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2012
12.07

『四十二章経』第十章 五つの難事(その3)

2012120716.jpg
第十章 五つの難事 

仏(ほとけ)の言(のたま)わく、『天(てん)下(げ)に五(ご)難(なん)有(あ)り、貧(びん)窮(ぐ)にして布(ふ)施(せ)するの難(なん)、豪(ごう)貴(き)にして道(どう)を学(まな)ぶの難(なん)、命(みょう)を制(う)けて死(し)さぜるの難(なん)、仏(ぶっ)教(きょう)を覩(み)るを得(う)るの難(なん)、仏(ぶっ)世(せ)に生(うま)れ値(あ)うの難(なん)なり。』


4 仏教との縁が生ずることは困難です。

 第二番目に「権力や財力を持つと、謙虚さを忘れ尊大になって学ぶ姿勢を失いやすくなる」という指摘があります。
 そこまで行かずとも、普段の生活が何とかなっていれば、み仏へおすがりするという気持になかなかなれるものではありません。
 多くの方々にとって、宗教は関心や興味の対象や、せいぜい人生の指針にはなっても、生き方の柱になるというところまでは行かないものです。
 私自身をふり返ってみると、人生で第一番目の挫折を味わい行き先が見えなくなったおりに、あれこれと宗教の門を叩きましたが、とうとう納得は得られませんでした。
 結局、事業の失敗で何もかも失った時に唯一の道としてたち顕れ、その後の生き方を決定する真の縁となりました。
 たくさんの門を叩いたのは事実ですが、最終的に〈自分が仏教真言宗を選んだ〉という意識はまったく無く、み仏に縁の糸を結んでいただき、導かれたというしかありません
 お釈迦様は、こうしたありようを「仏教を覩(ミ)るを得(ウ)るの難」と説かれました。
 だから、こう誓ったりします。

「人身(ジンシン)受け難し、今、己(スデ)に受く。
 仏法聞き難し、今己に受く。
 この身、今生(コンジョウ)に度(ド)せずんば、 
 更に何(イズ)れの生(ショウ)に於いてか、この身を度(ド)せん」


(人間に生まれるのはなかなか困難だが、今すでに人間として生まれた。
 仏法を聞くのもまた、なかなか困難だが、今すでに学んだ。
 この身このままで現世に悟りを開かねば、
 いったい、いつ、悟りを開く機会を得られようか)
 そして、励むのです。

5 み仏がこの世におられ、直接お導きいただくのは困難です。
 
 悟りを開き解脱(ゲダツ)した釈迦様はみ仏となって人々を導かれ、56億7千万年後には、弥勒菩薩(ミロクボサツ)がお大師様と共にこの世へ現れ、最後の一人までをもお救いくださいます。
 その中間の期間は、この世にみ仏がおられないので、悩み苦しみ救いを求める人々の心の声に応じてお地蔵様を初めとして、さまざまなみ仏がお守りくださいます。
 だから、こう唱えたりします。

「二仏(ニブツ)出世(シュッセ)の中間(チュウゲン)に
 果報つたなく生まるれど
 いかなる宿世(スクセ)の種因(シュイン)にて
 解脱(ゲダツ)の時を得たりけん」


(お釈迦様が去り、弥勒菩薩様が降りてこられるまでの無仏時代に生まれ合わせたのは悲しい因果だが、
 いかなる因縁によってか、悟りを得るためのありがたい機会を得た)
 そして励むのです。

 み仏の教えに接し、よく考え、納得できるとは何とありがたいことでしょうか。
 ましてや、祈り、お救いを感得できるなどは最上の幸せです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
02.16

悪党への四つの思いやり ─『四十二章経』第五章─

 中国へ伝わった最初の仏典とされる『四十二章経』は悪党菩薩(ボサツ)のやりとりを示しています。

「仏の言(ノタマ)わく、
『人愚(オロカ)にも以(モッ)て吾に不善を為すも、吾は四等(シトウ)の慈を以(モッ)て、之(コレ)を護済(ゴサイ)せん。
 重ねて悪を以(モッ)て来(キタ)らば、吾重ねて善を以(モッ)て往(ユ)かん。
 福徳の気は常に此(ココ)に在(ア)り、害気の重殃(ジュウオウ)は、反(カエ)って彼(カシコ)に在(ア)り』」


