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2013
10.19

水に溶け、土へ還る人間 ─縄文土器と自然墓─

20131019050.jpg

 当山の自然墓は深い穴になっており、底が空いている。
 上に墓石はなく、穴は土に覆われ、土は植物たちに包まれている。
 左側に立つ山桜がやや覆い被さり、右側には常緑の高野槇が天を目ざして立つ。
 正面で合掌すると、草むらの向こうには七つ森の主峰、笹倉山が横たわっている。

 酒井健氏が「縄文のコスモロジー」に書いている。

「何百年か前に人間の遺体が納められたはずの大きな甕を開けてみたら、中には静かにが漲っていた。
 底の方に透きとおったがあるばかりで、も髪もみな溶けて、遺体を思わせるものは何もなかった。
 人体は最終的にはに帰る。
 数年前にかなり年配の方から聞いた話だ。
 真偽のほどをあれこれ考えるより、いい話だなと率直に受けとめたのを覚えている。」


 氏は、長野県茅野市の尖石縄文考古館で縄文土器の説明を受けた。

「縄文時代の住居跡から、あるいは集落中央の広場らしきところから、大ぶりの甕が発見された。
 とば口の面が当時の地面と同じになるようにして垂直に埋められていた。
 逆さの恰好で、つまり底が上にくるようなかたちで、埋められていたものもある。
 いずれの場合も甕の底部は欠落していた。
 完成品の底部を切断したらしい。 
 底なしの深鉢型の甕だった。
 地面から甕のなかへ、そして土のなかへ、文字どおり筒抜けの状態だったわけだ。
 ただしそのとば口には、あるいは上向きにされた底なしの底部には、しばしば平たい石で蓋がされていた。」


 遺などはまったくないが、この甕には嬰児や幼児の遺体が何体も納められたと考えられている。
 氏は思う。

を含んだ大きな土器の土、その下の土が、遺体の肉を、を髪を、へ帰していった。
 何百年かして縄文人たちは、そのを恵みの水として口に含んでいたはずだ。
 彼らは自然界の大きな循環をよく知っていたし、自分たちがそのなかに置かれていることに自覚的だった。」


 この時代の土器には、水煙や水紋の装飾が多く、縄文人が水へ畏敬の念を持っていたことがうかがわれる。

 晴れた日に自然墓の前に立つと、笹倉山は限りなく優しい。
 どっしりした姿が安心感をもたらしてくれる。
 雨の日に自然墓の前に立っても、笹倉山は限りなく優しい。
 植物たちへ降りそそぎ、土へ染み込む雨が、無限の受容を感じさせてくれる。

 人間の胎児は、体重の90パーセントが水である。
 生まれてまもない頃は75パーセント、大人は60~65パーセント、年をとれば50~55パーセントになるとされている。
 何のことはない、身体は水を蓄えた器なのだ。
 こうした視点で考えると、火葬とは、それまではたらいていた水を腐る前に天地へ還し、器も腐る前にいったん水から分離し、自然の水によって溶かされて土へ還る準備をするようなものである。
 腐敗を見るに耐えられないのは人間の情である。

 降った雨が生きとし生けるものを潤し、地上を流れ、地中へ浸透し、地上や川や海から蒸発して雲となり、また私たちの頭上から降りそそぐ大いなる水の循環の中に生きているというイメージ。
 そして、頭や手足などとしてはたらいてくれている格が白いおとなり、還って行く大地はどっしりした笹倉山の一部でもあるというイメージ。
 こうした想像はどれほど私たちの心に穏やかなものを生じさせることか。

 形あるお墓へ思いを託すのも一法、自然へ溶け込み消えてゆくままに任せるのも一法、ここに文化がある。




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2013
09.06

東京都の樹林墓地と宮城県の自然墓 ─お墓の形態が変わっても仏法は揺るがない─

201308280382.jpg

 東京都の都立霊園が樹林墓地の募集を始め、関心を集めています。
 大きく分ければ、二つの背景がありそうです。
 一つには、墓石という形あるものを次の世代へ引き継ぐことへの問題や不安、もう一つには、自然回帰への憧れです。

 引き継ぎに関しては、後継者の居住地が墓地から遠く離れてしまう傾向があり、世代間で異なる信仰の問題があり、また、寺院との関係における課題もありそうです。
 自然への回帰に関しては、私たちの文明が自然からどんどん離れて行くことに伴うと思われるアレルギーの増加や人口増加による食糧危機、地球環境の汚染や破壊あるいは異常気象の頻発など、自然への関心の高まりが後押しをしているようです。

 こうした状況をふまえて、墓石を受け継ぐ慣習の減少は仏教の危機であるととらえる向きもあるようですが、いかがなものでしょうか?
 確かに、東日本大震災の前までは、葬式は要らないなどという議論もありました。
 しかし、被災された方々のほとんどは、僧侶の祈りを「要らない」とは言いませんでした。
 むしろ、亡くなった御霊方を共に慰霊するという万霊供養の感覚がよみがえり、そうした供養の場を重ねることによって、生き残った方々の心は徐々に甦りつつあるように見受けられます。

