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2005
12.31

夜明けのうた

Category: 日想
 昨夜、遠来の行者と語り合い、日本の未来についてあれこれ考えながら寝たところ、天上界の音楽のように甘露な『夜明けのうた』に起こされました。

 岸洋子の代表曲です。

 彼女は東京芸術大学大学院を卒業しましたが、心臓病で倒れ、シャンソンを唄うようになりました。滔々と淀みなく流れる声には微妙な抑制があり、どの歌にもほのかな哀愁が漂っていたのは、そうした苦難があったせいでしょうか。

 大歌手となった後、今度は膠原病にかかり、奇跡の復活をしたものの敗血症に冒され、弱冠57歳の若さで他界しました。

 

夜明けのうたよ あたしの心の

きのうの悲しみ 流しておくれ

夜明けのうたよ あたしの心に

若い力を 満たしておくれ



夜明けのうたよ あたしの心の

あふれる想いを 判っておくれ

夜明けのうたよ あたしの心に

おおきな望みを 抱かせておくれ



夜明けのうたよ あたしの心の

小さな倖せ 守っておくれ

夜明けのうたよ あたしの心に

思い出させる ふるさとの空



 悲しみを流す若い力が現われ、あふれる思いが明確な希望となり、心のふるさとが揺るがぬ土台となって日々の小さな幸せが続く、そんな日本、そんな一年になって欲しいものです。




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2005
12.29

由井正雪に思う ―学文の賊、武芸の賊―

Category: 日想
 星と雪を眺めていて由井正雪を思い出しました。

 謀反人として死を迎え、後の世になって民権運動のさきがけと賞賛されもしたこの人物には、隠されたエピソードがあります。



 由井正雪が弟子をつれて浅草観音へお詣りしたおり、皿回しをしている一人の芸人が目にとまりました。

 その技の巧みさに驚いた正雪は、卑しいなりわいをしているよりも、もっと〈有意義な〉仕事すれば有為の人物になるだろうと考え、住所を訪ねて呼び寄せました。

 正雪は、いかにして妙技を会得したか、それは術であるか技であるかなどと問いました。

 

 彼は答えました。

「術ならば会得方法を習いさえすれば誰にでもできましょう。しかし、私のやっているのは技であって、これは鍛錬だけで得られるものではない至難の業です」

 正雪は、内心感心しながらさらに問いました。

「あなたのやっていることは、いくら上達したとて所詮は賤業でしょう。もっと貴重な業にいそしめば立身出世も栄耀栄華も得られるでしょうに」

 彼は色をなして反論しました。

「由井正雪は偉い人だと聞き及んでおりましたが、とんでもない大ばかものでしたなあ。あなたの言われる貴重な業とは文武を指すのでしょうが、学文の目的は心を正しくし、身を修め、家を整え、天下を安らかにすることではありませんか。また、武術の目的は不正不義を懲らしめて天下国家を安らかにすることでしょう。

 しかるに、文武を修めて立身出世を望むとは、学文や武芸を売りものにするということではありませんか。ましてや、栄耀栄華を望むなどとは、もはや『学文の賊、武芸の賊』と言わねばなりません。

 私は卑しい皿回しを業(ナリワイ)とする者ではあっても、決して心に恥ずるところはありません。あなたは身に錦をまとっておられますが、心に恥ずるところがありはしませんか?ご自身の心に問うてみてはいかがでしょうか」



 すっかり閉口した正雪は低頭して教えを請うたところ、彼はこんな話をしました。

「私は医者の家に生まれ、幼少のころより治療を習得して治療に励みましたが、一人一人を治しても天下国家を治せないので止めました。

 次に天文学を十二年間学び、天文の運行はもちろん、地震や雷、洪水などの気象に関することも皆わかるようになりましたが、それは所詮決まり切ったことを知るだけです。自分は他人より多少早く天文や気象について知るにすぎないので、これも天下国家を安泰にするものでないと考え、止めました。

 次には、易学を九年間学びました。人の吉凶・禍福、あるいは国の治乱興亡も正確に予知できるようになりましたが、これもまた、因果応報によって動くものごとを早く知るだけなので、治国平天下のためにならずと考え、止めました。

 その昔、太公望は武王に認められるまでは世間の表舞台に現われませんでした。諸葛孔明(ショカツコウメイ)ほどの逸材もまた、劉備玄徳(リュウビゲントク)なければ世に出ることはなかったでありましょう。

 私もまた彼らにならって皿回しで糊口をしのぎ、楽しみながら日々を送っています」



 以後、正雪はこの波田野式部に師事し指導を受けました。

 これだけなら良かったのですが、二人の間には後日談があります。



 ある年、大旱魃が起こり、いかなる祈祷をもってしてもどうにもならず、都も田舎も困窮し果てました。

 この国難にあたり、波田野式部から天候が変化する時を教えられた正雪は、その日を満願の日と定めて大々的に祈祷を行ない、首尾良く雨が降ったために神通力を備えた生神様として讃えられるに至りました。

 しかし、名利を願う人間性はやがて彼を逆賊の道へと走らせ、刑場の露となる運命をもたらしました。



 今の世に、天下を騒がせながら徳の薄い『学問・知識の賊、権力・財力の賊』はいないでしょうか。

 また、〈現代の波田野式部〉はどこにいるのでしょう。




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2005
12.28

宿命に生きる人

Category: 日想
 昭和49年に大ヒットし、160万枚ものレコードを売り上げた歌が小坂明子の『あなた』です。



 もしも私が 家を建てたなら 小さな家を 建てたでしょう

 大きな窓と 小さなドアーと 部屋には古い 暖炉があるのよ

 真赤なバラと 白いパンジー 小犬の横には あなた あなた 

 あなたがいてほしい

 それが私の 夢だったのよ いとしいあなたは 今どこに



 この歌を幾度となく耳にして「持ち家」の印象をはっきりと心に抱いた人々は、建て売り住宅の展示場を訪ね、

「あっ!これ!これが欲しかったんだ」

と夢にまで見た家を見つけ、我先にと購入しました。

 気に入った家との出会があってそこに〈宿命〉を感じたならば、もう逃れられません。



 かつて、四国八十八霊場を巡拝したおり、結願所である大窪寺の参道入り口にある食堂兼お土産物屋へ立ち寄ったところ、たまたま何体か展示してあった仏像の中に、お不動様がありました。

 コンガラ童子とセイタカ童子を引き連れたお姿は、日々読誦している経典の表現から受ける印象そのものでした。

 あっと思ったきり、もう動けません。やっと気をとりなおしてよくよく観察しましたが、こうも経典どおりに造れるものかと感心するのみです。しかし、当然買い求めることなどできようもなく、後髪を引かれる思いで四国を後にしました。

 高野山へお礼参りをしてから仏具屋を覗いたりしましたが、もちろん、あのようなお不動様はおられません。帰山してカタログを調べても、ありません。

 幾晩か夢を見た後、ついにあの店へ電話を入れました。つくづく眺めていた行者を覚えておられたご主人は、支払いはそのうちで良いよとただちに送ってくれました。

 夢のような思いで修法をしていたところ不思議とご祈祷のご縁が増え、支援者も現われて何とか支払いを済ませることができました。

 それが当山のお不動様です。



 ある思想家は、「詳しく未来を想像できる人は、やがてやって来る未来のできごとの中に自分の想像していたことがらを見つけ、〈宿命〉を感じるものである」と言っています。

 そして、死を間近にして「思い通りに生きた」と思える人は、「思い通りにならなかった」と思う人より幸せであるとも指摘しています。

 家を買っても、人と出会っても、仕事に就いても、たくさんの場面で〈宿命〉を感じられる人は、「思ったことが実現した人生だった」とふりかえられることでしょう。

 確かに、こうした人々は幸せ者です。



 さて、仏教では祈りの力が説かれています。

 善願は、より明確に、より強く、よりくり返し祈られることによって、より成就へ近づきます。

 もちろん、祈りの総量と得られる結果の大きさが比例するといった計算上のことではなく、信念とご利益の話です。

 ところで、善願は、人の道をふまえ根本的なところをおさえた〈信念〉にもとづくものでありたいものです。

 

 昨日、高校受験をひかえたk君が親御さんたちといっしょに来山しました。k君は農家を継ぎたいという希望を持っています。

 まず、日本の農業の置かれている厳しい原状について話をし、農業はこれからの日本を支える重要な柱となることを指摘し、意欲と技術をもって世界中で活躍している日本人の存在を教えました。農と共存する住宅づくりの計画が進んでいることにもふれました。

 k君は目を輝かせて聞き、農業がいかに好きかを控え目に口にし、いずまいをただしてご祈祷を受けました。

 

 焚かれたお香の香りの中で、k君は別人のようにおちついています。速さを武器にするスポーツマンですが、腰もすわったようです。

 k君はこの先、いずれの高校へ入っても、どんな辛い場面があったとしても、生きる方向を見失うことはないでしょう。

 信念が固まったからです。

 方向が定まっていれば、道は必ず見つけられます。

 ご祈祷した「受験合格」は、あくまでも手段です。

 もちろん合格するにこしたことはありませんが、こうした一連のできごとや祈りを経て信念の固まることこそがk君にとって最重要であり、ここを通ればもう怖いものはありません。不安に押しつぶされるはずもありません。



 k君は、確かに〈宿命〉を感じつつ幸せに生きられる人になりました。




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2005
12.26

運命転化法 9 ―会話の途中で心が揺れる場合には―

 ご主人の一周忌法要を終えた奥さんが、一年前と変わらぬかのような新鮮な涙を見せながら言いました。
「ああ、主人はいないんだなあ、一人なんだなあと思いました。あれから時間が止まっているようです」

 天才的な閃きを持った法学博士が、学部長としての庶務に追われる日々について言いました。
「前例に順ってやっていると人が見えません。大変なんですが、壊したり、創ったりしていると一人一人が見えてくるものです」

 経済的・心理的に追いつめられて人生相談に来られた中年の奥さんが、法話と修法の後で泣き笑いの顔になり、言いました。
「別れた方が良いと思っていましたが、やり直してみたいという小さい希望が大きく膨らみました。もう一度、主人を支えます」

 真実が言わせる言葉を真実語といいます。
 真実語は、それが喜びを伴うものであれ哀しみを伴うものであれ、頭のてっぺんから魂に沁みこみ、時は静かにゆったりと過ぎて行きます。
 時間は清らかに、かつ濃密になります。
 しかし、虚偽語の場合は、どんなに嬉しそうにしていても、辛そうにしていても、言葉が空中をふわふわしているばかりでそらぞらしく、魂の居心地が悪くなって、時は揺らぎながら過ぎて行きます。
「ああ、この時間は早く過ぎてほしいな」「ああ、空しいな」と思える場合すらあります。
 
