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2016
01.11

人生相談について ─医師、占い師、僧侶の場合─

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 精神科医春日武彦氏の『鬱屈精神科医占いにすがる』は、臨床に携わる64才の精神科医の目から観た占い占い師について書かれた極めてポイントをついた好書である。
 ご本尊様と一体になる法を結んだ上で人生相談を受ける身としては、極めて大きな示唆を受けた。
 人生相談を受ける僧侶は、ご縁を求める方々の求めに応じ、時には占い師となり、時にはカウンセラーとなる。
 両方ができて初めて一人前の僧侶と考えていたので、この本はまるで、その内蔵を腑分けしてくれたようなものである。

「精神科の医師だって大いにいかがわしいけれど、占い師にはむしろ手品師とか腹話術師に近いイメージがある。」

「不条理との闘いのために妄想が発明した兵士がすなわち占い師ということになる。」

精神科医は科学的な『ふり』をして占いやオカルトを精神の病と関連づけたがるものだ。
 精神科医と占い師は所詮イカとタコみたいなもので、どちらも触手を持ち墨を吐き水中の生き物としては異形である。」

「占い師がネットで発言しているのを読んだことがある。
 科学は因果律に添っているいっぽう、占いは因果律の文脈には馴染まない。
 むしろシンクロニシティーや共振といったものに親和性があるといった意味のことだったようで、それには当方も賛成の気持ちがある。」


 ユングの共時性を学ばない占い師はいないだろう。
 現代の僧侶はどうか。

「わたしが星占いについて持っている感想は、『当たって当然なシステムなのに、意外と当たらない』というものである。
 占いの基本原理として何か象徴的な体系と故人の運命の共振といたことを考えてみるなら、占星術というシステムは占いとして見事に完成し、長い年月を経て洗練されてきた方式なのだ。
 これに則ればそう間の抜けた結果は出ないのではあるまいか。
 にもかかわらず解釈を誤ったり、精度を超えたピンポイントを占おうとして墓穴を掘りがちな気がする。」


 いわゆる易を成り立たせる『易経』に説かれた運勢の諸相64種は、人生におけるどの場面をも即座に解釈させる。
 古来、日本では僧侶の必須テキストだったが、今は愚かしくも捨て去られている。
 これからも、人生相談を受けようとする僧侶にとって、ユングの精神分析学を研究することと、易経の読み込み及び霊感の正しく系統立った訓練は欠かせないだろう。

「占い=世界観によっては説明しきれぬものをわたしは知りたがっているのかもしれない。
 ならば占い師などに頼っても無意味ではないか。
 といころが占い師は独自の理屈や論理へ変数を代入し、計算結果を読み取るだけが仕事ではない──そんなふうにわたしは思っているのだ。
 多かれ少なかれ霊感や特異な直感力が関与しているに違いなく、必ずしも情報処理マシンではないところに占い師の価値があるはずだ。」


 コンピューターによる占いと占い師の話の違いを明確に示している。
 霊感や直感力は機械にはなく、人間にしかない。
 問題は、すぐに〈見える〉〈聞こえる〉と怯える妄想でなく、明智を訓練した先に生じる直感によって判断が行われるかどうかにかかっている。

「占い師は言い切ること、断言することが仕事である。
 迷ったり逡巡する占い師なんて必要ない。
 それは困惑顔の司令官のようなもので、部隊は一気に戦意を喪失する。」


 ここが人生相談における最大の問題の一つである。
 いわゆる霊能者のいかがわしさも、彼らが人気を博する秘密もここにある。
 僧侶は、自分の良心と慈悲心に従って言葉を選ぶのみである。
 ある占い師は高名な人の死を予言して当たり、名を上げたという。
 ある作家は、医師から余命を告げられたショックでたちまち死へと転げ落ちたという。
 僧侶は、目の前にいる人が本当に求めているよき方向を察知し、そこへ向かえるよう、〈その時点での判断〉と異なる話をする場合がある。
 たとえば、このままでは明日、死にかねない人が、言葉によって心が動けばもっと長く生きられるかも知れないと判断すれば、悠然と、一ヶ月先の話題を提供する。
 その結果、もしも半月先に亡くなられた場合、ご遺族は〈当たらなかった〉と思うだろう。
 ご来山の時点で、明日までのいのちだったことは誰も知らない。
 僧侶の人生相談における役割は、医師とも、占い師とも異なっている。
 医師には職務上の義務があり、占い師には求められている判断に忠実でなければならない。
 一方、僧侶は、願いに微力を加勢させることが使命なのだ。 

