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2009
11.04

山号額が届きました

 ようやく待ちに待った山号額がとりつけられ、玄関が引き締まりました。
 湿っぽくない当山の明るい感じが出ていて安心しました。
 願いをもって法楽寺へご来山される方々のお心を少しでも明るくできるなら、ありがたいことです。

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2009
08.24

講堂での誓い

 おかげさまにて、講堂落慶及び大日如来開眼供養会は、会場へ入りきれないほどの善男善女によってお支えいただき、無事、終わりました。
 曇っていた空は修法の終了を待つように晴れ渡り、聖地は清浄な気配で満たされました。
 また、河北新報に掲載されたお礼の文章を目にされた方々から、たくさんのお励ましやお祝いをいただきました。
 この場を借りて深くお礼申し上げます。
 この上は、さらに精進し、法務に邁進します。
 聖なる目を開かれた大日如来智慧慈悲の光がこの世あの世も照らし、皆さんへ幸せと安心をもたらしますよう祈り続けます。

 表白文です。

謹み敬いて密教教主大日如来、あらゆる仏神、高祖弘法大師、仏法僧の三宝へ申し上げ奉る。
大日如来智慧の光は遍くすべてのものを照らし、闇を消すと説かるる。
太陽の光は必ず影をつくり、大日如来の光は隅々まで照らし、一切影をつくらぬ。
また、慈悲の光は、存在するものたちが生じ、滅する過程すべてにおいてお支えくださると説かるる。
たとえ糸トンボ一匹といえども、人間が無から生じさせ生かすことはできぬが、大日如来はすべてを生み育む。
また、大日如来の智慧慈悲の光は世界と共にあり、永遠であると説かるる。
太陽には寿命があり、大日如来は不滅なり。
よって、大日如来はあらゆる仏神の総徳を集むる根本仏にして中心仏なり。
徳を開けば守本尊となり、仏界擁護の諸天善神となり、現象界と生ずれば山川草木天地宇宙万物となり、心象世界と生ずれば九識・十識とはたらく。
願わくば、かかる仏徳を顕現し、一切衆生が除災招福・転迷開悟の道を歩み、この世が幸せの楽土となり、あの世が安心の花園となるよう、智慧慈悲を授けたまえ。
永遠の導きを垂れたまえ。
当山に務むる者は、その導きにより、いついかなる時も我欲を第一とせず人の道を第一とし、その生
きざまをもって清浄なる湖へ落ちた一枚の花びらが水面に波紋を拡げるように修行と布教の道を歩み、ご縁となるすべての方々は、その導きにより悩みを、苦しみを離れ、安心と喜びが得られるよう、この世の真実の姿が極楽であることを実感できるよう、永久のご加護を願いたてまつる。
この願いは今生のみにあらず、次の世も、また次の世も、永遠に尽きざるものなり。
重ねて祈りたてまつる。
天長地久、即身成仏、密厳国土、万邦協和、諸人快楽、ことに別いては本日参詣の善男子善女人、現当二世離苦得楽、乃至法界平等利益。

平成二十一年葉月二十三日

大師山法楽寺住職遠藤龍地

敬白



〈荘厳されて開始を待つ〉
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〈訪れる善男善女〉
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〈式次第〉
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〈角塔婆の前で〉
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講堂へ〉
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〈導師の脇で表白を読む〉
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〈いつの間にか咲いていた二輪〉
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2009
08.11

ご本尊様として金色で巨大な大日如来を安置した理由

 当山は、まず、家の守本尊様として如来像を授かり、次いで、開山の本尊として金剛界大日如来像を授かりました。
 それ以来、如来像をもって先祖供養や御霊供養を祈り、開山後は、金剛界大日如来像と、守本尊法の尊である守本尊八尊像と地蔵菩薩像、そして弘法大師像へ祈りつつ今日まで来ました。
 守本尊八尊とは、子年生まれの方は千手観音、丑寅年生まれの方は虚空蔵菩薩といった方々です。

 今回、大きな大日如来像を安置したのは、ご縁の方々に経典の説く大日如来をイメージしていただきたいからです。

 私たちの心は、目で見るものにより、耳で聞くものにより、鼻で嗅ぐものにより、舌で味わうものにより、肌で触れるものにより、心に思い描くものにより、無意識のうちにはたらきようが作られてゆきます。
 至心に仏像を見れば仏像の心に近づき、敬虔な気持で読経を聴けば経典の心に近づき、色欲でポルノを観ればポルノの心に近づき、怨念で殺人法を聞けば殺人者の心に近づきます。
 経典を読み、僧侶の説明を聞けば宇宙の根本仏大日如来様の姿やご利益の内容を理解できますが、視覚のはたらきは〈感覚の王〉であり、やはり「百聞は一見にしかず」です。
 大日如来像を仰ぎ観て「ああ、そうなのか」となれば、読んだり聞いたりしたものの内容がより深く実感できることでしょう。

 ところで、大日如来がご本尊様となっている寺院はあまりありません。
 観音様やお不動様やお地蔵様などの方が圧倒的に多いはずです。
 その理由は、大日如来が、あらゆるみ仏方の徳全体を体現しておられる方であり、あらゆるみ仏方の徳の泉のようなものだからです。
 観音様ならまず〈お優しい方〉といったイメージがあり、お不動様ならまず〈厳しく恐ろしい方〉といったイメージがあり、お地蔵様ならまず〈親しみやすい方〉といったイメージがありますが、大日如来はきっとイメージしにくいことでしょう。
「光無消滅」と説かれ、決して消滅することなく影を作らない最高の光を放つ如来様なのですが、阿弥陀如来の浄土信仰が深まった時代を経ているので、〈光の仏様〉といえば、まず、阿弥陀を連想される方が多いのではいないでしょうか。

