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2008
12.31

平成21年の運勢 その3

 平成21年運勢と、無事安全に活き活きと過ごすためのポイントに追加します。

 平成21年年であり、一年間世界をお守りくださる守本尊様は虚空蔵菩薩です。
 虚空蔵菩薩は右手に剣、左手に如意宝珠を持っておられます。
 如意宝珠は、必要な者へ必要な時に必要なモノをお授けくださる福徳の泉ですが、そのご利益をいただくには条件があります。
 右手の剣で悪しき心を断ち、善き心を伸ばしていただかねばなりません。
 私たちの心の本性は満月のような清浄な霊性であり仏心なので、月にかかる群雲である煩悩を祓えば自ずから清浄な光が発せられます。
 そうなれば如意宝珠もまた輝き、経典に説かれているごとく「所願を満足せしむ」となることでしょう。
 智慧福徳を司る虚空蔵菩薩様へ祈りましょう。

 平成21年九紫性の年であり、に象徴される智慧や知恵のはたらき具合が吉凶へ大きくかかわります。
 経済的困難や政治的困難を抱えて出発せざるを得ないこの年は、皆が何とかしようと知恵をはたらかせ、あたかもへ薪がどんどんくべられるように思考がフル回転します。
 思考が善い方向、あるいは正しい方向へと導くような方便(具体的な方法)を生むためには、障害となる要素に気をつけねばなりません。
 それは、アルコールや麻薬やセックス、そして、の問題です。
 アルコールなどに逃避しながら考えることの多くは真の救いをもたらさず、虚空蔵菩薩様の剣の光で消えてしまうことでしょう。
 逃げたいと思ったなら、真言「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」を唱えましょう。
 唱え方は、ブログ「今月の真言」で聞いてください。
 最初は難しいと感じても、まず頭で唱えてイメージし、次につぶやき、何度か口にしているうちに慣れるものです。
 たとえ小さくても、声を出せる方は声にしてみてください。
 自分の唱える声を聞くことも、心をつくるための大切な要素です。
 
 また、川をきれいに保つことや家庭での節など、の大切さを意識しながら生活したいものです。
 そもそも、淡は地球上にあるのうち、わずか2・5パーセントに過ぎません。
 1日で20万人づつ増え続けている人類がその一部に頼って生きているのですから、わたしたちのいのちは実に危ういものです。
 事実、マヤ文明などの都市文明の滅亡と干魃が密接な関係にあることが明らかになりつつあります。
 すでに食料をめぐる争いは起こっており、やがて80億人に膨れあがると予想されている世界中の人々が安全で平和に暮らすためには、エネルギー、食料と並んでの確保は最重要課題です。
 と水はコインの裏表です。
 水へ感謝し水を上手に使う心が、環境にある水へも、心にある水の要素へも良い影響を与え、それは環境にあるへも心にあるの要素へも良い影響を与えることでしょう。

 皆々様にとってすばらしい一年になりますよう。
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2008
12.31

1月の守本尊様

 今月(1月5日から2月3日まで)は「小寒」と「大寒」の睦月です。
 守本尊虚空蔵菩薩様です。
『是處非處智力(ゼショヒショチリキ)』をもって、この世の姿をありのままに見つめ、真偽・善悪・虚実・尊卑・上下・清濁などをはっきりと区別し、迷いを解き放つ力と、行くべき道をお示しくださいます。





2008
12.31

1月の真言

 1月守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

虚空蔵菩薩(こ・くう・ぞう・ぼ・さつ) 

「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」


今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。




2008
12.30

『四十二章経』第七章 天へ吐く唾

 最後のご奉仕では、『四十二章経』をもう一章、学びました。

 仏の言(ノタマ)わく、
悪人賢者を害するは、猶(ナオ)し天を仰いで而(シカ)も唾(ツバキ)せんに、唾(ツバ)、天を汚さずして、還(カエ)って己が身を汚し、風に逆らって人に塵(チリマ)くに、塵(チリ)、彼を汚さずして、かえって身に塵(チリ)するがごとし。
 賢者は毀(コボ)つべからず、過(アヤマチ)、必ず己を滅(ほろぼ)さん。


 釈尊は説かれました。
悪人賢者を害しようとするのは、天に向かって唾を吐くようなものである。
 唾は天を汚さず、唾を吐いた人が汚れる。
 また、それは風上に向かってゴミを撒くようなものでもある。
 ゴミは賢者を汚さず撒いた人を汚す。
 賢者はいかなる悪によっても汚されず揺るがない。
 賢者を害しようとするならば、過ちは、必ず、その人を滅ぼすであろう」
 愚かな行為を戒める「天に唾する」という例えはここから発しました。
 中国へ最初に入ったこの経典が読まれてから、二千年近い年月が流れました。
 不変の教えの厳粛さに襟を正す思いです。
2008
12.30

『四十二章経』第六章 悪を返す

 善男善女が機関誌『法楽』作りに勤しみました。
 勤行に続く『四十二章経』の勉強は、第三回目です。

 釈尊は、しき心や言葉やふるまいに動ぜず、因果応報を説かれました。

 人有(ア)り、仏の道を守り、大仁慈(ジンジ)あるを聞き、を以(モ)って往(ユ)きたもう。
 故(コトサラ)に來(キタ)つて仏を罵らば、仏は黙然として答えたまわず。
 之が癡冥(チミョウ…愚かで理に暗いこと)狂愚(キョウグ…愚かで正しい判断ができないこと)の然(シカ)らしむるを愍みたまえばなり。
 罵ることを止むれば、問うて曰(イワ)く、
「子(ナンジ)、禮(ライ)を以(モ)って人に従わんに、其人(ソノヒト)納(イ)れずんば、實に理を之(カク)の如くにするや。」
 曰(イ)わく、
「持ち帰らんのみ。」
「今、子(ナンジ)、我を罵るも、我亦(マタ)納(イ)れず、子(ナンジ)、自ら持って帰らば、子(ナンジ)の身を禍(オカ)さんのみ。
 猶(ナオ)し響きの声に応じ、の形を追うて、終(ツイ)に免れ離るること無きがごとし。
 を為すことを慎め」と。


 釈尊のお慈悲の偉大さが有名になっていることを知ったひねくれ者が、やっつけてやろうと思い立ちました。
 そして面前で罵りましたが、釈尊はその愚かさを哀れみ、黙しておられました。
 きっと、静かに微笑みながら、目には深い悲しみを宿しておられたことでしょう。
 ひねくれ者の言葉が途切れ、初めて釈尊は口を開かれました。
「もしも、あなたが礼を尽くして誰かの家を訪問した結果、受け容れてもらえず、お土産も返されたならどうしますか?」
 ひねくれ者は答えます。
「持ち帰るしかないだろう」
 そこで釈尊は説かれました。
「今、あなたは私を罵りましたが、私は全く受け容れていません。
 あなたは、私に受け取ってもらえなかった言葉を、そっくりそのまま持ち帰るしかないのです。
 い言葉と、それに含まれたい心を持ち帰ったあなたは、しきものに自分を汚され、傷つけられることになるでしょう。
 谷間で「やっほう」と叫べば必ず木霊が返り、形あるものは必ずを従えているのと同じく、それは決して避けられません。
 だから、悪をなしてはならないのです」

