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2016
11.25

人生と共に走る車 ─カギ供養の風景─

2016-10-13-0005.jpg
〈餅つきをするウサギ野仙哉君。DIYの店頭には、お正月用の餅が並び始めました〉

 小春日和と言うしかない穏やかに晴れたある日、仙北の町から若いご夫婦が車の「カギ供養」に訪れた。
 ほとんどの方は「家を解体しました」「車を廃車にしました」といったふうに、過去形で申し込まれるが、ご夫婦は「もうすぐ、新車に乗り換えるので、ありがとうという思いで来ました」と言う。
 2人ともまだ30才前後なのに、お布施の袋はちゃんと表書きがされている。
 礼儀正しく微笑ましい。
 誘導されて玄関前に駐められたのは白っぽいやや小ぶりな乗用車。
 大切に乗られてきた様子がうかがえる。
 
 本堂で修法を始めると、イメージの中にある車は、とてもスムーズに辟除(ビャクジョ…悪しきものを祓うこと)も結界(ケッカイ…塀を廻らすように、ご本尊様のご守護を受けること)も進む。
 辟除を繰り返さねばならなかったり、結界が張りにくかったりする場合もあるが、長く乗られたと思われる割には何ごともない。
 お二人の心がけがよかったのだろうか。
 供養法が終わり、最後に車の周囲へ守本尊様10尊の法を結んだ。

「どうぞ、ご安心ください。
 最後まで大切にしてくださいね」
 言わずもがなの言葉で2人を見送った。
〝ああ、車は人生と共に走る……〟
 白い車はゆっくりと視界を行き、門柱から去った。

 お2人とも一期一会、あの車とも一期一会、そして、彼らと車がつくる人生とも一期一会だった。
 数日前に一匹、雪虫が飛んだあたりの向こうに、やや南側へ体重をかけた笹倉山が佇んでいる。
 午後の陽光はまだ、温もりを残していた。

 白い車よ、ご苦労様。
 感謝に満ちたよき心のお2人に幸いあれ。




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2016
07.15

魂の行方は? ─供養のきっかけ─

2016-07-15-0001.jpg

 私たちは人の死に際し、その魂の行方を気づかっているだろうか?
 死んだ途端になぜ、もう大丈夫、と言えるのだろう?

「これまでご苦労様でした。
 どうぞゆっくりお休みください」

 あの世へ行けば安寧が待っていると考える根拠は何か?
 ただ、そうあって欲しいと思うだけで、ことを済ませてはいないか?

 私たちはほとんど、この世でさんざんやらかし、結末をつけられないことごとを山ほど残してあの世へ旅立つ。
 子供の教育、夫婦の約束、仕事の責任、人間関係の信義などなどに関する問題行動や失敗は、真剣に数え始めたらきりがないはずだし、年をとれば無論、多くを忘れてしまってもいる。
 自分がそうなら、旅立つ人もあまり変わりはなかろう。
 だからこそ、お釈迦様の高弟で神通第一と称される目連尊者(モクレンソンジャ)は、亡き母親がいかなる境遇にあるか、気づかった。

 神通力で観たところ、意外にも餓鬼界(カキカイ)に堕ちており、自力では救いようのない尊者はお釈迦様に救済法を請い、雨季の修行を終える行者たちへ供養し、祈るよう指導された。
 それが現代にまで伝えられ、日本ではお盆供養会とドッキングしているが、そもそも、尊者が〈魂の行方〉を気づかったことに由来するという事実は重い。

 たとえ愛憎こもごもあったとしても、哀惜を抱きつつ送るのならば、その行く先であるあの世を深く想わずにいられない。
 お大師様は愛弟子の死に際し、言葉を手向けた。

「覚りの朝(アシタ)には夢虎(ボウコ)無く、悟りの日には幻象(ゲンゾウ)莫(ナ)しと云うと雖(イエド)も、然れども猶(ナオ)夢夜(ボウヤ)の別れ不覚の涙に忍びず」


(覚れば、何があっても、夢で見る虎を恐れぬように心乱れず、目には見えていても所詮幻でしかない象を気にせぬように、眼前のものごとに心乱れることない。
 とは言うものの、貴男との死別がこの世のかりそめのできごととは解っていても、不覚にも涙が流れてならない)
 天皇の前で即身成仏(ソクシンジョウブツ)の法を結び、帰依(キエ)を受けたほどのお大師様であってなお、涙を流された。
 そして、貴人であれ庶民であれ、死者への供養を生涯、欠かさなかった。

 死んだからといって、善行(ゼンギョウ)も悪行(アクギョウ)もすべてがチャラになりはしない。
 私たちは、自分がやってきたことの結果が〈今〉、すべて出てはいないことを知っている。
 だから、〝あと少し〟と頑張れるし、〝まだ謝りに行っていない〟と倫理感を保てる。
 しかし、その〈今〉は永遠に続かず、否応なく、自分の意思とはほぼ無関係に終止符が打たれる。
 ──残りの結果はどうなるか?

