--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008
12.06

日本の歌 101 ─われは海の子─

われは海の子
  作詞:宮原晃一郎 作曲:不詳 明治43年、『尋常小学読本唱歌』に発表

1 我は海の子白波の
  さわぐいそべの松原に
  煙たなびくとまやこそ
  我がなつかしき住家なれ

2 生まれて潮にゆあみして
  波を子守の歌と聞き
  千里寄せくる海の氣を
  吸ひてわらべとなりにけり

3 高く鼻つくいその香に
  不斷の花のかをりあり
  なぎさの松に吹く風を
  いみじき樂と我は聞く

4 丈餘のろかい操(アヤツ)りて
  行手定めぬ波まくら
  百尋(モモヒロ)・千尋(チヒロ)海の底
  遊びなれたる庭廣し

5 幾年こゝにきたへたる
  鐵より堅き腕(カイナ)あり
  吹く潮風にみたる
  はだは赤銅(シャクドウ)さながらに

6 波にたゞよふ氷山も
  來らば夾れ恐れんや
  海卷き上ぐる龍巻も
  起らば起れ驚かじ

7 いで大船を乘出して
  我は拾はん海の富
  いで軍艦に乘組みて
  我は護らん海の國


 明治36年、文部省が懸賞をかけて全国から新体詩を募った。
 佳作となったのが新聞記者宮原知久(本名)の「海の子」だった。
 西欧列強が世界の冨を求め、世界の覇権を目ざして、次々と海へと乗り出していた時代に、日本も負けじと富国強兵へ走る空気がそっくり表れている。
 戦後、7番が禁止され、今は3番までしか教えられていないという事情もよく解る。

 1494年(明応3年)、毛利元就の生まれた年に、ローマ教皇アレクサンドル6世の仲介で世界の海をスペインとポルトガルで2分する条約が結ばれ、列強の侵略による略奪と、文明の破壊と、奴隷売買が本格化した。
 キリスト教と軍艦はアジアとアフリカに暗黒時代をもたらし、やがてアメリカでは先住民が滅ぼされ、黒人奴隷が労働力として大量に〈輸入される〉ことになる。
 こうした成り行きは、軍隊に続いて監獄から出された人々がなだれ込み、共産主義と弾圧によってチベット文明が滅ぼされつつあるのと同じ構図である。
 なお、少数民族が独自の文化を守ってきたウィグル地区では40回以上も原爆実験が行われ、数十万人の住民が殺されたが、中国政府は口をつぐみ、依然として民族同化政策に走っていることを指摘しておかねばならない。
 さて、危機に抗すべく立ち上がった日本は、明治政府をつくり国家神道と軍隊によって列強並みの強国になろうと試み、敗れた。
 アメリカの凋落ぶりを見ていると、同じ轍を踏み続ける人類の宿命を考えずにいられなくなる。
「平家物語」を読むまでもなく、因果応報の節理は峻厳であり、いずれツケは必ず回ってくるのに、我が世の春を無制限に謳歌したくなる私たちは、釈尊依頼2500年、何ら変わっていない。

 この歌は、国威高揚の熱気が国中を勢いづけ、自信と覇気に満ちていた時代の象徴である。
 1番から3番までは、子どもの元気さを謳って余すところがない。
 そもそも元気とは根元的ないのちの勢いであり、世間を渡るための甲羅をまとわぬ子どもに、その最も純粋な姿を見ることができる。
 雄大な海、遙かな沖、吹き渡る風、すべてが元気と呼応してこの歌が生まれた。
 しかし、4番から先には、元気をはたらかせる方向が示され、邪気が顔をのぞかせる。
 無邪気さはなくなっている。
 こうして、大人の「はからい」に子どもの心が染められる。
 子どもの有様は、大人の有様を写す鏡である。
 今後も、教えられ、唄われるのは3番までであろう。
 そうすれば、この歌は「101番目」の名曲であり得る。

 ここまで、この世で呼吸している人々の記憶に深く刻まれている「日本の歌」101曲を考察した。
 明治は遠くなっても、数十万人の明治の人々が健在である。
 いのちをつなぎ、言葉を伝え、ふるまいを教え、そして歌に込められた心を遺して去りつつある方々へ感謝し、いのちある限り、この宝ものを大切にしたい。
スポンサーサイト
2008
12.03

