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2010
10.07

色情因縁と正命(ショウミョウ)について

 釈尊が苦を滅する方法として示された八つの正しい道(八正道)に正命があります。
 かつて、「色情因縁の解決 7 ─タイプ別解決法(その3─3)─」において、こう書きました。

 正しい姿で日々、いのちをつなぐことです。
 出家修行者にとっては、当然、戒律を守り、営利活動をせず、一身をご本尊様へお任せして修行などの法務に励むことです。
 金儲けをする行者という観念は成り立ちません。
 在家の方々にとっては、正しいなりわいで日々の糧を得ながら生きることです。
 泥棒がまっとうな生活者であることもまた、あり得ません。

 出家・在家いずれにも共通して求められているのは、規則正しい生活態度です。
 ふしだらだったり、自堕落だったりしては、正命の実践は不可能です。
 規則正しい生活は、どこかへ飛んでいってしまいそうな心を、引き戻します。
 朝、起きて、何となく気持が重くなっていても、時計の針に従ってとにかく朝食を摂りましょう。
 そうすると身体がエネルギーを出したくなり、足が前へ進みやすくなります。
 ぼんやりとしていた頭脳も、次に行わねばならないことを求めていつものように動き始めます。
 朝食をきちんと食べる子供がそうでない子供より心身共に健全であるのには、わけがあります。

 同様に、規則正しく祈れば必ず功徳が生じます。
 五恩や十善戒や八正道や六波羅密(ロッパラミツ…菩薩を目ざす修行道)などを、規則正しく誓いましょう。
 誓い続ければ、その思いが潜在意識へ溜まり、知らぬ間に身体も言葉も心も、そうした方向ではたらくようになります。
 袋小路を脱したいならば、たとえ5分や10分でも、とにかく、できることを実践するしかありません。
 考えるだけでは、運勢はいつまでも転換しないのです。


 因縁解脱のために、もう一つチェックポイントを挙げておきます。
 それは、正しく生活の糧を得ているかどうかということです。
 泥棒や詐欺が正しくないのは誰でもわかります。
 しかし、ほとんどの方々はこうした刑事罰を科せられるような犯罪を犯していません。
 では、正しく食べているかどうかは、どうすれば確認できるのか?

 釈尊は世間から糾弾されるかされないかではなく、「自分の心に照らして正しいかどうかを判断しなさい」と説かれました。
 他人からどう見られるか、どう判断されるかではなく、自分自身で尺度を持ち、敢然として正しい道を歩むよう求めました。
 そして、尺度を示されたのです。

①媚びへつらって得ようとしてはいないか
 優越感という煩悩を相手から引っ張り出して利用する卑屈な方法です。
②小さなものを餌にして大きなものを得ようとしてはいないか
 かつて「小さな親切、大きな下心」という言葉が流行りました。
 目くらましを用い、どさくさ紛れに価値以下の対価しか与えずに奪うのは卑劣な方法です。
 孫が小さい頃、大切にしていたカードを、年上の子供に箱ごとすべて騙し取られてしまうという事件がありました。
 悪の芽を早く摘まないと、子供はたちまちにこうした奸知を育ててしまうのです。
③何かをほのめかして得ようとしてはいないか
 見込みのない期待という幻を与えて奪うのはあくどい方法です。
④力を使って得ようとしてはいないか
 かつて、伊達氏十五世晴宗は、結城家への嫁入りが決まっていた岩城家の姫を婚礼の日に略奪し、以後、結城家と岩城家は三代にわたって争う関係になりました。
 できごとは覇者の伊達家によって「戦国時代の恋」として扱われていますが、縁戚関係になるはずだった結城家と岩城家の間で血を流させた暴挙という真相を観ておきたいものです。
偽善的なふるまいによって得ようとしてはいないか
 〈真の自分〉を隠し、仮装された〈偽の自分〉を表に出して共感や賛同などを得ようとするのは、高度な嘘つきです。
 これを続けていると、いつも〈二重の自分〉を生きているという事実が自分へは隠せないので、邪悪な心を育ててしまいます。
 真実を示し、真実を生きなさいと照らす霊性の光へ強引にフタをしてしまう生き方は、ただならぬ結果をもたらすことでしょう。

 なお、ここで挙げた事例は〈喰う〉ための悪行ではありませんが、喰えるか喰えないかまで追いつめられなくても悪行に走る人は、窮まったならば簡単に悪行を選択するのではないでしょうか。
 要は、得るパターンの問題です。
 日常生活のあらゆる場面で正しく得ているかどうかを省みることが肝心です。

