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2012
02.19

あらためて十善戒を考える(その8) ─〈キレる〉をやめる─

 年のはじめに、あらためて「十善戒」を考えています。

9 むやみに怒らないこと…不瞋恚(フシンニ)

 瞋恚は「瞋」と「恚」から成っており、「瞋」は、「なにっ!」と目を瞠って怒ること、「恚」は心が円かでなく角張って相手へ向かうことです。
 これがお釈迦様によって悪行とされた理由は、貪りと同じく、怒ることによって我を失い、必然的に発する害意が自分の主人公となってしまうからです。
 慈しむ心があらゆる善行の種であるのに対して、害する心はあらゆる悪行を招きかねません。

 最近はあまり見かけなくなってきましたが「陶冶(トウヤ)」という言葉があります。
「陶」は、人格を溶かしてある形の方向へ導くことであり、「冶」もまた、練り上げて形へ結晶させることを意味します。
 陶器は、泥になって一旦、形を失った土が作者の創造力によって新しく形を得たものです。
 冶金は、溶かした金属を目的とする形に作り上げることです。
 だから、教育によって「人格を陶冶する」とは、好き嫌いや楽をしたい心を抑えて、人間としてあるべき良きイメージへと人格を練り上げて行く粘り強い過程を意味します。
 仏法の立場から言い換えれば、夾雑物である煩悩(ボンノウ)を取り除きながら、心を仏心で満たし、仏心に導かれた生き方をめざすということになります。

 教育には自由が一番という神話によって「陶冶」は脇へ置かれてきましたが、およそ親や教育者の持つ〈良きイメージ〉が先に立たない教育はあり得ません。
 気まま勝手にできれば、多くの子供は好きな方へ、楽な方へと向かい、それがたまたま良い行動に結びついたとしても、あてになりません。
〈好き〉と〈楽〉は善悪とは別であり、〈好き〉と〈楽〉の陰にある〈自分〉が自己中心を主張し、煩悩となって力を発揮するならば、たやすく悪に堕するからです。

〈好き〉と〈楽〉が邪魔された時、怒りが起こり、こうじれば暴力事件や器物損壊事件や殺人事件などともなります。
 こうした状況は「人格を陶冶する」人間修行と反するものであり、陶冶の過程を一気に破壊しかねません。
 だからこそ釈迦様は

「忍は行の尊」


と説かれました。
 煩悩に流されそうになっても堪え忍んで戦いの場から逃げないのが修行です。
 そして、煩悩渦巻く娑婆にあっては、堪え忍ばずには善行を続けられません。
〈忍〉をもって〈怒〉を克服することは、陶冶の柱です。

「キレる」という言葉が流行し、いつしか〈普通の言葉〉になりました。
 子供はたやすくカッとなり、それが〈普通の光景〉と受けとめられるようになりました。
 キレれば悪行がすぐそばに待っている恐ろしさを親や教師はどれだけ認識しているでしょうか。
 子供がつまらぬことで怒ったり、楽をしたいばかりに学校へ行きたくないと言い出した時、怒りにとらわれたり、怠けたりすることそのものの持つ問題点を認識して子供を指導しているでしょうか。

 怒りは、貪りに似て、習い性になります。
 放置しているうちに自然に怒らなくなることはまず、ありません。
 怒りっぽい人は、よほど痛い目に遭わない限りいつまでも起こりっぽく、周囲を辟易させます。
 もちろん、本人の心は頻繁に不快な気持におおわれ、気分は〈不幸〉です。
 喜びながら、嬉しがりながら、あるいは幸せと思いながら怒る人は誰もいません。

