【法句経 第四章 篤い心】
『法句経』の意訳です。
○信心、懺悔、持戒、布施の徳は真の財であり、立派な人が誉め称えるものである。この道は智慧ある賢者の説くところであり、精進する者は天界へ赴く。
○愚かな者は天界へ昇る道を歩まず、布施行を誉め称えない。信心あって布施を実践する善行の者は、その報いとして安楽な世界へ赴く。
○信心ある者はアラカンの長であり、教戒を心に保てばいずこにあっても安楽である。み仏へ近づく者は心優れ、み仏の智慧をもって生きる者は、あらゆる生きものの中で最も賢い。
○信心ある者は聖なる道を会得し、教えによって涅槃へ赴く。教えを聞いて智慧を獲得すれば、到達するところはすべてが明らかな世界である。
○信心で迷いの淵を渡り、不放逸で迷いの大海を行く船の船頭となり、精進して苦を克服し、智慧によって悟りの世界へ入る。
○行者が信心し修行に励めば、聖者に称讃される。涅槃の境地を楽しむようになれば、輪廻の束縛を超越できる。
○信心と持戒と智慧をもってしっかり修行すれば、行者は怒りを克服し、迷いの淵を脱する。
○信心ある人は持戒を正しく実践し、智慧を授かる。どこにいても変わらぬ実践を続ければ、どこへ行こうとも供養を受ける。
○世間のいかなる利あるものに比べても、智慧と信仰は明らかに最高の財である。世間の財物はいずれも非常であり滅尽を免れない。
○聖者たちに会いたいと欲し、教えを聞きたいと願い、物惜しみという垢を捨てきること。これが信心である。
○信心は涅槃へ赴く功徳であり、何者にも奪えない。行者の功徳を奪おうとしてはならない。行者はただ、心の平穏を楽しんでいる。
○信心のない者と親しんではならない。心貧しい彼が正しい言葉を発することができないのは、拙い井戸掘りが泉を掘ろうとして泥水しか得られないのと同じである。
○仏弟子は智慧ある者と親しむ。清流を求めて良き水を得るのと同じく、思いは清らかで乱れない。
○信心ある者は他人を悪心で染めず、ただ智慧と慈悲のみを与える。仏道修行において好ましい人物に親しみ学び、好ましくない人物からは遠ざかるべきである。
○信心を自分の乗り物とすれば、他に積むものはない。大きな象を調教するが如く、自分を制御するのは最も得難い勝利である。
○信心、持戒、慚と愧、教えを聞くこと、布施、智慧、これが七つの財である。
○信心に導かれて戒律を守り、常に清浄な心で教えを観想する。智慧をもって行じ、教えを敬い尊び忘れない者、これが信心に生きる者である。
○およそ人として生まれた者は、男女を問わず生まれながらにしてこうした財を持っている。真の財に気づく者は決して貧者にはならない。賢者はこうした真理を知るのである。
○信心、懺悔、持戒、布施の徳は真の財であり、立派な人が誉め称えるものである。この道は智慧ある賢者の説くところであり、精進する者は天界へ赴く。
○愚かな者は天界へ昇る道を歩まず、布施行を誉め称えない。信心あって布施を実践する善行の者は、その報いとして安楽な世界へ赴く。
○信心ある者はアラカンの長であり、教戒を心に保てばいずこにあっても安楽である。み仏へ近づく者は心優れ、み仏の智慧をもって生きる者は、あらゆる生きものの中で最も賢い。
○信心ある者は聖なる道を会得し、教えによって涅槃へ赴く。教えを聞いて智慧を獲得すれば、到達するところはすべてが明らかな世界である。
○信心で迷いの淵を渡り、不放逸で迷いの大海を行く船の船頭となり、精進して苦を克服し、智慧によって悟りの世界へ入る。
○行者が信心し修行に励めば、聖者に称讃される。涅槃の境地を楽しむようになれば、輪廻の束縛を超越できる。
○信心と持戒と智慧をもってしっかり修行すれば、行者は怒りを克服し、迷いの淵を脱する。
○信心ある人は持戒を正しく実践し、智慧を授かる。どこにいても変わらぬ実践を続ければ、どこへ行こうとも供養を受ける。
○世間のいかなる利あるものに比べても、智慧と信仰は明らかに最高の財である。世間の財物はいずれも非常であり滅尽を免れない。
○聖者たちに会いたいと欲し、教えを聞きたいと願い、物惜しみという垢を捨てきること。これが信心である。
