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2016
10.22

小さな達成感を得る ─どこにでもある生きがい─

2016-10-17-0002.jpg

 私たちが生きる上での問題はまず、安定した衣食住の確保、次に、生きがいの獲得ではないでしょうか?

1 無財の七施

 一番目については、自分の努力と社会のありようとが決めます。
 怠け者ではどうにもなりませんが、いくら労働意欲があっても社会が混乱したり、戦火の雲に覆われていたりすれば、どうにもなりません。
 自分の(ゴウ)と社会の共業(グウゴウ)をよく考えてみましょう。
 社会のおかげなくしては一瞬も生きられず、良きにつけ、悪しきにつけ、社会と無関係は人は一人もいません。
 だから誰一人、社会の傍観者ではいられず、傍観者であってはならないと言えましょう。 

 二番目については、ほぼ、自分次第、自分の生き方次第です。
 医療関係者や福祉関係者などの人生相談を受けていると、生きがいはどこにでもあると実感します。
 たとえば、ある女性の介護士さんが難しいことばかり言うお爺さんに手を焼いていましたが、ある日、昔話を聴いていたところ、どうしたことか「自分は子供の頃からへそ曲がりだった」と涙ながらに詫びられました。
 彼女は手を取って一緒に泣き、誠意を尽くしてきて本当によかったと喜び、初めて仕事を誇りに思えました。
 おじいさんは、その日から別人のようになりました。
 まごころの交流が、お爺さんの捻れをなおし、看護師さんにやりがい、生きがいをもたらしました。

 生きがいは、手応え、達成感の蓄積によって得られます。
 連続する確かな達成感が、喜びと力になってその人を輝かせます。
 この達成感は、どこにでも見つけられます。
 その典型が「無財の七施」、財物によらない施しです。
 
○眼施(ガンセ)
 思いやりのある優しいまなざしで相手を見ることです。
 眼は口ほどにものを言うのです。
○和顔悦色施(ワゲンエツジキセ)
 和やかさと笑みを含んだ相貌で相手と接することです。
 医師の穏やかな顔と接するだけで気持が落ち着いたり、孫の笑顔を見るだけで励まされたりします。
○言辞施(ゴンジセ)
 思いやりを含んだ言葉を相手へ届けることです。
「ありがとう」や「おかげさま」や「おたがいさま」が心を和ませ、勇気づけ、励まし、いのちの力を引き出すことは驚異的なほどです。
○身施(シンセ)
 身体を使って相手へ何かをさせてもらうことです。
 東日本大震災などで、みかえりを求めない珠玉の汗がどれだけ流されたことでしょうか。
○心施(シンセ)
 相手を思いやり、心配りをすることです。
 相手の立場や気持を思いやって心を配り、気を配るところから布施行は始まります。
○床座施(ショウザセ)
 相手へ座る所を提供することです。
 乗り物の席を譲る光景は例外なく美しいものです。
○房舎施(ボウシャセ)
 まず、来訪者を温かく迎えることが大切です。
 モノを渡さなくても、貸すことによって相手へ雨風をしのぐ場が提供できます。

 もしも、ベッドに横たわっていてすら、誰かへ穏やかな顔で和やかな言葉をかけられれば、それはまぎれもなく尊い布施行であり、一つの達成です。
 日々、「無財の七施」を心がけてみませんか。

2  「比丘の四法」

 付録として、せっかくの善行を台無しにしかねない〈人間関係の破壊〉から免れる方法を書いておきます。
 それは「比丘(ビク…男性の出家修行者)の四法」です。

○相手を非難しても、二度とは非難しない
○相手を怒っても、二度とは怒らない
○相手へ暴力的にふるまっても、二度とは暴力的にふるまわない
○相手の過失を暴いても、二度とは暴かない


 いずれも、そうしなければならない時、あるいは、そうしないではいられない時の心構えです。
 自他のために、誰かの過失を暴き、厳しく非難せねばならないならば、勇気をもってやらねばなりません。
 怒り、暴力的にふるまう必要性に迫られる場面からも逃げられません。
 自分と相手を救うだけでなく、悪行の害毒が広がるのを防ぐためです。