 しかし、当山は、宇宙の根本仏にお会いしていただき、真実の宇宙はみ仏のお慈悲と智慧の光に満ちた世界であり、私たちの居場所こそが宇宙の中心であることを実感していただきたいのです。
 いつでも綴じた瞼の裏側に金色の大日如来像が浮かべば、きっと、いかなる困難に遭っても乗り越える力が出ることでしょう。
 誰しもが〈できることしかできない〉けれど、誰しもが自分の思っている以上の力を持っているものです。
 思わずカッとなった時、暗く落ち込んだ時、固い壁にぶつかった時、なかなか眠れない時など、いつでも瞼の裏の暗闇で輝く金色の大日如来様は救いの手を差し伸べてくださるはずです。
 まして、その真言「おん ばざらだとばん」がお像へかぶされば言うことはありません。

 最近、作家の高任和夫氏から藪から棒に「いつ、死んでも良いと思わないか?」と訊ねられ、「ああ、そうだな」と応じました。
 もちろん、今回の講堂建立についての借金があり、これまで娑婆でお世話になかった方々への恩返しやご迷惑をおかけした方々へのお詫びなどが山積してるので、今、死ぬわけにはゆかないのが実情ではありますが、そこはもう、み仏へお任せしてあるのでいかんともできません。
 さりながら、とっさにそうだと口から出た理由の一つが、もう、私の心の奥深く金色の大日如来様が住まわれ、いつ、いかなる時でも瞼の裏側で確認できるという確信であることはまちがいありません。
 ご縁の方々が煩悩魔(ボンノウマ)、天魔(テンマ)、死魔(シマ)、蘊魔(ウンマ)の四魔に襲われた時など、いつでもお救いいただけるよう、日々祈り続けます。

〈小雨が降ったり止んだりの日、安置するためのパイプやぐらを外したお姿へ合掌した瞬間、陽光が窓から差し込みました。立って合掌した私の手が光っているようにも見えます。不思議な一瞬でした。撮影していただけたのも驚きです

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2009
07.31

大日如来像の到着

Category: 本堂建立計画
 7月30日、大日如来像が到着しました。
 お座りになる蓮華座の上と下、光背、それに本体です。
 それぞれ、屈強の男が約20人がかりでやっと動かせるほど重く、仮置きするまでに半日以上を要しました。

 降水確率が午前、午後共に60パーセント、特に午後からは大きく崩れるという予報にもかかわらず、雨はほとんど降らなかったので、無事、堂内へ運び込むことができました。
 特に高さ3メートルにもなる本体の木枠を解体した時は、青空から陽光が射し、先に解かれ梱包材にくるまれたままの巨大な光背を白く輝かせたので、皆が驚きました。
 後にも先にも、青空がのぞいたのはこの一瞬だけでした。
 皆さんはご加護を信じ、とても困難な人力だけの移動と組み立てに挑戦しました。
 ミリ単位で何度も動かし、おかげさまで台座の位置は決まりましたが、頭の高さほどもある台座へどうやって本体を載せるかは難題です。
 しかし、手をかけるのは宮大工さんなどのチームです。
 工夫をこらして道具や台を作り、必ず完成させてくださることでしょう。

 この段階までに、地域の方々が代わる代わる様子を見にこられ、遅い夕食を作るために立ち寄った生協では、見知らぬ方から「もうすぐですね。がんばってください」と励まされました。
 お大師様は、高野山を開くにあたり、諸天善神によるご加護を祈りました。
 山や自然に宿る自然神も、長く祀られて神となった祖霊神も、共に仏法の行われる場を護り、今日に至っています。
 当山が、壇信徒だけでなく幅広い方々から期待されているのは同様の加護力がはたらいていることであり、ありがたくてなりません。
 
「南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛」

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2009
07.28

両部マンダラ

 托鉢護摩行に明け暮れた日々、護摩壇の正面にあってお導きくださったのは高野山で求めた金胎両部マンダラでした。
 幅80㎝、丈160㎝の掛軸は熱によって激しく捩れ、煤によって、み仏のお姿が判別できないほどになりました。
 後、大日如来や不動明王の尊像をお祀りできるようになったので外し、大切に保管していましたが、今回、額装して講堂へお祀りしてはどうかという話が持ち上がりました。
 さっそく表具の技術を持つ信徒Kさんへご相談申し上げたところ、「材料の原価だけの請求という条件で、ぜひ、やらせてください」と望外の申し出をいただきました。

 しかし、完成間近の現場を眺め、すさまじい状態の現物を持ち帰ったKさんは、翌日、一時間半以上もの道のりを運転し、再び来山されました。
 ご自身にとってあまりに荷が重いと感じられること、掲げる現場が完成し、堂内の様子をよく観た上でなければいかなるものを創れば良いか判断がつかないこと、以上の二点により、一旦、返却すると言われます。
 Kさんは、以前、当山で念写によって乾板へ現れたお大師様のお姿を見ておられ、お大師様を深く念じ、とうとう念写した人のような思いに近づくことができなければ手がけられないとも言われます。
 娑婆の方の深い気持に、しばらく言葉が出ませんでした。
 これほどの方が、田舎町で普通に生活しておられるのです。
 私たち、袈裟衣をまとう者は己を鑑み、素直に頭を垂れ、奮起せねばなりません。

 Kさんにこそ、ぜひ制作をお願いし、その心で永久に講堂を見守っていただきたいと願っています。

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