宮床開運守本尊 大師山 法楽寺 〜法灯により法友とともに法楽に住せん〜

2008-08

ご加持あれこれ 2 ―揺り戻し。吸い取り紙―

 以前、生来の口の悪さを何とかしたいとご加持を受けたAさんが、法に入ったことを体感し、感謝しながら帰ったにもかかわらず、またもや言葉の問題で人間関係を壊しました。
 授かっていた経文は、
「人は生まれながらにして、口中に斧を持っているようなものである。
 その悪言が自他の身心を斬る」です。
 あらかじめ、「揺り戻しがあるかも知れませんが驚かないでください。そこは通過点です」と言われていたので、「あっ!来たな」と考えたAさんは、自分のの深さをさらに自省して再び当山を訪れ、ご加持を受けました。
 今度も深く法に入り、経文
「常に因縁を自覚し、明け暮れに解決法を学び実践せよ。
 煩悩は消えて心爽やかになり、ついに、因縁を解脱する」
を受け、とうとう、〈人は良いけれども口の悪い人〉から脱した実感を持ち、その後、二回、合計四回ご加持を受けて因縁を解き去りました。
 大日経にある四魔(シマ)を克服されたのです。

 最近、来山されたBさんは、夫の不行状は自分にも原因があると自覚し、ご加持を受けました。
 ところが、目立った体感がありません。
「法を受けた場合の現象は人それぞれですから、心配は要りません。
 法の場にいること自体が、身心の清めになっています。
 四魔切りをするために、できれば四回、おでかけになることです」
 こう言われていたのに、手っ取り早く夫の行状を正そうと焦り、「何でも見える」という有名な〈神様〉のところへ走りました。
 そして、率直なやりとりをしているうちに〈神様〉を怒らせてしまい、「貴女は不愉快な人だ。皆を不愉快にさせるような人は、救いようがない」と宣告され、神様に見放されたような気持になり、すっかり落ちこんでしまったBさんは、四魔の話を思い出し、勇気をもってもう一度、ご加持に来られました。
 守本尊様の真言を唱えながら運転してきましたと聞いて、ご加護の確かさを確信しました。

 ちなみに、高名な〈神様〉に怒られたといった話はよく聞きます。
 己を神様と称する傲慢さが怒りという毒を発し、怒る自分が愚かなのにもかかわらず、「貴方が皆を怒らせる」という言い方で相手を悪者にし、藁にもすがる思いでいる純情な人を簡単に塞がりという地獄へ堕とすのです。
 有名だから、あるいは〈当たる〉から、といって、その人が本当に菩薩の境地にあるとは限りません。
 むしろ、公衆の面前で特定の個人の未来について(それも、不安や恐怖を与えるような悪しきことが多い)臆面もなく断言するような高慢な人は、人格を疑われるべきです。
 他人様の未来を晒しものにして自分の飯の種にする菩薩などあり得ましょうか。
 
 さて、今のBさんはお地蔵様との縁が深いと観たので、今回はお地蔵様の代受苦(ダイジュク…身代わりとなって苦を引き受けてくださること)についてお話し、法に入りました。
 最初はなかなか動きませんでしたが、変化の気配を察知して眼を開けると、不思議な形をとっておられます。
 さらに真言を重ねているうちに安楽な姿勢になり、法の甲冑をまとって起きあがった時には、別人のように穏やかな表情をしておられました。
「大地にあるお地蔵様は、言わば、吸い取り紙のように悪因縁や悪を吸い取ってくださったのです。
 自分の欠点をどうにかしたいという貴女の誠実な願いは確かにみ仏へ届きました。
 貴女は確実に変わられました。
 自信をもってお進みください」

 守本尊様のご加護は確かです。

上棟式を行いました

 春浅い時期に地鎮祭を行ったSさんが待望の上棟式を迎えました。
 五色の吹き流しが目に鮮やかな佳き日、関係者ご参列の中、粛々と修法は進み、一時の休みなく八方天地十方世界を守る守本尊様と天神地祇をご供養するためのお焼香も済み、「以上で修法を終わります。おめでとうございました」と述べると、空気はいっそう爽やかさを増したようです。
 やがて早朝から準備していた餅つきが最終段階となり、急ごしらえの机にあんこ餅、しょうゆ餅、うぐいす餅、納豆餅、それに御神酒やお膳が並べられ、関係者一同そろって舌鼓を打ちました。
 上棟式の雰囲気はいつ味わっても楽しく浮き浮きするものです。