 もしも、自分に起こった感情を引きずり、繰り返すことによって相手へダメージを与えるところまで行けば、ことのスタート時には理があっても、最後は悪行(アクギョウ)に転じてしまいます。
 それは、人間関係を壊す行為になり、出家修行者の間で厳しく戒められていたことが理解できます。
 この戒めは、普通の社会人にとっても、必要な心がけであると思われます。

3 二の矢

 最後に、貪り・怒り・愚かさの三毒に陥らないための心構えである「二の矢の教え」について少々書いておきます。

 ある時、お釈迦様が弟子たちへ問いました。

「人間に生まれた以上、誰にでも喜怒哀楽がある。
 では、凡夫仏弟子とはどこが違うのか?」


 確かにそうです。
 お釈迦様は、いかに徳が高く、慈悲と智慧に満ち、法力に勝れていてもきっと、超然としてはいなかったことでしょう。
 周囲の人々が心の温かさを実感できたに違いなく、表情も豊かだったことでしょう。
 何しろ、観音様とお不動様が同居しておられたのです。
 ならば、喜怒哀楽が私たちとどう違うのか?
 弟子たちは誰も答が見つけられず、お釈迦様は、おもむろに説かれました。

「二つ目の矢を受けるか否かが違うのである」


 私たちは、外的刺激に対して、どうしても貪り、怒り、愚癡にたどりつきやすいのです。
 喜べば「もっと、もっと」とさらに欲しくなり、気に入らなければ「このやろう」と怒って排除したくなり、自分に利をもたらさなければ「知ったこっちゃない」と無視します。
 しかし、仏弟子は、快感に溺れず、不快感に左右されず、自己中心でなく周囲を観るので、因縁の糸を見失いません。
 こうありたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2016
04.29

漢文『法句経』を読んでみる(その4)

2016-04-29-0001.jpg
〈陽の薄い曇り日に〉

 寺院や寺子屋 ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
 当山では、寺子屋やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。
 小生の土台はこの教えによってつくられました。
 どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
 新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)

 前回に続き【教学品(キョウガクホン)第二】です。

〔三一〕起(タ)ちて義を覚(サト)らんとする者は、学びて滅すること以(モッ)て固し。着(ジャク)滅(メッ)して自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なること、損(ソン)じて興(オコ)らず。


(一念発起して教えを理解しようとする者は、学び、煩悩が滅して再び迷わない。執着心が滅し、煩悩のままに翻弄されることはなくなる)

〔三二〕是(コ)れ向かうに強さを以(モッ)てし、是(コ)れ学ぶに中(マゴコロ)を得(エ)、是(コ)れに従(ヨ)りて義を解(ゲ)し、宜(ヨロ)しく行(ギョウ)を憶念(オクネン)すべし。


修行は強い志をもって行い、学ぶには苦行と怠惰を離れた瞑想によって精進し、学んで教えを理解し、なすべき修行を離れるなかれ)

〔三三〕学ぶには先(マ)ず母(モト)を断じ、君(キミ)と二臣(ニシン)を率(ヒキ)い、諸(モロモロ)の営従(エイジュウ)を廃す。是(コ)れ上道(ジョウドウ)の人なり。


(学ぶにはまず、自分可愛さを断ち、思い上がりを離れ、外道の見解や律に影響されず、それらの世界から毅然と離れて進む。これが腰の定まった行者である)

〔三四〕学ぶに朋類(ホウルイ)無く、友(ゼンユウ)を得(エ)ざれば、寧(ムシ)ろ独(ヒト)りを守りて、愚と偕(トモ)ならざれ。


(学ぶのに、自分にふさわしい同志がなく、き同輩を得られなければ、いたずらに仲間を探すことなくたった一人で行に邁進し、愚かしい人間と縁を結ぶなかれ)

〔三五〕を楽しみ行を学ぶに、奚(ナン)ぞ伴(トモ)を用いることを為(ナ)さん。独(ヒト)り(ヨ)く憂い無きは、空野(クウヤ)の象の如(ゴト)し。


めに沿った生活を楽しみ、修行を学ぶのにどうして同伴者が必要であろうか。一人で行を実践し憂いなく生きる行者は、広大な野を悠然と歩む象のように悠然たる者である)