○信心は涅槃へ赴く功徳であり、何者にも奪えない。行者の功徳を奪おうとしてはならない。行者はただ、心の平穏を楽しんでいる。
○信心のない者と親しんではならない。心貧しい彼が正しい言葉を発することができないのは、拙い井戸掘りが泉を掘ろうとして泥水しか得られないのと同じである。
○仏弟子は智慧ある者と親しむ。清流を求めて良き水を得るのと同じく、思いは清らかで乱れない。
○信心ある者は他人を悪心で染めず、ただ智慧と慈悲のみを与える。仏道修行において好ましい人物に親しみ学び、好ましくない人物からは遠ざかるべきである。
○信心を自分の乗り物とすれば、他に積むものはない。大きな象を調教するが如く、自分を制御するのは最も得難い勝利である。
○信心、持戒、慚と愧、教えを聞くこと、布施、智慧、これが七つの財である。
○信心に導かれて戒律を守り、常に清浄な心で教えを観想する。智慧をもって行じ、教えを敬い尊び忘れない者、これが信心に生きる者である。
○およそ人として生まれた者は、男女を問わず生まれながらにしてこうした財を持っている。真の財に気づく者は決して貧者にはならない。賢者はこうした真理を知るのである。
【法句経 第三章 教えをよく聞くこと】
『法句経』の意訳です。
○教えをよく聞くことを厭わず、仏法を奉じて邪悪なるものへの盾となし、精進すれば、邪悪なるものに人生を壊されない。これによって戒めは守られ、智慧が生ずるのである。
○教えをよく聞けば目ざすべきものが明らかになり、智慧が増す。智慧が増せば意義や道理が理解され、教えの実践が円滑になる。
○教えをよく聞けば五欲のもたらす憂いが除かれ、身心の安寧による喜びを知る。そうした行者は善き如来の教えを説き、苦を脱した境地へと導ける。
○教えを聞いて教えと戒律を知り、疑問が解消し、真理を理解する。教えを聞いて正しからざるものを捨てれば、やがては苦を脱した境地へ入られよう。
○師たる者は道を現し、疑問を解消させ、明らかな真理を学ばせる。清浄なる修行の根本を明確にし、如来の教えの数々を尊び保持させる。
○五欲を制御すれば意義や道理が理解でき、戒律に背かない。如来の教えを受けそれをより所とする者は速やかに苦を脱した境地へ入られる。
○教えを多少聞いたからといって慢心し、自分を大いなる者として驕れば、盲いた人が灯火を手にするようなものであり、誰かは照らされても自分自身は明かりを得られない。
○地位や財を求め、王となり天界へ昇るよりも、世間で弁が立ち智慧ある者となるよりも、教えをよく聞いて悟る者となることが第一である。
○帝王が使者を派遣して招聘するのも、天界において最上の者が招聘するのも、教えをよく聞いて悟った者である。そうした者を得れば真の富を得、あらゆる力が増大す。
○智慧ある者は教えをよく聞いて悟った者へ礼を尽くし、求道者もまた、その縁を喜ぶ。王は誠心をもって仕え、帝釈天、梵天といえども同じである。
○仙人は常に教えをよく聞いて悟った者を敬う。まして、世間的な成功者や富豪は敬う。それは、教えを聞いて悟った者の智慧が貴いからである。最も礼を尽くすべきは、教えを聞いて悟った者である。
○太陽を尊ぶのは明るさを求めるからであり、父に仕えるのは恩に報いるためであり、主君に仕えるのはその力で守られるからである。教えをよく聞くために得道の人へ仕えるのである。
○人はいのちを惜しんで医師に仕え、勝負に勝とうとして力ある者へ仕える。真理は智慧のところにあり、それによって福徳を得られる善行をなせば、現世も来世も明るい道を歩める。
○友人の信、不信を察するのは何ごとかを行うためであり、一緒に歩む者と分かれるのは急時に対応するためであり、妻がいるのは家の楽しみであり、智慧を求めるならば、教えをよく聞いて悟った者の説法を求めねばならない。
○教えをよく聞くことは今世の利益であるだけでなく、妻子も友人兄弟も友人までもが後世の利益も蒙る。重ねて聞くことによって聖なる智慧がもたらされる。
