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2014
07.13

〈バレなければいい〉は正しいか? ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その79)─

2014071300002.jpg
〈「みやぎ四国八十八か所巡り道場」の気持ちよさは格別です〉

201407130001.jpg

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 いよいよ、最終回となりました。

「砂で塔を作る人は
 早く黄金色の健康な肌となる
 大切な花を折ってみ仏へお供えする人は
 速やかにみ仏が坐する蓮華の台へと導かれる
 み仏の教えをたった一句、信じて心に保つだけでも
 この世を動かす転輪王ほどの力を持つ
 たった一部しか教えを聞かなくとも
 その徳は世界中の宝ものよりも勝れている」


 現代では、紫外線で肌が灼けることをあまり歓迎しない向きもあるが、以前は、子供たちが陽光を浴びて黄金色の肌になることを健康な証拠として喜んだ。
 砂遊びに夢中になっていると健康な肌が得られるように、花を供えることも、教えを一つ心に保つことも、教えを学ぶことも、必ず大いなる結果に結びつく。
 たとえ僅かな時間しか、かけなくても、教えの扉を開けば、その先には広大で豊潤な世界が広がっている。
 以下、原文である。

「砂(イサゴ)を聚(アツ)めて塔を為(ス)る人
 早く黄金(コガネ)の膚(ハダエ)を研(ミガ)く  
 花を折つて仏に供(クウ)ずる輩(トモガラ)は
 速(スミヤ)かに蓮台(レンダ)の趺(アナウラ)を結ぶ 
 一句信受(シンジュ)の力も
 転輪王(テンリンオウ)の位(クライ)に超(イタ)る  
 半偈(ハンゲ)聞法(モンポウ)の徳も
 三千界(サンゼンカイ)の宝にも勝(スグ)れたり」


「機根が勝れている人は、ぜひ、仏道を学ぶべし
 機根が中くらいの人は、国の恩、親の恩、生きものの恩、仏法僧の恩を忘れないようにせよ
 機根が勝れていない人は、天界から地獄界まで、いずれの世界にも生きている
 どこにいようとも、仏道を学び、仏道を生きることができる」


 機根の上下は、人間を差別する考え方ではない。
 言わば、仏道との相性のようなものである。
 ピンと来る人は仏道を学び、あまりピンと来ない人は、とにかく恩知らずにだけはならないようにしようと説いている。
 そして、先の見えない地獄界やあまり苦を感じない有頂天の世界にあっても、仏神は必ず見ておられるので、縁によって気づきさえすれば導かれ、救われ、誰かのためになることもできるのである。
 以下、原文である。

「上(カミ)は須(スベカラ)く仏道を求む
 中(ナカ)は四恩(シオン)を報(ホウ)ずべし  
 下(シモ)は編(アマネ)六道(ロクドウ)に及ぶ
 共に仏道成(ナ)るべし」


「この経典は、幼い童などを人の道に導こうとして
 因果応報道理について説明した
 日本の書物も外国の書物も引用した
 この経典を読む人は、内容を謗ってはならない
 この書物の教えを聞く人は、内容を笑ってはならない」


 最後に、念を押すように示されているのが因果応報道理である。
 その理由は、あらゆる倫理・道徳がこの道理を離れてはあり得ないからである。
 もしも、稲の種を蒔いて毒ハーブができるならば、私たちは生きられない。
 しかし、ネット社会は、〈匿名性〉によって深刻な状況をもたらした。
 たとえばサイバー攻撃とは、国家的規模による破壊や侵害であり、その暴力性は〈匿名〉であるだけに際立って悪質である。
 もしも、覆面で他人の家へ忍び入り、知らぬ間に家人が大切にしているものを破壊して去ったなら、いかなる罪状が列記されるかを考えればすぐにわかるように、サイバー攻撃は明確な悪行である。
 今は、メールや掲示板で他人を侮辱し、罵倒し、知らん顔ができる。
 もしも面と向かって相手の人格を侵害したなら、反論され、怒りを買い、あるいは悲しませ、落ち込ませ、いずれにしても相手の変化を自分で受けとめねばならないが、自分を隠しているので、相手の変化から無縁でいられる。
 気に入らない相手を闇夜に紛れて棒で殴り、倒れた相手をそのままにして走り去り、何知らぬ顔で翌朝を迎えたなら、その暴力性は〈匿名〉であるだけに際立って悪質ではないか。

