--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2005
07.30

気高さ

 7月23日に東京都で震度5強を記録した地震に際し、呼び出しを受けた緊急対応の業務要員34人のうちたった13人しか登庁しなかかったという新聞記事には、怒りではなく、崩れ沈んで行く日本の将来をはっきりと観たような気がしました。
 日本を支える首都東京の抱える最大の問題は、地震やテロへの危機管理です。
 いざという時に計画通りそれを実行するのは人です。
 いかなる情報網を駆使しようと、いかなる機材や物資を整えようと、ことを為すのは畢竟、人でしかありません。
 それがこの体たらく。しかも、都庁から徒歩で30分以内という新宿周辺に用意された3LDKで家賃5万円弱と破格の待遇である「災害対策住宅」に住んでいるにもかかわらずです。
 テレビで登庁しなかった職員を追い出す可能性に言及した石原都知事の表情には、今までに見せたことのないような苦渋が漂っていたやに聞きました。
 無理もありません。
 緊急時の首都を任せねばならない部下が信用できないのです。
 もしかしたら、都政への意欲が薄れたかも知れません。

 日本人は、これほどまでに「気高さ」を失いました。
「恥知らず」と口に出してみても、あまりに空しいだけです。
 とにかく、人間の核がボロボロになりました。
 戦後たった60年で心がここまで破壊されたかと思うと、精神復興の道のりの遠さに立ちすくんでしまいす。
 宇宙の真理や人生の真実を探求するはずの学問の府までが企業と化して金儲けに走り、学校教育では精神の復興どころか、はやりの思想や外国語など享楽的な消費文明に役立つ技術を教えようとやっきになっています。
 敬語や社会語をちゃんと使えない人が、英語や中国語をしゃべれるからといってまっとうな社会づくりに貢献できるとはとても思えません。
 もちろん、生まれ、育ち、生きている祖国の言葉をないがしろにする人が、外国人から尊敬されるはずもありません。
 すべてに先んじなければならないのは、日本語が正しく使え、礼儀と責任を持って円滑な社会生活の送れる人間になることです。

 故杉浦日向子さんが魅せられてやまなかった江戸時代の日本文化は、世界一のレベルにありました。初めて世界のひのき舞台へ登場した日本人は男も女も賞賛を受け、明治政府は東洋で唯一、国々を飲み込もうとする西洋諸国に互する強い日本を創りました。
 ロシアに勝った日本は、アジアの人々へ勇気と希望を与えました。
 太平洋戦争に敗れたとはいえ、日本が西洋文明に蹂躙されず毅然としている姿は、アジアの国々の独立をうながしました。

 日本ではそのようなニュアンスの報道はあまりありませんが、イスラム過激派の爆弾テロが世界中へと拡散しつつあるのは、「ただれた」と表現したくなるほど欲望むき出しの西洋文明への嫌悪が、背景にあるに相違ありません。
 敬虔なイスラム教徒には、アメリカ的なものはきっと汚らわしく思えてならないのでしょう。
 自衛隊のいるサマーワも、きな臭くなってきました。
 自衛隊の活動が現地の人々の生活に役立っているのは確かでしょうが、
 その恩恵に一番浴し、利権を得ているのが一握りの金持ち階級であるという情報があります。
 信仰を基にして生活している庶民が彼らの生活ぶりに汚らわしさを感じているとしたら、そして自衛隊を「汚らわしい」アメリカの同盟軍として見るならば、自衛隊もやはり嫌悪の対象になることでしょう。
 自衛隊員一人一人は懸命なはずです。
 日本の恥にならぬよう最善を尽くしていることと信じています。
 しかし、いかんせん、日本そのものが、汚らわしく恥ずべき姿になりつつあります。
 国のありようの犠牲になることなく、一刻も早く無事帰還できるよう祈る思いです。
 日本が嫌悪と暴力の対象にならぬよう、祈るのみです。

 み仏のご様子を一言で形容するなら「気高い」となりましょう。
 大日如来も釈尊も地蔵菩薩もすべて気高く、人格の完成態を示して手招きしておられます。そこへ一歩でも近づいてこそ、み仏の子である人間の一生です。
 失われつつある気高さを何としても取り戻しましょう。
 取り戻す姿をもって次の世代を導きましょう。沈み行く日本を護りましょう。

今年も気高い百合が咲きました




スポンサーサイト
2005
07.28

嘘にある真実

 言葉の嘘とまことを鋭く描いた名作に、故深沢七郎の『おくま嘘歌』があります。
「生きているうちだけは達者でうごいていたい」と言う63歳になる「おくまさん」の日常が、庶民の目線から表現されています。
 ある日、おくまさんは、嫁いで子供を4人産んだ娘のサチ代に少しでも楽をさせようと思い、何気ない風をよそおって訪ねました。

 シゲオを背負(オブ)っているとすぐおくまの肩は痛くなった。が、まだおぶったばかりである。シゲオは来るたびに大きくなってこの前来た時よりも重いのである。いま、おぶったばかりだが、(こんなにすぐ肩が痛くなっては困ったものだ)とおくまは隠れるように裏へ行った。おぶってういるのが重そうに思われては困るからだった。シゲオをおぶっている間だけはサチ代の身体が楽になる筈だが、おぶっているのが苦しい様に思われてはサチ代の方でも心苦しく思って気休めにならなくなってしまうのである。

 さっきの縁側のところへ帰って来ると、サチ代はまだ近所の女(ヒト)と話しあっていた。
「あれ、今までおぶっていたのけ?」
 とサチ代が言った。
「よく、そんねに重い坊子(ボコ)を」
 と、話している近所の女も言った。
「なーに、いつさら、クタビれんでごいす」
 とおくまは嘘を言った。疲れたと言えば、また次におぶった時にサチ代が心苦しく思うからである。
「おばあちゃんは、おぶうのが慣れてるから」
 とサチ代が言った。おろそうと思って帰って来たのだがもう少しおぶっていようと思った。
「なーに、いつさら」
 とおくまは言った。シゲオは石のように重たく肩が毟(ムシ)れそうである。サチ代が、
「寝るかも知れんよ、眠そうな眼だよ」
 と言った。おくまはこのまま眠らせようと思った。

 それから子守歌を唄って、おくまさんは、とうとう眠るまでおぶい続けました。

 ある日、おくまさんは、酷暑の物置小屋へ隠れました。

 暑い夏の日、風が少しもなく、まわりの空気は鉄の板で締めきられて止まってしまった様にシーンとしていて、陽の光が地の上へ照りつける音がしているような昼さがりである。ぽーんと野球のボールが飛んできて物置小屋の壁に当たった。その物置小屋の中の藁束におくまは藁をかぶる様に腰をおろしてうずくまるようにうごかないでいた。東京の大学へ行っている孫の安雄が友達を連れて帰ってきたのである。そのお友達に、熊の様なおくまの姿を見られては安雄が恥ずかしい思いをするのではないかと、
「狒狒(ヒヒ)の様なおばあさんだ」
 などと言われるから、
「わしゃ、隠れるようにしているから」
 と、嫁には本当のことを言って、安雄には、
「アタマが、重てえから、少しグアイが悪いから」
 そう言って物置小屋から外へ出ないようにしていた。

 おくまさん最期のシーンです。

 おくまは死ぬ時も嘘を言った。枕許で息子夫婦やサチ代が、
「よくなれし、よくなって」
 と言って泣いてくれるので、
「ああ、よくなるさよォ、よくなって、蕎麦ア拵(コシラ)えたり、サチ代のうちへも遊びに行くさ」

 と言った。おくまは数えどしの72の秋死んだが身体が動けなくなってしまったので自分では80にも、90にもなったと思っていた。

 釈尊の説かれた『十善戒』にある「不妄語(フモウゴ)」は、嘘を言ってはならないという軽いものではありません。そもそもは、悟ってもいないのに悟ったようなもの言いをしてはならないとの戒めですが、その深意は「真実がこもっている言葉を用いよ」でありましょう。
 おくまさんは、孫が重くて大変なのに一言もそれを口にせず、平気を装いました。
 おくまさんは、暑くて大変なのに物置小屋に隠れ、孫には嘘の理由を言いました。
 おくまさんは、お迎えが来たのを知っていながら決して弱気を見せませんでした。
 おくまさんは、ただただ思いやり一筋に生き、単純な事実ではなく真実から発する言葉を口にしながら生涯を終えました。
 こういう人を「生き仏」と言うのでないでしょうか。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.26

寺子屋・懐メロ

 あれこれと寺子屋の構想を練りながら床へついたところ、若山彰の唄う「惜春鳥」が頭で鳴り出し、起こされました。
 今では百人に一人も知らないかも知れませんが、日本の誇る映画監督木下恵介が詩を書き、本格的にクラシックを学んだ若山彰の声が銀色の哀愁を漂わせる名曲です。

1 流れる雲よ朝空に朝空に 輝く遠き山々よ山々よ
  若きいのちの喜びを 知るや大空晴れわたる
  あゝ青春の花咲けば 何処かで鳥が鳴いている
2 流れる歌よ春の日の春の日の 風の調べか草笛か草笛か
  恋のいのちのせつなつなさを 知るややさしく鳴りわたる
  あゝ青春の花香れ 何処かで鳥が鳴いている
3 流れる春よ夕空に夕空に 願いし夢よ思い出よ思い出よ
  清きいのちのさゝやきを 知るや入日が消え残る
  あゝ青春の花散れば 何処かで鳥が鳴いている

