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2015
10.26

原発がどんなものか知ってほしい(その7) ―ある技術者の遺言―

201510260007.jpg
〈『法楽農園』は今年の作業を終えました〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。
 本文の妥当性については、ネット上にも様々な知見があり、ご検討いただきたい。
 なお、平井憲夫氏は平成9年1月に58才で逝去されており、福島原発事故はその14年後に起こっている。

 今回は最終回となる。
 最後に、氏は最も書きにくいと思われることを綴った。
 それは、被曝者、及び被曝者かも知れないと想像される方々へ対する差別意識である。
 そして、自分が被曝者ではなかろうかという不安である。
 こうした文章は、読み手も極めて、読みにくい。
 むろん、氏への批判もさまざまな方面から起こったことだろう。
 氏は当然、批判を覚悟して書いた。
 死に行く者の使命として……。
 読むしかない。
 そして考えるべきことを考え、核問題という文明史上おそらくは最大の試練に対して、自分の良心に恥ずかしくない態度をとるのが、書き遺した氏への供養というものだろう。

(19) 住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。
 でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。
 出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

 ある女性から手紙が来ました。
 二三歳です。
 便箋に涙の跡がにじんでいました。
「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。
 ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。
 相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。
 でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。
 原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。
 白血病の孫の顔はふびんで見たくない。
 だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。
 私が何か悪いことしましたか」
と書いてありました。
 この娘さんに何の罪がありますか。
 こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、
 東京で。
 皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。
 若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。
 こういう差別の話は、言えば差別になる。
 でも言わなければ分からないことなんです。
 原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。
 原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。



(20) 私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。
 どこへ行っても、必ずこのお話はしています。
 あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

 その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。
 その中には中学生や高校生もいました。
 原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。
 私はその顔を見に来たんだ。
 どんな顔をして来ているのかと。
 今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
 私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。
 原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。
 私も女の子です。
 年頃になったら結婚もするでしょう。
 私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。
 でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。
 まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。
 たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」
と。
 ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。
 私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」
と言う。

「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。
 でも私は北海道から逃げない」
って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」
と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。
 結婚もできない、子どもも産めない」
って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。
 そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。



(21) 原発がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。
 でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。
 もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。
 しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。
 それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。
 出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。
 だったら、事故さえ起こさなければいいのか。
 平和利用なのかと。
 そうじゃないでしょう。
 私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。
 それに、安全なことと安心だということは違うんです。
 原発がある限り安心できないのですから。


 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。
 それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。
 それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。

 だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。
 朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。
 果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。
 これをどうしても知って欲しいのです。


 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。
 そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。


 作家村上春樹氏の有名な文章を思い出した。

 僕に言わせていただければ、あれは本来は「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。
 nuclear=核、atomic power=原子力です。
 ですからnuclear plantは当然「核発電所」と呼ばれるべきなのです。

 そういう名称の微妙な言い換えからして、危険性を国民の目からなんとかそらせようという国の意図が、最初から見えているようです。
「核」というのはおっかない感じがするから、「原子力」にしておけ。
 その方が平和利用っぽいだろう、みたいな。
 そして過疎の(比較的貧しい)地域に電力会社が巨額の金を注ぎ込み、国家が政治力を行使し、その狭い地域だけの合意をもとに核発電所を一方的につくってしまった(本当はもっと広い範囲での住民合意が必要なはずなのに)。
 そしてその結果、今回の福島のような、国家の基幹を揺るがすような大災害が起こってしまったのです。
 これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? 
 その方が、それに反対する人々の主張もより明確になると思うのですが。
 それが僕からのささやかな提案です。