「何らかの主義主張や方法論を強く打ち出している医療者は、限りなく占い師に接近することになる。」


 精神科医カウンセラーは、〈傾聴〉の場面を〈着地〉させねばならない。
 そこで、特定の〈システム〉を持ち出すかどうかが、医師と占い師との違いだという。
 春日武彦博士は「企業秘密」と称しつつ、システムならぬ「一応の目安」を明示している。
 まことに目から鱗が落ちるだった。
 関心のある方は本を読んでいただきたい。

 こんな人生相談にご関心のある方は、気が向いたならどうぞお申し込みください。




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 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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2015
08.06

自宅でご本尊様をお祀りする話

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 ここのところ、魂入れの修法が結ばれたご本尊様をご自宅にお祀りする方のご縁が重なり、ありがたいと考えています。
 小生はかつて四国八十八霊場を巡拝したおりに、無数のお不動様や観音様などをお祀りしてある祈りの場で、途方もないエネルギーをいただきました。
 尊像の一体、一体にはもちろん、ご寄進された善男善女のよき願いが込められているのですが、そうした尊像に魂が入り、日々、行者や参拝する方々の祈りを受けているうちに、霊力がどんどん増しているのでしょう。
 堂奧のご本尊様へ向かって歩む途中の〈お迎えいただく〉感じ、そして奧で読経した時の〈宇宙が唱和する〉ような響きは忘れられません。

 その消えないイメージに導かれ、小さな民家で一山を開基した当山は、寺子屋や居合の道場が開かれる大きなお堂を建てたいと発願したおりに、守本尊様のご寄進を全国へ呼びかけました。
 旗印に共鳴される善男善女のお心と浄財と、そして何よりも、小さくてもハイパワーの守本尊様が堂内を埋めてくださることによって、必ずや願いは叶うものと信じ、10年の月日を経て現在の講堂が完成しました。

 導師の席で行う日々の修法では、内陣の方々から発するものだけでなく、後方の外陣からも偉大なエネルギーを感じます。
 法が結ばれれば、堂内のすべてが内陣です。
 訪れた方々は口にされます。
「ホッとしました」
「心が洗われます」
「このエネルギーは何ですか?」
 申し上げます。
「この守本尊様方によって、ご寄進された方々が永遠に守られるだけでなく、堂内の守本尊様は訪れる皆さんへも大きなご守護のお力を発揮しておられます。
 そして当山が守られ、仏縁の方々すべてが守られます。
 本当にありがたいことです」

 こうした〈体験者〉の方々は、講堂へご寄進するだけでなく、ご自宅でも祈りたいと願われる場合があります。
 お仏壇のあるなしは関係ありません。
 それなりの場所へ安置し、お線香を立てて真言を唱えれば、もう、一日はこれまでとまったく異なるものになります。

 共同墓『法楽の礎』や樹木葬『法楽陵』などを契約された方々は口々に言われます。
「これで手を合わせる場所ができました」
「私が死後、ここに眠られることが確信できて安心しました」
 目で見、耳で聞き、五感六根を縁として心が動く私たちは、心を向ける〈対象〉が必要なのです。
 今、霊長類の研究で注目されているのは、「指さし行為」です。
 私たち人間は特定のものや場所や方向を指さしますが、いかに人間に近くとも、サルはやりません。
 できないのです。
 認識と概念が同じ種の間で共有されていないからです。
 人間だけはそれができます。
 しかも、生者と死者の間でも。
 手で指さすだけでなく、心を向ける相手も、まぎれもなく〈対象〉であり、見聞きできる形や音によってそれがより、はっきり把握できれば、〈通じた〉と感じます。