 ご本尊様の真言が御口に発して行者の頭頂に達し、心にある満月へ届き、行者の唱える真言はご本尊様の臍から入って御心にある満月へ届くという修法がありますが、人間の言葉も同じです。
 思考は言葉です。
 言葉を伴わない思考はあり得ません。
 真実の思いは真実語となり、それが実際の言葉になってもならなくても必ず相手へ届き、魂の感応が起こります。
 その時、二人は真実世界の住人です。
 法の中では、向かい合う必要すらなく、感応が起こります。
 虚偽語であればそうは行きません。
 
 み仏は虚偽語を「迷いや愚かさが言わせる嘘」「内容のないうわべだけの言葉」「荒々しく思いやりの欠けたもの言い」「人の離反を願う卑劣な根性による二枚舌」と説かれました。
 話をしていて心の居心地が悪い場合は、必ずこれらのどれかに襲われているものです。
 ただし、自分の心が相手の虚偽語を誘発する場合もあり、必ずしも相手のせいばかりにはできません。
 会話をかわしていて時が揺らいできたならば、自らを省みましょう。
 それでも状況が変わらない時は、ご本尊様の梵字を心に描いていればそれほど乱されることはありません。




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2005
12.26

誕生日と絞首刑 ―因果応報の哲理―

 今年の『隠形流居合』の稽古納めが行者Wさんの誕生日に当たっていたことを知りました。
 偶然、仲間と一緒に記念写真が撮れたことを喜んでいましたが、実に嬉しいことです。
 若いうちの誕生日は、「この世に生まれて嬉しい」「この世に生まれて良かったね。貴方と会えて嬉しいよ」と祝います。
 年をとると「ここまで生きて来られて嬉しい」「お互い、ここまで生きて来られて良かったね」と変化するようです。
 いずれめでたいことに変わりはなく、何よりも嬉しいのは、祝ってくれる人がいることではないでしょうか。

 誕生日というと、忘れられないできごとがあります。

 太平洋戦争が終わり、今ではその法的根拠のなさがはっきりした東京裁判でA級戦犯となった28名が投獄されたのは昭和天皇の誕生日である4月29日、そのうち7名が平成天皇(当時は皇太子殿下)の誕生日である12月23日に絞首刑になったことです。
 そして、トラックに積まれた遺体は久保山火葬場において焼かれて石油缶へ詰め込まれ、入りきらないお骨は塵取りで洞窟に捨てられました。
 もちろん、極秘裏に行なわれた蛮行でしたが、元首相小磯国昭の弁護士を務める三文字正平氏が「もしかして」とカンをはたらかせ、拘置所の陰に隠れて待っていたところ、案の定の進行となったのです。
 弁護士を含む三人が協力し合い、翌日の深夜、クリスマスイブを祝う占領軍の目を盗んで遺骨の一部が収集され、丁重に弔われました。

 この事件には後日談があります。処刑を実行した占領軍の将校は、その後勃発した朝鮮戦争の最中、朝鮮の地でジープごと高い崖から転落し、死亡しました。その日は、奇しくも12月23日でした。<


 マーヤー婦人が無憂華(ムユウゲ…アショーカ)の枝へ手を伸ばした時に釈尊が誕生し、すぐに7歩歩いて「天上天下、唯我為尊、三界は皆苦なり、我まさにこれを安んずべし」と告げられました。
 その瞬間、天から甘露の雨が降りそそいだとされています。
 また、涅槃へ入られる際は、「弟子たちよ、諸行は無常である。私の死にかかわらず、怠りなく修行せよ」と説かれました。
 周囲にはたくさんの生きものたちが集まり、死を悼んだとされています。

 誰であれ、人の誕生も、人生も、死もすべて厳粛です。
 一年に一度の誕生日には、家族として、友人知人としてお互いに祝い合い、この世で巡り会った喜びを分かち合いたいものです。




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2005
12.26

【現代の偉人伝第11話】 ―布施をする人―

現代の偉人伝~隣にいる英雄たち~とは

アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきなのではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。

>詳しくはこちらをご覧ください。



                                            遠藤龍地



 行者S君は、法礼(ホウレイ…法務を行ない、あるいは法務を手伝って寺院から渡される謝礼)を受け取るたびに「すみません。さっぱり役に立たないのに………」と言う。

 托鉢でご喜捨をされる時「あまりに少ないんですが………」と言葉を添えられる方がある。ほとんどの場合、こういう方のお布施は、決してわずかな金額ではない。



 かつて共産主義が一世を風靡した時期があった。ほんの四十年ほど前は最高潮だった。

 若い方々には信じられないかも知れないが、学者も教師も学生も労働組合も進歩的文化人もマスコミも、皆、ソ連や東ドイツや中国や北朝鮮などを理想国と考え、日本もああなるべきであると主張した。

 活動家たちは、労働者を搾取している資本家階級をうち倒し、労働者が支配者になって富を均等に配分しようとしたのである。国家の転覆である。

 二つの理由で納得できなかった私は、学生運動などにはかかわらず、むしろ、木刀一本を手にし、たった一人で教室を破壊しようとやってくるデモ隊と対峙したりした。

 理由の一つは、共産主義思想の根本には「怨み」があり、社会構造を根こそぎ破壊した後で、失われる文化や伝統の持つ価値の大きさに見合うだけのものを創造できるはずはないと考えたからである。

 もう一つは、資本家や経営者を労働者の敵として対立を煽り、今の支配者をほうむり去った後に権力の座へすわるつもりの人々が神のごとき智慧をもって富を適正に配分するなどということが信じられなかったからである。

 はやりの思想から浮いてしまった自分は何をすべきか、どこで生きるべきかが判らず、大学はそっちのけで鎌倉のお寺へ入って座禅に没頭したり、一升瓶を手にして西田幾多郎の哲学を教えてくださる先生のもとを訪ねたりしたが、答はなかった。

 心の柱は見つからず、以後、迷いは約二十年にわたって続いた。

「まずさし出せば、必ず生きられるだけのものを授かる」「いただく以上のものをさし出そうとすれば、真の満足や安堵が得られる」

 これだけのこと、つまり、「布施」による救いを知らなかったからである。



 托鉢の一歩一歩は、この真理を心身でつかむ行であると言えよう。

 どなたの門口へ立っても、見知らぬ人々のために全身全霊をかけて家内安全・無病息災を願う。法による布施である。そして、ご喜捨をいただく。順番は断じてこの通りであって、〈いただくから祈る〉のではない。もちろん〈いただいた分だけ祈る〉のでもない。

 行者は生涯、未熟者である。未熟なゆえに行を続けるのである。托鉢でも、未熟ななりに、すべてをかけて祈る。もうこれ以上は祈れないのだから〈さし出せる限り最高のもの〉を、ご縁の方へさし出すことになる。無意識の裡に〈いただく以上のもの〉をさし出そうとしている。

 その結果、ご本尊様へのご喜捨を賜り、その一部をご本尊様からいただいて生きられる。「生きられるだけのものを授かる」のである。

 この過程を経て、表面の心では冒頭のような思いが生ずる。

「これしかしないのに、こんなにいただいて」という感謝である。感謝は人間であればこその喜びであり、そのまま救いである。

 

 心であれ、モノであれ、労働であれ、他のため社会のためにまずさし出せる人は真の人間であり、そうした人々は世の潤いとなり、燈火ともなる。誰でもが、本来は燈火である。誰でもが、真の人間=偉人となれる。この世の真姿は無数の水晶の珠を糸でつないだ巨大な布のようなものであるとの教えは、このことに相違ない。

 何をすべきか迷ったならばどうすれば良いか。み仏は菩薩の修行の最初に布施行を置き、万古変わらぬ答をご用意くださったのである。



 托鉢をする行者は恵まれた存在である。袈裟衣があるからである。戦う相手は己のみだからである。

 娑婆にいながらの布施こそが難行である。食うか食われるかの修羅場で利をつかみ、生き、家族を生かさねばならない中での実践だからである。

 さればこそ、托鉢行では、まず、行者がご縁の方々を礼するのである。




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2005
12.24

『隠形流居合』稽古納め

 今年最後の稽古を無事終えました。
 隠形流居合の行者たちは皆、清浄です。
 己に厳しく人としての尊さを忘れぬための『七言法』を念じ続けた一年が過ぎ行こうとしています。
 
 仕事を終え新たな世界を求める方、社会的活動の最前線にありながら心の柱をうち立てようと方、自分の人生の方向を模索する方、これから旅立つ世間で迷わぬよう自分を創ろうとする方、ただただ教えに生きようとする方、それぞれが志を新たにし、新しい年を迎えます。





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2005
12.23

喪中でお正月を迎える時

 こんな質問をいただきました。
「役員に不幸があったなら、会社の正月行事はできないのでしょうか?」
これを機会に、服喪について考えてみましょう。

 そもそも「喪に服する」とは、近親者の死を悼んで身を慎むことです。その間は、亡き人のために祈りを捧げるのが基本です。
 日本人は、衣食住をもって、服喪をさまざまに表現してきました。民間信仰によってつくられた習俗です。それをざっと見てみましょう。

1 衣について
 
 現在は喪服といえば黒と相場が決まっていますが、万葉集の挽歌にも「白妙の麻衣着て」とあり、本来は穢れを祓う白が用いられました。江戸時代には、男性なら麻裃(カミシモ)女性なら白無垢でした。
 喪服は喪に服する当事者の着るもので、弔問者は礼服か平服でしたが、だんだんに穢れを嫌うという意識よりも、悲しみを表現しようとするようになったのか、白が減って、地味で後退する印象の黒い服が用いられるようになり、親族も、そして喪主も黒い服を着るようになりました。

2 食と住について

 かつて、死者が出れば、遺族は遺体と共に「喪屋」という別な場所で暮らす習慣があり、かまどを別にするので「「別火(ベッカ)」と称しました。
 そこでは、生臭いものを食べず、風呂に入らず、ヒゲも剃らず、世間の人々とほとんど交わりませんでした。死や血を穢れと観て、神へ近づかず、世間から遠ざかる姿勢です。神棚へ白紙を貼るのもその表れです。
 神は「ハレ」死は「ケ」という感覚です。