 もしも誰かが悪しきことをしかけてきても、自分は同じように反応はせず、慈悲の心で愚かな相手を救おうとします。
 釈尊は、罵(ノノシ)られたから罵り返すのではなく、悪口(アック)という悪行が口にする本人へ災厄をもたらすことを知らない愚かさ、哀れさを何とかしてあげたいと心から願われます。
 しかも、もしもこちらの気持が通じなくて、さらに攻撃してきたならば、こちらもざらに善い心を発揮して対応しようとされます。
「四等の慈」とは、四等心の別名を持つ「四無量心(シムリョウシン)」です。

1 慈無量心(ジムリョウシン)
 与楽(ヨラク)と言い、生きとし生けるもの一切へ「良かれ」と願う心です。
 この心になるためには、生きとし生けるものは皆、如来蔵という成仏の核を持っていることを観なければなりません。
 成仏し得る一切のものたちと共に、光明の世界をめざすのです。
2 悲無量心(ヒムリョウシン)
 抜苦(バック)と言い、生きとし生けるもの一切が「苦から解放されるように」と願う心です。
 この心になるためには、皆が成仏の核を持っていることを知らず、苦の海であえぐ実態をきちんと観なければなりません。
 同胞の苦は見捨てておけないのです。
3 喜無量心(キムリョウシン)
 不害(フガイ)と言い、生きとし生けるもの一切の「輝き」を喜ぶ心です。
 この心になるためには、皆の本体が蓮華のように清浄であることを観て、そうした何ものへ対しても苦を与えることのできない心にならねばなりません。
4 捨無量心(シャムリョウシン)
 平等と言い、生きとし生けるもの一切へわけへだてなく慈無量心、悲無量心、喜無量心を起こす心です。
 この心になるためには、一切の本来的ありようが空(クウ)であることを観なければなりません。

 釈尊は、悪意や害意を持って向かってくる相手に対しても例外とせず、この四つの心をもって救おうとされます。
 そして決定的な言葉が来ます。
福徳をもたらす目に見えないパワーはいつも慈悲の心の周囲にある。
 災いをもたらす眼に見えないパワーはその反対に、害意を持つ者の周囲に集まり積もる」

 とても難しいことではありますが、相手の害意によってこちらの煩悩が反応しないよう心がけたいものです。

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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
01.17

地位や財物をどう観るか ─『四十二章経』第四十二章─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、三年半かけて学び、つに最終回へ到達しました。
 四十二ヶ月、寒い冬も暑い夏も震災後も、一ヶ月に一度、善男善女が自発的に集まり、機関誌作りに精を出し、同時に学ばれました。
 このボランティア活動は、『四十二章経』を学び始める前から続いており、これからもきっと続けてくださることでしょう。
 そして、中国へ最初に伝わった経典とされる『四十二章経』は、当山で口伝を受けた方々だけでなく、きっと、たくさんの方々の心の糧となることでしょう。

 最終回の勉強は「観方」でした。

「仏の言(ノタマ)わく、
『吾(ワレ)諸侯(ショコウ)の位を視(ミ)ること、過客(カカク)の如(ゴト)く、金玉(コンギョク)の宝を視(ミ)ること、礫石(チャクシャク)の如(ゴト)く、氎素(ジョウソ)の好(コノ)ましきを視(ミ)ること、弊帛(ヘイビャ)の如(ゴト)し』」


 釈尊は説かれました。
「私の目から観れば、君主たちの位は旅人のありようと変わらない。
 金や玉石などの宝物も砂利のありようと変わらない。
 白絹でできた美しい衣装もまた、破れた絹の布のありようと変わらない」