 ご本尊様へ手を合わせることは〈通じる〉ための第一歩です。
 ご自宅へお祀りして手を合わせる方へも、あるいは当山のご本尊様をイメージして手を合わせる方へも、あるいは大日如来の画像を目にし、拙文を読まれる方々へも、大きなご加護がありますよう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
03.27

霊障は修行のチャンス

20130327000001.jpg

 霊障(レイショウ)とは霊による障りであり、異界からの嬉しくないアプローチです。
 誰しもがこの世で苦から離れ楽を得たいと願っているのに、実際は我(ガ)を張って互いに傷つけ合い、真の意味での成就は難しいものです。
 成就できなかった思いを抱えながら異界へ逝った霊が、業(ゴウ)による影響力を何らかの理由でこの世の誰かへ及ぼしてくるのが霊障です。
 異界のものには悲しみや憎しみや怨みや怒りや執着などがあり、障られる側には不快感や恐怖感や脱力感などが生じます。
 こうした時は、この世で苦しんだり、悲しんだり、淋しがったりしている人へ手を差し伸べるのと同じく、思いやりをかけることが必要です。
 誰かのためにならずにはいられないという菩提心(ボダイシン)を実践しましょう。

 ただし、気をつけねばならないのは、感情に流されて相手に同化してはならないという点です。
 たとえば、溺れた人にすがりつかれた時、もしも抱き合ったならば一緒に溺れてしまう他なく、相手のためになれず、自分の役割も早く終えてしまうことになります。
 相手を生かすためには、冷静に相手の呼吸を確保し、岸へ向かう自分の推進力を必ず確保せねばなりません。
 つまり、菩提心の実践には、見捨てておけないという慈悲心だけでなく、手立てとしての方便(ホウベン)を判断し実行する智慧と、積み上げた福徳の力が欠かせないのです。

 さて、菩提心の実践はどう行えばよいか?
 それが六波羅蜜(ロッパラミツ)行です。

 まず、水を供えて布施の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、水のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん」
「おん ばぎゃばてい だのう じはてい びしゃりじゃ ほらや だなん そわか」
 誰かのために何かをしたいという尊い気持を確認してから、相手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 本心から役立ち立ちと思えなければ、力は出ません。

 次に、塗香(ヅコウ…手に塗るお香)を塗って持戒の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、塗香のごとく、自他を清め、浄戒そのものになり果てん」
「おん しら だりじ ばぎゃばてい うん きゃく」
 人としての戒めに背かない決心をしてから、相手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 悪しき心があれば、相手の怨みなどに同調してしまいかねません。

 次に、花を供えて忍辱(ニンニク…み仏の忍耐)の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、雨風に負けず咲く花のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん」
「おん ばぎゃばてい きしゃんてい だりじ うん はった」
 どんな状況にも耐えて救うと心を定めてから、相手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 おっかなびっくりの及び腰では、障りの解消などおぼつきません。

 次に、お線香を点して精進の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、線香のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん」
「おん びりやきゃり うん びりえい びりえい そわか」
 決して諦めないと自分に言い聞かせ、相手へもその思いを伝えてから、手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 精進によって福徳が積み上げられ、清めとなり、力ともなります。

 次に、食べものを捧げて禅定(ゼンジョウ…心身のおさまり)の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん」
「おん ばぎゃばてい さらば ばんぱかりに まかなちえい うん うん うん はった」
 感謝によって恩を意識し、恩返しを意識してから、手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 恩を深く思えば、生きとし生けるものも、異界のものもすべて、過去世のどこかで自分の親だったはずであり、恩返しをしないではいられません。

 次に、灯明を点けて智慧の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、灯明のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん」
「おん ちしり しゅろた びじゃえい そわか」
 み仏の智慧をよりどころとしてなすべきことをなすつもりで、手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 怨みや憎しみなどの苦はすべて迷いの産物であり、迷いは空(クウ)の真実を観ないかんちがいから発していることを心に刻み、合掌すれば、感応によって相手のかんちがいも薄れて行くことでしょう。

