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2016
08.03

お不動様のご加護をいただこう

2016-08-03-0001.jpg

 当山のお不動様は、小さいお像だがハイパワーである。
 当病平癒にも、供養成仏にも、祈りを受ける主尊として、行者と一体になり、施主や願主の誠心を受けとめてくださる。
 猛火はあらゆる邪心や邪業(ジャゴウ)や邪鬼をうち祓ってくださるので、堂内は空気が違う。

 お不動様のおられるところ、どこにでも火炎がある。
 滝行では細胞の生命力を励まし、護摩法ではありありとお姿を現し、斎場では迷いや未練を解き放つ炉内の浄火となる。
 火の元は至極の智慧であり、お不動様の悟りである。

 悟りへ至る分別(フンベツ)を七覚支(シチカクシ)と言う。
 だから、お不動様の髪は浜菅(ハマスゲ)という草で7つの莎髻(シャケイ)に結ばれている。
 では7つのポイントとは何か?

1 結ぶ法の真偽を判別する。
 み仏の教えにかなう正しい法でなければ、動かさない。
 お不動様が、自己中心的で、他者を害する願いに対して、それを実現させる法力をくださるはずはない。

2 正しい法のために精進する
 お不動様が私たちを救う不退転のお慈悲は、仏法に則り、途切れることはない。
 願う私たちの善心を励まし、あきらめぬ力をくださる。

3 真理・真実を喜ぶ
 不変の真理、世界の真実を喜び、それが不断の力となっておられる。
 私たちも又、真理、真実に魂が震える時、お不動様の喜びとお力をお分けいただいているのだ。

4 清浄で、軽快、安穏な心身を保つ
 悟ったお不動様に穢れはなく、あらゆる者を救うために、本体は不動であり揺らぎなく安穏でも、お心は、どこにある善心をもただちにキャッチし、分身である童子様たちをどこへでも遣わす。
 お釈迦様はどこへでも足を向けられ、お大師様も広く衆生を救われ、ダライ・ラマ法王も又、世界中で平和と思いやりを説かれている。

5 眼前の現象をそのままにとらえ、救いを求める衆生から離れない
 大日如来の使者として、智慧と慈悲を具体的な手段で顕すお不動様は常に私たちを見守ってくださる。
 いったん真の慈悲心を動かした人も又、同じであり、見捨てることはできず、心中にある仏心が発した悟りの光は永遠である。

6 心身が定まりぶれない
 悟りにぶれはなく、常にはたらくべき智慧がはたらき、動くべき慈悲心が動いている。
 ペルシャワールの中村哲氏は大洪水に見舞われた現場でも「他に方法がなければやる、それで失敗すれば神の思し召し」との姿勢を貫き、打開してきた。

7 いかなる現象や行為にもとらわれない
 すべては空(クウ)なる世界でのできごとゆえ、その時、その場での手段は、救済実現の瞬間に尽くされたことになる。
 お釈迦様が、「迷いの川を渡らせてくれた筏(イカダ)は、向こう岸へ着いたならば置いて先へ進もう」と言われたとおりである。

 こうしたポイントが実現されているお不動様のお力は、矮小(ワイショウ)な人間にとって〈無限〉としか言いようがない。
 お不動様のありようを知れば、その威神力はよりいっそう感得できる。
 お力の一端に浴することができるかどうかは、私たちの誠心にかかっている。
 願い事を心に刻んだならば、合掌し、真言を唱え、お姿を心に念じたい。
「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かん まん」
 こうして身口意(シンクイ)を不動明王と一体化しよう。
 あるいは護摩法に参加しよう。
 あるいは願い事を書いた護摩木でご供養しよう。
 実践がすべてである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
11.27

ご祈祷はどのように行われるか? ─不思議なことが起こる時─

201511270001.jpg

 11月26日、重度の糖尿病にかかっている今井駿くん(当時7才)にインシュリンを投与させず、手かざしなどの祈祷で治そうとして結果的に死へ至らしめた会社役員近藤弘治容疑者(60才)が逮捕された。
 当病平癒などの超能力を持つ龍神であると自称していたらしい。
 こうした事件があると、いわゆる〈科学的〉とみなされる事象しか信じない方々から祈祷は一段と見下げられ、侮られる。
 日々、ご祈祷を法務の一つとしている立場から、少々述べてみたい。