 何度か口ずさんでいると「これは叫ぶような歌い方でも聞けるのではないか、オリジナルのリズムとまったく異なるリズムでも別の面が出て佳いのではないか。今も若者の心へ訴えかけるのではないか」などと思え、「本もの」の持つ力を再確認しました。
 待てよと考えているうちに、「こんな時期に亡き母を思い出す日はサトウハチロー作詞の「小雨の丘」を聴きたい、恋を語る若者へはメンデルスゾーンの切なさにも負けない「水色のワルツ」がお勧めかな」と懐メロに頭を占領されそうになりました。

「小雨の丘」
1 雨が静かに降る 日暮れの町外れ そぼ降る小雨に 濡れ行くわが胸
  夢のような小糠雨 亡き母の囁き 独り聞く独り聞く 寂しき胸に
2 辛いこの世の雨 悲しき黄昏よ そぼ降る小雨に 浮かぶは思い出
  移り行く日を数え 亡き母を偲べば 灯火が灯火が 彼方の丘に
3 丘に静かに降る 今宵の寂しさよ そぼ降る小雨と 心の涙よ
  ただ独り佇めば 亡き母の面影 雨の中雨の中 けむりて浮かぶ


「水色のワルツ」
1 君に逢ううれしさの 胸に深く 水色のハンカチを ひそめる習慣(ナラワシ)が
  いつの間にか 身にしみたのよ 涙のあとをそっと 隠したいのよ
2 月影の細道を 歩きながら 水色のハンカチに 包んだささやきが
  いつの間にか 夜露にぬれて 心の窓をとじて 忍び泣くのよ


 さて、肝心の寺子屋です。
 稲門会での講演のために準備したメモを記しておき、さらに検討を深めたいと考えています。

○使命の第一は、五蘊盛苦(ゴウンジョウク…「過剰」がもたらす迷い)の激しい現代にあって、病気にかからないための「予防」となる心身の錬磨である。
○感謝を忘れず、人として高貴な目標を持ち、ふるまいが美しくあるよう指導する。
○正邪・善悪・真偽・虚実の見分けをする力を育てる。
○自然に身・口・意のバランスがとれるような生活習慣を身につけさせる。
○無心に聞く(声聞の道)素直さを導き出し、捨てて楽になろうとせず諦めない(縁覚の道)忍耐力を育てる。
○人に道にそったふるまい(菩薩の道)が自然にできるよう「八聖道」と「六波羅密」を指導する。
○己に厳しく生きられるよう「七言法」を指導する。
○美しい日本人たるよう「自己尊敬」「自己責任」「自己犠牲」(故三島由紀夫氏の分析した武士道)の精神を指導する。





Comment:0  Trackback:0
2005
07.25

五力 6 ―念力 2 義経と常磐御前―

 夕食の準備ができテレビをつけたら『義経』の終盤、常磐御前が義経へ「人をよく観なさい。表も裏も」と言い遺して立ち去るところでした。
 遺言だなと直感し「信じる」ということについて考えていたら、間もなく場面は常磐御前の最期に変わりました。
 義経の長所も弱点も知悉していた母親は、どうしてもやっておかねばならない最後の仕事をしたのでしょう。

 人は、若いうちは容易(タヤス)く信じ、騙されるものです。
 裏切られもします。
 魂の純粋さが生(キ)のままではたらくからです。
 何度も酷い目に遭ううちに、今度は警戒心という鎧をまとうようになります。
 積んだ経験が他人を観るメガネとなり、悪意・害意から身を護る姿勢ができます。
 一方では、経験の範囲でしか、ものごとの予測ができなくなり、だんだん「~は所詮こうしたものさ」と断定的に人やものごとに当たるようになって、新たな人間関係・新たな事態の持つ新鮮な面が観えなくもなります。
 進む時代からとり残される場合もあります。

 我が身をふり返ると、若い頃は人も世間も知らずにつけ込まれ、気持を信じて走っては自分で痛手を負い、人様へも痛手を与えました。
「知らぬ」という愚かさがありました。
 しかし、痛みがそのことを教えてくれました。
 歳を重ねてからは、覚えた立ち回り方が心を汚しました。
 自己保全を言い訳とする「狡猾さ」という愚かさがカメの甲羅のように魂を覆いました。
 今度は、み仏の教えにそれを教えていただきました。
 
 傷つき、汚れ、清めながら死ぬ。これが人の定めなのでしょうか。
 常磐御前は、汚れをはねつけるほどの義経の純粋さ、汚れながら生きて行けないだろうひたむきさに早逝の危険を感じとっていたのでしょうか。
 人は何千年、何万年たっても、この苦の過程をたどらねばならないのでしょうか。

 釈尊の遺言とされる『遺教経(ユイキョウギョウ)』にある一節です。

「若(モ)し不忘念(モウネン)ある者は、諸の煩悩の賊、即ち入ること能わず。
 是故に汝等常に当に念を摂(オサ)めて心に在(オ)くべし。
 若し念を失する者は功徳を失す。
 若し念力堅強なれば、五欲の賊中に入ると雖(イエド)も、為に害せられず。
 譬えば鎧(ヨロイ)を着て陣に入れば、即ち畏るること無きが如し。是を不忘念と名づく」


「人として生きるべき道を求めよう」「人として真っ当に生きよう」という念(オモイ)をしっかり抱き続ければ、道を誤らせる魔ものたちに負けないというのです。
 魂に正しい念という鎧をまとっているのだから、どんな魔ものがいても平気だというのです。

 釈尊の説く「念」、五力の三番目「念力)とは、無邪気な純粋さでもなければ、したたかな狡猾さでもありません。
 もちろん、怪しげな人々の口にする念力などでもありません。
「人の道」を柱とする不動の決心です。

 仏神のことは、いつも「思い立ったが吉日」であり、念を定める発心(ホッシン)に早い遅いはありませんが、やはり人生の早い段階で心に柱をうち立てて欲しいと願わずにはいられません。
 より傷つかず、より汚れずに人生をまっとうして欲しいという願いは、親心の核芯でもあります。
 義経と別れる瞬間、常磐御前がふと立ち止って振り向きかけ横顔に微かに浮かべた微笑は、我が子への最後の乳だったのではないでしょうか。




2005
07.24

開眼の日

 早朝の勉強会もそこそこに、開眼供養と納骨を行うため、泉霊園へ向かいました。
 どんよりとしているものの何とか降らずに済みそうで、決して暑くもなく、この時期にしては最高の日和です。
 黒っぽい御影石で造られたどっしりとした洋型の墓石は石の稜線がすべて丸みを帯び、球形の花立とあいまって柔らかな気配を漂わせています。
「~です。よろしくお願いします」と挨拶された50歳前後のご当主はグレーの背広がよく似合い、やや小柄で眼鏡をかけ、知的職業に就いておられるような思慮深さがにじみ出ておられます。
 よくあることとはいえ、初対面なのに古くからの知己であるような通じ方をしました。
 たった一言二言を交わしただけで、赤の他人同士が猜疑や不安などを挟まない「素の」間柄になるというのは、何度体験しても不思議なものです。
 終えてから、ちょっといかがですかと誘われ、控え室で熱いお茶を一杯ごちそうになりました。
「機関誌『法楽』を読みました。道理や原理の話が印象に残っています。どのようにして書いておられるのですか?」
 実にありがたいと言うしかありません。
 こちらは相手様について何も知らずただ真っ白な心で法を結ぶべくでかけただけですが、相手様はこちらの核心に触れ、はっきりと選んでくださっていました。
 お会いする前に通じていたのです。

まだ若い跡継ぎもお不動様を信仰しています


 午後からは、二家族が一つの墓所に造られた墓石の開眼供養です。
 お骨があるのは一方の方だけですが、建て主は皆さん生前戒名を求め、朱色鮮やかに法名を刻印されました。
 こうした朱文字は、見るたびに、法で結ばれた真実で永遠なる「法友」の揺るがぬ存在を感じさせ、歩む足が太くなるような安心感を与えてくれます。
 結界を張り、墓石の間に立つお不動様の石像へご本体をお招きし、守本尊様方に降りていただきました。
 修法が進むにつれてご本尊様のおられる気配が濃くなり、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様なのに、「願わくは、無明長夜(ムミョウジョウヤ)の闇路をてらし、二仏中間(ニブツチュウゲン)の我等を導きたまえ」とお唱えした瞬間、実際に雲間から陽が差し、天地を覆っていた灰色が一気に消えました。
 皆さんの祈りが届いたのでしょう。
 法へ入る直前、お一人の手にあった数珠が切れました。
 心が昂ぶると、普段より手にも力が入っているものです。
 決して凶兆ではなく、吉兆と観て黙って始めましたが、実際その通りでした。

白文字の映える規格墓です


 一時間も置かずに、規格墓の開眼供養となりました。
 今日は黒系統の墓石ばかりです。
 真西にそびえる笹倉山の頂上付近には紺色を帯びた濃いグレーの雲がたれ込め、ゆっくりとこちらへ広がりつつあります。
 小さいお子さんや犬もいたので「もしも雨になったら、どうぞ皆さんは傘を差すなり車へ入るなりしてください。
 私はこのままで法を結び終えますからご心配なく」と告げて修法を始めました。
 お嬢さんたちはよほど素直に育っているらしく、法具の動きにつれて身体が自然に動いています。
 左の眼の端には揺れる少女、右の眼の端には笹倉山、耳には愛犬の声、そして啼き終えたはずの鶯、正面には「澄む」「鶯さえずり 涼やかに」などの鮮烈な白文字が刻まれた棹柱―――。
 まぎれもなく、故人の魂は共におられ、聖地は憩う場となりました。
 すっかり和やかな表情になったご家族を後にして徒歩で本堂へ戻る背中へ、復活した鶯の声がずうっと附いてきました。
 風はあくまでも涼やか、まだ雨は一滴も落ちてきません。




2005
07.23

お墓へ入れない人はどういう人か?ペットは人間の墓所へ入れないか?