 不当な攻撃や悪質な勧誘などが横行するネット社会の悪は、因果応報から都合良く逃れられるという強い錯覚によってもたらされた。
 一昔前は、「お天道様が見ているぞ!」と子供の嘘を叱った。
 それは、因果応報を教え、恥を教える言葉だった。
 現代では、お天道様を失ったかのように、卑劣な形でありとあらゆる悪行が横行し、人々はいつでも恥知らずになれる。
 今こそ、因果応報道理すなわち、お釈迦様が説かれた仏教の根本を見直すべきではなかろうか。
 これ以上、〈バレなければいい〉という倫理の崩壊が進まぬよう、強く願ってやまない。
 以下、原文である。

「幼童(ヨウドウ)を誘引(ユウイン)せんが為(タメ)に
 因果(インガ)の道理を註(チュウ)す  
 内典(ナイテン)外典(ゲテン)より出(イ)でたり
 見る者誹謗(ヒボウ)すること勿(ナカ)れ  
 聞く者笑(ショウ)を生(ショウ)ぜざれ」


 もしもこのまま、因果応報道理をあざ笑い続けるならば、私たちの文明に果たして、まっとうな未来はあるだろうか……。




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2014
07.06

他人の善行をすなおに喜べるか、ヤクザの男意気に涙できるか ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その78)─

2014070500125.jpg

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。

「もし、貧窮していて布施に用いられる財物がなくとも、
 他人が布施を行うのを目にしたならば、我がことのように喜びたいものです」


 以下は原文です。

「若(モ)し人(ヒト)貧窮(ビングウ)の身にて
 布施(フセ)すべき財無く
 他の布施(フセ)を見る時
 随喜(スイキ)の心を生(ショウ)ずべし」


 布施の心がある人にとって、自分ができない状況にあることは大変、辛いものです。
 たとえば、極貧だったり、病気だったり、家族の理解が得られなかったり、老いたり、意志があってもできない場合のもどかしさは、言葉になりません。
 そんな時、お金にゆとりのある人が多額の協力金を拠出したり、健康な人がボランティア活動で汗を流したり、家族揃って奉仕活動に参加したり、若い人が街頭募金の先頭に立ったりするのを見ると、淋しくなったり、羨んだり、落ち込んだりするかも知れません。
 そこで、もしも、他人の徳積みを本心から喜べるようであれば、自分が布施をできなくても、心は気高くなります。

 人間らしい尊さが身につくための心がけに以下の三つがあります。

1 有徳者(ウトクシャ)を尊敬(ソンギョウ)すべし

 徳の高い人は、自分で偉ぶったり、経歴をひけらかしたりしなくても、はっきりとそれらしい気配があるものです。
 こうした方に会った時、皆が皆、自分もこういう人になりたいと思えるわけではありません。
 やっかんだり、虚勢を張ったり、無視したりといった態度に陥りがちです。
 いずれも、自分を他人より低くしたくないという〈裏返った慢心〉のなせるわざです。
 これでは、人格が磨かれません。

 大切なのは、慢心に薄汚いと感じる感覚を鈍らせないことです。
 仏教では、常に自分を他人よりも高くしておきたいという誤った自己評価を「慢」と言います。
 代表的なものは「七慢(シチマン)」です。

・ 慢(マン)…自分と同レベルの相手へは闘争心を燃やし、劣っている相手へは自惚れる。
・ 過慢(カマン)…自分と同レベルの相手へは自分が勝っていると誇り、自分より上のレベルの相手へは自分と同レベルであると引き下ろす。
・ 慢過慢(マンカマン)…自分より上のレベルの相手よりも自分はさらに勝っていると自惚れる。
・ 我慢(ガマン)…自分本位で過剰な自負心を抱く。
・ 増上慢(ゾウジョウマン)…力や悟りや財物など、得ていないものを得たと誇る。
・ 卑慢(ヒマン)…遥かに高いレベルの相手に対して、少し負けているだけと虚勢を張る。
・ 邪慢(ジャマン)…自分の悪行や過ちを認めず、すべて正当化し、愚かさを棚に上げて人徳を誇る。