 現場監督から質問がありました。
「先日のような剣による修法は、どこででもやっていただけるんでしょうか?」
 地鎮祭隠形流居合の法を行ったことについてのお訊ねです。
「もちろんです。ご依頼があれば、どこへでもでかけます。
 これまでも、北は青森県から南は神奈川県まで出張していますから、お気兼ねなくご相談ください」
 次いで、お供えした塩をどうしたらよいかとの質問もあったので、前回と今回における法の違いをちょっとお話しました。
地鎮祭では、清め、魔切を主体とした修法なので、ああいった形をとり、塩なども鬼門から順周りに撒いて結界とします。
 上棟式では、むしろ供養に重点があり、当地を守る神々や守本尊様方などを讃え、供養し、そのご加護のもとで施主の福徳が増大して無地安全に完成へこぎつけるような発展の法を結びます。
 だから、塩などの使い方も地鎮祭とは異なり、ブログの『清め塩 2』へ書いたとおり『目に見えぬ世界の方々をも供養する』ために捧げ、餓鬼界で迷う亡者の方々も聖なる安心の世界へ行っていただこうとします。
 この家屋敷と縁になるすべての人びとも目に見えぬ世界の方々もすべてが守られ救われてこそ、家族一同の無事安全が確保できます。
 このように、塩は智慧と法力をもってさまざまに用いられます」

 もっといろいろなお話をしたかったのですが次の予定があり、和やかに、嬉しそうに談笑する方々に後ろ髪を引かれる思いで失礼しました。
 夢を持って進む人びと、その実現を願って心から応援する人びと。
 施主と施工者の関係とはいえ、深い信頼関係をもって一つの目的へ向かう姿は等しく耀いています。
 帰山する道すがら目にする樹々の緑は、ひときわ活き活きしていました。

ご加持あれこれ

 今日のご加持でも、さまざまなできごとがありました。

 仙南からわざわざ来られたZさんは、法を受けても後へ倒れず、上体が垂直になったまま微動だにしません。
 終わってからZさんが言われるには、なぜか固まってしまい、終わるころになってから首の付け根のあたりへ意識が集中し、首から両肩にかけてどっと汗が出たそうです。
 左の耳のあたりにずうっと光を感じていたとも言われます。
「どうしたんでしょうか?」

 お答えしました。
「それは、木(モク)に関しる験(シルシ)です。
 今の時期を勘案すると、潜在意識へ、何か止めたいと願うものが強く入っていたのでしょう。
 また、木を育てるようにじっくりやってみたいという目標があるから上体がまっすぐに立っていたのです。
 左横の光は大日如来様です。
 貴方が最近虚空蔵菩薩様の真言を一生懸命唱えておられるので、虚空蔵菩薩様のおられる鬼門の方向や象意だけでなく、胎蔵界大日如来様のおられる裏鬼門の方向や象意に関しても何か変化が起こるという兆しです。
 このまま、一代守本尊様の真言に集中して、しっかりやってください。
 必ず開運できましょう」

 また、ご加持を終えてゆったりした独身のPさんは、ご一族が写った古い写真を手にしながらこんな質問をされました。
「私の代で、一族の血はとぎれます。
 有名な人がテレビで血を絶やすのは罪であると言っていたので、こんなにたくさんおられるご先祖様方へ申し訳なく、とても悲しくてなりません。
 私は罪深いのでしょうか?」