 悟り金剛に喩えられます。
 いかなるものがやってきても汚し、傷つけることはできません。
 釈尊は、相手の悪を映して見せる鏡のような存在だったのでしょう。
 釈尊と会った愚か者は、自分自身の愚かさに直面せねばなりません。
 それが救いに欠かせない第一歩です。
 自分の愚かさを知らないところには、いかなる向上もあり得ないからです。

 黙し、微笑み、説法する釈尊のお姿を想像すると、憧れは強くなる一方です。
2008
12.29

納めの不動が終わりました

 おかげさまにて、「納めの不動」が無事、終わりました。
 修法が始まる前は雪がどんどん降ってきて、とうとうテントをしつらえましたが、餅つきが始まる頃には薄日さえ感じられ、寒さも緩みました。
 開運不動様の炉で今年最後のお焚きあげも行い、過ぎゆく一年に感謝しました。
 行者と信徒さんたちが一体になった当山初の餅つきでできた「あんこ餅」「きな粉餅」「生姜餅」「お雑煮」は、心身を暖めてくれました。
 お墓参りの方々への「お接待」も喜んでいただき、四国巡りを思い出しました。

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 昨夜は、無常の鬼のような情け容赦のない大風に眠れませんでした。
 木も虫も動物も、あるいは作られた塀なども耐えられる者は生き残り、耐えられない者は倒され、飛ばされ、地上に転がってしまったことでしょう。
 職を失ったり家を失ったりした方々は、どこでどうしてどんな気持でこの風に耐えておられるのでしょうか。
 梁石日の『闇の子供たち』に恐ろしい一節があります。
「飢えほど恐ろしいものはない。飢えは暴力や死をも凌駕する絶望なのだ」
 托鉢で露命をつないでいたつい十数年前、家に米があるのはどれほどありがたいことなのか、よくよく教えていただいた身にはある程度理解できるような気がして、ますます眠れなくなりました。

 ところで、この大雪の数日前、納骨の準備に訪れた石屋さんがカマキリの卵を発見しました。
 地上からの高さによってその冬の雪の深さを推し量られるとされている卵は、こともあろうに、地上にあります。
 十三仏様へ納骨するための少し窪んだ入り口の隅っこにへばりついています。
 石屋さんと二人で「これじゃあ今年は雪が少ないのでしょうね」と言葉を交わしました。
 そして、まもなくの降雪です。
 すぐに現地を見に行ったところ、入り口に雪が吹き込んではいますが、卵はかろうじて助かっています。
 地上だけれども、扉の開閉にもひっかからない絶妙の位置なのです。
 しばらく、立ちつくしました。

 今年もあと3日、法務は続きます。
2008
12.28

平成21年の運勢 その2

 平成21年運勢と、無事安全に活き活きと過ごすためのポイントに追加します。

【ポイント4 安心を提供する宗教や疑似宗教が活躍する】
 太平洋戦争後、貧困と病気に苦しむ人々へ焦点を定めて「これさえ拝めば克服できる」と説き、一気に勢力を拡大したのが創価学会であり、御用政党を持って世俗的権力を謳歌するまでに至りました。
 混乱期にはたくさんの宗教が伸びました。
 今の日本人の心も似たような状態にあり、さまざまな集団が「勧誘」や「提案」を行うことでしょう。
 一時の癒しを求めて彷徨う人々や、与えられたノウハウを信じて健全な社会生活から離れてしまう人々が増えます。
 おかしなものに絡め取られて人間関係を壊したり、人生を誤ったりしないためのポイントの一つは、自利利他のバランスがとれている思想かどうかという点です。

 自分の置かれた状況がいかに厳しくとも、そこから抜け出して楽をしたいというだけでは、真の安心は得られません。
 たとえば、「収入を得て遊ぼう」ではなく、「仕事を見つけて親を安心させよう」でありたいものです。
 もしもアパートの家賃を滞納していたならば、「追い出されないように早くはたらこう」ではなく、「大家さんにこれ以上迷惑をかけないように早く払おう」という気持を持つことです。
利他〉はみ仏の心であり、そのための〈自利〉を目ざすならば、きっとご加護が得られるこでしょう。
 こうした気持から発する「溺れている人を救うために泳げる人になろう」という〈自分を大切にする心〉は、真の思いやりの心を育てるために欠かせません。
 自分を大切にできない人は、他人を大切にできません。
 実際に役に立つ人間になれないからという理由だけでなく、他人が、その人自身を大切にしたい気持を理解できないからです。
 こうして、利他に発する清らかな自利の願いこそが自分を救い、向上させる原動力となります。

 自利利他が一体になっているまっとうな宗教は、その宗教を信じない人々へ対しても、信じている仲間へ対するのと同じような思いやりを持つように説きます。
 なぜなら、誰かが何かを大切にしていることと、自分が何かを大切にしていることとに差別をつけられないからです。
 差別をして争うのは人間であり、差別なく万人を救うのが仏神です。
 人間の計らいか、仏神の導きか、よく観たいものです。
2008
12.27

高額な葬儀代 ─寺院の正見─

 12月26日の河北新報へ恥ずべき記事が掲載された。
 寺院が高額葬儀代請求するのは不当であるとして檀家が適正化を求める要望書を提出したのである。
 その写しの一部が公表された。
「但し、戒名はお金で売買するものではなく、葬儀においても、宗教法人の精神に則り、総てお布施(財施)であり、寺、僧侶が金額を明示し、請求すべき性質のものではないことを基本原則とする。
 又、脇僧等の有・無は葬儀を取り行う遺族の自由意志とする。
 以上を、切に要望します」
 この内容はそっくり、僧侶が壇信徒さんへお伝えすべきものであり、当山は開山以来、いかなる場合もこうした姿勢で法務を行ってきた。
 これ以外、寺院のありようはないと確信しているからである。
 記事に驚いた方々もおられようが、人生相談で数々の事例をお聞かせいただいた者としては、とうとうここまで来たかと思うのみである。

 僧侶は、ご縁の方々の尊いお心によって造られ維持される場(寺院)を拠点として法務を行わせていただく行者である。
 そこで寝起きするのはご本尊様やお位牌や伽藍をお守りするためであり、寺院は僧侶の私物ではない。
 そもそも、行者に私物は無用である。
 僧侶は、み仏に導かれ、衆生の僕(シモベ)として生きる行者である。
 これが、行者にとっての「正見(ショウケン…正しい根本的見解)」であり、人間がまっとうに生きるための八正道(ハッショウドウ)である「正思」も「正語も」ここからしか出てこない。
 正見がなければ、すべては狂い、まっとうでなくなる。
 釈尊が説かれた八正道は、いかなるなりわいによって生きる方々にとっても真理である。
 商売人なら「お客様に喜んでいただく」、公僕(コウボク…公務員など)なら「僕として社会を支えさせていただく」、教師なら「子どもの健全育成のお手伝いをさせていただく」といった正しい見解から、役割にふさわしい正しい考え方、正しい言葉、正しいふるまい、正しい生活態度が生まれる。