日本の歌 100 ─リンゴの唄─

リンゴの唄
  作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正 昭和20、映画「そよかぜ」主題歌の主題曲

1 赤いリンゴに 口びるよせて だまってみている 青い空
  リンゴはなんにも いわないけれど リンゴの気持ちは よくわかる 
  リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

2 あの娘よい子だ 気立てのよい子 リンゴに良く似た 可愛いい娘 
  どなたがいったか うれしいうわさ かるいクシャミも とんで出る 
  リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

3 朝のあいさつ 夕べの別れ いとしいリンゴに ささやけば 
  言葉に出さずに 小くびをまげて あすも叉ね 夢見がお 
  リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

4 歌いましょうか リンゴの歌を 二人で歌えば なおたのし 
  皆で歌えば なおなおうれし リンゴの気持ちを 伝えよか 
  リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

 
 映画「そよかぜ」は戦後初めて作られた映画で、「リンゴの唄」は主演の並木路子が唄ってヒットした。
 詩は戦時中に作られており、軍部から否定された〈軟弱さ〉が、戦争で疲弊した日本人の心に染みいった。
 童謡からスタートし、戦時中も妻子を疎開させつつ、最も危険な首都東京で執筆に励んだ詩人の魂は、決して軟弱なものではなく、筋金入りだった。
 死と血と混乱と不安が渦巻く世相にあって、一個のリンゴへ「気持はよくわかる」とつぶやける心の強靱さを想う。
 彼は、リンゴと通じた時、きっと愛おしくてならなかったことだろう。
 その気持ちは、何の細工もなく「リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ」と表現するしかない。
 松尾芭蕉の「松島やああ松島や松島や」と同じである。

 世相に構わず屹立していると思われた詩が、戦後の世情へ比類のない潤いを与えた。
 戦後すぐに生まれた私は、物心がついた頃から、ずっとこの歌に囲まれていた。
 どこでも流れ、誰もが口ずさんでいた。
 赤く、丸く、ほどよく甘く、ほどよく酸っぱく、ほどよい歯ごたえのあるリンゴ、しかし当時は高嶺の花だったリンゴになぜあれほどの親近感を抱いたのだろう。
 少女や幼子の頬を連想させることはもちろんだが、雪深い北国からの贈り物だったことも関係があるのだろうか。
 歯をくいしばる人々へ、小さくとも確かな希望があることを教えたのだろうか。

 いずれにしても、この歌は、明らかに、心へ刻み込まれるものを持っていた。
 何もかもが転変する中で、半世紀以上にわたって人々の胸の奥へ座り、情感を動かし続けるものは、真の宝ものと言えるのではなかろうか。
 50音順とはいえ、「日本の歌百選」のトリを飾るにふさわしい名曲である。
2008
12.02

日本の歌 99 ─旅愁─

旅愁
  訳詞:犬童球渓 明治40年、「中等教育唱歌集」掲載

1 更(フ)け行く秋の夜、旅の空の
  わびしき思いに ひとりなやむ
  恋しやふるさと なつかし父母、
  夢路にたどるは、故郷(サト)の家路
  更け行く秋の夜 旅の空の、
  わびしき思いに ひとりなやむ

2 窓うつ嵐に 夢もやぶれ、
  遥けき彼方に まよう
  恋しやふるさと なつかし父母、
  思いに浮かぶは 杜のこずえ
  窓うつ嵐に 夢もやぶれ
  遥けき彼方に まよう


 原曲は、ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)による“Dreaming of Home and Mother”(家と母を夢見て)である。
 東京音楽学校を卒業して音楽教師となっていた犬童球渓は、この曲と巡り会い、故郷を離れて各地を転勤していた自分の境遇と重なり合うものを感じたのだろうか。
 この歌には懐かしさ、侘びしさ、寂しさ、迷いなどがこめられているが、子供たちはそうした切実さを直截に受け止めず、むしろ旋律の清々しさや優しさに惹かれつつ唄っているのではなかろうか。
 微妙なアンバランスの原因は原曲にある。
 インターネットでみつけた、ある直訳である。

1 夢見る我が家 子供の頃を
  安らぎ目覚める 母の夢から
  遠いあの日々 遊んだ兄弟よ
  母と歩いた あの丘や谷
  夢見る我が家 子供の頃を
  安らぎ目覚める 母の夢から