 正命を生きるには、規則正しく心のトレーニングを行うこと。
 そして、生活の糧を正しく得ているかどうか、常にチェックすること。
 こうして生きれば悪因縁をつくらず、悪因縁を消す道が歩めます。

〈穢れなく〉
220930 0271



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2010
04.20

色情因縁の解決 7 ─タイプ別解決法(その3─3)─

3  素直に楽しんだり話したりできないのに異性への興味が強いタイプ
 一旦親しくなると、善悪を忘れ、困難な状況に陥ります。
 水中に発生したオタマジャクシがうごめくように新たなトラブルの種が後から後から芽を出し、災いが続きかねません。
 因縁解脱によって、瑞々しい感覚を持ち、新しい世界の扉を開く人になりましょう。

 こういう因縁のある方は、み仏やご先祖様へ花を捧げる供養をしましょう。
 そして、合掌して誓い、人生修行を支えてくださる守本尊様を供養する真言を唱えましょう。




 こうしたタイプの方の心構えです。

3 三番目に、意のままにならない状況にぶつかって自暴自棄になったり、正邪善悪の判断を投げ出したりしたくなる場合を考えてみましょう。

 釈尊は、苦を脱するための日々の過ごし方を「八正道(ハッショウドウ)」として示されました。
 人間として践むべき8つの正しい道です。
 その1つに「正命(ショウミョウ)」があります。

 正しい姿で日々、いのちをつなぐことです。
 出家修行者にとっては、当然、戒律を守り、営利活動をせず、一身をご本尊様へお任せして修行などの法務に励むことです。
 金儲けをする行者という観念は成り立ちません。
 在家の方々にとっては、正しいなりわいで日々の糧を得ながら生きることです。
 泥棒がまっとうな生活者であることもまた、あり得ません。

 出家・在家いずれにも共通して求められているのは、規則正しい生活態度です。
 ふしだらだったり、自堕落だったりしては、正命の実践は不可能です。
 規則正しい生活は、どこかへ飛んでいってしまいそうな心を、引き戻します。
 朝、起きて、何となく気持が重くなっていても、時計の針に従ってとにかく朝食を摂りましょう。
 そうすると身体がエネルギーを出したくなり、足が前へ進みやすくなります。
 ぼんやりとしていた頭脳も、次に行わねばならないことを求めていつものように動き始めます。
 朝食をきちんと食べる子供がそうでない子供より心身共に健全であるのには、わけがあります。

 同様に、規則正しく祈れば必ず功徳が生じます。
 五恩や十善戒八正道六波羅密(ロッパラミツ…菩薩を目ざす修行道)などを、規則正しく誓いましょう。
 誓い続ければ、その思いが潜在意識へ溜まり、知らぬ間に身体も言葉も心も、そうした方向ではたらくようになります。
 袋小路を脱したいならば、たとえ5分や10分でも、とにかく、できることを実践するしかありません。
 考えるだけでは、運勢はいつまでも転換しないのです。

「どうしても意のままにならない」というのは、一つの状況です。
 それにイライラしても、それを冷静に眺めても、事態に変わりはないのに、自分の心を歪め、頭のはたらきを低下させるイライラに身を任せては人生がもったいないですね。
 イライラを惹きおこす状況への反射的対応を変えるのには、当面の相手を動かすのもさることながら、自分自身を変えるのが最も確実に変化を呼ぶやり方です。
 もしも「職場で、あの人の声を聞いただけで虫ずが走る」場合、「あの人をいなくならせる」ことと、「虫ずが走るという形で条件反射してしまう自分の受信機を変える」ことを比べてみれば一目瞭然です。
 気まま勝手に前者的な対応へ走ってしまうと、ついには気に入らない人を殺してしまうといった事件にも結びつきかねません。
 
 自分を変える有力な方法の一つとして、規則正しく祈ることをお勧めします。



「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2010
04.14

色情因縁の解決 7 ─タイプ別解決法(その3─2)─

3  素直に楽しんだり話したりできないのに異性への興味が強いタイプ
 一旦親しくなると、善悪を忘れ、困難な状況に陥ります。
 水中に発生したオタマジャクシがうごめくように新たなトラブルの種が後から後から芽を出し、災いが続きかねません。
 因縁解脱によって、瑞々しい感覚を持ち、新しい世界の扉を開く人になりましょう。