 自分で自分を不幸へ陥れている現状を冷静に眺め、相手のせいだと思うのがかんちがいであると理解し、「変えたい」と思い、願い、祈れば必ずそれは成就します。
 誰にでもできる簡単な方法の一つは深呼吸をすることです。
 もう一つは、自分の守本尊様などの真言を唱えることです。
 もう一つは、自分が思いやっている人やネコなどの顔を思い出すことです。
 もちろん、専門的な祈り方もあります。
 やってみればその効果はすぐに実感できることでしょう。
 怒る時の不快感、怒った後の嫌悪感や空虚さなどがなくなれば、人生は劇的に明るくなります。
 周囲の縁も目に見えて変わります。
 いつも慈悲心を持ち、自他のために自分で自分をコントロールできる人、それが理想の人格者であり自他を幸福にできる人です。
 菩薩なのです。

不動明王の忿怒は凡夫の怒りとは違い、公憤という正義を実現するエネルギーを含んだものもありますが、それは『怒りは悪? ─凡夫の怒り、不動明王の怒り』(─http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3093.html)をご笑覧ください)

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2012
02.18

あらためて十善戒を考える(その7) ─むさぼらず、自分をかける─

 年のはじめに、あらためて「十善戒」を考えています。

8 貪らないこと…不慳貪(フケンドン)

 貪るという言葉はそもそも、インドの「ラーガ」であり、それには「染まる」という意味があります。
 たとえば、私たちが「もっと、もっと」とお酒を飲む時、自分が飲んでいるはずなのに、いつしかお酒に飲まれて(染められて)しまうところまで行ってしまう場合があります。
 そしてとんでもない失敗をやらかし、翌日の朝は二日酔いと自己嫌悪でひどい一日が始まったりします。
 貪ってならない理由は、このように、本当の自分が自分の主人公でなく、自分が貪る対象に乗っ取られてしまうからです。
 その結果は……。
 貪る対象お酒なら、アルコール依存症や肝臓病になるかも知れないし、そこまで行く手前で自分や誰かの人生を決定的に傷つけてしまうかも知れません。

 また、たとえば、「もっと、もっと」とお金を貪り貯め込んでいる時は、自分が必ず死に、あの世まで持って行けないことを忘れています。
 死ぬのは明日であってちっとも不思議ではないのに、そんなことはまったく考えず、通帳の数字を見て楽しんでいます。
 困っている人々が世の中にはたくさんいるのに、そんなことも眼中にありません。
 こうしたタイプの人は、誰かと喜びを分かち合うことができず、決して尊敬されたり信頼を得たりできません。
 本当の意味で豊かな人生を送れないのです。
 それは、何かのおりにとても厳しい形で明らかになります。
 重い病気にかかった時、いかに豪華な特別室に入院していても、心配してくれる人が訪れないならば、どうでしょうか。
 その反対に、すべては(クウ)であり、お金も自分も儚い存在であると知ってむやみと貯め込まず、自分のためだけでなく他のためにも協力し「おたがいさま」の心を忘れずに生きている人ならば、見舞ってくれる人に「ありがたい」と涙するかも知れません。
 そもそも、「おたがいさま」と暮らす毎日はいつも感謝と笑顔に満ちているはずです。

 貪る心を離れれば、ほとんどのものは「これでも良い」と思われ、本当に自分をかけるべきことが見つかることでしょう。
 いわゆる知足(チソク)の状態になります。
 あまりお金がなくても、あまり広い家に住めなくても、あまりおいしいものを食べられなくても、誰かの何かの役に立ちたいと願う心があれば、まっとうに、真の意味で人間らしく生きられます。
 自分が〈何か〉に乗っ取られるのでなく、自分が主体的に〈何か〉へ自分をかけられる時、人生は充実し、満足感を伴う喜びというご褒美が与えられます。
 足を知ることの本当の意義はここにあり、ただ、不満が少なくて文句が口から出ないだけではありません。
「ああ、ありがたい」「自分は生かされている」と感じ、感謝の心が湧けば、その先には、布施の心が起こるはずです。
 自分のためでなく、誰かのためにできることをやりたくなります。
 これこそ、菩薩(ボサツ)になるための第一歩です。