 仏教でも、かつては僧侶の戒めとして肉食が禁じられていました。
 そもそも、明治時代になるまで日本人はあまり肉食を行なわず、牛などの家畜を食べることは少なく、せいぜい鳥や猪などを食していた程度です。
 物忌みの間は、魚をも含め、ニラ・ラッキョウ・ニンニクなど香りの強いものも食べなかったのは当然です。

3 忌み明けについて

 神式による忌みは父母の場合で最長の50日間、外出などを控え冥福を祈ります。また13カ月間を喪中にある者として過ごすことになっています。
 仏教では、49日間を中陰・忌中として慎み、「四十九日の法要」後、魚を含む料理で「精進落とし」をし、餅(四十九日の餅)を捧げ、全員で引き合い分け合って死者との「喰い別れ」をすることによって忌みの生活に別れを告げ、日常生活をとり戻します。
 その後、三回忌などの年忌供養を行ない、33年あるいは50年経ったなら「弔い上げ」の法要をもって最終年忌とする場合が多いようです。

 今は忙しい時代になったので、実際に49日経たなくとも「繰り上げ法要」をもって忌みを明けたことにする場合がほとんどです。
 最短だと、葬儀に引き続いて行なわれる繰り上げ法要後、ただちに精進落としをします。あまり、服喪の期間をもうけず日常生活に入るのです。

 さて、そうした文化の中にあって、実際の服喪をどう考えれば良いのでしょうか。
 また、会社の行事をどう考えれば良いのでしょうか。

4 「ハレ」と「ケ」について

 神は清浄であるから死や血を近づけてはならないという感覚がさまざまなタブーの底に横たわっていますが、それをどう考えるかということです。
(もちろん、神社を清浄なる場として保ち、神を崇めることは大前提です)
 誕生があって死があり、死があるからこそ誕生がもたらされるのであって、死も生もともに厳粛な事実でありどちらかを白どちらかを黒と決めるのはいかがなものでしょうか。
 仏滅に生まれる人も大安に亡くなる人もあり、生と死は時と所を選びません。
 そして、私たちをお護り導いてくださっておられるみ仏も神々も、「日は三百六十五日一刻の休みなく」と経典にあるごとく、常にご守護くださっているのですから、手を合わせぬかづくことが許されないということはあり得ましょうか。
 具体的に習俗全体を眺めれば、「精進落とし」が終わっているのに、お正月を迎えて神棚から白紙をはずしてはならないというのも、あまり説得力がありません。
 神道の立場もあり一概に決めつけるわけには行きませんが、何をいつまでどうするかは、プロの意見を参考にして、その家なりに総合的に判断されればよろしいのではないでしょうか。

5 公と私の区別について

 死はすぐれて個人的なものであり、私的なものです。
 もちろん、人の死には社会的影響があり、死が社会のありように強く影響を受けてもたらされる場合もありますが、それはできごとをどう考えるかという第二段階の話です。
 生者が人の死をどう受けとめるかも、まったく私的な問題です。魂で向き合わねばならない厳粛なできごとです。自分の生と死にまでつながって初めてまで「受けとめた」ことになるのです。そこでは、もう、相手も自分もありません。
 身近な人の死は、人の人生から確実に何かを喪失させます。それが何ごとかを生むかどうかは、これもまた、後の話でしかないのです。

 つまり、たとえ誰の死であろうともそれにどう対処するかは人それぞれ、あるいは親族・身内の心の問題であり、誰かが亡くなったからといって、歴史のある会社の行事を行なわないのはいかがなものでしょうか。
 釈尊は、「自分の死にかかわらず、行者たちは淡々と修行に励むべし」と指示されました。
 もしも、社長が亡くなったならば、社業に人生を捧げた社長は「あの世で何を喜ぶか」を考えれば良いのです。
 新しい年を迎えて伝統に則った行事を粛々と行ない、社長の死を乗り越えてさらなる発展をすべく会社を挙げて誓う姿こそが最大の供養であり、御霊の最大の喜びではないでしょうか。

6 納得について

ただただ「こういうものだから」「こうしてはだめらしいから」「こうしておけば良いらしいから」では、行為が心をつくらず、せっかくの仏神の縁が生きません。
 幼子のしつけは、確信を持ったおしつけでなければなりませんが、大人もそうでは哀しいものがあります。
 一年に一度しかない大切なお正月です。道理をもってよく考え、納得を得て「よし!こうしよう」と決めていただきたいものです。




2005
12.21

『めしの半田屋』さんにて

Category: 日想
 凍った道路を帰る途中、久方ぶりに『めしの半田屋』さんへ立ち寄りました。

 田舎の街道添いにポツンと立つそば屋さん風だった5・6年前とはすっかり様変わりし、大企業の食堂並のスマートさになっていて、驚きました。

 清潔感も明るさも段違いに向上し、おかずも種類豊富で、妻などは目移りしてなかなか選びきれないほどです。食卓の形や配置にも感心しました。お客さんの人数はもちろん、性格などにも配慮しているのではないかと思えるような見事さです。



 「売り物」のご飯は相変わらずおいしく、「小盛り」が優にご飯茶碗一膳半以上あるのには感激です。着色料や防腐剤を一切使わぬ食材を用い、持ち出し厳禁になっているのも嬉しいことです。

 味付け・値段・雰囲気、どれも合格点ですが、何よりも感心したのは、セルフサービスに関するお願いに「もしテーブルが汚れたならば備えつけの布巾で拭いてください」という趣旨が示されており、何喰わぬ顔で店内を見渡したところ、どの食卓もピカピカだったことです。



 日本人はすばらしい!

 心で何度万歳と叫んだか判りません。



 中国では、町のまん中を通る道路端に平気でゴミが捨てられ、山になっている場所すらあります。

 アメリカには、危険で住民しか足を踏み入れられない地域があります。

 ほとんどの国々に、交通信号を無視する人々がいます。

 それに比べ、いかにマナーが悪くなりつつあると言っても、日本人にはまだまだ見事な品性が残っています。



 アメリカでは富の偏在が進み、それにともなって教育格差も拡大し、支配者層と被支配者層がよりはっきりと分かれつつあります。最も貧しい階層の人々が、最も犯罪を犯しています。それは教育レベルが低いからだけでなく、犯罪に走らねばならぬような生活環境によるところ大なのではないでしょうか。

 1?の人々が富の半分を握る社会は、人倫に反した存在とすら言いたくなります。このままで進めば、おそらく、予想もしないような暴動が起こる日はそう遠くないと思われます。

 すべての面でアメリカの後を追っている日本でも、明らかに所得格差は拡大し、東大・京大・早大・慶大といった大学へ子供を入学させられる家庭は、富裕層に絞られつつあります。

 そうした傾向の中で、おそらくは所得の高くないであろう人々の胃袋を見たし心身を安寧にするためにがんばっているこのような店で、誰一人として食卓を汚したまま帰る人がいないことは、奇跡にすら思われます。

 江戸時代の武士、幕末の志士、明治時代の政治家などから長屋暮らしの市井の人々にいたるまで脈々と受け継がれてきた〈清貧〉の伝統、無意識の誇りを観ました。



 考えると涙が出そうになります。江戸末期から太平洋戦争までの日本を訪れた西洋人たちが口々に賞賛した〈礼節と情緒の国〉は、戦勝国によっていかに精神の背骨を破壊されようと、まだまだ健在なのです。

 日本の真の復興はこれからです。その希望の星々がここにあります。

 半田屋さん、ありがとうございます。お客さんたち、ありがとうございます。




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2005
12.20

運命転化法 8 ―我(ガ)を正しく抑制するには―

 かつて、午前2時半に亡き人を見送ってからメールをくださったK医師の慨嘆について書きました。
「過半数の寿命が80才を越えるというのは人類史上初めてのことで、精神寿命の伸びが追いついていないように思う」
は恐ろしい指摘でした。
 しかも、
「大脳生理学的には、人間の精神的行動は元来の性癖に向かうところを、大脳で抑制しているというメカニズムです。
 ところが大脳の働きが落ちてくると、抑制が取れてくるので、個人の個性が露わになってきます。
 それで、若い内から野放図に活きてきた人は段々本性が露わになってきて、晩節は嫌われ、軽蔑されながら最後を迎えるケースが結構あります」
と続くと、人は何のために年齢を重ねるのかと疑問になってしまいます。
 
 彼の言う「元来の性癖」は釈尊の説かれた「煩悩」、「抑制」は「摂」と考えれば、前段はそのとおりでありましょう。
 しかし、抑制を続けながら加齢すれば、煩悩はだんだんはたらかなくなってくるはずなのに、高齢になって抑制する力が薄れてくるとまた煩悩が暴れ出して晩節を汚すのでは、あまりに情けない話です。
 どういうことでしょう。

 「抑制」が人の道に則った根元的なものではなかったということではないでしょうか。
 見栄や、世渡りや、損得勘定や、その場しのぎなどを目的とするガマンであっては、何十年やっても魂の向上には何の役にも立たないのです。
 抑制とは、繕うことではなく、自分自身と向き合い対決することです。
 相手や世間に対して自分をどう見せるかではなく、自分がどう生きるかです。
 そのためには、自分自身を対象とする問題意識がなければなりません。
 また、世間を通じて自分を観る、自分を通じて世間を観るという視点も必要です。
 世間を離れた自分はなく、自分を離れた世間もないからです。
<
 たとえば、突然、友人が難癖をつけてきたとしましょう。

「こいつ、理不尽なことを言いやがって!」と怒る。
「どういうことなんだろう?」と真意を探る。
「仲違いするはまずい」と心配になる。
「仲違いしたくない」と焦る。
「こんな人間になり果てたのか」と軽蔑する。
「ちょうど良い機会だ」と決別する。

 ここまでの人は、相手を向こう側へ置き、自分を可愛がりながらその場をしのごうとしています。
 それをくり返すだけでは、上手なしのぎ方は手に入っても、煩悩の源泉である〈我(ガ)〉には何の変化も起こりません。
 しのぎ方を忘れたり、しのぎ方の通用しない場面にぶつかれば、たちまち馬脚を現わします。

「何かこうさせたのか」と相手の人生を慮(オモンバカ)る。

 こういう人は、相手の近くに立っています。
 伝統的な日本語では、相手を指す場合、目下へは「そなた」と言い、目上には「こなた」と言いました。
 そちら側へ離して置くのは失礼であり、こちらから相手のそばへ行くのが礼儀というものだからでしょう。
 相手に根源としての尊厳を認めれば、そちらへ放ってはおけないはずです。
「慈悲の目に 悪(ニ)くしと思う人ぞなき 罪のある身は なお不憫にて」