 まったく同感である。
 私たちは今世紀初頭、あのおぞましい狂牛病についていかなる対処をしたか?
 表現が不適切であるなどの理由によって、たちまち、「Bovine Spongiform Encephalopathy(牛海綿状脳症)」の略である「BSE」としか呼ばなくなった。
 ローマ字3つを目にしても、ほとんどの人びとは〈あの狂牛病〉と気づかないか、もしくは、自分の頭でワンクッションおいてからようやく〈あのことだ〉と思い当たる。
 そのために、人間の都合で草食動物へ肉食をさせ、しかも、牛の生態としてはあり得ない共食いまでさせたというおぞましさへの震え、人間の根源的な罪の感覚は、私たちの感覚から急速に薄れていった。
 それはとりもなおさず、生きものたちを過酷な環境に置いている現実に対して鋭敏な感覚がはたらくことを疎外する結果となったはずだ。
 いったい誰が、何のために、ああした言い換えを普及させたのか?
 私たちが狂牛病から学ぶべきもっとも肝腎なところが、うやむやにされた。
 私たちは、私たちの所行の〈おぞましさ〉にもっとしっかり向き合うべきだったと思えてならない。
 私たちの根源的過ちにしっかり震えねば、私たちは同様の過ちに気づかず、おぞましい行為をなす存在であり続けるだろう。
 
 遺伝子や、万能細胞や、臓器移植や、治療薬など、いのちそのものに関わる科学的展開がスピードを増すと思われる今世紀が狂牛病から始まったことを肝に銘じておけば、人類に〈ある種の歯止め〉となったはずななのに……。

 原発の正体はまぎれもなく「核発電」である。
 それは、「核兵器」と共に、〈人類の分に過ぎた道具〉ではなかろうか。
 何としても廃絶せねばならないと思う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
09.19

原発がどんなものか知ってほしい(その5) ―ある技術者の遺言―

201509180007.jpg

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。
 本文の妥当性については、ネット上に様々な知見があり、ご検討いただきたい。
 なお、平井憲夫氏は平成9年1月に58才で逝去されており、福島原発事故は約14年後に起こっている。

13 もんじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。
 もんじゅ事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。
 というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。
 もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。
 行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。
 でも、合わない。
 どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。
 一晩考えてようやく分かりました。
 もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。
 たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。
 だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。
 何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。
 今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。
 おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。
 でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。
 これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。
 美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。
 私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。
 あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。
 だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。
 この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。
「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。
 県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。
 地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。
 この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。


 これまで、どれだけの〈事故〉が発表されたことだろう。
 女川原発の事故が発表されるたびに「又か」と思い、あまりに〈人間的〉過ぎるできごとの続発を訝り、呆れつつ、〝本当にこれだけだろうか?〟と疑問に思ってきたが、ようやく状況の理解ができた。
 仕事の緻密さでは世界のトップにランクされるであろう日本人が行ってこれだけの事故が起こるならば、海の向こうに林立する中国の原発がどれだけ危険か、計り知れない。
 私たちは、中国の軍備にばかり警戒の目を向けているが、続々と造られつつある中国の原発群こそ、日本の喉元に突きつけられている匕首であるという現実を忘れてはならない。
 一旦、事故が起これば、偏西風に乗った放射能は日本を全滅させかねない。
 そして、特別機や米軍機ででも日本を脱出するような〈要人〉以外、破滅から逃れられる人はいないのである。
 国の安全を本気になって根本から考えるならば、まず、やるべきことは明らかでなかろうか。

14 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。
 再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。
 長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。
 それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。
 半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。
 だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。
 フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。
 だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。
 もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。
 つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。
 でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。
 国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。
 それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。
 普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。
 しかし、これは非常に危険です。
 分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。
 原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。
 プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。
 だから原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。
 早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。


 何かにつけ、「非核三原則の日本だから、大丈夫です」と言うが、日米の密約で核兵器が日本へ持ち込まれていることはもはや、衆知の事実である。
 それにもかかわらず国会では、海外派兵され、米軍と一体化する自衛隊が「核兵器の輸送に関与しないか?」という質問に、「非核三原則を堅持するのであり得ない」などという答弁がまかり通っている。
 人類の敵である核兵器を廃絶させる役割を担っていたはずの日本は、資格を失いつつある。
 国民がそれとは気づかぬうちに。