 昨日、ご友人同士が同じ聖地で眠るべく、一区画へ墓石が二組並んだお墓が完成しました。中央に敬愛してやまない不動明王像を配した品格のあるできばえで、感心しました。
 また、当山には、故人が生前可愛がっていた番犬の姿をそのまま石で造り、お墓へ置いた方もおられます。
 この際、以前書いた文章を元にして、姓の異なる人やペットを同じお墓へ入れられるかどうかという問題についてはっきりさせておきましょう。
 
 俗信は山ほどあり、それを恭しくあるいは断定的に宣って人を不安にさせる手合はいつの世にもいるものです。
 見聞きしたことを鵜呑みにせず、「正思」をもって考えてみましょう。
 思惑や都合を小とし、み仏の教えに立つならば、姓の違いで決定的に区別し同じお墓へ入れないなどというのは、今の世にふさわしくない考え方です。
 一族に連なる人々はどなたであれ共に弔って当然です。
 また、心が通じ合う人同士が同じお墓へ入られるのも、お墓が供養の場である以上「理の当然」です。
 そもそも、供養の根本は万霊供養にあり、それは生者が死者を供養するだけでなく死者も生者を供養し(ご守護です)、死者と死者、生者と生者の間でもわけへだてなく行われるものである以上、この世で縁の深かった人々があの世でも縁を深くして悪いはずはありません。

「名」というものについても、世間には多くの誤解があるようです。
 名は体や形や価値を示すのみで、姓名は持つ人の意識へ多少の影響を与えても、それが生死の大事に関わったり運命を大きく動かしたりはしません。
 それは、親が子供へ名前をつける場合を考えればすぐに解ることです。
 親は、自分の希望や夢を子供に託して「こうあって欲しい」と必ず良いもの、善いもの、佳いもの、好いものを考えます。
 考えられる限りのすばらしい名前をつけます。
 しかし、子供たちの現状、あるいは子供だった人たちの行く末はどうでしょう。
 地獄へ迷いこんだ子供や極悪非道な行為をした人間の名前に価値ある文字は入っていないでしょうか。
 尊ぶべきは、より吉祥をもたらす名前をつけてやりたいと努力し、子供の幸せを願う親心です。
「親は懸命に親の役割をはたす、子供は感謝する」それがすべてです。

 戒名を並べて吉凶や成仏や一族の家運をうんぬんすることもあるやに聞きますが、戒名が子孫へ影響を与える影響は、それほど大きくはありません。
 戒名は、御霊そのものの心や人生などに含まれる徳を表現したものだからです。
 何よりも大切なのは、戒名をよく読んでその徳を偲ぶことです。
 そして、一族の者として感謝と誇りを持つことです。そうすれば「人の道」を歩む力が授かることでしょう。

 また、人間と他の生きものとは、役割や徳が異なるのみで、根本的な差別はありません。
 輪廻転生の理によれば、人に生まれる場合と他のものに生まれる場合とでは、徳が違ってそうなっただけです。
 金のために人を苦しめ、殺し、食欲にまかせて生きものを殺し、恩を仇で返し、権力のために矜恃を捨て、我欲のままに生きて事たれりとし、日々地獄道や畜生道などの六道を輪廻している人間が、自然界の掟に従って生きている動物などを差別する資格がありましょうか。
 ましてや、縁があって同じ屋根の下であるいは同じ敷地で暮らした生きもの同士が、死んだからといってすぐにバラバラになり、片方は手厚く弔われ片方はゴミになるなど、道理ではありません。
 ただし、徳が異なる以上、お骨を一緒にするわけには行きませんから、同じ墓地であっても、区別すべきところははっきり区別をし、それなりの法を結ぶ必要があります。
(「差別」と「区別」は別ものです。それを混同している世間の迷いに毒されないようにしましょう)
 当山では、ご希望により、ペットをも弔う正統な形をご指導させていただき、この世で畜生であった者も成仏し、やがては畜生道を脱することができるようきっちりと修法しておりますからご安心下さい。




2005
07.21

英霊供養─南方の海へ

『法楽かわら版』」6月号でお知らせした隠形流居合行者Iさんの英霊供養が無事終了し、南方の海へお地蔵様を流す写真が送られてきました。
 ただただ、泣けました。
 百八枚の和紙へ込められた供養法は、必ずや英霊をお慰めしたに相違ありません。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.20

船形山遊歩道

 午前中の法務を終え、かねて「船形山遊歩道」を作詞作曲した大久保さんに勧められていた遊歩道へでかけてみました。
 入り口(キャンプ場)までは車で30分。小川にかかる吊り橋の先は別世界です。
 遊歩道から見上げると、樹木は、天をめざしていかなる年月をかけて伸び続けたのか判らないほどの存在感で空を隠し、足下へ眼を向ければ、天狗のウチワかと見まがうような巨大で濃緑の葉が落ちており、南京袋のようにモシャモシャした感触なのに踏んでもびくともしない固い殻に覆われた小さな種も散在しています。
 見渡す限り緑の海ですが、渓流のせせらぎ以外は時折鳥の声がするだけで、背後では深い静寂が森を満たしています。

 約40分で「すりばち沼」に着きました。
 熊笹が風にざわめき、枯れ木が散乱している狭い岸辺の先に広がる沼は、いのちあるものの気配をあまり感じさせません。土地の人は「おっかない沼」とも呼ぶそうです。
 しかし、眼をこらすと、体長10?ほどのサンショウウオが枯れ木の下にいるのを発見しました。
 きらめき揺れる水紋を通して漆黒の姿ががはっきりと見えます。
 時には水の動きに乗り、時にはゆっくりと這い、長閑なものです。
 数億年も前からこうしているのかなあと思うと思考停止状態になり、妻と並んでおにぎりを食べながら、しばし頭が空っぽになる時間を過ごしました。

 帰り道、ザザッ、ザザッと通路脇の斜面で音がします。
 熊だろうと思い「懺悔懺悔、六根清浄」と言いながら山を下っているうち、左横20?のところへ黒い熊が現れ、驚くほどの早さで斜面を登って遠ざかりうずくまりました。
 体長は約1.5メートルでしょうか。
「おい、熊だぞ」と指さすと、妻は恐がりもせず「可愛いわねえ」などとつぶやいています。
 サンショウウオのふわふわ・とろとろした様子が見飽きないのと同じく、熊もまた丸っこい身体で駆けるのがおもしろくて、ワクワクしました。

 人間は、たかだか踏み分け道を慎重に歩くしか能がありません。
 熊は自在です。
 山は熊やウグイスやブナなどの栖であり、彼らこそが主人公です。
 人間はこうした自然にとっての勝手な客人であることを痛感しました。
 それらしくふるまわねばなりません。
 帰りに吊り橋を渡る時は、聖地を辞去するといった気持になりました。

 お大師様は、山河で修行を続けた先輩僧のために銘を創られました。
 その一節です。

「一覧 憂いを消し 百煩 自ずから休す ~ 咄呼(アア) 同志 何ぞ優遊せざる」

(ひとたび見渡せば憂いは消え、諸々の煩悩は自然に鎮まってしまう ~ ああ、志を同じくする者よ、なぜゆったりとした時間を過ごせないのだろうか)

 こうした境地にはほど遠く、帰山すればそれこそ山ほどの法務が待っており夜中まで名簿の整理などに追われましたが、ほんの一時とはいえ、確実に脳のリフレッシュができました。実にありがたい「優遊」体験でした。
「船形山遊歩道」はお勧めコースです。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.19

生霊・死霊

 とうとうヒグラシが鳴き始めました。
 東雲の空気は明らかに昨日とは異なる冷気を含んでいます。
 今日から土用へ入ります。
 夏の勢いに翳りが生じ、秋の準備が始まりました。陽と陰が交代する変化の時です。
 
 昨日、ご加持へ来られた方から、生霊・死霊についての質問がありました。
 生霊とは、いのちあるものの持つ「障りとなる力」であり、死霊とは、いのちを失ったものの持つ「障りとなる力」です。
 怨みや妬み憎しみや怒りを発する人は生霊となっており、死んでもなおそうした暗い念の解消できない人は死霊となっています。
 生霊は、道理を知らぬ迷いが生み出し、死霊は、その迷いに、この世とあの世の区切りをきっちりとつけてもらえなかった因縁が重なって生まれます。
 
 お葬式は何のために行なうかを一言で言うならば、「死んだ人へこの世とあの世の区切りをつけるため」です。
 それは、正式な法で送られなかった御霊はいつでも死霊となり得ることを意味します。
 