 人徳者はすなおに尊敬し、自分にもその徳を分けてもらう気持が大切です。

2 善行(ゼンギョウ)を讃歎(サンタン)すべし

3 善行(ゼンギョウ)に随順(ズイジュン)すべし

 いずれも、前項と同じ心構えです。
 善き行いをしている人は心から誉め讃え、自分もその善行に加わりたいと思う気持が大切です。




「困難に陥り、困っている人を見て我がことのように悲しみ、布施をするならば。
 たった一人を救うだけでも、積まれる功徳は大海のように大きい。
 もしも、自分の利益をはかって誰かに施しを行うならば真の布施行ではなく、
 善き報いはせいぜい、芥子粒程度のものであろう」


 以下は原文です。 
 

「心に悲しんで一人に施せば
 功徳(クドク)大海(ダイカイ)の如(ゴト)し  
 己(オノ)が為(タメ)に諸人(ショニン)に施せば
 報(ホウ)を得(エ)ること芥子(ケシ)の如(ゴト)し」


 施しの最大の動機は、「ああ、大変だろうなあ」と心の底から感じる思いです。
 それが「悲しんで」の意味です。
 これが起こると、手を差し伸べないではいられなくなります。
 悟る方法について『大日経』は説きます。
「大悲を根本とする」
 そして、この心が起こるためには、前段として、「人として生きるにはどうすればよいのだろうか?」という根本的な問いと、人の道を探さないではいられない探求心がなければなりません。
「菩提心(ボダイシン)を因とする」
 つまり、人生に迷ったならば、そこから逃げず、問いと探求心を持ち続けることが大切です。
 そうしているうちに、もがく心が、もがく他者への目を開かせてくれるでしょう。
 この教えの肝は冒頭にあります。
 本当に悲しむならば、大悲が起こるならば施さないではいられず、それは容器一杯になった水があふれるようなものです。
 もう、「大海」のような功徳は約束されているのです。

 こうした純粋な気持からではなく自分を目立たせたいとか、恩を売りたいなど、自分本位な考え方で施すならば、せっかくの善行も、芥子粒ほどしか善き報いをもたらさないという教えも、しっかり、心に留めておきたいものです。
 かつて、阪神淡路大震災のおりには、山口組が数十万食とも言われるほど膨大なカップラーメンなどの備蓄品を提供しました。
 東日本大震災が発生した翌日には、稲川会が避難物資を満載した4トントラック25台で北上し、身分を隠して〈目立たぬように〉配りました。
 原発事故の後も、普段着のまま、一般道路で福島をめざしました。
 ほとんど報道されず、微かな情報ももはや、忘れられかけていることでしょうが、陰の主役として、戦後の混乱期に日常生活の秩序を維持した彼らの男意気は伏流水のように残っていたのです。
 文武両道のうち「文」は主として平時における霊性のはたらき、「武」は主として非常時における霊性のはたらきという考え方からすれば、常々、暴力を看板に生きている彼らが非常時に大いなる力を発揮したのも、むべなるかな、という感があります。
 警察も自衛隊も、武の人々ではありませんか。
 ヤクザとして嫌われ、蔑まれている漢(オトコ)たちは、物資を何としても〈受けとってもらいたい〉一心で、黒子のように注意深く行動しました。
 決して忘れられません。




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2014
07.05

布施によって喜びを、空に従って清々しさを ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その77)─

2014070400123

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。

「人は、できる限り他人へ施しましょう。
 布施は、人の道を体得する糧となります。
 人は財物を惜しまず、施すようにしましょう。
 財宝に執着すると、人の道を体得できなくなります」

 以下、原文です。

「人(ヒト)尤(モット)も施しを行(オコナ)ふべし
 布施(フセ)は菩提(ボダイ)の粮(カテ)
 人(ヒト)最も財を惜しまざれ
 財宝は菩提(ボダイ)の障(サワ)り」