〔三六〕と聞(モン)は倶(トモ)に善(ヨ)く、二者(ニシャ)孰(イズ)れか賢(マサ)らん。方(マサ)には聞(モン)に称(カナ)う、宜(ヨロ)しく諦(アキ)らかに学行すべし。


めを守ることと、教えを聞くことは両方ともに善きことであり、いずれが勝るということはない。戒めを守ってはじめて教えを聞く資格がある。しっかり明確に学び実践せよ)

〔三七〕学ぶに先(マ)ず戒を護り、開閉(カイヘイ)に必ず固くして、施して受くること無く、仂行(リョクギョウ)して臥(フ)すこと勿(ナ)かれ。


(学ぶにはまず戒めを守り、心を放恣にせず、他のためになっても我がものを得ようとせず、精進して怠けるなかれ)

〔三八〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、邪(ヨコシマ)に学びて不善を志(ココロザ)さば、生(セイ)一日にして、精進して正法(ショウボウ)を受くるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、邪道を学んで善からぬ生き方をするならば、たった一日であろうと、精進して正しい道理を学ぶ価値とは比べようもない)

〔三九〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、火を奉じ異術(イジュツ)を修さば、須臾(シュユ)の頃(アイダ)に、戒に事(ツカ)うる者の、福の称(タタ)うるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、林の中で火の神に仕える術を修するならば、たとえひとときでも、戒めを守る行者の福徳をたたえて供養することに及ばない)

〔四〇〕能(ヨ)く行ずるは之(コレ)を可と説くも、能(アタ)わずして空語(クウゴ)する勿(ナ)かれ。虚偽(キョギ)にして誠信(セイシン)無きは、智者の屏棄(ヘイキ)する所なり。


(懸命に修行するのは善きことだが、悟りを得てもいないのにそれらしい言葉をはくなど空虚なことを行ってはならない。偽って不誠実、教えを心から信じていないのは智者が排する態度である)




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2016
03.20

漢文『法句経』を読んでみる(その3)

2016-03-20-0001.jpg

 寺院や寺子屋ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
 当山では、寺子屋やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。
 小生の土台はこの教えによってつくられました。
 どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
 新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)

 前回に続き【無常品(ムジョウホン)第一】 です。

〔二一〕此(コ)れを知りて能(ヨ)く自(オノズカ)ら静め、是(カク)の如(ゴト)く生(セイ)の尽くるを見て、比丘(ビク)は魔兵(マヒョウ)を厭(イト)いて、生死(ショウジ)より度するを得(う)。


(無常を知って心を静め、生じたものは必ず滅するという真実を見極めて、行者は魔ものの兵士たちを制圧し、生まれては死ぬ迷いの世界から脱することができる)

 これより【教学品(キョウガクホン)第二】へ入ります。

・教学品(キョウガクホン)とは、導くに行う所を以(モッ)てし、己(オノレ)の愚闇(グアン)を釈して道(ドウ)の明らかなるを見ることを得しむ。


(教学品においては、行動の規範を示して導き、自分が愚かで智慧の明かりがない状態であることに気づかせ、教えが智慧の明かりであると理解させるものである)

〔二二〕咄(トツ)哉(カナ)何(ナン)ぞ寐(ビ)を為(ナ)さん。螉(オウ)、螺(ラ)、蚌(ボウ)、蠹(トウ)の類(タグイ)、隠弊(インペイ)するに不浄を以(モッ)てし、迷惑して身(シン)為(タ)りと計(ケ)す。


(こら、起きよ、なぜ惰眠を貪っているのか。ジガバチ・タニシ・ドブガイ・木喰い虫のような者たちよ。不浄なものに覆われているというのに、迷い惑ってそこに我が身があると考えているとは何と愚かなことか)

〔二三〕焉(イズク)んぞ、斫創(シャクソウ)を被(コウム)り、心、疾痛(シッツウ)に嬰(カカ)るが如(ゴト)くにして、衆(モロモロ)の厄難に遘(ア)うに、反(カエ)って用(モッ)て眠るを為(ナ)すこと有(ア)らんや。


(まるで刀傷を受けたように心は病み、痛み、さまざまな災厄や難事に遭遇しているのにもかかわらず、眠りこけているなど何たることか)