 お水などは、まず、きちんと並べておき、数珠を手にして観想し真言を唱え(1・3・7・21・108返のいずれか)、願いをかけましょう。
 もしも、モノが揃わない時は、合掌と観想と真言だけ、あるいは合掌と観想だけでも大丈夫です。
 障ってくるのは、決して害するのが目的ではありません。
 解消しきれぬ辛い業(ゴウ)がそうさせているのです。
 いたずらに怖れず、「あっちへ行け」といった無情な対応でなく、むしろ「修行の機会を与えてくれてありがとう」という気持で、この菩薩となる六波羅蜜行を実践してください。
 それでも問題が残る場合は、どうぞ、日時をお約束の上、ご供養をお申し込みください。
 皆さんの修行が成就し、この世も異界もみ仏の光明に包まれますよう。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2013
03.18

生じた不安をどうするか ─救われぬウドラカ─

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〈岩出山の森栖さん〉

 古い逸話があります。
 一心不乱になれば安心を得られると信じるウドラカは長い瞑想に入りました。
 その間、髪はどんどん伸びました。
 ある時、ねずみがやってきて髪をかじりました。
 やがて瞑想から出たウドラカは、髪がめちゃめちゃになっていたので怒り出したそうです。
 世間の喧噪(ケンソウ)から離れて心を集中した状態に保っていても、怒りという煩悩(ボンノウ)は何ら変わらなかったのです。
 経典は説きます。
「集中の瞑想だけで足りると思っていれば、慢心に堕ちる」
 せっかく修行しても怒りっぽく、傲慢で、あまり話のできない人では困ります。

 さて、たとえば、医師から大病であると告げられ、心が安定を失ったならどうするか。
 その対処法として、ウドラカのように心を静める瞑想の類を行う方もあります。
 それでだんだん心がおさまれば結構ですが、そうとばかりは行きません。
 いったん生まれた不安は風を待つ埋もれ火のように頭のどこかに隠れており、ときおり現れてはたちまち頭を占領します。

 当山では、いくらまじめに修行しても悟れず悩んでいた尼僧を哀れみ、観音様へ祈るよう指導されたお大師様の顰(ヒソ)みにならい、守本尊様への祈りをお勧めする場合があります。
 たとえば、巳(ミ…へび)年生まれの方であれば一代守本尊様は普賢菩薩(フゲンボサツ)様です。
 普賢菩薩様は、さまざまなよき行いによって煩悩から脱する道筋を示し、大きな納得と安心を与える役割を持っておられます。
 経文を唱えてそのことをよくイメージし、仏像や梵字を前にして真言を唱え、一心に普賢菩薩様の世界へ入ります。
 思ったり考えたりするだけでなく、合掌という身体の行為を行い、唱えるという言葉の行為を行い、イメージするという心の行為を行い、身口意(シンクイ)を一つにしてこそ、異次元は開けます。
 また、人生相談や例祭などへでかけ、すべては因と縁によって生じており、すがり祈るなどの新たな因や縁は、結果として必ずこれまでとは異なる状態をもたらすことを道理によって深く納得するのです。
 また、よきことを行う徳積みが自分の運勢を変え、周囲の縁を変え、そうして生きる環境が変われば自分の運命も変わることを道理によって深く納得し、善行を実践するのです。
 もちろん、祈る対象は自分の一代守本尊様とは限りません。
 どなたであれ、心の周波が合うと感じるみ仏は救いの世界へ通じる扉を準備し、待っておられます。

 心が安定を失えば、安定やそれに伴う安心をとり戻すことが簡単ではなかったりします。
 いかに、身体と言葉と心の三つを用いて辛い状況に対峙するか。
 きちんと学んだならば、あとは実践あるのみです。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2013
03.04

亡くなった人を憎めば地獄に堕ちるか?

