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2007
06.30

7月の運勢 ―世間の動き―

 今月は対立が激しさを増し、身体を紐の端にくくりつけた二人が正反対の方向を目指して競い合うような流れが生じます。

 たとえ相手を倒して引きずろうとも構わないといった雰囲気になり、人倫に危険信号が灯りましょう。

 何であれ理想は魂を震えさせますが、生きとし生けるものの存在原理は「共存」以外にあり得ないことを忘れてはなりません。

 

 日本熊森協会発行の『クマと もりと ひと』は、その理と、理を忘れた人間が重ねる自然破壊の現実を明らかにしています。

 クマが通るけもの道は、森に風を吹き込み、クマが高い木の枝を折って木の実を食べるので森の草むらにまで日光が届きます。

 森の樹々は歩こうとするクマの行く手を阻むだけのものではなく、歩くクマは樹々を邪魔にしてへし折り自分の空腹を満たそうとするだけの生きものではありません。

 森とクマと、互いのありようが補い合って共存しています。

 自分の欲しいもののことしか考えず森を破壊して止まない人間は川を破壊する者であり、海を破壊する者であり、同時に、村だけではなく都市をも破壊する者、すなわち生きとし生けるものの母を破壊する者です。

 人間だけが共存という天地の節理から脱して気ままを通せるはずはなく、人間が人間同士あるいは人間と自然との共存を忘れれば、文明も自然も荒廃するしかありません。

 節理を無視した理想は破滅をはらんだ幻想であり、砂上の楼閣です。



 今月は現代人が命綱とする情報に狂いが生じたり、火と水による困難が生じたりする怖れがあります。

 対立が不毛となり、困難に直面した時こそ、人間が「人」の文字のように支え合って生きるために最も必要なものは何であるかを考えるチャンスです。

 肝心なものを見失わなければと祈る思いです。



 こうした時期には、内に柔軟さ、素直さ、向上心を保ち、外の魔ものへ対しては不壊の結界を作って崩れない人に開運が訪れましょう。

 48歳のお大師様は、時折決壊しては讃岐平野を呑み込んでしまう満濃池の改修工事にかかり、現場の人々をこのように諭しました。

「自然の持つ大きな力と張り合おうとしても、人間は負ける。智慧をもって水を抱きとめるようにゆっくりと溜め、ゆるゆると水路に活かさねばならない」

 百日間続けられた護摩法と共に満濃池は完成し、現在に至っています。





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2007
06.29

お盆供養会のご案内

 宇宙法界を表すお塔婆をつくって御霊をご供養し、追福菩提の施餓鬼法を修して諸精霊をご供養し、善男善女の心願成就を願い、重ねて魔切追善の奉納剣を行います。

 なお、交通手段のご不便な方のために、午前九時に〔地下鉄旭ヶ丘駅となりの青年文化センター西口前〕へお迎えの車がまいりますから、事前に、ご遠慮なくお申し出ください。



1 日時 8月15日(水曜日)午前10時より

1 場所 護摩供養会…大師山法楽寺本堂(テントと飲み物を用意します)

      隠形流居合奉納剣…『法楽の苑』

1 申込 ハガキや電話やFAX、メールなどで、8月12日までにお申込みください。



※お申込みに応じて、『廻向の証』『ご祈祷札』『修法の証』などをお送りします。

※ご志納金は、お心のままで結構です。

※ご供養される御霊は、当山の檀家さん関係だけとは限りません。み仏と萬霊の供養が根本であり、いかなる地におられるいかなる御霊をもご供養できます。

※修法したお塔婆を持ち帰り、それぞれのお墓へ立ててください。『法楽の礎』で眠っておられるなど持ち帰らない方の分と、万霊供養、戦没者供養、あるいは遠方の御霊を供養するお塔婆は、『十三仏』様のおそばへ立てます。



〈去年の供養会です〉


















2007
06.29

草刈清掃のご案内

 次の要領にて、法楽の苑や守本尊道場などの草刈清掃を実施しいたしますので、ご都合のつく方はふるってご参加くださいますようお願いいたします。合掌        



1 日時  7月29日(日)午前9時から午後2時 

1 道具  法楽寺と親輪会が一切の準備(用具など)をします。

1 燃料  草刈機の燃料は法楽寺が負担します。

1 昼食  法楽寺と親輪会が準備します。

1 雨天  中止します。

1 参加  参加される方は、7月27日まで法楽寺へご連絡ください。

※交通手段のない方は、事前にお申し出の上、午前9時までに、地下鉄泉中央駅前『イズミティ21』前へおでかけください。

※草刈機を携行される方やお貸しくださる方は、お知らせください。

※午前か午後だけのご参加でも結構です。




2007
06.29

小さきもの1

1 毛虫
 どこからか直射日光の降りそそぐ砂利の上へ落ちた毛虫が、焦熱から逃れようと、息せき切って草むらを目指していました。
 信じられないほどの速さです。
 やっと一安心。


2 カタツムリ
 熱いコンクリートの上で、小さなカタツムリがミイラになっていました。
 かろうじてコンクリートの隙間に落ちた種は芽吹き、緑色に輝く葉を伸ばしています。





2007
06.28

日本の歌25 ―汽車― ―汽車ポッポ―

31汽車

  作詞:不詳 作曲:大和田愛羅

  明治45年「尋常小学校唱歌(三)」に掲載




1 今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと

  思う間も無くトンネルの 闇を通って 広野原



2 遠くに見える 村の屋根 近くに見える町の軒

  森や林や田や畑 後へ後へと 飛んで行く



3 廻り燈籠の 画の様に 変わる景色のおもしろさ

  見とれてそれと知らぬ間に 早くも過ぎる 幾十里



 男児にとって、汽車ほど「機械」を感じさせるものはありませんでした。

 屈強な男が炭をくべて燃やす火と、タンクの中に溜められているはずの蒸気、そして、鼓舞するような汽笛を合図にゆっくりと回り始める車輪、。すべてが、とてつもなく大きな一つの力となって乗客を運びます。

 汽車から見れば豆粒のような自分なのに、乗っている時は、その力と一体になったような爽快で高揚した気分になります。

 鉄橋も、森や林や田や畑も、窓ガラスを通さず時折流れ込む煙の向こうに見えていたからこそ、確かに息づいている景色でした。

 そんな蒸気機関車は、もう、過去のものでしかありません。

 

32汽車ポッポ

  作詞:富原薫 作曲:草川信

  昭和12年レコード発売




1 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ

  僕らをのせてシュッポ シュッポ シュッポッポ

  スピード スピード 窓の外 畑も とぶとぶ 家もとぶ

  走れ 走れ 走れ 鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな



2 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ

  汽笛を鳴らし シュッポ シュッポ シュッポッポ

  ゆかいだ ゆかいだ いいながめ 野原だ 林だ ほら 山だ

  走れ 走れ 走れ トンネルだ トンネルだ うれしいな



3 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ

  煙をはいて シュッポ シュッポ シュッポッポ 

  行こうよ 行こうよ どこまでも あかるい 希望が 待っている

  走れ 走れ 走れ がんばって がんばって 走れよ



 日中戦争が始まった年に作られたこの歌の題名は当初『兵隊さんの汽車』、歌詞は

「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ

 兵隊さんをのせてシュッポ シュッポ シュッポッポ

 僕らも手に手に 日の丸の 旗をふりふり 送りましょう

 万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳」

でした。

 2番、3番も、同じように日の丸の光景が綴られました。

 ところが、敗戦直後の昭和20年、「紅白音楽試合」(現在の「紅白歌合戦」)でこの歌が唄われることを知ったGHQは歌詞に問題ありと判断し、書き直しを命じました。

 12月27日夜、NHKの近藤ディレクターの訪問を受けた富原薫は、近藤を待たせたまま一晩で題名と歌詞を変え、11歳の童謡歌手川田正子は、堂々と唄いこなしました。

 静岡県御殿場市出身の富原薫は、富士五湖をイメージして作詞したとされています。

 

 うちひしがれた国民に楽しみを与えようと企画された「紅白歌合戦」という番組の名称自体が「紅白音楽試合」と変えさせられたことをもってしても、破れた国の悲哀が感じられます。

 川田正子は、後年、こう言いました。

「軍歌調の他の童謡の持つ悲壮感がこの歌にはなく、明るさと楽しさに満ちている。音楽試合の一件がなくても、だれかが時代に合うように詩を変え、愛唱されたでしょう。名曲とはそういうものだと思います」

