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2008
11.30

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 22 ―すべてを超える翼―

 11月26日の講座で学んだ『法句経』の経文です。

 が賢い指導者に導かれて網の遙か上を飛ぶように、賢者は世の人々を苦界から離れさせる。


「世俗品」にある一句です。
 何と崇高で救いに満ちた教えでしょうか。
 かつて『すべてを超える翼』という本について、の行うV字飛行について書きました。
「ガンは、逆V字の左側が年配者や幼い者などによって構成される『弱い列』、右側がそれ以外の者たちでつくる『強い列』になっており、V字の先頭を含む強い列では、先頭を務めた者は最後尾へ退がり、二番目にいた者がその後を継ぐといったパターンをくり返し、強い列が群を率います。
 その時その時の先頭者の役割は、群全体の運命を左右します」
 2500年前のインドで、釈尊がの群を指さし、周囲に控える弟子たちへ説きます。

「あの者たちの運命は、先頭の一羽にかかっている。
 その一羽が真の智慧ある存在でなければ、群は、あるいは危険にさらされ、あるいは崩壊してしまうだろう。
 率いる者は、み仏の教えに従って断固、行く先を目ざさねばならない。
 網にかかってもがく仲間を見捨ててはならない。
 無明、煩悩という網にかからぬよう、それがあることをはっきりと認識せよ。
 切磋琢磨し、悟りを求め、悪しきもの、邪なものの世界を離れ、高く飛ぶのだ。
 そうすれば、必ずや救いを求める世の人々に役立てるであろう。
 み仏に認められた先頭の一羽になれるよう、心して修行せよ」
 
 弟子たちはどれほど奮い立ったことでしょうか。
 このシーンこそ、自他共に悟りを目ざす大乗仏教の象徴です。
 行者としては、「釈尊が直接説かれたのは小乗仏教であり、大乗仏教密教も後から作られた」という説は信じられません。
 釈尊の教えには自らを厳しく制御する小乗仏教も、自他を同じく見て悟りを目ざす大乗仏教も、即身成仏という究極の救いを実践する密教も、すでに説かれていました。
 人類は、その全体像をつかみ、深淵の深みを観るまで数千年を要しただけです。
 これからも、真摯な行者や聖者によって、探求の歴史は積み重ねられることでしょう。
 
 いずこの世界であれ、どんな組織であれ、指導者が立場にふさわしい「人の道」を歩む人格者でなければならないのは、いつの世も同じです。
 心底から己の愚かさを何とかせねばならないと考えて教えに導かれ、人格を陶冶(トウヤ…鍛え、練り上げること)し続ける人こそ、指導者にふさわしいと言えましょう。
 だからこそ、釈尊は王へ法を説き、お大師様もまた、天皇を初めとする指導者たちへ法を説かれました。
 立場にふさわしい器でない人物に導かれれば、人々は「網にかかるの群」になってしまいます。
 謙虚に己を省み、指導者を選ぶ場合は真剣でありたいものです。
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2008
11.29

お焚きあげが終わりました

 お不動様のご縁日(28日)はあいにくの暴風雨となりましたが、本堂での供養会にひき続き、予定どおりお焚きあげを行いました。
 炉はダイオキシンなどの出ない特殊なものであり、雨が降っても問題なく作動します。
 お札やお位牌やお守や数珠、また、アルバムや人形など、皆さんの心につらなるさまざまなものが、不動明王智慧の炎で天地へ還りました。
 供養や因縁切りなど、皆さんの真摯なお心は確かにみ仏の世界へ届けられました。

 それにしても、信徒さんたちと共に読誦する「秘密陀羅尼(ダラニ)経」はいつ読んでも感動と納得を伴います。

「この大明王は、ただ衆生の心想の中に住したまう」


 お不動様は、私たちの心の中におわします。

智慧の火をもって障礙(ショウゲ)を焼き、法水をもって塵垢(ジンク)を漱(スス)ぐ」


 心の奥におわすみ仏は、その智慧を炎の如くはたらかせて障りや愚かさを燃やし尽くし、その清水のような清めの力をもって心の汚れをぬぐい去ってくださいます。
 眼前のお不動様へ至心に合掌する私たちは、知らぬ間に、心中のお不動様にそのお力を発揮していただいています。
 だから、修法が終わると、どなたも、活き活きし、清らかで安心したお顔になられます。
 ありがたくてなりません。

 善男善女のご多幸を祈っています。201129 040

2008
11.29

ムーミンの復活 ─「フィンランドを知るための44章」─

 明石書店から出版された「フィンランドを知るための44章」に、ムーミンを紹介する興味深い一章がある。
 北川美由季氏による「ムーミン・ファンの想い」である。
 氏は、廃刊となった英国の夕刊紙イブニングニュースに掲載された当時の姿を求めて大英図書館へ足を運び、20年の月日を克明に調べようとして、郊外にある分館でマイクロフィルムとの格闘をくり広げた筋金入りの研究家である。
 この一章は、ムーミンの物語の最終巻まで読破してなおムーミンへの思いが深まり続けるファンを、作者トーベ・ヤンソンが過ごしたタンペレへ誘うところから始まり、「深みへ沈みゆく」方々と共にムーミンを求め、トーベを偲ぶ旅となっている。
 案内人北川美由季氏は、まるで四国八十八霊場を巡拝する善男善女を引率する「先達」さんのようである。
「こちらへどうぞ」と誘う形ではあるが、そもそも、ご自身の足が何度でも向かわずにはいられない所々へ喜々として導く。
 ファンは、氏が歩む同行二人(ドウギョウニニン)の旅に引き寄せられるがごとく、後に続き、思いを膨らませる。

 ところで、氏は、「自らを『ムーミン』になぞらえる方にはお目にかかったことがない」と言われるが、そのような希有の方Aさんがおられた。
 いかにもムーミンを想像させるふんわりとした風貌と穏やかでユーモアあふれる明るい人柄により、仲間からはムーミン、家族からはムーミン・パパと呼ばれていた。
 不幸にしてあまりにも早すぎる死を迎え、当山へ埋葬された住職の同級生第一号となってしまったが、7回忌を過ぎた今でも、人なつこく語りかける笑顔は家族と仲間たちの心に住み続けている。
 人間はだれしも人間以外の生きもの(想像されたキャラクターも含む)に似ているそうである。
 Aさんを知っている人々は皆、ムーミンに似ていると確信していたし、今もそうである。
 この一章を読み、「いささか風変わりな人たち」というほどのファンではない私も、ムーミンの物語を読み返したくなった。
 きっと、Aさんも優しい空気を共有しながらそばにいて一緒に読んでくれることだろう。

 なお、北川美由季氏は、同書に「フィンランドの旅に思う」という一文も載せられ、「フィンランド第三の都市タンペレ」を紹介している。
 ここはレーニンとの縁が深く、氏は、「過去も、現在も、そしておそらくは未来においても、この街は産業と労働者の街であり続けるだろう」と断言している。
 二つの文章を読むと、タンペレとムーミン谷へ想像の鳥が飛び立つ。
 なかなか訪れられないであろうその地は、氏の文章によって永遠にムーミンの故郷としてのイメージを保ち続けることだろう。

 還暦を過ぎた人間の心にムーミンはよみがえった。
 この本を老若男女へお勧めしたい。
2008
11.28

日本の歌 98 ─揺籃のうた─

揺籃のうた
  作詞:北原白秋 作曲:草川信 大正10年、『小学女生』に発表

1 揺籃(ユリカゴ)のうたを
  カナリヤが歌うよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

2 揺籃のうえに
  枇杷(ビワ)の実が揺れるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

3 揺籃のつなを
  木ねずみが揺するよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ

4 揺籃のゆめに
  黄色い月がかかるよ
  ねんねこ ねんねこ
  ねんねこよ


 この歌は、子守歌の代表格である。
 もちろん、唄ってもらった記憶はない。
 子供へも唄ってやった記憶はないが、妻の歌声を聞いたこと、また、子供の寝顔を見ながらこの歌を思い出したことはある。
 妻と二人で、黙って我が子の寝顔へ見入っていたのは昨日のできごとのようだ。
 子供を安らかな眠りへ導くための子守歌が、親にとっても安らぎとなるのは不思議なものである。

 寝顔と歌のあった場面を思い浮かべると、今の生活に伴って発生しているいかなる問題も夢幻のように思えてくる。
 確かにあった〈真実〉、過去となってしまったが時を超えていつでも魂へ響く〈真実〉こそが実在であり、転変極まりない現象世界はかりそめのものでしかない。
 真実世界とかりそめの世界は表裏一体である。
 苦楽、泣き笑いが交錯する時間の流れの中に、キラッと光り、永遠にとどまる瞬間がある。
 その時、私たちは真実という宝ものに出会っている。
 宝ものがあるからこそ、かりそめの世をどうやら生き抜けられる。
 それは「み仏からの贈りもの」に相違ない。

 運転中に、古美術鑑定家中島誠之助氏の話を耳にした。
 彼は、「マニアックになってはいけない」という。
 膨大なものや情報が行き来する現代にあって、関心と研鑽の対象が狭い分野だけでは、きちんと感性を磨けないのだ。
 感動が土台になり、その上に知識という家が建って初めて感性がはたらくともいう。
 知識が先走ると、どうしても欲という家が建ち、だめになる。
 文学であれ、音楽であれ、美術であれ、あるいは風景であれ感動の対象は無制限である。
「佳い」と感じる感性は何に対してもはたらくものであり、純粋な感動によって磨かれた感性は、どこにでも「佳い」ものを見つけられるはずである。
 かねて流行語になっている「オタク」に感じていた危険性を、彼は見事に解き明かしてくれた。