○教えをよく聞けば憂いや怒りがなくなり、災厄などによる衰運も免れる。平穏無事で幸せに過ごしたいならば、教えをよく聞いて悟った者に仕えねばならない。
○心身を切り痛めつけるものは憂いであり、矢で射られたような苦を招くのは、何よりも自分の愚かさである。この憂いや苦は、勇壮の者も力で除くことはできず、教えをよく聞いて悟った者に導かれるしかない。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて智慧を得るのは、盲いた人が目を得るようなものであり、暗闇にいる人が灯火を得るようなものである。教えをよく聞いて悟った者が世間の人々を導くのは、目の不自由な人を目の健全な人が導くようなものである。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて愚かさを離れよ。慢心と富裕とを楽しまず、よく学び、教えをよく聞いて悟った者に仕えよ。これが徳を積み真の安寧を得る道である。
○教えをよく聞くことを厭わず、仏法を奉じて邪悪なるものへの盾となし、精進すれば、邪悪なるものに人生を壊されない。これによって戒めは守られ、智慧が生ずるのである。
○教えをよく聞けば目ざすべきものが明らかになり、智慧が増す。智慧が増せば意義や道理が理解され、教えの実践が円滑になる。
○教えをよく聞けば五欲のもたらす憂いが除かれ、身心の安寧による喜びを知る。そうした行者は善き如来の教えを説き、苦を脱した境地へと導ける。
○教えを聞いて教えと戒律を知り、疑問が解消し、真理を理解する。教えを聞いて正しからざるものを捨てれば、やがては苦を脱した境地へ入られよう。
○師たる者は道を現し、疑問を解消させ、明らかな真理を学ばせる。清浄なる修行の根本を明確にし、如来の教えの数々を尊び保持させる。
○五欲を制御すれば意義や道理が理解でき、戒律に背かない。如来の教えを受けそれをより所とする者は速やかに苦を脱した境地へ入られる。
○教えを多少聞いたからといって慢心し、自分を大いなる者として驕れば、盲いた人が灯火を手にするようなものであり、誰かは照らされても自分自身は明かりを得られない。
○地位や財を求め、王となり天界へ昇るよりも、世間で弁が立ち智慧ある者となるよりも、教えをよく聞いて悟る者となることが第一である。
○帝王が使者を派遣して招聘するのも、天界において最上の者が招聘するのも、教えをよく聞いて悟った者である。そうした者を得れば真の富を得、あらゆる力が増大す。
○智慧ある者は教えをよく聞いて悟った者へ礼を尽くし、求道者もまた、その縁を喜ぶ。王は誠心をもって仕え、帝釈天、梵天といえども同じである。
○仙人は常に教えをよく聞いて悟った者を敬う。まして、世間的な成功者や富豪は敬う。それは、教えを聞いて悟った者の智慧が貴いからである。最も礼を尽くすべきは、教えを聞いて悟った者である。
○太陽を尊ぶのは明るさを求めるからであり、父に仕えるのは恩に報いるためであり、主君に仕えるのはその力で守られるからである。教えをよく聞くために得道の人へ仕えるのである。
○人はいのちを惜しんで医師に仕え、勝負に勝とうとして力ある者へ仕える。真理は智慧のところにあり、それによって福徳を得られる善行をなせば、現世も来世も明るい道を歩める。
○友人の信、不信を察するのは何ごとかを行うためであり、一緒に歩む者と分かれるのは急時に対応するためであり、妻がいるのは家の楽しみであり、智慧を求めるならば、教えをよく聞いて悟った者の説法を求めねばならない。
○教えをよく聞くことは今世の利益であるだけでなく、妻子も友人兄弟も友人までもが後世の利益も蒙る。重ねて聞くことによって聖なる智慧がもたらされる。
○教えをよく聞けば憂いや怒りがなくなり、災厄などによる衰運も免れる。平穏無事で幸せに過ごしたいならば、教えをよく聞いて悟った者に仕えねばならない。