 この〈未だ出ていない結果〉こそが、死に行く人の深い意識に蓄えられているものだろう。
 それを知っている目連尊者は、気づかい、怖れ、供養を行った。
 それを知っているお大師様は、気づかい、哀しみ、供養を行った。

 私たちは、亡き人をふと、想う。
 命日はもちろん、夕陽が空を橙色や紫色に染める時、ヒグラシが鳴き始める頃、お彼岸やお盆の時期。
 そして、気づかいが兆したならば、すなおに供養を行いたい。

 静かに合掌する、真言やお経を唱える、供養を申し込む、供養会に参加する。
 いずれであれ、魂の行方に想いをいたす時、それは私たちの仏心が動き、あの世の仏心と共鳴し、共に(ゴウ)が清められる兆しなのだろう。
 ふとした〈その時〉を大切にしたい。




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2015
12.24

殺人者の夢枕に思う ─夢・亡霊・廻向─

20151223000123.jpg
〈磨かれ、鮮やかな紅色をまとった六地蔵様〉

1 殺人事件と夢枕

 12月22日、奈良県警は、無職の川中浩容疑者(52才)を殺人の容疑で逮捕した。
 殺されたのは内縁の妻(82才)である。
 川中容疑者は滋賀県警に自首した。
「実は口論になって人を殺した。
 被害者が枕元に立って、仕事も手につかなくなった」
 
 夢枕に立つ被害者の亡霊に悩まされて自白した例としては、昭和46年に8人の女性を殺した大久保清事件が思い出される。
 スポーツカーに乗り画家を装った被告は幾度も刑務所暮らしをした結果、連続殺人事件を起こし、逮捕後も暴れたりしたが、最後は夢枕に立つ被害者たちの亡霊に耐えきれず自白した。
 また、4人の遺体が埋められていた現場近くでは、ことが発覚する前から幽霊を見る人が相次いでいた。
 被告は証言を覆さないと誓い、2年後に前橋地裁で死刑判決を受けても控訴せず、その3年後には東京拘置所で死刑が執行された。
 被告は最後まで死霊に怯え、死刑を怖れていたが、謝罪や懺悔は一切、なかったとされる。

2 制御できない無意識

 犯人は二人とも夢枕に立つ亡霊を見て、どうにもならないところまで追いつめられたが、それは当然である。
 無意識が起こすものであり、無意識の領域は意識つまり自我が直接、関与できないので、見たくなくても止められず、無意識の世界が変化するまでその夢は反復され得る。

無意識の自立性は情動が起こる時に始まる。
 情動は思いどおりにはならない本能的な反応であって、その反応は意識の合理的な秩序を自然力の爆発によって攪乱する」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)

「我々は無意識を無と呼ぶが、しかしそれは潜在している現実である」(カール・ユング著『個性化とマンダラ』より)


 夢は自我のコントロール圏内にはないが、自分のと無関係ではない。

「デカルトが『考える』ことを重視したのに対して、たましいは『想像する』ことを重視する。
 想像(イマジネーション)こそは、たましいのはたらきであり、それを端的に体験するのは夢であろう。
 夢の大切な特徴は、それが人間の意識的自我によって支配できぬことである。
 夢は自我のつくり出したものでない証拠に、われわれは夢の展開がどうなるかまったくわからないし、『思いがけない』人物が登場し、展開が生じる。
 つまり、夢創作の主体は自我ではない。
 このような夢を創り出す主体をたましいであると考えてみるのである」(河合隼雄著『宗教と科学の接点』より)


 私たちは、実際には見たことのない光景を夢の中で幾度も見ることがある。
 意識の外に追いやりたい、記憶から消してしまいたい被害者の様子が繰り返し夢に登場したとて、何の不思議もなく、かつ、どうしようもない。
 夢にうなされ、目覚めては烈しい情動が起こり、事実を口にせずにはいられなかった二人の葛藤はいかばかりだったことか。

3 亡霊廻向

 では、亡霊はいるのか?