「なぜこう言わせてしまったのか?」自分を省み、因果の糸を観る。

 こうできる人は、相手と共に生きています。
 難癖事件ですら内省をもたらし、自然に思いやるのある態度をとることでしょう。
 
 相手の近くに立ち、自分を省みることをくり返せば、かならず〈我〉は薄れます。
 根本的な問題解決のために何の役にも立たないからです。
 使われないものが退化するのは、いのちあるものの宿命です。
 これが正しい「抑制」法です。
 
 釈尊は『法句経』において
「学んで当にまず解(ゲ)を求め、観察して是非を別(ワカ)つべし」
と説かれました。
 教えを学び、得るものがあったならば、その視点で自他をきちんと観なさいということです。
 澄んだ視点は、歴史をも正しく活かすはずです。
 そうすれば、哀れな晩節を迎えないで済むことでしょう。
 これが因果応報を観る文殊菩薩の「過現未来業報智力(カゲンミライゴッホウチリキ)」でありましょう。




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2005
12.19

『マッチ売りの少女』を読みましょう

 毎年、この時期になるとアンデルセン童話『マッチ売りの少女』を思い出します。
 通りすがりの書店で立ち読みすることもありますが、何といっても昭和3年に発行された菊池寛編『アンデルセン童話集』を白眉とせねばなりません。
 この本は、さる人が書庫の整理にあたり処分したいと言われるのでもらい受けていた『小学生全集』の一冊です。

 昭和3年7月、菊池寛は冒頭でアンデルセンをこう紹介しています。

「彼はそのお伽噺によって世界中に知られ、愛された人、そして此の後も永久にそれによって生きる人なのです」
「アンデルセン、この小父さんの書いてくれたこれ等の可愛い美しいお話を、皆さん、お互ひに大人になってからも忘れないやうにしませう」

 後書(アトガキ)は、菊池寛の言葉を伝えています。

「児童の心はしばしば教室の窓を通して、青草の野を慕ってゐる。私の小学童話読本も青草の野でありたい。だが、この青草の野は、私の趣味と信念によって管理され、児童を誘惑する未熟の黒樹や毒草は一本一茎もない筈である」


 ここに言うところの「趣味」は、私たちのいわゆる「好み」ではありません。言葉は控え目でも、超一流の文学者としての感性と誇りをかけて行なわれた「選択」のことでしょう。そして、「信念」の内容は、感受性豊かな青少年たちの健全な育成のために、清浄で滋養にあふれた青草を与えねばならないという一心に他なりません。
 戦後情けないほどに失われた、〈公のために恬淡として自分自身をかける〉という日本人らしい潔さが感じられ、目頭の熱くなる思いがします。
 我が利を貪るあさましい姿を平然と人前にさらす人々が英雄視される日本になるとは、英霊の想像もできなかった事態にちがいありません。

「かくばかりみにくき国となりたれば捧げし人のただに惜しまる」

 戦争未亡人の詠んだこの一句には肺腑をえぐられます。

 さて、この本では『幼いマッチ賣り』となっている『マッチ売りの少女』です。

「寒さと餓(ヒモジ)さに、少女は其處(ソコ)の道ばたに踞(シャガ)んでしまひました。可哀さうに其の肩の上に捲き垂れている長いきれいな髪に雪がどんどん降りかかるのを、かき拂ふ力もありません」

 薄倖さと寒さの厳しさと雪の白さが、少女の哀れさと美しさを際だたせています。

「シュッ!火花が跳ねた、跳ねた!少女が手をその上にかざすとそれは小さな蝋燭(ロウソク)の様に温い輝かしい光を投げかけたのでした」

 一本のマッチの火が別世界を顕わすシーンです。

 これでこの本は終わります。

「お祖母さんは子供をその腕に抱き上げ、それから二人は一緒にその明るみの中を高く高く地を離れて行きました。寒さも餓(ヒモジ)さも苦しみもない神の國の方へ。
 其の夜も明けた時、哀れな少女は壁に倚(ヨ)りかかって倒れてゐました。頬の血は失せ、それでも口には微笑みを浮かべながら、彼女は寒さに凍え死んだのです。
 初日が昇って、小さな亡骸を照らしました。けれども彼女は固く強ばった身を伸ばした儘、手には燃えたマッチの束を持ってなほも其処に寝てゐます。
『この子はこれで身を温めようとしたんだね。』
と通行人は言ひ合いました。けれども、彼女がこの新年の暁方(アケガタ)、どんなに美しいものを見たか、そしてお祖母さんと一緒に何(ド)んなにいい處へ行ったか、それを想像できた人は一人もありませんでした。」

 生と死、この世と天国、貧しさと豊かさ、ひたむきさ、家族愛、美。ここには子どもたちの想像力と創造力を高める宝ものがたくさんあります。
 佳い文章でつづられた〈黒樹や毒草〉でない良い物語が、子供を楽しませるだけでなく、家族・師弟・友人間で行なわれる真剣な対話のきっかけになりますよう。




2005
12.18

人は宇宙の中心です

 中年の母親と娘さんが、道を訊ね訊ね、来山されました。難しい家庭の事情が娘さんの心から安定を奪いつつあるのです。母親は割合元気ですが娘さんは意気消沈し、親子というより姉妹に見えるほどです。
 ご相談を受け、ただちにご加持の法に入りました。

 心が安定を欠くとは、何かが足りないだけではありません。力が不必要に固まり強まっている部分もあるものです。
 たとえば、ラジオを深夜につけたり、あまりに機械が高感度だったりすると、外国の電波などをどんどんキャッチしてしまい、聞きたい周波数に合わせにくいのと似ています。
 目や耳などの五感六根が、日常生活では感じなくても良い「この世ならぬ世界」のことごとに敏感に反応し、暗がりで人の足だけが見えたり、睡眠中に亡き人の声をくり返し聞いたり、身体の一部に触れられているような感触を覚えたりと、さまざまな現象に悩む場合がでてきます。
 ご加持の法はこうした不要な力みを取り去り、減退している必要な力を回復させ、満月のように円満な心身のはたらきをもたらします。

 さて、件(クダン)の娘さんです。同室している母親が気になるせいか、なかなか法がかかりません。初めに清めはしてあっても何かの邪魔が残っている場合があり、あらためて八方天地の守本尊様に娘さんの周囲を祓っていただく法に入りました。
 そのとたん、娘さんの身体がすうっと動き、あとは横になったまますべてが終わっても動かないほど深くご本尊様の世界に抱かれました。
 こうした流れになった原因は、強い生霊に憑かれていたせいでしょう。生霊を解くご本尊様のところで変化が現われたからです。
 また、以前どこかで法を受け、生霊が完全に離れ祓い切らないうちに〈塞ぐ法〉をかけられていたケースも考えられます。塞ぎ・解くことを司るご本尊様の法で変化が現われたからです。

 声をかけられて起きあがった娘さんは明らかに両目の下のクマが薄れ、晴れた笑顔になっておられます。
 まこと、人は一人一人が宇宙の中心です。その周囲は、それぞれの方位を守る守本尊様方に守られています。
 もちろん、守本尊様は、ことに応じ、時に応じ、身体の部位に応じてもお力をくださいます。


 満月の下、凍った夜道を遙か仙北まで帰る母娘の乗った車を見送りました。赤いテールランプが二つ、夜目にも鮮やかです。無事務めを果たし当山もまたお守りいただいたありがたい一日が終わりました。




2005
12.16

運命転化法 7 ─あれこれと考えがまとまらない時は─

 私たちは、ものごとを考え、あるいは主張する時、ほとんどの場合、二つの道具を使います。
 「損得勘定」と「論理」です。
 
 まず、自分にとって損しないように、得になるようにと考えます。
 
 たとえば交通事故が起こってしまった場合、私たちはどういう態度をとるでしょう。
 まっとうな日本人なら、最初に、相手にケガがなかったかどうか訊ねるはずです。
 どちらにどれだけの原因があったとしても、お互いに困った事態になったわけですから、身体を第一、仕事などの用事を第二、車を第三にして速やかに対処せねばなりません。
 もしもお互いが協力しなければ、問題の解消は遅れるだけです。
 協力には思いやりが欠かせず、私たちの文化は、「大丈夫ですか?」「すみません」を相手への第一声にしてきました。
 
 ところが、謝れば非を認めたことになって金銭的な解決上不利だからと、「最初に謝ってはいけない」という風潮が蔓延しています。
 そして、余計なことを言わず腕の良い保険会社や弁護士に任せた方がが自分の利益を守ってもらえるし、面倒がないからと、明らかに責任の重い当事者もあまり謝らなくなったそうです。
 謝る場合は、相手方に情状酌量をしてもらいたいか、早く幕引きをしたいかどちらかだとは、あまりに情けない国になったものです。
 やがてはアメリカのように、バスなどのからんだ大きな交通事故があると乗客数よりも多くの「被害者」が現われる国になってしまうのでしょうか。

 このように、我が利に走る姿は、多くの場合醜いものです。

 論理はあてになるでしょうか。論理は正邪を分けられるでしょうか。
 あまりあてにならず、まして正しいか正しくないかを決めることはできません。
 なぜなら、ほとんどの場合、論理の目的が「我が利」の主張を正当化することだからです。
 
 たとえば、「フセインは大量破壊兵器を持っている」→「放っておけば世界の平和を脅かす」→「フセインを失脚させ大量破壊兵器を破棄させねばならない」→「最も有効な手段は武力行使である」という論理でアメリカはイラクを侵略しましたが、どうだったでしょうか。
 論理はやがてこうなりました。
 「イラクは独裁国家である」→「民主主義でない国の国民は不幸であり、誰かが独裁者から解放せねばならない」→「最も有効な手段は武力行使である」
 かつて、北ベトナムが南ベトナムを侵略した時の旗印も「解放」であり、共産主義者たちは世界中で「解放」を叫んだものです。
 ヒットラーは民主主義的な〈正しい〉手続きで国民の90パーセント以上の支持を得、権力を行使し、侵略戦争を行ないました。
 自国流の民主主義を絶対化し、世界中を一色に染めるための解放を標榜して他国を侵略するなど、狂気の沙汰と言うべきです。