○心身を切り痛めつけるものは憂いであり、矢で射られたような苦を招くのは、何よりも自分の愚かさである。この憂いや苦は、勇壮の者も力で除くことはできず、教えをよく聞いて悟った者に導かれるしかない。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて智慧を得るのは、盲いた人が目を得るようなものであり、暗闇にいる人が灯火を得るようなものである。教えをよく聞いて悟った者が世間の人々を導くのは、目の不自由な人を目の健全な人が導くようなものである。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて愚かさを離れよ。慢心と富裕とを楽しまず、よく学び、教えをよく聞いて悟った者に仕えよ。これが徳を積み真の安寧を得る道である。
【法句経 第二章 教えを学ぶこと】 2
『法句経』の意訳です。
○戒めを守り、教えを学ぶのは共に善行であり、賢者への道である。戒めを守れば正しい教えを学べ、正しい教えを学べば戒めを守られる。大いなる目を見開いて学業せよ。
○学ぶ者はまず戒めを守り、心を雑念から守らねばならない。得ようとせずに徹底して施し、教えに納得と実践が伴わぬうちは眠らぬどの覚悟をもってせよ。
○もし、百歳まで生きながらえようと、邪なるものを学び不善なる行いを志向する一生ならば、精進し、正しい教えを学たった一日にも及ばない。
○もし、百歳まで生きながらえようと、火の神に仕え正しからざる術を修行するならば、戒めを守り解脱を求める行者を讃え供養する一瞬にも及ばない。
○正しい教えは実践すべきであり、いたずらな論議にふけってはならない。表面的に学ぶのみで信心と実践が伴わぬのは、智者の厭うところである。
○真理を求めて学び、真実を観て教えの納得を求めよ。まず教えを生きる者となり、その上で教えを説かねばならない。真の智慧を持ち惑わぬ者とならねばならない。
○髪を振り乱し粗末な服装にて行者を装うとも、正しい教えに導かれず煩悩に支配されていては何にもならない。それは真理に暗く、耳の聞こえぬ者がさまざまな音色を聞こうとするようなものでしかない。
○学べば貪り・怒り・愚かさの三毒を脱することができるのは、薬が毒を消すようなものである。精進する者が持って生まれた煩悩を捨てて悟りの岸へ行くのは、ヘビが脱皮するようなものである。
○よく学び、戒めを守って揺るがぬならば、現世にも来世にも称讃を受け、願いは成就する。
○よく学ばず、戒めをきちんと守れぬならば、現世にも来世にも非難を受け、願いは成就しない。
○正しく学ぶは二つの方法がある。より深く学ぼうとする姿勢と、よく考え深く理解しようとする姿勢である。それが困難であろうとも、邪道へ逃げてはならない。
○稗や雑草が稲の生育を妨げるように、学び実践する以外のことごとに意欲を持っているならば、学は成就しにくい。雑念や他のことごとへの意欲を取り除くならば、大いなるものが得られよう。
○思慮ある言葉を用い、強引でなく、教えと道理に基づく説法ならば、真理に違うことはない。
○正しい教えを学んで戒めを守り、仏法を畏怖して自らを慎む。こうして真理を知った智者は真理に背かぬ者となり、悪業を犯す憂いはなくなる。
○世間に起こる罪過や福徳などから遠く離れ、清浄な修行に邁進し生涯かけて放逸に陥らぬ者こそが、善を学ぶ者と呼ばれるにふさわしい。
○戒めを守り、教えを学ぶのは共に善行であり、賢者への道である。戒めを守れば正しい教えを学べ、正しい教えを学べば戒めを守られる。大いなる目を見開いて学業せよ。
○学ぶ者はまず戒めを守り、心を雑念から守らねばならない。得ようとせずに徹底して施し、教えに納得と実践が伴わぬうちは眠らぬどの覚悟をもってせよ。
○もし、百歳まで生きながらえようと、邪なるものを学び不善なる行いを志向する一生ならば、精進し、正しい教えを学たった一日にも及ばない。
○もし、百歳まで生きながらえようと、火の神に仕え正しからざる術を修行するならば、戒めを守り解脱を求める行者を讃え供養する一瞬にも及ばない。
○正しい教えは実践すべきであり、いたずらな論議にふけってはならない。表面的に学ぶのみで信心と実践が伴わぬのは、智者の厭うところである。