 2月16日、当山では、東日本大震災により犠牲となった方々を供養するための読経と納経を呼びかけました。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
 長いお経を写経するだけでなく、たとえば「南無大師遍照金剛」や「南無大施徳菩薩地蔵尊」や「南無観世音菩薩」や「南無阿弥陀仏」などの御宝号(ゴホウゴウ)でも結構です。
 心をこめて書き、最後に「~年~月~日」と書いた日、「為~」と目的、「~~」と名前を付記すれば立派な供養になります。
 今日を生きられることに感謝し、できることをやろうではありませんか。



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2012
02.06

あらためて十善戒を考える(その6) ─卑劣さを排する─

 年のはじめに、あらためて「十善戒」を考えています。

7 不両舌(フリョウゼツ)

 これはいわゆる二枚舌です。
 一つの事実に関して、AさんとBさんへ異なった伝え方をし、それによって自分の意図する状況をつくり出し、身勝手な結果を求めるものです。
 身勝手な結果とは、たとえば嫉妬から、仲の良いAさんとBさんを仲違いさること。
 たとえば会社を揺るがせようとして、社長のAさんと専務のBさんの間へ不信を生じさせること。
 たとえばAさんを味方につけようとして、Aさんが信頼しているBさんを貶めること。
 嫉妬心の満足、組織の破壊、自分だけの利益、いずれも、人間として卑劣な願いというべきです。
 いずれも、卑劣な願いから嘘をつき、人の和を破壊する薄汚い行為です。

 こうした二枚舌を使う人は、人間の存在をあまりに軽く観ているのではないでしょうか。
 その軽薄さから自己本位による悪知恵で行動し、他人の和を破壊すると同時に、自分の人格をどんどん貶めてしまいます。
 やがて、自分によって貶められた人格は、自分へレベル相応の結果をもたらします。
 信頼されなくなるのです。

 明治天皇御製です。

「うもれ木を見るにつけても思ふかな
 しずめるまゝの人もありやと」


 埋もれ木を眺めて天皇は思われます。
 この埋もれ木のように、華々しく表面には顕れず世間に埋もれたままでも、淡々と人のまことを尽くしながら生きている国民がおり、そうした人々によってこの国は支えられているのだろう。
 人間の存在を軽んじる姿勢の正反対ともいうべき深い洞察です。

 たとえば恋敵との戦いで二枚舌を使いたくなった時、こう戒めてはいかがでしょうか。
「そこまで自分を堕としたくない」
 この高慢心と紙一重の矜恃(キョウジ…正しい自負心)は、人格を貶めず、人間としての信頼を失わないために欠かせない徳です。
 正しい意味で自分を大切にする人は、他人様をも大切にしないではいられません。
 そこに信頼が生まれ、保たれます。
 頭をまっすぐに立て、あごを引き、「そこまで自分を堕としたくない」とつぶやいてみてください。
 卑劣さという悪魔はきっと吹き飛ぶことでしょう。

〈おかげさまにて、春祭千枚護摩祈祷が無事、終わりました〉
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2012
02.03

あらためて十善戒を考える(その5) ─日にいよいよ新たなり─

 年のはじめに、あらためて「十善戒」を考えています。

6 不悪口(フアック)

 これはいわゆる「わるくち」だけではなく、怒鳴ったり喚いたりする粗暴な言葉遣い一般をも含む戒めです。
 言葉に憎悪や怒気が含まれている時は、相手を痛めつけるつもりでいながら、自分の人格を深く痛めつけているものです。
 その反対が、慈雲尊者の説かれた柔語(ニュウゴ…穏やかで思いやりのある言葉)です。
 柔語を心がけ、不悪口の戒めを守ればどうなるか。
 慈雲尊者の説かれた極楽です。

「家も和睦し、四海も泰平に、草木まで花果うるはしき、この戒の徳なり」


 家庭は円満で、世界中が争わず、自然の移り変わりも順調になります。
 そうすると、家庭がギスギスし、世界で争いが絶えず、地球全体で自然が猛威となっているのは、現代人の心のありようと無関係ではないのかも知れません。