 一つは、死後、転生(テンショウ)する先が定まっていない中有(チュウウ)の御霊である。
 行く先がわからず、かつ、引導(インドウ)も渡されぬままの死者は、浮遊するしかない。
 インドのギュメ寺元管長ドルジェ・ターシー師は説く。

「中有の状態は決して楽ではありません。
 むしろ苦しみそのものです。
 なぜなら自分の生まれる先を必死で探さねばならず、また自分の心の投影であるさまざまな化けものや猛獣が現れて本人を苦しめるからです」


 だから、引導とご供養は重要である。

 もう一つは、この世への執着心により地獄などへ堕ちた御霊である。
 同じく、ドルジェ・ターシー師の言である。

「死ぬ際にとりすがって泣きつくと、死に向かう者の気持は大きくとり乱されます」
「死ぬ前にはその人が喜ぶようないい話をしてあげるのです」
「仏法に関する話をしてあげて、法に心が向く状態で死なせてあげることが死者を見取る最高の方法です」


 だから、感謝をもって送ること、ご葬儀における「お別れの言葉」に託すまごころなどは重要である。

 こうしたことを考えても、〈浮かばれない〉御霊が犯人に対して強い怨みの念を持ち続け、生死を超えた広大な無意識の領域で何かの感応が起こり、犯人の〈悪夢〉につながったものと思われる。
 ちなみに、当山では、さまざまな修法の最後にこうした願文を唱える。
「いまだ成仏せざる者には、願わくは成仏せしめん」
 修法の功徳(クドク)を未成仏霊へ廻向(エコウ…廻し向けること)するのである。
 当病平癒や商売繁盛のご祈祷でも、三回忌供養の修法でも、目的とする内容の如何を問わず、ご本尊様からいただいたお力の一部を未成仏霊へふり向け、少しでも成仏への縁としたいと願っている。
 善き願いをもって修法の場に臨んだ善男善女にとっても、善行(ゼンギョウ)の功徳を広く廻向することがさらなる善行となり、本来の目的達成の力となるはずである。

4 日常生活における廻向

 最後に廻向について述べておきたい。
 もちろん、最高の廻向は寺院での修法を依頼することだが、日常生活においてもそれは可能である。
 たとえば咲いている花を見た時は、御霊に対して誓いたい。
〝自分もこの花のように、いかなる雨風にも耐えて自分なりの心の花を咲かせます。
 だから、どうぞご安心ください。
 どうぞ、お見守りください〟
 そして言葉どおりに忍耐し、きちんと生きる姿を見ていただくのである。
 これこそが、菩薩(ボサツ)になるための「忍辱行(ニンニクギョウ)」であり、その功徳を廻向することは、在家の方々にとってすばらしい善行になる。
 こうした善行にいそしんでいれば、無意識の世界が穢れたり歪んだりせず、悪夢にうなされることもあまりないはずである。

 もしも悪夢に苦しむ時は、いつでも修法を受ければよい。
 東日本大震災後、急に濁った井戸を埋めたAさんは悪夢に悩まされるようになった。
 井戸の修法を受けた日から悪夢は去った。
 若い頃からやりたい放題だったBさんは、急に奥さんを亡くしてから眠れなくなり、当山の門を叩いた。
 あらためて御霊のご供養を行ったところ、体調を取り戻された。
 いずれも、〈思い当たる節〉があるのに放置しておいたのが原因だったと推測される。

 夢は知らせであり、警告であり、導きでもある。
 それは、自分の生活を陰から動かす無意識という氷山が水面上に出した頭のようなものであり、慎重に対応したい。




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2014
10.27

水子にしてしまった罪悪感から離れられません

201410190022.jpg

人生相談です。

水子になってしまった我が子への罪悪感が消えません。
 ご供養の方法も周囲からあれこれ言われるし、子供に関する話題を耳にすると、いったまれない気持になります。」

 お答えしました。

水子供養やペット供養などでよくお唱えし、『すごいですね』『とてもわかりやすい』『目から鱗が落ちる感じでした』と言われているのが『地蔵菩薩讃歎(サンタン)経』です。
 その一部です。

『この世に過ごす父母たちよ○真にわが子の救済を○涙の中で願うなら○この世において恵まれぬ○子供や病気の人々に○わが子に代わって善根(ゼンコン)を積むことこそが供養なり○ここに地蔵の大悲心○在るを悟って自らも○地蔵となって励むべし』


(この世の父であり母である人々よ、早世した我が子の救済を心から願うならば、いつまでも悔いたり悲しんだりばかりしていないで、周囲の恵まれぬ子供や病気の人などのために、我が子に成り代わって手を差し伸べ、我が子がこの世で積めなかった功徳を積んであげる真の供養を行いなさい。
 あの世で、子供の苦を身代わりとなって取り除き、この世の親達へも身代わりの姿を示すのが地蔵菩薩の大いなる慈悲心であることを悟り、自分も身代わり地蔵菩薩の姿となって励みなさい)

『過去の罪障拭(ヌグ)わんと○念(ネガ)わば地蔵に心から○深く帰依(キエ)して身代わりを○たのみ参らすことなるぞ。○地蔵菩薩に帰依するは○その真言を一心に○誦持(ジュジ)することに他ならず○されば地蔵の真言は○呵々大笑(カカタイショウ)の訶(カ)字にして○至心に念誦(ネンジュ)するならば○必ずこの身に喜びの○地蔵の笑い聞くならん。』