 

 本来の「紅白歌合戦」になったのは昭和26年、恒例の公開放送は昭和28年からです。

 昭和28年は、27年に国会で可決された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の改正を行い、全会一致で、戦犯とされて拘禁中に死亡した人々(刑死、未決死、獄死すべて)を「公務死」として取り扱うこととし、以後、日本に「戦犯」は一人もいなくなった年です。

 国際法を無視しており、現在ではその正当性を主張する専門家はほとんどいなくなった東京裁判の呪縛から解き放たれ、日本はやっと真の独立を回復しました。

 初めて公開された大晦日の「紅白歌合戦」は、当時の国民の心へどのように届いたのでしょうか。




2007
06.27

十三仏様のご加護5 ―弥勒菩薩―

6 弥勒菩薩のご加護

 北インドのダッコラ川の中州に精舎があった。
 木彫の本尊弥勒菩薩は十丈(約3メートル)もあり、金色に輝き、霊異あらたかなるものがあった。
 釈尊亡き後に造り、守っていたのは大阿羅漢(アラカン)マユラである。
 彼が立像した因縁である。

 ある時、マユラは思った。
「釈尊は、弥勒菩薩へ祈り兜卒(トソツ)浄土へ脱せよと説かれたが、弥勒菩薩はすでに兜卒天へ行ってしまわれた。人々はどうすればその本当のお姿を知って祈ることができるのだろう。
 そうだ、お姿を造って一体になるべく祈れば良いのだ」
 決心したマユラは神通力をもって工匠3人と共に兜卒天へ上り、3度お姿を目の当たりにしてこの像を造ったのである。
 
 兜卒天では、まず、弥勒菩薩のお声が流れた。
「私は天眼をもって三千大千世界を眺め渡し、もしも私の像を造った人々があれば、密かに青衣をまとった童子を遣わして救い、決して地獄界、餓鬼界、畜生界へ堕としめることはない
 そして、その像の導きによって彼らは兜卒天へ上られるであろう。
 お前たちは、よくぞ、釈尊の滅後、仏法の衰退し滅びようとしている時代にここへ来た」
 続いて、弥勒菩薩は虚空に光り輝くお姿を表してくださったのである。


 マユラたちの功徳は大きく、やがて仏法は遙かな東の国々へも伝わった。

 仏像は、まさにこうしてできたのでしょう。
 釈尊を慕い、その境地を目指した行者たちは、さまざまな面から境地を感得し、具体的なイメージを得たことでしょう。
 悟りは、畢竟、人格の問題です。ならば、そのイメージが崇高な人間の姿形に結晶するのは当然です。
 私たちは、たくさんのマユラたちのおかげで、先達となった行者方の聖なる体験を追体験できます。
 なんとありがたいことでしょうか。
 一体となるべく、励みたいものです。





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2007
06.26

日本の歌24 ―川の流れのように―

30 川の流れのように

   作詞:秋元康 作曲:見岳章 昭和64年美空ひばりが唄ってヒット


   

1 知らず知らず歩いてきた細く長いこの道 振り返れば遥か遠く故郷が見える

  でこぼこ道や曲がりくねった道 地図さえないそれもまた人生

  

  ああ川の流れのようにゆるやかに いくつも時代は過ぎて

  ああ川の流れのようにとめどなく 空が黄昏に染まるだけ



2 生きることは旅すること終わりのないこの道 愛する人そばに連れて夢探しながら

  雨に降られてぬかるんだ道でも いつかはまた晴れる日が来るから

  

  ああ川の流れのようにおだやかに この身をまかせていたい

  ああ川の流れのように移りゆく 季節雪どけを待ちながら



  ああ川の流れのようにおだやかに この身をまかせていたい

  ああ川の流れのようにいつまでも 青いせせらぎを聞きながら



『日本の歌百選』に選ばれた歌の多くは童謡や歌曲といったジャンルですが、これは明らかに歌謡曲です。

 全101曲を知った方々の中には違和感を感じた方もおられましょうが、やはり外せません。

 戦後の混乱期、あどけない少女は百年に一人の天才と言われる才能を余すところなく発揮し、歯を食いしばって敗戦から立ち上がろうとしている日本人を励ましました。

 傷つき、失い、疲れ、ともすれば悲観と絶望にひきずりこまれそうになる人々へ、あの天真爛漫な歌声は、確かな未来があることを約束してくれました。



 プロ歌手としての栄光は誰にも負けぬほど受けていたものの、私生活は必ずしも平穏で順風満帆なものではありませんでした。

 何があってもへこたれず立ち上がり、そのたびに歌も変化し、唄い方にも一層磨きがかかってファンを喜ばせ納得させ続けた生涯でした。

 楽々と2オクターブ以上出るであろう音域の広さ、少女のような声から男性的な声まで出せる色合の深さ、弾んでも良し流しても良しといった自在さ、それらのすべてが、超一流の「ひばり節」といったものとなって私たちを楽しませ、励ましてくれました。



 この歌は、不死鳥美空ひばり最後のヒット曲となりました。

 目から涙を溢れさせていながら歌には寸分の狂いもなく、最後は笑顔となったシーンは幾度となくテレビの画面から流れ、プロのすさまじさ、信じたものにかける人間の崇高さ、そして、私たちの思いをすくい上げてくれる聖なる優しさで、観る者を圧倒しました。

 川の流れには、いつまで眺めていても見飽きないものがあります。日本人の心に共感を呼び起こすその無常性は哀しいけれども、救いでもあります。

 私たちの心の根へそっと手を差しのべてくれるようなこの歌は、名曲と言うしかありません。




2007
06.25

インドの師弟

 気鋭の密教行者宮坂宥洪師が『インド留学僧の記』を書いています。

 故ネール首相が「ブーナはインドのオックスフォードであり、ケンブリッジである」と称したインドの都市ブーナに、バンダルカル東洋学研究所があります。
 約50年の歳月をかけて叙事詩「マハーバーラタ」と附編「ハラヴァンシャ」の校訂出版を終えた同研究所は、「サンスクリット大辞典」の印刷にとりかかっており、第4分冊を終えたところです。
 全部を印刷し終えるまで、あと100年はかかるそうです。
 インドでは、近くにあるアジャンタの石窟寺院は1000年かけて造られており、「百年は月日ではない」と言われています。

 師は、論理学と文法を学ぶための先生と定められたジャー氏から、自宅への住み込みを薦められました。
 理由は「大学で教えるだけでは時間が足りないから」というもので、夕食後に行われる個人レッスンは、休日も関係なく続けられました。
 夕食を摂らない日はないからあたりまえだとは言い切れません。
 先生は、「知識はお金には換算できない。あなたが私の説明を理解できたなら、それで私は満足だ」と謝礼を受け取りませんでした。
 皿洗いや掃除一つといえども、決して他の分野を浸さない世襲的職業分担制度であるカーストの国インドならではと言えましょうが、教育であれ、医療であれ、福祉であれ、すべてを金銭に換算しないではいられない私たちの文明を顧みざるを得ません。
「聖職」が死語になっていない国があることを知りました。さすがは釈尊の故郷です。

 ちなみに、天長5年(西暦828)、お大師様が世界に先んじて造られた綜芸種智院(シュゲイシュチイン)では、教師・生徒共に金銭とは無縁に勉学に励むことができました。
 もっとも、子供の給食代すら意図的に払わない人々が跋扈する現代日本では、〈無料〉は人々の精神をさらに荒廃させるきっかけをつくる怖れがあり、成り立ちません。

 先生は、日課として「スヴァーシタ」という聖句集を一日一句だけ暗唱するように命じました。それ以上覚えることは禁止です。
 句は和歌のようなものなので、まず読み方を教え、翌日、暗記できているのを確認した上で講義しました。
 しかも、完全に理解できていなければ新しい句へ進まなかったそうです。

 こうしたことごとを学ぶと、やはり、と心に期するものがあります。もちろん、寺子屋です。




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2007
06.23

ご加持あれこれ

 今日のご加持でも、さまざまなできごとがありました。

 仙南からわざわざ来られたZさんは、法を受けても後へ倒れず、上体が垂直になったまま微動だにしません。
 終わってからZさんが言われるには、なぜか固まってしまい、終わるころになってから首の付け根のあたりへ意識が集中し、首から両肩にかけてどっと汗が出たそうです。
 左の耳のあたりにずうっと光を感じていたとも言われます。
「どうしたんでしょうか?」