 このように、理屈が通っているからといって、正しいとは限りません。

 一旦「損得」と「理屈」を棚上げしてみましょう。
 たとえば親子間で悶着が起こったならば、親は、子供の成長を見守った過程の苦労や喜びを思い出すこと、子供は、育ててくれた親の辛苦をおもんばかることです。
 相手から受けた恩に深く思いをいたすことです。
 子供にとって親が恩人であるだけではありません。親にとってもまた、子供は自分を人間的に成長させてくれた最大の恩人であることを忘れてはなりません。
 そこが人間にとっての根源です。損得や論理やイデオロギーは根源ではないのです。
 
 大樹にたとえるならば、根は「根源」であり、幹は「道理」あり、枝や葉は「手段」であり、花や実は「まっとうな人生」です。
 大地も、養分も、水も、光も、暖かさも、み仏のお慈悲です。
 根が腐れば、見かけはちゃんとした幹も役に立たず、花も実も得られません。
 もちろん、幹が我が利を求める屁理屈であっては手段を誤り、花も実も得られませんが、何よりも根がしっかりしていることが不可欠です。

 普賢菩薩様の司る徳「諸善解脱三昧智力(ショゼンゲダツサンマイチリキ)」は、根源を観て迷いを脱するお力です。
 三昧は深い瞑想です。
 論理ではなく、もちろん損得勘定でもありません。
 まず、観るべきものを観ること以上、人生の問題を解決するための根本的な方法はありません。 




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2005
12.15

【現代の偉人伝 第10話】 職人さんたち

現代の偉人伝~隣にいる英雄たち~とは

アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきなのではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。

>詳しくはこちらをご覧ください。



                                            遠藤龍地

 当山から車で10分ほどのところに、陶器家具などを創作しているご一家がおられる。
 ある時、作品を前にして「さすが芸術家ですねえ」と言った途端、抗議を受けた。
「私たちは芸術家でなく職人です」とのこと。大黒柱であるご主人は、「自分はへたくそだからこういうものを創るんです」と言われる。上手な人は巧みに薄く仕上げるらしい。
 確かに、全国的に愛好者が増えているご飯を炊く釜は分厚く、どれも型枠に入れたかのように同じ形をしており、色には微妙な違いがあるものの、同じ物を生み出そうとする明確な意思とそれを支える確かな腕で作られている。職人技というものだろう。

 作品はすべて根がはえたようにどっしりして、古代の雰囲気をまとい、形が極められたと思われる作品は、同じ物がいくつも並んでいる。独創性はたっぷりあるのに、鬼面人を驚かす面はみじんもない。

 花瓶も水盤もランプシェードも急須も茶碗も湯飲も皆使いやすそうで、持ち帰って置いた瞬間からどなたのお宅のどの空間にもなじみそうである。
 父親であり師匠であるご主人が作り、ご縁の方々に喜んでいただけるようになった作品は、まったく同じ物を次々と作らねばならず、息子さんは自分の独創力を抑え、いいつけどおり、見事なほどの腕前を発揮している。
 釉薬係の息子さんは、精魂込めて吹き付け作業を重ねているうちに何度も酸欠で倒れそうになったが、たくさんつくるからといって一切手抜きは許されない。医者に相談しながらの創作活動である。

 家具職人の娘さんに仏器を入れて持ち運びする箱を作っていただき、驚いたことがある。
 無骨な四角い箱へ、箱全体に重なる形の蓋をかぶせたところ、中にある空気が邪魔してふわっと浮いたままになっている。見ていると、蓋は自重で中にある空気を押し出しつつ、実にゆっくりゆっくりと下がって行く。ホウと感心しているうちに音もなく身と蓋がぴったりとおさまった箱を前にして、プロの力量に圧倒される思いだった。
 独自のおにぎりやピザで人気のあった喫茶部は、陶器の注文が増えたおかげで休業となり、腕をふるっていた奥さんはご主人の陶器作りを陰で支えることになった。

 まっとうな創作活動をしている道場は清々しく、暖かい。
 雪深い宮床で冬を迎えた職人ご一家『半睡窯』さんを訪ね、地に足のついた方々にどこかホッとしながら帰山した。




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2005
12.14

小学生殺人などのむごたらしい犯罪をなくしましょう

 2500年前、釈尊は説かれました。

 あるところに、色欲に溺れた女が男と会うために待っていました。
 ところが男は約束の時刻を過ぎてもなかなか現れません。
 女は悔しがっていましたが、しばらくして気持がおさまり、自然に口から漏れました。
「欲が生じる大もとは意(ココロ…心)である。
 意は、思い、想うところに生じている。私が、思ったり想ったりしなければ、意は生じない」
 たまたま通りすがった私は耳にし、修行者たちへ伝えて言いました。
「この言葉をよく覚えておくことです。この偈(ゲ…詩のようにまとまった教え)はその昔、伽葉仏(カショウブツ)が説かれ、今に残っているものです」

 彼女はどんなにか期待し、イライラし、不安になり、焦り、怒り、憎み、悔しくなり、淋しくなったことでしょうか。
 そのあげく、どこかで聞いたことがあるけれどもすっかり忘れていた教えが意識の表面へよみがえりました。
 よほど辛抱強く待ち、よほどの長時間〈男がいないという事実〉と向き合っていたのでしょう。
 ただし、ただ単に時間が過ぎたから気づいたというわけではないはずです。
 教えに接していたこと自体が尊い因縁であり、もしかすると、心を静める呼吸法などを知っていたのかもしれません。

 彼女の心を乱しに乱したのは、誰でもない彼女の心です。
 男が来なかったのは、そうさせたきっかけに過ぎません。
 きっかけはそれまでにいくらもあり、それからも無限に現れたことでしょう。
 しかし、彼女は真理にハッとし、乱すものから離れました。
 もうそれからは、約束の相手が来ないとか、つまらぬうわさ話を流されるとか、欲しいものが手に入らないとかといったいかなるきっかけも彼女の心を乱すことはなかったことでしょう。
 言い方を変えれば、この世から〈きっかけ〉が消えたのです。

 さて、心をつくる「思」「想」とは何でしょう。
 ここで説かれている「思」とは、仕事をしよう、散歩をしよう、食事をしようといった「意思」です。
 また、「想」とは、過去を思い出したり、未来を思い浮かべたりする「想像」です。
 意思も想像も表面の心のはたらきであり、それは深い心がいかなるものであるかによって異なります。
 深い心をつくっているものは、生まれの因縁による深層意識と生き方の因縁による潜在意識です。

 ではどうするかです。
 生まれてしまった以上、深層意識は変えられません。
 潜在意識のはたらきを望み願う方向へと導くことによって深層意識の影響力をコントロールすれば良いのです。
 具体的には、「しつけによって意思の習慣をつくり」「生き方によって想像の内容を豊かにする」ことです。
 
 しつけの根本はガマンにあります。
 そもそも我慢とは仏教用語で、「自分がこの世の主人公であり何でも気ままにできるという錯覚」を指します。
 その我ありという慢心を抑えるものが一般に言われているガマンです。
 欲しいから他人のものを盗る、憎いから相手を殺す、好きだから他人の伴侶を奪う、言いたいから嘘を言う、こういった犯罪のすべてはガマンがあれば起こりません。
 納得してガマンできるように導くもの、それが人倫です。
1 食べものの好き嫌いをさせずガマンさせること。
2 信念をもってものごとの善悪を教え込むこと。
3 ガマン・善悪の根拠となっている人倫を解りやすく説明すること。
 これがしつけの道筋であり、どれが欠けても円満な人格の基礎は創られません。
 また、順番をまちがえれば、後から親も子も教師も苦労するようになります。
 しつけをおろそかにしていたずらに批判力をつけさせたツケが学校にも家庭にもはっきりと現われています。
 教師を「あなた」と呼び、指導に従わずへりくつだけ達者な小学生をつくったのは誰でしょうか。

 生き方は、自分が何を見、何を聞き、何を嗅ぎ、何を味わい、何に触れ、何を考えるかによって変化します。
 暴力的で刺激的な映像に親しみ、うまい儲け話に耳を峙(ソバダ)て、腐臭や血の匂いに馴染み、好き放題に食べ、むやみと異性に接し、気ままかってな夢想にふけっていれば、ますますそうしたものごとに対する感受性がたかまり、そうした縁を呼び、いつしか人間が万物の霊長であるゆえんの貴重な創造力は、そうした対象に支配されるようになります。
 人倫からどんどん遠ざかります。
 やがて行きつく先は、犯罪か社会的責任の放棄です。

 マスコミをにぎわす犯罪(特に若年者の起こすもの)をなくすには、家庭においてしっかりとしつけをすること、大人一人一人が自分の生き方を省みて、まっとうな社会を創ること、これが根本です。
 2500年前にはっきり説かれている真理がいまだに実践されていないのですから、子供も大人も救われるこの世になるのにはあとどれだけの年月が必要なのか判りません。
 弥勒菩薩(ミロクボサツ)が示された五十六億七千万年という目安も、もっともだという気がします。
 しかし、実践されていないがゆえの地獄は現実に私たちの目の前にあり、実践のスタートラインもまた常に私たちの目の前にあります。

 当山では、お子さんのことで相談にこられる親御さんへしつけについてお話しし、お子さんに合った指導法をお伝えしています。やがては寺子屋で体系的なお手伝いをさせていただきたいと願っています
 また、ご自身のことで相談に来られる方々へ、生き方の方向を転換して運勢を変え、運命を望む方向へと舵取りするポイントをお伝えしています。
 問題解決が成就するよう修法を重ねてもいます。
 立場に応じ縁に応じてやろうではありませんか。




2005
12.13

戒名料はいくら納めれば良いのでしょうか

 今年もあと半年で終わりです。
 ふりかえってみると、多くの方々が同じような問題で心配しておられるのだなあと驚いてしまいます。
 たとえば、いわゆる戒名料もその代表的なものです。
 これまで何度も書いてきましたが、もう一度、どなたにでも判りやすいように、考える際の要点をまとめておきます。
 理由の一つは、ほとんど毎月、他の寺院から移ってこられる方がおられ、その根っこにこうした問題があることを不幸・不毛であると考えるからです。
 もう一つは、「戒名料は一万円で良い」「戒名料は要らない」などという寺院があり、資格・資質の妖しい僧侶や業界さんが不安を衝く方法で利を得ようとしている動きもあると聞き、本質的な部分が忘れられる風潮になることを怖れるからです。「安さ」で売ろうとして「建物の強度」をおろそかにした設計書偽造事件に学ばねばなりません。

