『理趣経(リシュキョウ)』百字偈 7
昭和48年に真言密教和訳経典研究会が出版したものです。
こよなき智慧の ひじりらは
いましこの世の つきるまで
つねに救いの わざをなし
涅槃(ヤスライ)にゆく こころなし。
般若(メザメ)と方便(テダテ) たぐいなき
加持(メグミ)のちから てり映えて
この世のまよい すべてみな
きよけきものと なりぬべし。
大欲(タイヨク)などの ちからもて
世のなかきよめ 調えて
この世の涯(ハテ)の 辺際(ハテ)までも
すべてのまよい つくさなん。
蓮華(ハナ)に深紅(シンク)の いろあるも
泥のけがれに 染まぬごと
けがれに染まぬ 大欲は
あらゆるものを すくいなす。
きよき大欲 あるゆえに
安楽(タノシミ)ありて 富みさかえ
この世のなかに おもうまま
すくいのねもと 堅むべし。
み仏の子である私たちは、その本姿を生きるのが、自他共に幸せになるための方法です。
それは菩薩として大欲に生きることです。
菩薩とは、み仏から分けいただいたいのちの力である大いなる意欲を、清らかで正しく用いる存在です。
菩薩は、自分だけが安楽を得ようとはしません。
菩薩は、智慧と正しい方法とによってすべてを清らかなものに変えます。
菩薩は、大欲によってすべての迷いを消します。
菩薩は、大欲によってすべてを救います。
菩薩は、清浄な大欲があるからこそ、この上ない安心も、真の豊かさも、何ものにも妨げられない自由をも得られるのです。
身体と心を携え、意欲を持ってこの世へ修行に来た私たちの本当の生き方が説き尽くされているのではないでしょうか。
獅子奮迅の菩薩道
忘機とは「機を忘れる」の意味です。
要は、周囲のできごとにかまけず、あらゆる計らいを離れて無心に生きる境地ですが、こうしたイメージは道教の無為自然(ムイシゼン)に限りなく近いものです。
忘機を心得た高僧は、書を嗜んだり、自然を愛でたりして暮らし、たまには安心を求める方々へ「忘機」などを題材とした説法をされるのでしょう。
きっと、仕事に疲れた方や勤め上げた方などは「そういう境地になれば良いんだな」と納得されることでしょう。
だから、この方は、私の話を聞いて「僧侶なのにいつまで欲を持っているのか」と納得できない気持になり、率直なご意見をくださったに違いありません。
知っている高僧とはあまりにイメージが違うので戸惑い、驚き、不快になられたことでしょう。
その成り行きはよく理解できます。
明治時代の廃仏毀釈以来、救済を求める先としての〈仏法〉は限りなく貶められ、研究や趣味の対象としての〈仏教〉が喜ばれ、苦や迷いから救済されたいという人々の渇望へ手をさし伸べたのは新興宗教だったからです。
今なお、伝統仏教を奉ずる寺院のほとんどは仏事以外に堅く門を閉ざし、新興宗教の施設へは間断なく信者たちが出入りしています。
しかし、伝統仏教に学ぶ僧侶は「大乗仏教の根幹である菩薩道を歩む行者でなければならない」との原点にたち帰り、公器である寺院の門戸を広く開き、娑婆に渦巻く苦脳や悲哀を人々と共にし、その根本原因である自他の煩悩と宿業へ立ち向かわねばならないと考えています。
菩薩道とは、万人の救済者でありたいとの願いにかけて進む一本道であり、終着点はありません。
なぜなら、56億7千万年かからねば、すべての人々が救われ尽くさないからです。
一旦菩薩道へ踏み入ったならば、何度生まれ変わろうと、この道を進むしかありません。
それが、行者としての発心だからです。
「この身今生(コンジョウ)より 未来際をつくすまで 深く三宝に帰依したてまつらん」
「この身今生より 未来際をつくすまで ひたすら 三宝に帰依したてまつり とこしなえにかわることなからん」
「この身今生より 未来際をつくすまで 十善のみおしえを守りたてまつらん
「白浄(ビャクジョウ)の信心を発して 無上の菩提を求む 願わくは自他もろともに 仏の道を悟りて 生死(ショウジ)の海を渡り すみやかに解脱の彼岸に到らん」
