「気まま」をしたくなるのです。
 それが今の日本ではないでしょうか。
 
 生きるため、生かすために戦後の日本人は汗水をたらし、次は生活の豊かさを求めてここまで来ました。
 反面、アメリカの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」や「3S政策」によって日本人らしい霊性の発露を封じられた私たちは、すっかり心が貧しくなりました。
 それが政界・官界・財界・学会における腐敗や、警察官の万引き、文筆家の盗作、運転手の飲酒運転、教師の淫行、自動車やガス器具産業の欠陥放置、菓子屋の衛生管理の不徹底などなど、各方面での信じられないような社会的信頼への裏切り行為となり、大人の堕落は子どもたちをダメにしつつあります。

 これが現実における「欲の実態」です。

4 煩悩とは、霊性の光を伴わない人間の欲です。
 自他を破壊する煩悩を克服するためには、霊性を発揮する以外、方法はありません。

 霊性によって欲を活かすことが万人共通の「生きるべき生き方」です。
 それがとりもなおさず「煩悩を大欲へと転化する」ことになります。
 
5 後厄の時期は「もどかしい」ものです。
 しかし、いつも走ってばかりいては、列車の窓からしか景色を眺めないのと同じになります。

 樹々の葉が発している緑光や、花々の香りや、鳥たちの声が分からなければ寂しいではありませんか。
 時にはゆっくり歩き、あるいは立ち止まり、季節の気配を感じたり、足元を確認したり、悠久の過去と未来を考えたりする必要があります。
 後厄の一年間は、そうした人間性の回復が行われるチャンスです。

 大日如来のお導きをいただき、欲という人間のいのちの根源をもしっかり見つめたいものです。

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後厄年の過ごし方 その1

1 後厄年にあっては、何ごとも〈時間がかかる〉と覚悟して計画を立てれば、運勢を活かせます。

 確かに、ものごとをなすのに時間が多くかかれば「困る」のが私たちの感覚ですが、すべてが早ければ良いというものでもありません。
 たとえば、ウィスキーにしてもワインにしても、熟成という過程を経て初めて円やかで深い味わいや芳醇な香りがもたらされます。
 数学者や科学者は、突きつめて考えた果てに、ある時突然、解が得られるといいます。入浴中に原理を発見したアルキメデスは、その典型でしょう。
 また、母親の手をかけた食事は何よりもおいしく、子どもへ満足や安心を与え、母親や家庭への信頼をもたらします。
 時間がかかることを恐れず、愚痴を言わず、労を厭わず、「精進」を誓い腰を据えてやりましょう。

 時間がかかるなら早く取りかからねばなりません。この時期は、準備や確認といった手順を身につけるチャンスです。
 慌てても間に合わないので、肝心なものごとほど準備を急ぎ、スタートしたなら確実に進められるようその確認もしっかりやらねばなりません。
 古人は、そうした心構えを「段取り八分(ブ)の仕事二分(ブ)」と言いました。
 
2 この時期は、寒い冬が去り温かな春の兆しがやってきたと感じられるような気持になります。

 四季の移り変わりのように、再び廻り来るものがありましょう。それが何であるかを見極めなければなりません。
 愚かな人との腐れ縁だったりすれば、早くはっきりと断ち切りましょう。
 古い付き合いの人から持ち込まれた計画などは、信頼関係のあるなし、目的が善か悪かなどをもって判断しましょう。
 なれ合いや損得だけで動くのは危険です。悪人に利用されかねません。

3 人生の酸いも甘いも経験した年配女性のはたらきがことの成否に大きな影響を及ぼす場合があります。
 
 母親や祖母、あるいは目上の女性を敬い尊び、地に足のついた智慧に学びましょう。

 そもそも、生きものの本性は女性です。特殊な条件が満たされなければ男性は生まれません。
 実際に子孫を残すかどうかは別にしても、女性が生み育てる性であることはまちがいありません。
 母性本能の持つ「自分のいのちに代えても子どもを守る」という絶対の慈悲は、あらゆる生きものの尊さの根源です。 
 母親までが自己中心という煩悩をむき出しにし、裏側に我欲が貼り付いている権利を主張するのみで母性を忘れたならば、人間はあらゆる生きものの中で最下等に堕してしまいます。ハトよりもワニよりも下劣になります。
 現代日本の子どもたちに表れている地獄が母性崩壊によってもたらされた面があるのは、厳然たる事実です。

 もちろん、母性の崩壊は、必ずしも母性を失った本人だけのせいにはできません。
 そうした女性は、現代文明の毒による被害者でもあります。
 私たち全員がイデオロギーに惑わず、真実を観る目を開き、真理と原理をふまえた道理に基づいて生きるよう、方向転換をしたいものです。

 さて、太陽神に仕えた卑弥呼は女性です。
 日本に仏教がもたらされ、最初に出家したのは三人の女性です。
 狩野芳涯の『悲母観音像』は日本人のみならず東洋人の誇りです。
 真の意味で女性を尊び、試練の年を乗り切りましょう。

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本厄年の過ごし方 その4

 本厄年に強い障りが生じた場合は、水に関して亡くなられた方の思いが影響している場合があります。
 水と言っても水死者だけではありません。
 水に象徴される「酒」や「性」に関するトラブルによる死者の御霊、あるいは「すべてが水のごとく流れてしまった子」である水子霊なども含まれます。

 思い当たるならば、お祓いや除霊などではなく、まごころと法力によるご供養をもってお慰め申し上げ、無事安全に過ごしましょう。
 もちろん、この年回りに当たる方自身が酒や性に野放図になってはなりません。
 もしも、水子霊をそのままにしておいたなら、きちんとご供養しましょう。
 水子は「水子供養」の欄に明記してある通り決して祟りはしませんが、水子を何とも思わない「いのちの厳粛さに無感覚な生き方」が難問を引き寄せてしまうのです。
 厳しく鍛えられる時期に自分で難問を抱えたのでは、なかなか大変です。

 以上のポイントに学び、守本尊である千手観音菩薩様と水に関する御霊をご供養し、無事安全に厄年を通過されるよう願っています。

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