 こういう因縁のある方は、み仏やご先祖様へ花を捧げる供養をしましょう。
 そして、合掌して誓い、人生修行を支えてくださる守本尊様を供養する真言を唱えましょう。




 こうしたタイプの方の心構えです。


3 二番目に、意のままにならない状況にぶつかり、心が萎縮してしまう場合を考えてみましょう。

 思い通りにならなくて、先行きを悲観したり、意欲がなくなったりするとはどういうことでしょうか。
 そこには、「この世は、思い通りになるところだ」という勝手な思いこみがあります。
 私たちには「こうもしたい」「ああもしたい」という欲があるので、まっさらな未来にはいつも希望の虹がかけられており、その橋を渡られるか渡られないかわからないにもかかわらず、虹を眺めないではいられません。
 だから、人生の実態を知らないうちは、胸いっぱいの希望を抱き、何でも実現できそうな気がして「思いは叶う」と考えてしまうのです。

 しかし、経典は説きます。

「幸せの原因は希にしか生じない。しかし、しみの原因は大変多い」


 恐ろしい指摘です。
 冒頭の思いこみの反対ですが、どんなに楽観的な方でも、長年、人間をやっていれば納得できるはずです。
 こうなる理由は簡単で、私たちが真理を悟らず、他人をさておき自分を先にしないではいられない煩悩(ボンノウ)に突き動かされて生きているからです。
 考えてみましょう。
 たとえば、私たちの心に、(ガ)を捨てた「与える」という良い姿勢が半分あり、に支配された「奪う」という悪い姿勢が半分あるとします。
 そうすると、「与える」姿勢で誰かと接した時、相手も「与える」人であれば与え合って幸せになれますが、相手が「奪う」人であれば与える前に奪われたり、与えようとする以上に奪われてしまうことでしょう。
 〈良い人〉が騙され、利用され、奪われ、あるいは被害者となる現実を観れば明らかです。
 もしも「奪う」姿勢で誰かと接した時、相手が「与える」人であれば、奪う悪行はたやすく成就して悪業(アクゴウ)を積み、相手が「奪う」人であれば、奪い合いになることでしょう。
 私たちは、お互いが与え合わない限り幸せになれませんが、そうなるのは簡単ではないのです。

 では、どうすれば救われるか?

 まず、考えるべきは、「原因があるから結果がある」という真理です。
 今のは、過去の悪業(アクゴウ)が原因で起こっており、時間を遡れない以上、消しゴムで消すように原因を消すことはできません。
 ならば、を脱するためには、原因の量だけ、結果を受けてしまうしかありません。
 泥水が流れてきて汚れた側溝は、上流に溜まった分量だけ流れ去らなければ、きれいにならないのです。
 今、目の前を泥水が流れているのは、それだけ上流の泥が減っているということです。
 それをきちんと理解していれば、「何でこんなに家の前の側溝が汚くなるんだろう」と嘆かず、「そのうちに泥水が流れてこなくなれば大丈夫」と待つ気持になれます。
 泥の汚さに打ちのめされたり、逆上したりするか、それとも道理を考えてジタバタせず時を待つか、ここで、日々の暮らし方に天地の差がでます。

 また、私たちが、誰かに心のモヤモヤを聞いてもらっただけでも何となくすっきりすることを考えてみましょう。
 それは、〈の肩代わり〉が行われていると考えられませんか。
 誰でも嫌な話を聞くのは嬉しくなく、思いやりの深い人ほど、相手の辛さが身につまされて自分もひどく辛くなったりします。
 でも、不思議なことに、聞く自分の胸を締め付けられるひとときが過ぎれば、親友は、「ありがとう」と涙を浮かべてくれたりします。
 このように、自分にが起こったのは、誰かにとりついた深い原因の一部を共有しているからかも知れません。
 それがご先祖様なのか、あるいは過去に出会った人なのかは特定できませんが、「今、自分が誰かを救う尊い役割を果たしているはずだ」と考えられれば、使命感も勇気も湧いてくることでしょう。

 さらに〈やって来るべくしてやって来た〉には、大きな役割もあります。
 たとえば私は、全財産を無くしましたが、ああした極限状態にならなければ、浮き草のような不安を抱えたま一生を送っていた可能性が高いと考えています。
 そして、もしも何とかやっていたとしても、いつか必ず、人間としてもっともっと大きな失敗をしていたに違いないと確信できます。
 だから、今になってふりかえれば、あの苦は、私たち家族をどん底へたたき落とし、信頼してくださっていた方々を裏切るとんでもないできごとによってもたらされましたが、私の愚かさに発する苦があったればこそ、今、人としてどうにかまっとうな道を歩んでいられるのです。