 まことのもの、よきもの、うつくしきものは、真実の見せる三面である。
 真善美に魂が感応し、感動という土台の上にさまざまな家が建てられる人生であれば幸せと言えるのではなかろうか。
 この歌も、その土台にかかわる貴重な作品であることは疑いない。
2008
11.28

正月の修法 ─新年開運護摩祈祷─

 お正月修正会(シュショウエ)は、あなた様や、ご家族、友人、知人皆々様の一代(一生)の守本尊様をご供養し、心の汚れや身体の不調や悪しき因縁を焼き清め、生き方を修正し、ご心願を成就させるための大きな御加護をいただく護摩祈祷法です。
 元旦から三日まで、午前十時と午後二時の二回、本堂にて護摩法を厳修いたします。
 新しい年を心新たに迎えましょう。
 なお、当山の修法は、守本尊様をお迎えしてご供養し、そのご加護によって御霊が守られ、ご参詣の方々、そして祈願をかける方々がお守りいただける法です。
 お詣りしてみ仏へ手を合わせるのに良い年も悪い年もなく、もしも、今年、お身内や身近な方にご不幸があったとしても、修正会へでかけてならないという理はどこにもありません。
 喪に服しておられる方も、この世でしっかり生きて御霊に安心していただくため、守本尊様へお詣りをされますよう。

★子(ネ)年生まれの方の守本尊千手観音(センジュカンノン)様です   
★丑・寅(ウシ・トラ)年生まれの方の守本尊虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)様です
★卯(ウ)年生まれの方の守本尊文殊菩薩(モンジュボサツ)様です
★辰・巳(タツ・ミ)年生まれの方の守本尊は普賢菩薩(フゲンボサツ)様です
★午(ウマ)年生まれの方の守本尊は勢至菩薩(セイシボサツ)様です
★未・申(ヒツジ・サル)年生まれの方の守本尊は大日如来(ダイニチニョライ)様です
★酉(トリ)年生まれの方の守本尊は不動明王(フドウミョウオウ)様です
★戌・亥(イヌ・イ)年生まれの方の守本尊は阿弥陀如来(アミダニョライ)様です


護摩祈祷のお詣りは自由です。燃え上がる除災招福護摩の火へ身を近づけ、大いにご利益をお受けください。
 当山の本堂には、すべての守本尊様が安置され、日々ご供養とご祈願の秘法が行われています。
 ご家族おそろいで、ご自身やお身内や友人知人の方々の守本尊様へお詣りしてください。
 新しい年へ大きな希望を持ち、清らかで善き願いへ力強いご加護をいただき、喜びと安心に満ちた一年になりますよう。

天下太平 社会安全 万民豊楽 生活安心 仏法興隆 増進菩提 
万霊供養 先祖供養 水子供養 英霊供養 眷属供養 妄者供養
商売繁盛 社運隆盛 社内安全 業績順調 就職実現 交渉円満 
五穀豊饒 大漁満足 除災招福 厄除開運 心願成就 運命転化 
気力充実 転迷開悟 性格改善 悪癖解消 家内安全 家運隆盛 
夫婦円満 無病息災 方災解除 塞方解除 怪異消滅 身体健護 
当病平癒 体力増強 不眠解消 精神安定 ぼけ防止 交際円満 
良縁吉祥 安産守護 子孫繁栄 夫婦円満 方災解除 怪異消滅 
交通安全 旅行安全 災害不到 火難守護 水難守護 盗難守護 
学業成就 試験合格 訴訟必勝 世界平和 国土安穏 金銀如意


※お申込みは、
〔ご住所・ご芳名・生年月日・電話番号・願いごと・ご志納金〕をファクス・メール・ハガキなどでお送り下さい。
 お問い合わせやお申し込みはこちらからどうぞ。
 ご希望の方には、ご連絡いただければ詳しい内容の書いてある申込書をお送りします。
 ご志納金はいかようでも結構です。 
 修法後、ご志納金に応じて
〔御札・七福神茶・絵馬・御清め塩・大師茶・御加持米・御守・高野山線香〕などの授与品一式をお送りします。
 絵馬は、ご心願を書き当山の六地蔵様へ祈願奉納します。

護摩木供養をお受けしております。
〔ご住所・ご芳名・生年月日・電話番号・願いごと・ご芳志金〕
をお知らせください。
〈供養料〉1本…3百円 7本…2千円 36本…1万円 108本…3万円

提灯供養の申し込みをお受けしております。
〔ご住所・ご芳名〕をお知らせください。
 智慧の明かりを境内に灯してみ仏をご供養し、聖道を照らし、ご参詣の方々のお守といたしたく存じます。
〈献灯料〉1灯…3千円
 
守本尊守護旗建立の申し込みをお受けしております。
〔ご住所・ご芳名〕をお知らせください。
 境内に赤い旗を立てて魔除を行い、同時に皆さんのご心願成就への大いなる勢いといたしたく存じます。
〈献旗料〉1旒…5千円

ご志納金は以下の講座へお願いします。
○郵便振替  02260-3-4604   大師山法楽寺
〇古川信用組合吉岡支店 普通預金 3383332 大師山法楽寺
〇七十七銀行富谷支店  普通預金 5110424 大師山法楽寺
2008
11.27

わすれられないおくりもの

 20年以上も前に出版された絵本「わすれられないおくりもの」を読んだ。

 年老いたアナグマは年齢相応の賢さを得ており、「死んで、からだがなくなっても、心は残る」ことを知っていたので、死を恐れていなかった。
 ある日、家に帰ったアナグマは「月におやすみをいって、カーテンをしめ」、食事後に手紙を書く。
 眠り、「ふしぎな、でも、すばらしい」夢を見る。
 足下がおぼつかなかったのに思うがままに走れ、「すっかり、自由になった」と感じる。
 旅立ったのだ。
 翌朝、「いつものように、おはようをいいにきてくれないので」仲間が心配して集まり、様子を見に行ったキツネがアナグマの死を告げ、残された手紙を読み上げる。
「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」
 森の仲間たちは悲しみの中で冬を過ごし、春になってから思い出を語り合う。
 モグラはアナグマから教えてもらった切り紙をやる。
 カエルは教えてもらったスケートを楽しむ。
 キツネは教えてもらったようにネクタイを結ぶ。
 ウサギの奥さんは、教えてもらったようにしょうがパンを焼く。
 アナグマは「ひとりひとりに、別れたあとでも、たからものとなるような、ちえやくふうを残してくれた」のである。
 そのために「おたがいに助けあうことが」できた。
 雪解けの頃になり、「アナグマが残してくれたもののゆたかさで、みんなの悲しみも消えて」いった。
 元気な頃のアナグマと駆けっこをした思い出の丘に登ったモグラは言う。
「ありがとう、アナグマさん」
 そして、モグラは、アナグマがそばにいて聞いていてくれるような気がする。


 作者スーザン・バーレイ(英国人)がいかなる人物であったかは知らない。
 しかし、あの世への安心と死の克服、人生経験者が残す知恵、共に暮らす者たちの仲間意識、惜別が感謝へと変容する過程、いずれをとっても仏法に説く救われた世界であり、登場する者は皆、救われた存在である。
 想像力豊かな子供たちへ、共に生きる喜び、年配者の価値、伝わる知恵、教わる感謝、別れと安心などを教えるのに充分な教材である。
 いや、教わるのは子供たちだけではない。
 大人にとっても、小さくないものが得られる傑作である。
 新聞やテレビで愚かしい行為、恐ろしい事件、悲しいできごとに慣らされつつある現代人すべてにとって、貴重な清涼剤となることは間違いない。
 寺子屋で、くり返し、読み、読ませたい。
2008
11.27

日本の歌 97 ─雪─


  作詞・作曲:不詳 明治44年、『尋常小学唱歌(二)』に掲載

1 雪やこんこ 霰やこんこ
  降つては降つては ずんずん積る
  山も野原も 綿帽子かぶり
  枯木残らず 花が咲く

2 雪やこんこ 霰やこんこ
  降つても降っても まだ降りやまぬ
  犬は喜び 庭駈けまはり
  猫は火燵で 丸くなる


 勢いのある歌である。
 降りしきるをものともしていない。
 小学唱歌ではあるが、作った人そのものが現れている。
 おそらく、若い方の作品だろう。
 遠くへ目をやるとをかぶった山や野原が広がり、幹も枝もまっ白に化粧した樹々が芸術作品のように林立している。
 そうした世界に包まれた民家の中では、猫がコタツでぬくぬくと暖をとり、犬は元気に庭を駆けまわっている。
 ここには、雪の山村のすべてがある。
 何ものをも凍らせる冬将軍は人間にとって脅威だが、そうした気配はみじんもない。
 確かに子供たちにうってつけの歌ではある。

 しかし、時代背景を調べると考えさせられる。
 歌が発表された年の1月18日、大審院で大逆事件を裁く判決が下り、幸徳秋水などの被告24人全員が死刑判決を受けている。
 翌日、そのうち12人が無期懲役に減刑されてはいるが、24日に早くも11人の死刑が執行され、最後の一人も翌25日に露と消えた。
 国は権力を強め、指導部の方針にたてつく者を許さない。
 第三次日英同盟が結ばれ、イタリア・トルコ戦争、辛亥革命が勃発している。
 動乱の気配が高まりつつ明治が終わりを告げる頃、半世紀近く前に西洋列強と対峙すべく立ち上がった日本は、高揚の一途をたどっている。
 平塚らいてうたちの文芸誌「青鞜」が創刊され、男も女も視線を前方やや上へ向け、未来を信じ、強い足取りで歩んでいる。

