色情因縁の解決4 ―色情因縁のタイプ―
最後に、それが表れやすい代表的なタイプを書いておきます。
1 煩悩に妨げられて知恵がはたらかず失敗するタイプ ご先祖様やみ仏の戒めを受けたり、上司や指導者から叱られたりし、重大な問題で失敗をやらかします。
争いごとを起こしたり、居直ったりすれば、大きな傷を負うことになりかねません。
因縁解脱によって、悩みを抱えた人の心を深く理解する大悲の人になりましょう。
2 自分から悶着を起こしてしまうタイプ
なまじ他人や身内から信用されるばかりに、良からぬ状況を引きずってしまいます。
長引けば長引くほど、親しさが募り、最期は信用を地に落としてしまいかねません。
因縁解脱によって、太陽のように暖かな心を持ち、困っている人へ手を差しのべられるようになりましょう。
3 素直に楽しんだり話したりできないのに異性への興味が強いタイプ 一旦親しくなると、善悪を忘れ、困難な状況に陥ります。
水中に発生したオタマジャクシがうごめくように新たなトラブルの種が後から後から芽を出し、災いが続きかねません。
因縁解脱によって、瑞々しい感覚を持ち新しい世界の扉を開く人になりましょう。
4 自分には無いものを持った相手に惹かれトラブルを起こすタイプ
知恵やセンスに鋭いものを持っているばかりに、そうした面から相手へ近づくと予想もしない展開になり、とまどってしまいます。
争いや諍いが絶えず、最期は背反してしまい、後味の悪い結末になりかねません。
因縁解脱によって、味わいのある楽しみ方をもって真の和を創られる人になりましょう。
5 決断やけじめをつけることが苦手で、ズルズルと引きずるタイプ
小さな子供に悪影響が出やすく、言うことを聞かない我がままになったりします。
指導者や頼りになる人がどんどん離れ、愚か者に流される生き方になりかねません。
因縁解脱によって、人々の心に共通する思いを忖度し、大地に足を踏ん張って生きる人になりましょう。
6 頑固で動くのが嫌なのに突然とんでもない行動に走るタイプ 妻や母親や家庭に悪影響が出やすく、後でしまったと思うようなことをくり返します。
多勢に行く手を塞がれ、なかなか思うように前進できない羽目になりかねません。
因縁解脱によって、毀誉褒貶に揺るがず、守るべきものを守って動じない人になりましょう。
いずれの場合も、色情因縁に負けて起こしてしまった問題への共通した対処法としては、策を弄することなく、言い訳をせず、心から懺悔し、出直すことです。
実際の色情因縁の表れ方はその方その方、その場合その場合で千差万別です。占いの本やコンピューターの答などで対応できるものではありません。
詳しくは、個別のご相談となります。
これまでも記したとおり、色情因縁は、主として異性間ではたらく引力の問題です。
過去の因縁のすべてを背負ってこの世に生まれてくる以上、強さの強弱は別として必ず持っています。
この気配は、それ自体が悪であるということではなく、自分自身の生き方によって善くも悪しくもはたらきます。
煩悩に流されて肉体的に用い、自他を混乱させたり破滅させたりしてはなりません。
菩提心(ボダイシン)に導かれて知的に用い、心の絆を深め自他を幸せにしたいものです。
なお、この因縁の最も悪しく表れる形が不倫です。
霊性のある人間にとっては、実際のセックスのあるなしは二義的です。
伴侶がありながら他の異性に惹かれることは起こってあたりまえですが、そのままに流されるならば、人倫に背くことになります。
昨今は「不倫愛」「略奪愛」などと言い、最初から言い訳をするような愚かしい表現が反乱しています。こうした風潮に流されぬようにしましょう。
最後に、「色欲とのつきあい方」の一部を再び掲載しておきます。