 まずふまえておきたいのは、檀家さんから寺院へ納められるいわゆる戒名料はお布施であり、布施行とは、以下の三つが清らかであってはじめて本ものであるということです。
○布施行をする人の心
 見かえりを求めず(求めれば娑婆の「取引」になります)、執着心を離れ、心から納得していること。
 「いやあ、酷いなあ」「これから大変だなあ」「何でこういうことになるのだろう」ではなりません。
○布施行に用いられるもの
 盗品などでなく、正当に手にしたものであること。
 家族を不幸にしながら教団の言うがままに納めるようでは、その金品は穢れています。労力奉仕も同じです。常識・良識を忘れた活動ではなりません。
○布施行を受ける寺院
 そもそも、お布施はご本尊様へ納められるものであり住職がいただくのではないので、まともな寺院であればここが穢れているということはあり得ないのですが、むやみと利を得よう教団を大きくしようとする運営方針や、趣味やぜいたくに明け暮れる住職たちの日常生活がご本尊様を貶める場合があります。

 以上をふまえて、戒名料を考えてみましょう。キーワードは三つです。
○親子
 子供ができれば、親なら誰でも良い名前をつけ、そのイメージで人生を歩んでもらいたいと願うはずです。
 御霊がみ仏から授かる戒名も同じです。
 身内がみ仏の世界へ旅立つ時、故人が懸命に生きた証でもある戒名がその人柄や人生にふさわしく安心をもたらすものであって欲しいと願わないご遺族がおられましょうか。
○価値
 戒名は、肉体の束縛を離れた御霊が絶対の安心の世界へ旅立つ時に、ご本尊様の前で行なわれる修法を通じてみ仏から授かる名前です。
 それは、魂の色合、この世でいかなる生き方をしたか、この世で積んだ徳がどのように結晶するかが示されている厳粛なものです。
 その価値をどう判断するかは、ご遺族の方々の考え方にかかっています。
 たとえば、前述のように一万円といった場合、買えるものを想像してみましょう。車なら二回満タンにする分です。巷では同窓会の参加費などもそんなもののようです。
 故人の徳を偲び、恩を偲び、きちんと判断すべきではないでしょうか。
○家計
 家計はそれぞれ大きく異なります。
 同じ金額でも、それぞれの家庭によって重さがまったく異なります。
 一軒一軒と歩く托鉢を行ない、いただくお布施のありがたさも、くださる方々のお心の尊さも、お布施にこめるお気持も教えていただきました。
 そうした体験をふまえ、布施行の本質を考えると、戒名の授受という微妙なやりとりに寺院の都合で金額の枠をはめることは、どうしてもできません。
 ましてや、一文字いくらなどという発想は、愚かしい行者の理解できる範囲をはるかに超えています。

 み仏の教えに学び、こうした姿勢で法務を行なっている当山は、これまで戒名料はいくらとお示ししたことがありません。できないのです。
 そして、お布施の金額によって区別せず、必要な三つの熟語が入る「院・居士」もしくは「院・大姉」をお渡ししています。
 もちろん、「故人はこう望んでいました」「ご先祖様とのバランスを考えていただけませんか」「社会的活躍をもう少しはっきり表わしてください」などのご要望には、誠心誠意お応えしています。

 こうした姿勢をつらぬいているのには、隠れた理由もあります。
 それは、何でも数字に置き換え、あるいは金額に換算して「こと足れり」とする風潮に、情操の枯渇・精神の退廃を観ているからです。
 日本人のこまやかな心のはたらきが薄れつつあることを怖れているからです。
 微妙で精妙な問題を感じ、考えることによって深まる人生への洞察が行なわれなくなることを惜しみ、哀しんでいるからです。
 「この世の幸せとあの世の安心」の土台となるべき寺院は、み仏の顕わされる真理・真実・本質・根源のみをよりどころとせねばならないと覚悟しているからです。
 これらを第一とせず、あるいは放棄するようであれば寺院は要りません。僧侶も要りません。壇信徒もおられなくなります。

 ご縁の方々には、何よりもことの本質を考え、まごころから御霊を供養していただきたいと願うのみです。




2005
12.12

お焚きあげは報恩の行です

 雲間からのぞく星の光には、研いだ刃のような凄まじさがあります。白い樹々も大地も凍り、守本尊様方の赤い旗が夜目にも鮮やかです。
 さて、今、関東地方からのお焚き上げに関するご依頼状へ返信を書きながら考えました。
 私たちが縁の深かったものを手放す時、また、誰かにとって浅からぬ縁のあったものを処分しようとする時に感じる
「このままではいけない。ちゃんとしてあげなくちゃ」
という感覚は何なのかということです。

 私たちは、目で見て、耳で聞いてというふうに、五感六根を通じていのちをはたらかせ、徳を磨きながら生きています。
 6歳ぐらいでやっと人間としての心が定まり、成人するころには他人の哀しみを我がこととして深く受けとめる能力が身について一人前になり、試行錯誤の幾年月かを重ねているうちに、人生についての何らかの確証を得るようになります。
 そうした魂の成長は、皆、見えるもの、聞こえるもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるもの、考えるものによって支えられています。
 眺める月にも、心地良いせせらぎにも、甘い米にも、清々しいお線香の香りにも、握手をする暖かい手にも、夜半に思い起こす仏像のお顔にも、五感六根の対象になるものすべてに、私たちの徳を磨いてくれる徳が備わっているのです。

 森羅万象が徳の世界であるということが、お大師様の終生説かれた「山川草木悉皆成仏(サンセンソウモクシツカイジョウブツ)」に他なりません。
「即身成仏」が、「この身このままで仏に成る」ことであり、その真意・深意が「この身このままで仏そのものであることに気づく」ことであるのと同じく、気づきさえすれば、ありとあらゆるものはみ仏であり、合掌の対象とならないものはないのです。

 私たちと深く心を通じたものたちは、別れねばならない時、最後の奉公としてそうした真実を私たちの心へうったえかけてくれるのでしょう。
 それは、人間(ペットも)が己の死をもって最後の大仕事をすること、すなわち縁の人々へ、〈日々の慌ただしさの陰に隠れ、忘れられがちの生死・人生といった真実〉に面と向かい合う機会をつくってくれるのと変わりありありません。

 無言の教えを感じたならば、仏像であれ、人形であれ、呉服であれ、そうしたものたちの〈徳〉に感謝し、縁になってくれた〈恩〉に報いるよう、きちっと処置をしたいものです。




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2005
12.10

亡き人が一緒にお経を唱えた話

 今日も『法楽』づくりです。
 Tさんをはじめ壇信徒の方々が自主的に集まり、A4版60ページの機関誌を手作りされました。
 外では、ジャンパー姿のSさんが、草取りに新芽の出た樹木の剪定にと汗を流しておられます。
 ありがたいことです。
 そう言えば、6日にはもう陽遁(ヨウトン…気の向きが陰から陽へ転換すること)しており、人間の気づかぬところで天地の気配は上昇を始めていたのでした。

 作業の打ち合わせを終えた時、Tさんが「住職、ちょっと良いでしょうか?」と質問されました。
「この間の例祭(4日)の時、気になることがありました。
 お唱えしていると、右前の方に女の人が立ったようなので、あれっと思って見ましたが誰もいません。
 視線をご本尊様の方へ戻したら、護摩の炎がぐうっと高く伸びました。
 そんなことが二回続きましたが何だったんでしょうか?」

 絶句し、お答えするのにちょっと沈黙をはさんでしまいました。
 その日は、修法している右後から聞いたことのない女性の唱和する声が聞こえ、「誰か新しいご縁の人がおられるのだろうか、始めた時はいつものメンバーだったはずだが………」と不思議な思いをしていたからです。
 しかも、炎がいつもより高く高く昇る瞬間があるのは、はっきりと解っていました。
 炎との不思議な一体感があり、護摩木を捧げるためにやけどしそうなほど右手を火に近づけたにもかかわらず、修法を終えて見たら、火ぶくれになっていません。
 修法直後、衣を脱ぎながらの妻への第一声は、
「おい、今日はお不動様を観たぞ。
ありがたいなあ」でした。

「私はTさんが姿を見たのと同じ方向から唱える声が聞こえ、誰だろうと思っていました」
と申し上げたら、Tさんは、訥々と話されました。

「最近知人が亡くなり、駆けつけました。
 皆で偲んだんですが、その夜一人も仏様のそばに残りませんでした。
 どうしたんだろうなあと思っていたら、お通夜でも近親者が全員帰ろうとしたので、黙っていられず強くたしなめました。
 お葬式が終わったとたんに、遺品はすぐに片づけられてしまいました。
 とてもかわいそうになり、すぐに第一例祭があったので、供養するつもりでお経を読んでいました。
 彼女がここに来ていたんでしょうねえ」

 その方は、長い間、ご詠歌に励んでおられたそうです。
 宗派は異なっても、み仏の世界に分けへだてはありません。
 きっと、Tさんの心に感応して唱えたことのないお経を唱和されたのでしょう。
 供養を受け、声と一緒に思いを吐き出し、初七日を護るお不動様に導かれ、満足し安心されたことでしょう。




2005
12.07

12月の例祭・お正月のご祈祷

◇例祭

 護摩の修法を行い、ご供養とご祈願により皆様とみ仏とのご縁を深めていただきます。



 例祭で行われる護摩法は、願いが最も早く仏神へ届く秘法です。

 どなたでも自由に参加できます。

 たくさんの願いを持って守本尊様にお会いし、悪い縁や弱い運気や自分のいやなところは智慧の火で燃やし去っていただき、良い縁を固め運気を高め、精進がすばらしい花を咲かせるよう大きなお力添えをいただいて下さい。



 毎月第1日曜日(12月4日) 午前10時より

 毎月第3土曜日(12月17日) 午後2時より




 要注意の月に当たる方(新聞『法楽かわら版』に掲載しています)は特に不意の災難に遭いやすく、尊きものを尊び五種供養の心を忘れず、例祭にお参りするなどして、み仏のご護をいただき無事安全な日々を送りましょう。



◇納め不動 

 12月28日(水曜日)午後2時より 

 一年間のご加護に感謝してお不動様の経典を読誦し、慈救呪(ジュクジュ)をお唱えします。皆さんもどうぞご一緒に、心ゆくまで真言をご唱和ください。



◇正月のご祈祷 

 1月1日より3日間 午前10時と午後2時の2回づつ



 お正月の修正会(シュショウエ)は、皆々様の一代(一生)の守本尊様をご供養し、心の汚れや身体の不調や悪しき因縁を焼き清め、生き方を修正し、ご心願を成就させるための大きな御加護をいただく護摩祈祷法です。