 人の道は畢竟、見返りを求めず誰かのためになり、相手の喜びをすなおに喜べる人になることに尽きます。
 それは、二つの真理に基づいた道だからです。

1 生きとし生けるものは、あらゆるの中で生かされている

 私たちはすべて〈生かされている〉存在である以上、同時に〈生かす存在〉であらねばなりません。
 なぜなら、生かされているとは、自分を〈生かしてくれている〉相手に囲まれていることであり、もしも自分が誰かを生かす存在でなくなれば、周囲を〈生かし合う〉世界が壊れてしまうからです。
 水の分子式は「H2O」です。
 Hで表される水素の分子が二つと、Oで表される酸素の分子が一つ、合計三つの分子が結合して水になっています。
 三つの分子のうち、どれか一つでも外れたならば、水にはなりません。
 それと同じと考えられはしないでしょうか。
 もしも自分が〈生かし合う〉存在から外れようとするならば、生かし合っている世界は濁ります。
 気まま勝手で、奪おうとする人が増えれば、人間界は争いの修羅(シュラ)界や、恥知らずの畜生界へと変質し、行く先は地獄界になります。
 
 誰かのためになることは、人間界に生きる私たちの本源的ありようなので、布施を行うと、深く充実感のある喜びが湧いてきます。
 余分なお金を手にして美味しいものを食べた後で、またもや別の美味しいものを探さないではいられないような、一時的満足感とは異質です。
 布施は、乾いた大地を潤し、淋しい心を潤す慈雨であり、過分な貪りは、乾いた喉に流し込む塩水のようなものなのです。
 生かされ、生かす世界の存在にふさわしい行動によってもたらされる喜びは、親であるみ仏からのご褒美かも知れません。

2 すべては(クウ)である

 もの惜しみをする人は、哀しい人です。
 の真理を知らないか、知っていても我欲(ガヨク)に負けているからです。
 そもそも、五蘊仮和合(ゴウンケワゴウ)と言い、五つの条件がたまたま調っているからこそ、〈自分〉はここにいられます。
 条件がそろい、たまたま存在しているのは、を生きていることに他なりません。
 肉体的条件か精神的条件のどちらかに大きなダメージが生ずれば、たちまちにして〈自分〉はあやふやなものとなり、この世から消える場合もあります。

 五つの条件は以下のとおりです。
・色蘊…肉体やモノ
・受蘊…感受作用
・想蘊…表象作用
・行蘊…意志作用
・識蘊…認識作用

 般若心経を読んだり書いたりしている方は、「五蘊(ゴウンカイクウ…五蘊は皆、である)」及び「無色無受想行識(ムシキムジュソウギョウシキ…色も受想行識も無い)」は、とくと、お馴染みなはずです。

 私たちの心には四魔(シマ)が住んでいるとされています。
 その一つが蘊魔(ウンマ)です。
 蘊魔が強くはたらいている人は、ウジウジと何かかにかに囚われ、周囲へ重い気を漂わせます。
 いかに威勢がよくても、権勢を誇っていても、よく観るとどこかにジトッとした雰囲気があり、カラッとしていません。
 布施は、黒い蘊魔を消す徳の明かりです。
 とにかく、誰のために、何かを手放してみましょう。
 これまでは「惜しい」と思っていたのに、なぜか「清々しい」と感じられることでしょう。
 条件がそろい、たまたま存在しているのは〈自分〉だけではなく、モノもお金もそうです。
 だから、古人は言いました。
「金は天下の回り物」
 思い切って手放すのは、回り物を世間へ回してやっただけのことです。
 空という真理に添った行為だから、清々しくなるのです。

 若い方々は、生きるためのスキルを得ようとするだけでなく、「布施(フセ)は菩提(ボダイ)の粮(カテ)、財宝は菩提(ボダイ)の障(サワ)り」を肝に銘じて世の中へ巣立っていただきたいと願っています。
 すでに巣立った方々にも、もちろん、心に留め置いていただきたいものです。




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2014
07.01

無常を知るのに早すぎるということはない    ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その76)─

