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2016
12.06

村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─

2016-12-06-0001.jpg

 アンデルセンの短編小説『』を読んだ。
 が主人になり、主人から独立したが幸福を得る一方で、の出生を知る主人は殺されてしまう。
 村上春樹氏は、アンデルセン文学賞の受賞スピーチ「と生きる」で、「暗く、希望のないファンタジー」と言っている。

 氏は、小説を書く過程について述べる。

「僕が小説を書くとき、筋を練ることはしません。
 いつも書くときの出発点は、思い浮かぶ、ひとつのシーンやアイデアです。
 そして書きながら、そのシーンやアイデアを、それ自身が持つ和音でもって展開させるのです。

 言い換えると、僕の頭を使うのではなく、書くプロセスにおいて手を動かすことによって、僕は考える。
 こうすることで、僕の意識にあることよりも、僕の無意識にあることを重んじます。

 だから僕が小説を書くとき、僕に話の次の展開はわかりません。
 どのように終わるのかもわかりません。
 書きながら、次の展開を目撃するのです。」


 氏の言う「シーンやアイデア」は、無意識として隠れている世界へ入る扉だろう。
 私たちも、何年経とうと鮮やかな光景や、繰り返し問いかける問題を溜め込む。
 多くはそのまま忘却されてしまうが、数十年後にようやく、ゆっくりと扉が開くものもある。
 氏は書くプロとして扉を開く。

「『』を読んだとき、アンデルセンも何かを『発見』するために書いたのではないかという第一印象を持ちました。
 また、彼が最初、この話がどのように終わるかアイデアを持っていたとは思いません。

 あなたの影があなたを離れていくというイメージを持っていて、この話を書く出発点として使い、そしてどう展開するかわからないまま書いたような気がします。」

僕自身は小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。
 それは僕自身の影に違いない。


 そこで僕に必要とされるのは、この影をできるだけ正確に、正直に描くことです。
 影から逃げることなく。
 論理的に分析することなく。そうではなくて、僕自身の一部としてそれを受け入れる。

 でも、それは影の力に屈することではない。
 人としてのアイデンティティを失うことなく、影を受け入れ、自分の一部の何かのように、内部に取り込まなければならない。

 読み手とともに、この過程を経験する。
 そしてこの感覚を彼らと共有する。
 これが小説家にとって決定的に重要な役割です。


 無意識の世界に在る者が「影」である。
 私たちは、自分が意識し、考える内容だけで動き、生きているのではない。
 思考と行動の多くが無意識に衝き動かされて起こり、時として、それは、表面の意識とぶつかりもする。
 そうした全体が自分というものなので、自分を知り、世界を知り、人間として過たずに生きて行くには、そして他者の不幸の原因をつくらないためには全体像を観る力が必要である。
 この力を磨く読書において、小説が持つ役割は大きい。

アンデルセンが生きた19世紀、そして僕たちの自身の21世紀、必要なときに、僕たちは自身の影と対峙し、対決し、ときには協力すらしなければならない。

 それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。
 もちろん、たやすいことではありません。
 ときには危険もある。
 しかし、避けていたのでは、人々は真に成長し、成熟することはできない。
 最悪の場合、小説『影』の学者のように自身の影に破壊されて終わるでしょう。

 自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。
 社会や国にも必要な行為です。
 ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。

 明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。
 ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。

 ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。
 あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。
 というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。」


 世界は「影と対峙し、対決」する時代に突入しているのではなかろうか?
 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、麻薬撲滅の旗を掲げ、人権無視の殺戮を容認した。
 確かに犯罪者は減るだろうが、その一方で、どさくさ紛れに、自分にとって都合の悪い人間を殺す非道な殺人事件がどれだけ起こっているかわからない。
 これまで軍事行動を共にしてきたアメリカの大統領を「地獄に堕ちろ!」などと罵ることは常軌を逸している。
 アメリカの時期大統領トランプ氏の言動も異様だ。
 イスラム教徒やメキシコ人を嫌い、犯罪者として閉め出そうとしている。
 アメリカにいる白人そのものが移民であり、原住民を圧殺した人々なのに、後から来た移民を差別・軽蔑し、忌避するのはおかしい。

 両者共、「もう嫌だ!」と感じている人々の情念を煽り、地道な努力無しには実現され得ない共生や融和といった価値を無視するかのようだ。
 共生や融和の根拠となっている人権や自由や平等などの理念は吹き飛ばされそうになっている。