20130304001 (2)2

 まだうら若いAさんがまっすぐに視線を合わせて訊ねます。
「私は、生前、互いに憎み合っていた父親をときたま、思い出しては、生前ほど強くはないにしろ、憎悪を感じてしまいます。
 仏様になった人、それも自分の父親をいつまでも憎むなんてあまりに酷い人間だと思え、自己嫌悪に陥ります。
 いつまでも父親と憎み合う私はどうせ地獄行きだと諦めようとする反面、何て悪い娘だろうと懺悔する気持ちもあり、どうしたらよいかわかりません」

 お答えしました。
「喜怒哀楽の感情は刹那的に生じ、まもなく消えるものですが、記憶に従って繰り返し呼び起こされもします。
 高校球児が甲子園のグラウンドの砂を持ち帰り、生涯、感激を忘れないための宝ものとするのは、砂が記憶に強く結びつくからです。
 私は存在感を感じていた校長先生が亡くなられたと知り、もうすぐ無人となるお宅へ友人と一緒にでかけたことがあります。
 古い家はきれいさっぱり整理されていましたが、小さな木製の机が一つ、書斎の隅に押しつけられるように残っていました。
 古畳と机が先生の面影を鮮明に呼び覚まし、ご遺族へ所望しました。
 いいですよとのご返事でしたが、その机はついに手元へは来ませんでした。
 その後、一度だけ、先生の故郷へ梅の花を観にでかけたことがあります。
 記憶は、実に、魂の震えを再体験させてくれます。

 さて、貴方の場合は、記憶と一緒に自分が好まない種類の感情が甦って困るという状態のようですね。
 二つの面から考えてみましょう。
 まず、あの世へ逝かれたお父さんはどうなっているかということです。
 導師からこの世とあの世を明確に分ける引導を渡された以上、いつまでもこの世での人間関係で発した感情を〈引きずる〉ことはありません。
 ご葬儀では、本来み仏の子であることを認識し、戒律そのものの清浄な状態を目ざすという道筋をお伝えした上で、引導が渡されています。
 この時点で、絶対の智慧慈悲を持つみ仏の世界へ溶け込む旅が始まり、清浄ならざる記憶や感情はどんどん消えて行きます。
 それは、不殺生(フセッショウ)や不両舌(フリョウゼツ)や不瞋恚(フシンニ)などの戒律に導かれつつ、あの世を旅している自分自身を想像してみればすぐにわかります。
 位牌の陰からこの世を眺め、かつては憎み合う関係にあった娘を眺め、きっとこう思うことでしょう。
『かつてはいろいろあったけど、とにかく、お前は私の娘だ。
 心の底ではよく生きてもらいたいと願っていたからこそ、辛くも当たった。
 私も至らない人間だったから、感情的になり、お前を苦しめもした。
 しかし、今はもう、親そのものの気持でお前を見守っている。
 幸せになって欲しい。
 そう思う』
 だから、もはや、あの世から、貴方を悪しき世界へと引っぱる力のはたらきようはなく、もしも、そのように怖れたならば、亡きお父さんへ申しわけないというしかありません。

 次は、貴方の心です。
 確かに和解といった手順もなく相手が旅立ってしまったので、貴方の心に憎悪が残ったという事情は理解できるし、記憶を簡単に消せない以上、それに伴う感情も又、意のままにならないというもどかしさも理解できます。
 しかし、貴方の心には憎悪だけがあるのではありません。
 憎悪そのものを問題視し、それを発生するままにしておきたくない、引きずられてはならない、という意志があります。
 そして、懺悔する尊い心もあります。
 ならば、救いは明らかです。
 心は身体と同じく、トレーニング次第で変化させられます。
 よき意志と尊い心を強め、陽の力を増大させることによって、相対的に憎悪というあって欲しくない陰の力を弱めることができるのです。

 だから、当山の例祭では、皆さんと一緒に懺悔から祈りを始めます。
 み仏の前で赤児の気持になり、心の底の底から陰の心を絞り出し、祈りの声と共に心身から放出するのです。
 それからよき心をつくる経典を読み、考えます。
 こうして善男善女はますます善の方向へと心が変化し、幸せや安心が大きくなります。
 もちろん、貴方にもできます。
 トレーニングは思い立った時が吉日です。
 お大師様の昔から伝わる正式なやり方をお伝えしますので、一緒に声を出してみましょう。

 さっきお話したように、貴方のお父さんの側にはもう、貴方への憎悪はありません。
 それどころか、守護霊となっておられます。
 そして、貴方には心のトレーニングをする方法があります。
 どうぞ、ご心配なく」




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