20140630030.jpg
〈それぞれに〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。

「いかに豪華な衣装であっても、必ずやってくるあの世へ旅立つ時の準備にはなりません。
 金銀も宝石も、ただ、自分がこの世にいる間の財宝でしかありません。
 ぜいたくな暮らしも、万事が意のままになる勢いも、ましてや、仏道の役には立ちません。
 高い役職を誇ろうとも、たかだか、この世での名声、譽れでしかありません。」

 以下、原文です。

「綾羅(リョウラ)錦繍(キンシュウ)は
 全く冥途(メイド)の貯えに非(あら)ず  
 黄金(オウゴン)珠玉(シュギョク)は
 只(タダ)一世(イッセ)の財宝 
 栄花(エイガ)栄耀(エイヨウ)は
 更(サラ)に仏道の資(タス)けに非(アラ)ず  
 官位寵職(チョウショク)は
 唯(タダ)現世(ゲンセ)の名聞(ミョウモン)」


「寿命の長い亀や鶴のようにと末永い契りを誓っても、露が朝陽に消えゆくように、儚いものです。
 仲の良いオシドリのように寄り添っても、身体が元気なうちのことでしかありません。」

 以下、原文です。

「亀鶴(キカク)の契(チギ)りを致すも
 露命(ロメイ)の消えざるが程は  
 鴛鴦(エンオウ)の衾(フスマ)を重ぬるも
 身体(シンタイ)の壊(ヤブ)れざる間(アイダ)」


「いかに恵まれた天界へ昇ろうとも、生死の輪廻を脱しない限りは、楽しみ続けられません。
 天界の王である梵天であっても、いつかは火や血や刀で苦しむ地獄への転生を免れません。   
 十もの徳を兼ね備えた長者スダッタですら、無常の鬼に連れ去られ、あの世へ行かねばなりません。
 七宝を用いてつくったたくさんの仏塔へ仏舎利を納めるほど福徳のあるアショーカ王すら、寿命をお金で買うことなどはできませんでした。」

 以下、原文です。

「忉利(トウリ)摩尼殿(マニデン)も
 遷化(センゲ)無常を歎(ナゲ)く  
 大梵(ダイボン)高台(コウダイ)の閣(カク)も
 火血刀(カケツトウ)の苦しみを悲しむ  
 須達(シュダツ)の十徳(ジットク)も
 無常を留(トド)むること無し  
 阿育(アイク)の七宝(シッポウ)も
 寿命を買うこと無し」


 無常の理は、「さあ、これから」と未来へ向かう姿勢の強い子供たちへ、きっちりと教えられていました。
 さまざまな勉強は、「官位寵職(チョウショク)は、唯(タダ)現世(ゲンセ)の名聞(ミョウモン)」と知った上で、蛍の光や窓の雪を便りに行っていたのです。
 おのづから、自分中心の小我(ショウガ)は抑制され、同じ無常を生きている周囲の人々への思いやりが醸成されていたのではないでしょうか。

 明治33年に生まれた世界的物理学者中谷宇吉郎は、パリからベルリンへ旅立つ時、同じくパリで勉強している数学者岡潔から、大きなカレイをごちそうされました。
 中谷は、好意に感謝するのではなく「岡さん、アメリカン・マーチャント(アメリカ商人)のようなことをしなさんな」と10回以上、叱りました。
 また、臨終を迎えた中谷は、奥さんへ子供たちに対する注意を述べ、自分が非常によくしてもらった礼を言い、「静子、他人(ヒト)には親切にするものだよ」と言い遺しました。
 岡潔は、このできごとが「小さな親切運動」の発端であると書いています。

 最近、NHKテレビでこんなシーンを見かけました。
 東日本大震災のおり、フィリピン人女性が大勢の日本人に混じって津波から避難していました。
 ようやく救助隊が到着しましたが、彼女は「私はフィリピン人だから、すぐに助けてはもらえない」と思いました。
 ところが、見知らぬ日本人から「一緒に行こう」と声をかけられたのです。
「ああなると、フィリピン人も日本人もなくなるんですね。
 助けてって言えば、助けてもらえるんだなあと思いました。
 そして、ここなら、この先、何とかなるって感じました。
 だから、気仙沼でやってゆこうと決心したのです」
 彼女は今、介護士をめざして特訓中です。