 お答えしました。
「無責任な妄言に、一喜一憂してはなりません。
 有名人の言葉だから正しいと信じてはなりません。
 貴方は、過去に生きたご先祖様方はもちろん、命をつないでくれたあらゆる生きものたちの徳をも深層意識へ蓄えた結果、父母の結合を縁とし、何者かとしてこの世に生まれました。
 この世で生きた真実は、死後、さらに情報量を増やした深層意識を形成し、その結果、いつかそれを受け継いだ何者かとして、またこの世へ人間修行にやって来ることでしょう。
 こうした因果応報の真理は時空を超えて不変です。
 血に象徴的な肉体のつながりは縁の問題であり、貴方が何者であるか、そして、何者となるかということへ決定的に関わるものではありません。
 もちろん、父母なくしてこの世へ生まれる人は誰一人おらず、父母の恩を忘れてはなりません。
 それは、国家社会の恩、生きとし生けるものの恩、人生を導いてくれる師の恩、そして仏法僧の恩と並んで決しておろそかにできぬものであり、人の道の根本となるものです。
 そもそも、自分が親を選んで生まれたのですから、親が絶対の恩人であるのは当然です。
 だからといって、自分が必ず親にならなければ恩知らずになるわけではありません。
 最も大切なのは、受けた恩を忘れずまっとうに生きることであり、その他のことごとはその人なりの運勢や肉体的条件や環境などによって千差万別です。
 子供をつくった人は血をつないだから正しいとされ、子供をつくらない人は非難されるなどということは、断じてあってはなりません。

 貴方は恩を忘れず、まっとうに生きればよろしい。誰であれ、それ以上の恩返しはできないのです」

法楽寺のサイトも是非ご覧ください

解放

 事件に巻きこまれて息子を失った母親Kさんがご相談に来られました。

 お話が済み、数珠をお守にしたいから修法して欲しいと言われ、合掌しているKさんに背中を向けて登壇しました。

 法が進むにつれて、Kさんの口から発し本堂に充満していた怒りや辛さや悲しみなどの波立った気配が消えてゆきます。



 終わって向き直ったら、Kさんは静かに涙を流しておられました。

「こんなにきれいな鐘の音は聞いたことがありません。なぜか涙が出てしまいました」

 修法の最後の方で鳴らす鐘のことです。

 そして、続けられました。

「やっと、決心がつきました。もう、お骨は住職さんのところへお願いしたいと思います」

 Kさんはこれまで、もしかしたら亡き息子は無念や怨みや悲しみなど辛い思いを残しているのではないかと考え、母親としてそれを和らげてやりたい一心でお骨を自宅へ置かれました。

 しかし、今はなぜか、安心して手放しても大丈夫という気持になられたそうです。



 鐘の音はきれいでしたと何回もくり返されます。

 そう聞こえたということは、Kさんの心から暗い感情の波が薄れたことを意味します。

 導師は修法の初めに結界を結びますが、それは、導師も祈願者も一緒に一枚の魔法のじゅうたんへ乗るようなものです。

 じゅうたんの上は、み仏のお慈悲の力をいただく異次元の世界であり、娑婆の波風はありません。



 夜の法話会では、ご加持(カジ)の話をしました。

 加持とは、私たちが本来持っている心身の力を充分に発揮するための法です。

 

 誰しもが持っている脳細胞の8割も使っていないように、私たちは心身の力という宝ものを充分に活かしきれない存在です。

 それでも、皆がそうなのでそれなりに生き、死んでゆきますが、普段の力では願いの達成はできないかも知れないが、それでは済ませられない人生の重大な場面があります。何とかしたいと強く思います。

 そうした時、無心になれれば「火事場のバカ力」のような思いもよらぬ力が発揮できるものです。

 オリンピック競技の決勝戦などで目にする選手たちの祈りは、自分を解き放ち無心になるための儀式なのでしょう。



 ご加持は、ある意味で解き放つ修法です。

 参加される方々の願いはそれぞれですが、とっていただく心の姿勢は同じです。

 それは、ご本尊様へまごころを向けること、願いを明確にすること、心身の力を抜くことの3つです。

 そうすると、やはり魔法のじゅうたんに乗ることができ、異次元へ入っている間に、本来の力を発揮させない邪魔ものが徐々に取り除かれます。

 結果として、人間関係に悩んでいた方は相手への積年の恨みが消え、病気に罹っている方は自己快癒力が高まり、受験生は不安が薄れ自信がつきます。

 普段の「自分」という殻が溶けてしまうからでしょう。

 