 わずか30数年後、この年に生まれた子供たちが社会人として力を発揮し始め、子供ももうけようとする時期に、敗戦という未曾有の国難に遭うとは誰も予測しなかったことだろう。
 230万人もの兵と80万人もの民間人が死ぬ地獄は、国威高揚の果てに待っていた。
 滝があると知らずにだんだん佳くなる景色に歓声を挙げ櫓を漕ぐ人々、大海が待っていると信じて導く船頭。
 そして、船がもまれ始めたら最後、岸へつけられず、引き返すこともできない滝壺へと続く激流──。
 人間の行い、国の行いを考えずにはいられない。

 雪に戯れる子供たちの無邪気ないのちの饗宴を可能にするものは、畢竟、平和でしかない。
 国が平和で、家庭が信頼と安心に満ちていれば、子供たちはいかなる季節でも、どこにいても、モノや金に恵まれなくても笑顔を輝かせられる。
 平和が破れ、家庭が崩壊すれば、たとえモノや金があっても子供たちは心からはしゃぎまわることができない。
 今の平和を守り、未来の平和を招来するためには、平和を第一とする大人たちの智慧と努力が欠かせない。
雪やこんこ 霰やこんこ」と唄う歌声がとぎれないよう願ってやまない。
2008
11.26

愛しい人、憎い人

「第八回、映画『チベット チベット』を観る会が終わり、いよいよ今年最後の会です」へ書いた平等心について質問がありました。
 書いた文章です。

 人々は、「敵へ対しては怒りを、見方へ対しては信頼を」という固定観念を打ち崩す先に待っているみ仏の平等心へ憧れて修行しています。
 もちろん、敵か味方かを判断する能力を放棄しようとするのもではありません。
 そうした現実ははっきり認識しながらも、付随して起こる感情をコントロールすることによって、この世の苦を根本的に解決しようとするのです。
 修行では、まず、利害関係のない他者を感想し、怒りも親しみも執着もない平等心になります。
 次に、親しい人を観想し、さっきと同じ平等心になるまで感情をコントロールします。
 次に、敵を観想し、怒りや恐怖が起こらなくなるよう、心を鎮めます。
 最後に生きとし生けるものを観想し、平等心を揺るぎないものにします。


 質問です。
「好きな気持も嫌いな気持もなくなったなら、人生がのっぺらぼうになりはしませんか?」

 み仏の説く平等心は、赤くもなく青くもなくいわばグレー一色といったものではありません。
 経典によれば観音様であれ、お地蔵様であれ慈悲に満ちていない方はおられず、至心に合掌してお顔を観ると、この上ない心の深さや広さや豊かさ感じられます。
 あの恐ろしい形相をしたお不動様もまた、「内心は慈悲なり」と説かれ、祈りをかければ、限りないお慈悲とご加護の力がありありと感じられます。
 私たち凡夫の一喜一憂、親愛と敵対、愛着と嫌悪といった苦を超えた世界は、豊穣で活き活きしたものに違いありません。
 だからこそ、泉のような救済力がわき出るのでしょう。
 
 実際にチベット仏教の修行法をやってみれば、自分が平等心へ入るところまでは行けずとも、そうした境地があることは理解できるはずです。
 たとえば、テレビで顔を知っているだけのアナウンサー(Aさんとします)などの顔を思い浮かべて心の状態を確認した後、家族の顔を観想します。
 家族はAさんよりずっとずっと近く、喜怒哀楽の表情はそのまま自分の心へ投影され、強い印象となって残ります。
 深呼吸をしながら感情の治まりを待っていると、穏やかな静けさが広がり、感情はその中へ吸い込まれます。
 やっかいなのは、自分を裏切った相手や、著しい害を与えられた相手を思い出す段階です。
 恨みや憎しみは簡単に消えるものではありません。
 そうした気持を抱くに至ったできごとが現在まで尾を引いている場合などはなおさらです。
 しかし、お不動様の経典に説かれているような「一子のごとく」観る心、すなわち、生きとし生けるものを等しく「我が子」と観る平等心を目ざすなら、瞑想を続けるしかありません。
 Aさんを思い出す時の心の波と同じ波を得られるまでやるのです。

 愛しい人は愛しい憎い人は憎い、知らない人は関係ない、それは当然です。
 しかし、「愛しいから愛おしむ」、「憎いから憎む」、「知らないから知らぬふりをする」を続けているだけでは、この世が真の安心と思いやりにあふれた極楽になり得ません。
 愛しくとも執着しない、憎くとも思いやる、知らない人でも手を差しのべる、お互いがこうした境地へ一歩でも二歩でも近づければ、この世から薄皮を剥がすように迷妄や争いが消えて行くことでしょう。

 心のステージを変える修行は、決してのっぺらぼうな人生をもたらすものではないのです。
2008
11.25

日本の歌 96 ─夕焼小焼─

夕焼小焼
  作詞:中村雨紅 作曲:草川信 大正12年、新しい童謡( 一)」に発表

1 夕焼小焼で 日が暮れて
  山のお寺の 鐘(かね)がなる
  お手々つないで 皆かえろ
  烏と一緒に 帰りましょう

2 子供が帰った 後からは
  円(マル)い大きな お月さま
  小鳥が夢を 見る頃は
  空にはきらきら 金の星


 寺院の鳴らす鐘によって庶民が時を知る時代があった。
 作詞された大正8年の東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)では、当時も鐘が撞かれていた。
 今は、特別な場合を除けば、大晦日に除夜の鐘が鳴らされるくらいのものである。
 当山のある大和町では、朝、昼、夕と、いろいろな町内放送がある。
 うるさいと感じる人もいることだろうが、地域を一つのまとまりとしてとらえる考え方が行政と町民との間で共有されているから成り立っているのだろう。
 当山の『宮床弘法水』を掘り当ててくださった井戸掘りの〈神様〉Aさんは、都市部の依頼をすべて断っている。
 必ず近所の住民からクレームが入るので、音、振動、排水といった工事につきものの処置ができない。
 アトム化(孤立化)の進む都会人が「おたがいさま」という観念を保ち続けるには根気が要る。

 さて、1番は、鐘の音を聞いた子供たちが手に手を取って家路を急ぐ光景である。
 迫り来る闇から逃れて家族の待つ明るく安全な家へ帰る素直な子供たち──。
 それは、大人たちに夜明けと共に起きる生活があったことと密接に結びついている。
 時代は変わった。
 太陽が昇り、沈む24時間の流れと無関係に人々は生きるようになった。
 しかし、生きものとしての人間は、依然として体内時計を抱えたままである。
 そのリズムとずれた生活のもたらす危険性は疾うに気づかれ、警鐘も激しくなってはいるが、人間はなかなか「自由」をやめられない。
 子供が自由をやめられないのも当然である。
 この文明はどこへ行くのだろうか。

 子供にとって山へ帰るカラスは身近な仲間だった。
 今でも絵本などではウサギやカメなどと並んで可愛らしく描かれているが、特に都会人にとって、カラスはゴミを散らかす敵でしかない。
 大人が敵と感じているものへ子供が本当に親しみを持てるわけがない。
 つまり、1番は、もう、失われた光景である。
 しかし今でも唄い継がれているのは、2番があるからではないだろうか。

 2番の光景は、子供たちが実際に目にするものではない。
 怖れや不安を伴った夕闇の後には、月と星の世界が広がる。
 円い月は、家族と憩う子供たちをその目に見えないところから見守り、輝く星々もまた、団らんへ拍手し祝福してくれている。
 それは、小鳥たちにとってもまた同じである。
 2番を唄う子供たちは、無意識のうちにその約束を信じる。
 こうした世界の支えを信じればこそ、家で褒められようが叱られようが、子供たちは安らかな眠りにつける。
 宗教感覚に通じる〈絶対の守護感〉にこそ、この歌の真骨頂がある。
 教師の方々はそこに気づきながら指導して欲しいと願う。

2008
11.24

第八回、映画「チベット チベット」を観る会が終わり、いよいよ今年最後の会です

 11月1日の会が終わり、12月6日午後2時より第九回が催されます。
 11月の出席者からは「現在、実際にどうなっているかを知りたい」というご意見がありましたが、当然のことです。
 現実へ的確な対応をするには、〈今〉を正確に知らねばなりません。
 その方法はいろいろありましょう。
 当山は寺院として、又、同じ仏法に導かれる行者としての立場を超えずに活動する予定です。

 さて、11月22日、インドのダラムサラで開かれていた亡命チベット人による緊急会議は、今までどおり「高度の自治」を求める方針を採択ました。
 急進派など一部が求めていた独立の要求は退けられました。
 また、中国政府から前向きな姿勢が示されない限り、対話を中断することも決まりました。
 中国の人民日報は、即刻、ダライ・ラマが「祖国分裂の立場を放棄していない」ために対話は進展しなかったのだと非難しました。
 すべて、当然の成り行きでありましょう。

 そもそも、チベット仏教を信じるチベット人たちは、中道の教えに導かれています。
 中道とは、あらゆる衆生が輪廻世界を流転する者として等しい存在であり、自他の区別なく、好き嫌いの区別なく、味方の区別なく慈悲をもって接しなければならないというものです。
 人々は、「へ対しては怒りを、見方へ対しては信頼を」という固定観念を打ち崩す先に待っているみ仏の平等心へ憧れて修行しています。
 もちろん、味方かを判断する能力を放棄しようとするのもではありません。
 そうした現実ははっきり認識しながらも、付随して起こる感情をコントロールすることによって、この世の苦を根本的に解決しようとするのです。
 修行では、まず、利害関係のない他者を感想し、怒りも親しみも執着もない平等心になります。
 次に、親しい人を観想し、さっきと同じ平等心になるまで感情をコントロールします。
 次に、を観想し、怒りや恐怖が起こらなくなるよう、心を鎮めます。
 最後に生きとし生けるものを観想し、平等心を揺るぎないものにします。
 こうした段階を経て愛憎執着に左右されない慈悲心を確立しようと努力している人々が、武器と暴力と権力とをもって弾圧する中国政府へ同じ武器や暴力や権力をもって対抗しようとするはずはありません。
 それをやったなら、チベットチベットでなくなるからです。

