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2009
12.10

寺子屋のカリキュラム

 12月12日に開講する寺子屋法楽舘』のカリキュラムです。

1 挨拶 「寺子屋開講の目的について」
2 講話 「仏法の根本について ─生活と仏法─」
3 質疑応答
4 隠形流(オンギョウリュウ)居合の試技・体験(体験は希望者のみです)

○1ヶ月に1回づつ行い、12回で完結する予定です。
○途中から参加したり途中で抜けたりしても全体が解るように、資料などを用意し、説明します。
○一方的な話ばかりでなく、途中で質疑応答を交えながら、和やかにやりましょう。
○ビデオ鑑賞や、各界の専門家をゲストとして招いての講演や演奏会なども予定しています。
○今後の進め方についてのご意見をお聴きします。
○当山の檀家や信徒になることを強制したり、つきまとったりすることはありませんので、ご安心ください。
※大人の方だけでも参加できます。

〈「ウサギ野仙哉」君は、兎野にある当山のイメージキャラクターです〉
211210.jpg



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.08

無学と有学

 無学と聞けば「さっぱり学んでいない」という良からぬイメージが思い浮かびます。
 しかし、仏法では、もう学ぶ必要がないほどよく解った行者、言い換えれば悟った人を無学といいます。
 反対語は有学(ウガク)で、これから学ばなければならないことが山ほどある人です。

 似たような言葉で、他縁無縁があります。
 他縁とは、自分だけの安心や悟りを求めるだけではなく、他を見捨てられず、縁に応じて慈悲心をはたらかせることで、そのようにして菩薩を目ざす教えを他縁乗(タエンジョウ)といいます。
 これが、皆共に救われようとする大乗仏教の心です。

 それに対する言葉としての無縁とは、縁を持たない状態、縁に関わりのない状態です。
 では無慈悲なのかといえばそうではなく、他を縁としない、つまり、目的・対象を定めずとも常に慈悲心に満ちている状態を指します。
 慈悲心そのものになり切っている無縁乗(ムエンジョウ)は即身成仏(ソクシンジョウブツ)です。

 身近な例を挙げれば、先生や親から「勉強しなさい」と迫られるから勉強をするのは他縁による勉強で、自分から勉強したくてウズウズするようになれば無縁による勉強です。
 もちろん、どちらであっても勉強をほったらかしにするよりも良いのですが、勉学がより深まり、より血肉になるのがどちらであるかは明らかですね。

 勉強するよりも遊んでいた方が楽しい、自分はその方が良いと考えて我欲を追求するのは第一段階。
 勉強しないといろいろあるからやるというのは第二段階。
 勉強しないと後で困るから自分のためにやるというのは第三段階。
 勉強し、成長しないと自分を磨けず、せっかくいただいたいのちを充分に活かし、自分を生かしてくれている天地万物の恩に応えられないからと勉強するのは第四段階。
 勉強していると何もかも忘れる、学んだことが身につく確かな手応えが嬉しく、ただただ励むとなれば第五段階でしょうか。
 寺子屋では、子供たちにも親御さんにもこうした考え方を知っていただきたいものです。

 有学無学他縁無縁といった教えは、仕事などあらゆる場面について当てはまります。
 どうせ仕事をするのならいかなる心構えで行えば就労時間が生きたものになるかは明らかです。
 こうした観点からすると、日本人の「なりわい」という感覚には「役割をまっとうする」、「自分を捧げ尽くす」という清々しさが伴っていることに気づきます。
 日本人には、契約や権利や金銭換算といった次元ではないところに立てる心ばえがあります。
 いろいろ考えてみたいものです。


「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなた様にとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.02

寺子屋『法楽舘』の開始

「どうして寺子屋を復活させるのですか?」とのご質問が多く寄せられています。
 そもそも、日本中を覆う慨嘆「日本は、どうしてこれほど荒んだ世の中になったのだろう」への答は何でしょうか?
 