 いつの時代も、暮らしが楽になると人は気ままになり、仏神へすがる心が薄れます。
 目先の欲が満たされれば、「これで良いや」となるものです。
 釈尊が、『四十二章経』において、人間にとって難しい五つのことがらを挙げられている中に「豪貴にして道を学ぶの難」があります。
 この世における力を手にした人は、仏道を学び難いものだと説かれました。
 ここでの「学ぶ」は、興味や趣味の話ではありません。
 渇く者が水を求めるがごとき姿勢を伴ったものです。
 托鉢をしていて、それが真理である現実に何度ぶつかったことでしょうか。
 はたからも苦労が偲ばれる暮らしの中でしっかりとお布施をくださっていた方が、家を新築した途端、掌を返すように托鉢を断られるのです。

 法に因らず、ただただ思いつきで安易にお送りするケースが増えていることを憂い、危ぶんでいます。
 区切りのつけられなかった御霊が成仏できないでおられることを悼ましいと思っています。
 たとえ形はどんなに質素でも、正統な法をもってお送りしていただきたいものだと切に願っています。

 さて、私たちが怨み妬み憎む存在である以上、生霊も死霊も必ず生まれますが、対処法はどうなのかということが問題です。
 生霊は「いのちあるもの」ですから、陽の世界の始まりを司る守本尊様の法で供養し、清浄な世界へ向かっていただきます。
 死霊は「いのちを失ったもの」ですから、陰の世界の始まりを司る守本尊様の法で供養し、清浄な世界へ向かっていただきます。

 み仏はそれぞれ異なった役割を持っておられるからこそ、さまざまな姿をしておられ、さまざまな尊名があります。
 守本尊として、ことに応じ、時に応じ、方位に応じ、身体に応じ、心に応じ、運勢に応じて私たちをお守りくださるお力は、人間の想像力を遙かに超えています。
 生霊や死霊を感じたならば、至心におすがりしましょう。きっと感激の時が訪れます。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.18

お墓によって吉凶はあるか?女性が建ててはいけないか?

 昨夜、ご年配の檀家さんから人生相談がありました。
「お墓を守っている妹がいるんですが、古くなり傷もついたので修理しようとしたら、お寺さんから修理でなく建て直しなさいと言われました。
 見積額は300万円近くにもなります。
 途方に暮れていたところ、今度はテレビで、有名な占い師が、女性がお墓を建ててはならないと言っていた場面を見て、いよいよ困っています。どうすれば良いんでしょうか?」

 以前『法務ノート』に書いたものを記します。
 あの時は、Kさんが、占い師からお墓を傷ついたままにしておくと祟られますと言われたことがきっかけでした。

 お墓はみ仏に降りていただき、御霊と一族をお守りいただくための聖なる場ですから、そこに乱れがあって良いはずはありません。
 きちっとした形を目にして正しい教えを聞き、すなおに手を合わせればまっすぐで穢れない心がつくられます。
 しかし、形が崩れたものを目にしたり、教えがなかったり、ただ怖がっていたりすれば、心にも歪みや隙や汚れが生じることでしょう。
 そうした欠陥を放っておく姿勢自体が、自らの運勢を暗い方へと傾かせ、無神経さやいいかげんさを利用する悪しき者たちに利用されだまされる場合があるかも知れません。
 新しい仏壇が入りご本尊様の開眼供養の修法をした後で、「ご本尊様には必ず真っ正面を向いていていただくように気をつけてください」と申し上げる場合があります。
 また、僧侶は、常に仏器などをきちっと左右対称に並べてから修法をします。
 それは「完全」「最高」をその本性とするみ仏をお呼びするのにふさわしくないからです。
 無垢をめざしている御霊へ失礼だからです。
 このように、「欠陥のあるお墓を放っておくと気がかりだ」という感覚には理があります。
 ただし、それはすべて自分の心にかかっており、相手がこちらへ祟るのではありません。
 
 理のない者や真の解決法を示さず利用しようとする者は、必ず怖がらせ不安にさせます。
 そうした者に耳を貸さず理を解すれば、あとは今の自分ができることを実行するのみです。
 もしもお金がないならば、詫びて供養の心を篤くすることです。
 折節に、プロに供養してもらうのも良いでしょう。
 そうしていれば、決して運勢が傾くことはありません。
 むしろ、そうした健気な心がご先祖様へ届けば「よし、ここは何としても護ってやらねば」といっそうご加護をいただけるかも知れません。

 Tさんは、遠くにあるお墓に身内のお骨が納められているのですが、種々の事情によって近所へ移すことが難しく、「いつの日か、必ず移すか分骨するかしよう。
 それまでの間、お骨はなくともあるつもりでお墓を造って供養しよう」と思い立ちました。
「良いんでしょうか?」と真剣です。
 もちろん結構なことです。
 親族間のもめごとや旦那寺との軋轢などが重なり形は極めて変則的になっていても、供養する心は必ず御霊へ届きます。
 御霊は私たちの魂が発するものを感じながら自由に移動していますから、み仏のご加護があって自分を供養してくれる場が造られれば、そのお慈悲とまごころに感応してお喜びになられます。
 ご守護と供養の心が薄い場所よりも、教えが説かれ、環境も良く、暖かい心で建てられた場へ来られ、ご一族をお護りくださるに相違ありません。

 さて、質問への答です。
「修理は良くない、建て直しなさい」については、たとえば何かの危険性があるといった物理的要因でもあればともかく、道理がありません。
 隠れた都合があるのではないでしょうか。
 み仏のため、御霊のために自分でできる範囲のことを堂々と行ってください。
 それ以上、人としてまことのある行為はないのですから。

「女性がお墓を建てると良くない」などと言う話に怯える必要はまったくありません。
 釈尊もお大師様も、そんなことで男女の区別をしてはおられません。
 まして、少子高齢化・男女共同参画の時代をどう生きるか、その道理を考えてもすぐに判ることです。
 いくら有名な人の言葉でも鵜呑みにしてはなりません。
 ただただ怯えてはなりません。
 供養についてはプロの僧侶へお訊ねください。
 み仏の説かれた教えと正統な修法をもってお応えします。
 ご安心ください。




2005
07.18

現れた菩薩様

 梅雨を忘れさせる好天の下、四十九日の法要で本堂をぎっしりに埋めた人々が『法楽の苑』へ列をなして歩き、納骨を行ないました。
 もうウグイスは去り、セミに主役が移って三日目です。
 お骨をずっとそばへ置かれた奥さんは寂しそうであり、いくらか安心もされたかに見えましたが、いずれ、できごとが心の底で安定し異物でなくなるまでは、モノがゆっくりと水中を沈むような時の経過が必要です。

 仙台からわざわざ足を運ぶ人も多い知る人ぞ知る名店『新ばし』で横に座ったご遺族は、淡々と亡きTさんの話をされました。
「さっき、お墓へ甘いものをたくさんお供えされましたね。好物だったんですか?」とお尋ねしたところ、予想もしない答が返りました。
 甘いものが好きだっただけでなく、お酒も大好きだったそうです。
 しかし、あれば食べ、飲む方ではありませんでした。
 お菓子をいただいても、子供が食べないうちは絶対に食べなかったそうです。
 子供や奥さんの満足を優先していたのです。
 それだけではありません。
 持病のあったご長男は、大きくなって体調が安定するまでは、父親が家で酒を口にするところを見たことがありませんでした。
 年に数回とはいえ、いつ突然発作が起こるか分らないので、すぐに病院へ連れて行けるよう酒を我慢していたのです。
 娑婆にいた頃、日々成長する子供は妻と両親へ任せ、仕事を口実に遊び歩いていた私は頭を殴られたような衝撃を受けました。

『父母恩重経』に、こういう一節があります。

「父親も母親も、他所でおいしいものを前にすれば、自分で食べるに忍びず、懐へ入れて持ち帰り、子供を呼んで与えるものである」


 ありがたいけれども心のどこかで当り前と感じながら読誦し、罪深い自分でもそんなことをいくらかはやっていたつもりでしたが、経典の説く世界は次元が違っていました。
 その真実を、菩薩として生きた方の魂を通じて、たった今教えていただきました。

「髪が白くなったからといって真理が解ったわけではないぞ。
 愚かなままでは一体何のための人生か!」

と鋭く問う『法句経』の経文が頭の中でくり返されています。
 何たる60年だったのか………。

 Tさんは、時折、お子さんと一緒に泣いたそうです。
 子供が辛い気持になっていると黙って話を聞き、いつも涙ぐみました。
 8人ものお孫さんが同席していましたが、その若い父母は全員、Tさんと同じ姿勢で子育てをしているとのことです。

 他の人の苦しみも喜びも我がこととして全身全霊で受け止めるのが慈悲の根本であり、菩薩はそこから行動を起こされます。
 何者にも姿を変えて人々を救うと経典で誓っておられる菩薩様は、一職人Tさんとしてこの世に現れたのだろうと確信しています。




2005
07.17

お墓はなぜ建てるのでしょうか?