 今回のできごとは、当山の信念が、真剣にものごとを考える方々から「そうあって欲しい」とお墨付きをいただいたようなものである。
 ありがたくてならない。
 正見をさらに深め徹底し、精進したい。
2008
12.25

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 24 ―過程を活かす─

 12月24日は今年最後の講義となりました。
 Aさんは、子どもの頃から「いつも神様が見ているよ」と教えられて育った方が大学生になり、「一日一善」を実践しているうちに因果応報を確信するに至った経緯を書いた新聞記事を持参されました。
「善いことを行うと、自分に起こるできごとを『ありがたいと思える』というところがすごいと感心しました。
 自分が得するようにと善行を行うのではなく、善行によって善い感謝の心が生まれることを因果応報と確信するなんて、とても20歳とは思えません。
 この年になって子どもより若い方に教えられるとは思ってもみませんした」
 苦労して子どもたちを育て上げたAさんは、自分が心を開くと必ず心を開いてくれる人とめぐり会い、救われながら今まで生きてきたそうです。
 新聞には悪いできごとばかり並べてありますが日本はまだまだ大丈夫ではないでしょうかとも言われました。
 そう言えば、ホームセンターや家電量販店などの駐車場に必ず設けてある車椅子用のスペースは、かなり混んでいてもきちんと空けてあります。
「駅などで列を崩さない日本人の心根はまだまだ生きています。霊性仏性を信じてやりましょう」と申し上げました。

 Bさんは、ずうっと手助けをしてきたカンボジアからの女子留学生が見事に大学を卒業してはたらき、結婚して子どもを得た後に夫婦仲に亀裂が生じてしまい、今後を考えているうちにカンボジアの抱えている難問が襲ってきて押しつぶされそうになっているという体験談を話されました。
 立派な成績で卒業した二人は、実社会ですぐに役立つ知識うあ技術をきちんと身につけたので、それぞれが郷里へ帰ればすぐにはたらけると思って帰国の打診をしたところ、ポストを渡したくない人ばかりで、力に応じたはたらき口がありません。
 しかも、仕送りを当てにしている実家や一族は揃って帰国に反対し、何とか日本で稼いで送金して欲しいと言うばかりです。
 悩んだ結果、ご主人は日本にとどまって職探しをし、奥さんは幼い子ども二人を抱えてアメリカへ渡ってしまいました。
 アメリカからの電話を受けたBさんは、ただただ泣けたそうです。
「目を輝かせて日本の土を踏んだ少女のこれまでの日々は何だったのか、高齢をおして援助してきた自分の善意や努力は何の役に立ったのか──」
 しかし、人は常に旅人であり、人生はいつも過程です。
 国を挙げて戦い、敗れた日本人は、焼け跡からでも、立ち上がりました。
 今、生きている人にとって、日の丸の鉢巻きをしていた日々も、闇屋でいのちをつないでいた日々も時間は同じく流れました。
 いのちをつなぐ過程が積み重なっての80歳、90歳です。
 少女に起こったできごとも、Bさんに起こったできごとも、それが何であったか、意味や意義を定めるのは、すべて〈これから〉です。
 
 すべては無常ですが、「水泡に帰す」人生はありません。
法句経』は

「川の水が休みなく流れ去るのと同じく、人のいのちもまた流れ去る」


と説き、

「自然に戒めを生きられるようになれば悩みは消え、安心して床に就き、感謝をもって朝を迎えられる」

と説いています。
 霊性を持った私たちは、常に過程である一瞬一瞬、一日一日を活かし得ます。
 仏法はその方法をはっきりと示しています。
2008
12.24

新たな扉を開く

 かつて隠形流居合を学び、現在はそれぞれの分野でプロとして精力的な活躍を続けているお二人が人生相談に来山しました。

 Aさんは、過密スケジュールの合間をぬってマンガを描き、ついに日本一の見本市へ出店するまでになりました。
 有名な作品を下地にして独創的なアイディァを競うという特殊な分野ですが、数十万人もの人々が集まるところで発表する予定の作品は、素人の域を遙かに脱しています。
 普通の紙に印刷した数ページの冊子に志を伝えようとする熱い思いがみなぎり、とても強い線で描かれた主人公はまるで生きているようです。
 時間的にも体力的にも厳しい職業に就きながらの奮闘ぶりは頼もしく、我が息子を見るような思いにかられました。
 隠形流を学ぶ方々は、年齢を問わず自分の息子や娘同様であり、幸せを願わずにはいられません。
 来年は、地道な精進をしている〈本もの〉が見出され評価され得る年になることをお伝えし、成功を祈りました。

 Bさんは管理職として着実に力をつけ、とうとう、難問を抱えている東京転勤を命じられそうです。
 来年の移動を観ると、信頼を受ければ長くなることを覚悟せねばなりません。
 理を通し、相手に後を見せたり、退がったりしないBさんは、企業にとっては最終兵器的存在です。
 それを投入する会社は、必勝態勢が築けるまでポストから外さないはずです。
 Bさんへは、貴方が呼ばれる以上、相当に厳しい状況だろうけれども、貴方が動けば必ず状況は変わるわけだからいつまでも厳しいわけではありません。安心して挑戦し、自分もレベルアップしてくださいと話しました。

 プロとして自分の世界を確立している人は、いつ、どこにいても、どんな環境であれ、自分の力を磨けるものです。
 AさんやBさんの目には心に柱を持っている人の健やかさが宿っており、次の世代への信頼感が湧いてきます。
 人は皆、宇宙の中心です。
 守本尊様は常に八方天地十方世界を守護しておられます。
 守本尊様の剣を習得した二人が新たな扉をきちんと開けますよう。
2008
12.24

予告の縁 ─夢の亡父と風呂場のお釈迦様─

 かつて、当山のブログ「恋し」に書いたAさんのご堂様が亡くなられました。
 お通夜が終わり、またしても忘れられないできごとを教えていただきました。

 ある日、Aさんの息子さんは、運転中に突然強い疲労感に襲われ、思わず車を止めて仮眠をとりました。
 子どもたちの夢を見ていたら、突然、何のつながりもなく亡き父親が目の前に座っていました。
 他界してから3年が過ぎ、その間一度も夢に出てきたことがなかったので「何だこれは!」と驚き、ハッとして妻へ電話を入れました。
 入院しているお婆さんが気がかりだったからです。
 その時点では緊急事態ではなかったけれども、翌日、お婆さんは旅立ちました。