 一つは、自由という理念の暴走でしょう。
「人がそれぞれ自由に競争しながら欲しいものを求めれば、社会は良い方向へ進歩する」という考え方を金科玉条にし、「人は気ままになるとロクなことをしないから、人としての戒めを身につけながら生きねばならない」という経験則をないがしろにし過ぎたのです。
 釈尊がもっとも戒めた放縦・放逸をそのまま認めるならば、我欲が強く自己中心的になり、人倫が廃れるのは当然です。
神社仏閣の数はコンビニより多いのに、「日本ほど教育や日常生活から宗教が敬遠されている国はない」と世界から見られる事情がよく解ります。
 
 もう一つは、戦争に負けたために、日本人本来の気風や生活ぶりに必ずしもそぐわぬ戦勝国のやり方だけがすべて正しいと考え、ご先祖様方の生き死にによる数千年の歴史が培った心の宝ものをおきざりにしたことです。
 最近、草食系男子という言葉が流行っていますが、数千年の単位に渡って米を大切にしてきた文化がつくった私たちの心身の色合いは、わずか数十年で急に変えられるものではなく、本来の自然な姿を求めるようになってきたのは当然です。
 確かなものは過去にしかありません。
 過去という土台があって初めて、未だ到来していない未来へジャンプできます。
 いかなる最先端の技術も、それまでの蓄積があればこそ研究・開発・利用法の発見が可能となるのであり、過去を真っ白にすることは、確かな未来を奪うことと同義です。
 そもそも、たかだか百年しか生きない人間が、今の自分の考えだけでもっとも良い生き方ができ、世の中をもっとも良くできるなどと考えるのは錯覚であり、奢りです。
「こんな自分でも、先人の足跡によく学びながら、まっとうに生きたい」
「こんな自分でも、先人の足跡によく学びながら、夢をかなえたい」
「こんな自分でも、先人の足跡によく学びながら、たとえわずかでも世の中の役に立ちたい」
 奢りを離れ、こうした姿勢を忘れないで生きたいものです。
 本当に良き未来は、ここから開けるのではないでしょうか。

 慨嘆への答は、「自由と抑制のバランスを喪失し、先人の培った歴史をないがしろにしたから」となりましょう。
 釈尊は、智慧によって欲を正しくコントロールし、慈悲によって欲を正しく活かす道を説かれました。
 日本における仏法は、ご先祖様方が磨き上げ残してくださった宝ものであり、文化の彩りを下地として支えています。
 自由を大切にしようという考え方は、世代を問わずこれまでに充分、行き渡りました。今度は、欲を正しくコントロールし、歴史の結晶に学ぶ必要があります。
 寺子屋法楽舘』での体験が子供たちの霊性を揺り動かし、親御さん方にも教育やしつけのヒントを得ていただき、家庭と学校では手の届きにくい部分を埋める一助となれれば本望です。


「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなた様にとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
11.29

いじめ

 いじめに遭い、学校へ行けなくなっているAさんが人生相談に来ました。
 寺子屋は実質的に、もう、始まっています。

 唯々諾々と女王様Bさんに従わない独立系のAさんは、目の敵です。
 
 Aさんは事態を明確に認識しています。

 1 Bさんは簡単に変わらない。
 2 先生などがいろいろやってくれても、いじめはなくならない。
 3 卒業できないと、自分も親も困る。
 4 学校は、卒業できるように取りはからってくれている。

 だから、自分がもう少し強くなって登校したいと願っています。
 質問しました。
「Aさんは、自分がされたように誰かをいじめたいと思いますか?」
「いいえ、こんな思いは自分以外、絶対に味わって欲しくありません。
 でも、同じような酷い目に遭っている子がいるんです……。」
 まっすぐにこちらを見て答える目には力があり、普通の良い子には少ないであろうふてぶてしさがあり、頼もしい。
 自分をストレートにぶつけてくる姿勢もたくましい。
 こういう子に下手な説教は要りません。
 もう、〈解っている〉からです。

 反対に質問されました。
「何でも他人のせいにしていながら、自分を目立たせようとして、いろいろやる子がいます。
 何でも自分が悪いと考えて、自分を虐める子がいます。
 どちらが良いと思いますか?」
 答えました。
「どうして自分はこんなに愚かなんだろうという気づきはとても大切です。
 自分の甘さから事業に失敗して無一文になった私などは、み仏から、そういう気づきをとても厳しい形でお与えいただいたのだろうと考えています。
 〈こんな自分〉と、自分への視線を忘れずにやっているうちに、こんな自分でもこんなことができるんだという感激、感謝のできごとが起こるものです。
 この感謝の積み重ねが、だんだんに、しっかり歩む足腰を作ってくれます。
 『まず、得よう』とするのは感謝体験に遠い道です。
 乗り物の座席を譲ったり、ゴミを拾ったり、落書きを消したり、何でも良いから『見返りを求めずに誰かのためになることをやる』のが、感謝体験への近道です。
 これが布施行です。
 反対のようですが、反対ではありません。
 そのうちに、自分を虐めている子も誘って、テント暮らしをしている大変な方々へそっとおにぎりをお配りしにでかけますか?
 他人のせいにして自分をかばう子は、親が甘やかし過ぎたか、厳しすぎたかのどちらかによるもので、この因縁を解くのは大変ですが、その早い遅いは本人の自覚次第です」
 