 最近、ホームページのリニュアルに伴って新たにホームページをご覧になられる方が増え、さまざまな基本的質問をいただくようになりましたので、以前法務ノートへ書いた「お墓に関する疑問」への答を再掲載しておきます。
 その第一回目です。

 お墓に詣でれば合掌しますが、さて、それはどなたに対して行うのでしょうか。
 おそらく多くの方々は「そりゃ、ご先祖様でしょう」あるいは「そこにおられる御霊です」と答えられることでしょう。
 でも、お墓を依代(よりしろ)とする先亡の方々は、自分だけで安心の境地に入っておられるのではありません。
 死は肉体という衣を脱ぐことであって、死んだからといって魂のレベルが急に上がるわけではありません。
 この世のことをひきずらず安心の境地へと導く人間のレベルを超えた存在、つまりみ仏のお導きがあって初めて、この世でいかに汚れた魂であっても、絶対安心の境地をめざすことができます。
 お葬式は、そのスタートの日です。
 つまり、合掌は、何より最初に、大日如来であれ、阿弥陀如来であれ、地蔵菩薩であれ、不動明王であれ、釈尊であれ、み仏へと向けられるべきなのです。

 お墓とは、み仏のお導きと結ばれる法によって先に逝かれた御霊を弔い、有縁無縁の諸精霊を供養し、同時に、今生きている私たちが日常生活で忘れがちなみ仏の世界に接することによって向上し、み仏と御霊にお守りいただくための場なのです。
 み仏と法がなければ成仏できないということを考えれば、お墓を建てる真の意味もご理解いただけるのではないでしょうか。

 さて、お墓がみ仏のお導きとご加護の場であれば、そこに救いを求める御霊が集まって来るのは当然です。
 新たな御霊が入れば、その友人も親戚も敵も味方も、あるいは近くで起こった交通事故の犠牲者や誰にも供養してもらえない御霊など、生前何の関係もなかった未成仏霊もやって来ることでしょう。
 だから、お墓参りでは、自分のご先祖様だけでなく、万霊供養の心を持つことが大切なのです。

 そもそも、本来み仏の子である私たち人間は、いつも「自利と利他」を考えねばなりません。
「我がこと」のみでは、人間としての根本的な成長は望めません。
「自利と利他を同時に願って精進せよ」と説かれているみ仏の教えに学ばなければ、せっかく造ったお墓の意義が半分消えてしまいます。
「自分のご先祖さまだけ」では哀しいものがあります。

 自分が死ぬ時のことを考えてみましょう。
 どなたであれ、きっと伴侶や家族や子孫やこの国の無事と発展を願うのではないでしょうか。
 因果応報の理がある以上、そうした願いは消えません。
 御霊は、必ず私たちを見守っておられます。
「無事にね」「元気でね」「幸せでね」「戦争はしないでね」「人としてちゃんと生きてね」こういった思いにお応えするのが生きている私たちの務めです。
 そのために、ぜひみ仏の教えに学び、折々に僧侶の修法を請い、み仏と御霊を供養し、同時にみ仏と御霊も私たちを供養してくださるかけがえのない場としてお墓を守っていただきたいものです。




2005
07.16

仏像にはパワーがある

「素朴な質問で恐縮ですが、仏像ってどうしてできたんでしょうか?あまりたくさんあってよく解らないんですが」
 Tさんは熱心にお寺まわりをしておられるので、特にこうしたお気持が強くなられたのでしょう。

 学者の説はいろいろあるようですが、一行者としては、釈尊の説かれた真実世界を求める天才的行者たちが感得した〈イメージの表現〉が、お地蔵様やお不動様や観音様などの経典であり、経典に基づいて造られた仏像だろうと考えています。
 それは、仏像を前にして経典を読み、印を結び、み仏の世界をイメージできれば聖なる次元へ入られるからです。信じ、行なえば、必ず結果が出るからです。
「信じて、正確にくり返しなぞる」行者の務めはこれがすべてです。

 いかなる宗教も開祖の説く内容への感動や共感から始まり、それは開祖そのものへの信と重なり、やがては開祖崇拝がさまざまな聖なるイメージを生み、その表現されたものが「真理世界への入り口」となったのではないでしょうか。
 偶像崇拝と称し形あるものの崇拝を禁じている宗教でも、そこで言うところの偶像に代わる何ものかはあります。
 開祖や聖者に憧れ崇めない宗教はありません。
 現に、イスラム世界では聖者の一言で人々がどんどん命を捨てています。
「絶対」を含む一言を発する人は、生きた偶像なのでしょう。

 宗教における「聖なるもの」とは、意識するとしないとにかかわらず「人格としてのイメージ」です。
 親しみやすいお地蔵様、頼りになるお不動様、お優しい観音様、気高いお大日様、安心させてくださる阿弥陀様、どなたも必ず何がしかの人格を感じさせればこそ、手が合わさります。

 悟りを得るとは「実のごとく自らの心を知る」ことであると説かれているのは、迷いの雲や幻の我を払い、魂の核となっている最高の人格を求めよという教えです。
 そうか!と一時は思っても、頑固な雲や我はそう簡単に避けてくれません。
 だからこそ、仏像や経典が心を清め深める導き手となってくださるのです。
 お地蔵様や観音様として活きている聖なる世界が、私たちの魂へイメージとしてはたらきかけ、力となります。そして、お地蔵様と自分、あるいは観音様と自分という意識が消えれば、お大師様の説かれた「即身成仏(ソクシンジョウブツ)」です。

 仏像となっているみ仏の本体は人格であり、み仏は、どなたも私たちの心にお住まいです。




2005
07.15

二二六事件・日本語

 二二六事件で決起し処刑された青年将校たち17人の遺書が、将校たちの遺族でつくられている『仏心会』へ届けられました。
 約70年前、東京の陸軍刑務所で遺書を託された元看守が、仙台市太白区在住の平田俊夫さん(77歳)の父親へ渡したものです。

「我が魂魄(コンパク)を愛するより國を愛するの熱情に死せむ哉(カナ)」 安田少尉
「大君に 御國思ひて 斃(タオ)れける 若き男乃子(オノコ)の心捧げん」 栗原安秀中尉


 こうした命をも捨てるほどの国を思う熱情と、公のために決然と私を捨てる潔さには、信じがたいほどの強さがあります。
 処刑された天才指導者北一輝は、当時の世情を詩に遺しました。

「ああ 人栄え国滅ぶ 盲(メシ)いたる民 世に踊る」

「誰もが我がことのみを考えるようになって、道理や道を見失ってしまった。
 そうした人々が、かりそめの栄華を競っている」との慨嘆です。
 欧米列強の世界植民地化という脅威を前にして国を守ろうとした当時の人々の真情を偲ぶと、自ずから頭が下がります。

 同日、文化庁が行なった「日本語世論調査」の結果が公になり、慣用句の誤用や、いわゆる若者言葉の流行の実態が明らかになりました。
 若者言葉の特徴は、そのほとんどが単純で短い言葉の中に膨大な情報を入れてしまうところにあります。
 日本語はもともと奥行きがあり味わい深いものですが、そうしたレベルではなく、むしろリンゴやミカンやモモといったたくさんの種類を「果物」の一言で表現しているかのように思われます。
 そこで失われるものは、素養です。
 表現する意欲です。便利になる一方、言葉が単なる記号になることによって繊細な感性が鈍磨しはしまいかと怖れています。

 数日前、たまたまつけたテレビで思いもよらぬ場面を観ました。民放で中学生か高校生が日本語の言い回しについての知識を競い、日本一が決まった瞬間です。
 女学生同士の対決で勝利した少女は、「あなたにとって日本語とは何ですか?」と問われ、間髪を入れず「わたくしを美しくしてくれるものです」と答えました。
 こういう人材こそ教育界で活躍してもらいたいものだと、祈るような気持になりました。

 戦後60年、若者たちの自由になる時間は飛躍的に増えました。
 ニートやフリーターといった人々も増える一方です。
 幸せな若者たちには、何よりも読書をして欲しいものです。
 何にも増して、美しい日本語を学んで欲しいものです。
 もちろん、忙しいことは読書できない理由にはなりませんから、それは「暇な」若者たちだけへの思いではありません。
 トイレの中も、お風呂の中も、枕の上も心がけ一つでかけがえのない場となります。
 最も自由なこの三カ所を活かさぬ手はありません。

 美しい日本語に接すれば、自然と古人の魂に触れることができます。
 今の自分という「色眼鏡」や、流行の思想に任せてしまう「思考停止」や、我が身を安全な所に置く「逃避」などが薄れ、いつの時代を生きた人であれ「当時の人々」の真実が解るようにもなるはずです。
 それこそが、国の将来を我がこととして考え、行動し、死んでいったご先祖様への真の供養となることでしょう。




2005
07.13

NHK講座『法句経を読む』 ―真の母親―

 慈悲が今日の主題の一つなので、「若貴問題」で書いた大岡裁きを話題にしました。
 実の母親を名乗る二人の女性へ一人の子供を左右から引っ張らせ、勝った方を母親と認めるとしておきながら、実際は手を離した方へ子供を渡したという話です。
 一般的には、母親なら、強く手を引っ張られる我が子の痛さに耐えられないので名判決であるということになりますが、いろいろな意見が出ました。

「手を離せば子供を放棄することになるのだから実の母親なら決して手を離せないはずであって、大岡越前守はまちがっているという説があります」と紹介したところ、Kさんは、「昔なら大岡裁判は正しかったのかも知れませんが、権利意識の強い今の時代では『私に権利がある』と思ったならばとにかく強硬になるし戦闘的にもなりますから、どうかわかりませんね」と言われます。
 確かにそうかも知れません。

 また、Aさんは「大岡越前守は、実の母親を判らなかったんではないでしょうか?痛いだろうと庇う方を信じて渡したかったんではないでしょうか」と言われます。
 事実としてどちらがどうであるかは判断できないけれども、子供を思いやる気持の強い方にこそ母親としての資格があるという説です。
 これも一理あります。