「影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。
 影をつくらない光は本物の光ではありません。」


 グローバリズム一辺倒の資本主義は、「これさえやっていれば大丈夫」と原理主義的に世界を席巻してきた。
 一部の人々が太陽のように富と力を得る一方、抑圧される人々の影もまた深く濃くなってきたにもかかわらず、無視されてきた。
 ドゥテルテ大統領やトランプ氏の登場は、「影」からの逆襲を意味しているのかも知れない。
 

自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。
 そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。
 ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。

 そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。
『帰ってきたよ』とささやくでしょう。

 傑出した小説は多くのことを教えてくれます。
 時代や文化を超える教訓です。」

 
 私たちに必要なのは、「自らの影とともに生きることを辛抱強く学」ぶことではなかろうか?
 さもないと、強大になり、コントロールから離れた影は、小説で主人公を殺したように、世界を破滅させるかも知れない。
 ほどほどの光と穏やかな影との共生を求めるならば、指導者も私たちも叡智包容力を持たねばならないと思う。




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2016
11.30

「みやぎシルバーネット」20周年おめでとうございます ─無私の編集長につながる方々─

2016-11-30-0001.jpg

 「みやぎシルバーネット」さんの創刊20周年祝賀会へ参加させていただきました。
 モノクロの第一号、長年の投稿者、支えた方々、愛読者間の楽しい交流など、文字どおり20年にわたる歴史を振り返る構成で、千葉雅俊編集長渾身のイベントでした。
 誰もが、ありのままの気持を詠み、それが作品を通じて誰かに伝わり、温かな思いの行き交いが生じる川柳の投稿欄は、柱とも言うべきものに育ちました。
 河出書房新社が発行する「シルバー川柳」シリーズへ投稿したいという人は今や、全国へ広がり、毎日、数通づつ東京の編集部へ届くという勢いです。

 会の冒頭近く、編集長が紹介した方のケースは特に、川柳が持つ力を示して余りあるものでした。
 毎月、さりげなく日常を描いて投稿するAさんは、お人柄と生活ぶりをいろいろと想像させました。
 それが、病気や死後の準備などへと内容が移り、心配していたところ投稿が途絶え、ご家族からご逝去の知らせが届きました。
 後日、あるところで、Aさんを見送った医師の文章を目にしました。
 そこには、病床でも紙とペンを離さず、とうとうそれを置かねばならなくなったAさんの目から涙がこぼれ、数日後に息を引き取ったという様子が描かれていたそうです。

 太平洋戦争から帰還した方の長文を連載したり、特殊詐欺に対抗する県警の防犯欄を設けたりして、独自の姿勢を貫いても来ました。
 そうした20年を貫いているのは、よりお年寄りに近づきたいという千葉編集長の純粋な思いではないかと感じました。
 「寄り添う」「思いやる」などと言葉にするのは簡単ですが、それが内実を伴った真実の心や行動になることは、決して容易ではありません。
 個人主義の空気で生きている私たちはどうしても、他者との間に何らかの隙間を求めがちです。
 そうして〈自分〉を確保しておかないと落ちつかないのかも知れません。
 しかし、千葉編集長にはそうした無用の〈用心〉めいたものが感じられず、そこが、年配者をはじめ、たくさんの人々に信頼感や安心感や温もり感を与え、20年にわたる膨大な魂の交流が積み上がって来たのではないでしょうか?
 小生も同じ感じを抱いて謦咳(ケイガイ)に接している一人であり、本当の「無私」とはこういうものではなかろうか、と感心してきました。

 会の後半、小生も先輩方に続いて壇上へ呼ばれ、「終括」と「戒名」についてマイクを向けられました。
 いつものように、〝どうか、おわかりいただきたい〟と必死になって聴衆の方々へ語りかけて時間を費やし、ついに「おめでとうございます」の言葉を発することなく降壇してしまいました。
 緞帳(ドンチョウ)の裏手に回りながら、情けなく、申しわけなくてたまりません。
 お詫びや感謝の気持をお伝えする機会もないまま、懇親会の会場へ向かいました。