 昨夜、Aさんの奥さんは、浴槽を洗おうとして風呂場へ行ったところ、火のオン・オフや温度調整などを行うための小さな四角い表示板に何かが見えます。
 薄暗い浴室で表面が鏡のように平らな表示板へ目をこらすと、蓮華の花びらの上にお釈迦様らしい人が座り、後ではお不動様の背負う炎に似たものがチラチラ光っています。
 びっくりした奥さんはどうしたのだろうといぶかり、もう一つある別な風呂場へ行ってみましたが何のこともありません。
 戻って見ると、やはり蓮華に座ったみ仏がおられます。
 ところが、ちょっと来て!と呼ばれた家人の目には、普通の表示板が映るだけです。
 皆に気のせいだよと笑われましたが、普段、常ならざるものが「見える」「聞こえる」を言わない奥さんは見たと確信しており、ひき退がりません。

 いずれも、〈予告〉として現れた現象です。
 お父さんの出現は、親を頼むとの遺言を守り続けた息子への「時が来たぞ」「迎えに来たぞ」とのお知らせだったのでしょう。
 孝養を尽くしたAさん一家は、故人が暮らした施設の人々はもちろん、故人の実家筋からも強く感謝されており、亡きAさんは、長い年月をかけた修行にも似た日々の終わりを告げたのです。
 お釈迦様の出現は、お通夜で誦んだ梵網経(ボンモウキョウ)の世界のお知らせだったのでしょう。
 梵網経は、たくさんの蓮華の花びらそれぞれがみ仏を戴いているという輝く世界を表したものであり、そのすばらしさに気づいた当山は、聴く方々により解りやすくするために読み下し文を用い始めたところです。
 ご説明申し上げたところ、実際、良いお経だなあと感じていた方がおられ、意を強くしました。

 これほどはっきりした形をとらずとも、運勢は〈予告〉として現れ、やがて〈実際の〉として運命になります。
 予告に気づき、仮の良縁はしっかりつかみ、仮の悪は早く断つことが良き運命を創る要諦です。
 Aさんご一家のように心がけを善くし、予告の縁に学びましょう。

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2008
12.23

四国遍路 12

【第15番 薬王山金色院国分寺】
  本尊:薬師如来
  御詠歌:薄く濃く わけわけ色を 染めぬさば 流転生死の 秋の紅葉葉

 立木の緑を除くと、あらゆる色が消え果てた印象がある中で、本堂にかかる五色の幕だけがいのちの動きを感じさせる。
 開基した行基菩薩の手による小さな尊像が金色のお厨子に納められている。
 法相宗だったがお大師様の留錫を縁として真言宗になった。
 後、伽藍が消失し、藩の命令で再興された後は曹洞宗に改宗した。
 火事で焼失した大師堂は土台が残っているのみ、ただただ残念である。
 本堂右手の烏瑟沙摩明王(ウスサマミョウオウ)堂にお大師様が一緒に祀られているのではなかろうか。
 御宝号の書かれた板が正面に放置されたままとは、いかなることか。
 中はぼんやりと薄暗く、大師法や烏瑟沙摩明王法が厳修されている気配はない。
 かつて、お大師様が人々の善願成就と不浄の断滅を期して十七日間籠もり、修法をされた法力と守護と安心に満ちた躍動する世界はどこへ行ったのだろうか。
 事情が解らぬではないが、あまりの荒廃ぶりは残念である。

 忍辱(ニンニク)の教えを想う。
 忍耐と似ているが、深さはまったく異なる。
 この教えによって克服せねばならないのは、外から来る攻撃や妨害などに触発された〈怒り〉だけではない。
 自分の心の〈萎縮〉をも克服せねばならない。
 理不尽な扱いを受けたからといって意気消沈していては、修行の続行は不可能である。
 菩薩道を歩む者としての獅子奮迅のはたらきなど、できようもはずもない。
 そして、いかなることが起ころうと、信仰と実践から〈脱落〉せぬよう、踏みとどまらねばならない。
 これが菩薩道にうおける忍辱であり、修行の核心はここにある。
 六波羅密(ロッパラミツ)という菩薩の修行のどれをとっても、忍辱なしには実践し得ない。
 たとえば、気に入らないことを言ったからといってその相手へは「布施」をしないならば、行者失格である。
 いかなる状況にあっても、心身を調えつつ歩む「禅定」や、なすべきことを忽せにしない「精進」を実践せねばならない。
 無明煩悩がなくならない限り、自分の内外から霊性を攻撃する矢は数限りなく飛んでくる。
 それにひるまず、臆せず、耐えて歩む姿勢があれば、清浄、安寧、充実、そして向上が必ずもたらされる。
 くりかえし説かれているみ仏の〈お約束〉を信じて歩むのが仏法の行者である。

 そして、を思う。
 私たちはによって人生が辛いものとなり、破壊されると恐れるが、あってこそ、発心も精進も、そして忍辱もあることを忘れないようにしたい。
 があるからこそ、その原因である愚かさを克服し、六道を輪廻する界から脱しようと生き方の変更を決心するのではないか。
 があるからこそ、高慢の鼻がへし折られ、まっとうさを取り戻すのではないか。
 苦があるからこそ、それをもたらした自分の愚かさや罪、そして人間の持つそれに深く思い至るのではないか。
 苦があるからこそ、その原因となる悪を離れ、善を求め、社会にある善悪へもはっきりと対処する姿勢ができるのではないか。
 苦があるからこそ、我が身を省み、他者の苦へ深く思いをいたすことができるのではないか。

 何が起ころうと、忍辱を第一とし、苦をありがたい機縁としつつ歩みたい。
2008
12.22

維摩経と熊犬物語

 老朽化のために寝起きする場所がなくなり、本堂で寝起きしているうちに、病弱な妻は入院が必要になりました。
 弱く、長時間の睡眠が必要な人間にとって、いろいろな面でゆっくり寝ていられない状況は過酷だったのでしょう。
 妻を入院させた直後にご不幸があり、重篤な方のご祈祷などとあいまって、一挙にスケジュールが過密になりました。
 妻はまるで見通していたかのように起居を病院へ移し、私は、時には食事代わりにカロリーメイトを頬ばりながら、一路、法務へと邁進しています。
 
 一方、手を差しのべてくださる方々がおられ、急遽、7畳半の小部屋を造っていただきました。
 いよいよとなれば、ホームセンターからミニハウスを買ってきて寝起きしようとしていたので、ありがたいことこの上ありません。
 この道を志して20年、やっと安心して寝起きできる空間が確保されました。
 しかし、36年間、いつも隣にあった布団はなく、部屋は広過ぎます。