 いずれ、今のように科学的検証のできない時代ですから、事実は判断・確認できなくとも真実はみつかるはずだということだったのでしょう。
 智慧を絞り、人情を信じ真実を求める姿勢は、はるかに時をへだてた私たちの心へ深く訴えるものを持っています。
 だからこそ、ワンパターンと言いたくなる番組でも視聴者は満足できるのでしょう。
 
 み仏は「母が独り子を護るように、一切の生きとし生けるものへ無量の慈しみの心を起こすべし」と説かれました。
 母親の子を思う心は観音様のお慈悲のように絶対的なものだということが前提となっています。
 
 大岡裁きを考え、み仏の教えを思い世相を眺める時、ある恐怖を覚えます。
 ―――もしかして、無条件の慈悲心を持った真の母親が消えつつあるのではなかろうか、と。




2005
07.12

憎しみを離れた人

 釈尊は、善悪を厳しく分けて悪の生む地獄をくり返し説かれ、何としても人々を善行へ導こうとしてされましたが、その教えに、悪行をなした人を憎む表現はまったくありません。
 いつも、憐れんでおられます。
 それはきっと、ご自身が自分以外の人を悲しませ、辛い思いをさせ、傷つけずにはいられない人間だったという「俗世の時代」をしっかりと見つめておられたからでしょう。
 たとえば、立場を捨てて修行者となった時、何としても部族長の後を継がせたかった父親や周囲の人々がどんなに悲しんだかは、容易に想像がつきます。
 後継者を失うのは、いかなる道にある人にとっても最大の悲嘆・落胆を招くはずです。
 それは、お大師様も同じでした。
 まさに神童で「とうと(貴)もの」とまで呼ばれ、立身出世して一族を率いて欲しいという人々の願いを振り切って一行者となりました。
 釈尊と同じ道を通られたのです。

 お二人が常人と違うのは、究極まで研鑽し結果的に聖者となって人々を喜ばせ、納得させたことですが、その過程で「愛別離苦(アイベツリク…愛する者と別れる苦しみ)」に泣いた人たちが確かにいたはずです。

 苦を与え、与えられ、心で涙した体験をしっかりふまえ、人は誰であれ他へ苦しみを与えずにはいられない存在であるという宿命を見つめておられたからこそ、憎しみを離れ慈悲のみの存在となられたのでしょう。
 宿命を克服されたのです。

 経典は「最も大切なのは、自分自身の心の底を知ることである」と説いています。
 誰の「心の底」にも必ず「み仏の心」があるのですが、そこへ到達するには、自分自身がいかなる行動をしているか、いかなることを口にしているか、いかなることを思っているかを直視せねばなりません。
 そうして、いわば「表面に現れている自分」をちゃんと知ることができれば、自ずから「どう生きれば良いか?」と道を求める心が起こります。苦を与え与えられる世界を脱する入り口に立てるのです。

 なかなかその入り口に立てない時は、お寺の門をたたいてください。
 皆さんより一足先に門をくぐり少し先を歩いている人が、蛍の明かりのように見えることでしょう。




2005
07.10

若貴問題

 花田勝氏と貴乃花親方の確執は全国紙のトップニュースとなるほど世間の注目を集めましたが、7月4日、花田勝氏が東京家裁に対して6月29日付で故二子山親方の遺産の相続を放棄したことを発表した以上、もうこれ以上報道すべきではありません。
 国民へものを考えさせるきっかけになるという役割を終えたからです。

 世界中を植民地化しようとしていた西洋諸国が日本の混乱を待っていた江戸末期、江戸城を無血開城させ、国難を救った勝海舟はこんなことを言い遺しました。
「もう逃れられない危機だと判断した時は、まず身命を捨てて対処した。
 その結果、不思議と一度も死ななかった」
「勝とうとすると、ことを急ぐ。頭に血が上り胸はドキドキし、判断を誤り進退を誤るものだ。
 逃げて身を守ろうとすると、縮こまって相手に乗ぜられてしまう。
 ことの大小を問わず、人はこの規則に支配されるものだ。
 俺はそれをよく知っていたから、いつも勝ち負けは度外視して虚心坦懐にやっていたよ」


 こんな古川柳にもなった大岡裁きがあります。
「御白洲で子を引き勝って負けになり」
 大岡越前守は、一人の子供の実の母親を名乗る二人へ「子供を引っ張り合って勝った方の子供と認めよう」と告げ、結果的に負けた方の子供と決した話です。
 実の親なら何よりも子供の痛みを解り引っ張り続けられないはずであるというのが根拠でした。
(後代になって、本当の親なら絶対に手を離せないはずだから越前守は誤っているという説も現れたようですが、いかがなものでしょうか)

 勝海舟は、自分の命よりも名誉よりも財よりも大切なものを覩ることができたのでしょう。
 御白洲の実母は、子供の痛みを我がことと感じ、母性の命ずるままにふるまったのでしょう。
 その結果、国が守られ、母と子が守られました。

 財の完全放棄という尊い行動を見たのですから、もう終わりです。
 若貴問題は、見ず、読まぬようにしましょう。
 視聴率が下がれば、テレビは自動的に報道しなくなります。
 マスコミを健全な方向へ動かすのも視聴者の良識というものではないでしょうか。




2005
07.09

香を手に取り、衣を洗う

 

 お大師様は「お香を手に取れば、自然にその香りが移って身体が芳しい香りを発し、清らかな流れで衣を洗えば、同時に洗う人の脚も清らかになる」と説かれました。
 良い友と交われば、自分もまっとうな人間になり、善き行いには善き報いがあるものです。いかなる人と何を行うかによって自分の運命は創られます。

 6日、小雨の合間をぬって、『守本尊道場』を流れることになる堀の石積みを始めました。
 6月20日にホームページの「お知らせ」欄へ「石や岩を探しています」と掲示して以来何人かの方々からお問い合わせがあり、徐々に集まりつつあります。ありがたいことです。
 たまたま奉仕活動に来られていた方々とたった6人でのスタートとなりましたが、数ヶ月後には、必ずや美しい小川が姿を顕すことになりましょう。

 み仏の場を造るために石や岩を提供してくださる方々も、それを積んでくださる方々も「お香を手にし、洗濯のお手伝いをする」ようなものです。
 美しい人間性が発揮され、大いなる福徳が得られますよう。




2005
07.08

壊された美風

 聖徳太子は、師僧の慧慈と一緒に道後温泉へ行き、こんな碑文を遺しました。

「太陽も月も天から私たちを平等に照らしておられる。
 神の井戸ともいうべき温泉は地にあって誰彼の区別なく満遍なく薬効をくださっている」
「天から照らし地から救われる、これこそが極楽浄土である」


 天地の間にある人間は皆平等であるという思想がうかがわれます。
 そして、「十七条憲法」は第一条「和をもって貴しと為す」に始まります。
 第十条の要旨は
「人はそれぞれ考え方が違うのだから、いちいち怒ってはならない。
 自分だけが正しく相手は愚かだというものでもない。
 同じ凡人同士ではないか。
 もし相手が憤ったならば自分に誤りがあるのではないかと怖れよ。
 自分だけが判ったつもりでも、皆と行動を共にせよ」です。
 第十七条の要旨は
「ものごとは独断で行なってはならない。
 必ず皆で論議をしてから行なわねばならない。
 小さなことならば別として、大事にあっては決して誤らぬよう皆で論議し、道理に合った結論を得てから行なわねばならない」です。

 明治天皇の五カ条の御誓文は、第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」に始まります。

 こうした日本人の精神は、釈尊の時代に、4本の柱と屋根のみで造られた四阿(アズマヤ)で行なわれていたとされる部族の会議を彷彿とさせます。
 そこでは、皆が集い、自由に論議し、歴史と伝統を熟知し智慧を持った長老が意見をとりまとめて部族の方針が決められたとされています。

 古代インドの人々も、私たち日本人も、こうした智慧を持っていました。
「一人一人が神から権利を与えられたから平等である」という西洋の個人主義を待つまでもありません。
「人間はバラバラに独立しているから、やむを得ず多数を正義とするしかない」という多数決の原理、弱肉強食という鎧を衣の下に隠した原理などとは比較にならない大人の智慧を持っていました。
「それぞれが、謙虚に、共に生きる皆のためを心から考えて議論し、得られた方針には快く従って和を壊さない」
 社会の方向を決めるに際してこれ以上の方法がありましょうか。

 こんな、今となっては希有の存在がついこの間までありました。
 自民党の総務会です。平成15年に会則が変更されて多数決となりましたが、慣例として全会一致を保って来ました。
 いろいろ言われながらも自民党が長いこと政権を担っていられたのは、根幹にこうした大人の部分があったからであると観ていましたが、今回、日本にとっての重大事であると国民のほとんどが考えてもいない一政治家の旗印のために全会一致の美風は崩れ去りました。
 美風というものは精緻な技巧で作られたガラス細工のようなもので、一度壊されたならば旧に復することは至難のわざです。
 なぜならば、それは皆が手をかざしてこそ風から守られる一本の智慧のロウソクだからです。