 さて、2月2日のNHKテレビ「クローズアップ現代」では、「〝究極の味〟を求めて~科学が開く料理のトビラ~」を放映しました。
 科学者と料理人が互いの智慧を出し合って新しい料理法を編み出そうとしています。
 素材が持つ本来の力を格段に発揮させる科学技術は、日本料理を含むさまざまな調理法へ新たな魅力を加え、若い世代の日本料理離れに歯止めをかけることも期待できるとは何と嬉しいことでしょうか。

 鮎料理で名高い店の調理師が目を輝かせながら次のステップへの期待を口にしている場面を観て、戦前に活躍した故松井元興(モトオキ)博士の言葉を思い出しました。

「無限大に続く闇路を調査研究しながら通り行くものが自然科学の仕事であって、その間に思いがけない副産物を産み出すところの光明を伴いつつ、永久の闇路を次から次へ彷徨して行くのが自然科学の本然の姿だと私は確信しております」


 調理師が感じていた行き詰まりはまさに〈闇路〉だったのでしょう。
 科学とのコラボレーションによって、そこに光明が差したのです。

 お大師様の言葉も思い出しました。

「霧をかかげて光を見るに無尽の宝あり。
 自他受用、日にいよいよ新たなり」


(学び実践して迷いの霧をとり除けば、心いっぱいに光があふれ、そこに無限の宝ものが見いだせる。
 宝ものは自分のためにも、他人のためにも役立ち、皆が日々を新鮮に生きられるようになる)

 料理といい、科学といい、宗教といい、進取の精神は、一日一日といのちを費やす私たちへ新たな喜びをもたらします。
 魂がこうして震えている時、もはや悪口の出る幕はありません。
 他を貶める時間など、入り込む余地はありません。

 自分の高慢心によってしか〈自分〉を確認できなくなった心の貧しさが他人への刃となって悪口をもたらします。
 いかに心を豊かにするか。
 それは自分の生き方が決めます。
 不可欠なのは魂のレベルで感応する心の瑞々しさを保つ努力ではないでしょうか。
 自分の言葉に憎悪や怒気が含まれていると気づいた時は、チェックしたいものです。

〈闇を払う小さく確かな明かり〉
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2012
01.11

あらためて十善戒を考える(その3)

 年のはじめに、あらためて「十善戒」を考えています。

4 不綺語(フキゴ)

 綺の「綺」とは珍しい織物です。
 だから、綺語とは、ある意図のもとに綾なして飾った言葉を意味します。
 心に隠し持った目的から発する〈まことでない〉言葉です。

 かつて日本が高度成長を続けていた時代、植木等という名優ががむしゃらに出世街道を行くサラリーマンの姿をペーソスある演技で表現し、大ヒットしました。
 ポイントの一つは上役や取引先へのゴマすりです。
 何と『日本一のゴマすり男』という今では考えられないような作品すらありました。
 出世のため、相手が気に入らない相手であっても、へつらってご機嫌とりをするのも覚悟、「そんなことをしてまで……」とプライドを護って毅然とした態度をとるのも覚悟。
 現実的には、まあまあのところでお茶を濁しながらしか生きられないのに、植木等演ずる主人公はどちらを選択しても徹底的にやったので、観客はスカッとしたのです。
 こうしたへつらう言葉が綺語の典型です。

 異様な飾り言葉としては、北朝鮮における故金正日総書記などトップへの称賛が挙げられます。
 誉めれば誉めるで、見聞きする方が恥ずかしくなるような持ち上げぶり、亡くなったなら亡くなったで、軍服姿の高官までが人目を憚らぬ号泣ぶり。
 いかに外国のメデイアへ向けた映像であるとしても、異国にいる私たちには常軌を逸しているとしか受けとめられず、それは北朝鮮という国家への不信を確信へと固める効果を持っています。

 ひるがえって日本を考えると、政界における〈マニフェスト競争〉もまた、明らかにいかがわしさを含んでいます。
 安藤慶太氏は、1月9日付の産経新聞で『マニフェストの病を断て』という極めて簡明な一文を発表しました。
 以下、抜粋します。