〔二四〕思いて放逸(ホウイツ)ならず、仁(ジン)を為(ナ)し、仁(ジン)の迹(アト)を学べば、是(コ)れに従(ヨ)りて憂い有ること無く、常に念じて自(ミズカ)ら意を滅す。


(よく考えて気ままに走らず、他者を思いやり、慈しみ、そうした人々の行跡を学べば、憂いは無くなり、いつも正しい道へ思念を集中して自ずから波立つ心の動きを滅することができる)

〔二五〕正見(ショウケン)にして、学び務めて増やさば、是(コ)れを世間の明(ミョウ)と為(な)す。所生(ショショウ)の福千倍し、終(ツイ)に悪道(アクドウ)に堕せず。


(正しい見解を持ち、学んで増やせば、それが世間を導く灯火となる。いかなる場所に生まれようと福徳は無限に膨らみ、決して地獄・餓鬼・畜生の世界へ堕ちはしない)

〔二六〕小道(ショウドウ)を学びて、以(モッ)て邪見(ジャケン)を信ずること莫(ナ)かれ。放蕩(ホウトウ)を習いて、欲意(ヨクイ)を増さしむること莫(ナ)かれ。


(卑小で誤った道を学び、邪な見解を信じてはならない。気ままな生き方を習い性として我欲を増やしてはならない)

〔二七〕善(ヨ)く法を修し行じて、学誦(ガクジュ)して犯すこと莫(ナ)かれ。道(ドウ)を行ずるに憂い無く、世世(セセ)に常に安(ヤス)し。


(正しく真理の教えを修め実践し、学び、唱えて、決まりに反することを行ってはならない。教えの道を実践する者はいかに輪廻転生を繰り返そうと、心は平安である)

〔二八〕敏(ツト)め学)びて身を摂(セッ)し、常に思(シ)と言(ゲン)とを慎めば、是(コ)れ不死に到る。行(ギョウ)滅すれば、安らぎを得(ウ)。


(よく学んで身体の行動を慎み、常に思念と言葉を慎めば、生死の迷いを超えた境地へ達する。生じ、滅するものに惑わされなくなれば、永遠の安らぎが得られる)

〔二九〕務めに非ざれば学ぶこと勿(ナ)かれ。是(コ)れ務めなれば宜(ヨロ)しく行ずべし。已(スデ)に念ず可(ベ)きを知らば、則ち漏(ロ)は滅することを得(ウ)。


行者としての務めでないことを学んではならない。務めならばしっかり実践せよ。心へ保っておくべきことを知り尽くせば、煩悩は消滅する)

〔三〇〕法を見て身(ミズカ)らを利すれば、夫(ソ)れ善方(ゼンポウ)に到る。利を知りて健(タケ)く行ず、是(コ)れを賢明(ケンメイ)と謂(イ)う。


(真理をつかんで自分の血肉にすれば、悟りの境地へ至る。その価値を知って果敢に修行するのが、賢く、智慧の明かりを持った者である)




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2016
01.16

漢文『法句経』を読んでみる(その2)

201601160002.jpg
〈『悪魔の飽食』を書いた筆鋒は相変わらず鋭い〉

 寺院や寺子屋ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経(ホックキョウ)』を読んでみたい。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いている。
 当山では学びの柱として欠かせない。
 新たになった読み下し文を現代語にしてみたい。

 前回の続き【無常品(ムジョウホン)第一】 である。

〔一一〕咄嗟(トッサ)に老(ロウ)至れば、色(シキ)変じて耄(モウ)と作(な)る。少(ワカ)き時は意(ココロ)の如(ゴト)くなるも、老ゆれば蹈藉(トウセキ)せらる。

