宮床開運守本尊 大師山 法楽寺 〜法灯により法友とともに法楽に住せん〜

2008-07

戒名のいらない方

「今のお寺は信じられない。戒名葬式要らない」と言っていた方が亡くなり、ご遺族の求めでお伺いしました。
 このところ、こうした方々とのご縁が続いています。

 枕経が終わった時点で、お身内から、戒名とはどういうものですかというご質問がありました。
 故人だけでなく周囲の方々も何らかの理由でお寺へ強い不信感を抱き、その影響でいろいろなことをよく考えていなかったけれども、お不動様の結界法によって御霊をお守りする場に入り、考えが変わったそうです。

戒名とは、生まれた時に親が良き人生を歩んで欲しいと願って我が子へつける名前のようなものです。
 生前戒名にはまた別の意義がありますが、亡き方へみ仏から降りる戒名とは、肉体の束縛を離れ、魂だけの存在となって故郷であるみ仏の世界へ帰って行く旅立ちにあたって、その魂を特定するための名前です。
 だから、私ごとき一介の行者である僧侶が決められるはずはありません。
 亡き方の生き方やご遺族のご意向などをお聞きし、修法すると、必ずふさわしい名前がみ仏から授かります。
 私たち僧侶は、ただ、それをお伝えするだけです。
 だから、『降りる』というしかないのです。

 戒名をつけるかつけないかは、もちろん自由であり、戒名がなければみ仏に救っていただけないなどということはあり得ません。
 分けへだて無く、あらゆる人びとへ救いの手を差しのべるが故に〈み仏〉なのです。
 この人は救う、この人は救わないなどというみ仏はおられません。

 大事なのは、御霊安心の世界へ行くためにどうすれば良いかを、ご供養する皆さんご自身が道理をもってよくお考えになられることです。
 その結果によって、み仏と皆さんへお仕えする私たち僧侶が、供養法に区別をつけるなどということはありません。
 そもそも、すべての人びとが等しくみ仏の子なのであり、亡くなった途端に、戒名のあるなしで供養のされ方が異なったり、地獄と極楽と行く先が分かれるなどということもまたあり得ません。
 安心した上で、よくお考えください。
 そして、納得されたならお求めください」

 法の場という異次元世界を体験されたご遺族は戒名を求め、家族葬をされました。
 すべてが終わり、皆さんが安堵されたお顔は忘れられません。

散骨を思いとどまった方

 亡くなった方をお送りするのは、最も身心をすり減らす法務です。
 しかし、やり遂げた後は、役割の重さに「自分のような者がこのような大役を果たさせていただけるとは、何とありがたいことか」と感謝の心が起こります。
 そしてその思いに後押しされ、また、気力を奮い立たせて法務へ向かいます。
 送る役割を死ぬまで続けるのは、やはり、自分の因縁の結果であると深く納得できます。

 また、お通夜の修法後には戒名についての法話を行い、葬儀の修法後には五種供養についての法話を行いますが、皆さんが〈人生の根本〉、〈人生の大事〉に関して心が開いている時、肝心の教えをお伝えできることにも感謝せずにいられません。

 最近、「身内が、お寺に世話になりたくないから散骨してくれと言って亡くなりました。こうした場合もお経を唱えていただけますか?」という問い合わせがあり、もちろん、二つ返事で駆けつけました。
 修法が終わり、さまざまな質問をいただきました。

「故人の願いと遺族の考えが異なる場合は、どうすべきでしょうか?」
「誰一人、自分の死後の始末を自分でできる人はいません。
 まず、死に臨んだ方が、亡くなる前に、そのことを自覚せねばなりません。
 もちろん、自分の願いを言い遺すのは当然ながら、あとは信じて任せるよという広い心が必要です。
 そして、この世にいる方々は、故人の思いを大切にしながらも、これからずっと供養をして行く自分たちの考えや都合も勘案せねばなりません。
 きちんと納得できる方向へ進まなければ、結局、供養の誠を尽くすことが難しくなるからです」

「『俺の骨は思い出深い海へ撒いてくれと』言われ、その気持は充分に解りますが、どうしてもそうし切れない気持もあります」
「私たちは、亡くなった方の身体が唯のモノとなり、焼かれることで、無常の鬼に心を引き裂かれます。
 その一方で、白々としたお骨が残ることで無意識ながら永遠を感じ、親愛の情をどうにかそこにつなぎ留めて心のバランスを保つのが人生の真実です。
 斎場の方々が実に丁寧にお骨を取り扱い、遺族ももちろん、その最終的な帰属をどうするか真剣に考えるのは当然です。
 もちろん、お骨も長い年月の間にいつかは自然へ還りますが、少なくとも炉の猛火をのり超えた時点では『生き残った』大切な宝ものなのです。
 今回の場合、共同墓『法楽の礎』へ収めてみ仏にお守りいただき、折々に訪れて供養することを基本にし、分骨した一部だけを海へ撒かれてはいかがでしょうか」

「彼は私の人生のすべてでした」と言うAさんは、お骨を散じたならば後を追いたいと考えておられましたが、正しく供養を行いながら自分を向上させることが妻の幸せを願っていた亡夫にとって最も嬉しく安心なことであろうと気づき、当山の檀家になられました。
 花をたむけては忍耐を誓い、お線香を灯しては精進を誓い、お水を供えては布施を誓う道へ入られました。

 み仏の教えと、み仏のご加護は偉大です。
 自分のすべてを尽くして、み仏と御縁の方々へお仕えしたいと願っています。

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