 京都大学教授佐伯啓思著『現代文明論講義』には、極めて重要な指摘があります。

「社会というものが成立する背後には死者がいる。
 その背後の死者に対して、我々はどこかで贖罪意識をもたざるをえない。
 もっともわかりやすいのが戦争で、とくに戦争になれば、国を守るための誰かが死ななければならない。
 その国を守るために死んだ人のおかげで、自分たちはそれなりにいい生活をしている。
 その死んだ人に対するどうにもならない贖罪意識を、我々は引き受けていくよりほかない。
 そこから自ずと死者を弔う、死者を祀る、死者を記憶する、死者を顕彰するということがでてくる。
 それは別に戦争に限らない。
 もっと一般化したときに、死者への贖罪に似た畏れが出てくる。
 それが広い意味の信仰なんですね。
 ですから、どこかで我々は宗教に救いを求めざるをえない。」


 満福寺(栃木県栃木市)の住職長澤弘隆師は、『エンサイクロメディア空海』(http://www.mikkyo21f.gr.jp/)において編集工学研究所所長松岡正剛氏と対談しておられます。
 以下、「対談 東北だからこそ、グローバリズムによらない復興を」より転載します。

<長澤>
 今回、東北の人たちがガレキのなかから真っ先に亡き父母の写真を探し出したり、倒壊した家のなかに潜り込んで位牌を探し出し、小さな風呂敷に包んで仮設住宅に持ち帰ったりしている姿を見て、日本の仏教は葬式仏教でよかったな、死者を弔う宗教でよかったな、とむしろ思いましたね。
 死者への畏敬と鎮魂を積み重ねてきた日本の仏教こそ、「東北」的ですね。
<松岡>
 私も今回それを感じましたね。
 津波で全部流されたなかで、辛うじて流されずに残った泥だらけのアルバムとか国語のノートとかが、全部新たな仏壇・神棚に上げられていました。
 やはり最初に申し上げたように、生の領域と死の領域は、それなりのパースペクティブを両側に深く持っているわけです。
 この生と死をまたぐところで起こっている葬儀のようなことも、もう一度見直されると思います。
 ひょっとしたらアルバムや子どもが書き遺した国語のノートのようなものが、新たなトーテムとして、東北なりの新しい葬儀に今後登場する可能性もあると思うのです。
 それしか残っていないわけですからね。
 昔、遠野あたりに行くと、おじいさんやおばあさんとともに、早くに亡くなった子どもの御真影というか、精密な絵などがずらっと欄間に掛かっていたものです。
 そういう四世同堂というか、たくさんの生きとし生けるものが何かのオブジェとして、トーテムとして残るということは、日本の葬儀が江戸期につくり上げたと思うのです。
 それが実は、遺骨や位牌だけではなくて、形見やアルバムなども隣同士に置かれて実はつながっていくことができる。
 これが今回の震災の奥に見えてきた生と死の風景だなという気がしますね。


 こうした原点に立ち、僧侶が、死者の安寧のためにすべてを捧げているプロとして日々を送っていれば、仏法は決して廃れません。
 あの世の安心とこの世の幸せは車の両輪です。
 死者と共にあることでしか得られない、あるいは死者を想うことなしでは得られない何かが、生者がまっとうに生き抜くために不可欠であり、死者と共に日々を過ごす行者には、それを体現するのはもちろん、自分の血肉となった言葉で語る義務があると考えています。
 だから、お墓の形態が変わるくらいで、仏法は一ミリも揺らぎはしないと確信しています。


 自然墓は、皆さんの願いに応えようと考えに考え、自然葬や散骨へのアプローチなどの試行錯誤を行った結果、当山に姿を顕しました。
 信じている宗教を問うなど、安らぎを求める方々のお心へは一歩も踏み込みませんが、ここはまぎれもなくみ仏と神々に護られた聖地であり、宗教の懐に抱かれる安寧の場です。
 東京の樹林墓地同様、東北の自然墓は、死者、生者合わせて皆さんの安心に役立つものと考えています。




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2012
11.17

自然墓と墓碑について

20121118002.jpg
〈この写真は河北新報さんに著作権があります〉

201210170011.jpg

20121016001 (2)
〈模型の大きさは実物の半分以下です〉

 11月11日付の河北新報に「山、川に囲まれ安らかに」という紹介文が載った自然墓(シゼンボ)の件で、ご質問が多数、寄せられました。
 見に来られる方も後を絶ちません。
「お骨を砕かないで、普通に納骨できるのか?」
墓碑はどうなっているのか?」

 一番目のご質問については、記事にもあるとおり、散骨ではないので、お骨を砕く必要はありません。

 二番目のご質問については以下のとおりです。

 大工さんが忙しくてまだ模型しかできていませんが、自然石の上へ高さ2メートル、幅60センチメートルほどの木製の塔を建てることになっています。
 古い墓標をイメージしたまったく独自の発想です。
 木片へ自由に戒名や願いなどを記していただき、組み立てた木材の一片へ貼り付けます。
 四方から見えるようになり、正面からよく見えるようにしたい方は正面(東向き)へ、目立たなくしたい方は裏(西向き)へというように、申し込み順に掲示したい場所へ貼り出します。
 何も表示しなくてよいと願う方は、それでも構いません。
 相当頑丈には造りますが、いずれは朽ち果てます。
 たとえば50年も経ってそうなった時は、後代の住職や心ある方々が必ず良い方法を考えてくれることでしょう。
 現物をご覧になりたい方はもう少々、お待ちください。合掌




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2012
10.25

まったく新しい『自然墓』です

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 本日の河北新報で『自然墓』を発表しました。

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 宗教宗派を問いません。

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