 今回の一連の政治劇にこうした面があったことも考えてみる必要がありはしないでしょうか。私たちの持っているかけがえのない宝ものをこれ以上壊さないためにも………。
 




Comment:1  Trackback:0
2005
07.07

真理・道理・原理

 今日も真剣な問いをいただきました。
「なぜ人間は戦争を止められないのでしょうか?殺して嬉しい人も殺されて嬉しい人もいないはずなのに」
 答の一つは、「原理と道理を区別し、それぞれをバランス良く用いられないから」です。
 かつて、劣化ウラン弾の非人道性に関するこんな一文を書いたことがあります。

 人間は、ここしばらくの間に与えられた脳細胞を飛躍的に使えるようになり、効率を求めて「原理」が探求された結果、科学が急速に発達しました。
 そして、意志を通し意思を具現化するための道具をたくさんつくりました。
 車・電化製品・薬品などなど、そして劣化ウラン弾もその成果です。
 しかし、一方で、道具を用いるための「道理」はあまり探求されず、聖者の説かれた真理と道理は人々の脳へさほど浸透していないように見うけられます。
 いかに原理をつきつめても、それだけでは道理は得られません。
 原理に道を与えるのが道理だからです。
 人間以外の生き物たちに道理はありません。
 弱肉強食や種の保存などの「節理」という原理だけで生きているからです。
 それとは異なって人間には精神があり、正邪善悪を峻別し、福徳を得たり罪を犯したりします。その判断基準が道理です。
 
 釈尊は仏陀になられました。
 仏陀とは覚った者すなわち、真理と道理を見きわめた人のことです。
 釈尊の示された真理の一つは〈すべてのものは変化して止まない〉こと、もう一つは〈すべてのものは、それ自体として独立して存在しているのではなく、他との関係性の中にある〉ということです。
 人は誰でも生れた瞬間から〈死へ向かって歩んでいる〉のであり、他の〈おかげ〉無くして生きている人はいません。
 その「真理」を観て「道理」を導き出すのが「智慧」、道理として無常を生きる者同士が思いやりで支え合うところに「慈悲」があります。
 等しく死へ向かいつつかけがえのない今を生きている者としてお互いを尊び、他へ感謝し、縁の相手へ思いやりをかける行為が善行であり、他を踏みつけても己の意志のみを通そうとする傲慢な行為が悪行です。
 他を顧みないところからあらゆる罪が生れます。
 罪を犯して良心が痛むのは、道理に反しているぞというみ仏からの危険信号なのでしょう。
 さて、安くて便利だからといって劣化ウラン弾を使うのは道理に立った善行でしょうか、それとも悪行でしょうか。
 人はいかに生きるべきかを、釈尊は簡明に説かれました。
「悪行は行うなかれ。善行を行うべし。自らを清めよ」
 私たちは、何を行わぬべきでしょう。何をなすべきでしょう。そして、何をもって自らを清めるべきでしょうか。


 道理を忘れず、合掌を忘れずに生きたいものです。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.05

組織と正見

 40年にもわたって続いてきた同期会の総会を欠席しました。
 この歳になると、もはや幽明境を異にした会員が何人もおられ、一期一会の雰囲気が強まってきます。
 会長としてそうした場へ出席できぬことに責任を感じて会員のお一人へ辞表を託したことを思い出しながら床に就いた深夜、ご縁の方から切迫した電話が入りました。
 長期間無事を祈ってきたお子さんが事故を起こしたのです。
 処置法をお話しし、ただちに不動尊延命法へ入りました。
 幸いにして、ことは大事に至らず小事で済みましたが、ご縁の方にとっては文字通り命の縮む思いだったことでしょう。察して余りあります。

 あらためて僧侶の責務と日々の過ごし方についてみ仏からお教えいただいたできごとでしたが、この一夜は、立場というものについての確信を深めもしました。
 長の仕事は畢竟二つ、会へ参加し会員全員と心を一つにすること、結果に責任をとることです。
 参加できず心を一つにできなければ資格はありません。
 ことがうまく行ったならば、それは担当してくださった方々の努力のたまものです。
 しかし、問題が発生した場合は自らが具体的に責任を負うことができなければ資格はありません。
 資格がないと判断したならば速やかに辞任すべきです。もちろん、それが会のためだからです。

 人の組織というものは、何であれ、本来そうしたものでなければならないという気もします。
 立場なりの役割があり、それぞれがお互いの立場を尊びながらまっとうに役割を果たしてこそ組織は生きたものになるはずです。
 また、例のライブドア事件が思い出されます。
 あの時、学者も政治家も評論家も「会社は株主のもの」と主張していましたが、何度考えても首肯できません。
 労働者・経営者・株主の三者が協力して役割を果たし、利用者がその努力を認めてこそ会社は存続できるのであり、いずれかの一者のみが「所有者」として強者の立場を主張するのが正しいなどということがあり得ましょうか。
「法律がそうなっている」という事実の指摘なら解ります。
 法が人間社会の理想とずれていれば法を変えれば良いだけです。
 しかし、多くの論者は「会社は株主のもの」であるのが資本主義社会にあっては当然だと主張していたのです。
 こうした思想が本当に人々を幸せにできるでしょうか。
 
 かつて極端な平等を主張する共産主義が蔓延していた頃、労働者は資本家を打ち倒せという叫びが日本中を覆っていました。若者たちはデモに走りました。
 イデオロギーにより、不毛の対立がつくられていました。
 しかし、日本人は智慧をもってそれを克服し、人々は豊かになり、国は安定しました。
 今は極端な自由を主張する資本主義が一部の富裕層を潤し、所得格差をどんどん広げています。
 人生相談を受け、社会の様子を観ていると、人々の多くは老いも若きも、明らかに「使い捨て」にされつつあります。
 そうでなくとも技術文明の進展で人が労働力として不要になりつつある時、人をモノであるかのように金で自由にあやつる思想が日本を理想社会へ導けるとはとても考えられません。
 自由競争に名を借りた極端な能力主義がはたらく人々の人格を破壊し、組織の土台を崩すということも明らかになりつつあります。

 釈尊は苦を脱する八つの道を示されました。その第一番目は「正見(ショウケン)」です。
 正しい見解にはいくつかの面がありますが、一つは「極端へ走らない」ことです。
 しかし、人は極端へ走りたがります。
 理由は、ある意味で「楽だから」です。
 一番端にいれば、もう論議は不要になります。
 端へ来ない人々を中間的だと否定するだけで自分の正義を主張していられます。
 平等という何人も否定できないと思われる旗へ身をゆだねれば楽なものです。
 自由という何人も否定できないと思われる旗へ身をゆだねれば楽なものです。
 ジェンダーフリーも同様です。
 極端はさらに極端へと向かい、戦闘的な態度はますます鋭くなります。
 指導を無視した先生が、生徒たちを男女同室で着替えさせるなどの暴走を見ても、常識・良識・見識の破壊されているすさまじさが判ります。
 こうして人は極端へ走りたがるものだからこそ、釈尊は正見の大切さを説かれたのでしょう。
 
 一方、釈尊は因果応報の真理も説かれました。
 かつて、共産主義を煽っていた某大学教授は、革命思想に忠実であろうとした教え子たちが行なった暴力行為のために自分の研究室を無惨なまでに破壊され、ぼうぜんと立ちつくすしかありませんでした。
 今の資本主義やジェンダーフリーの暴走もまた、必ずや結果をもたらします。
 それは、熱に浮かされている人々の夢見ているようなパラダイスではあり得ないことでしょう。なぜなら「正見」ではないからです。
 幸いにして私たち日本人には、社会を家族ととらえる感覚や、礼を重んずる感覚や、仏神で争わない感覚など、「正見」を取り戻す智慧の泉があります。
 智慧を発揮するには忍耐が必要であり楽ではありませんが、先人は汗を流して日本をここまで導いて来られました。
 私たちも、目先の楽へと逃げ込まず真摯にやりたいものです。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.04

運命を創るのは誰か

 例祭を終え、いつものように皆さんと一緒に仏器を磨いていたら、Sさんから質問がありました。
「運命は自分で切り開けるものですか?それとも人生は誰かに決められているんでしょうか?」
 Sさんご一家は熱心に精進しておられ、お父さんの読誦しているお大師様の経典はかなり古びています。
 きっとこの問題も、いろいろな説を勉強しながらご家族で何度か話し合っておられたテーマなのでしょう。

「両方の要素があるものですよ」とお答えしました。
 よく「開運」と言いますが、開運とは、ただ漠然と良いことが起こるということではありません。
 いわゆるタナボタを夢見ているだけでは、永遠にボタモチは口にできません。
 人生の方向性を決めてまっしぐらに向かってこそ、自分の持っている力が発揮でき、新しい局面が現れます。開けるのです。
 しかし、問題なのは、方向性を具体的に決められない場合です。
 自分が本当は何をしたいのか、何をすべきかが判らない場合です。
 特に若いうちは、そのあたりで右往左往するものです。
 どうすべきか?
 答は一つしかありません。
「人生の真実」「人生の目標」「自分らしい生き方」、何であれまじめに探し続けることだけです。
 真剣に探しながら生きている姿勢は人間としてまっとうなものであり、必ず見つける「縁の時」チャンスが来ます。ここまでは自力です。
 