 小説家村上春樹氏は作品中に超現実的な場面を多々描くものの、「基本的に信じていない」と言う。

「まったくないとも信じていないけど、あるとも信じていない。
 そういうことについてあまり考えたりもしない」(以下の引用は『村上春樹河合隼雄に会いにいく』より)


 こんな氏は、ノモンハンの戦場跡へ行ったおり、慰霊の意識から迫撃砲弾の破片と銃弾をホテルへ持ち帰った。

「夜中にパッと目が覚めたら、部屋が大揺れに揺れているんです。
 僕は完全に目は覚めていたんですよ。
 もう歩けないぐらいに部屋中がガタガタガタガタ揺れていて、ぼくははじめ地震だと思ったのですね。
 それで真っ暗な中を這うようにして行って、ドアを開けて廊下に出たら、ピタッと静まるんです。
 何が起こったのかぜんぜんわからなかったですよ。」


 ご祈祷に出かけると、こうした思いもよらぬできごとに遭うのは珍しくない。
 自死や焼死された方の〈現場〉へ導かれたり、得も言われぬ力で祈祷や供養の修法を邪魔されたりなどは日常茶飯事である。
 ご来山された方へ直接、法をかけるご加持などにあっては、受者が自分で言おうとしてもいないことを言い始め、ようやくご自身の本心を解放して泣いたりされる。
 だから、ノモンハンの話には、〝そうだよね〟と思うしかない。

 氏はできごとを総括する。

「これはぼくは、一種の精神的な波長が合ったみたいなものだろうと思ったのです。
 それだけ自分が物語のなかでノモンハンということにコミットしているから起こったのだと思ったのですね。
 それは超常現象だとかいうふうに思ったわけではないですけれども、なにかそういう作用、つながりを感じたのです。」


 対話している臨床心理学者河合隼雄博士は述べた。

「そういうのをなんていう名前で呼ぶのか非常にむずかしいのですが、ぼくはそんなのありだと思っているのです。
 まさにあるというだけの話で、ただ、下手な説明はしない。
 下手な説明というのはニセ科学になるんですよ。
 ニセ科学というのは、たとえば、砲弾の破片がエネルギーを持っていたからとか、そういうふうに説明するでしょう。
 極端に言うと、治療者として人に会うときは、その人に会うときは、その人に会うときに雨が降っているか?
 偶然、風が吹いたか?
 とかいうようなことも全部考慮に入れます。
 要するに、ふつうの常識だけで考えて治る人はぼくのところへ来られないのですよ。
 だから、こちらもそういうすべてのことに心を開いていないとだめで、そういう中では、いま言われたことはやはり起こりますよ。」

 
 そして、〈全部考慮に入れる〉のは、勘をはたらかせることに通じて行く。
 たとえば電車の中で「ちょっと荷物をお願いします」という時に頼むのは「確かな人」と覚しき相手だが、一瞬にしてその判断ができ、しかもまちがっていないなら、判断の根拠はどこに求められるか?

「自分の人生経験というものをふまえて、そのときの状況でパッと全体的な判断を下すわけです」


 小生も、混み合う大衆食堂で席を確保しつつ料理を受け取りに席を立たねばならず、見知らぬ人へ荷物を託す場合、とっさの判断が必要になり、〈確かな人〉に頼めれば、結果がでないうちから安心できる。
 瞬時に「全体的な判断」をするしかないし、それはなぜか狂わない。

 村上春樹氏に戻るが、氏はノモンハンに「コミット」すなわち関わり合うことに没入していたからこそ、「つながり」が生じたのだろう。
 河合隼雄博士は、知人が亡くなった夢を見た時、それが「確か」だと思える場合と、そう思えない場合があり、夢の中と覚めてからとを問わず、そうした勘はよく当たると言う。
 要は、相手に対する意識が深まり、それが全存在をかけたレベルに達していれば、普通ではない現象が普通に起こり得るのではなかろうか?
 当山の修法においても、お大師様の説かれた即身成仏の修法に入り切れれば、普通でない現象が起こり得る。
 そもそも、「ふつうの常識だけで考えて治る人」は当山へ足を運ばれない。
 博士と同じく行者としての「全部」を総動員してようやく、ご本尊様へおすがりする資格があると考え、修法の修行を続けている。
 当山のご祈祷はこんなふうに行われている。