(自分が過去に犯した罪科をぬぐい去ろうと願うならば、地蔵菩薩に心から深く帰依し、身代わりとなって自分の罪科も消滅させてくださるようにおすがりしなさい。
 帰依するとは、その真言を一心にお唱えすることです。
 そうすれば、地蔵菩薩の真言に含まれる呵々大笑のカという字の不思議な力で、きっと、地蔵菩薩がカカカと笑うような喜びの声を聞くことができます)

 貴方様が苦しんでおられるように、この世には、そして貴方様の周囲には、苦しんでいる子供も、親も、たくさんおられるはずです。
 お地蔵様へ合掌し、思いやりの心を広げれば、そうした人々の思いが感じられ、貴方様の心に優しい気持が起こったり、口から優しい言葉が生まれたり、優しい行動が実践されたりすることでしょう。
 それは、貴方様が貴方様のいのちと心と身体そのままで、お地蔵様になっていることを意味します。
 私たちは等しく、み仏の子であり、思いやりの心がはたらけばいつでも、み仏の子そのものになれるのです。
 そこに私たち自身へ与えられる救いがあり、救われた者はいつしか必ず周囲の誰かの何かの救いになってもいるはずです。

 お釈迦様は言われました。
『たとえ私の言葉でも、必ず自分で考えてみて、納得したなら行動し、信じるようにもなりなさい』
 神ならぬ私たちは誰一人として〈お告げ〉などできはしません。
 経典にどう書いてあっても、誰から何と言われても、決して鵜呑みにせず、ものの道理と個人的感性によってすなおに受けとめられ、納得でき、信じられるかな……と思ったことを実践してみましょう。

 誰がどう言おうと、それは、周囲にある情報の一つに過ぎません。
 それらのうち、どの情報に自分なりの意義や意味を認めるかは、貴方様の価値観一つにかかっています。
 貴方様が、周囲の何に対して目や耳を向けるかも同じです。
 もしも、つまらぬ揶揄や、噂話や、皮肉などが向こうから否応なく迫ってきて気になる時は、自分へこう言い聞かせましょう。
『――これは情報の一つだから……』
 もしも、誰かの出産で損な役回りなどが回ってきた時は、自分へこう言い聞かせましょう。
『――これは徳積み徳積み、さあ、いらっしゃい……』
 大切なのは、情報を、好き嫌いや、楽ができるかどうか、あるいは損か得かといった物差しで観てしまわないことです。
 まず、生の情報そのものを観察するのです。
 そして、ありのままに観てしまえば、そのこと自体が不思議な自信となり、感情などが簡単には乱されず、揺るがぬようになります。
 
 そうすると、『情報の一つ』と冷静に考え、『徳積み』と前向きに受け容れられるようにもなることでしょう。

 どうしようもない気持になった時は、どうぞ、水子地蔵様をお詣りしてください。
 一日も早く、苦から脱することができますよう、陰ながら祈っています。」

201408220111.jpg

※こうした文章は、プライバシーを重んじながら事実そのままではなく書かれていますので、ご安心ください。




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2013
11.15

カギ供養とは?

201311140392.jpg

 当山ではカギ供養を行っています。
 これは、家や車などを処分する際に、入り口を守るカギへ祈ることを通じて家や車に感謝し、慰撫する修法です。

 たとえば、これまでお世話になった古い家を取り壊す時、柱にも壁にも、住んでいた人の歴史が刻まれていることに気づきます。
 これまで自分の足同様だった愛車を廃車にする時、ハンドルとアクセルを通じて意志の実現に役立っていてくれたことに気づきます。
 そこで「ああ、ありがたい」と思うならば、家や車がモノとして分解され機能を失う前に供養したいものです。

 心さえあれば、という考え方もありますが、形にしてこそ思いは心へ刻まれ、心を養い、心を豊かにします。
 合掌するなど自然に形をとれる人は、必ず、それなりに心が伴うようになっているものです。
 私たちがこの世へ人生修行の旅に来たのは、モノの世界でモノを用いて心をつくるためです。
 合掌し、頭を垂れ、儀式を行い、モノによる形を通じた心の実現をはかりましょう。

 方法は簡単です。
 カギと、いかなるもののカギなのかを知ってもらいたい範囲でお知らせください。
 家や車などの写真を同封していただいても結構です。
 また、カギの返却を希望する場合は、その旨を明示してください。
 お布施はカギと同封していただいても結構です。
 金額は決めておりません。
 皆さんのまごころに応じてご本尊様へお納めください。

 なお、お送りいただく前に、必ず、電話やメールにてお申し出ください。
 そうでないと、不審物として送り返させていただく場合もあります。
 皆さんの感謝とまごころがカギの供養を通じて仏神の世界へ届きますよう。




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