江戸時代に説かれた慈雲尊者の戒めは、そのままそっくり現代人への戒めにもなっています。
私たちの霊性向上の旅は、目的地へ到着するまでやはり56億7千万年かかるのでしょう。
「この不邪淫戒は、万巻の書を暗唱する者ですら、持たねば身に災いが来る大切な戒めである。はなはだしい場合は、家を滅ぼし国を滅ぼす。この戒に背かなければ一生、心安らかである。学者も愚者も、同じように慎み守らねばならない」
「国の乱れもこの戒が破られることを元として起こる。家の礼節の破壊も、身の礼節の不備もこれを元として起こる。謹慎に戒を守る者は、神々の冥助が得られる。男性も女性も、我に属せぬ者に心を寄せてはならない。みだりに狎れ睦まじくしてはならない」
「淫欲は身心を縛り、重なり来る憂いとなる。愛欲に随順すれば、この世界はことごとく執着の地獄となる。淫欲・愛欲が流れれば我を一番とする高慢となり、あるいは争いを起こす」
「愛欲は心身の安寧と澄んだ智慧の障害となるので、戒律で深く戒められている」
尊者は、色欲による「乱れ」が身を滅ぼし、家庭を崩壊させ、ひいては社会関係すら破壊してしまうと説かれました。
乱れは、親しくなるべきでない相手と「狎れ親しむ」ところに起こり、そうした「いい加減さ」は昂じて人格を賤しくし、精神の背骨を砕きます。
男性の「優しさ」が向けられるべきでない相手へ向けられること、女性が自分を大切にし「守る」意識が薄れること、これが「いい加減さ」の現れです。 心をあいまいに揺れ動くままに任せていれば、はてしなく、いい加減になることでしょう。
倫理・宗教の必要性は、たやすくケダモノになり得る人間の尊厳を守るところにあります。
尊者は「正義不邪淫戒」と説かれました。
色欲の相手はただ一人と思い定めましょう。
この単純な決意が、一夫一婦制の私たちにとって正義と尊厳を守る生き方になります。
色情因縁の解決3 ―極楽と地獄を見たアーナンダ―
釈尊と父を同じくするアーナンダは、釈尊に似て得も言われぬ威厳があり、また端正な顔立ちなので、時として釈尊と間違われるほどでした。
女性たちにチヤホヤされ、浮き世のことごとへの強い執着心もありました。
そんな彼は、愛妻を娑婆へ残して出家したものの、なかなか心が定まりません。
ある日、釈尊は神通力を用いて彼を天界へ誘いました。
何もかもが想像を絶するほど美しく、特に天女たちはすべて見たこともないほどの美貌を持っており、彼はすっかりびっくりしてしまいました。
釈尊は訊ねられました。
「アーナンダよ。天女たちと君の妻とどちらが美しいかね?」
彼は当然、天女たちですと答えました。
そして、彼は一段と清らかなのに伴侶を持っていない天女を見つけ、どうしてあなたはお一人なのですかと声をかけました。
天女は答えました。
「今、地上では、アーナンダという方が仏陀のもとで修行中です。
やがて修行の功徳によって天界へ来られ、私の夫になってくださるので、待っているのです」
その日から、アーナンダが修行に打ちこんだのは言うまでもありません。
またある日、釈尊は神通力を用いて彼を地獄界へ誘いました。
罪人たちが釜でゆの刑に苦しみ叫んでいるている光景に卒倒しそうになった彼は、ふと、誰も入っていないにもかかわらず、ただお湯だけが煮えたぎっている釜があるのに気づきました。
「おや、あそこには誰もいませんね」
恐ろしい形相の獄卒は告げました。
「今、地上でアーナンダという人が修行をしていて、やがてその功徳で天界へ上るが、功徳が尽きればここへ堕ちることになっているのだ」
びっくりして道場へ逃げ帰った彼は、六道をフラフラしている己の様子をふり返り、一心不乱になって修行に励んだ結果、ついに悟りを開きました。
釈尊は告げました。
「威力を具え、容貌も美しい者はアーナンダである。