 こうした人々が弾圧され、殺され、地上からその文化が失われつつある時、私たちが手をこまねいていれば、必ずや「明日は我が身」となることでしょう。
 絶対に戦争をしないと決めて半世紀以上経ち、そのことが大きな経済力以上に世界から認められている日本が、もしも、周囲の国々と同じく武器を背景にした政治や外交を行う「普通の国」になったならば、日本は日本でなくなります。
 チベットの問題は、日本の問題でもあると考えねばなりません。
 私たちが窮地に陥ったチベットを救うことができれば、日本もまた、窮地に陥った時、世界から見捨てられないのではないでしょうか。

 慈悲を根本とする文化を持つチベット、慈悲を貫こうとしているチベットの人々へ手を差しのべようではありませんか。
2008
11.23

日本の歌 95 ─夕日─

夕日
  作詩:葛原しげる 作曲:室崎琴月 大正10年発表

1 ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
  ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む
  まっかっかっか 空の雲
  みんなのお顔も まっかっか
  ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む

2 ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
  ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む
  烏よ お日を 追っかけて
  まっかに染まって 舞って来い
  ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む


 この歌は古い幼少期の記憶につながっている。
 4才で角田市(当時は角田村)から仙台市へ出てきたばかりの頃、祖父も父も商売をやり、母は教師で忙しかった。
 ある大雨の夕刻、床屋から帰れなくなり、理髪師さんがおぶって家へ帰してくれたことがある。
 雨だから夕日とはまったく関係ないはずなのだが、なぜかこの歌と一緒に思い出される。
 カラスへ、沈んで行く太陽を追って真っ赤に染まれと語りかけていた記憶はない。
 面白いものである。
 記憶はモザイクのようになっているのだろうか。

 さて、あらためて詠んでみると、「ぎんぎん ぎらぎら」は秀逸である。
 特に、子供がねぐらへ帰るカラスと対比させてとらえる時の夕日は、「ぎらぎら」である。
 子供は顔が赤く染まる頃に帰宅せねばならない。
 山の稜線を黒々とそしてくっきりと描き出す頃の夕暮れがかもし出す興趣は、もっと大人にならないと解らない。

 有名なエピソードがある。
 当初は「きんきん きらきら」だったが、小学2年生の娘から「お父さん、『ぎんぎんぎらぎら』でしょう」と指摘されて、変えたという。
 大人が夕日に見る金色は「きらり」だが、まだ幼い生命が受けとめる夕日の赤みを帯びた金色は輝きながら圧倒的に迫ってくる色であり、「ぎらり」という有無を言わせぬ迫力を伴っているのだ。
 彼はおそらく、意見に「そうか!」と膝を打ち、ただちに変えたのだろう。
 西條八十の『赤い鳥』による童謡運動と激しく対立し、子供たちのための歌は、子供たちの感性に合わせて創られるべきであって、大人の趣味を混ぜてはならないと主張していた葛原しげるらしいできごとである。
 そのために、決定的な歌詞が誕生した。

 子供たちは「ぎんぎん ぎらぎら」の力を感得できる少年少女であって欲しい。
2008
11.22

供養堂(寺子屋)をお守りいただくご本尊様です

201122002.jpg

 寺子屋を始める供養堂にお祀りするご本尊様(金剛界大日如来)の見本が届きました。
 きっちり10分の1のお姿です。
 完成すると総丈は約4メートル半になります。
 自然で撮影したところ不思議なを発しておられ、しばらく動けなくなってしまいました。
 真後には「月輪観(ガチリンカン)」を修法するための満月を描いた掛け軸が安置してあります。
 とても、とても、ありがたいことです。

2008
11.21

日本の歌 94 ─椰子の実─

椰子の実
  作詞:島崎藤村 作曲:大中寅二 昭和11年「国民歌謡」に発表

1 名も知らぬ 遠き島より
  流れ寄る 椰子の実一つ
  故郷(ふるさと)の岸を 離れて
  汝(ナレ)はそも 波に幾月(イクツキ)

2 旧(モト)の木は 生(オ)いや茂れる
  枝はなお 影をやなせる
  われもまた 渚を枕
  孤身(ヒトリミ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

3 実をとりて 胸にあつれば
  新(アラタ)なり 流離の憂(ウレイ)
  海の日の 沈むを見れば
  激(タギ)り落つ 異郷(イキョウ)の涙

4 思いやる 八重の汐々(シオジオ)
  いずれの日にか 国に帰らん


 明治31年、東大生の柳田國男が愛知県田原市の伊良湖岬で椰子の実を拾い、日本民族は南方から渡来したというインスピレーションを抱いた。
 その話に興味をそそられた島崎藤村がこの詩を書き、『落梅集』へ収めた。
 伊良湖岬は日本列島のちょうど真ん中あたりにあり、実際に、椰子の実が南国から流れ着くことがある。
 遺伝子の研究によると、他の民族と同じく日本人の起源は多々あり、血の多くはバイカル湖付近の中央アジアや上海付近の東中国などから入っているが、東南アジアから入っているものもある。
 混血は人類の宿命である。
 遺伝子が混ざる度合いが高いほど高いレベルの文明を創る傾向があり、生き残る力も強いという。

 柳田國男島崎藤村が南方系の血筋を強く引いた人なのかどうかは知らないが、一個の椰子の実に起源を感じた衝撃を共有した成り行きは理解できる。
 私たちは、ふと、「自分はどこからやってきて、どこへ行くのか?」と疑問を覚える。
 その多くは時間的なもので、過去と未来へ想いを馳せることになるのだが、乳幼児の蒙古斑を目にしたり、日本人とそっくりなチベット人を見た時などは空間的な想いも芽生える。
 遙かな祖先たちは何を考え、何を望みながら海を渡り、砂漠を歩み、山を越え、森を抜けたのだろうか。

 それにしても、島崎藤村は熱い。
 一番では、椰子の実に興趣をそそられ、語りかける自分がいる。
 二番では、椰子の実と心の旅人である自分とを重ねている。
 三番では、自分が浜辺にいながら、心は「流離の憂い」を新たにし、「異郷の涙」が激り落ちる椰子の実になっている。
 四番では、もう自分はどこにもいなくなり、ただただ故郷を偲ぶ一個の椰子の実になり果てている。
 詩人の魂をここまで高揚させた柳田國男は鋭い。
 こうした偉人たちの文化伝統を生きられる私たちは幸せ者である。
2008
11.20

問いかけ

 信徒Sさんの投稿です。

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2008
11.20

第三回「徹子の部屋」コンサートのチケットをお譲りします

 ご縁の方がコンサートへ行けなくなってしまい、困っています。
 チケットを欲しい方はご連絡ください。

日 時  平成12年12月8日(月)
      午後5時30分開場、6時30分開演
場 所  東京国際フォーラム ホールA
入場料  8000円(A席) 指定席続きで三枚有り
ご連絡  法楽寺まで 022(346)2106
2008
11.20

12月の俳句

 12月は師走です。
 俳人で信徒総代でもある鈴木悦子さん(仙台市太白区在住)の句です。
 鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって俳句を投稿しておられます。(掲載が月遅れになる場合があります)

あいまいに生きて又もや年つまる


 作者の言う「あいまい」は、決して「いい加減」ではない。
 女性として俳人として、み仏にすがる者として闊達に生きたということだろう。
 年を越すには、関所に至るまでの間に片づけるべきことを終えていなければならない。
 残りの時間がつまってくるのである。

日向ぼこにもらいし大欠伸


 は欠伸も、くしゃみもし、イビキもかく。
 夢を見るのかどうかは判らないが夜中に寝言も言う。
 クロが当山に住みつくまで、ネコがこれほどまでに人間に近い動物であるとは知らなかった。
 もっとも、DNAが人間と数パーセントしか違わないそうではある。

残照に種朝顔の蔓たぐる


 朝顔の種を取ろうと待っていて、その時期が来た。
 夕陽は沈んだが、西の空にはまだ紅みが残っている。
 冷たさを増した空気の中、蔓をたぐって種を集める。
 来年を待って黙々と作業をする作者の顔はいくらか紅く染まっていたのだろうか。

店の時計どれが本当か暮れ迅し


「今、何時なんだろう」と思って時計屋に飾ってある時計たちを見ると、それぞれに時を告げていて、はっきりしない。
 よく比べて確認するまでもなく、夕闇は急速に近づいてくる。
 秋の「つるべ落とし」である。
 時計のあいまいさと夕暮れの暗さの対比が面白い。

鈍くなる頭を扣く新生姜


 活きの良い生姜は気持をシャキッとさせる。
 ワサビがツーンと鼻にきて頭まで届く感じはよく理解できるが、生姜を頭にからませる発想は面白い。
 もしかすると、「しっかりしなきゃ」と、自分で自分の頭を叩くというイメージなのかも知れない。

鉢花を取り込むことも冬支度


 花が寒さにやられぬよう、鉢を室内へ入れなければならない。
 外で気持ちよさそうに直射日光を浴びていた花がガラス窓の内側へ入れられると、いかにも保護されているように見えてくる。
 守られなければ生きてゆけないものたちが愛おしくなる。