「われらはみほとけの子なり ひとえに如来大悲の本誓(ホンゼイ)を仰いで 不二の浄心に安住し 菩薩利他の行業(ギョウゴウ)を励みて 法身(ミホトケ)の慧命(イノチ)を相続したてまつらん」
あらゆる機会に救済者たり得るためには、自分を清め、能力の向上に務めねばなりません。
これまで何度も書いたとおり、泳げない人はおぼれている人を救えないからです。
菩薩道は、出家行者のみならず、み仏の子である真姿をいきようとする万人が歩むべき道です。
なぜなら、肉体を持つみ仏の子は浄土の主である如来にはなれず、輪廻する生きとし生けるもののそばにいる菩薩にしかなれないからです。
ああ、苦しみと仮の死がくり返す地獄の世界。塞がった恐怖の空間。
ああ、渇いても水が飲めず、飢えても食物が喉を通らず、それにも関わらず食べ物を奪い合う餓鬼の哀れさ。
ああ、灯火に飛び込む蝶の愚かさ。やせ細った野良犬の惨めさ。食べられるために育てられる牛の健気さ。ぞして食物連鎖の中で常にいのちを脅かされ、救済者のいない悲惨さ。
こうした三悪道は、まぎれもなく今、息をしているこの世界にあります。
人間はもちろん、苦しむ生きとし生けるものの苦を抜き、彼らへ楽を与えたいと願わずにいられましょうか。
これができるのは私たちだけです。
とても静かには生きられません。獅子奮迅(『大日経』に説く大日如来のおはたらき)の心でやらねば、菩薩道は歩めません。
これからも、み仏の子として万人と共に菩薩道を歩みたいと願っています。
災いはなぜ起こるか ―時の運など―
一つは「時の運」です。
まったくのめぐり合わせで不幸な災禍に巻きこまれてしまうことは不運としか言いようがありません。
もちろん、因果応報の理を超えるものはないので、何ごとも自分の行動に無関係ではありませんが、たとえば結婚式場へ向かう途中で脇見運転の車に刎ねられた事件などは、この範疇です。
もう一つは「業(ゴウ)感」です。
善業によって清められない悪業の報いとしてやってくるものは、決して避けられません。
たとえば、深酒で身体を壊すことや不倫で家庭を崩壊させることなどです。
反省や懺悔などによって生き直し、避けようとすれば避け得るのに自分から「飛んで火にいる夏の虫」となってしまうのは残念です。
もう一つは「天の罰」です。
たとえば、私たちが四国八十八霊場を遍路するきっかけとなった衛門三郎の場合はまさしく天罰でありましょう。
真夏のある日、強欲で名高い庄屋衛門三郎の屋敷へお大師様が托鉢に行ったところ、鉢を叩き落として8つに割ってしまった彼は、まもなく、溺愛していた8人の子どもたちを次々と失ってしまいました。
そして、仏罰に気づき、お大師様を追って歩いたのが遍路の始まりです。
悪業の報いではありますが、鉢と罪のない子供は結びつきません。
やはり仏罰というべきでしょう。
ここで気をつけねばならないのは、仏罰は決して悪業の人を滅ぼすだけではないという点です。
いのちの炎が消え尽きる寸前にお大師様と巡り会って許された衛門三郎は賢い領主として生まれ変わり、彼の懺悔の四国21周は、現在の遍路行をもたらしました。
み仏が与える罰は試練であり、必ず救済が待っています。
チベット仏教について 2
王はインドの仏教を全面的に採りいれ、国教としました。その熱心さは、家臣たちへ信徒となる誓約書を書かせたほどです。
インドではパーラ王朝がナーランダ、ブッダガヤ、ビクラマシータなどの寺院や大塔を次々と造り、仏教最盛期でした。
王はナーランダ大寺院の大長老シャーンタラクシタを招き、779年には大きな寺院を建立し、弟子たちと共に法要を行いました。サムエ寺はブッダガヤを参考にして造られました。
この時、チベット人七名が初めて正式な仏弟子となる具足戒を授かっています。
同時期、ジャワでは仏教徒のシャイレンドラ朝が興っています。