 ああ、あっという間に老いがやってくれば、美しい姿形も老醜に変わる。若い頃は気ままに生きられても、老いれば心も身体も思いのままにならず、踏みにじられる。

〔一二〕寿(イノチ)百歳なりと雖(イエド)も、亦(マ)た死すれば過ぎ去らん。老いたるが為(タメ)に厭(イト)われ、病(ヤマイ)条(ノ)びて際(キワ)に至る。

 たとえ百才まで生きたとしても、死がやってくれば必ずこの世を去る。老いれば厭われ、病苦の果てに死へ赴く。

〔一三〕是(コ)の日已(スデ)に過(ス)ぐれば、命則(スナワ)ち随いて減ず。少水(ショウスイ)の魚(ウソ)の如(ゴト)し。斯(コ)れ何の楽しみか有(ア)らん。

 日々、過ぎ去る時に従って、いのちも減り続ける。わずかな水に棲む魚が干上がってしまう時を待つようなものだ。本質的な楽しみはどこにあろうか。

〔一四〕老(オ)ゆれば則(スナワ)ち色(シキ)衰え、病(ヤマイ)に自(オノ)ずから壊され、形敗(ヤブ)れ腐朽(フキュウ)す。命終わること自然(ジネン)なり。

 老いるに従って容貌は衰え、病魔によって身体は壊され、腐り朽ちて行く。やがていのちに終わりが来ることは避けられない宿命である。

〔一五〕是(コ)の身は何の用(ヨウ)ぞ、恒(ツネ)に漏れ臭き処(トコロ)なり、病(ヤマイ)の為(タメ)に困しめられ、老死(ロウシ)の患(ウレ)い有り。

 この身体はいったい何の用を足しているのか、常に不浄で臭いものを漏れ出させ、病魔に苦しめられ、老いの患い、死への患いを伴っているではないか。

〔一六〕欲を嗜(タシナ)み自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なれば、非法(ヒホウ)是(コ)れ増す。変を見聞(ケンモン)せず、壽命は無常なるに。

 愛欲を貪り放逸に暮らせば、誤りを増すのみだ。死という避けられない災難から目を背け知らん顔をしているが、寿命は無常である。

〔一七〕子(コ)有(ア)るも恃(タノ)むところに非ず、亦(マ)た父も兄も[恃(タノ)むところに]非ず。死の為(タメ)に迫(セマ)らるれば、親(シン)も怙(タノ)む可(ベ)きこと無し。

 例え子供がいても死魔を追い払う頼りにはならず、父も兄も同様である。死が迫った時には親であっても頼りにならない。

〔一八〕昼夜に慢惰(マンダ)にして、老(オ)ゆるも婬を止(ヤ)めず、財有(ア)るも施さず、仏言(ブツゴン)を受けず、此(コ)の四弊(シヘイ)有(ア)らば、自(ミズカ)ら侵欺(シンギ)を為(ナ)す。

 いつも死を侮り死への準備を怠り、老いても色欲に溺れ、財物を施さず、み仏の言葉に耳を傾けず、この四つの習い性となった悪行は、自らの生を貶め欺くのみである。

〔一九〕空(クウ)にも非ず、海の中にも非ず、山石(サンシャク)の間に入(イ)るにも非ず、地(ジ)の方所(ホウショ)に之(コレ)を脱(ノガ)れんも、死を受けざるところ有ること無し。

 空であれ、海中であれ、山々の石の陰であれ、どこに逃れようと、死に襲われぬ場所はない。

〔二〇〕是(コ)れ務めなり。是(コ)れ吾が作(ナ)すことなり。当(マサ)に作(ナ)して是(コ)れを致(イタ)さしむべし。人此(コ)の為(タメ)に躁擾(ソウジョウ))して、老死(ロウシ)の憂いを履践(リセン)す。

 これが自分の務めである、これが自分の為すべきことである、こうしてこうしよう。人はこのようにあくせくしつつ、やがて必ず老いの憂いと死の憂いに破壊される。

 私たちは、人間として本当になすべきことが何であるかわからぬままに毎日を送りかねない。
 そうこうしているうちに、30年、50年など、あっという間に過ぎる。
 老苦も病苦も、そして死に神さえすぐにやってくる。
 大切なのは、若い日に抱いた疑問、〝自分は何者なのか?〟〝自分のこの世の役割は何か?〟〝人生に目的はあるのか?〟などの数々を捨てないことではなかろうか。
 問いつつ生きる時は、生きつつ何らかの回答を見出しているかも知れない。