 苦は、慢心の鼻をへし折ってくれました。
 苦は、自分の罪科に向き合わせてくれました。
 苦は、悪を離れ、善を求める気持を強めてくれました。
 苦は、他人様の苦をおもんばかることのできる心をつくってくれました。
 そして、苦は、不安を一掃し、生かしてくださっている人々や天地万物の「おかげ」を実感させてくれました。
 また、苦を生きる中で、「おたがいさま」と手を差しのべてくださる方々のまごころを知りました。

 苦には、こうした他には変えられない役割があります。
 苦の原因は、苦を受けとめ苦を生きる中で理解でき、その過程において、必ず、苦は減少しています。
 教えと道理に導かれ、打ちのめされず、居直らず、守本尊様に手を合わせながら共に進もうではありませんか。



「おん さんざんざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2010
04.09

色情因縁の解決 7 ─タイプ別解決法(その3─1)─

3  素直に楽しんだり話したりできないのに異性への興味が強いタイプ
 一旦親しくなると、善悪を忘れ、困難な状況に陥ります。
 水中に発生したオタマジャクシがうごめくように新たなトラブルの種が後から後から芽を出し、災いが続きかねません。
 因縁解脱によって、瑞々しい感覚を持ち新しい世界の扉を開く人になりましょう。

 こういう因縁のある方は、み仏やご先祖様へ花を捧げる供養をしましょう。
 そして、合掌して誓い、人生修行を支えてくださる守本尊様を供養する真言を唱えましょう。
 回数は、1・3・7・21・108回が基本です。
「我、雨風に負けず咲く花のごとく、耐え忍び、心の花を咲かせん」
「おん あらはしゃのう」

 合掌するのは〈身体〉をみ仏に合わせる修行です。
 お唱えするのは〈言葉〉をみ仏に合わせる修行です。
 そして、〈心〉をみ仏に合わせる修行として、誓いの言葉はもちろんですが、以下の3点をよく考え、生活において実践することが大切です。
 こうして身・口・意がみ仏と一体になる即身成仏(ソクシンジョウブツ)体験を重ねれば、因縁解脱へ向かいます。

1 人生には追い風の時期も向かい風の時期もありますが、向かい風の時期をどう過ごすかが、特にその後の運命を大きく左右します。
 耐えつつ踏んばって歩くことは人生修行の中心です。
 意のままにならない状況にぶつかった時、私たちは3つの危機を迎えます。
 一つには怒りがこみ上げてくること、もう一つには心が萎縮してしまうこと、もう一つには正しい道から外れることです。
 この3つによって人生を破壊しないためには、忍耐力を身につける必要があります。
 それは自分自身の心の問題です。

「粗暴な人々は虚空のように無限にいて、すべてを滅ぼすことはできない。
 しかし、怒りという心の敵を滅ぼしたなら、すべての敵を滅ぼしたようなものである」


2 まず、他人から害されて怒り、怨んで報復しようとする場合を考えてみましょう。
 たとえば、悪口を言われたならば、なぜ、相手がそうした行為を行ったのかを、道理によって調べるのです。
 できごとには、必ず因と縁があるはずです。
 相手には、そうした粗暴な心を作る過去からの悪が積まれていたはずです。
 そして、こちらへの曲解や誤解などという直接的なきっかけがあって悪口を言ったにちがいありません。
 因と縁によって当然、起こったできごとにすぎない問題によってこちらの心に怒りの炎が燃え上がり、もしも粗暴なふるまいを行ったならば、自分自身の積んだ功徳を一瞬に消し去ってしまいます。
 これは愚かしいやり方ではないでしょうか。
 そうするしかなかった相手の因縁を憐れみ、相手を支配している煩悩が自分にも潜んでいることを自覚し、共に煩悩の克服ができるように願うのが、菩薩になる道であると説かれています。
 悪口に対して悪口で応えたならば、共に菩薩になる道は閉ざされ、共に地獄行きになりかねません。
 愚かしいことです。

 できごとは必然か偶然かによって起こります。
 もしも相手の煩悩が必然的に起こしたできごとならば、相手の人間そのものよりも、煩悩をこそ責めるべきではないでしょうか。
 相手を怨んだり、罵ったり、殴ったりするのは、自分も煩悩を持っていることを忘れた愚かしい行為です。
 もしも肩が触れた偶然が起こしたできごとならば、誰を責めることもできません。
 それは、せっかく楽しんでいた満月にたまたま群雲がかかったからと不満を抱き、雲に文句を言うようなものです。