強い愛欲にうち克ち、五根を調え、執着を断ち、清浄な行者となって欠けるところがない。 昂ぶらず、放逸でなく、よく心を調御しており、正念、正智、共にみごとである」
アーナンダは清浄で美しい姿と声で人々から慕われ、すばらしい説法者になりました。
私たちは、神通力を持つまでもなく、この世の地獄も極楽も日々見ており、接してもいます。 そこへ出入りもします。
上がらない雨がなく、快適な気候のみが続く日々もないのと同じく、六道輪廻の歯車はグルグルと回り続けて止まりません。
己の善業が良き運命を創り、己の悪業が悪しき運命を創り、文明の共業(グウゴウ)が良き運命を創る手助けとなり、悪しき運命へと押し流しもします。
文明の共業とは、たとえばコンピューターの発達です。バイオテクノロジーが難病を治す薬を作る一方で、ゲームは若者たちの脳を破壊しています。
地獄も極楽も、畢竟、私たちの心の産物です。
見るべきものを心の眼で観て、心を定めたいものです。
そして、アーナンダこそが色情因縁を解脱した人であることもしっかり見ておかねばなりません。
美しさは、身体と言葉で用いれば自他を地獄などの悪道へ堕とします。
しかし、心と言葉で用いれば自他を高め、救いもします。
今は、前世の因縁として持って生まれずとも文明によって色情が強くかき立てられる時代です。
現代人のほとんどが共業としての色情因縁に染まっていると言っても過言ではありません。
教師、警察官、弁護士、僧侶などなど、職業的に犯罪と最も遠いところにいるはずの人々が、この因縁で次々と墜落している現実が、それを証明しています。
2500年前に因縁解脱を見せてくれた彼に、よくよく学びたいものです。
色情因縁の解決2 ―菩提心(ボダイシン)とは―
1 「自分と他人とみ仏とは、根本において一つである」という真理を信ずる心
たとえば、友人が病気から回復して喜んでいるならば、我がことのように喜ぶ心。
友人が仕事に失敗して意気消沈しているならば、我がことのように心配する心。
観音様にお詣りをしたならば、お顔が亡き母と見えて懐かしむような心。
ケガをしたならば、イラクで傷ついた人はどんなだろうと想像する心。
こうした心になれるならば、菩提心が開きつつあります。
2 「いつも自分を先にする」「自分のことがいつも一番」という姿勢を捨てる心
慈悲心のある人(他のためになれる人)とは、「時に応じことに応じて自分を後にできる人」です。
「弱肉強食」しかない人は地獄の住人で、最も菩提心から離れています。
その証拠に、最悪の世界が地獄界、その上に「欲しい、惜しい」の餓鬼界があり、畜生界はその上にあります。
なぜならば、同じ「弱肉強食」でも自然界の生きものたちは節理に随っているので、節理を無視して何もかも我がものにしようとする我欲の人間よりは救いに近いのです。
弱者を差別し喰いものにし、沙悟浄(サゴジョウ)のように富をかき集め権力を誇り、猪八戒(チョハッカイ)のように人の道を踏みはずし、他人の涙に無感覚。こんな人は畜生にも劣ると言えましょう。
3 「より気高きところ」を求めてやまない向上意欲を保ち続ける心
煩悩がある限り、人は未完成です。「これで良いや」と立ち止まれば、それは道路の真ん中で車を停めるようなものです。
人が一番相手にしているものは何かといえば、自分です。生きている限り、24時間一刻の休みもなく自分はいます。考える自分、食事をする自分、はたらく自分、喜ぶ自分、悲しむ自分、怒る自分、善いことをする自分、悪いことをする自分が常にいます。
向上心を忘れ、昨日うっかりやってしまった失敗を今日も無自覚にくり返す自分のままでいるならば、その人は菩提心から離れています。
釈尊は『法句経』で説かれました。
