日本の歌 73 ―花―
花
作詞 作曲:喜納 昌吉(キナ ショウキチ) 昭和55年 喜納昌吉とチャンプルーズ
歌詞を何度読んでみても、言葉とイメージが滑らかに流れない。
いちいちダメを押しながら進むようなところがある。
言いたいことは理解できるが、一編の詩としての完成度については、何とも判断し難い。
どういう人なのか調べてみて、即刻、合点がいった。
志の人なのである。
氏のホームページにはこうある。
「すべての武器を楽器に」「すべての基地を花園に」「すべての人の心に花を」「戦争よりも祭りを」をスローガンに音楽活動を展開。2004年7月より参議院議員となる。
ダメを押すには、当然、訳があったのだ。
唄ってみた。
現実の重さがある。
歌の副題が「すべての人の心に花を」だという。
理想であり、ロマンのようだが、この歌は理想郷へと心を飛翔させるのではなく、荒れ地に草花をびっしりと植えて行くような汗を感じさせる。
氏が国会議員になったのは本望だろう。
聴衆と間近に接するライブコンサートと〈どぶ板選挙〉は、とても近い。
きっと、この歌は、一風変わった経緯で百選に入ったのだろう。
作詞 作曲:喜納 昌吉(キナ ショウキチ) 昭和55年 喜納昌吉とチャンプルーズ
1 川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが付く頃には
花として花として 咲かせてあげたい
泣きなさい笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
2 涙流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として花として 迎えてあげたい
泣きなさい笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
3 花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の 唄なのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花を掴もうよ
泣きなさい笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花を掴もうよ
歌詞を何度読んでみても、言葉とイメージが滑らかに流れない。
いちいちダメを押しながら進むようなところがある。
言いたいことは理解できるが、一編の詩としての完成度については、何とも判断し難い。
どういう人なのか調べてみて、即刻、合点がいった。
志の人なのである。
氏のホームページにはこうある。
「すべての武器を楽器に」「すべての基地を花園に」「すべての人の心に花を」「戦争よりも祭りを」をスローガンに音楽活動を展開。2004年7月より参議院議員となる。
ダメを押すには、当然、訳があったのだ。
唄ってみた。
現実の重さがある。
歌の副題が「すべての人の心に花を」だという。
理想であり、ロマンのようだが、この歌は理想郷へと心を飛翔させるのではなく、荒れ地に草花をびっしりと植えて行くような汗を感じさせる。
氏が国会議員になったのは本望だろう。
聴衆と間近に接するライブコンサートと〈どぶ板選挙〉は、とても近い。
きっと、この歌は、一風変わった経緯で百選に入ったのだろう。
日本の歌 72 ―七つの子―
七つの子
作詞:野口 雨情 作曲:本居 長世 大正10年 児童文学雑誌『金の船』に発表
この歌に関しては、野口雨情がなぜ〈不吉な鳥〉といった感のあるカラスを子供向けに詠んだのか、「七つ」は7羽なのかそれとも7歳なのかなど、いろいろ推論、議論があるらしい。
しかし、明るいものや幸せなものよりも、むしろ、暗いものや不幸、不運の中に人生の真実を探る鋭さを潜めている詩人の魂が行った仕事と観れば、特段に理解しにくいものではない。
世間では、黒い全身、他の音色を塗りつぶす強く鋭い声、群れている時のただならぬ気配などから不吉な鳥として忌み嫌っているが、いのちを丸ごと掴む詩人の感性は、そうした先入見の向こう側へ届いている。
そして、ハトやスズメに通じる愛しさを真っ黒なカラスに感じた時、「斜めに構えてやろうか」、「そもそも、斜めなのは世間の方だ」という気持が起こったのではなかろうか。
スルメをアタリメと称し、葦(アシ)をヨシ(良し)と称し、サル(去る)をエテ(得て)公と称するような手段を用いず、いきなり七という吉祥の数字を持ち出している。
その前にある「なぜ啼くの」には、「鳴くカラスをなぜ忌み嫌うのか」が隠れているのかも知れない。
そして、「可愛い 可愛い」、「可愛い 可愛い」、「良い子」と、もう有無を言わせない。
子どもたちは、この歌を唄う時、大人の持つ「カラスは不吉」という先入見とはまったく反対の心持になっている。
山の巣にいる子供を思って聞こえるように甲高く鳴く親鳥、そして、親が帰ってくるのを待っている小さな可愛い子どもたちを想像し、情緒は暖かく膨らむ。
詩人の圧倒的な力量が表れた傑作である。
作詞:野口 雨情 作曲:本居 長世 大正10年 児童文学雑誌『金の船』に発表
烏 なぜ啼くの
烏は山に
可愛い七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛 可愛と
啼くんだよ
山の古巣に
行つて見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ
この歌に関しては、野口雨情がなぜ〈不吉な鳥〉といった感のあるカラスを子供向けに詠んだのか、「七つ」は7羽なのかそれとも7歳なのかなど、いろいろ推論、議論があるらしい。
しかし、明るいものや幸せなものよりも、むしろ、暗いものや不幸、不運の中に人生の真実を探る鋭さを潜めている詩人の魂が行った仕事と観れば、特段に理解しにくいものではない。
世間では、黒い全身、他の音色を塗りつぶす強く鋭い声、群れている時のただならぬ気配などから不吉な鳥として忌み嫌っているが、いのちを丸ごと掴む詩人の感性は、そうした先入見の向こう側へ届いている。
そして、ハトやスズメに通じる愛しさを真っ黒なカラスに感じた時、「斜めに構えてやろうか」、「そもそも、斜めなのは世間の方だ」という気持が起こったのではなかろうか。
スルメをアタリメと称し、葦(アシ)をヨシ(良し)と称し、サル(去る)をエテ(得て)公と称するような手段を用いず、いきなり七という吉祥の数字を持ち出している。
その前にある「なぜ啼くの」には、「鳴くカラスをなぜ忌み嫌うのか」が隠れているのかも知れない。
そして、「可愛い 可愛い」、「可愛い 可愛い」、「良い子」と、もう有無を言わせない。
子どもたちは、この歌を唄う時、大人の持つ「カラスは不吉」という先入見とはまったく反対の心持になっている。
山の巣にいる子供を思って聞こえるように甲高く鳴く親鳥、そして、親が帰ってくるのを待っている小さな可愛い子どもたちを想像し、情緒は暖かく膨らむ。
詩人の圧倒的な力量が表れた傑作である。