 地位や財物や衣装などはどうでもよいというのではありません。
 そうしたものたちと人間性は関係がなく、釈尊は凡夫と違って、常に、何ものにも智慧の眼を曇らされることなく人間性そのものを観ておられるのです。
 私たちも又、誰かと接する際にも、自分をふり返る際にも、夾雑物を除いてきちんと観たいものですが、なかなかそうはゆきません。
 権勢を誇る人には「汚い人だ」と判断してもへつらい、社会的力のあまりない人には「立派な人だ」と判断しても近づかなかったりします。
 これでは、他人を利用し、自分を甘やかしかねません。

 昭和42年、作家伊藤整は「魅力ある顔」というエッセイを書きました。
 その中に、年配のご婦人から聞いた話があります。
 汽車旅行をしていたご婦人は、たまたま前の席に座っていた少女に何とも言えない魅力を感じて話しかけてみたところ、「実に頭もよい人であったので、その婦人は感動しました」。
 住所氏名まで書きとめてから、少女の足が悪いことに気づきました。
 ちょうどその頃、ある青年のお嫁さんを探していたので紹介してみたらうまく行き、二人は仲良く暮らすようになったといいます。
 太宰治にも似たような題材の小説があることを紹介し、「太宰治という作家と、私が話を聞いたその婦人が、不具の少女の顔に見出したところの『よさ』とは何でしょうか?」と問い、続けて答を披瀝しました。

「私はそれを、人生を底部から理解している人間の持つ表情の輝きだ、と言いたいのです」


「健全な身体を持つ少女は、そこを当然の立脚点として、もっと美しい容貌になりたいとか、もっと似合う着物を着たいとか、よいお婿さんと結婚したい、という、より以上の幸福への欲望を持っていますが、自分の存在の根本のことを忘れているのが常です。
 自分が何か、ということが分かっていないのです。
 それが悪いというのではありません。
 そういう希望と願いによって、人はより快適な生活を手に入れるのです。
 しかし、われわれの人生を作っているのものは、その前へ進む願いだけではありません。
 どのような根本条件によって我々の人生が作られているか、ということが分かったとき、人間は自分の存在を理解するのです。
 もしも不具の少女が、不具であることによって自棄的にならず、絶望に身をほろぼすこともなく、自分と他人の存在の仕方の違いを見て、人間のあり方を理解するだけの精神力を持っていれば、そのとき少女は、普通、人間が、それと気づかずに持っている生活の意味を根本から理解します。
 そしてもし、さらにその少女が心さとい人間であるならば、不具が必ずしも不幸でなく、それは狂気や頽廃よりも幸福であることが分かります。
 さらに自分が生きて、存在しており、青空と白い雲とを見、鳥と虫とを聞くことの幸福も理解するでしょう。
 そういう少女の顔こそ、太宰治が見たところの『生きた顔』であり、私に語った其婦人が見たところの『魅力ある顔』であったにちがいないのです」


 人生相談にご来山される方々の中に、こうした『生きた顔』や『魅力ある顔』を見つける場合があります。
 それは、東日本大震災で被災した方であることもしばしばであり、神々しささえ感じさせられます。
 お身内を失われた方の言葉と共にその眼から涙があふれ、その眼に希望の光が宿ると、自分の口からdりょうとしている言葉などは風船のごときものでしかなくなります。
 今回の教えを念じ、地位や財産や衣服を空(クウ)にして人を観、『生きた顔』や『魅力ある顔』を見落とさずに生きて行きたいものです。

〈先に歩いたのは誰?〉
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2012
01.10

精進 ─『四十二章経』第四十一章─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、三年半かけて学び通す予定です。
 今回の勉強は「精進」でした。

「仏の言(ノタマ)わく、
『諸の沙門(シャモン)の(ドウ)を行ずるは、当(マサ)に牛の負(オ)うて深泥(シンデイ)の中を行くに、疲れ極りて敢(ア)えて左右(サウ)を顧(カエリ)みず、泥を離れんと欲するに趣(オモム)いて、以(モッ)て自ら蘇息(ソソク)するが如(ゴト)くすべし。
 沙門(シャモン)の情欲を視(ミ)るや、彼(カノ)泥よりも甚(ハナハダ)し。
 心を直(ナオ)くし、を念ずれば、衆苦(シュク)を免(マヌカ)るべし。』」