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2015
11.14

御札の大きさとご利益について ―Q&A(その13)―

201511090011.jpg
〈初冬の自然墓〉

 今回は、御札についてのご質問にお答えします。

1 御札の大きさとご祈祷の中身

 たまに訊ねられます。
御札の大きさで、ご祈祷の中身はどう違うんですか?」
 端的にお答えします。
「違いません」
 ほとんどの方はここで「えっ!」と絶句します。
 そして、たくさんお布施をしても、ご利益が同じでは頑張って差し出す意味がないと考えるかも知れません。

 さらにはっきりと質問を続ける方も稀に、おられます。
「すると、お布施の金額によって違うのは御札の大きさだけですか?」
 ここまで来てようやく、肝腎なところへ進みます。
「そうですね。
 貴方の手元にやってくるモノの違いはそれだけです。
 しかし、目に見えない世界では大きなできごとが起こっています。
 ご誠心からお布施を差し出せば、仏神の世界へ徳積みが行われています。
 言い方を変えれば、〈惜しむ煩悩にうち克って仏神のためになる〉という徳を発揮することによって、自分の心のレベルを一段、上げているのです」

2 煩悩に気づく

 煩悩とぶつかる難しさは、貧窮時代の小生にとっても難問だったので、よくわかります。
 お詣りにでかけ、お賽銭箱へ投ずるお布施を10円玉でなく100円玉にする、100円玉でなく500円玉にする、500円玉でなく1000円札にする、……。
 その行為は、実生活に及ぼす影響もさることながら、必ず動く〝惜しい〟という気持をはっきり認識し、退治するという決して小さくない人生修行の問題です。
 一歩、退がって自分の姿を眺めてみれば、〝どうか、体調がよくなりますように〟と必死の思いでご本尊様の前に立っていながら、〝100円玉は惜しいから10円玉にしておこう〟と考えるなら、どこかずれていると気づくはずです。
 しかし現実に〈ずれ〉の感覚が起こるのは一瞬であり、気づかなかったり、無視したりしがちです。
 この時点での対応は、誰にも知られない自分の人生に対する誠意の問題でしかありませんが、そこでの誠実と不誠実は他ならぬ自分が知っています。
 誠実であれば必ず心が清々しくなり、不誠実であれば必ず心が濁ります。

3 神様が見ている

 古人が「神様が見ているよ」と子供たちへ教えたのは、嘘をついてはいけないという表面的な態度を指導しただけではありません。
 本質は、畏れの感覚が身につけば、自分の良心に恥じない誠実さと勇気を持って生きられるようになるところにあります。
 神社仏閣へでかけ、そこに〈おわす〉何ものかを感じるならば、それは、五感六根のはたらきによって、自分自身の心に〈在る〉何ものかが反応しているのです。
 それは良心であり、仏性であり、霊性でしょう。
 これらのはたらきへ素直になる時、私たちの心は浄められています。
 かけがえのない浄めの機会を生かすかどうかは、その方その方の問題です。
 お賽銭箱に入れる10円玉と100円玉には90円の違いですが、この90円は、心の修行の観点からすれば、お金に換算できないほどの違いをもたらします。

4 願いと誠意

 こんなことを書くと、二つの疑問が起こるかも知れません。
 一つは、〝お寺はお布施がたくさん欲しいからこう言っているのではないか?〟
 そうではありません。
 小生自身が、こうした〈浄め〉無しでは生きて行けず、今でも修行を続け、そして確かな救いを実感しており、〈皆さんと共に〉の一心で赤裸々に書いているのです。
 もう一つは〝お金持ちはたくさんお布施をして徳積みも大きくできるけど、貧乏ならできないのか、それでは、仏神の世界もお金次第なのか?〟
 そうではありません。
 肝腎なのは、必死の思いでよき願いを持つ時、同時に、自分の仏性に恥じない誠実な行為もできるかどうかという一点にあります。
 あらゆる宗教がよき願いを持つことを尊ぶのは、それが人間の本性にある光を発揮させる機会だからです。
 仏教も同じであり、「欲を無くせ」ではなく、「まっとうな欲を正しく生かそう」が本分です。
 仙人のような〈我、関せず〉といった人間や、幽霊のような〈力の抜けた〉人になろうとしてはいません。
 お釈迦様もお大師様も、不動心と共に桁外れのエネルギーを発揮しておられたように思えます。