 いろいろ話し合い、最後にこう言いました。
いじめをやる子は、可哀想な人です。
 他人を苦しめるという因縁が、必ず自分に悪い結果をもたらすからです。
 それは、流されている川が滝壺に向かっていることも知らず、気に入らない人を船から追い出しながら仲間だけで船遊びをしているようなものです。
 だんだん大人になってゆくうちに、今のやり方が通じなくなり、気づいた時は周囲に信頼できる人は誰もおらず、認めてくれる人もいなくなるのです。
 未来に待っているこうした破滅を知らずに、いい気分になっているなんて、可哀想だと思いませんか。
 Bさんを憎む気持はそう簡単になくならないでしょうが『この人は可哀想な人なんだ』という視点も持てれば、Aさんの心は必ず変わります。
 Bさんを見下したり、卑下したりするのではありません。
 大事なのは、心から可哀想だと観られるかどうかです。
 そして、その〈可哀想〉は、多かれ少なかれ皆に共通したものであることを感じられるようになれば、Aさんは、最高の形でこの問題から卒業できるでしょう」 
「はいっ、考え方が変わりました!」

 当山は、足を運んだ方が何か一つでも〈み仏からのおみやげ〉をお持ち帰りいただければと願いながら、法務を行っています。
 今日は、反対に、Aさんからとても嬉しいプレゼントをいただいたような気分です。
 Aさん、ありがとうございました!



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2009
11.15

故夢慧氏の追討DVDコンサートを行いました

 11月14日、午後2時k10月11日に逝去された夢慧氏の追討DVDコンサートを行いました。
 鑑賞したのは最期の作品となったアルバム「聖山を行く」です。
 万葉集の中から花・恋・抒情・里をテーマにした作品に曲をつけました。
 画像は高野山・熊野・吉野・四国の仏像と風景です。

 最初の曲「橘」は合掌瞑目して聞きました。
「ほととぎす 花橘の 枝に居て
 鳴き響(トヨ)もせば 花は散りつつ
 風に散る 花橘を 袖に受けて
 君がみあとと 偲びつるかも
 あしひきの 山橘の 色に出でよ
 語らひ継ぎて 逢うこともあらむ」
(橘の枝にいて盛んに鳴くほととぎすの声へ合わせるかのように、橘の花が散ってゆく。
 風に散る花を袖に受けて、もう会えない君を偲ぶきっかけにしようか。
 山橘の鮮やかな赤色のように思いを表面に出そうか。
 そうすれば話題が広まり、逢う機会ができるかも知れない)

 全10曲の最後は写真家櫻井恵武氏の作詩による「うつりゆくまま」です。
 そして、平成20年6月29日に新橋ヤクルトホールで行われた「第三回 夢慧 日本を謳う」から冒頭の3曲を鑑賞しました。
 当時64歳でおられたとはとても思えない精気に満ちた演奏で、4月26日に当山で行ってくださった「 夢慧 抒情歌を唄う ━寺子屋チャリティコンサート━」のシーンがダブって見えました。
 逝去後数日して奥さんから「法楽寺で唄えなくて残念です」との故人の言葉をお聞かせいただいたことを思い出し、12月12日に(土)開講する寺子屋において、夢慧氏の表現しようとした抒情の大切さも伝えてゆこうと決意を新たにしました。


 コンサート後は、佐藤さんと里佳さんが腕によりをかけた軽食をいただきました。
 パンや紅茶やコーヒーのあまりのおいしさに、皆さん、びっくり仰天でした。
 松の木と葉で茶葉をいぶしたラプサンスーチョンも絶品でした。

 今後、「ラジオ番組にリクエストしよう」などど語り合いました。
 小椋佳氏が絶賛した夢慧氏の曲想や表現力のすばらしさは、まだまだ広く知られてはいません。
 決して喉先でごまかさず、すべての音を勁い糸のように発して妥協しない歌唱法は、私たち僧侶にとっても永遠の模範となるものです。
 これからも、おりにふれて鑑賞会を催してゆきたいものです。
 そして、寺子屋を見守っていただきたいと願っています。

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211111 214

211111 216

〈クリームチーズのホカッチャサンド、プレーンスコーンのブルーベリジャム・クリーム添え、抹茶のケーキ小豆と生クリーム添え〉
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211111 220

〈仏前にも供えられました〉
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「おん ばざらたらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。





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