綿虫のただよふ軒の夕明り
綿虫の泛びつ消えつ目の暮

 綿虫は別名雪虫である。
 無風のやや暖かい日に空中を漂う。
 ロウでできた白いかたまりをくっつけてふわーり、ふわーりと遊びまわり、高い空へ消えて行く。
 素手に乗せると淡雪のように軽く、溶けてなくなりそうに儚い。
 夕暮れによく似合う。

松茸に思案の財布開けにけり
平和なる時間と思ふ松茸


 松茸は依然として高級品である。
 しかし、他に代え難い香りは、秋の味覚として欠かせない。
 好きな方は「これを食べないと秋になった気がしない」と言う。
 思い切って買えるのは今日をを安心して生きられるからであり、そこにある平和は確かである。
2008
11.19

平成20年12月の運勢(世間の動き)と六波羅密(ロッパラミツ)行による開運法

 今月は、こり固まっていたものが解け始め、大きな問題に変化が現れることでしょう。
 こうした時期にあって大事なのは、明智をもって動きをきちんと観ることです。

 人は〈利〉と〈理〉によって動くものですが、いかなるものを真の利と考えるかによって理のはたらかせ方が異なります。
 我利我利亡者(ガリガリモウジャ)ならば、「孫悟空」の猪八戒(チョハッカイ)と同じく、自分が得することを目ざし、より強く大きな熊手を探すことでしょう。
 自分の人生を潤すものは、自然や社会や先祖や家族などの「おかげ」なしに得られないことを知っている人ならば、自他共に笑顔になれることを目ざし、行動することでしょう。
法句経』は説きます。

「もしも自分から他人のために利となることを行うならば、その利益は決してなくならない。
 本当に自分のためになることが何であるかを知ろうとするならば、教えを学び、我欲を律する戒めに従わねばならない」


 このように、明智とは、ただの知恵ではありません。
 自他共に利となることを目ざす姿勢に裏打ちされた智慧です。
 カメラのファインダーから被写体を観るように明智によって自分とこの世を観れば、解き放つべきものと解き放ってはならないものが判別できることでしょう。
 たとえば、もしも体調がおかしいなあと感じたならば、悪しき食習慣などを変えるべきです。
 仲間がおかしな方向へ行こうとして忠告を聞かないようであれば、思い切って離れることです。
 また、「こちらをとればあちらが立たず」といった窮地に陥ったならば、もう一度、冷静に考え直しましょう。
 支倉常長がローマへ向かって航行していたおり、暴風雨に遭い、積み荷を減らすために殿様から託された品々を捨てるかどうかという場面に立たされました。
 伊達家の家紋が入ったものを海へ投げ捨てるなど、武士としては腹を切るほど辛いことだったに違いありません。
 しかし、彼は、自分の名誉などのためではなく、乗組員を救い大役を果たすために決断し、航海は成功しました。

 同じように、世の中にも、解消した方が良い〈こり固まり〉や、捨ててはならない〈志〉があります。
 11月13日、マスコミは、奥田碩(ヒロシ)トヨタ自動車相談役(日本経団連名誉会長)の暴言をいっせいに報道しました。
 政府主催で行われた懇談会の席上、マスコミの厚生労働省批判に対して「何か報復でもしてやろうか」と言い放ち、トヨタの広告をやめて批判する新聞やテレビ番組などを困らせてやろうと示唆したのです。
 しかも、重ねて、批判するマスコミのスポンサーはパチンコ屋などであると指摘し、大企業は優秀で政府を助け、小さな企業は愚かだから政府を攻撃するのだといわんばかりでした。
 11月15日、北朝鮮による拉致被害者市川修一さんの母親トミさん(91歳)が亡くなり、17日、鹿児島県鹿屋市の斎場で葬儀・告別式が行われました。
 修一さんの兄健一さんは「修一を母の胸に抱かせてやりたいとの一念で頑張ってきたのに、悔しくてなりません」と挨拶しました。
 拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表も参列し、政府の拉致問題対策本部総合調整室長河内隆氏は「拉致問題の解決に全力で取り組む」との麻生太郎首相の弔電を読み上げました。
 こうしたできごとについてよく考え、判断し、行動したいものです。

 さて、今月の開運ポイントは神社仏閣へのお詣りです。
 その昔、武芸者は不動明王や摩利支天や香取大明神へ願をかけて修行し、今も、受験の合格や病気の平癒を願って文殊菩薩や地蔵菩薩などのお百度参りをするお母さん方がおられます。
 お詣りして自分を清め、すがすがしい心で工夫や努力をしましょう。
 
 今月も人の道をしっかりと歩むために、菩薩をめざす六波羅密(ロッパラミツ)行に邁進しましょう。 まっとうに生きましょう。
[布施行と運勢]お水を供えましょう。
 精進の人は賢者や善友に従い、意志を強く持って正しい道を進めます。
 不精進の人は気ままと弱気が交錯し、道を踏み外しがちです。
[持戒行と運勢]塗香で手や心を清めましょう。
 精進の人は困難にあってもより所が見つけられ、喜びを得ます。
 不精進の人は大切なものを不用意に手放しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]お花を供えましょう。
 精進の人は自分を投げ出しても志を守ろうとし、悔いのない結果が得られます。
 不精進の人は我欲に負け、後悔しがちです。
〔精進行と運勢]お線香を供えましょう。
 精進の人は難儀している他人を救い、その福徳で幸運に恵まれます。
 不精進の人は守るべきものを間違って、大事なものが手から滑り落ちがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は堂々と言い、行動し、しかるべき評価を得られます。
 不精進の人は周囲を窺いながらうまくやろうとして、チャンスを逃しがちです。
[智慧行と運勢]灯明を点しましょう。
 精進の人は功名や財産に執着せず、真の安楽を得られます。
 不精進の人は自分だけの利を求めて貪り、凶運を招きがちです。

 皆さんの開運を祈っています。
2008
11.18

日本の歌 93 ─紅葉(もみじ)─

紅葉
  作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一 明治44年『尋常小学唱歌 第二学年用』に掲載

1 秋の夕日に 照る山紅葉
  濃いも薄いも 數(カズ)ある中に
  松をいろどる 楓(カエデ)や蔦(ツタ)は
  山のふもとの 裾模樣

2 溪(タニ)の流に 散り浮く紅葉
  波にゆられて 離れて寄つて
  赤や黄色の 色さまざまに
  水の上にも 織る錦


 子供の頃、二部合唱を行い、気持ちの良い歌だなあと思っていた。
 紅葉のイメージに強く惹かれた記憶はない。
 この道へ入り、経を学んでから、紅葉、そして錦はとても身近なものとなった。
 山裾を彩る紅葉を象徴とする教えがあり、この歌を思い出してハッとさせられたからである。
 東洋哲学の最高峰に位置すると思われるこの経文は、人生の局面や心模様のパターンを384枚のイメージカードとして整理したようなもので、やはりイメージの宗教である密教を学ぶ者にとって、非常にすんなりと理解できた。

 そびえ立つ山の麓に山村があり、点在する民家を包む紅葉の紅、イチョウの黄色。
 収穫の秋を祝う色鮮やかな裾模様は冬将軍を迎える絨毯でもある。
 日本列島は、紅葉前線が南下するうちに立冬を迎える。

 美しく着飾り、祝う自然、そして巡り来る厳しい冬。
 私たちの人生もまた、こうしたところを経つつ過ぎて行く。
 与謝蕪村はこう詠んだ。
「山くれて 紅葉の朱を うばひけり」
 歌人の眼は、夕暮れに、もう、冬を観ている。

 澄んだ池の浅瀬に沈んでなお色を際だたせ、、あるいは揺れながら川面を去って行く深紅の秋の印章を見つめる時間を大切にしたい。
2008
11.17

ヤクーバとライオン 2

 お盆を終え、フランス人絵本作家ティエリー・デデュー作の「ヤクーバとライオン1 勇気」について書いた。
 年末を迎える時期になり、「ヤクーバとライオン2 信頼」について書いておきたい。

 手負いのライオンを殺して英雄になるか、救って気高く生きるかを試されたヤクーバは、真の勇気をもってライオンを救い、自分は仲間からバカにされても、牧場はライオンの攻撃を受けなくなったというのが「1 勇気」の物語だった。
「2 信頼」のあらすじは以下のとおりである。

 人間も生きものたちも次々に斃れる大干ばつが訪れた。
 王者となったあのライオンキブウェは、群れを救うために、ヤクーバの守る牧場を襲うしかなくなった。
 そして、二人は闘う。
 どちらにも後へ引けない〈任務〉があり、仲間のため、村人のため、そうするしか道はない。
 しかし、見た目には激しい殺し合いのようでも、キブウェは爪を引っこめ、ヤクーバは槍を深く刺さず、互いを救おうとする。
 王者と闘って一歩も引かないヤクーバを英雄と認めたライオンたちは次々に牧場を去り、深夜になって二人は力尽き、休戦となった。
 残ったのは相手への〈尊敬〉だけである。
 夜明けになり、キブウェも去った。
 何があったのかと訊ねられたヤクーバは「友だちがたずねてきただけさ」と答える。
 数日後、飢えて付近をうろつくキブウェの栖近くに肉のかたまりが置いてあった。
 しかし、〈王者としてのほこり〉を持つキブウェはそれに手をつけず、村とヤクーバに別れを告げる。