2 身を伸べ目閉じ 静めて
  優しいあの声 偲びつつ待つ
  天使訪れ 夢見させてくれる
  なつかし我が家と なつかし母を
  夢見る我が家 子供の頃を
  安らぎ目覚める 母の夢から

 明らかに、この歌詞の方が曲の印象とバランスがとれている。
 同じ懐かしさでも、「旅愁」と違って、それが安らぎに通じている。
 訳詞された明治40年は、正月の気分もさめやらぬうちに東京株式が暴落して戦後恐慌が始まり、2月には足尾銅山で大規模な労働争議が起こっている。
 犬童球渓情と不安が増しつつある世相が「旅愁」に反映されたと観るのは深読みだろうか。

 いずれにしても、この歌はすっかり日本人のにとけ込み、日本の歌そのものになっている。
 歌の故郷アメリカではほとんど忘れられ、むしろ中国で好んで唄われているというから面白いものだ。

 さて、ここまで99曲について書きつつ気づいた。
 歌を唄うことは自分のを謳うことではなかろうか。
 歌を作った人の心と共鳴する心のある人は、その歌を好んで唄い、そこに自分の心を表している。
 聴く場合も同じである。
 聴きつつ、歌にある音叉と心にある音叉が共振している。
 共振が生じにくい歌は敬遠され、早く忘れられる。
日本の歌百選」に選ばれた作品は、多くの日本人にある音叉を共振させたのだろう。

 私などが、カザルスのチェロによる『鳥の歌』、サンタナの『ブラック・マジック・ウーマン』や『スムーズ』、あるいはダリの『記憶の固執(柔らかい時計)』や『宇宙象』を聴いたり観たりしていると動けなくなるのは、心の音叉が共振して日常生活の時間の流れと異なった流れに入ってしまうからなのだろう。
 美の力である。
 それは、ご本尊様を前にして法を結んでいる時に入っている時間の流れと、ある意味で共通している。
 美も法も、器世間(キセケン…外界)にあり、衆生の心という内界にあり、音叉を媒介として一如となる。
 密教で説く「而二不二(ニニフニ…二つであるようであって二つでないところに真実がある)」の世界である。

日本の歌百選」に選ばれた作品は、日本人の心によって作られ、日本人の心を創ってきた。
 それが思い出され、心に流れ、口ずさみ始める時、「而二不二」の真実世界が顕れる。
 いのちの本源へと通じる懐かしさや涅槃に通じる安らぎが膨らんでくるのは当然である。
 価値ある作品を大切にしたい。
2008
11.28

日本の歌 98 ─揺籃のうた─

揺籃のうた
  作詞:北原白秋 作曲:草川信 大正10年、『小学女生』に発表

1 揺籃(ユリカゴ)のうたを
  カナリヤが歌うよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

2 揺籃のうえに
  枇杷(ビワ)の実が揺れるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

3 揺籃のつなを
  木ねずみが揺するよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

4 揺籃のゆめに
  黄色い月がかかるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ


 この歌は、子守歌の代表格である。
 もちろん、唄ってもらった記憶はない。
 子供へも唄ってやった記憶はないが、妻の歌声を聞いたこと、また、子供の寝顔を見ながらこの歌を思い出したことはある。
 妻と二人で、黙って我が子の寝顔へ見入っていたのは昨日のできごとのようだ。
 子供を安らかな眠りへ導くための子守歌が、親にとっても安らぎとなるのは不思議なものである。

 寝顔と歌のあった場面を思い浮かべると、今の生活に伴って発生しているいかなる問題も夢幻のように思えてくる。
 確かにあった〈真実〉、過去となってしまったが時を超えていつでも魂へ響く〈真実〉こそが実在であり、転変極まりない現象世界はかりそめのものでしかない。
 真実世界とかりそめの世界は表裏一体である。
 苦楽、泣き笑いが交錯する時間の流れの中に、キラッと光り、永遠にとどまる瞬間がある。
 その時、私たちは真実という宝ものに出会っている。
 宝ものがあるからこそ、かりそめの世をどうやら生き抜けられる。
 それは「み仏からの贈りもの」に相違ない。