○真理を求めて学び、真実を観て教えの納得を求めよ。まず教えを生きる者となり、その上で教えを説かねばならない。真の智慧を持ち惑わぬ者とならねばならない。
○髪を振り乱し粗末な服装にて行者を装うとも、正しい教えに導かれず煩悩に支配されていては何にもならない。それは真理に暗く、耳の聞こえぬ者がさまざまな音色を聞こうとするようなものでしかない。
○学べば貪り・怒り・愚かさの三毒を脱することができるのは、薬が毒を消すようなものである。精進する者が持って生まれた煩悩を捨てて悟りの岸へ行くのは、ヘビが脱皮するようなものである。
○よく学び、戒めを守って揺るがぬならば、現世にも来世にも称讃を受け、願いは成就する。
○よく学ばず、戒めをきちんと守れぬならば、現世にも来世にも非難を受け、願いは成就しない。
○正しく学ぶは二つの方法がある。より深く学ぼうとする姿勢と、よく考え深く理解しようとする姿勢である。それが困難であろうとも、邪道へ逃げてはならない。
○稗や雑草が稲の生育を妨げるように、学び実践する以外のことごとに意欲を持っているならば、学は成就しにくい。雑念や他のことごとへの意欲を取り除くならば、大いなるものが得られよう。
○思慮ある言葉を用い、強引でなく、教えと道理に基づく説法ならば、真理に違うことはない。
○正しい教えを学んで戒めを守り、仏法を畏怖して自らを慎む。こうして真理を知った智者は真理に背かぬ者となり、悪業を犯す憂いはなくなる。
○世間に起こる罪過や福徳などから遠く離れ、清浄な修行に邁進し生涯かけて放逸に陥らぬ者こそが、善を学ぶ者と呼ばれるにふさわしい。
【法句経 第二章 教えを学ぶこと】 1
『法句経』の意訳です。
○行者よ、なぜ怠惰に眠りを貪っているのか。ジガバチやタニシやドブ貝や木喰い虫が暗く不浄な所で安穏としているように、迷い、惑ったままの身でいてはならない。
○身体は傷つき、心は病気になるような災厄や困難があっても悟りを求めず、ただ我が身を可愛がっているだけではならない。
○心を正しく制御して慈悲心を持ち、慈悲ある聖者の教えを学び従うならば、憂いはなくなり、正しい集中心により五欲の魔ものは鎮まるであろう。
○ものの観方を正しくし、学び実践してそれが心を大きく動かすようになれば、世間を照らす導きの明かりともなろう。生ずる福徳は千倍にもなり、決して悪道に堕ちることはない。
○邪道を学び、邪な観方を信じてはならない。心を煩悩のなすがままに任せ、五欲を強めてはならない。
○善き教法を修め行じ、学び唱え、教法に背くような悪行をなしてはならない。仏道を行ずれば憂いは消え、永久の安楽がもたらされよう。
○よく敏め学んで身体と心と言葉とを慎めば解脱に至る。興れば滅する無常のものに左右さなくなり、心は安寧になろう。
○学ぶべき正しい教えでなければ学んではならない。学ぶべき正しい教えならばきちんと修行せよ。心に保つべき正しい教えを知って修行すれば、煩悩は滅するであろう。
○仏法の示す真実を観て正しく生きるならば解脱を得る。正しい生き方を知って強く精進する者が賢者である。
○心を定めて正しい道を探求する者は、学ぶ先に必ず安寧が必ず待っている。執着心は滅し、心を正しく制御させぬ煩悩は克服される。
○正しい教えを強く求め、正しい教えを学んで中道を得、正しい教えによって正しい道を理解し、ただただ修行のみを臆念せよ。
○学ぶにはまず世間の恩愛を離れ、自己中心と邪な習俗と邪なものの観方を克服し、修行の妨げとなるものに左右されなくなることである。これを賢者という。
○共に学ぶに足る仲間がなく、善き友人もいなければ、たった一人で善き生き方を貫くべし。愚かな者と歩んではならない。
○戒めに親しみ修行法を学ぶのに、なぜ仲間が必要なのか。たった一人で善き生き方を貫き憂いがないのは、悠然と広野を行く巨像のようなものである。
○行者よ、なぜ怠惰に眠りを貪っているのか。ジガバチやタニシやドブ貝や木喰い虫が暗く不浄な所で安穏としているように、迷い、惑ったままの身でいてはならない。
○身体は傷つき、心は病気になるような災厄や困難があっても悟りを求めず、ただ我が身を可愛がっているだけではならない。