 さらに考えるべきは、自分の中に相手の悪口を引き出すものはないかどうかという自省です。
 心に刺々しいものはないか、相手への妬みや蔑みはないか、生意気な態度はないか、傲慢なふるまいはないか、つけいられるようなひ弱さはないか……。
 あるいは、自分も過去に悪口を言ったことはないか、それはこの世に生まれてから、生まれる前の遙かな過去から……。
 悪しきを浄化し、因縁から脱するためには、自分自身で修行を行う方法と、悪の報いをしっかり受けとめて懺悔するという二つの方法があります。
 もしも自分の生意気さが相手の悪口を呼び込んだならば、それは自分の悪因縁を消滅させるチャンスです!
 しかも相手は、悪口という自分自身を地獄へ堕としかねないリスクを負って、こちらへ貴重なチャンスを与えてくれるのです。
 懺悔し、同時に相手の悪因縁もまた早く消えるようにと願うのが道理というものではないでしょうか。

 こうしたことごとをよく考えておけば、決して〈瞬間湯沸かし器〉にはならないで済むはずです。
 自他を守り、清める仏法の道理に導かれようではありませんか。
 


「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまりぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2010
04.06

色情因縁の解決6  ─タイプ別解決法(その2)─

2 自分から悶着を起こしてしまうタイプ
 なまじ他人や身内から信用されるばかりに、内心の良からぬ状況を引きずってしまいます。
 こじれた状態が長引けば長引くほど、親しさが執着や憎しみとなり、最期は信用を地に落としてしまいかねません。
 因縁解脱によって、太陽のように暖かな心を持ち、困っている人へ手を差しのべられるようになりましょう。

 こういう因縁のある方は、み仏やご先祖様へ灯明を捧げる供養をしましょう。
 そして、合掌して誓い、人生修行を支えてくださる守本尊様を供養する真言を唱えましょう。
 回数は、1・3・7・21・108回が基本です。
「我、灯明のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん」
「おん さんざんざんさく そわか」

 合掌するのは〈身体〉をみ仏に合わせる修行です。
 お唱えするのは〈言葉〉をみ仏に合わせる修行です。
 そして、〈心〉をみ仏に合わせる修行として、誓いの言葉はもちろんですが、以下の3点をよく考え、生活において実践することが大切です。
 こうして身・口・意がみ仏と一体になる即身成仏(ソクシンジョウブツ)体験を重ねれば、因縁解脱へ向かいます。

1 もしも誰かを憎んだり妬んだり、あるいは愛憎があいまって混乱したならば、何度か腹式で深呼吸を行い
「お互いに(クウ)の存在であり、明日のいのちすら保証されてはいない。
 交通事故など予期せぬ災難に遭えば、今日にでも歩けなくなったり、はたらけなくなったりして何の不思議もない。
 そして、あと100年もしないうちに、あの人も自分も、知っている人たちはすべてこの世にはいなくなる」
ということを深く認識してみましょう。
 み仏の智慧に立ち、煩悩のもたらす葛藤などを解決するためには、このが腑に落ちねばなりません。
 それは、自分の生と死を見つめることでもあります。

2 この智慧に立って初めて、思いやりが充分な実践に結びつきます。
 たとえば、誰かへ食べ物を分け与える時、最もおいしいと思うものや自分の食べたいものから渡せるでしょうか。
 自分がおいしさに満足するよりも、家族や友人がおいしいと喜ぶ方が嬉しいでしょうか。
 である自分を第一にして、何かを得て喜んでもその満足は限られており、たかが知れています。
 しかし、周囲のだれかの喜びを自分の喜びにできれば、喜びだらけの毎日を送られます。
 の智慧によって我(ガ)という枠を超えれば慈悲行がどんどん実践され、運命転化が行われます。
 
3 どんなに〈良い話〉も、必ず自分の頭で善悪や虚実や真偽を判断し、「道理だ」と納得したならば採用し、「道理でない」と判断したならば採用しない冷静さを持ちましょう。
 まず学び、知ること。
 次に、道理という者物差しで判断すること。
 そして、「これは真理だ」「これは本ものだ」と見分けたならば、それを修めること。
 こうした堅実な一歩一歩が迷いの闇を切り開きます。

 自分の修行に加えてみ仏のご加護を求めたい場合は、ご祈祷・ご加持などの方法がありますから、どうぞお申し出ください。
 皆さんの因縁解脱を願っています。
 


「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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