 歌や踊りに賑わう会場で、数名の方々から「お寺よろず相談」の欄を読んで勉強になっています、などと声をかけられ、皆さんのためにも、千葉編集長のためにも、仏教のためにも役割を果たしているという実感に嬉しくなりました。
 自分の最期を託したい、と具体的におっしゃる方々もおられ、感激の時間でした。
 初対面の小生へ深い信頼をお寄せくださったBさんが唄われた「新相馬節」は、もうすぐ100才になる小生の父(福島県出身)がかつて、祝いの席で必ず唄った懐かしい民謡です。
 ゆったりと声を出すお姿がほとんど寝たきりになった父の若い日の姿と重なり、涙をもよおしました。

 千葉編集長は、祝賀会でパソコンとスクリーンを駆使しながら壇上に出ずっぱり、懇親会でもほとんど飲まず食わずのまま、写真を撮り、会話を交わし、まさに奮闘しておられます。
 自分の祝賀会というよりも、支えてくださったご縁の方々のための会にしようという姿に、あらためて頭の下がる思いでした。
 皆さんの「ありがとう」「これからもずっと」という心からの感謝と希望に圧倒されつつ、帰山しました。
 もちろん、小生も同じ思いです。
 諸行無常が真理であると共に、よき願望に生きるのも真実です。
 千葉編集長から求められる間は執筆し続けたいと念じながら床に就きました。

 「みやぎシルバーネット」さんのご隆盛と、読者・投稿者の皆さんのご多幸を祈っております。
 



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2016
11.28

弱りつつある日本の子供、これからの日本 ─子供たちに広がる運動器症候群の危機─

2016-11-11-0302.jpg

 11月7日付の産経新聞は、一面トップでロコモ運動器症候群)が子供たちに広がっているという事実を報じた。
 子供たちの心身が脆くなってきていることにうすうす気づいてはいたが、統計には驚かされた。

ロコモは体を動かすのに必要な関節や骨、筋肉など『運動器』が機能不全を起こした状態で、骨折や捻挫を誘発する。
 関節が衰えてこわばり十分に曲げられなくなるため、力を入れると耐えきれず折れてしまう。
 加齢や運動不足が原因とされ、高齢者に多い。

 だが、近年は子供たちの間で増えている。
 幼い体が『老化』しているのだ。

 文部科学省の委託を受けた埼玉県医師会が平成22~25年、県内の幼稚園から中学生までの子供1343人に運動器の検診を行った結果、約40%に機能不全の兆候がみられた。
 3人に1人以上に、ロコモの疑いがあるということだ。」


 加齢と共に弱って生ずるロコモティブシンドロームが、幼い体を蝕んでいるとは……。
 わずかな段差で転んだり、しゃがんで用を足しにくかったりするのは年配者の宿命だったはずだが、子供のうちからそうした身体ならば、彼らはいったいどういう大人になるのだろう。

「ニッセイ基礎研究所の村松容子主任研究員が学校での骨折発生率を算出したところ、昭和45年には0・64%だったが、平成23年には1・60%に増えた。」

「『体力は国力の基盤』。
 1960年代、ケネディ米大統領はこんな趣旨の言葉を残した。
 テレビや自動車の普及で子供の体力が急低下。
 学校での運動強化を『国家戦略』に位置づけた。
 今の日本の姿が重なる。
 スポーツ庁幹部は語る。
『地域や学校で運動の機会を増やすことが重要だ』」


 千葉県船橋市は、子供たちの体力向上をめざして公園でのボール遊びを試験的に解禁し、そうした動きは広がりつつあるという。

 子供たちの異変はさらに報告されている。

「『トイレットペーパーがうまく切れない』(東京都の区立小教諭)
『液状のりの容器を押す力加減が分からず、噴出させる』(横浜市立小教諭)
『握力が弱く鉄棒がにぎれない』(幼児教室教員)」

「全国国公立幼稚園・こども園長会が昨年、665人の教員を対象に実施した調査では、76%の教員が『教え子がひもを結べない』と回答。
『箸を正しく持って使えない』も66%だった。」


 ここまでくるともはや信じがたいといったレベルである。
 しかも、力が弱っているためにHBの鉛筆では、はっきり書けないので、2Bなどが喜ばれ、消しゴムもまた、あまり力を入れずに消せるタイプが売れており、「過保護マーケット」と揶揄されている。