 お答えしました。
「それは、木(モク)に関しる験(シルシ)です。
 今の時期を勘案すると、潜在意識へ、何か止めたいと願うものが強く入っていたのでしょう。
 また、木を育てるようにじっくりやってみたいという目標があるから上体がまっすぐに立っていたのです。
 左横の光は大日如来様です。
 貴方が最近虚空蔵菩薩様の真言を一生懸命唱えておられるので、虚空蔵菩薩様のおられる鬼門の方向や象意だけでなく、胎蔵界大日如来様のおられる裏鬼門の方向や象意に関しても何か変化が起こるという兆しです。
 このまま、一代守本尊様の真言に集中して、しっかりやってください。
 必ず開運できましょう」

 また、ご加持を終えてゆったりした独身のPさんは、ご一族が写った古い写真を手にしながらこんな質問をされました。
「私の代で、一族の血はとぎれます。
 有名な人がテレビで血を絶やすのは罪であると言っていたので、こんなにたくさんおられるご先祖様方へ申し訳なく、とても悲しくてなりません。
 私は罪深いのでしょうか?」

 お答えしました。
「無責任な妄言に、一喜一憂してはなりません。
 有名人の言葉だから正しいと信じてはなりません。
 貴方は、過去に生きたご先祖様方はもちろん、命をつないでくれたあらゆる生きものたちの徳をも深層意識へ蓄えた結果、父母の結合を縁とし、何者かとしてこの世に生まれました。
 この世で生きた真実は、死後、さらに情報量を増やした深層意識を形成し、その結果、いつかそれを受け継いだ何者かとして、またこの世へ人間修行にやって来ることでしょう。
 こうした因果応報の真理は時空を超えて不変です。
 血に象徴的な肉体のつながりは縁の問題であり、貴方が何者であるか、そして、何者となるかということへ決定的に関わるものではありません。
 もちろん、父母なくしてこの世へ生まれる人は誰一人おらず、父母の恩を忘れてはなりません。
 それは、国家社会の恩、生きとし生けるものの恩、人生を導いてくれる師の恩、そして仏法僧の恩と並んで決しておろそかにできぬものであり、人の道の根本となるものです。
 そもそも、自分が親を選んで生まれたのですから、親が絶対の恩人であるのは当然です。
 だからといって、自分が必ず親にならなければ恩知らずになるわけではありません。
 最も大切なのは、受けた恩を忘れずまっとうに生きることであり、その他のことごとはその人なりの運勢や肉体的条件や環境などによって千差万別です。
 子供をつくった人は血をつないだから正しいとされ、子供をつくらない人は非難されるなどということは、断じてあってはなりません。

 貴方は恩を忘れず、まっとうに生きればよろしい。誰であれ、それ以上の恩返しはできないのです」


2007
06.23

恩人の遺詠集

 昨年逝かれた大恩人Yさんの遺詠集『道はるかなれど』が届きました。

 作家吉村昭氏は『未完の作品』にこう書きました。

「小説家は死ぬと、ぽつんと未完の作品が一つ残る。作者は、当然、完結を夢みて筆を進めるが、死とともに断たれ、それは永遠に未完のままに残される」

 しかし、作家ならぬYさんにとって、短歌を一句詠むのは一日を生きたことに近かったのではないかと思えます。

 短歌と川柳を合わせてご自身の歌を「短柳」と称していたYさんを偲び、その数句を書き留めておきます。



 どうだんの若芽やさしき色あいは春のいぶきを我に告げ笑む



 菩提樹の緑も今は薄化粧呼びかけてくる我に唄えと



 孫が言う「ウルトラマンにはなれない」と「医者になってね」我は願いて



 プラタナス葉っぱを大きく揺らしては「強く生きよ」と呼びかけてくれ



 雪が降るしんしんしんと降り続く故郷静か冬本番か



 我が短歌にけだけきものは無かれども心を詠んで哀しさ紛らす



 不思議さよアロエがだめになっていく水のやりすぎ中庸むずかし



 西日さす大森見ればゆう然と何も語らず静かに立ちて

  ※「大森」は、「法楽の苑」をも見守る七つ森の最高峰大森山です。

 雪の中太陽照りて雲流れ佳き日であれと祈り空見ゆ



 雨降りて尚なくセミの声あわれ命短し己を知るや




2007
06.21

日本の歌23 ―からたちの花―

29 からたちの花

   作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 大正12年「赤い鳥」に発表

   14年作曲され、オペラ歌手藤原義江が唄った


   

1 からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ

  からたちの棘はいたいよ 青い青いはりの棘だよ



2 からたちははたの垣根よ いつもいつも通る道だよ

  からたちも秋は実るよ まろいまろい金のたまだよ



3 からたちのそばで泣いたよ みんなみんな優しかったよ

  からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ



 普通、詩は詩人の体験などから生み出されるものですが、この歌は、作曲した山田耕筰の生い立ちを聞いた北原白秋が、自分の生家にあったからたちの花を思い出しながら作りました。

 

 明治19年に生まれた山田耕筰は、10歳の時、医師で伝道者だった父親が他界したため、巣鴨の印刷工場へ奉公に出されました。

 強い人間に育って欲しいと願った母親は、病気以外で家へ帰ってはならぬと言い聞かせました。

 工場の労働条件は酷く、約束だった夜学へはほとんど通わせてもらえず、朝から晩までこき使われる毎日でした。

 食事も乏しいもので、秋にはからたちの実を摘んで食べたこともありました。

 頑張り抜こうとした山田耕筰は13歳で身体を壊し、ついに母親の元へ帰りました。



 北原白秋が作った短い詩には、山田耕筰の思いが凝縮されています。

「青い青いはりの棘」は、厳しく辛い環境です。

「まろいまろい金のたま」は、空腹を満たす自然からの贈り物です。

「泣いたよ」は、からたちの垣根に隠れて密かに涙を流した思い出です。

 そして、「みんなみんな優しかったよ」は、大病を患って生死の境を彷徨った人間にもたらされた、すべてを赦す大きな心です。

「泣いたよ」に「みんなみんな優しかったよ」が続くとは、何という流れでしょうか。

 おそらくは、山田耕筰のそうした心の昇華をはっきりとつかんだ北原白秋が乾坤一擲で作った一節でありましょう。



 詩が発表されたのは山田耕筰が37歳の時、そして彼は39歳になってから曲をつけました。

 詩は一番二番三番となっていますが、曲は全部を通した一曲になっています。

 4分の2拍子と4分の3拍子が代わる代わる現れ、ト長調ですがトで終わるのは最後だけ、それも高いトで、PPP(ピアニッシッシモ)にフェルマータ(適当に長く伸ばす記号)がついているという繊細さです。

 特に、「まろいまろい」がピアノで始まってフォルテとなり、「たまだよ」までの間にピアニシモまで抑え、さらに「からたちのそばで泣いたよ」がピアニッシッシモになっているあたりは圧巻です。

 最後の「からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ」は、ピアノからピアニッシッシモまでどんどん弱くなり、「よ」は消え入るようなイメージです。



 日本人でなければ、作り得なかったのではないでしょうか。

 文字通り不朽の名作と言うべきです。





2007
06.21

文月の俳句

 信徒総代鈴木悦子さん(仙台市太白区在住)の俳句です。

 鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって投稿しておられます。

(掲載が一ヶ月遅れになる場合があります)



走り梅雨豆腐屋ねぎ売られをり



打水や狭庭に息つく夕茜



ここだけの話にしてとエゴの花



エゴの花旅も良いけと家か好き





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2007
06.20

お堂が立派に荘厳される理由

 当山が目標としている寺子屋機能を含む伽藍の造営計画につき、ある方から「立派なお堂はなぜ必要なのですか?」と質問がありました。

 僧侶が堂宇を必要とする理由は二つあります。一つは社会的な理由、一つは個人的な理由です。

 

1  「何もなくたって心があれば」という決まり文句には相当の意義があり、特に困窮にあってはそこが最後の救いともなるわけですが、常にその考え方が一番というわけではありません。

 六根(ロッコン)を通じて心へ入る情報が心を作るからです。

 