 だから当山では、3000円のご祈祷を申し込まれても、10000円のご祈祷を申し込まれても、お渡しする御札の大きさなどが違うだけで、ご祈祷の中身が違ったりはしません。
 ご葬儀も同じです。
 皆さんなりの誠意をわけへだてなくご本尊様へ届けるのみです。

5 「長者の万灯」と「貧者の一灯」

 最後に、よく知られている「貧者の一灯」に触れておきます。
 高野山には無数の灯篭が奉納されていますが、その中に「長者の万灯」と「貧者の一灯」があります。
 長者は白川上皇、貧者は自分の黒髪を切ってお金に換え高野山の伽藍復興のために一灯を報じたおてるという女性です。
 いかなる立場や境遇にあろうと、大切なのはただ一つ、誠意です。
 仏性に誠実な誠意こそが不滅の灯火の本体です。

 今日も皆さんの尊い誠意を受け、法務を行います。

 以上が、御札は決して「買う」対象ではなく、誠意に対する証(アカシ)としてご本尊様から授かる魂の入った聖なる拠り所である理由です。
 皆さんの開運を祈っています。 




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2015
08.22

トラウマと法話とご加持 ―過去によって振り回されないために―

201508220001.jpg

 ある時、ふとしたおりに過去の忌まわしいできごとを思い出し、強い罪悪感に襲われ、落ち込んでしまうAさんと対話した。

Aさん:「こんな自分と知りながら受け入れてくれる優しい伴侶がいるのに、思い出す自分はいつまでも忌まわしいままです。
 平和な時間の中で、いきなりそれが起き上がると、もう、抵抗できません。
 ただ、悲しく、恐ろしく、自分をどうしようもないもどかしさに、強張り、震えるだけです。
 伴侶や友人たちは口々に、もう過ぎたことでしょう、とか、誰にだって他人へ言えない過去があるよと言ってくれますが、そんなことは皆、わかっているのに、発作的に起こるので、〈その瞬間〉が来るともう、どうしようもありません」

小生:「私たちが、どこを探してももう、無い過去によって苦しめられる成り行きに二つの面がありそうです。
 一つは、できごとが持つ印象の強さです。
 小さな子供の時代をあまり思い出せないように、後から後からと記憶が積み重ねられるので、古いものほど思い出しにくいのですが、よきにつけ、悪しきにつけ、強烈な印象を伴ったできごとは、いつまでも繰り返して思い出され、デフォルメされたり、脚色されたりしつつも、残って行きます。
 Aさんの場合も、ずいぶん、昔のできごとだけど、あまりにも印象が強すぎたのでしょうね。
 もう一つは、性格など、その人のタイプです。
 ものごとを枠にはめて固く考えたり、感覚的にはじいてしまうものは決して受け入れられない潔癖症だったり、〈あるべき自分〉や〈ありたい自分〉以外の部分が自分へ許せなかったりすると、まずかったできごとは、いつまでもまずいままで残ります。
 未解決の嫌なできごとは、自分が未解決であることを知っているので、幾度でもよみがえり、同時に、嫌悪感罪悪感なども付随して心を占領します。」

Aさん:「私にとっては人生で最大のできごとのようにすら思えているので、性格だって変えようがないし、繰り返しは、どうしようもないんですよね」

小生:「そうですね。
 でも、私たちが普段生きているうちには、嬉しいことも嫌なこともそれなりに起こりますが、私たちは苦しみが閾値(イキチ)を超えない限り、今日、いくら泣いてもなぜか、明日また、ご飯を食べ、誰かと笑い、生きられますよね。
 それは、死ぬ時にお花畑を見る事象がドーパミンという一種のホルモンによるという説を思い出させます。
 私たちに具わったメカニズムとして、肉体は死へとプログラムされている一方、心は生存の方向へとプログラムされているのではないでしょうか?
 だから、嫌なことと嬉しいこととがあざなえる縄のように起こる日々にあって、いつしか、嫌な記憶よりも嬉しい記憶の方が強くはたらき、たとえば、上司の小言でムシャクシャしても、一杯やって仲間と愚癡を言えば明日も同じように出社できるのではないでしょうか?
 自分の人生を振り返り、皆さんのお話をお聴きし、周囲の人々を眺めているとそんな気がしてなりません。
 Aさんを苦しめる記憶のぶりかえしも、Aさんにとって価値ある人やモノやできごとに囲まれているうちに、そうしたメカニズムがはたらき、力を弱めるのではないでしょうか?」