 運転中に、古美術鑑定家中島誠之助氏の話を耳にした。
 彼は、「マニアックになってはいけない」という。
 膨大なものや情報が行き来する現代にあって、関心と研鑽の対象が狭い分野だけでは、きちんと感性を磨けないのだ。
 感動が土台になり、その上に知識という家が建って初めて感性がはたらくともいう。
 知識が先走ると、どうしても欲という家が建ち、だめになる。
 文学であれ、音楽であれ、美術であれ、あるいは風景であれ感動の対象は無制限である。
「佳い」と感じる感性は何に対してもはたらくものであり、純粋な感動によって磨かれた感性は、どこにでも「佳い」ものを見つけられるはずである。
 かねて流行語になっている「オタク」に感じていた危険性を、彼は見事に解き明かしてくれた。

 まことのもの、よきもの、うつくしきものは、真実の見せる三面である。
 真善美に魂が感応し、感動という土台の上にさまざまな家が建てられる人生であれば幸せと言えるのではなかろうか。
 この歌も、その土台にかかわる貴重な作品であることは疑いない。
2008
11.27

日本の歌 97 ─雪─


  作詞・作曲:不詳 明治44年、『尋常小学唱歌(二)』に掲載

1 雪やこんこ 霰やこんこ
  降つては降つては ずんずん積る
  山も野原も 綿帽子かぶり
  枯木残らず 花が咲く

2 雪やこんこ 霰やこんこ
  降つても降っても まだ降りやまぬ
  犬は喜び 庭駈けまはり
  猫は火燵で 丸くなる


 勢いのある歌である。
 降りしきるをものともしていない。
 小学唱歌ではあるが、作った人そのものが現れている。
 おそらく、若い方の作品だろう。
 遠くへ目をやるとをかぶった山や野原が広がり、幹も枝もまっ白に化粧した樹々が芸術作品のように林立している。
 そうした世界に包まれた民家の中では、猫がコタツでぬくぬくと暖をとり、犬は元気に庭を駆けまわっている。
 ここには、雪の山村のすべてがある。
 何ものをも凍らせる冬将軍は人間にとって脅威だが、そうした気配はみじんもない。
 確かに子供たちにうってつけの歌ではある。

 しかし、時代背景を調べると考えさせられる。
 歌が発表された年の1月18日、大審院で大逆事件を裁く判決が下り、幸徳秋水などの被告24人全員が死刑判決を受けている。
 翌日、そのうち12人が無期懲役に減刑されてはいるが、24日に早くも11人の死刑が執行され、最後の一人も翌25日に露と消えた。
 国は権力を強め、指導部の方針にたてつく者を許さない。
 第三次日英同盟が結ばれ、イタリア・トルコ戦争、辛亥革命が勃発している。
 動乱の気配が高まりつつ明治が終わりを告げる頃、半世紀近く前に西洋列強と対峙すべく立ち上がった日本は、高揚の一途をたどっている。
 平塚らいてうたちの文芸誌「青鞜」が創刊され、男も女も視線を前方やや上へ向け、未来を信じ、強い足取りで歩んでいる。

 わずか30数年後、この年に生まれた子供たちが社会人として力を発揮し始め、子供ももうけようとする時期に、敗戦という未曾有の国難に遭うとは誰も予測しなかったことだろう。
 230万人もの兵と80万人もの民間人が死ぬ地獄は、国威高揚の果てに待っていた。
 滝があると知らずにだんだん佳くなる景色に歓声を挙げ櫓を漕ぐ人々、大海が待っていると信じて導く船頭。
 そして、船がもまれ始めたら最後、岸へつけられず、引き返すこともできない滝壺へと続く激流──。
 人間の行い、国の行いを考えずにはいられない。

 雪に戯れる子供たちの無邪気ないのちの饗宴を可能にするものは、畢竟、平和でしかない。
 国が平和で、家庭が信頼と安心に満ちていれば、子供たちはいかなる季節でも、どこにいても、モノや金に恵まれなくても笑顔を輝かせられる。
 平和が破れ、家庭が崩壊すれば、たとえモノや金があっても子供たちは心からはしゃぎまわることができない。
 今の平和を守り、未来の平和を招来するためには、平和を第一とする大人たちの智慧と努力が欠かせない。
雪やこんこ 霰やこんこ」と唄う歌声がとぎれないよう願ってやまない。
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。