15 日本には途中でやめる勇気がない

 世界では原発の時代は終わりです。
 原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。
 それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。
 あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。
 ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。
 世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。
 日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。
 でも、まだ止めない。
 これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。
 みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。
 日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。
 その内に何とかなるだろうと。
 そんないい加減なことでやってきたんです。
 そうやって何十年もたった。
 でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。
 机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。 
 メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、
「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」
と書いていますが、これもこの国の姿なんです。


 思想家内田樹氏は9月18日付の河北新報へ書いた。

「日本が米国の従属国であることは否定しようのない歴史的事実である。
 敗戦国が生き延びるためにはそれ以外の選択肢がなかったのだから仕方がない。
 戦後70年間、先人たちは『対米従属』を通じての『対米自立』の道を必死で模索してきた。」

「沖縄返還後、わが指導者たちは『対米従属』の作法にのみ熟達して、それが『対米自立』という国家目的の迂回(ウカイ)にすぎないことを忘れてしまった。」

「ある時期から、『米国の国益増大に資するとみなされた人』しか、国内の重要な政策決定に与(アズカ)ることができないという仕組みが出来上がった。」

 その結果がまぎれもなく現在の政治状況であり、沖縄の苦難であり、原発稼働である。




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2015
08.22

原発がどんなものか知ってほしい(その4) ―ある技術者の遺言―

20150815043.jpg
〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の守本尊地蔵菩薩〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。
 本文の妥当性については、ネット上に様々な知見があり、ご検討いただきたい。
 なお、平井憲夫氏は平成9年1月に58才で逝去されており、福島原発事故は約14年後に起こっている。

10 「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

「原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。
 日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、
 そのほとんどが原発作業者です。
 今も九万人くらいの人が原発で働いています。
 その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。
 この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。
 原発が危険だとは一切教えません。
 国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

 こういう『原発安全』の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。
 有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。
 だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、『原発がなくなったら、電気がなくなって困る』と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、『洗脳教育』をやって来ました。
 何人殺したかわかりません。
 みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。
 体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。
 作業者全員が毎日被曝をする。
 それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。
 本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。
 これが原発の現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。
 そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。
 一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。
 気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。」


 いわゆる安全神話の流布がほとんど国策とも言える規模で行われてきたことは事実であろう。
 こうした作業現場では、当然、徹底して「大丈夫」と思わせたことだろう。
 作業員が身の危険を感じたならば、必ず噂となり、はたらき手がなくなってしまいかねないからである。
 長い間、原発を推進しようとする人々は、立地する地域の住民と労働者へ対して無事故と安全を〈保証〉してきたのだった。
 保証が結果的に空手形となり、膨大ないのちと生活が奪われたにもかかわらず、推進者は誰も責任をとらない。
 そして、原発事故が起こった場合は、一基あたりで数十万人という避難者が想定されつつ、当然のことながら避難訓練などされないままに、再稼働となった。

 避難計画はコンピュータ上で住民たちを動かすだけの、文字どおり机上の話であろう。
 そうでないのなら、試しに、住民へ訓練であることを伏せたまま、たとえ1万人でも避難させてみればよい。
 福島原発事故では、詳しい情報を与えぬまま、防護服に身を包んだ人々が交通整理を行った。
 多くの住民は、自分たちが着の身着のままでバスに乗っている一方で、白い防護服の人が四つ辻に断っていることを訝りながら避難したのだった。
 それでも膨大な日数がかかった。
 今は、日本中の人々が原発事故が何であるかを知っている。
 事故が発生した瞬間から道路はマヒするに違いない。
 つまり、特別に優遇される人々以外、一般住民は誰も安全に逃げられはしないのだ。
 そのことも多くの国民は疾うに気づいていると思われる。
 それでもなお、再稼働となった。 

11 だれが助けるのか

「また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。
 血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。
 ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。
 でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。
 救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。
 だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、
 救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。
 みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。
 それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。
 想像できますか。
 人ごとではないのです。
 この国の人、みんなの問題です。