Aさん:「そうですね。
 夫や子供は本当に救いです。
 でも、何かに没頭している時は絶対に大丈夫なのですが、休息している時や、何も考えていないような時間帯に、いきなり、やってきます。」

小生:「いわば、心のクセのようなものでしょうね。
 それを変えるには、お子さんが家庭に登場して気配の変わった今が一つのチャンスかも知れません。」

Aさん:「私は、元気な時も、元気を出そうとする時も、アウトドア派です。
 公園へ出かけたり、バーベキューをしたりといった状態です。
 そして静かになった時、〈それ〉が訪れます。」

小生:「休息してパワーを得るには、陽光を浴びる方法と、陽光を避ける方法があるのではないでしょうか。
 日陰で憩うやり方にも慣れると、心が陰った時に〈それ〉がやって来るというパターンを変えられるかも知れませんね。」

Aさん:「へええ、日陰で憩うとは考えたこともありませんでした。
 相手がやって来る時間を先取りしてしまうのですね。」

小生:「もう一つ考えてみるべきポイントは、すでに、よくおわかりのように、過去のできごとはもう、どこにもなく、Aさんの記憶の中身でしかありません。
 そして、それは関わった人たちにとっても、もはや、どこにもないものかも知れないのです。
 小生には、何十年ぶりのお詫びという体験があります。
 自分の心に刺さったままのトゲにも似た悔恨と罪悪感の元を断とうと、思い切って相手に詫びたのです。
 そうしたら、驚いたことに、Bさんはまったく気にしていなかったし、Cさんに至っては、できごとの記憶すら消えていたのです。
 独り相撲は滑稽でしたが、頭で考えていた時間と記憶の問題について動かぬ事実を突きつけられた体験は、大きな衝撃でした。
 空(クウ)を説く経典の理解、感得が一気に進んだような気持がしました。
 心に青空が広がったのは当然です。
 そして、その後、できごとの記憶は消えませんが、思い出す時に付随するのは、かつての辛い悔恨や卑下などではなく、淡い懐かしさになりました。
 不思議なものです。
 このように、Aさんにも、何かそうした体験が起こればよいですね。
 ご本尊様のご加護を祈って、ご加持を行いましょう。」

 こんなやりとりをしてから、ご加持を行った。
 Aさんはスッと法へ入り、安らかな時を過ごした。
 思えば、ご加持も、〈日陰で憩う〉パターンと言えるのかも知れない。
 そこで静かに守本尊様の真言を唱える時間が流れるようになれば、〈それ〉は訪れにくくなるか、訪れても、真言によって消えるようになるだろう。

(付け加えておかねばなりません。
 当山では相手により、状況によって、医者にかかるようお勧めする場合もあります。
 拝めば治る、のではなく、薬を飲んでさえいれば大丈夫、でもないと考えています。
 ささやかな法務を続けてきた者の体験上、宗教と科学の力は人生にとって車の両輪に思えます。
 なお、プライバシーを侵害せぬよう注意しながら文章を書いています。
 日々、人生相談にご来山される方々はどうぞご心配なく。)




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2015
05.23

『ご加持の会』は無事、終わりました

20150523010.jpg
〈ご加持法を修法された龍慧寺室田龍慧師〉

 おかげさまにて、善男善女の願いを込めた『ご加持の会』が無事、終了しました。
 全国でこうした会を行っている室田龍慧師は、説法から修法の終了まで約2時間かけ、皆さんの願いに応えられました。
 その間、小生はずっと、お不動様の前で弘法大師法を結んでいました。
 守本尊法と弘法大師法の中で過ごされた皆さんはどなたも活き活きしたご様子で、お帰りになられる時の笑顔は忘れられません。
「ああ、軽くなりました」
「また、お願いします」
 遠方だったり、仕事中だったりでご来山できず、遠隔加持を受けられた方々も含め、皆様の除災招福を願ってやみません。合掌




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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