「NPO法人、子どもの生活科学研究会の実技調査(30~44歳の男女338人対象)によると、30~34歳で鉛筆を正しく持ち使える人は26%に留まる。
 35~39歳、40~44歳でもほぼ同じ割合で、子供のモデルとなれる親は4人に1人だ。

 同研究会代表の谷田貝(やたがい)公昭・目白大名誉教授(保育学)は語る。
周囲の大人の教える力も衰えている。子供が自立して生きられるようにするため、今、その責任が問われている』」


 教授の言う「大人」とは誰か?
 消え去りつつある団塊の世代も含まれるのではないか?
 事実、70才になる小生は、自分たちの世代が、父親や叔父たちの世代が持つ心身の頑健さを失いつつあると実感してきた。
 昭和の末期、評論家村松剛は「豊かな社会の相続人たち-自前の精神を先人の足跡に学ぶ-」を書いた。
 あらためて読んでみたいと思う。
 段階の世代は何をやってきたのか、最後にやるべきことは何か、遺すべきものは何か?

 いずれにしても、ケネディの時代とは違う。
 明治の日本が富国強兵を進めたように、子供たちを強く逞しく育て、人口も増やして世界に冠たる日本にしようなどというイメージはもう、持つべきでなかろう。
 格差の拡大と地球の温暖化という人類最大の問題を引き起こしたグローバリゼーションの行きづまりは明白だ。
 このまま進めば、AIを駆使し自由貿易を正義とする一握りの資本家が富の寡占を進め、ついには、生身の人間によるAIシステムの破壊といった致命的な暴動すら起こり得るだろう。
 グローバリゼーションという〈原理〉を調整する叡智、人類の視点に立った新たな思想が求められている。

 たとえば、デンマークの納税者負担は58~72パーセントに上っているが、暴動は起きず、デンマークは世界有数の〈住みやすい国〉とされている。
 デンマークの人々は、自尊心をかけてたくさんお税金を払っているのだ。
 タックスヘイブン(租税回避地)を探して血眼になる者たちだけが人類の代表者ではない。
 世界最小のミクロヒメカメレオンは、小さな島という環境に自分の背丈を合わせて小型化し、生き延びてきたという。
 人類もそろそろ、〈分〉を知ってよい段階ではなかろうか。




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2016
11.16

「東ロボくん」の限界と中学生の現状

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〈四国の霊場で出会ったお地蔵様〉

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 11月半ば、新聞やテレビなどのマスコミは、人工知能(AI)「東ロボくん」が東大合格を断念したと報じた。
 理由は、問題文などの意味を理解する能力に限界があるからだという。
 複数の文章を組み合わせると、一つ一つの短い文章は分析できても、それぞれの文章の意図や関係、あるいは全体の文脈を理解できない。
 プロジェクトリーダーの新井紀子・国立情報学研究所教授は明かした。

東ロボくんは、そもそも意味を理解して問題を解いているわけではない。
 そこに限界がある。」


 ここに重要な問題がある。
 ロボットは、問題文から答を導き出しても、それは問題文を〈理解〉した上で、問題文の意味する内容に〈ふさわしい〉答を見つけているのではない。
 単語あるいは組み合わせられた単語とつながる確立の高い単語を自動的に選び、自動的に組み合わせるだけなのだろう。
 
 たとえば、「秋が来た」「セーターが欲しい」という二つの文章がある場合、秋らしいセーターを持っていないからなのか、それとも寒いからなのか、といった心中の動きについては、前後の文章を分析しても解を見つけられないのだろう。
 生きた人間同士の会話なら、こうなろうか。
 男が言う。
「秋になったね」
 女が言う。
「セーターが欲しいわ」
 男にはさまざまな考えが起こりうる。
〝彼女は私とのデートで着る秋用のセーターもないほど貧しいのか〟
〝もしかして、この女は、モノカネが目当てで俺とつきあっているのではなかろうか〟
〝この娘はやっと、僕に甘える気持になってくれたらしい〟
〝セーターが欲しいほど寒いと言う先には、肉体関係を許してもよいという気持があるのかも知れない〟
 こうした判断を誤らなければ、二人の関係は妥当な結末へと進むだろう。
 もしも、女の言葉が男の反応を考えない不用意なものだったり、男の判断がトンチンカンだったりすれば、残念な結果が待っているだろう。