 絶対に後を見せられない闘いにあって相手を殺さなければ、自分が死ぬしかない。
 その段になってもなお、殺さないという信念をつらぬくためには、殺さない、そして殺されない闘いをせねばならない。
 しかし、一歩まちがえば、つまり、一瞬でも相手にこちらを殺そうとする意志がはたらけば、自分は死ぬことになる。
 こうした闘いを闘いきるには、自分の信念もさることながら、相手への絶対の信頼がなければならない。
 相手を疑った時、恐怖が訪れ、必ず殺そうとするだろう。
 それは同時に、こちらが殺される可能性を一気に高めることでもある。
 死を前にして疑いと恐怖に負けない信頼とは、究極のものではなかろうか。

 それは、たとえば、サーカスの空中ブランコを演ずる人々の手と手にある。
 こうした信頼があってこそ消費者は安心して食べ物を手にしていたはずだが、もはやそれは過去のものとなった。
 信頼が崩れるのは一瞬だが、いったん生じた疑いと恐怖は気が遠くなるほど長く居すわる。
 一旦、空中ブランコの相手を疑ったならば、二度と組めないのと同じ理である。

 今は、明らかに、信頼の崩壊が続く時代である。
 教師が、医師が、警察官が、政治家が、さまざまな商売人が、親が、子が、著しく信頼を失った。
 私たち僧侶への信頼などは昔話になりつつある。
 人類を救うのは性善説であるが、時代は性悪説への傾斜を深めている。
 防犯カメラの氾濫がその証拠である。
チベット人、中国人と分けて考えてはならない。等しく苦を背負った人間同士なのだから」というダライ・ラマ法王の非暴力中道路線は、チベットを蹂躙し続ける中国政府の弾圧の前に、風前の灯火となった。

 しかし、私たちは、「人は皆、み仏の子」であるという真実を信じながら、善きものを守る力を高めねばならない。
 子供たちが輝いている霊性を曇らせぬよう守り、導かねばならない。
 ティエリー・デデューの掲げた「勇気」と「信頼」は、現代人に突きつけられた途方もない課題である。
2008
11.16

日本の歌 92 ─めだかの学校─

めだかの学校
  作詞:茶木滋 作曲:中田喜直 昭和26年NHK「幼児の時間」で発表

1 めだかの学校は 川の中
  そっとのぞいて みてごらん
  そっとのぞいて みてごらん
  みんなでおゆうぎ しているよ

2 めだかの学校の めだかたち
  だれがせいとか せんせいか
  だれがせいとか せんせいか
  みんなで元気に 遊んでる

3 めだかの学校は うれしそう
  みずに流れて つーいつい
  みずに流れて つーいつい
  みんながそろって つーいつい


 3歳まで農村で育った私にとって、メダカは特別な存在だった。
 茅葺きの家のそばにあった小さな流れはところどころに淀みを作り、そこには群れをなして泳ぐメダカたちがいた。
 4歳で仙台の街に移り住んだが、いつしかヒメダカを飼うようになり、中学生の時は、ヒメダカが色や形や音や味などにどう反応するかを調べて研究発表をした。
 水槽で飼い、池で飼いし続け、山里暮らしになった今は、本堂前の小さな池が彼らの栖である。
 糸のような子供たちが生まれるとホッとする。
 ご参詣の方々の中に小さなお子さんを見つけるたびに、「メダカがいるよ」と声をかけてしまう。

 去年、小学校の校庭にビオトープがあるというので見に行った。
 寺子屋を行うお堂の近くにそうしたものを作り、メダカを見せたかったからである。
 美しい流れにメダカはいなかった。
 今、メダカは絶滅が危惧されている。
 しかし、日本人の意識が変わり、政治がまっとうなものになれば、米の重要性と田んぼや里山の価値が見直され、農業の復興と共にメダカも救われることだろう。

 水族館へ行き、大きな魚たちが巨大な群れとなって方向を変えつつ泳ぐダイナミックさに目を奪われるのも結構だが、水辺にしゃがみ、メダカたちが先頭の動きにつれて泳ぎ回る様を眺めるのも佳いものである。
 子供たちから、この「佳さ」を解る心が失われないよう、祈る思いである。
 幼い頃この歌になじんでいれば、都会の子供たちも、ペットセンターなどへでかけた時、必ずメダカが目にとまることだろう。
 じっと眺めて欲しい。
2008
11.16

護摩の火に現れたみ仏

 9月の第二例祭で、ご参詣のSさんが撮った携帯電話の写真です。
 護摩の色が変わり、みが立っておられるように見えます。

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2008
11.16

観念の奴隷 1 ─救われぬ親子─

 Aさんの息子Bさんが山に登り、「これから~へ向かう」と電話を入れたきり、消息を絶った。
 懸命の捜索にもかかわらず、安否の確認ができぬまま、数ヶ月が経った。
 情報を集めてみると、山小屋でBさんと話をした人が見つかり、足取りの一部がわかった。
 また、自宅へ最後の電話をした直後に、誰かと連絡をとった痕跡が見つかった。

 誰といかなる会話をしたかは、それからどこへ向かおうとしていたかを推測するカギになると期待し、Aさんは電話会社C社へ情報開示を申し込んだ。
 ところが、C社は「個人情報である」として、通話の相手や内容を一切、教えない。
 警察が訊ねても同じである。
 納得できないAさんは、弁護士Dさんへ相談し、DさんはC社とかけ合った。
 例外規則をもって開示できると判断したからである。
 ところがC社はのらりくらりして埒があかない。
 Dさんが総務省へ電話を入れたところ、担当者は「C社」へ連絡してみますと返事したが、まったく進展しない。

 さて、これほどまで頑なに開示できない「個人情報」とは一体何だろうか。
 Dさんは、C社の担当者へ「もしも貴方のお子さんが同じ状況に陥った時、貴方は、行方不明になる直前のお子さんが、どこの誰とどんな話をしていたか知りたいとは思いませんか?」と迫ったが、無言だったという。
 これは北朝鮮の拉致問題と同じ構図ではないか。
 自分に火の粉がかかるかも知れない情報は隠したままにして、時間が経つのをじっと待っている。
 人命にかかわる重大問題であるにもかかわらず、人道を第一にせず、我が身を第一にして困窮している相手を見殺しにしようとする。
 こうした姿勢は悪である。
 人の親の切なる思いを無視して平気の平左を決めこんでいる電話会社も、総務省も、問題を抱えた組織と言えよう。

個人情報は特定の個人だけのものであって、いかなる場合も家族を含む第三者に知られてはならない」
 この観念は、現代人が取り憑かれた迷信ではないだろうか。
 そもそも社会の世話にならず、「おけがさま」から離れて生きられる人間は、一人もいない。
 何を考え、何を言おうと自由であるが、それはすべて、生かし生かされている関係性の中で成り立っている。
 考え、話すことによって人間性は不断に周囲へ滲み出ており、それが人間関係や社会内の位置などを創り、場合によっては破壊する。
 つまり、特定の個人が何者であるかという〈個人情報の根〉は、程度の差こそあれ、自ずから知られている。
 それなのに、社会人の義務である種々の登録事項を始め、人間が話し、行動した痕跡の全てがフタをされねばならないとは、実におかしなことである。
 もちろん、そうした情報を悪用されることを恐れて各種のきまりができたのだろうが、今回の事例を考えると、「あつものに懲りてなますを吹く」「角を矯めて牛を殺す」ところへ来てしまっている。
 特定の観念が暴走し、人々を思考停止にさせ、利己主義を助長している。
 金看板の陰に隠れていれば自分を守れると錯覚させ、当事者にならないで済む理由を与え、情(ナサケ)を封じ、人間を卑劣で非人間的な存在へ変えつつあるのが何よりの証拠である。

 私たちは、こうした「観念の奴隷」にならぬよう、情(ナサケ)を枯渇させぬよう、心して生きたいものである。
 C社へ情報開示を迫り続けるDさんの応援をしたい。
 AさんとBさんが救われるよう願ってやまない。
2008
11.15

【現代の偉人伝】第70話 ─「のこすことば」館澤史岳氏─

現代の偉人伝~隣にいる英雄たち~とは

アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。

>詳しくはこちらをご覧ください。


 


 友人の周辺で起きていたできごとである。

 館澤史岳氏(30歳)は、10年かけて2200万円の借金を返しきり、その思いをさりげない文章にした。
 
 彼の「二十二歳の自分にのこしたい言葉」は、今年の「のこすことば文学賞」で最優秀賞に選ばれた。
 この文学賞は、当山が【現代の偉人伝】第67話で紹介している佐久間勉艇長の遺書にちなみ、若狭町が6年前に創設したものである。
 佐久間勉艇長は、明治43年4月15日、広島湾沖において、潜水訓練中の事故で沈没した潜水艇の艇長であり、最後まで冷静沈着に行動し、艇内に残されていた遺書は、世界中に「ここに日本人あり!」と知らしめる魂の記録となった。

 父親が背負ってしまった借金によって家庭が荒れた時、22歳の彼は、保育士になる夢を捨て、「我が返す」と立ち上がった。

「貧乏暇なし」とはよく言ったものだ。
 考える時間が恐ろしかった。
 夜になると死ぬことばかり考えた。
 先が真っ暗だった。
 人は、未来に何かがあって、それを思い悩み死んでいくのではない。
 先が見えないから、先がないから死ぬのだ。
 お前は自殺する人の胸のうちを知ったような気がした。
 泣き疲れてみる夢の中でも、お前は泣き続けた」

 何を行ったかは示していないが、共に泣き、共に憤ってくれる友人たちに励まされながら、返済を終え、自分へこう言いきかせている。

「───お前の人生は、案外、普通の人生だった───」

 短い文章は、こう締めくくられている。

「お前は負けない。
 私が知っている。
 勝てなかったかもしれないが、お前は負けなかった。
 父のことも母のことも、姉のことも、姉の旦那のことも、友人のことも、自分のことも、誰一人として裏切ったりはしなかった。
 お前は生きる。
 私は生きている」