 私たちの心は、いのちと共に授かるみ仏の心である霊性と、生まれ持った深い海のようなアラヤ識と、生きて溜め続ける経験によっていつしか作られるマナ識と、自分という感覚を伴う表面的な意識との四層になっています。

 霊性は核であり、アラヤ識は一生変化しないので、自分で運命を創るにはマナ識へ何を入れるかが決め手となります。

 情報は、眼・耳・鼻・舌・皮膚・意識を縁として溜め込まれます。

 たとえば、料理に関心があったり飲食に関係の深い環境に囲まれたりしている人には、見たり聞いたり食べたりしているうちに料理に関する情報がたくさん集まります。

 そして、知らぬ間に料理が人生を潤し、生活のキーポイントとなり、場合によっては人生丸のエンジンともなります。

 こうして、見聞きするものが人生を創るのです。



 だから、み仏は、み仏にふさわしい祀られ方をし、寺院を訪れる人が、より確かにみ仏の世界を感得できるようにせねばなりません。

 個人的な信仰ならともかく、公器である寺院にあっては、お堂を荘厳し、経典や真言を読誦し、お線香や花を捧げ、ご供物をご縁の方々と共にいただき、数珠を持って合掌し、み仏を観想して、経典に説かれる世界が現出されねばなりません。

 そして、より多くの方々に「心の核」であるみ仏の心を動かす機会としていただくのが、寺院の使命です。

 

2  以上が対社会的な理由ですが、み仏を信じる一個人としての理由もあります。

 生きている者も冥土にある御霊も、み仏のお慈悲があればこそ光明世界へと導かれるのであり、み仏をその徳なりに荘厳しないではいられません。

 たとえば武将が、お殿様からもらった陣羽織を粗末にできましょうか。

 たとえば野球少年が、憧れのイチロー選手からもらったボールをきちんと飾らないでいられましょうか。

 み仏のおわします仏国土は、経典に説かれています。そのイメージを心に描くだけでなく形あるものにしたいと願うのは、仏弟子にとってあまりにも当然なことです。

 公器である寺院は、守る仏弟子の思いを表現するものでもあります。

 

3  ただし、いかにお堂を立派に荘厳しても、供養の心が伴わなければ「仏作って魂入れず」になってしまいます。

 み仏を供養する心がいかにあるべきかは、経典で明確に説かれています。

 小乗仏教の「十住毘婆娑論(ジュウジュウビバシャロン)」です。



「もし人ありて、香華等をもって仏に供養するも、仏に供養すとは名づけない。もしよく一心に不放逸にして親近し、聖道を修習せば、これを諸仏を供養し、恭敬すとなづく」



 大乗仏教においても、み仏の供養法を説きます。



「天王まさに知るべし。諸々の仏世尊を供養せんと欲する者は、まさに三宝を修すべし。一つには菩提心(ボダイシン)を発し、二つには正法を護持し、三つには教えのごとく修行するなり。天王まさに知るべし。もしよくこの三法を修するものは、すなわち、名づけて真の仏を供養すとなすことを得」 



 要は、仏弟子とはみ仏を供養する者であり、供養とは、悟りを求め、教えを実践することが一番であるということです。

 それは、イチロー選手からもらったボールを大切にしている野球少年にとっては、その少年なりに野球に打ち込んだり、スポーツマンシップに導かれたりすることに勝る恩返しはないのと同じです。

 

4  きちんと飾られているボールは、そうした心を支えます。

 プロ野球の選手たちが、恵まれない子どもたちや障害を負った子どもたちを試合に招き、記念の品を渡して励ますのは、スポーツマンならではの功徳を分け合うすばらしい行為です。

 こうして、形あるものと形のない心とは、相響き合って功徳を生み、功徳を確かなものにします。

 寺院もそうありたいと願い、伽藍の造営を願っています。



※当山は、ご縁の方々へ「幾らづつ」というお布施依頼を決して行いません。もちろん、営利事業も行いません。

 あくまでも、当山の理想に共鳴してくださる方々のお心のままの尊いご喜捨によって希望を実現したいと願い、法務に勤しんでいます。





2007
06.19

十三仏様のご加護4 ―地蔵菩薩―

5 地蔵菩薩のご加護

「礦石集」に残っている話である。

 高野山の浄真院で住職を務める叡澄(エイチョウ)が、享保5年の春、一宇のお堂を造営しようとした。
 大和吉野郡宮瀧村(ヤマトヨシノゴオリミヤタキムラ)の住人が3寸の地蔵菩薩を持参して言った。
「この像は昔から我が家に伝わる火除け地蔵で、弘法大師の作と聞いている。
 霊験あらたかな方なのに、貧しく、毎日食べるのに精一杯なので、どうしても供養がおろそかになってしまう。
 ぜひ、朝に夕に供養してくださる方へお譲りしたい」
 
 謹んで預かることにした叡澄が仏壇へ安置して3日後の夜半、火事だ!との声を耳にして寺中の人たちを呼び起こして火事の起こった場所を探させた。
 ところがどこにも見つからず、人々は造営の疲れで叡澄に妄想が起こったのだろうと考え、寝てしまった。
 叡澄は心配でたまらず、人気のない材木小屋の周囲まで点検していたところ、部屋の隅に積もった鋸屑がまさに燃え上がるところだった。
 すぐに人々を集めて消したため、大事に至らないで済んだ。
 地蔵菩薩のお告げと確信した叡澄はますます信仰深くなり、終生、深く供養をしたという。

 お地蔵様は身近に感じられる方ですが、とても重要な任務を背負っておられます。
 それは、釈尊が入滅されてから56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世へ現れて最後の一人をも救い尽くすまでの長い間、私たちの善願をかなえつつ見守ってくださる方だからです。
 釈尊の言葉です。

「善きかな、善きかな。お前は真の善なる者である。
 我滅した後、来るべき悪しき世の生きとし生けるものをお前に託す」

 
 密教のご加持では、地蔵菩薩の秘法を用います。
 経典に「心が大地のように不動であり決して壊れぬがゆえに地蔵と名付ける」とあるとおり大地の徳をもってお救いくださる法は欠かせません。
 心してご供養しましょう。





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2007
06.18

日本の歌22 ―かもめの水平さん―

28 かもめの水平さん

   作詞:武内俊子 作曲 河村光陽 昭和12年


   

1 かもめの水兵さん ならんだ水兵さん

  白い帽子 白いシャツ 白い服

  波にチャップ チャップ うかんでる



2 かもめの水兵さん かけあし水兵さん

  白い帽子 白いシャツ 白い服

  波をチャップ チャップ 越えてゆく



3 かもめの水兵さん ずぶぬれ水兵さん

  白い帽子 白いシャツ 白い服

  波でチャップ チャップ おせんたく



4 かもめの水兵さん なかよし水兵さん

  白い帽子 白いシャツ 白い服

  波にチャップ チャップ 揺れている



 まだラジオの時代だった頃、聖なるものを含んだ澄んで愛らしい少女の声は一世を風靡した。

 水平さんの服とカモメは白く、海と空は青く、からりと晴れわたった単純な世界のイメージは、犯すべからざるものを感じさせた。

 作詞家武内俊子が、夕暮れを迎える秋の波止場で詠んだとはとても思えない。

 眼前の光景に触発されて、見えるものの本質的なあり方をとらえ、見えていない世界がありありと脳裏に浮かんだであろうプロの感性に、ほとほと関心してしまう。

 海の青とカモメの白の組み合わせが活き活きして楽しいのは、夏の白昼においてしか考えられないからである。




2007
06.17

十三仏様のご加護3 ―普賢菩薩―

4 普賢菩薩のご加護

 秦の安義は、鷹匠として数多くの鳥を捕ってなりわいとしていた。
 いくら殺生をしても平気であると懺悔や感謝の心を持たずに暮らし、58歳になった年、急に瘡病にかかり、全身から血膿が流れるありさまとなった。
 妻が日の出の光で瘡を見、雉のくちばしにそっくりであることに驚いた。親族たちも皆、口々にそう言う。よく見ると、くちばしが動くようである。

 急いで呼ばれた道俊法師は「これは雉たちを殺生した報いである。懺悔せねば救いがたい」と断じ、安義へ容態を尋ねた。
 安義は「心も体もうごめいて止まらない。眼を閉じれば、無数の鳥獣が私の骨肉を喰らう夢ばかりを見る。何とか助けて欲しい」と答えた。
 道俊法師が、普賢菩薩の像を造って懺悔の祈りをするしかないと教える間もなく、安義は気を失ってしまった。