 ここでは放射能がまるで細菌のようにとらえられているが、必ずしもそうしたものではなかろう。
 ただ、人命尊重は当然ながら、原発内部で起こった事故について、なるべく小さな報道で済ませたいという意向がはたらいているのは確かだろう。
 女川原発を身近に感じている身には、はっきりと推測できる。
 これまでいったい何十回、首長による申し入れが行われてきたことか。
「遺憾である。再発防止を徹底して欲しい」
 トラブルと抗議はもはや、日常的な風景、あるいは繰り返されるセレモニーのようですらある。
 慣れてしまい、恐ろしさを感じなくなることこそが本当に恐ろしい。

12 びっくりした美浜原発細管破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。
 スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。
 一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。
 原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。
 だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。
 しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。
 ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。
 これが効かなかったらお終りです。
 だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。
 日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。
 それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。
 日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。
 施工ミスです。
 そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。
 入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。


 いかなる先端技術を駆使する現場も、最後は〈人間〉に行き着く。
 イラク戦争への出兵時には、自衛隊が危機一髪の状況に陥った。
 養護施設周辺で反米指導者サドル派と、自衛隊を警護していた豪州軍の間で銃撃戦となり、幹部は建物に閉じ込められ、十数人の自衛隊員は百人にもなろうとする群衆に「ノー・ジャパン」と囲まれた。
「ここで一発撃てば自衛隊は全滅する」
「撃つより撃たれよう」
 隊員たちは覚悟を決めたという。(8月20日付朝日新聞)
 いわゆる「ルメイサ事件」だが、隊員は一人残らずじっと堪え、最後は多くのイラク人に感謝されつつ無事、帰国した。
 万が一、「自分が殺されるかも知れないという緊張感」に耐えかねて誰かが引き金を引いていたならば――と考えると、鳥肌の立つ思いである。
 私たちは、このように巨大な破滅をもたらす可能性を持った状況へ、常に、神のごとく誤りない対応ができるものだろうか?

 このままでは海外の戦地へ赴くであろう自衛隊の人々と、原発の現場にかかわる人々とに課されるもののあまりの大きさにたじろぎ、〝常人には過酷ではないか?無理ではないのか?〟と思ってしまうのは小生だけだろうか?




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2015
08.18

原発がどんなものか知ってほしい(その3) ―ある技術者の遺言―

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〈『不戦堂』のお釈迦様と生母摩耶夫人(マヤブニン)〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。

7 放射能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。
 はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。
 日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。
 原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。
 それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。
 排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。
 こういう所で魚の養殖をしています。
 安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。
 このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。
「私はいままで原発のことを知らなかった。
 今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに『悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから』って言われた。
 原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。
 どうしたらいいのか」
って途方にくれていました。
 みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。


 冒頭で触れたとおり、こうした問題は放射能に関する安全基準に基づいて議論されるべきであり、一つまちがうと、とんでもない風評被害をもたらしかねず、表現も議論も慎重を要する。
 ただし、20世紀末に厳しい国際条約が締結されるまでの間、旧ソ連やロシアなどによって膨大な放射性廃棄物が海へ投棄されてきたのは事実である。
 海が無限の包容力を発揮して何でも引き受けてくれるといった誤った感覚は早く捨てねばならない。
 水への〈過信〉が川や海への垂れ流しに結びつき、日本を含め世界中へ凄まじい環境汚染と健康被害をもたらしてきたことは決して忘れぬようにしたい。

8 内部被爆が一番怖い

 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。
 物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。
 どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。
 体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。
 原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。
 この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。
 原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。
 体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。
 また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。
 これが非常に怖いのです。
 どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。
 きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。
 癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。
 でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。
 じゃ死ぬ前になにかやろうと。
 原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。


 ガンの宣告を受けた平井憲夫氏が「すべて明るみに出そう」としたことは重い。
 氏が書き遺した事実に私たちがいかなる真実を見つけるかは私たち次第である。
 知らされた者の責任もまた、重い。

9 普通の職場環境とは全く違う

 放射能というのは蓄積します。
 いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。
 これが怖いのです。
 日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。
 でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。
 しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。
 これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。
 そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。
 電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。
 動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。
 一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。
 行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。
 中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。
 ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。
 放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。