 幽かな雨音を聴きながら想うのは二つのことです。

 たった今、世の中の激変により、何の落ち度もない人々が次々に職を失い、収入を失い、住居を失い続けています。
 それは財を失うだけでなく、人間関係を失い、生き甲斐を失い、健康を失い、家族の安定した生活を失うだけでなく、いのちの危険すら伴う過酷なできごとです。
 私は雨風をしのぐ本堂があって助かりましたが、文字どおり路頭に迷うしかない方々がおられ、このままでは増え続けるしかありません。
 雨風のあたらない場所でパソコンのキーを叩いている私は、何と恵まれていることでしょうか。
 病にあるとはいえ、信頼できる医療施設でお世話になっている妻もまた、恵まれている一人であることは確かです。
 思い出すのは、やはり『維摩経(ユイマキョウ)』です。

 ある時、娑婆で生活している維摩居士(ユイマコジ)が病気にかかりました。
 悟りを開き、神通力も得たとされている聖者にいつも議論でやりこめられている釈尊のお弟子さんたちは、「この時」とばかり維摩居士を問いつめようとします。
 智慧第一とされている文殊菩薩が見舞い、訊ねます。
「貴方の病気の具合はいかがか?
(貴方を導いた)釈尊はことのほか心配しておられる。
 病気の原因は何か、よほど前から患っていたのか、どうすれば治すことができるのか?」
 維摩居士は答えます。

「釈尊が説かれたように、真理に生きることを妨げる無明(ムミョウ)が原因となって愛着心が起こり、生死のを招く。
 病気は、そのとして起こる。
 人々は無明を抱えてこの世に生まれる存在なので、自分もまた病気になるのは当然である。
 もしも、すべての人々に病気がなかったならば、自分もまた病気にかかることはない。
 聖者は生死のを離れてはいるが、人々を救うためにかりそめの肉体を持ったままでこの世で生死の姿を見せるので、当然病気にもかかる。
 もしも、すべての人々が無明を克服してを離れたならば病気はなくなるので、聖者もまた病気と無縁になるであろう。
 それは、ちょうど、子供が病気になれば親もまたしみ、子供の病気が治れば親もまた癒されるようなものである。
 み仏に仕える聖者が一切の衆生を慈しむのは子を思う親に等しく、衆生が病めば聖者も病み、衆生が癒えるならば聖者もまた癒えるのである。
 つまり、聖者が病気にかかるのは、苦を共にして衆生の苦を抜くためである」


 聖徳太子がこの経典をもって国を治めようとした決意が偲ばれます。
 たとえ我が身を苦から離れさせる力を持った維摩居士ほどの聖者といえども、この世で菩薩道を歩むならば実際に自分で苦を引き受け、その実感をもって智慧と慈悲に生きねばなりません。
 仏法を生きようとする行者にとって「同苦(ドウク…苦の共有)」は出発点であり、不動の基礎です。
 聖徳太子は、為政者がこの経典を学び実践することはもちろん、娑婆にいる超人が悟りを開いたとされる人々を次々に論破する痛快な物語を読み、あらゆる人々が同苦の心を持って思いやりのある社会を創るよう、夢見られたのではないでしょうか。

 生涯、一行者と決めた私にとって、住居の問題も、妻の病気も、そして我が身の老いも自分に起こる苦はすべて、この世にある苦を教えてくれるみ仏からのありがたい贈りものであると感謝しています。

 もう一つ想うのは、これも以前に採りあげたことのある戸川幸夫作「熊犬物語」です。

 名人と呼ばれた猟師が仲間と一緒に吹雪の山小屋に閉じこめれ、食料が底をついて餓死を待つだけになりました。
 ある朝、銃を手にした名人は、黙って山小屋を出ます。
 ずっと苦楽を共にしたまっ白な猟犬もついて行きます。
 やがて一発の銃声がして真っ青になった名人が戻ります。
 そして、吹雪は晴れました。

 これまでずっと自分のすべてをかけて私を支えてくれた妻は、迷惑をかけたくない一心で入院したのでしょう。
 それも、最も忙しくなる時期を見計らうように。
 隠形流居合の道場から帰山した午後10時、どんなに疲れていても必ず敷いていてくれた私の布団を用意する力もなく、暗い本堂で一人で横になっていた妻の姿を一生忘れられません。

 部屋を造ってくださった方々、入院した妻、そして日々ご縁を結ばれる方々、精進する弟子たち、仏縁の人々の心と共に法楽寺は今日も活動します。
2008
12.21

四国遍路 11

第16番 光耀山観音寺
  本尊:千手観音
  御詠歌:わすれずも 導きたまえ 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ

 すばらしい瓦屋根の家々が立ち並ぶ町のまん中にある。
 聖武天皇の勅願寺らしい堂々たる鐘楼門をくぐると、正面に本堂、左手に大きな五輪の塔、右手に大師堂がある。
 本堂は格子の扉が閉まっており、中を窺うことはできない。
 盲目のお遍路さんがここで治ってしまったり、嫁いびりの姑が着物に発火する戒めを受けたなどの霊験あらたかなご本尊様である。
 お大師様が納められたという等身大の千手観世音菩薩像、脇仏として造られた悪魔降伏の不動明王や鎮護国家の毘沙門天はいかなるお姿であったのか、今は知ることができない。
 しかし、モノは戦乱の火で消失しても、永遠のいのちを持つ祈りは、凍土から顔を出す福寿草のように後へ続く人々の心へ何かを芽生えさせ、それが形あるモノとして花開く場合もある。
 霊場の多くは、そうして再興されたものである。
 お大師様の祈りと、それを感得し伽藍を造らずにいられなかった人々の心を想う。

 道路向かいに真新しい八坂神社があり、その隣に赤いペンキで塗られた宗教施設だったらしい異様な建物がある。
 人間は至るところに住み、活動をする。
 人間以外の生きものたちは、生きにくい場所を避けて移動し、あるいは気の遠くなるような歳月をかけて自分の身体を変えて環境へ適応しつつ繁栄した種もあり、滅んだ種もあるが、人間だけは環境を変えて住む力が異様に強く、20万年前に出現したクロマニヨン人とあまり変わらないヤワな身体のまま、様々な住環境を造りつつ生きてきた。
 どこであろうが家を造って生きようとする人間は、今や他の天体までも住家の庭にしようと考え、その権利をめぐる暗闘さえ始めている。
 50億年後を予測すれば無理もないが、現代人の活躍ぶりは、いささか性急過ぎるのではなかろうか。
 人が座れば、寝ても死んでもあれば間に合う。
 百八年に一回廻り来る天地共に千手観音様に守られた平成20年に始まった大異変は、そうした真実に気づかせることだろう。
 人々の生活に起こる不幸や破滅の少ないうちに社会の方向性が変わるよう願ってやまない。
2008
12.20

四国遍路 10

【別格2番 東明山(トウメイザン)童学寺
  本尊:薬師如来様
  御詠歌:まいるなら 三世の悪業 消えはてる 南無や薬師の 瑠璃の光に

 参道左に大きな池があり、白壁に瓦が載ったドーム型の山門は異色である。
 十歳に満たないお大師様が学ばれ、「いろは歌」の製作地ともされている古刹には、学問所らしい凛とした空気が流れている。
 向かって右の石門には「無垢浄光」、左には「慧日諸暗」とある。