 親族の造った普賢菩薩へ道俊法師が懺悔の修法をして3日後、安義は目覚めて述べた。
「閻魔王から、非情に殺された者たちの訴えによってお前をここへ連れてきたと告げられ、火車へ入れられて地獄に堕ちそうになった。たくさんの鳥獣類が縛りに来た。
 そこへ修行僧が現れたので、閻魔王は礼を尽くして迎えた。
 修行僧が言うには、安義は私の檀家である。親族たちは私の像を造って安義のために祈っている。救って欲しい。

 王は、申し出には従うが、殺された者たちのことはどうなるのであろうかと訊ねた。
 修行僧から、人間は懺悔を知っている。その回向(エコウ…功徳を回し向けること)の力は殺された者たちの怨みを解消して苦を脱せしめるであろうと告げられ、閻魔王は帰還を許した。
 修行僧は、錫杖で我が家の戸を開けたと見る間もなく消えてしまった」

 親族から普賢菩薩のことを聞いた安義は体力気力が戻り、ついに瘡病を克服した。
 剃髪して出家した安義は家族子孫へ戒めた。
「雷や露のごとく、いのちは儚い。つかの間のいのちなのに、罪科を犯すのは愚かである。
 たとえわずかな殺生であっても、その罪は大きな災いを招く。

 あの世の報いは確かである。
 このことを、決して忘れてはならない」

 普賢菩薩様は、悟りへの道筋を教えてお救いくださる方であり、飛ぶ者を救う方でもあります。
 懺悔、回向を忘れぬようにしたいものです。
 安義が数え年59歳で前厄。それまでの人生で積み重ねたものが明らかな形をとる運勢にあったことも押さえておきましょう。





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2007
06.16

祇園精舎で説かれたもの

「平家物語」は、かの有名な一節で始まります。



祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹(サラソウジュ)の花の色

盛者必衰の理(コトワリ)をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ

偏(ヒトエ)に風の前の塵に同じ





(祇園精舎から流れ来る鐘の音には

すべては過ぎゆき、永遠に続くものは何もないと説くような響きがある

樹木の根元へ雪が積もるかのように落ちる沙羅双樹の花の姿は

いかに盛んに栄えるものであれいつかは必ず滅び去るという無常の理を教えるかのようである

権勢を誇った人々も永久に栄華を保つことはできない

儚く淡い春の夢のようにそうした日々は去って行く

いかなる強者もついには滅びるのである

その頼りなきことは風の前にある塵と同じである)



 釈尊は、人心が荒廃し始めた都市部で、特に熱心に教えを説かれました。

 コーサラ国の首都シュラーヴァスティーにおいては、パセナーディ王をはじめたくさんの人々が精舎(道場)を寄進し、説法に耳をかたむけました。

 それから千年以上も後の日本人には「諸行無常」が強く感じとられたようですが、祇園精舎で実際に説かれた釈尊の教えには、〈灯明を消す〉ようなものではなく、むしろ、〈灯明の炎を浄めつつしっかりと燃やす〉といったイメージがあります。

 精進を勧めて余すところのない『一夜賢者の偈(ゲ)』を書いておきます。



過ぎ去れるを追うことなかれ。

いまだ来たらざるを念(オモ)うことなかれ。



過去、そはすでに捨てられたり。

未来、そはいまだ到らざるなり。

されば、ただ現在するところのものを、そのところにおいてよく観察すべし。

揺らぐことなく、

動ずることなく、

そを見きわめ、そを実践すべし。



ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。

たれか明日死のあるを知らんや。

まことにかの死の大軍と、遇わずと言うのはあることなし。



よくかくのごとく見極めたるものは、心をこめ昼夜怠ることなく実践せん。

かくのごときを一夜賢者といい、また、心しずまれる者とはいうなり。 





2007
06.14

道理と信

 6月13日のNHK講座で、「本当の仏教は何か、どう活かされるべきか」の議論になりました。
 皆さんから活発なご意見があり、とても勉強になりましたが、私は、ポイントを二つお話しました。
 それは、
「仏法はあくまでも道理を説くものであって理性で理解できるが、信じるということを離れては道理を活かせない」
ということです。

 6月7日、「十善戒の歌 ―不邪見(フジャケン)―」の稿で、以下のように書きました。

 仏法における正しい見解は以下のとおりです。

1 原因には必ず結果が伴う。
2 因果応報の理は真理であり、その連鎖は、無限の過去から、無限の未来まで続いている。
3 無明煩悩がありまだ未完成な人間は、原因と結果の糸をすべて確認することは不可能である。
4 善行の結果が、いつどのような形であれ必ず出ると信じて善行にいそしみ、悪行の結果が、いつどのような形であれ必ず出ると信じて悪行は行わない。

 仏法の入り口はここしかありません。
 ここから入って初めて、「如実知自心(ニョジツチジシン…自分自身の心の実相を正しく知る)」が可能になります。
 自心とは心の全体であり、『大日経』は、「心は内に在らず、外に在らず」と説いています。


 ここに仏法の構造が端的に表れています。
〈1〉と〈2〉と〈3〉は、道理の問題です。
 そして、〈4〉が、信の問題です。
〈4〉がなければ、「わかっちゃいるけどやめられない」と無明の泥沼でもがくしかありません。地位も名誉も財産も健康も、砂上の楼閣です。
 そして、信をもたらすものが自分の力としての「教えの実践」であり、み仏の力をいただく「ご祈祷」や「ご加持」であり、周囲の縁への「感謝」です。
 これを、目的を達成するための三つの力「三力」と言います。

 最近、般若心経が注目を集めているようですが、書店の店頭でざっと斜め読みをしてみると、評論家や医者などプロ以外の方々の書かれたものはともかく、袈裟衣を付けた方々の書かれたものでも、「信じて、行って、得た」と感じられる文章にはなかなかお目にかかれません。
 哲学であったり、文学であったり、科学であったり、だれしもが抱くその方なりの人生観であったりします。

 例えば、有名な「色即是空(シキソクゼクウ)」です。

1 自分は、厳然としてここに居る。
2 正しい方法で自分の存在をつきつめれば、居るのは確かなのに、実体はつかめないことが解る。
3 さらにつきつめて別次元を感得するに至れば、自分は明らかに居ることが新たにわかる。
4 般若心経は、末尾の真言を真剣に唱えれば、この真理をつかみ、み仏によるご加護の世界へ入られると説くものである。

 こうした単純で、重要で、そうしか読めないものが、そのとおりに書かれていません。
 なぜか、いわば薬の効能書きのような文章の「説明」や「感想」だけで、肝心の薬である真言が脇へ置かれています。
 すなおな信とは、実に難しいものです。

 仏法は、娑婆の次元だけでは解決できない問題を、別次元の力もいただいて解決する方法を明確に説いています。
 それは、決して超能力などの話ではなく、「道理と信」によってどなたへももたらされるみ仏のお約束であることを知っていただきたいと願っています。
 すなおな信と実践によってのみ、仏法は真に生きたものとなることでしょう。

※経典に導かれるには、一字一句を解釈したり暗唱したりするよりも、その中へ入ることが肝要です。
 当山では、救いを求める方々へ、正しい読誦法と共に、適切な読み下し文の読誦もお勧めしています。
 正しい姿勢は身体がみ仏になる道であり、正しく読誦することは言葉がみ仏になる道であり、正しくイメージすることは心がみ仏になる道だからです。




2007
06.13

日本の歌21 ―肩たたき―

27 肩たたき

   作詞:西條八十 作曲 中山晋平 大正12年、詩は「幼年の友」へ、同年、曲となって「童謡小曲第五集」(中山晋平作曲集)へ


   

1 母さん お肩をたたきましょう タントン タントン タントントン



2 母さん しらががありますね タントン タントン タントントン



3 お縁側には日がいっぱい タントン タントン タントントン



4 真赤なけしが笑ってる タントン タントン タントントン



5 母さん そんなにいい気持ち タントン タントン タントントン



 これはまだ小さな子供と、若くして苦労している母親の情景だろう。

 一見何でもなさそうな詩だが、実に巧みに作られている。

 