790年代後半に、中国系仏教が入り、インド直系の仏教と対立しました。サムエ寺の宗問において中国の禅僧とビクラマシータ寺院のインド僧が公開問答を行い、インド僧が勝ち、以後、チベット仏教の方向性が定まりました。
ティ・レルパチェン王の時代には、サンスクリット語の大蔵経を翻訳する作業が本格化しました。
国の方針でインド人とチベット人がペアを組み、およそ三十年ほどの間に完成となりました。
この大事業が成ったのは、仏典を学ぶのに適したチベット語が完成していたからです。
814年には「翻訳名義対照」という辞書ができ、824年には目録が完成しています。それは、大蔵経の翻訳が終わっていることを意味します。
ソンツェン・ガムポ王の時代には勇猛果敢で鳴らしたチベット人が、この時代には敬虔な仏教徒の国になりました。
その後、843年にティ・レルパチェン王を暗殺して即位したランタルマ王が仏教を毛嫌いして破仏政策をとり、ボン教に改宗して寺院や経典を破壊しましたが、846年、何者かに暗殺されました。
敬虔なチベット仏教徒は、この時代の様子を中国の侵略と並ぶ二大法難として語り伝えています。
(2)後伝期
イェシェウー王の命でインドへ遣わされたリンチェン・サンボは「チベットのクマラジュ」と称され、金剛頂経、秘密集会タントラ、チャクラサンバラなどを持ち帰って翻訳し、仏教の復興に努めました。
トルコ軍に捉えられたイェシェウー王が、解放の条件として身体と同じ重さの金を要求された時、王は「そのお金を用いてインドから高僧を招きなさい」と告げて殺されましたが、おかげで、ヴィクラマシータ僧院の座主アティーシャが招かれ、その活躍で仏教はチベット国民へ広く伝えられました。
戒律中心主義の顕教と、み仏の世界へまっすぐに入ろうとする密教との対立はあったものの、アティーシャが著した『菩提道灯論』によってチベット仏教は混乱を克服し、新たな発展段階へ入りました。同書は、それまでに誰もなしえなかった〈仏教の教え全体を矛盾のない一つの流れとしてまとめたもの〉とされています。
まだ幼い王子アティーシャは、敬意を示す人々へ慈悲ある目を向けてこう語りました。
「私はすばらしい両親から生まれ、王子としての豊かさを得て、しかも仏陀の教えに出会うことができた。この国の者たちもみな豊かであるように。仏陀の教えを頼って平和に暮らすことができるように」
マルパがインドへ行って新しい密教を持ち帰り、弟子のミラレーパが布教に努めました。
1203年、西北からチベットへ侵攻したイスラム教徒は、ビクラマシータ寺院を破壊し、僧尼を殺しましたが、その直前にチベットへ逃れた最後の座主シャーキャシュリーパドラは残された仏法の全てをチベット人へ託しました。
以後、インドにおいて、僧院の中で学ぶ仏法は途絶えました。
このあたりが「インド仏教の正統な後継者がチベット仏教である」といわれるゆえんです。
チベット人は、固有の宗教がラマ教(チベットへ入った仏教が民間信仰と融合してできたもの)であると言われることをとても嫌います。仏教の亜流をやっていると考えられたくないからです。
そもそもラマとは、師僧の意味であって、み仏ではなく、ティソン・デツェン王の時代から探求され信じられてきたチベット仏教の「教えの中身と修行の方法」は、インドで流布していた仏教から何ら外れるものではありません。
プトゥン大師は文献的整理を進めました。
ツォンカバ大師は教理と実践とを集大成し、1406年、チベット最大の宗派となるゲルク派を開いて総本山ガンデン寺を建立しました。
最初のダライ・ラマとなるダライ・ラマ三世はモンゴル(中国は明朝の時代です)へ布教活動にでかけて指導者アルダーン・ハンを教化し、「ダライ・ラマ」という称号を授かりました。
その前からチベットには転生活仏(テンショウカツブツ…輪廻転生する活き仏がチベットを導く)の思想があり、ゲントゥシ・トゥッパが第一世、ゲントゥシ・ギャゾが第二世でした。