 無一文になってこの道へ入り、法的にどうであるかは別として、娑婆に膨大なマイナスを残したことは、私の胸から去ってはいない。
 私は、こうした人を高く仰ぎ見ずにいられない。
 映画「おくりびと」の納棺師をも仰ぎ見る思いでいる。
 僧侶が枕経へかけつけるのは、彼らが遺体へ処置を施し、死の無惨がせいいっぱい和らげられた状態になってからであり、最初に手をかける彼らを尊敬しないではいられないからである。
 還暦を過ぎ、深く教えられる真実にめぐり会う機会は増すばかりである。
 まさにこの世そのものが、教えを説く大日如来である。

二十二歳の自分にのこしたい言葉」は、荒んだ現代に希望の明かりを灯す。
 館澤史岳氏ととりとめない話をしながら、数分でも、断っている酒を酌み交わしたい。
 そして一言だけ伝えたい。
「これからの日本を頼む」と。
2008
11.14

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 21 ―所務、時務―

 11月12日の講座で学んだ『法句経』の経文です。

 行として自分へ課すものをあらかじめよく検討し、なすべきことをきちんとなさねばならない。
 その日に行うべきことはその日に行って心を修めよ。時を失してはならない。


「愛身品」にある一句です。
 自分を愛するとは、自分を大切にすることであり、それは、可愛がることではありません。
 人間をまっとうな人間として成長させること、これが自分を大切にする具体的方法です。

 ここでは、なすべきことを「所務」とし、「所務を損ずることなかれ」つまり、いい加減なことをして時を過ごしてはならないと説いています。
 また、その時におこなうべきことを「時務」とし、「時務、時を失わざれ」つまり、その時に行わねば、もうなすべき時はないのだと説いています。
 前回学んだ「時に及んで勤力(ツト)むべし」と同じです。
 釈尊は、息を吸い、息を吐くところにいのちがあり、己を律してその一瞬一瞬をきちんと生きることが自他共に苦を脱する道であると説かれました。
 そうして過ごせば自他を幸せにできる智慧がはたらき、自他を救う慈悲が深まり、姿勢が定まります。
 姿勢が定まるとは、何を行っても背筋が伸び、右往左往しないことです。
 そうなると、当然、死への姿勢も定まります。

 こんなお話を申し上げたところ、Aさんから、亡父のお話がありました。
 重い病気にかかった父親は、死を悟った時、あらかじめ一切の延命措置を断り、自分で点滴の管を外して最期を迎えました。
 Bさんも言われました。
 早くから献体を決め、一年後の死を悟って種々の身辺整理をし、従容と逝かれました。
 お二人共、こうした父親を深く尊敬しており、自分もそうありたいと願っておられます。

 もちろん、最後まで闘い抜く道もあります。
 なにがしかの面で現役である方などは、特にそうしたものでしょう。
 緒形拳氏、筑紫哲也氏などは、役割をまっとうし尽くされました。

 いずれであっても、〈生き方〉が〈死に方〉に結びつくのは確かです。
 まっとうに生き、まっとうに死ねるよう、所務、時務を考えつつ、悔いのない日々を送りましょう。
2008
11.13

初冬を彩るもの

 境内地の

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 地に咲く

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 水に落ちた紅い珠。

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2008
11.13

ほめる 9

 かつてO小学校で行われていた校長先生と児童との手紙「ほめほめ便り」による交流をまとめた『ほめほめ集』からの抜粋です。
 このページを作るのが大変だろうと、篤信の方がわざわざメールで送ってくださいました。
 頭が下がります。
 勉強会などを通じて、ご縁の方々へご紹介しており、寺子屋の指針にさせていただきたいと願ってもいます。

 四年 M・H

 校長先生はいつも、はっきりしていて、あまり気げんがよくない時も、人の前に出ると、ニコニコして、あいさつをしていらっしゃる。
 わたしは、気げんが悪いときは、あいさつをしようという気になれずに、す通りすることもある。
 ふしぎだなァ、校長先生は、すぐあいさつができるのに、わたしだと、なぜす通りするのか教えてください。

 Sさんが、足を悪くしていて、あまり歩けません。
 Hさん達が、かばんを持ってあげたり、やさしく、いたわってあげています。
 それも、時々ではなく毎日です。わたしはそんなHさん達を、ほめてあげたいです。
              ◆
 真弥ちゃん、ほめほめの窓口へ きれいな字のお便りを二枚もくれてありがとう。
 心をこめて書いた文を読むのはとっても気持ちのいいものです。
 お返事も真弥ちゃんに負けないように ていねいに書いたつもりです。

 校長先生のあいさつを ほめてくれて どうもありがとう。
 校長先生も真弥さんと同じように、気分のすぐれないときはどうしてもあいさつができなかったころが、じいぶんながくつづいたよ。
 近ごろでは 少しぐらい気分が悪くても、大きな声であいさつをしていると、だんだん気もちが明るくなって、にこにことあいさつができるようになったように思うよ。
 真弥さんも がんばってみてくださいね。

 それから 足の不自由なSさんに、いつもやさしく 親切にしている、日浦さんたちのことを おしえてくれてありがとう。
 わたしたちはこまっている人に ときどきは親切にするけれども、毎日は なかなかできないものです。
 そうした日浦さんたちの やさしい心を、校長先生もならいたいと思います。

 それから 校長先生や日浦さんたちの やったことを、よいことだと思って、ほめあいの窓口に知らせてくれた真弥さんの心の中には、「よいことをしたい。」という 神様がすんでいらっしゃるのだと思います。

 これからも がんばって、お友達のよい所をみつけてください。
 そして自分もすすんで小さな親切を実行するようにしてください。
 そうしたらきっと、真弥ちゃんの心の中にいらっしゃる神様が、真弥ちゃんを いい気持ちにさせてくださると思います。



       ◇
 子供は実によく観ているものです。
「機嫌が悪くてもニコニコしていられるのはなぜか?」とは良い質問です。
 校長先生の「大きな声であいさつすることを習慣とする」も又、すばしい答です。

 こういうタイミングで神様をもちだせば、子供はきっと喜んで神様に感謝することでしょう。
 子供と校長先生がこうした交流を行っている学校があることは、奇跡のように思えます。
       ◆     ◆     ◆

 四年 K・T

 きのうのことです。
 わたしたちの組の岩城さんが、ちがう場所のおそうじをしていました。
 わたしはふしぎに思って、
「ここは事務室の人がやる所よ。」と言いました。すると岩城さんは、
「やってあげようと思うの。だって、ついでだもん。」とけろりとしています。
 わたしは「岩城さんって やさしい人だな」と思いました。
 そして、わたしも岩城さんを見習わねばと思いました。
              ◆
佳代子さん、
 つぎつぎとほめほめを書いてくれて、校長先生はうれしいよ。
 ほめほめがみつかるということは、あなたの、ほめほめの目が、どんどん元気になっているということですね。
 校長先生がいつも お話しする、 「目は心のまど」ですから、佳代子さんの心が、ほめほめになっているしょうこです。
 きょうは一ばん仲よしの岩城さんのことですね。
 岩城さんも、佳代子さんと同じように、ほめほめが、身についた子どもだと、校長先生はいつも感心しています。
 あなたの、きょうのほめほめにもあるように、岩城さんは人のやる所だからといって、ほっておけないやさしさをもっていますね。
 そして、気がついたことは 自分一人でもやってしまわねば気がすまない、強い実行力をもった人です。
 岩城さんがたった一人で、または、心の合った友だちをさそって、出入口や、わたりろうかなど よくおそうじしているのを校長先生は知っています。
 佳代子さんも その一人ですね。
 これからも 仲よくがんばってね。


                ◇
 他人が汗を流しながら行うはずのことを、放っておけずに黙って自分が行う。
 こうした人間に成長すれば、自動的に、あらゆる悪行はできなくなることでしょう。
「岩城さんがたった一人で、または、心の合った友だちをさそって、出入口や、わたりろうかなど、よくおそうじしているのを校長先生は知っています。
 佳代子さんも その一人ですね」
 これはまさに仏神が見ているという証(アカシ)です。子供たちはどれほど励みになることでしょうか。
 この校長先生こそ聖職者の名にふさわしい先生です。ああ、確かに存在した聖職者―――。
2008
11.12

即身成仏 3 ─救われる道─

 前回は、「身体と言葉と心を、み仏に合わせよう」と意識して身口意(シンクイ)の修行をし、成仏するコースを〈有相(ウソウ)の成仏〉としました。
 また、「そうしようと具体的に意識しなくても、身体と言葉と心のはたらきが、み仏のそれと一致している状態」を〈無相(ムソウ)の成仏〉としました。
 そして、印や真言や観想の修行に因らなくとも、み仏のような崇高さを持つに至った人々がおられることを指摘し、どうすれば自然体でありながら、み仏の子らしい生き方ができる人間になれるかを今回に託しました。

 もちろん、第一の道は、釈尊やお大師様のように行者としての修行を重ねる方法です。
 それは二つに分かれます。
 一つは、身体と言葉と心のバランスがとれた即身成仏法を行うことです。
 もう一つは、座禅を組んだり掃除をしたりして身体の修行を主としたり、お題目を何度も何度も唱えて言葉の修行を主としたり、観想をこらして心の修行を主としたりといったやり方です。
 お大師様は、こうした方法でも即身成仏の可能性があるとされ、「三密のうちたった一つでも怠ることなく修行し続けるならば、み仏のお導きによってやがては他の二つも実現できる時がきて、ついには即身成仏となるのである」と説かれました。
 だから、お大師様は、当時日本にあったいかなる宗教宗派とも争うことなく、現在も真言宗は対立の姿勢を帯びてはいません。