 今度は、それをつかめるかどうかですが、自分の力だけでは自ずと限界があります。
 ライバルが現れるかも知れません。
 足を引っ張る人も出てくることでしょう。
 事故や病気や突発的なできごとが妨げとなるやも知れません。
 仏教ではそれを天魔といい、打ち破ってくださるのは守本尊様方です。
 もしも夫婦円満など実際の良縁を持続させようとして苦境に立ったならば、文殊様がお救いくださいます。
 つまらぬ因縁をつけられるなど仮の悪縁を祓いたいならば、千手観音様がお救いくださいます。
 生霊は虚空蔵菩薩様が祓ってくださいます。
 人生における真のチャンスはそうそうあるものではなく、それをつかむ「天運に恵まれる」とは、仏神のご加護があるということです。天魔に負けないということです。
 もしも、首尾良くチャンスをつかみ運が開けた時、すなおな方なら心のどこかで「おかげさま」と感じているはずです。
「おかげ」とは守本尊様に他なりません。
 
 各界の第一人者とのインタビューを続けている作家の高任和夫氏は
「彼らの共通点は志を持っていることです」
に加えて、
「偉ぶる人は一人もいません。どなたも謙虚です」
と言いました。
 皆さん、何ものかのおかげがあってこそ今があると感じておられるということでしょう。

 冒頭の問いへの答は、「まっとうに生き『おかげさま』を忘れなければ、自力を発揮でき、仏神のご加護をいただいて善き運命が創られる」ということになりましょうか。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.03

文月の俳句

 信徒総代鈴木悦子さん(仙台市太白区在住)の俳句です。

 鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって投稿しておられます。



鉄線花紫紺こぼるる突如雨



えごの花どっと散り敷く隠れ道



新緑の出羽三山の宮居かな



水子仏うしろ数多の今年竹



青葉冷即身仏の緋の衣




Comment:0  Trackback:0
2005
07.03

なすべきこと

 Tさんの四十九日が来ました。祭壇の中央にある遺影の目は未来をめざす光を宿したままですが、その隣には、もう立派な仏壇と黒塗りの位牌が用意されています。

 修法が終わると、相変わらず肩が落ちたままの奥さんは、問わず語りに亡きご主人の話をされました。

「子供たちと孫たちをお墓へ連れて行って、『お前たちは、これから先、何かどうしても判らないことがあったら、ここでおじいちゃんへ訊きなさい。どうすれば良いか必ず教えてやるからね』と言ってました。前から自分の身体のことは気づいていたんでしょうねえ」

 Tさんは、墓石の隣に石でイスとテーブルを作り、ここで山を眺めながらおにぎりでも食って、ゆっくりオヤジと話をするんですと笑っておられましたが、それは、子孫と自分とのありようについての理想でもあったのです。



「入院する前に家族それぞれに宛てた書き物をちゃんと用意していて、亡くなって開いてみたら、全部に『お母さんを頼む』という言葉が入っていました。私は何ごとも主人を頼って来ましたから、心配だったんでしょうねえ」

 ご主人を立てる姿勢のある奥さんだからこそ、ご主人は大切にし、亡き後の心配もしておられたのでしょう。

 ただし、急いでつけ加えねばならないのは、このご夫婦の間柄は、流行の思想を主張する人々が眉をつり上げて糾弾するような隷属的関係などではないに違いないということです。

 長いこと理想の墓地を探しておられたご夫婦に『法楽の苑』で初めてお会いした時、Tさんは「ここで良いな、お母さん」と奥さんをふり返りました。Tさんの顔はとても優しく、妻が自分と同じ安心感を感じてくれていることを確認したいのがよく解りました。まるでずっと欲しくていたオモチャか何かをやっと探し当てた少年のような無邪気な喜びと、認めてもらいたいという奥さんへの信頼感がそのままあふれ出ていて、この温かいご夫婦と当山との仏縁の糸が結ばれたことを、一瞬で確信したものです。



 Tさんは、延命治療をせぬようにと書き残し、ご家族に決断の時が来ました。

「なかなか言えなかったけど、頑張って先生に言ったのよね………」

 無言で横にいる母親を見やる娘さんは、涙ぐみながらも、心なしか胸を張っているようでもありました。



 Tさんは、見事になすべきことをなし、旅立たれました。み仏から授かった戒名には「巌」の文字が入っています。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.02

今月の例祭

 護摩の修法を行い、ご供養とご祈願により皆様とみ仏とのご縁を深めていただきます。



 例祭で行われる護摩法は、願いが最も早く仏神へ届く秘法です。

 どなたでも自由に参加できます。

 たくさんの願いを持って守本尊様にお会いし、悪い縁や自分のいやなところは智慧の火で燃やし去っていただき、良い縁を固め精進がすばらしい花を咲かせるよう大きなお力添えをいただいて下さい。



 毎月第1日曜日(7月3日) 午前10時より

 毎月第3土曜日(7月16日) 午後2時より



 要注意の月に当たる方(機関誌『法楽』に掲載)は特に不意の災難に遭いやすく、尊きものを尊び五種供養の心を忘れず、例祭にお参りするなどして、み仏のご護をいただき無事安全な日々を送りましょう。



【五種供養】

○「水」のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん

○雨風に負けず咲く「花」のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん

○「線香」のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん

○己を捨てて「食べ物」となる生きものに感謝し、心身を整えん

○「灯明」のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん





Comment:0  Trackback:0
2005
07.02

7月の守本尊様は胎藏界大日如来様です

今月(7月7日より8月6日まで)の守本尊様は大日如来(胎藏界)様です。





『種々解智力(シュジュゲチリキ)』という、人の欲するものや楽しみとするものを知る力をもって、お救いくださるみ仏です。人は望みを持ってこそ生きられ、「幸せ」とは善き望みのかなうことです。地にある胎藏界(タイゾウカイ)の大日如来様は、一人一人のそれをよく見極め、お力をお与えくださいます。




Comment:1  Trackback:0
2005
07.02

7月の真言

 その月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。

 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。

 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。



「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」



今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、

 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





Comment:0  Trackback:0
2005
07.02

7月の聖語

「大日如来のみ居まして、無我(ムガ)の中において大我(タイガ)を得たまえり」                                                          ─弘法大師─



(大日如来のみが、無我の先に真の実在を得られた)



 普段私たちが「自分」と思っているのは、煩悩に染められた意識の産物である「小我(ショウガ)」です。これがはたらいて「自分が!」と「自分が!」と対立し、衝突し、苦を招きます。

 あらゆるものは因縁によって生じ滅する空(クウ)なる存在であるという観点に立てれば、「小我」は消えて「無我(ムガ)」となり、「自分が!」という意識はなくなります。

 しかし、さらに観想を深めれば、不変不動の真実在であるみ仏の世界を感得でき、自分もまたその世界の住人であるという地点が待っています。大きな安心に包まれた大いなる意欲ある存在、それが「大我」です。

 大日如来はこうした「大我」の存在であり、あらゆる汚れの滅した「漏尽智力(ロジンチリキ)」をもって私たちをお救いくださいます。

 私たちは、身体と言葉と意識を大日如来と一致させる行を進めれば「大我」を感得できます。

 

 日常生活においては、無益な殺生をせず、盗みをせず、邪なセックスに走らず、身体を清めましょう。

 嘘を言わず、言葉を飾らず、悪しき言葉を用いず、二枚舌を使わず、言葉を清めましょう。

 貪らず、つまらぬことに怒らず、道理に背く自分勝手な考えを捨て、意識を清めましょう。

 そうして一歩でもみ仏に近づくことは、み仏の子である真の自分を発揮することでもあります。




Comment:0  Trackback:0
2005
07.02

7月の世間の動き

 今月(7月7日より8月6日まで)は、目下にある人々や若い人々や新しい集団が大いに動きを見せて、上に立つ勢力や積み上げて来たものを崩そうとし、伝統が揺らぐ時期です。問題は、争いの目的がどこにあるかということです。それぞれが黄金に目がくらめば前途は危うく、共に災いの淵へ近づきましょう。

 また、万事、暗い所にあったものが根底から揺すぶられ、善きものも悪しきものもあぶり出されます。虚が実であり、実が虚であったことが露呈されもしましょう。

 偽りの言葉や「なあなあ」は通用しなくなります。ただし、人は心にも行動にも過去にも必ず暗所を持っており、この流れは常に「両刃の剣」となるので要注意です。そもそも、切り結んで刃こぼれのしない刃はありません。

 

 徳を養う門の入り口は言葉を慎むことです。耳目を驚かす言葉や、他人の弱点を公然と糾弾する様子がむやみとおもしろがられているようでは、徳は、世間からどんどん蒸発してしまいます。

 日本が世界の表舞台へ登場した時、何よりも徳の高さが評価されたことを忘れないようにしましょう。毅然とした武士はもちろん、女性たちも、立ち居振る舞いに日々の生活によって自然に培われた徳がにじみ出ていて、世界から憧れられる存在でした。   

 スポーツも商売も結構ですが、「フレー・フレー・ニッポン」は、私たち一人一人が本来持っている徳を磨き、徳のある国であろうとする勢いであって欲しいものです。

 

 釈尊は、生活を謹み己を清める生活態度を十二の項目にまとめられました。その中に「食事を量る」があります。いわゆる「腹八分」です。食べたい放題・飲みたい放題をやる一方で、それが原因となった不調から回復しようと膨大な薬を消費し、老いも若きも薬めいたものに頼ってやせようとするような人々の国では、いくら世界へお金をばら撒いても信頼は得られません。

「資源を守ろう」「貧困をなくそう」の願いは、まず一人一人の生活の中で実践されてこそ成就へと向かうのではないでしょうか。

 今月は、このあたりも考えながらやりましょう。




Comment:0  Trackback:0
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。