 新しい年を心新たに迎えましょう。



★子(ネ)年生まれの方の守本尊は千手観音(センジュカンノン)様です   

★丑・寅(ウシ・トラ)年生まれの方の守本尊は虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)様です

★卯(ウ)年生まれの方の守本尊は文殊菩薩(モンジュボサツ)様です

★辰・巳(タツ・ミ)年生まれの方の守本尊は普賢菩薩(フゲンボサツ)様です

★午(ウマ)年生まれの方の守本尊は勢至菩薩(セイシボサツ)様です

★未・申(ヒツジ・サル)年生まれの方の守本尊は大日如来(ダイニチニョライ)様です

★酉(トリ)年生まれの方の守本尊は不動明王(フドウミョウオウ)様です

★戌・亥(イヌ・イ)年生まれの方の守本尊は阿弥陀如来(アミダニョライ)様です



※護摩祈祷のお詣りは自由です。燃え上がる除災招福の護摩の火へ身を近づけ、大いにご利益をお受けください。

 当山の本堂には、すべての守本尊様が安置され、日々ご供養とご祈願の秘法が行われています。ご家族おそろいで、ご自身やお身内や友人知人の方々の守本尊様へお詣りしてください。清らかで善き願いへ力強いご加護をいただき、喜びと安心に満ちた一年になりますよう。



※お申込みは、

〔ご住所・ご芳名・生年月日・電話番号・願いごと・ご芳志金〕

をファクス・メール・ハガキなどでお送り下さい。

 ご希望の方には、ご連絡いただければ詳しい内容の書いてある申込書をお送りします。 

 修法後、ご芳志金に応じて

〔御札・大師御屠蘇・絵馬・御清め塩・大師茶・御加持米・御守・高野山線香〕

などの授与品一式をお送りします。

 絵馬は、ご心願を書き当山の六地蔵様へ祈願奉納します。



※ご芳志金はいかようでも結構です。



※護摩木供養もお受けしております。

〔ご住所・ご芳名・生年月日・電話番号・願いごと・ご芳志金〕

をお知らせください。

 供養料は以下のとおりです。

〔1本3百円・7本2千円・36本1万円・108本3万円〕



※ご芳志金の入金先(郵便局・銀行)は、お申し込みの方へお知らせします。

 

【五種供養】

○「水」のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん

○雨風に負けず咲く「花」のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん

○「線香」のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん

○己を捨てて「食べ物」となる生きものに感謝し、心身を整えん

○「灯明」のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん








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2005
12.07

おせち料理

 そろそろ、あれこれとおせち料理を考える時期になりました。
 最近は、ずいぶん派手になったようですね。
 ところで、おせち料理が「年越しのお膳」であるということはあまり知られていないかも知れません。
 もしかして、「新年を無事迎えて嬉しいからご馳走を食べてお祝いする」としか考えていない方もおられるのではないでしょうか。
 「おせち」は節気の節(セツ)から来ており、年の神をお迎えして行なう祭のために、節のものをお供えする料理です。
 だから、年内に準備を終えて除夜の鐘を聞くのが本来の形であり、師走は奥さん方にとって一年で一番忙しい時期になります。

 さて、神へ捧げるとなると、いつも食べているものというわけには行きません。
 富める者も貧しい者も、何とかしようとしました。
 そこで、まごころをこめた「手作り」の姿勢こそが最も尊い捧げものであるとされるようになりました。
 貧富にかかわらず、豊作であったか凶作であったかにかかかわらず、大漁であったか不漁であったかにかかわらず、人々は神々のために一生懸命料理を作りました。

 当然、時代により、地域によりそれぞれ食材には異なった部分もありながら、おせち料理がいつしか日本の、そして郷土の伝統料理として確立され今日に伝えられました。
 そして、天候にあまり左右されずに採れる芋類や、田植えの時に肥料として用いると五万俵もの豊作になるので五万米(ゴマメ)と呼ばれるカタクチイワシの干物が食材として定番になりました。
 どんな時にもいのちを永らえさせてくれるもの、豊作をもたらすものをこぞって捧げたのです。

 また、白米で作った餅のお重ねは神の座です。
 だから中心に祀ります。
 そこに穀神をお招きして新しい年の豊作を祈る人々の心は、いかに健気なことでしょうか。
 酒は、そもそも、祭用の食品でした。
 仏事では精進料理ですが、ハレの祭ではナマグサと酒は欠かせません。
 祭で酔うのは作法であり、唄い踊って神々を楽しませ、自分たちも祝いの喜びに与(アズカ)ったのです。
 まさに相饗(アイニエ)です。
 いかなる時代も、食べられることは最大の幸せでした。
 人を招けば、たらふく食べてもらってお帰りいただくことが最上のもてなしでした。
 祭では、めいっぱい食物をお供えし、いただき、祀られる神々も、祀る人々も、共に喜んだのです。

 ちなみに、お墓参りの際、お供えしたご供物を持ち帰ってはならないというタブーを時おり耳にしますが、あまり推奨できません。
 ご先祖様へおいしい物をお供えするのは、親孝行な子供が外出し、親の好物を見つけて買って帰るようなものだとされています。
 「はい、お父さん」と差し出したならば、父親はどうするでしょう。
 ありがとうよと自分だけムシャムシャ食べてしまうでしょうか。
 親孝行な子供に育てた親ならば、そうしたことはあり得ません。
「お前も一緒に食べよう」と必ず分け与えるに決まっています。
 それと同じです。好物をもらったご先祖様は、子孫が一緒に食べて喜ぶ姿を何よりも嬉しいと感ずるはずです。
 だから、お墓参りしたならば、お供えしたものは食べて帰るのが本来の作法なのです。
 カラスなどにやられて墓地が汚れるから持ち帰るようにするというのは、あくまでも第二義的な考え方でしかなく、根本を忘れないようにしたいものです。
 それは、お供えに象徴される〈供養〉は、共に養い合って初めて完結するものであり、「相互供養・相互礼拝」が人間の世界にも仏神の世界にもつうじる最も尊い姿であるということです。

 さて、最後に、お正月にいただく酒はお屠蘇であるという点に触れねばなりません。
 そもそも、お屠蘇は漢方薬です。
 お屠蘇という神酒に神々のご加護をいただき、一年が無病息災でありますよう、一家のあるじが柏手を打った後に神棚から降ろし、うち揃ってうやうやしく口にするのはそのためです。
 ほどほどに酔って神々を讃え、ほどほどに身体と心を暖めたいものです。
(当山では、お正月のご祈願をされる方々、ご参詣の方々へ、高野山伝統のお屠蘇をほんの少々お分けしています)




2005
12.04

?伝統的な日本の子守歌はいらないのでしょうか

 伝統的な子守歌があまり唄われなくなっているそうです。

 『子守歌(日本古謡)』『五木の子守歌』『中国地方の子守歌』などです。



『子守歌(日本古謡)』

坊やはよいお児 おねねしな 坊やのお守りは どこへ行った

あの山越えて 里へ行った 里のみやげに 何貰うた

デンデン太鼓に 笙の笛 金の手箱に 銀の杖

ねんねんおねむの よいお児よ 夢のお里で おねねしな



 これが「正調」です。私が聞いて育ったのはこちらでした。



ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな

坊やのお守りは どこへ行った あの山越えて 里へいった

里のみやげに 何貰うた デンデン太鼓に 笙の笛



 もっぱら短調で聞いて育ちましたが、正調もあり、陰旋律(みやこぶし)もあるそうです。



『五木の子守歌』

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる

おどんが打っ 死 (チ) んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山蝉が鳴く

おどんが打っ 死 (チ) んだら  住環 (ミチ) ばちゃ 埋 (イ) けろ 通るひと 毎 (ゴ) ち 花あぐる

花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水

おどんがお父っつあんは あん 山 (ヤミャ) おらす おらすともえば いこごたる

おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる

ねんねした子の 可愛さむぞさ おきて泣く子のつらにくさ



『中国地方の子守歌』

ねんねこ しゃっしゃりませ 寝た子の かわいさ

起きて 泣く子の ねんころろ つらにくさ

ねんころろ ねんころろ



ねんねこ しゃっしゃりませ きょうは 二十五日さ

あすは この子の ねんころろ 宮参り

ねんころろ ねんころろ



宮へ 参った時 なんと言うて 拝むさ

一生 この子の ねんころろ まめなように

ねんころろ ねんころろ



 この歌には、もう唄われなくなった幻の二番があるそうです。



つらの にくい子を まな板に のせてさ 

青菜切るよに ねんころろん

じょきじょきと ねんころろん ねんころろん



 『子守歌(日本古謡)』には、高価なオモチャに縁のない庶民の怨みと叶えられない願望があり、『五木の子守歌』と『中国地方の子守歌』には、奉公に出された先で子守と格闘する娘の辛苦や怨念があります。

 いずれも歌詞は悽愴の色をまとっていますが、なぜこれらの歌が広く一般にも唄われ、子供に安眠を与え続けたかを考える鍵は、「短調」と「ゆったりしたリズム」にあります。

 

 長調の明るさに比べて、短調には暗さがあります。長調は陽光、短調はその影、長調は表面、短調は内奥とも言えそうです。また、長調には喜び、短調には哀しみのイメージもあります。(もちろん、モーツアルトのように、長調を用いて巧みに内奥の哀しみを表現したものもあります)

 子どもたちは、短調の歌を聴きながら、表面から隠されている人間の哀しみを感じとる心のアンテナがつくられていたのではないでしょうか。



 また、ゆったりしたリズムには、憂き世の波浪を突き進む昼の世界に対する、み仏からのご褒美あるいは祝福とすら思える休息と安穏の夜の世界があります。いかに激しくいのちを燃やす英雄であろうと、超人であろうと、いのちのエネルギーを回復するためには、夜の世界が不可欠です。

 子どもたちは、ゆったりしたリズムの歌を聴きながら、心身のバランスがとれ活力ある日常を送るための休息を得る習慣を、自然に身につけていたのではないでしょうか。



 そして、言葉となって口から流れ出る歌詞は育てる者から怨みを解き放ち、育てられる者へ、その苦と解放を通じて何ごとかを伝え、人生における大切なものを感じとる心の核をつくっていたのではないでしょうか。



 それらはいずれも無意識の裡に起こっている珠玉の「過程」でありましょう。

 他人の苦しみや哀しみ(もしかすると自分のそれですら)に恐ろしく鈍感で、自分の不満や怒りについてのみ異様に敏感であるがゆえに起こる青少年の悲惨な事件を考える時、失われつつある伝統的子守歌があらためて惜しくなってしまいます。