 こうした日本人の心の麗しさはどこから来ているのでしょうか。
 無常を知ること、そして、誰しもが無常を生きる存在として平等であると気づくこと、そして、そこから温かな思いやりを生じること。
 『実語教童子教』が、そうした心の流れをつくる〈深山に潜む泉〉の一つであると思われてなりません。




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2014
06.16

無常を見つめていた長屋の人々と子供たち    ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その75)─

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〈今年も『法楽農園』では自然農法による稲作が始まっています。自然農法家の大枝邦良先生が雑草を取り、藁科昇さんがボカシを撒いてくださいました〉

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 前回まで学んだとおり、親孝行をつらぬいた人々に起こった奇跡を述べてから、諭します。
 人は真理を知り、人の道を歩むことによって、娑婆の苦を克服できるのです。
 そうして生きている人を仏神は見捨てないのです。
 江戸時代の庶民も子供たちも、こう学びました。

「これらの望外な幸せを得た人々はすべて、
 父母に孝養をつくした人々です。
 それを観ておられた仏神のお力によって、願いは成就しました」

 以下、原文です。

「此等(コレラ)の人は皆
 父母に孝養を致し  
 仏神の憐愍(レンビン)を垂(タ)れ
 所望(ショモウ)悉(コトゴト)く成就す」


 続きます。

「生き死にを繰り返す中で、この世でのいのちなど、あっという間の無常なものでしかありません。
 早く苦しみから脱して安寧に生きられるように願いましょう。
 貪り、怒り、自己中心的に考えるこの身は不浄です。
 すみやかに悟りを求めましょう。」

 以下、原文です。

「生死(ショウジ)の命(ミョウ)は無常なり
 早く涅槃(ネハン)を欣(ネガ)うべし  
 煩悩(ボンノウ)の身は不浄なり
 速(スミヤ)かに菩提(ボダイ)を求むべし」


 続きます。

「忌避し、脱すべきは、煩悩にまみれた娑婆の生き方です。
 めぐり会った人などとの間に必ず別れがまっているというままならなさはどうでしょうか。
 いかに恐れても恐れきれないのは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天人界の6つを経巡る輪廻転生(リンネテンショウ)です。
 生まれた者は必ず死に、滅するのです。
 寿命などは、はかないカゲロウのようなものです。
 朝に生まれた者が夕方には死を迎えて何の不思議もありません。
 肉体はバショウのようなものです。
 強い風が吹けばたちまちに壊されてしまいます。」

 以下、原文です。
  

「厭(イト)いても厭(イト)うべきは娑婆(シャバ)なり。
 会者定離(エシャジョウリ)の苦しみ
 恐れても恐るべきは六道(ロクドウ)
 生者必滅(ショウジャヒツメツ)の悲しみ
 寿命は蜉蝣(フユウ)の如(ゴト)し
 朝(アシタ)に生れて夕(ユウベ)に死す  
 身体(シンタイ)は芭蕉(バショウ)の如(ゴト)し
 風に随(シタガ)つて壊(ヤブ)れ易(ヤス)し」


 『方丈記』、『徒然草』、『枕草子』を生んだ日本人の情緒と感性は、江戸時代になり、寺子屋などを通して庶民や子供たちにまで共有されていました。
 声を合わせて「厭(イト)いても厭(イト)うべきは娑婆(シャバ)なり。会者定離(エシャジョウリ)の苦しみ、恐れても恐るべきは六道(ロクドウ)」と読んだ長屋の人々は、いかなる気持で〈娑婆〉を生き、別れに耐え、餓鬼や修羅の心と戦ったのでしょうか。
 声を合わせて「生者必滅(ショウジャヒツメツ)の悲しみ、寿命は蜉蝣(フユウ)の如(ゴト)し、朝(アシタ)に生れて夕(ユウベ)に死す。身体(シンタイ)は芭蕉(バショウ)の如(ゴト)し、風に随(シタガ)つて壊(ヤブ)れ易(ヤス)し」と読んだ子供たちは、いかなる気持で未来を考え、育ったのでしょうか。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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