 情緒を含んだ理解と判断ができないロボットは、人間と心を通い合わせ、人間に代わってつき合うことはできない。
 もしも人間がロボットに愛着を感じるならば、それは人間の側からの一方的な気持でしかない。
 ロボットは、具体的な要求への対応としていつも変わらぬ反応を示し、決して裏切らないだろうが、それは変わらぬ思いやりを示しているわけではない。

 ロボット読解力を研究する過程で、恐ろしい事実も判明した。
 新井教授らが中学生読解力を調べたところ、約5割が教科書の内容を読み取れないだけでなく、約2割に至っては基礎的・表層的な読解すらできていないという。
 この指摘は恐ろしい。

中学生の多くは単にキーワードを拾って読んでいる。」


 これではロボットと同じではないか。
 もしも〈それだけの人間〉になったなら、ロボットに敵わない。
 それは、情緒や、他者の思いに対する感応力が鈍り、心が深まらず、ひいては人間性が貧しくなる道に違いない。

 人間が人間であるためには、読書が必要であると思う。
 それも、キーワードをつなぐノウハウものではない読書である。
 他者の多様な思考や感情に触れ、自分の思考や感情を豊かに養えば、人間はケダモノでなく、ロボットでなく、人間として生きられる。
 多様な自然と生きものの世界、多様な人間社会にあって、多様性に感応できる柔軟な姿勢を育て、人間らしい人間として向上しつつ生きられる。
 中学生諸君には、まっとうな本を読んで欲しいと願ってやまない。
 小学生から英語を教え、そろばん勘定の体験をさせる前に、やらねばならぬ重大なことがあると思う。
 読書の習慣づけである。




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2016
11.13

先進国の贅沢と世界的格差の罪 ─鬼子母神に学びたい─

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〈冬の四国霊場で桜に出会うとは〉

 11月12日付の河北新報は、「世界が日本と同じ暮らしをしたら」と題し、世界自然保護基金WWF)の調査結果を掲載した。
 以下、抜粋である。

「世界中の人が日本人と同じような暮らしをした場合、地球全体で必要になる食料や水、木材など自然資源の量は、地球が安定的に供給できる量の2・9倍になってしまうとの報告書を、世界自然保護基金WWF)が11日までに発表した。」

「各国の消費データを専門家チームが分析。
 現状でも安定供給できる量の1・6倍の資源が世界全体で消費されており、中国やインドといった新興国が経済成長して先進国並みの暮らしをする人が増えると、状況がさらに深刻化する恐れがある。」

「発展途上国の人々が貧困に苦しむ一方、日本などの先進国で資源の大量消費が続いていることを改めて示す結果だ。
 WWFは『危機的な自然環境を回復させるため、過剰な消費を減らして、環境に配慮した製品を選ぶべきだ』と訴えている。」


 ちょうどこの日、当山の寺子屋「法楽館」では、ダラムサラにおけるダライ・ラマ法王の日常生活に密着した映画『サンライズ・サンセット』を観た。
 ロシア人のドキュメンタリー映像作家マンスキー氏の作品は瞑想と講演を日常とする聖者の生活を活写していた。
 氏が帰国する車中で法王の話を回想する場面は忘れられない。
 以下は法王の言葉である。

「問題は貧富の格差にある。
 一般的にみて、北半球の人々はあり余る製品を作り、余剰分を輸出して利益を得ている。
 一方、南半球にあるアフリカや中南米やアジアの多くの国々は、貧しく、飢えに苦しむ地域さえある。
 同じ地球に生きていながらひどい話だ。
 片方では物があふれてぜいたくを楽しみ、他方では同じ人間が、同じ社会で人権を持ちながら飢えている。
 実に不公平だ。
 米国では億万長者が増えているが、貧しい者は以前にも増して貧しい。」

「貧しい者は富む者を横目で見ながら、不満と溜めこんでいる。
 その不満が募れば怒りになり、怒りが募れば暴力に、やがて共同体全体が不安に包まれる。
 このように、国家間や地域の紛争も、もとを糺せば貧富の格差に行きつく。
 それだけ、格差問題は重大なのだ。
 このまま貧富の差を放っておけば、深刻な事態を招くだろう。