行者らしい心を失わずに生きてこそ人間ではないでしょうか。「蛇が脱皮するように、見聞きする対象によって悪心が起こらないよう向上する人が真の行者である」
4 正しい方法で「心の深みへ降りる」心
「自分」と思っている「表面の心」は氷山の頭のようなものでしかありません。
海面下に膨大な潜在意識・深層意識の領域があり、一番底には万人に通じるみ仏の心があります。
お大師様は「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(クラ)し」と説き、煩悩の深さ、その闇の暗さ、いのちの不可知を示されました。
その一方で「人は本来、この身このままで仏である」とも説かれました。
暗きものは月にかかる暗雲、み仏は満月です。
暗雲の向こうへ行かねばなりません。
それには正しい方法が必要です。
暗雲へ突入した飛行機を的確に操縦できなければ、どこへ行くか、何にぶつかるか判りません。勝手な瞑想などを厳に戒めるのはそのためです。
色情因縁の解決1 ―破滅への色情因縁を芳香に変えましょう―
引力を肉体的に使えば性的関係に忙しくなり、煩悩に負けて倫理を忘れ、自他を破滅させもします。引力を知的に使えば大きく広い範囲へ届く影響力となり、その芳香は自他を向上・発展させます。
色情によって生ずる結果は、無始以来の因縁が動いて出ます。悪行によって自分を罰するのは、他人ではなく自分です。誰のせいにもできません。
因縁を浄化する最高の方法は菩提心(ボダイシン…み仏の心)で生きることです。そこへ到達すれば、生霊・死霊・怨霊など、どのようなものも受け付けません。
さて、菩提心は怨霊などのはたらく世界とは次元が異なっていますから、いかなる魔力の刃が向かって来ようと、空を切るだけでまったくダメージを受けません。
菩提心に刃向かう悪しき者は鏡を相手にするようなもので、相手を攻撃しようとした力が自分をうち倒します。
『四十二章経』はこう説いています。
この怨霊返しの鏡を曇らせ破壊するのがが我であり、それは、時には色情因縁や挫折因縁となって現れ、迷いや争いを起こします。釈尊の悟りを聞いた悪人が、釈尊と面会し、さんざん悪口を言い立てました。
その愚かさを憐れと思った釈尊は、黙っているだけで何も答えません。
やがて、悪人が言い疲れたころを見計らって口を開きました。
「あなたは、お土産を持って誰かを訪ねた場合、相手が受け取らなければどうしますか?」
悪人は、当然こう返事をしました。
「持ち帰るしかないだろう」
そこで釈尊は諭しました。
「今、貴方が私を罵りましたが、私はまったく受け容れていませんから、貴方はその言葉を自分で持って帰り、自分を穢し傷つけるしかありません。
それは、山彦のようなものであり、影が形あるものに随うようなものでもあります。
悪行は自分に災いをもたらすのですから、以後、慎みなさい」
菩提心のない色情因縁のエネルギーは悪縁をつけます。
目線・言葉・態度・行動は相手へ印象を残し、放っておけばいつか必ず何ごとかとなって報いがやって来ます。
たとえば「引力」の強い女性が「私は佳い女なのよ」とばかりに流し目をすれば、その行為は瞬間的なものに過ぎず、すぐに忘れてしまっても、目線によって動かされた相手の心の波は潜在意識へ残り、しばらく時間が経ってからストーカー事件を起こさせるかも知れません。
刻み込まれた歴史は消せないのです。
因縁解脱とは、因縁そのものをなくすというよりも、正確には「今ある因縁の悪しき面を消滅させ、因縁を清らかに活かす」ということです。
動物のレベルで因縁をはたらかせるか、智慧ある人間のレベルで因縁をはたらかせるか、それは自分次第です。
因縁解脱とは、因縁の呪縛から解き放たれ脱すること。脱する先は菩提心です。