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2005
12.03

12月の守本尊様は千手観音様です

今月(12月7日から1月4日まで)の守本尊様は千手観音様です








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2005
12.03

12月の運勢(世間の動き)

 今月は、もしも困難な事態に直面したならば、「節度」を守るよう心がけて苦節を甘節に転換しましょう。

 節(セツ)は竹の節(フシ)です。節があればこそ竹は風雪に耐える強靭さを保てます。人間も同じです。「節操」「節義」「節約」など、おりおりに「節」を含む熟語を思い出し、年の瀬を無事過ごしたいのもです。



 およそ、ものごとには「ほどの良さ」というものがあります。身のほどを忘れた行動や言葉は、やがて自分を厚い壁にぶつけるような所へ追い込みます。

 また、華々しい極論は一時的に刃のような鋭さを見せても、時が経つうちに必ず対極にある極論が頭をもたげて闘いとなり、鋭さを保ったままで覇者となることはできません。あまり犠牲者の出ぬうちに落ちつくべきところへ落ちつかせるのが賢者の智慧というものです。

 

 わきまえなく悪口雑言を口にする人は、その報いを受けやすくなります。まさに「斧の口中にあるがごとし」で、他人を切ったつもりが、その悪業で自分の身を滅ぼすことになりましょう。

 もしも自分がいわれもない中傷などに遭ったなら、深呼吸し腹を据えてじっと我慢しましょう。動じない姿勢が澄んだ鏡となり、相手の悪心をはね返す強力な力となります。

 釈尊は、面前で罵った相手へ、平然として「私はあなたの悪口というお土産は受け取りません。あなたは持ち帰るしかないんですよ」と諭されました。



 酒の上での口論や浮ついた行動にも要注意です。ちょっとしたやりとりで、触れてはならない相手の傷に触れたばっかりに、取りかえしのつかぬ結果を招きかねません。

 特に若い女性や少女は、トラブルや犯罪に巻きこまれないよう、自分をしっかり守らねばなりません。軽々に甘言やちょっとしたプレゼントや食事の誘惑などで心を許さず、「小さな親切、大きな下心」と思って慎重にやりましょう。

 

 くれぐれも火難・盗難・色難に注意し、佳き新年を迎えましょう。




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2005
12.03

12月の聖悟

「人生百年に非(アラ)ざれども、万歳の業(ゴウ)を積む」―弘法大師―

 

(人は百歳までも生きないのに、生き方の影響は万年も後まで続くものである)



 いくら長生きするようになっても、人のいのちには限りがあります。

 織田信長が桶狭間への出陣を前にして謡い舞ったころは、50歳あたりが長生きの目安だったようです。

「人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」です。(よく誤解されているようですが、これは謡曲「敦盛」ではなく、幸若舞の「敦盛」の一節です)

 信長から約450年、日本人男性の平均寿命はスウェーデンとほぼ同じく約78歳、女性はモナコとほぼ同じく約85歳と、世界一の長寿国になりました。

 ちなみに、WHOが調査した国で平均寿命が80歳を越えているのは13カ国、50歳に満たないのは27カ国、最短はスワジランドの35歳です。西アフリカのシエラレオネ共和国では、子供の3分の1が6歳を迎えることなくこの世を去っています。



 さて、こうした長寿を享受する私たちはいかなる生き方をしているでしょうか?

 2500年前に釈尊から発せられた「己の欲を制御せよ」、そして大日如来から発せられた「欲を活かす智慧と慈悲を持て」はどれだけ生活を律するようになったでしょうか。

 お大師様は、寿命をウンヌンするよりも、日々行い、語り、思うことによって積み重ねる善業と悪業を直視せよと説かれました。

 昨日の善業は今日の人生に関わり、今日の悪業は明日の人生にかかわり、因果応報の原理はあの世までも、そして次の世までもかかわり、永劫に続く人間の〈いのちの大河〉の流れにかかわるのです。



 日々、人生相談を受け修法していると、いかに過去が現在を動かしているか、現在が未来を変えるかが恐ろしいほどに解ります。

 昨日の親不孝が今日の不幸を生み、今日の積善が明日の安心をもたらします。

 お不動様は、今の帰依は永劫の福徳をもたらすと約束しておられます。

 誰しも、自分ができることをやって今日を過ごすしかありません。

 そして、明日を待つまでもなく、今夜床に就く時、安心・安堵・満足・平静が得られるかどうかによって、いかに生きたかをはっきりと知ることができます。

 釈尊は、善行のもたらす幸せとして「眠る時に安心で、起きた時に清々しい」ことを挙げられました。

 そんな日々でありたいものです。




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2005
12.02

市井の哲人

 托鉢がご縁で檀家になりたいと申し出られたお宅へ、修法に参上しました。

 7カ月という早産のために手足に障害を持って生まれた中年にさしかかる息子さんがおられました。中国などと外国語でメールのやりとりをしているそうで、実に意気軒昂です。

 驚いたことに、彼の地では悪徳医師がいいかげんな治療をして不当に暴利をむさぼるケースが少なくないので、弱い立場の人々へ注意を喚起しておられるのです。

 日本のマスコミは一部の地域のみをとりあげているので、中国は大発展しているかのようなイメージが広まっているけれども、内情は惨憺たるもので、大半の地域に貧困や飢えや病気に苦しんでいる人々が住んでおり、病気を治したい一心から勧められるままに年収をすべてつぎ込んで不要な手術を受け、泣き寝入りをするような人々が山ほどいるそうです。

 そういう事情を放っておけず、ちょっとした便秘や風邪などは身近にあるものを上手に利用して対処するなどの指導をしておられます。

 どこでどう医学を学ばれたのかは判りませんが、熱意にはただただ頭が下がります。

 中国の実態といい、彼の日常といい、まったく知らなかったこの世のありさまに息を呑むような思いをしました。 

 なおかつウームと感心させられたのは、自立するために数年かけて猛勉強した占いをきっぱりあきらめた話です。

「ああいうことは、他人様へ不安を与えて自分の利を得ようとするもので、人としてやるべきではありません」

 確信を持った口ぶりで、霊感などと称していいかげんな占いをやると自分の悪因縁が出てしまい、それが他人へ迷惑をかける怖れがあること、他人の死期など悪しき問題を占って軽々に口にしてはならないこと、つまらぬ呪いは法力のある行者に返されてしまうことなどなど、実に見事にこうした世界のポイントをついた指摘をし、真理・真実にかかわるさまざまな思いを披瀝されました。

 お大師様から伝わる占法をもって診断し、加持や祈祷などの修法をもって治療する密教行者の心構えをどこで学ばれたのか………。



「易学は人生の指針ですから、この場合はどうすべきかなど、もっぱら自分のことで用いています」

「どうにもならぬほど苦しかった時、確かな方からいただいた観音様のご加護て切り抜けました」

「さっきの九字などは、息の切り方が大事ですよね。呼吸法があるんでしょう」

 一言一言に無駄がなく、判断は本道から外れず、本ものと偽ものを区別する峻烈さは鋭利な剣のようです。本格的な修行をされたわけでもないのに、なぜかかる地点に立っておられるのか………。

 文字通り舌を巻きました。

 

 なりわいは何であるか、これからどうされるのかなど、こちらから余計な質問はしません。

 こうした哲人が市井に人知れず住んでおられることにただただ打たれ、心強い同志を得た時のように奮い立ちながら帰山しました。




2005
12.01

12月の真言

 その月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。

 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。

 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。



千手観音(せん・じゅ・かん・のん)  



「オン バザラ タラマ キリク」




今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、

 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





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2005
12.01

【現代の偉人伝 第9話】 I先生

現代の偉人伝~隣にいる英雄たち~とは

アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきなのではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。

>詳しくはこちらをご覧ください。



                                            遠藤龍地



 中学生時代の恩師I先生から、『寺子屋基金』へ送金があった。

 時ならぬご助力に感激も覚めやらぬ日、NHK講座『法句経』を聴講しておられるKさんから思いもよらぬ話を聞いた。



 I先生がかねて古代史研究をライフワークとしておられることは知っていた。

 数年前、先生のご指導で、大和町近辺の遺跡やいわれのある大岩・大樹などを尋ね歩いたことがある。あの時は、壇信徒さんたち共々、この地に眠る過去の豊かさに驚き、先生の情熱あふれる講話に耳目を奪われた。

 その後、先生が、おりにふれ、当山の活動などについて周囲の方々へお話くださっておられることを、風のたよりに聞いた。

 かつて先生の同僚だったKさんは、そうしたご縁でNHK講座の聴講を始められ、帰依の心を固められた。恩師の同輩とは畏れ多く、とまどったものである。



 先生は、独自の古代史講座を開き、学ぼうとする方々へまったく無償で研究の成果を伝えておられるという。

 ある日、Kさんなどの聴講生たちが「いくら何でも申しわけないから」と、皆で謝礼をしようとした。

 ところが先生は頑として受け取らず、「それほどおっしゃるなら法楽寺へ寄進してください」と言われ、すぐに送金された。郵便局の振替伝票には『寺子屋基金』としか書かれていない。

 Kさんから教えていただいて事情を知り、目頭が熱くなった。



 中学生になると、いくらか大人になった気分になる。

 そうした気持をいっそう強くしてくれたのが、音楽が専門のI先生からいただいた一枚のドーナッツ盤(45回転のやや小ぶりなレコード盤)だった。目にしたとたん、厚い雲間から幾筋もの陽光が鋭く放射されているジャケットにワクワクした。

 指揮者や演奏者は忘れたが、曲はベートーベンの「運命」である。

 それまでクラシック音楽にほとんど興味がなかった中学生は、薄い割にややどっしりした感触のあるレコード盤へ恐る恐る針を落としては、幾度も幾度も驚嘆をくり返した。

 ついには作曲コンクールで入賞し、作曲家へご紹介いただくほど凝ったが、政治家を夢見ていた少年の思いはあれこれと定まらない。不肖の弟子のまま先生とのご縁は薄れ、恩知らずの幾星霜が流れた。



 ふとしたきっかけでそんな先生とのご縁が復活してご来山され、『寺子屋基金』創設のメンバーにもなっていただいた。

 何より嬉しかったのは、ただ〈過去の教え子だから〉ということではなく、〈今の君を評価する〉というお心で接してくださったことである。

 過去の生徒は、大人になってもう一度先生にお導きいただいた。

 そして、今日のできごととなった。

 大恩ある師I先生は、永遠の恩師である。




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