 この映画は8年前に制作されたものが、すでに世界は「深刻な事態」に陥っている。
 南半球にある国々では、戦乱の絶えない状態が続き、覇権と資源を狙う北半球の国々が絶え間なく軍隊を送り込んでいる。
 そして、ついには、南半球から逃げ出そうとする人々を北半球へ受け入れず、封じ込めようという動きが強まってきた。
 ヨーロッパでは、イギリスがEUからの離脱を選び、アメリカでは人種差別的発言を続けるトランプ氏が大統領に選ばれた。
 ガラス細工をつくるように、叡智と忍耐と連帯の力で築き上げてきた普遍的価値が、いとも簡単に脇へ置かれ、目先の不満を解消したいという追いつめられた多数者の意思がマグマとなって噴き出した。
 日本も例外ではなく、他国で戦争をしないという国是が無視され、マイケル・マクエイ・ルエス情報相が「7月に政府軍とPKO部隊との間で交戦があった」と明言しているスーダンで、自衛隊をさらに前線へ出そうとしている。
 
 私たちは、世界のありように目をつぶってはいないか?
 私たちは、世界的悲劇を解決することなど、考えていないのではないか?
 虐げれた人々が暮らす地球の裏側にある戦争は決して他人ごとでなく、私たちの子や孫を巻き込もうとしているのに……。
 生活、進学、就職、収入、医療、あらゆる面で進みつつある格差の拡大を直視し、この不公正が世界的規模で広がり、紛争や戦争の根本原因となっていることを理解し、考え、行動せねばならないのではないか? 
 WWFの指摘を続けよう。

「チームが2012年の国民1人当たりの環境負荷を指標化したところ、米国とカナダが安定供給量の4・8倍を消費。
 ドイツとフランスは3倍ほどで、2・9倍の日本は先進7カ国で5番目に多かった。」

「日本は特に食生活に伴う負荷が全体の26%を占め、食品の大量消費が浮き彫りになった。
 自動車や飛行機など二酸化炭素(CO2)を排出する交通分野も32%と多くの資源を使っていた。」

「また哺乳類や鳥類、魚類など3700種以上の個体数の変化を調査すると、1970年以降の42年間で58%減ったことが判明。
 生息地が失われたのが最大の要因で、地球温暖化や外来生物の影響もあるが、人間活動の拡大が背景にあるという。」


 先進国では、富む者は栄養を摂りすぎてダイエットに励む一方、雇用される者は、はらたきすぎるために成人病で苦しむ。
 地球を破滅へと向かわせながら、これほどまでに〈求める〉必要があるのだろうか?
 もしも、多くの人々がそうせざるを得ないと言うならば、それは富の絶対量が足りないのではなく、社会的配分が不公正だからだ。
 人間以外の血を持った生きものたちが、たった半世紀足らずで約6割も減ったとは、あまりにも恐ろしい現実だ。
 もはや、私たちは、タコが自分の足を食うなどというイメージよりも、鬼子母神の逸話を考えるべきだろう。

 ハーリティーは、美しい女神で500人の子供たちを大切に育てていた。
 しかし、彼女が食べるのは他人の子供だ。
 我が子を食われて嘆き悲しむ人々はお釈迦様へ相談した。
 お釈迦様はただちに彼女の末っ子を1人、隠した。
 気も狂わんばかりになった彼女はついにお釈迦様のもとへ駆け込んだ。
 お釈迦様は、「500人のうちたった1人を失っただけでそれほど悲しいのなら、お前に子供を食われた人々の悲しみはいくばかりか」と説かれ、心を入れ替えた彼女は、あらゆる子供たちを母親のように守る鬼子母神となった。

 私たちは、自分の子や孫が病気になれば、自分のいのちと取り替えてでも救いたいと願う。
 それと同じように、世界中で、飢餓や病気や戦争によって〈我が子や孫〉たちが時々刻々と失われている。
 それは、世界にモノが不足しているからではなく、世界中のモノが偏在しているからだ。
 格差という名の偏在を解消する智慧がなければ、私たち人類は、いきものたちと人間への殺生(セッショウ)という罪の報いを、滅亡によって受けねばならないだろう。
 滅亡など、あっという間に起こって何の不思議もない。
 紛争が戦争に進み核兵器が動けば、もはや、敵も味方もなく放射性物質の餌食となり果てる。
 格差の拡大、核兵器と核発電の存在、そして調整されない人口の爆発は、その現実性を日々、高めている。
 このままでよいという根拠はあろうか?
 



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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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