 さて、問題は、行者にならない第二の道です。
 最近の映画で名作とされている「おくりびと」の主人公を考えてみましょう。
 チェリストとしての才能に見切りをつけ、思いもよらぬ成り行きで納棺師(死者を荘厳する仕事人)になった彼は、とまどい、妻を含む周囲の人々から蔑まれますが、死という厳粛なものにかかわり、遺族の感謝を受けるうちに誇りと自信をもって仕事を行えるようになります。
 言い訳も説明もせず、チェロを弾く時と変わらぬひたむきさで黙々とはたらく姿に、人々の目は変わります。
 やがて、蔑んだ人も身内が世話になって救われ、自分を捨てた親の遺体に手をかけることによって彼自身も救われます。
 彼は明らかに清らかになり、勁くなり、深く大きな人間になって行きます。
 この過程は成仏の過程に他なりません。

 また、プロ野球日本一を決める西武と巨人の闘いでキーマンの一人となった平尾選手を考えてみましょう。
 住まいの老朽化によって本堂で寝起きしていることもあり、ほとんどテレビを観ませんが、たまたま偶然、目にしたのが最終戦の終盤で、西武の平尾選手がバッター、巨人の越智選手がピッチャーという場面でした。
 平尾選手の表情や仕草には鋼鉄のロープのような強靱さを感じ、相手の越智選手は大きく口をあいて呼吸する状態だったので、結果は決まっていました。
 案の定、平尾選手は基本通りの見事な打撃で勝負に勝ち、西武は日本一になりました。
 テレビの画面に映った彼の表情は忘れられません。
 大活躍が実って優秀選手に選ばれた時のセリフです。
「僕のような控え(選手)が(こんな晴れがましいものを)もらっていいんですか」
 ベテランとして若手の陰に隠れて土台となりながらも、勝負師としての練習は怠らず、常にチームを第一として選手たちを励まし続けた彼は、ここ一番という場面で鍛え抜いた心身の力を最大限に発揮しました。
 そして、ハイライトを浴びても舞い上がらず、奢らず、謙虚です。
 彼にも「み仏の子」を観て合掌しました。
 
 お大師様が「たった一つでも怠ることなく」と説かれたのは、仏門にあれば所定の修行ですが、娑婆にあれば生業(ナリワイ)です。
 いかなる道にあっても、それがまっとうなものであるならば、身体を鍛えよう、言語能力を高めよう、精神を向上させようとする精進は霊性を動かし、仏性を輝かせます。
 身口意をレベルアップする即身成仏は、仏性を持つ万人に開かれた救済法です。
 役割を天命、職業を天職と信じて精進できる人は幸せです。
 必ずや仏性の輝く時がくることでしょう。
2008
11.12

日本の歌 91 ─村祭─

村祭
  作詞:葛原しげる  作曲:南 能衛 明治45年「尋常小学唱歌(三)」

1 村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  朝から聞こえる 笛太鼓

2 年も豊年満作で 村は総出の大祭
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  夜まで賑わう 宮の森

3 治まる御代に神様の めぐみ仰ぐや村祭
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  聞いても心が 勇み立つ

(戦後3番の歌詞が変わっている)
  稔(ミノリ)の秋に 神様の
  めぐみたたえる 村祭
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  聞いても心が 勇み立つ

 子供にとってのお祭は、胸を大きく高鳴らせるものだった。
 出店はどこでも同じような仮面やオモチャが並んでいて、でかければ、定番の喜びが必ず待っていた。
 今も、お祭は楽しい。
 神々を讃え、楽しませ、同時に人々も幸せを分かち合う音楽と踊りは、人類の歴史と共に始まっているのだろう。
 日本では、「天岩戸(アマノイワト)」の故事が有名である。

 弟の須佐之男命(スサノオノミコト)があまりに乱暴なので、太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)は懲らしめようと天岩戸へお隠れになった。
 光を失った高天原(タカマガハラ)は精気を失い、病魔などがはびこりだした。
 そこで思兼神(オモイカネノカミ)は、皆を集めた。
 まずニワトリたちを思い切り鳴かせて始まりの合図とし、八百万(ヤオヨロズ)の神々が笛や太鼓に合わせて歌を唄い、つる草を頭に巻き笹の葉を手にした天宇受売神(アメノウズミノミコト)が踊った。
 自分が隠れているにもかかわらず賑やかにやっている様子を見たくなった天照大神は、少しだけ岩を動かして覗いてみた。
 その瞬間、思兼神と天宇受売神が「あなた様より勝れた神がおられます」と声をかけ、天照大神へ鏡を向けた。
 自分とよく似た女神にハッとした天照大神が、これはどうしたことだろうと少し身体を乗り出すと、その時を待っていた天手力男神(アメノタジカラオノカミ)が一気に岩戸を開けた。
 ふたたび高天原は光に満ち、神々もいのちあるものたちも躍動するようになった。
 改心した須佐之男命は修行に旅立った。

 お祭に欠かせない笛太鼓の音は、太古から受け継がれた何かを共振させる。
 きっと、天照大神のお怒りを和らげた神々が奏でたお囃子も、「ドンドンヒャララ ドンヒャララ」だったことだろう。
2008
11.11

【現代の偉人伝】第69話 ─二人の医師─

現代の偉人伝~隣にいる英雄たち~とは

アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。

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  A医師患者さんへ訊いた。
「あなたは最近、よく眠れていますか?」
 患者さんは答える。
「少し、寝足りないような気がしますが……」
 A医師はほほえみ、やや小さな声で語りかけた。
「それは良かったですね。
 少し足りないなと思うくらいがちょうど良いのです。
 どうです?
 何でも、そんなものじゃないですか?」
 患者さんは黙っている。
 この短い沈黙の重さと崇高さは、A医師の大きさを顕わにした。
 続けて、A医師は処方を決めた。
睡眠薬を少し弱いものにしてみましょうね」
 薬漬けの弊害が指摘され続け、一方では病院の経営難があたりまえになっている状況下で、患者を安心させて薬を減らそうとする医師もいる。

 Bさんにこのできごとを話したら、体験談を聞かされた。
 Bさんの母親が重篤になり、家族が、ある後戻りのできない判断を迫られた時のことである。
 C医師は告げた。
「この二つの方法のうちどちらを選ぶかは、皆さんでよく考えて決めてください。
 ただ、もしも私の親が同じ状態になったなら、私は前者を選びませんね」
 Bさんも内心、後者しか選択肢はないと思っていたが、その判断が正しいことを確認できたと考える前に、C医師の真摯さに驚嘆したという。
 私も息を呑み、しばらくしてから、二人の口から同じような言葉が出た。
「こういうお医者さんたちもいるんですねえ」

 さんざん人間を凝視してきた厳しいたBさんは、「いのちを扱う人々の中には、まれに、こうした人が生まれることがある」と言う。
 きっと、「まれに」ではなかろう。
 医師がこうした心を患者さんたちへ充分に伝えるさまざまな意味での余裕がないというのが現実なのだろう。
 今の日本にあって、まさに過酷としか表現できない医療現場を支える方々は、本来、仁術(ニンジュツ)を行う聖職者である。
 彼らがはたらく環境悪化は、聖職の危機であり、人間全体の危機でもある。
 しっかりした環境で、聖職者らしく存分にはたいてもらいたいものである。
2008
11.10

日本の歌 90 ─むすんでひらいて─

むすんでひらいて
  作詞:不詳 作曲:ジャン=ジャック・ルソー

1 むすんで ひらいて 手を打って むすんで
  またひらいて 手をうって その手を 上に
  むすんで ひらいて 手を打って むすんで
2 むすんで ひらいて 手を打って むすんで
  またひらいて 手をうって その手を 下に
  むすんで ひらいて 手を打って むすんで


 この歌は「春の小川」と並んで幼少時代を思い出させる歌の双璧である。
 保育所のそばを通りかかって手を結んだり開いたりしている子供たちを見ると、そこに孫を、子供を、そして自分を重ね合わせてしまう。
 無邪気だったあの日々を娘たちが通り過ぎ、孫が通り過ぎようとしている。
 ──くり返されるのいとなみ。
 同居していた祖父と祖母と母を送った。
 育ててくれた親は父だけとなり、自分たち夫婦の終末も意識されている。
 ──くり返される

 ところで、「むすんで」とは「閉じて」であり阿吽(アウン)の「ウン」、つまりではないか。
「ひらいて」とは「開いて」であり「ア」、つまりではないか。
「手をうって」とは人生の道行きであり、「その手を~に」とは道を定めることではないか。
 18世紀半ばにルソーが作曲してルイ15世のお褒めにあずかってからおよそ250年、詩の変遷により賛美歌や軍歌だった歌は、戦後の日本で童謡となり、行者の眼には阿吽の金剛力士像と重なる。
 金剛力士は片方が「阿」と大きく口を開き、片方は「吽」と固く口を閉ざしている。

 また、「むすんで」とは収斂(シュウレン)、「ひらいて」とは拡散である。
 密教の瞑想法「月輪観(ガチリンカン)」では、小さな満月を胸に納める修法がある。
 反対に、月光と一緒に己を宇宙大まで広げる修法がある。
 広げきったならば、やがて縮めて現象世界へ戻り、胸の満月を掛け軸へお帰しする。
「むすんで」「ひらいて」「むすんで」と行う。
 このように、収斂と拡散によって意識を清め、不動心を獲得する。
 無垢の童謡は、時として、とてつもないものへ通じている場合がある。

 人のいのちは短く、芸術のいのちは長い。
 ちなみに、この歌は、リハビリでも用いられるという。
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