 後日談になるが、観音経にあるこうした印象的な一節が信徒さんと当山を強く結びつけたできごとがある。
 Aさんが古くなったままのお墓を改装しようとしたところ、まったく覚えのないお骨が入っていて驚き、修法を申し込まれた。
 すっかり新しくなり、斬新なデザインも際だつ墓石に「海潮音(カイチョウオン)」と刻まれていた。
 上田敏の訳詞集のタイトルであると気づき、観音経にある「梵音(ボンノン)海潮音」が出典であることを話題にした。
 Aさんはたちまち「海潮音」に掲載されているポオル・ヴェルレエヌの「落葉(ラクヨウ)」を口にされ、私は唱和した。

「秋の日の
 ヴィオロン
 ためいきの
 身にしみて
 ひたぶるに
 うら悲し。

 鐘のおとに
 胸ふたぎ
 色かへて
 涙ぐむ
 過ぎし日の
 おもひでや。

 げにわれは
 うらぶれて
 こゝかしこ
 さだめなく
 とび散らふ
 落葉かな」

 そして、Aさんにこの文字を刻む決心をさせたジャン・コクトーの詩

「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」

へと話題が移り、話は観音経の「妙音観世音、梵音海潮音、勝彼世間音」に戻って一件落着となった。
 帰り際、Aさんは、まだ墓地すらない当山へ、万霊供養のための高さ3メートルにもなろうかという五輪の塔を寄進された。
 石屋さんの倉庫に眠っていた塔が陽の目を見るのに数年を要したが、今は「法楽の苑」のシンボルとなっている。

 有名な弘法大師御詠歌第三番は「梵音」という題である。

「阿字の子が阿字の古里立ちいでて また立ちかえる阿字の古里」


(阿字で示されるみ仏の世界からこの世へ旅立った子供は、この世での清浄な修行を終えて古里へ帰る。またいつの日か、尊い使命をもってこの世へ現れることだろう)
 梵音とは、み仏のたぐいまれなるお声のすばらしさを讃える言葉であり、この御詠歌の題にふさわしい。
 そもそも、3~4億年前、人類のご先祖様は海に住んでいた。
 今でも人間の体液は、海水をほぼ4分の1に薄めたようなものであり、PHも弱アルカリ性であって海と一致する。
 私たちがやってきた故郷は海であり、その潮騒に似た母の胎内で奏でられる子守歌は、生まれてくる赤子の無意識へ蓄えられている。
 霊性の源、すなわちみ仏の世界は海のようなものであり、潮騒となって私たちの心の耳へ届き教えを伝えるものがみ仏の声(梵音)であると言えよう。 
 ポオル・ヴェルレエヌの聞いた「ヴィオロンの ためいき」も、ジャン・コクトーが懐かしむ「海の響き」も、梵音に違いない。

 さて、本題である。
 大木の根元に幅2メートルはありそうな灰色の石が置かれ「弘法大師御学問所」「別格本山童学寺」と書かれている。
 石の形にポンとはみだしたような面白さがあり、お大師様の独創性に通じているようで妙に嬉しかった。
「薬王閣」の学を掲げた本堂から屋根のかかった通路を通って大師堂へ行く途中の両側に、お大師様の生涯を描いたたくさんの絵がある。
 ご参詣の方々にゆっくりご覧にいただきたい。
 遠方の方から寄進された洞窟内の不動明王や頭を守る脳天不動があり、岩場から湧き出ているご加持水のおいしさは際だっていた。
2008
12.19

ほめる 10

 かつてO小学校で行われていた校長先生と児童との手紙「ほめほめ便り」による交流をまとめた『ほめほめ集』からの抜粋です。
 このページを作るのが大変だろうと、篤信の方がわざわざメールで送ってくださいました。
 頭が下がります。
 勉強会などを通じて、ご縁の方々へご紹介しており、寺子屋の指針にさせていただきたいと願ってもいます。

四年 K・T

 階段のそうじをしているとき、シチューがこぼれていました。
 いやだなと思いましたが、みんながやらなかったら、きたないまんまなので、私がすることにしました。
 ふいても、ふいてもこぼしてしまう人がいるので、もういや。と思っていたら、校長先生がこられて、「きれいになったね。」と、おっしゃいました。
 下から見ても上から見てもピカピカになり さっぱりした気もちになりました。そしてやってよかったと思いました。
              ◆
けいこさん、
 ほめほめのお手紙ありがとうね。
 きょうのほめほめは、おそうじの時のことでしたね。
 かいだんのおそうじは、ごみがすみっこにはいって、はいたりふいたりが、とっても大変ですね。
 それに、給食のおしるも、かいだんが一ばんこぼれやすいところのようです。
 おしるがこぼれた所を、そのままにしておくと、小さなほこりがついて、とってもきたなくなりますね。
 ぞうきんでふくと、ねちゃねちゃして、しまつにこまります。だから、みんなが ふくのをいやがります。
 でも、だれかがやらないと、ひとりでに、きれいになるものではありません。そのだれかに、けい子さんがなってくれたのね。
 ごくろうさま。
 けいこさんが「下から見ても、上から見ても、ピカピカのかいだんになりました。」と書いていましたね。
 このことばの中に、「やってよかった。」というけい子さんの よろこびがこもっているように思いました。
       ◆     ◆     ◆
四年 Y・I

 学校の階段の手すりに、ところどころすみがついていました。わらしは、気がつかなかったけれど、井上さんと重宗さんが二りでふいていました。
「なにしよるん」と聞いたら、「すみがついとったけ、ふいとるんよ」と言いました。
 わたしがはやく気づいて、ふいとけばよかったな。と思いましたが、井上さんや重宗さんをほめてあげるのも、よいことだと気がつきました。
 井上さん重宗さん、どんどんよいことはのばしてください。
 わたしも 重宗さんや井上さんに負けないように、いいことをのばして、ほめほめに書きます。
 お二人さんがんばってね。
               ◆
ゆみこさん、
 つぎつぎとほめほめを書いてくれて、校長先生はうれしいよ。
 ゆみこさんのほめほめの目が、どんどんよくなっているからですね。
 きょうのほめほめは、かいだんの手すりについているすみを、井上さんと重宗さんが、丁寧に、雑巾でふいていたから、ほめてあげたという、お便りでしたね。
 よくほめてあげてくれました。
 井上さんと重宗さんは、よく気がつくんだね。
 この二人も、ゆみこさんに負けない、ほめほめの目になってくれたのかな。
 井上さんと、重宗さんに、「校長先生がよろこんでいたよ。」と伝えてくださいね。
 そして、あなたたちが「ほめほめ三人組」をつくって、これからも、みんなのために役立つ、ほめほめの子になるようがんばってくださいね。


 校長先生の圧倒的な「育ての力」に接してきて、高見順の『ものをつくる者の心』を思い出した。
 通りすがりの老研ぎ師が善意から茄子の苗の育て方を手ほどきしてくれる成り行きを書いたものである。