 まず、子供が母親の肩をたたいてやりたいなと思う。

 何かきっかけがあったのだろう。母親はそれほどのことでもないと思っている些細なできごとだったのかも知れない。

 そして、すばやく後へ廻った子供は、白髪に眼を奪われる。

 もう白髪があるのか―――と、母親の「受けているもの」や「背負っているもの」にボンヤリと心が動く。背中に廻って初めて解ったのだ。

 しばらくして、母親の肩越しに縁側を見ると、夏の日盛りである。

 その先には真っ赤な芥子の花がある。

 芥子の赤色にはどこか清楚な趣があり、母親のイメージにだぶる。

 陽光の明るさに包まれたこともあって嬉しさが満ちてくる子供の心は、芥子が笑いかけて来ると感じている。



 僧になる子のうつくしやけしの花  一茶



 この一句は、芥子の赤色へ娑婆の心を移し込んで別世界へ向かう子供の健気さと、清浄な世界を目指す子供へ手向けるにふさわしい花としての芥子、両方が詠まれているのではなかろうか。

 同じ赤でも、バラやハイビスカスのそれとは明らかに違うのである。

 

 嬉しさでいっぱいになった子供は、母親の嬉しさにも気づく。「いい気持」は、母子が共有している。

 ここまでにまとまった時間が流れており、もしかしたら、母親がありがとうと言ったのかも知れない。



 西條八十は子供の心になり切ってこの作品を作った。

 プロの仕事である。




2007
06.12

行き着いた人々 ―松尾芭蕉と大西瀧治郎―

 松尾芭蕉の連句『炭俵、梅が香の巻』にある傑作です。



方々に十夜のうちのかねの音   芭蕉

 桐の木高く月さゆるなり    野坡

門しめてだまってねたる面白さ  芭蕉




「十夜」とは、当時流行していた阿弥陀の浄土へ成仏しようとする法要で、十日十夜にわたって念仏を行うものです。

 厳寒の夜、この法要で打ち鳴らす鐘の音だけが聞こえてくるという一句は、夜の静けさが示す広大な天地の中で懸命に行われる人間たちの営みの哀しさや健気さが感じられます。

 桐の木の上高く皓々と照る月は、自然と町をまるごと包み込んでいます。

 そして、芭蕉はそうした世界をすっかり観た上で、鐘の音からも月光からも離れて家へ入り、門と雨戸を閉めて寝てしまいます。

 すべては「面白さ」へ結晶しています。

 

 願いの渦へ入らず、月光の興趣にも融けこまず、世界の精髄をちゃんとつかんではいるもののそれに惹かれるでなく、そうかといって投げ捨てるでもなく、たた寝てしまうというのは、やはり、「到達している」のでしょう。



 太平洋戦争敗戦の翌日、特攻隊を指揮した大西瀧治郎は自決しました。

 遺書です。



 特攻隊の英霊に曰す。善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。



 次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り、自重忍苦するの戒とならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ。



瀧治郎より淑恵殿(※奥さんです)へ

一、家系其の他家事一切は、淑恵の所信に一任す。淑恵を全幅信頼するものなるを以て、近親者は同人の意志を尊重するを要す。

二、安逸を貪ることなく世の為人の為につくし天寿を全うせよ。

三、大西本家との親睦を持続せよ。但し必ずしも大西の家系より後継者を入るるの要なし。



 之でよし百万年の仮寝かな


 

 この「百万年の仮寝」にも、ずうっと心へしみ込んで来て黙らせてしまうとてつもない力があります。

 量りきれないほどの心の涙と、いくら歯をくいしばっても足りぬほどの慟哭とを積みに積んだ人間に与えられた「解放の次元」があります。

 

 芭蕉は「軽み」を目指して苦闘し、大西瀧次郎は国難がそのまま自分の艱難辛苦となって苦闘し、真っ向勝負を逃げなかった結果、共に「行き着いた」のでしょう。

 み仏の救いとしか思えません。




2007
06.11

涙が連れて行く先は

 伴侶を失ったご婦人が、人生相談へ来られました。

 菩提(ボダイ)を弔う方法などにいろいろと問題があって、しきりに泣いておられます。

「涙をたくさん流した人は下へ堕ちて、極楽へは行けないと聞きましたが、苦労した主人同様、私も死後にまで苦しみが待っているのでしょうか?」

 

 お答えしました。

「それは誤りです。

 み仏の子である私たちに、そんな無慈悲な成り行きが待っているはずはありません。

 そうかといって、四苦八苦の宿命を負った私たちに、『悲しみや、辛さや、寂しさなどはすべて〈不の心〉だから、さあ、楽しみましょう、楽にやりましょう、いつも笑顔を絶やさぬようにしましょう』などという単純なプラス指向だけで生きられる人生もありはしません。

 

 なぜ、人生にはあたかも伴走者のように涙が伴うのか?

 それは、他者の悲しみや、辛さや、寂しさを知るためです。


 人間に与えられた霊性の根本は慈悲心であり、その輝きは、自らが涙し、他者の涙を知ることにより、我(ガ)なる覆いを突き破る力を持ち得ます。

 他者の涙をよく知っている人が、人を殺し、盗み、謀り、貪るはずはありません。

 この峠を乗り越えたならば、貴女はきっと観音様やお地蔵様のようなお心が強くなりましょう。

 ここへ足を運ばれた以上、これからの貴女は、守本尊様がそばにいてくださることをはっきりと感じる機会が増えます。

 そして、涙するどなたかへ心を寄り添わせ、どなたかの観音様やお地蔵様になれるはずです。



 ある方が、傷ついたハトを見つけて家へ入れて何日か手当をしているうちに、時折、伴侶らしいハトが近くをウロウロしているのに気づかれたそうです。

 傷が癒え、放してやったら、二羽で仲良く飛び去りました。

 その後、しばしば揃ってそのお宅を訪れるようになりましたが、ある日を境に、一羽しか来なくなりました。

 きっと事故か何かがあったのでしょう。

 残された一羽はずうっと訪れているそうです。



 こうして、鳥さえも、寄り添います。

 私たちは、寄り添う心を大切にしたいものです。

 貴女の涙は、その心を育てる清浄な水ですから、どうぞ、恐れることなく歩んでください」




2007
06.10

魚の移動予定を中止します

 雨で池の周囲がぬかっておりますので、本日の「魚の移動」は中止します。

 それにしても、早朝の雨は実に佳い雨でした。

 潤いの後に来る陽光が楽しみです。




2007
06.09

日本の歌 20 ―かあさんの歌―

25 かあさんの歌

   作詞:作曲 窪田 聡 昭和33年


   

1 母さんが夜なべをして手袋編んでくれた 木枯し吹いちゃ冷たかろうて

  せっせと編んだだよ 故郷の便りはとどく いろりの匂いがした



2 母さんが麻糸つむぐ一日つむぐ お父は土間でわら打ち仕事

  お前もがんばれよ 故郷の冬はさびしい せめてラジオ聞かせたい



3 母さんのあかぎれ痛い生みそをすりこむ 根雪もとけりゃもうすぐ春だぞ

  畠も待ってるよ 小川のせせらぎが聞える 懐しさか泌み通る



 早熟な文学青年だった窪田聡は開成高校から早大文学部へ進み、すぐに製薬会社へ就職し、共産党員になった。

 やがて職を転々としながら「うたごえ運動」を初めとする思想活動に没頭するようになり、尋常高等小学校しか出ていない両親の期待を裏切っていたが、いつしか、隠れ家へ母親からの差し入れが届くようになった。

 昭和31年、反抗心から一度も母さんと呼んだことのない彼は、万感の思いを込めて「かあさんの歌」を作った。

 