 よく「神は細部に宿る」と言う。
 この言葉は、各部分が完璧であって初めて全体の完全性が成り立つとか、おろそかにされない細部にこそ神のごとき力が発揮・表現されているなどとさまざまな意味で用いられる。
 平井憲夫氏の眼に映ったネジの処置をする光景は些事のようであっても、気づかれにくい真実をかいま見せている。
 原発の根源的問題が顕れているという意味では、「神は細部に宿る」と言えるのではなかろうか。




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2015
08.17

原発がどんなものか知ってほしい(その2) ―ある技術者の遺言―

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〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』にて祈る〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。

4 名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。
 出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。
 検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。
 そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。
 メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。
 原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。
 私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。
 その人は
「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。
 折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。
 そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。
 美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」
と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。
 このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。
 なぜ、専門官が何も知らなかったのか。
 それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。
 だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。
 この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。
 この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。
 ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。
 けれども大変な権限を持っています。
 この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。
 私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。
 つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。
 だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。
 そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。
 このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。


 平井憲夫氏の言葉はあまりに辛辣だと思えるかも知れないが、事実を見過ごさず、少し詳しく述べておられるだけである。
 科技庁の人が、「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった」という言葉は、聞き逃せない。
 原発が常に人を被曝させるシステムであるとはどういうことか。
 それが関係者にとって衆知の事実であるとおり、広く日本人に知られているか?
 ほとんどの人がプラントに対して持っているイメージは、〈幾重にも安全が確保された職場〉ではなかったか。(少なくとも福島原発の事故が起こる前までは)
 だからこそ、莫大な札束が地元に落とされ、若者の職場も確保できるというバラ色の話を歓呼の声で迎え入れたのではないか。
 しかし、実際には、事実を知っている役人はそこへ足を運びたくないほどの、被曝地だったとは……。

5 いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。
 私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。
 それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。
 1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。
 なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。
 わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。
 これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。
 5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。
 つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。
 これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。


 恐らく、ほとんどの関係者は、原発がどこか〈手に負えない〉不気味な代物であると感づいているのではないか。
 しかし、それを言ったらおしまいなので、不可能という文字で表現するしかない状況の一歩手前までしか、思考や検討を及ぼさなかったのだろう。
 要は、統御も制御も完全になど行い得ないのだ。
 そう考える妥当性を否定できようか。

6 定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。
 原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。
 そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。
 そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。
 防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。
 放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。
 つまり、防護服放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。
 作業している人を放射能から守るものではないのです。
 だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。
 体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。
 それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。
 そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。
 普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。
 お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。
 言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。
 そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。
 作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。
 分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。
 だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。
 でも現場には時計がありません。
 時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。
 そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。
 アラームメーターが鳴るのが怖いですから。
 アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。
 これは経験した者でないと分かりません。
 ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。
 ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。
 すると、どうなりますか。


 この話も驚愕である。
「放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けている」「作業している人を放射能から守るものではない」とは!!
 私たちは、十分に検討し尽くされた表現による情報を通じてものごとに対するイメージを作らされる。
 だから、あの白い服の中は安全地帯であると思い込む。
 いったい、どれだけの人々が、防護服は着ている作業員を守るためのものではなく、彼らの身体が直接放射能を浴びていると想像しているだろう。

 いつもアラ-ムメーターが意識され、気もそぞろといった話も、理解できる。
 修法においても同じだからである。
 小生の場合、一度、酷い目に遭ったし、歳に不足もないので、修法前に必ずトイレへ行くことを手順化している。
 どのような仕事であれ、没頭できなければまともな結果は出せない。
 表面的にはともかく、本当に〈仕上げた〉という不安のない達成感は得られない。
 こうした面からも、危険に身を晒している現場の過酷さが想像され、作業員の方々のお気持を察し、作業の危険性を思い、作業結果の完全性を考える時、原発が人間にとってどうしても必要な理由は見出せない。
 現場ではたらく人間の尊厳を切り刻むような道具は、いかなる経済合理性を持っていようと、〈あってはならない〉範疇に分類されるべきではないだろうか?




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