 研ぎ師は、たまたま眼にした高見順婦人の慣れない手つきを放っておけず、植えてくれただけでなく、後日、欲しいと言っていた良い苗が見つかったからと持参し、夫婦へとっくりと苗の植え方を手ほどきしてくれた。
 後日、評論の原稿を依頼された高見順は、このできごとを書く。

「いろいろ言いたいことがあればあるほど、その言う前に、その言うことの土台として、どうしても言っておかなくちゃならんことがある。
 それを言っておかないで評論するということは、たとえば───私たちの都会育ちのものが心根を改めて茄子の苗を植えたり、胡瓜の苗を植えたりしている時、前述のお爺さんのようにそれはこうしなくてはいけませんよと手を取って教えてくれる、というのでなく、畑の外に突っ立ったまま、そのザマはなんだ、そんなことじゃ立派な茄子は出来るものでないとただ悪態をつくということに成るのではないか、そう思えて仕方なかった」


文学も亦、ものであって見れば、ものを作る者の愛情で以て文学に当たらねばならないのだ。
 文学の批評も評論も亦この愛情ということを根底に持っていなくてはならないのだった」


武蔵が兵法の道を大工にたとえているのは大変に意味深く考えられることであった。
 それは単なるたとえではなく、ものを作る者の心に武蔵は深く想いをいたしているのであった」


 先生には子どもたちへの絶対的愛情があり、それが「ほめる」という「み仏の手」になっているのだろう。
 目をかけられ、ほめるという形で手をかけられる子どもたちは、当然の結果として、一人前の大人へと育て上げられる。

 なお、日本人が「もの」と表現する対象は、当然、物質であるモノにとどまらない。
 高見順文学も「もの」であると言っているごとく、私たちの六根が掴まえ、そこへ自分自身が入ってしまうような対象すべてが「もの」である。
 茄子も、文学も、武芸も、私たちの霊性が共鳴する相手はすべて「もの」として立ち現れ、日本人の感性は「もののあはれ」へと行き着いた。

 O小学校は子どもたちにとって、教師にとって、保護者にとって、自然に霊性を磨く極楽だったのではなかろうか。
2008
12.18

四国遍路 9

【第11番 金剛山藤井寺
  本尊:薬師如来
  御詠歌:色も香も ただ中道の 藤井寺 真如の波の 立たぬ日もなし

 小川を渡って川沿いに左へ進むとさりげない山門がある。
 本堂の仄かな明かりの中に薬師如来のお姿は鈍い金色で、しっとりとした感じで座っておられる。
 天井の龍もなかなかのものである。
 八十八ヵ所で薬師如来を本尊といている寺院は実に多いが、そのほとんどが秘仏とされており、尊像がそのまま拝めるのはわずか二ヶ寺のみである。
 大師堂は新しい。
 左奥の白龍弁財天もまたご本尊様と似た雰囲気があり、天部の方というよりも文殊菩薩様などへ通じる気配を感じた。
 正面に、赤青黄色の幕をかけ、参詣者はそれを少し掲げて堂内の仏神とお会いする形になっている。
 そこここに心配りがあふれている。
 
 お大師様が42歳のおりに自他の厄除けを願って尊像を刻み、藤の苗木をたくさん植えてこの寺院を開創したらしい。
 歴史の波にもまれて興廃をくり返した藤井寺は真言宗でなくなったが、依然としてお大師様への尊崇は変わらない。
 お大師様へ会いたい一心の善男善女は、ひきもきらず、大師堂へ足をはこぶ。
 お大師様の偉大さは、宗派の違いを軽々と超える。
 槍のように尖らず、優しい霧のように何にかも包み込む密教の力を想う。

 納経所では、障害を持った方も、そうでない方も和気藹々と順番を待つ。
 お遍路さんの誰もが、お大師様と心の糸を結ぶ兄弟である。
 人と人とを隔てる垣根は一切ない。
 別世界と言うしかない。

 信徒さんらしい三人のお遍路さんを引き連れて拝み屋さん風に般若心経を唱えていた作務衣姿の僧侶が、その最中に本堂の奥を覗こうとして何度も身をかがめていたのは情けなかった。
人のふり見て我がふり直せ」である。
 気をつけねばならない。
 
 よく「うだつがあがらない」と言うが、四国へ来て初めて「うだつ」を見た。
 とにかく、当地では、多くのお宅が立派な瓦屋根を持っている。
 その屋根の下方にあるもう一つの小さな屋根がうだつである。
 窓の庇になっているものもあれば、壁の横幅いっぱいに造られた長大なものもある。
 もし、無くても支障はないはずだが、うだつの上がっている家並みにあってそれがついていない家を見ると、やはり、「うだつが上がらないなあ」と思えてしまう。
 そもそもは、隣接している家同士が火事になっても燃え移らないようにと造られた防火壁だったが、今やうだつは家運隆盛の旗印であり、おまじないになっているようだ。
 どちらのお宅を眺めても意匠が美しくて〈日本〉を感じ、訊ねてみたところ、平安時代からの伝統だという。
 人々のセンスは佳きものを伝える。
 伝統を体とする存在は、そもそも自然界にあったわけではないが、いつしか人間にとっての自然になっている。
 家も町並みも、そこで暮らす人にとっては、もはや自然である。
 麗しい自然をしばし、眺める。
2008
12.18

礼拝

 私たちは、窮地に立つと、「溺れる者はワラをも掴む」といった気持になります。
 仏神へすがらないではいられないのも、このような時です。
 心が何かをせずにはいられないなら、身体もまた同じです。
 願う、祈るといった心の動きを信仰と言い、それが外へ表れた動きを礼拝と言います。

「やれ打つな、ハエが手を擦る足を擦る」


 古人は、せっぱ詰まった時の人間が思わず行ってしまう動きをハエの動きに見つけました。

 深い信仰は必ず礼拝を伴い、礼拝信仰を育てます。
 礼拝行の代表的なものに五体投地(ゴタイトウチ)があります。
 頭、両肘、両膝を地につき、自分の身体すべてを捧げてみ仏を拝みます。
 修行の最初にこの行があり、毎日の修行は百八回の五体投地から始まります。
 覚えたての頃は歩きにくくなったりして大変ですが、慣れてしまえば平気になり、むしろ、これをやらないとお経を唱える気にならなくなるものです。
 チベットなどでは僧侶だけでなく一般の方々も普通に行い、信心深い方々は、何百キロも、あるいは千キロ以上もの道のりを尺取り虫のように進み、聖地を目ざしておられます。
 もちろん、衣服も身体も耐えられないので、小さな座布団を肘と膝へ括りつけ、すり切れたならば代わりのものと取り替えながら、気の遠くなるような難行を続けます。

 我欲を祓う礼拝を疎かにすると正しい信仰心が育たず、我欲が強まる場合もあります。
 かつて仏教が堕落の様相を見せた時代、興教大師(コウギョウダイシ)が書いた懺悔文にある一節です。