 親の期待通りに生きる子供はそう多くないが、期待する心に違わず生きる子供は少なくなかろう。この成り行きもそうである。

 窪田聡の両親は、勉強してもらいたいと期待していたが、それは人間として自分を磨きまっとうに生きて欲しいとの心だったはずである。

 彼は、学校の勉強を遙かに超えた勉強をし、まっとうに生きた。

 この場合の勉強とは、自分の運命を創り社会を創り上げて行く活きた力を身につけることである。

 89歳で帰らぬ人になった母を送る葬儀ではこの歌が流れ、棺には歌集が納められた。

 彼は自分をこう評している。

「鈍行列車の硬いイスに座って、きちんと生きてきた」

 しかし、「きちんと生きてきた」のは、そもそも母親ではなかろうか。

 夜なべをして手袋編む母親、麻糸つむぐ母親、あかぎれへ生みそすりこむ母親は、確かに鈍行列車の硬いイスに座り続けた。

 その息子であればこそ、信念に生き、この歌を作り得たのに違いない。



 思えば、日本における会社(職場)と社員(はたらく者)の関係も、このようなものではなかったろうか。

 初めは会社が母である。社員を護り、育ててくれる。社員は、会社を信じ、会社によって生きる糧を与えられる。

 恩に感謝しつつ成長した社員は、やがて母なる会社を護る立場になる。責任が重くなれば、会社のためにすべてをかける。母の心で会社を護るのである。

 母たる心を持った幹部のいる会社は安泰であり、伸びられる。



 あるいは、政治家と選挙区も似たような関係だったはずである。

 政治家は母たる選挙民に支えられ、当選し、だんだん政治力を増す。選挙区は母胎である。

 力がつけば、文字通り、すべてをかけて選挙民を護られる人になる。「なければならぬ人」「安心して任せられる人」「選挙民を護り選挙区を育てる人」つまり母になる。

 母たる心を持った政治家のいる地域は安泰であり、発展がもたらされる。



 確かに、会社と社員の関係、選挙民と政治家の関係がどうなっているかを考えると、現実は眼を覆いたくなる様相を呈しているが、母のない子はいないし、母の恩を忘れたならば、もはや人間ではない。

 人間が人間である限り、母のイメージはなくなりはしない。

 母のイメージこそが慈悲である。慈悲を本体とするみ仏は、いかなる場合も私たちを護り、育てる。

 父のイメージこそが智慧である。智慧を本体とするみ仏は、いかなる場合も私たちへ道を示し、導く。

 

 母と父のイメージ、つまり、み仏をしっかりと心へ写し出すのが観想である。

 観想が正しく行われ、それに素直になれれば、人間はまっとうな人間として、慈悲と智慧に生きられる。

 経済活動であれ、政治活動であれ、それが潤いを保ち、人間が人間らしい生き方のできる環境をもたらすことができるかどうかは、一人一人の心にかかっている。

 高任和夫氏が『エンデの島』に書いたように、本来、「経済は愛の領域」である。

「かあさんの歌」を忘れず、思い出したり唄ったりする時に満ちてくる潤いを大切にしたいものである。





2007
06.08

何が一番大切か ―福沢朗アナウンサーと仁坂吉伸知事―

 TBS系情報番組「ピンポン!」の担当者が、高校生ゴルファー石川遼君の取材で問題を起こした件につき、同番組の司会をしている福沢朗アナウンサーが涙の謝罪をしました。

 新聞報道によると、ほとんどアドリブで自分の気持を視聴者へ訴えたという要旨は以下のとおりです。



「石川遼選手を初め選手の方々、主催者や関係者の方々へ心からお詫びします。

 スポーツにルールがあるのと同じく、取材にもルールがあります。

 明らかにルールを逸脱している当番組の暴挙に、恥ずかしくてなりません。

 当番組の総合司会者である私は総合責任者でもあり、自分の処分、身の振り方、責任の取り方などを考えています。

 時期が来たならあらためて説明させていただきます。

 日本ゴルフ界の宝である石川遼選手は、皆で守らねばなりません。

 申し訳ありませんでした」



 実際にテレビを観てはいませんが、隠しようのない心をあからさまに伝える写真と記事で、彼の高潔さは理解できました。

 おそらくは彼自身が周囲から責任追及をされてはいないだろう段階で、ただちに謝罪し自ら責任をとると明言したのは、当然でありながら、今の風潮にあっては快挙と言いたくなるできごとでした。

 おざなりな反省ではなく見事に懺悔をした以上、減給などの形式的な処分で“逃れ”ようとせず、それなりの見苦しくない結末を見せてくれることでしょう。

 

 福祉事業者としてあるまじき行動が明らかになった「コムスン」が、「日本シルバーサービス」へ事業譲渡して生き延びようとした件につき、厚生労働省が法的に譲渡を拒否できない可能性がある中で、和歌山県の仁坂吉伸知事は、実質的に譲渡を認めない方針を示しました。

「厚生労働省が認めるとしても、県では新しい子会社が更新を申請してきても認めない」と明言し、理由も端的に述べました。

「法の制裁を逃れようと考える人間が、福祉事業に手を出しているのはおかしい」

 法にかなっていさえすれば何でもやれる、違法とされていないことをやって何が悪い、といった善悪を無視する無頼漢や無頼な組織や無頼な企業が横行する中で、裁判になればどうなるか不明瞭なところまで踏み込んで、倫理的にはっきりしている「社会悪」は許さないとした知事の対応は見事です。



 そもそも、企業の売買が儲けを目的として行われること自体、異様です。

 企業はモノではありません。

 創業から現在に至るまで関係した人々が理想を持ち、知恵を結集し、汗を流し、そして共に生きる糧を得てきたかけがえのない「場」です。

 そうした場が生む利益と大切に保持してきた資産を横取りしようと、まったく関係のない第三者が「場」を根こそぎ買うことは、社会正義にかなっていると言えましょうか。

 今回、コムスンは、企業をモノとして扱える法制を利用しようしようとし、知事に拒否されています。

 資金にものを言わせる横取りが国境を越えて横行し、教育、医療、福祉といった分野までを利益至上主義であり弱肉強食思想である自由競争の中に放り出している社会のありようが問われるきっかけになって欲しいものです。



 福沢朗アナウンサーと仁坂吉伸知事の言動は、人間と社会にとって何が一番大切かを考えさせてくれました。




2007
06.07

映画『きけ、わだつみの声』鑑賞会

 下記の要領で映画鑑賞会を開催しますので、ふるってご参加ください。



映画  きけ、わだつみの声 

      制作…1950年

      監督…関川秀雄

      出演…伊豆肇、沼田曜一、杉村春子、原保美、河野秋武

日時  平成19年7月27日(金) 午後6時開場

場所  仙台青年文化センターエッグホール

      仙台市青葉区旭ヶ丘3ー27-5

      ?022ー276-2110

参加費 1000円(『法楽の会』会員、『親輪会』会員は500円)

次第  午後6時 開場

     午後6時10分 上映開始

     午後8時 和室へ移動…おにぎりとジュースで休憩

     午後8時10分 講演開始

        弁護士犬飼健郎氏『憲法9条を見つめなおす』

        カンボジア留学生支援者熊谷千枝子氏『カンボジアと私』

     午後9時 解散

申込  大師山法楽寺へ…電話、ファクス、メール何でも結構です



(それぞれのご都合により、途中でお帰りいただいても結構です)




2007
06.07

新しい池へ魚を移動します

 おかげさまにて、新しい池が完成しました。

 以下の予定で、堀から魚を移動しますので、お手伝いいただける方は、どうぞよろしくお願いします。



日時  6月10日 午前11時より、午後2時頃まで

昼食  お弁当を用意します。












2007
06.07

十善戒の歌11 ―不邪見(フジャケン)―

みにかげの はなれぬがごと よしあしの わざのおしへの なかるべしやは


(身に影の 離れぬがごと 善し悪しの 業の教えの 無かるべしやは)

 邪見とは、邪(ヨコシマ)な見解です。
 ここで言う邪は善悪の悪とはちょっと異なり、道理に反すること、あるいは道理を無視することを指します。
 その最たるものが「善因善果、悪因悪果」の因果応報を信じない気まま勝手な考え方です。
 邪見にとらわれているうちは、仏縁が結べません。

 たとえば、「バレなければ良い」といった考え方をしていれば、たやすく殺し、盗み、嘘を言うようになります。
 あるいは、「この世は、所詮、運次第さ」といった考え方をしていれば、正しい見解に基づいた正しい目的のために正しい手段を考え、精進し、結果に責任を持つといったまっとうな生き方ができなくなります。

 その反対に、「この世に起こるできごとは、皆、宿命付けられている」といった考え方をしていれば、因果の糸を結ぶ力が弱くなって真の創造力がはたらかず、都合の悪いことは自分でなく他のせいにしてしまう生き方になります。

 仏法における正しい見解は以下のとおりです。

1 原因には必ず結果が伴う。
2 因果応報の理は真理であり、その連鎖は、無限の過去から、無限の未来まで続いている。
3 無明煩悩がありまだ未完成な人間は、原因と結果の糸をすべて確認することは不可能である。
4 善行の結果が、いつどのような形であれ必ず出ると信じて善行にいそしみ、悪行の結果が、いつどのような形であれ必ず出ると信じて悪行は行わない。