後にモンゴル人のグシハンがチベット全土を統一してダライ・ラマ五世へ権力を献上し、ガンデンポタン政権が誕生しました。
ダライ・ラマ法皇は、こうして政教両面の指導者となりました。
(3) その後
1959年、中国軍の侵攻を受け、ダライ・ラマ法皇と共に、三大寺院の僧侶や一般人など十万人がインドへ亡命しました。
1970年代に入ってインドのダラムサラにおいてチベット仏教が再構築され始め、亡命政権、仮宮殿、中央寺院(ジョカン寺)などが次々に整備されました。
後、デカン高原に三大寺院であるセラ寺、ガンデン寺、デプン寺が再建され、ほぼ一万五千人ほどが修行に励んでいます。
寺院はいずれも巨大なものですが、それは、毎年二千人ほど亡命してくる修行者たちを受けいれねばならないからです。
中国は「チベットは二十世紀前半までは政教一致の農奴制閉鎖社会だった。50年代になって中央政府の指導を受け、チベット自治区として急速に豊かになった」と宣伝していますが、実態はチベット国土の略奪と、宗教と言葉に象徴される固有の文化の破壊であり、毎年、命がけで多数の人々が亡命し、世界へ救済を訴え続けています。
チベット仏教について 1
1 チベット仏教とダライ・ラマ法皇
チベット仏教には四大宗派(ニンマ派・サキャ派・カギュー派・ゲルク派)があり、ダライ・ラマ法皇はゲルク派の出身ですが、一宗派の最高指導者ではありません。
日本における民俗宗教である神道(国家神道となる明治より前のもの)に似たボン教もありますが、法皇は、そうした宗教すべての最高指導者であり、同時に政治面でもトップに位置します。
2 インドからそのままチベットへ入った仏教の歴史
(1)前伝期
唐の時代にあったトバン王国がチベットの前身です。
ソンツェン・ガムポ王は、国力を充実させ、強い軍隊を持ちました。
唐が最も盛んな時代、圧倒的に人口の多い唐軍と戦って一歩も引かず、唐へ行けば、席はいつも最上位でした。
チベットに仏教を導入し仏教国と定めた偉大な三人を特別に法皇と呼んでいます。
ソンツェン・ガムポ王(581〜649)、ティソン・デツェン王(742〜797)、ティ・レルパチェン王(806〜841)です。
ソンツェン・ガムポ王は観自在菩薩の化身とされ、マンダラ上では蓮華部のみ仏を統括し、身・口・意においては口のはたらきである口密(クミツ)を司り、慈悲の徳を象徴する方です。
ティソン・デツェン王は文殊菩薩の化身とされ、マンダラ上では仏部のみ仏を統括し、身・口・意においては身体のはたらきである身密(シンミツ)を司り、智慧の徳を象徴する方です。
ティ・レルパチェン王は金剛手(コンゴウシュ)菩薩の化身とされ、マンダラ上では金剛部のみ仏を統括し、身・口・意においては意識のはたらきである意密(イミツ)を司り、救済力の徳を象徴する方です。
ちべっと仏教の中心となるみ仏は国の本尊とされる四臂(シヒ…手が4本あります)観自在菩薩であり、十一面観音や千手観音は特別に変化した姿です。
観自在菩薩の象徴が猿であり、チベット人の祖先は、猿と強力な救済力を持つターラー神(羅刹女…ラセツニョ)から生まれたと信じられています。
チベットでは、大きな救済力を発揮するものとしてターラー神二十一尊の経典が重要なものとなっています。
肉体は滅びても心相続(シンソウゾク)は、前世・今世・来世を貫いて連綿と続き、三人の王は業と煩悩によらずして輪廻転生した偉大なる存在です。
観世音菩薩は凡夫には生まれ変わりません。
首府ラサにあるジョカン寺がチベット仏教全体の総本山であり、ソンツェン・ガムポ王の妃となった唐の玄宗皇帝の娘文成公主が持参した釈迦牟尼像が本尊です。
この時代に仏典を学ぶことを目的としてチベット語が創られました。
チベット・ビルマ語族は、日本語にとても近いものです。
ちなみに、仏典を残したサンスクリット語はインド・ヨーロッパ語族です。