 釈尊は説かれました。
行者が修行をするのは、牛が重い荷物を背負って深い泥の中を行くようなものである。
 牛はどんなに疲れきってしまっても、あえて左右に休む所を探さず、泥から脱することができる場所へと向かってまっすぐに進み、ホッと一息つくものである。
 行者もこの牛のように、悟りの境地へ一直線に進まねばならない。
 行者が煩悩の深さをよく観れば、牛が歩む泥の比ではない。
 しかし、決心を揺るがさず、常に仏を心に保てば、必ず、もろもろの苦を脱する時がくるであろう」

 実に仏は〈〉であり、この教えにひるむか、それとも納得するかは決心の堅さによります。
 中年にさしかかってからこのへ入り、還暦を過ぎた者の経験からすれば、「心を直(ナオ)くし、道を念ずる」は、歩みきるための要点を衝いて余すところがありません。
 
1 心を直くすること

 これは、ただただじるという意味ではありません。
 「」と「」を突き進めることです。
 仰を意味し、霊性を動かす確でです。
 (ゲ)は理を意味し、知性を総動員しての曇り無き納得です。
 確は納得によって深まり、納得は確信によって根拠を与えられます。
 
 東日本大震災以来、日本の未来はますます不透明になりました。
 社会では不満の渦が強くなりつつあり、それに乗じたマスコミやネットなどの論調はますます一人一人の不安に拍車をかけ、「要するにどうすれば良いのか!」と短兵急に結果を求める気持が満ち始めています。
 しかし、これはとても危険な兆候です。
 生きてみるとわかるとおり、人生は実に〈まどろっこしい〉ものであり、不如意の連続です。
 多くの人々にとっては、まさに、牛が泥の中を歩くようなものです。
 走りたくなっても走れず、近く見えるあぜ道の方へ行こうとすると、より深い泥に足を取られ、やむなく元の進路へ戻ったりもします。
 確かにままならないのが人生ですが、泥の中で一歩一歩と踏みしめているうちに、まっとうな〈ふるまい〉が身につくものです。
 まれに、牛なのに馬のような早さを兼ね備えた人もいますが、そうした人は往々にしてたった一つの深い窪みでバランスを崩し、歩みの列から脱落する危険性があります。
 こうした時代であればこそ、私たちは牛であることを再認識する必要があります。
 人生相談を受けていると、一日でも早く「ここから脱したい」気持はわかりますが、やはりマハトマ・ガンジーの言った「よきものはカタツムリのように進む」という視点を忘れないようにせねばなりません。
 さもないと、万能の神や、一気に社会を変える英雄や、未来を見透す神通力を持った理論などに惹かれ、人格は錐のようになって寛容さを失い、熱に浮かされた社会は人々からまっとうなふるまいを奪いかねません。

 今、大切なのは、自分が何かを信じているのと同じように、他人もそれぞれ何かを信じており、それはみ仏の眼からご覧になれば平等であるという〈ものの道理〉です。
 それが腑に落ちるためには、どうしても「」が必要です。
 各々が信じているものを各々が尊重するという大人の社会であってこそ、「信」はそれぞれの花を咲かせられます。
 他人の信じているものを尊重しない社会で、どうして自分の花だけを咲かせられましょうか。
 宗教にも政治にも、心を直くし、信とを深め合うことが求められます。

2 道を念ずること

 いわゆる「寝ても、起きても」の状態です。
 人の道をまっとうに歩むという意識から四六時中、離れないことです。
 もちろん、朝から晩まで真言や般若心経を唱え続けるという生き方ではなく、船がバラスト水によってバランスを保つように、自分なりに肝腎であると信ずる教えを心の深いところへ保ち、たとえ無意識の裡にもそこから離れないようにしたいものです。
 たとえば仏道にあっては、「七仏通戒偈(シチブツツウカイゲ)」があります。
 釈尊より過去に悟られたみ仏方も共通して説かれたとされる人の道です。