 仏法の入り口はここしかありません。
 ここから入って初めて、「如実知自心(ニョジツチジシン…自分自身の心の実相を正しく知る)」が可能になります。
 自心とは心の全体であり、『大日経』は、「心は内に在らず、外に在らず」と説いています。
 心を離れた自分も宇宙もなく、私たちは、自分であれ、他人であれ、社会であれ、この世であれ、あの世であれ、すべては心を通してしか認知できません。
 だから、最近の科学においては、「観る」ことによってしか観察は成り立たず、しかも「観る」行為は必ず「観られる」対象へ何らかの影響を与えずにはおかないので、私たちは「外界そのもの」を知られないのではないか、外界は推察しかできないのでないかという考え方になっています。

 しかも、心は奥底で人間とも自然とも通じており、そのレベルへ入れば、「自分と世界」も、「自分と他人」もありません。
 祈りが通じるとは、こうした次元のできごとです。

 
 日常生活における私たちの心象風景は、雲間から時折陽光が差す光景のようなものです。
 無明煩悩という厚い雲にさえぎられた暗い心で悪行を行い、陽光に導かれた明るい心で善行を行い、悲喜こもごも、喜怒哀楽転変極まりない毎日を過ごしています。
 しかし、飛行機に乗って雲を突き抜ければ、もう雲の影響はなく、そこに広がる宇宙が心の本体であり、「自心」の真姿でもあります。

 真実を求める決心が飛行機に乗ることであり、諦めないで上昇を続けるしか、真実を正しく知る方法はありません。
 雲の向こう側をきちんと観たかどうかを判断する方法は三つあります。

1 ありのままに観ているかどうか。
2 価値判断が逆さまになっていないかどうか。
3 極論、極端に走らないかどうか。


 因果応報を信じて仏法に導かれ、邪見の人、邪慳な人にならぬようにしましょう。
 不邪見戒を生きましょう。




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2007
06.06

石積みをします

 本日(6月6日)午後、天候が荒れない場合は、新しく造った池の周囲へ石を積みますので、もしお手伝いいただける方は、よろしくお願いします。

[新しい池です。水を澄ませておきます]


[今朝の『法楽の礎』です。聖地へ朝陽が昇ります]





2007
06.06

十三仏様のご加護2 ―文殊菩薩―

3 文殊菩薩のご加護

 天正年間のことである。
 紀州在住の新宮若狭守(ニイミヤワカサノカミ)なる武勇で知られた武士が吉川駿河守(キツカワスルガノカミ)義輝公へ仕官したいと願い、周防の国に至った。
 そこへ血刀を引っさげた若武者が走り寄り、「年来の願を遂げ、相手を討ち果たしたが、大勢に追われてしまった。ここで死ぬわけにはゆかないので防いでくれないか」と懇請した。
 武士として見捨ててはおけず、若狭守は風の如く現れた数十人の追っ手の前に立ちふさがり、5、6人を切り捨てた。
 かなわぬと見た相手はさかんに矢を射かけるが、不思議にも若狭守の頭上に光明を放つ者がいて、すべて払い落としてしまう。
 驚いた武士たちは、主君吉川公へ注進に及んだ。
 
 吉川公は、ただちに闘いを止めさせ、何者がいかなる子細で手向かうのかを訊ねさせた。
 自分は若狭守であり、仕官を求める最中にこうした成り行きになったと聞いた吉川公は、若狭守を召しだし、矢を払い落とした神術は何であるかと問うた。
 若狭守は答えた。
「自分に特段の秘術があるわけではないが、永年文殊菩薩を信仰し、尊像を兜の裏側へ描いて御守にしている。もしかすると、文殊菩薩のご加護かも知れない」
 そして兜の裏側を見せたところ、尊像から、まるで涌くかのように汗が流れ出ていた。
 吉川公は断を下した。
「私が駿河守である。仕官を望んで足をはこんだ誠意は解ったが、家中の者が殺された以上、汝は多くの者たちから怨みを受けてしまう。今から書面をしたためて太閤秀吉公へ紹介してやろう」
 歓喜した若狭守はそのまま秀吉公のもとへ行って忠勤に励み、さらに誉れ高い武士になったという。

 戦国武将たちのほとんどは、守護神や念持仏を持っていました。
 不動明王、地蔵菩薩、文殊菩薩、あるいはNHK大河ドラマで話題の摩利支天(マリシテン…隠形流居合の守護神でもあります)、そして、上杉謙信などで知られる毘沙門天(ビシャモンテン)など、さまざまな仏神が、いのちのやりとりを見守っておられました。





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2007
06.05

十三仏様のご加護1 ―不動明王― ―釈迦如来―

 十三仏について調べているうちに、明治年間のおもしろい資料を発見しました。
 その一部を現代文に意訳しておきます。

1 不動明王のご加護

 『河内の国(今の大阪府あたり)瀧谷山(タキヤサン)不動明王霊験記』にある話である。

 同地の村長奧城良造の父徳治郎は明王寺の不動明王を深く信仰し、寺に尽くしてもいたが、明治21年9月1日、急に両方の眼が痛み出し、よく見えなくなってしまった。
 薬の甲斐もなく、一向に平癒しそうにないので、罪業を懺悔して不動明王におすがりするしかないと決心し、眼病が治らぬ限り帰らぬ決意で寺に籠もった。
 もし治していただけぬのなら、いっそこの命を召して罪業を消滅させてくださいと、飲まず食わずで一心に真言を唱えること3日、暁に至ってついに不動明王が現れた。
 夢とも現(ウツツ)とも判らぬながら、お声ははっきりと聞こえた。
「汝は宿業によって病苦を受けることになったが、かねて信心深く、しかもここで至心に懺悔した功徳によって、眼光を授ける。この後も信心を怠るべからず」
 そして、剣で徳治郎の眼を突かれた。

 徳治郎は驚きながらも「ああ、ありがたや、もったいなや」とお袖にすがろうとしたが、お姿はたちまちに消えてしまい、我に返った。
 両眼から流れている血膿をぬぐい去ったところ、不思議にも宝前のお灯明が赫灼と燃えさかっているのが鮮やかに見えた。
 歓喜抑えがたく、「我々凡夫の無明煩悩が消えて極楽浄土に往生するとはかくなることか」と悦び勇んで家路を急いだ。

 それ以来、徳治郎はますます信心深くなり、いろいろと寺に尽くして過ごし、明治21年1月6日、大往生を遂げた。
 息子良造も父の遺志を継いだという。

 『聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼(ダラニ)経』によれば、人々の気根によって、ある人はお不動様に会え、ある人は童子様に会え、またある人は、山や生きものや人などに姿を変えたお不動様に会えるとされています。

2 釈迦如来のご加護

『三宝感応録』にある話である。
 開皇3年、唐の凝観寺(ギカンジ)の法慶法師が1丈6寸に及ぶ釈尊の立像を造工していたところ、急逝してしまった。
 たまたま、宝昌寺の僧大智が死んで3日後に甦り、あの世で法慶に会った話をした。

 法慶は、閻魔王(エンマオウ)の前でにこにこしていた。
 と、見る間に何かの像がやってきた。
 閻魔王は急いで王座の階段を降り、像のそばへ駆け寄って礼拝した。
 像が閻魔王へ言うには
「法慶は我が像を造り初めてまだ完成していないのに、なぜ死なせたのか?」
 閻魔王がそばにいた者へ問うたところ、侍者は「まだ寿命はあったけれども、食べられなくなって死んだのです」と答えた。
 閻魔王は、「荷葉(蓮の葉)をあげよう。福徳の報いである」と裁断し、大智と法慶を相次いで蘇生させた。

 大智に続いて間もなく生き返った法慶は、大智の話した内容と同じできごとを語った
 その後、法慶は荷葉のみを食べながらついに像を完成させた。
 釈尊の像はとても円満なお顔で、時折、光明を放ったという。

 蓮の花は清浄なる悟りの象徴であり、泥に咲くことから不撓不屈(フトウフクツ…何があっても屈しないこと)の姿勢をも示します。
 心を浄め尽くしたいという法慶の清らかな願いと、何があっても像を造り上げるという不退転の決意が通じたのでしょう。





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