 解き放たれ、瑞々しさを取り戻された皆さんの姿によって、私もまた解き放たれた気持になります。ありがたいことです。

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ご加持さまざま ―身心の病気を克服する―

 このところ、ご加持が多く、神経を使う毎日が続いています。
 学力向上などの能力開発や、自律神経失調などのバランス回復や、偏頭痛解消などの病気封じや、夫婦円満などの和合の修法ならそれほどではありませんが、うつ病などでは、たった一言の不適切な言葉づかいでも受者との信頼関係に問題が生じる場合があるので、細心の注意が必要です。

 今日の夕刻は長年アルコール依存症に苦しんだ女性が4回目の受法に訪れ、最回には修法の終了後に本堂がアルコール臭くなって驚いた方が、すっかり良い笑顔を取り戻してお帰りになられました。

 続いて、祈祷師から憑きものがあると脅され、過酷な修行に苦しんだ女性Aさんが、久方ぶりに、ご家族に伴われてご来山されました。
 かなり回復したけれども、今度は、多様な人格が現われるようになったのです。
 さっそく修法に入りました。
 確かに複数の男性が現われていろいろ言ったりしますが構わずに法を続け、やがてゆったりとした息を取り戻されました。
 あとは、五体を守る守本尊様方に、まじめな人特有の疲れをとっていただくだけです。

 午後8時をまわって無事終了した後、お守を手にして泣きながらありがとうございましたと言うAさんは、とても素敵で可愛い女性になっていました。
「いろいろな人格が出てきても、それと闘ったり、悩んだりする必要はありません。
 そうしたものたちは、いわば影法師の一部です。
 地面がデコボコだと影法師は人の身体を正確に映しませんが、平坦な道へ出ればおかしな形ではなくなるでしょう。それと同じです。
 今は多少不安定なデコボコ道を歩いておられるのでやむを得ませんから、あまり気にせず平気な顔で過ごしてください。
 やがて歩む道が定まれば、彼らは自然に消え去ります。
 今日は徹底して貴女の守本尊様の法をかけました。
 何かのおりには守本尊様の真言を唱えてください。
 必ず守っていただけますよ」

 街灯も少なく暗い夜道を遠くまでお帰りになられるご一家をお送りして振り返ると、猫のクロがニャーと足元へやってきました。
 さあ帰ろうと声をかけ、今年は蛍が見られるかなあと思いながらクロと並んで本堂へ向かいました。

 釈尊が説かれた真理は厳然として動かず、結果として眼前にある現象には必ず原因とそれにはたらきかける縁があったはずです。
 たとえば、肝臓病が、無理な仕事と、それをまぎらすための酒によってもたらされるようなものです。
 この場合の「無理な仕事」は、心の病気では環境としての家族関係だったり、トラウマを生む突発的なできごとだったりします。
 もちろん、病気そのものを治さねばなりませんが、完全に克服するためには、家族関係を変えたり、突発的なできごとの衝撃や記憶を薄れさせたりせねばなりません。
 自己快癒力を高め、環境改善も行なうのです。
 当事者が変わればやがて環境にも変化が現われますが、変化のペースがあまりにゆったりしていると、せっかく傷口を塞ぎかけた薄皮がまた剥がれてしまう恐れもあるので、環境を劇的に変える手段も採らねばならない場合があります。
 むしろ、そこが難しい場合が多いのです。
 善業も悪業も自分で積む一方、周囲の人間たちによってもたらされる共業(グウゴウ)は避けがたい場合が少なくありません。

 一人の人間の苦しみには、必ず多様の人間が関わっています。
 幸せは一人でつくれらるものではなく、不幸もまた一人でつくってしまうものではありません。

 いかなる世の中になろうとも、お互いに支え合う『相互供養』とお互いを尊び合う『相互礼拝』は自他を救い幸せにする道です。

 2歳のB君は、お線香を立てて祈るとき、「Bがおりこうになるように」と自分のことを祈りますが、必ず「ママも」「みんなも」と家族全員の幸せも祈ります。
 B君に習って生きて行きたいものです。

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