 作家森村誠一氏は83才になってなお、意気軒昂である。

「作家にゴールはない。
 余生ではなく誉れある『誉生(ヨセイ)』にしたい。
 可能性を追う、未知数の狩人でありたい」


 老いてから得られる自由には2種類あると言う。

「『何もしなくていい自由』と『何をしてもいい自由』です」


 かつては、仕事や子育てなどでの〈一段落〉というものがあり、それが〈余生〉の感覚に結びついていた。
 今は違う。
〝もう、何もなくていい〟と思って人生の後半を生きる人と〝これからやれる〟と思う人とでは天地の違いが出ることだろう。
 氏の助言である。

「どのようなことでも、自分の世界を持って、能動的に広げていってほしい。
 何かを生産し、表現することで、生きているという実感が持てるものです」


 そう言えば、「みやぎシルバーネットさん」のシルバー川柳はそうした〈実感〉に満ちている。
 1月の課題は「ババァ(婆)」だった。

「顔のシワ バームクーヘン 美味しそう」 (鈴木洋子 79才)

「婆ちゃんが 大志を抱き バーゲンへ」 (佐藤和則 84才)

「新時代 火星に作る ババァホーム」 (伊勢武子 82才)

「幸・福(シアワセ)は 婆と爺とで半分コ」 (八巻勇夫 77才)






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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2013
01.09

第一回瞑想会について ─気づいていなかった自分に会う─

20130109000222.jpg

 いよいよ本日から瞑想教室が始まります。
(詳しくはhttp://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3554.html)
 ここで行うのはイメージトレーニングです。
 いかなる方向へ向かうのかをきちんと決めなければ、心はいつでも、いつまでもフワフワと彷徨うばかりです。
 まず、心身をリラックスさせ、私たちの本心である〈み仏の心〉そのものになるところから出発します。
 お大師様より伝わる方法で心を正しく開発しましょう。

1 三礼(サンライ)
『おん さらばたたぎゃた はんなまんなのう きゃろみ』
2 着座
3 浄三業(ジョウサンゴウ)
蓮華は泥中にあっても清らかなようにこの私の身も心も本来清浄である」
4 発菩提心(ホツボダイシン)
「オーン 私は菩提心(ボダイシン)を発します」
『おん ぼうじしった ぼだはだやみ』
5 三摩耶戒(サンマヤカイ)
「まさにいま、自らと仏と衆生すべてが平等である。私は仏の子となり、仏の誓願を必ず成し遂げる金剛薩埵(コンゴウサッタ)である」
『おん さんまや さとばん』
6 五大願
衆生は無辺なり 誓ってすくわんことを願う
 福智は無辺なり 誓ってあつめんことを願う
 法門は無辺なり 誓ってまなばんことを願う
 如来は無辺なり 誓ってつかえんことを願う
 菩提は無上なり 誓ってさとらんことを願う」
7 五字明(ゴジミョウ)
『あ び ら うん けん』
8 調身
9 調息

 たったこれだけでも、大変な内容が含まれています。
 最初の礼拝からして、チベット関係の映像などでも見るような五体投地(ゴタイトウチ)を行う機会はほとんどないものと思われます。
 もちろん、足が痛かったりすれば無理をしてひざまづく必要はなく、実際、この講座はイスとテーブルで行いますが、できる人は自宅でやってみてください。
 いつも何となく手を合わせているのとはまったく異なる心が動くことに驚かれることでしょう。
 もしも、拳を握れば戦う心になり、そこに憎悪や怨恨などの悪心が加われば暴力へと進むかも知れません。
 しかし、右手をみ仏、左手を自分と観じて合掌すれば、決して人を傷つけることはできません。
 まさに身体は、心を上手に正しく動かすための道具なのです。

 また、自分が本来清浄であるといった観想も、普段はなかなか行われないのではないでしょうか。
 むしろ、「どうせ私なんて……」とひがんだり、「このオレが!」と高慢になったり、「どうせ人間は善と悪が入り交じったものさ」と現状に任せっきりだったりと、揺れ動くままなのではないでしょうか。
 最も心へ直結している手に清らかな蓮華の印を結び、心も言葉も清らかにすれば、必ず、気づいていなかった自分に会えるはずです。
 こんなふうにして、体操やジョギングで身体の調子を整えるように、心も整えましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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