「必要なのは『マニフェスト政治』なるものが以下にインチキでいかがわしいか、というそのもそもの反省ではないか。
 公約実現がボロボロに終わったことに目が向けられるが、実現できない空手形、できもしない夢物語をなぜ公約に盛り込んだのか、実行すれば直ちに別の弊害が出てくる類の大風呂敷をなぜ広げたのかということが大事だ。
 選挙のたびに繰り返される愚かな光景こそ、見直されるべきなのだ。
 マニフェストに盛り込まれる項目は、関心を引くために有権者に甘い文言となりがちだ。
 義務よりは権利、負担よりは給付、地道な政策よりアドバルーンのごとき、目立つ政策に流れやすい。
 なるほど社会には、さまざなな無駄、矛盾、問題を抱えた制度や政策が至る所にある。
 しかし、大抵の制度は、それなりの公益の一端を担うべく存在している。
 そのことはなかなかわからない。
 稚拙な一刀両断で『無駄』『廃止』『縮小』『見直し』と葬り、予想外の新たな問題や別の代償を負わされる事態も、本来ならば、事前に細かく見透す責任があったはずだ」


 そして氏は、例として、子供手当て、高校無償化、米軍普天間飛行場の問題などを挙げています。

マニフェストが大衆迎合、テレポリティックス(テレビを利用した政治)、劇場型政治の小道具と化すなかで、有権者は国民の顔色を窺う政治家の甘く軽い言葉に惑わされず賢明な判断ができるか。
 これがまた気がかりである」


 この中にある「甘く軽い言葉」もまた、綺語に分類されねばなりません。
 それは、不動産業者や各種投資を勧誘する業者などの怪しい謳い文句に似ています。

 こうして綺語を考えてみると、ブログ『なぜ結婚式を行うのか』に書いた平嶋敬義氏の言葉は、千金の値があると再認識させられます。
 再掲しておきます。

「ある結婚式の最後に『お台場デザイナーズオフィス』の代表平嶋敬義氏が言いました。

『こうしてお招きいただいた私たちには、お二人に今後しっかりやって行かせる責任があると思っています。
 よかったねで終わりではありません。
 そして、堂々と披露宴を行った以上、二人は、私たちに対してしっかりやって行く義務を負うのです』

 結婚によって発生する新たな社会性をこれほど簡単明瞭に指摘する話を聞いたことがありません。
 新郎は最高レベルの国家試験を突破した俊英であり、周囲がなかなか口に出せる言葉ではなく、先輩の先輩たるゆえんを明らかにしたという意味でも値千金のスピーチでした。
 思い出したのは『書経』の一節です。

『人を玩(モテアソ)べば徳を喪(ウシナ)い、物を玩(モテアソ)べば志を喪(ウシナ)う』

 周の武王が新たな王朝を開くと、各地から次々と貢ぎ物が届きました。
 その中に人の心を知るという大きな犬があり、武王は非常に気に入りました。
 様子を見た部下の召公は、王をいさめようと語りかけました。
『気に入ったものに囲まれ、人も、物も、思いのままになると考えてはなりません。
 人を弄べば、いつしか人徳を失いましょう。
 物を弄べば、いつしか志を失いましょう』
 召公は最後にとどめを刺しました。

『山を為(ツク)ること九仞(ジン)、功を一簣(キ)に虧(カ)く』

 どんどん土を盛られた高い山ができあがる寸前まで行っても、最後の一盛りがおろそかにされれば完成しないという譬えです。
『王朝の構築も持続もこれからではありませんか。
 ゆめゆめ、気を抜くようなことがあってはなりません』

 平嶋敬義氏は新郎の部下ではないけれども、誰しもが言いにくく、誰かが新郎新婦へ伝えておくべき言葉を述べました。
 これだけの智慧と胆力がある氏は、きっと〈ことを為す〉に違いありません。
 もちろん、新郎新婦は言葉を肝に銘じたことでしょう。
 招待客たちも。
 文字通り意義の深い披露宴でした」



〈隠形流(オンギョウリュウ)居合の守本尊摩利支天(マリシテン)〉
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