○心を正しく制御して慈悲心を持ち、慈悲ある聖者の教えを学び従うならば、憂いはなくなり、正しい集中心により五欲の魔ものは鎮まるであろう。
○ものの観方を正しくし、学び実践してそれが心を大きく動かすようになれば、世間を照らす導きの明かりともなろう。生ずる福徳は千倍にもなり、決して悪道に堕ちることはない。
○邪道を学び、邪な観方を信じてはならない。心を煩悩のなすがままに任せ、五欲を強めてはならない。
○善き教法を修め行じ、学び唱え、教法に背くような悪行をなしてはならない。仏道を行ずれば憂いは消え、永久の安楽がもたらされよう。
○よく敏め学んで身体と心と言葉とを慎めば解脱に至る。興れば滅する無常のものに左右さなくなり、心は安寧になろう。
○学ぶべき正しい教えでなければ学んではならない。学ぶべき正しい教えならばきちんと修行せよ。心に保つべき正しい教えを知って修行すれば、煩悩は滅するであろう。
○仏法の示す真実を観て正しく生きるならば解脱を得る。正しい生き方を知って強く精進する者が賢者である。
○心を定めて正しい道を探求する者は、学ぶ先に必ず安寧が必ず待っている。執着心は滅し、心を正しく制御させぬ煩悩は克服される。
○正しい教えを強く求め、正しい教えを学んで中道を得、正しい教えによって正しい道を理解し、ただただ修行のみを臆念せよ。
○学ぶにはまず世間の恩愛を離れ、自己中心と邪な習俗と邪なものの観方を克服し、修行の妨げとなるものに左右されなくなることである。これを賢者という。
○共に学ぶに足る仲間がなく、善き友人もいなければ、たった一人で善き生き方を貫くべし。愚かな者と歩んではならない。
○戒めに親しみ修行法を学ぶのに、なぜ仲間が必要なのか。たった一人で善き生き方を貫き憂いがないのは、悠然と広野を行く巨像のようなものである。
【法句経 第一章 無常の教え】 2
『法句経』の意訳です。
○この身体は根本的に頼りになろうか。口などの穴からは不浄なものが漏れ出し、臭い匂いを発し、やがては病苦、老苦、死苦を招くではないか。
○欲の命ずるまま放逸に生きれば、悪行を重ねる。死が待っていることを忘れているうちに、短い寿命はすぐ尽きてしまうものを。
○子供も、父も、兄も救えない。死がやってくれば家族や親族の誰も救えず、たった一人で受けいれるしかない。
○昼も夜も漫然と怠惰に過ごし、老いても性欲に駆られ、財産があっても施さず、み仏の教えに耳を貸さぬなら、こうした悪弊は自らの人生を貶め欺瞞で満たすことだろう。
○空へ飛ぼうと、海へ潜ろうと、深山の岩陰に隠れようと、この世のどこにも死から逃れられる場所はない。
○これを行わねばならない、こう行った、こう行ってこうした結果を得よう、と騒がしく乱れた時を過ごしつつ、老苦と死苦を招いてしまう。
○こうした無常と日常生活の実態を知ったならば、静かに思いをこらし、いのちの行く末を観よ。修行は心を乱す魔ものを克服し、この世の苦から解放する。
○この身体は根本的に頼りになろうか。口などの穴からは不浄なものが漏れ出し、臭い匂いを発し、やがては病苦、老苦、死苦を招くではないか。
○欲の命ずるまま放逸に生きれば、悪行を重ねる。死が待っていることを忘れているうちに、短い寿命はすぐ尽きてしまうものを。
○子供も、父も、兄も救えない。死がやってくれば家族や親族の誰も救えず、たった一人で受けいれるしかない。
○昼も夜も漫然と怠惰に過ごし、老いても性欲に駆られ、財産があっても施さず、み仏の教えに耳を貸さぬなら、こうした悪弊は自らの人生を貶め欺瞞で満たすことだろう。
○空へ飛ぼうと、海へ潜ろうと、深山の岩陰に隠れようと、この世のどこにも死から逃れられる場所はない。
○これを行わねばならない、こう行った、こう行ってこうした結果を得よう、と騒がしく乱れた時を過ごしつつ、老苦と死苦を招いてしまう。
○こうした無常と日常生活の実態を知ったならば、静かに思いをこらし、いのちの行く末を観よ。修行は心を乱す魔ものを克服し、この世の苦から解放する。


