【法句経 第三章 教えをよく聞くこと】
『法句経』の意訳です。
○教えをよく聞くことを厭わず、仏法を奉じて邪悪なるものへの盾となし、精進すれば、邪悪なるものに人生を壊されない。これによって戒めは守られ、智慧が生ずるのである。
○教えをよく聞けば目ざすべきものが明らかになり、智慧が増す。智慧が増せば意義や道理が理解され、教えの実践が円滑になる。
○教えをよく聞けば五欲のもたらす憂いが除かれ、身心の安寧による喜びを知る。そうした行者は善き如来の教えを説き、苦を脱した境地へと導ける。
○教えを聞いて教えと戒律を知り、疑問が解消し、真理を理解する。教えを聞いて正しからざるものを捨てれば、やがては苦を脱した境地へ入られよう。
○師たる者は道を現し、疑問を解消させ、明らかな真理を学ばせる。清浄なる修行の根本を明確にし、如来の教えの数々を尊び保持させる。
○五欲を制御すれば意義や道理が理解でき、戒律に背かない。如来の教えを受けそれをより所とする者は速やかに苦を脱した境地へ入られる。
○教えを多少聞いたからといって慢心し、自分を大いなる者として驕れば、盲いた人が灯火を手にするようなものであり、誰かは照らされても自分自身は明かりを得られない。
○地位や財を求め、王となり天界へ昇るよりも、世間で弁が立ち智慧ある者となるよりも、教えをよく聞いて悟る者となることが第一である。
○帝王が使者を派遣して招聘するのも、天界において最上の者が招聘するのも、教えをよく聞いて悟った者である。そうした者を得れば真の富を得、あらゆる力が増大す。
○智慧ある者は教えをよく聞いて悟った者へ礼を尽くし、求道者もまた、その縁を喜ぶ。王は誠心をもって仕え、帝釈天、梵天といえども同じである。
○仙人は常に教えをよく聞いて悟った者を敬う。まして、世間的な成功者や富豪は敬う。それは、教えを聞いて悟った者の智慧が貴いからである。最も礼を尽くすべきは、教えを聞いて悟った者である。
○太陽を尊ぶのは明るさを求めるからであり、父に仕えるのは恩に報いるためであり、主君に仕えるのはその力で守られるからである。教えをよく聞くために得道の人へ仕えるのである。
○人はいのちを惜しんで医師に仕え、勝負に勝とうとして力ある者へ仕える。真理は智慧のところにあり、それによって福徳を得られる善行をなせば、現世も来世も明るい道を歩める。
○友人の信、不信を察するのは何ごとかを行うためであり、一緒に歩む者と分かれるのは急時に対応するためであり、妻がいるのは家の楽しみであり、智慧を求めるならば、教えをよく聞いて悟った者の説法を求めねばならない。
○教えをよく聞くことは今世の利益であるだけでなく、妻子も友人兄弟も友人までもが後世の利益も蒙る。重ねて聞くことによって聖なる智慧がもたらされる。
○教えをよく聞けば憂いや怒りがなくなり、災厄などによる衰運も免れる。平穏無事で幸せに過ごしたいならば、教えをよく聞いて悟った者に仕えねばならない。
○心身を切り痛めつけるものは憂いであり、矢で射られたような苦を招くのは、何よりも自分の愚かさである。この憂いや苦は、勇壮の者も力で除くことはできず、教えをよく聞いて悟った者に導かれるしかない。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて智慧を得るのは、盲いた人が目を得るようなものであり、暗闇にいる人が灯火を得るようなものである。教えをよく聞いて悟った者が世間の人々を導くのは、目の不自由な人を目の健全な人が導くようなものである。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて愚かさを離れよ。慢心と富裕とを楽しまず、よく学び、教えをよく聞いて悟った者に仕えよ。これが徳を積み真の安寧を得る道である。
○教えをよく聞くことを厭わず、仏法を奉じて邪悪なるものへの盾となし、精進すれば、邪悪なるものに人生を壊されない。これによって戒めは守られ、智慧が生ずるのである。
○教えをよく聞けば目ざすべきものが明らかになり、智慧が増す。智慧が増せば意義や道理が理解され、教えの実践が円滑になる。
○教えをよく聞けば五欲のもたらす憂いが除かれ、身心の安寧による喜びを知る。そうした行者は善き如来の教えを説き、苦を脱した境地へと導ける。
○教えを聞いて教えと戒律を知り、疑問が解消し、真理を理解する。教えを聞いて正しからざるものを捨てれば、やがては苦を脱した境地へ入られよう。
○師たる者は道を現し、疑問を解消させ、明らかな真理を学ばせる。清浄なる修行の根本を明確にし、如来の教えの数々を尊び保持させる。
○五欲を制御すれば意義や道理が理解でき、戒律に背かない。如来の教えを受けそれをより所とする者は速やかに苦を脱した境地へ入られる。
○教えを多少聞いたからといって慢心し、自分を大いなる者として驕れば、盲いた人が灯火を手にするようなものであり、誰かは照らされても自分自身は明かりを得られない。
○地位や財を求め、王となり天界へ昇るよりも、世間で弁が立ち智慧ある者となるよりも、教えをよく聞いて悟る者となることが第一である。
○帝王が使者を派遣して招聘するのも、天界において最上の者が招聘するのも、教えをよく聞いて悟った者である。そうした者を得れば真の富を得、あらゆる力が増大す。
○智慧ある者は教えをよく聞いて悟った者へ礼を尽くし、求道者もまた、その縁を喜ぶ。王は誠心をもって仕え、帝釈天、梵天といえども同じである。
○仙人は常に教えをよく聞いて悟った者を敬う。まして、世間的な成功者や富豪は敬う。それは、教えを聞いて悟った者の智慧が貴いからである。最も礼を尽くすべきは、教えを聞いて悟った者である。
○太陽を尊ぶのは明るさを求めるからであり、父に仕えるのは恩に報いるためであり、主君に仕えるのはその力で守られるからである。教えをよく聞くために得道の人へ仕えるのである。
○人はいのちを惜しんで医師に仕え、勝負に勝とうとして力ある者へ仕える。真理は智慧のところにあり、それによって福徳を得られる善行をなせば、現世も来世も明るい道を歩める。
○友人の信、不信を察するのは何ごとかを行うためであり、一緒に歩む者と分かれるのは急時に対応するためであり、妻がいるのは家の楽しみであり、智慧を求めるならば、教えをよく聞いて悟った者の説法を求めねばならない。
○教えをよく聞くことは今世の利益であるだけでなく、妻子も友人兄弟も友人までもが後世の利益も蒙る。重ねて聞くことによって聖なる智慧がもたらされる。
○教えをよく聞けば憂いや怒りがなくなり、災厄などによる衰運も免れる。平穏無事で幸せに過ごしたいならば、教えをよく聞いて悟った者に仕えねばならない。
○心身を切り痛めつけるものは憂いであり、矢で射られたような苦を招くのは、何よりも自分の愚かさである。この憂いや苦は、勇壮の者も力で除くことはできず、教えをよく聞いて悟った者に導かれるしかない。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて智慧を得るのは、盲いた人が目を得るようなものであり、暗闇にいる人が灯火を得るようなものである。教えをよく聞いて悟った者が世間の人々を導くのは、目の不自由な人を目の健全な人が導くようなものである。
○教えをよく聞いて悟った者に導かれて愚かさを離れよ。慢心と富裕とを楽しまず、よく学び、教えをよく聞いて悟った者に仕えよ。これが徳を積み真の安寧を得る道である。