「諸悪莫作(ショアクマクサ)
 衆善奉行(シュゼンブギョウ)
 自浄其意(ジジョウゴイ)
 是諸仏教(ゼショブッキョウ)」


(もろもろの悪をなさず
 もろもろの善を行い
自らその心を浄くする 
 これがもろもろの仏の教えである)
 読めば至極あたりまえの内容ですが、自分の身口意のはたらきがこのあたりまえの内容から決して外れないかとふり返ってみれば、怪しいものです。
 カッとなって大声を出す。
 被災された方のためにもっとやれるはずなのにやらない。
 心を清める修行を怠る。
 これでは、教えに背いています。
 だから、こうした短い教え一つをとっても、念ずる(心に保って放さない)ことは、まっとうに生きるために決して欠かせません。
 念ずる大切さを再認識したいものです。

隠形流居合の行者は「七言法」を念じています)
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2012
01.08

道の完成 ─『四十二章経』第四十章─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、三年半かけて学び通す予定です。
 今回の勉強は「の完成」でした。

「仏の言(ノタマ)わく、
『人の(ドウ)を為(ナ)して能(ヨ)く愛欲の根(コン)を抜くは、譬(タト)えば懸珠(ケンジュ)を摘(ツ)むが如(ゴト)く、一一(イチイチ)に之(コレ)を摘(ツ)めば、会(エ)盡(ツ)くる時有り、悪盡(ツ)くれば(ドウ)を得(え)ん。』」


 釈尊は説かれました。
「人が修行して悟りへ向かい、煩悩(ボンノウ)を根本から断つのは、たとえば、数珠の珠を繰るようなものです。
 一つづつ繰って行けば、やがて繰るべき珠がなくなり全部を繰り終わる時がきます。
 こうして悪の根がなくなれば、修行は完成するのです」

 数珠は念珠とも呼ばれます。
 数を数えながら念じる法具です。
 そもそもはバラモン教で用いられ、紀元前2~3世紀頃から仏教へ取り入れられ、やがてキリスト教のロザリオにもなりました。
 実際にやってみるとよくわかるのですが、一定の回数を唱えようとした場合、無意識に動く手がその役割をやってくれると、唱える文言へ集中できます。
 
 ここでは、身口意へ悪しきはたらきをさせる煩悩(ボンノウ)の克服が修行であると説かれています。
 修行のいのちは継続にあり、修行はあたかも数珠を繰るように、一つまた一つと煩悩(ボンノウ)を滅して行くのです。
 釈尊は、数珠に繰り終わる時が来るのと同じく、修行は必ず悟りへ導くと約束しておられます。

 苦の原因である煩悩(ボンノウ)を滅するイメージとして、開墾する場合に木の根を取り除くことや、満月にかかる群雲を払うことや、数珠を繰ることが説かれました。
 そうして苦の原因がなくなれば、苦は発生しなくなります。
 では、原因をなくすとはどういうことか?
 なぜ、心のはたらきは変わるのか?

 2000年以上もそれを探求してきた仏教は、こう説きます。
「生まれた時すでに、心の深いところへ過去世の結果としての心のはたらきが蓄積されており、それが、ある子供を特定する〈その子らしさ〉として現れる。
 その後、生きて行く過程での体験もまた、生まれ持った心の上層へ蓄積される。
 生まれ持ったものは変えられないが、この世での体験によって積み重ねるものは、体験が選択できるので、意志で変えられる。
 運命宿命ではなく、自由意志のかかわりによって創造できる。
 修行の意義は、善き体験を重ねて善きものを心へ蓄積し、その影響によってはたらく善き心により、善き人格と善き人生と善き社会を創造するところにある」

 ここから、数珠を繰る意義は二つあります。
 一つは、悪しき原因を取り除くという〈滅する〉イメージ。
 もう一つは、善きものを発揮する、すなわち、み仏の徳を〈輝かせる〉イメージ。
 前者は、108ある珠を繰りながら108の煩悩(ボンノウ)を克服する思考となり、後者は、心におられる108尊のご加護をいただく思考となります。
 密教では「人は皆、み仏の子である」という信念から、修行の本分は本来持っている徳を輝かせることにあるという姿勢が強く、主として後者のイメージで数珠を繰ります。
 いずれにせよ、心を定めてしっかりと数珠を繰りましょう。

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