「若(モ)し善根(ゼンコン…良き結果を生むような善行)を作(ナ)せば有相(ウソウ…耳目に明らかな世界)に住し、還(カエ)って輪廻生死(リンネショウジ)の因と成る」


(自分が行った善行の報いが自分へ廻って来るようにと願うだけならば、そうした我欲は、同じ苦の世界へ転生するきっかけとなる)
 せっかくの善行も、たとえば「これをやったなら宝くじが当たるかも知れない」などという邪念を伴っていては台無しです。
 ただし、「当たった賞金で地震の被災地を慰問しよう」という目的があれば別です。
 もしも自分の病気が治るようにと願うならば、治って何を行いたいか、自他のためになる目的をしっかり持って祈らねばなりません。
 そうした心になる第一歩であり、祈る入り口となるのが「普くみ仏を礼拝したてまつる」という礼拝の誓いであり、その心をみ仏へ届ける真言です。

 礼拝をしっかりやりましょう。
2008
12.17

四国遍路 8

【第10番 得度山切幡寺
  本尊:千手観音
  御詠歌:欲心を ただ一筋に切幡寺 のちの世までの さわりとぞなる

 山門からの石段を途中から登ることになったので、三百三十三段の艱難は味わえなかった。
(二度目の巡拝ではしっかり登った。やはりこうした達成感はありがたい)
 もちろん、お遍路さんは元気いっぱいと限らないので、こうしたはからいがなされているのは当然である。
 正面の本堂奥の暗がりに、ご本尊様が幽かに拝める。
 北川の裏手にお祀りしてある女人即身成仏の観音様のおられるところは紫色の幕がかかった窓が閉まり、常緑樹が一対、お供えされていた。
 観音様は「普く観る自在者」であり、釈尊から「善男子よ」と呼びかけられているところからして、本来、男性である。
 しかし、たぐいまれなる優しさの象徴であり、同じく慈悲心の権化であるお地蔵様が男性の姿をしておられることに対比されるなどして、女性的に拝まれる雰囲気が強くなった。
 いずれ、優しさが性別を超えた美しさで表現されていることから、世界各地で人気のみ仏ではある。
 
 托鉢修行で立ち寄り、布を所望されたお大師様に手織り中の布を裁ち切って差し出した娘は、問われるままに身の上を語った。
 父親は無実の罪で島流しにされ、身重だった母親は娘を生んで間もなく息を引き取っていた。
 母親は「お前は千住観音様の申し子だから千住観音様をお祀りするように」と遺言していた。
 娘はそれを実行し、衆生を救いたいとの願いを持っていたので、お大師様は自ら千手観音像を彫り、娘を得度させた。
 すると、娘はたちまち即身成仏し、光明を放つ観音様になったという。
 この仏像が北向きに安置されている秘仏である。
 そのお姿を模したお像はいかにも女性らしく優雅で、女人成仏の願いが込められていることがよく解る。
 このできごとを知った嵯峨天皇は「得度」と「幡を切った」ことを表現する寺として山号をつけるよう命じられ、お大師様は第十番札所と定められた。
 いかにもいわくありそうな山号と寺号の来歴である。

 師よりの指導があった。
「ご本尊様を拝み、お大師様を拝み、全山の霊気をいただいて帰る心がけを持つように。
 一身上の困りごとなどにあまり囚われず、とにかくお大師様の足跡をたどることに徹すれば、清々しく尊い心ができるであろう。
 教えをきちんと吸収していなければ、ただただ真言を何万返唱えたところでどうにもならない。
 がむしゃらだけの勤行では、ご利益を得るどころか、むしろ、精神に異常をきたすことすらあろう。
 まず、護身法を行い、厳しさ、優しさ、正しさ、尊さ、優雅さの5つの教えを保って精進すべし」
 心に何を入れておき、何を引っぱり出すか、何を刻みつけるか、その重要さはよく理解できる。
 参拝中に一緒になる方々の様子を眺めると、ただただ信心に走っておられるか、きちんとした信仰になっているか、それとも何もないか、そうした違いは自ずから顕わになっているものだ。

 見えるものと見えざるものについて考える。
 五感六根を使って仏神へ向かい、修行する際、見えるもののインパクトが強いと意識を集中しやすく、ご本尊様がまったく見えなかったり、わずかしか見えない場合は、全体として感じとる姿勢が強くなる。
 それぞれの行の意義を考えると、畢竟、要は心のありようであると思う。
 たとえば立派な本堂を眼にして「ああ、ありがたい」と思って合掌する場合の心がどうなっているか。
 本堂の立派さに感心しているだけなのか、それとも確かにそこにおられるはずのご本尊様へ帰依する姿勢が安心や感謝や喜びをもたらしているのか。
 この違いはとてつもなく大きい。
 こうした事情は、寺院を縁としている僧侶にも当てはまる。
 名所の管理人として見物人のお相手をしながら過ごすのか、それとも、五感六根を大きく動かし得る仏像や堂塔を活かし、〈法を学び伝える者〉として〈仏縁の方々〉がみ仏と教えに接し帰依する心を育てるためにはたらくのか。
 ここにも天と地の違いがあろう。
 本堂らしい本堂もなく、眼に訴えるモノに頼れないながら「法を弘めたい」と願っている者にとって、大伽藍はモノとして宝であるだけでなく、弘法の力を持つ如意宝珠に思える。
 四国の行者方には、それを十二分に活かして欲しいと心から願って止まない。
2008
12.17

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 23 ―放逸の恐ろしさ―

 12月10日の講座で学んだ『法句経』の経文です。

 善からぬものを善きものと思い、思いやりのあるものを思いやりがないと思うように、苦なるこの世を楽と観るのは放逸な人である。


世俗品」の最後にある一句です。
 たとえば、自分の妬みを晴らそうと他人を酷いめに遭わせてほくそ笑むなどは、第一番目のまちがいです。
 自己中心の迷いにある姿です。
 犯罪のほとんどはここから起こります。
 たとえば、親友の忠告をよけいな口出しするなと拒絶するのは、第二番目のまちがいです。
 高慢という迷いの中にある姿です。
 真の成長が止まり、邪険になり、感謝を忘れます。
 そして、「何とかなるさ」とものごとの本質に迫らず、根無し草のように欲の命ずるままに生きれば、第三番目のまちがいです。
 愚痴という迷いの中にある姿です。
 他の苦しみや悲しみへの想像力が育たず、我が身を呈して行う真の慈悲心が起こりません。
 お大師様は、飄々(ヒョウヒョウ…何があっても「どこ吹く風」とばかり淡々としているさま)と生きるアラカンさんを「そのレベルで止まってはいけない。他のためにならずにはいられない篤く大いなる思いやりを起こさねばならない」と叱っておられます。

 これらのまちがいはすべて、放逸から起こります。
 世俗にあっては我欲が生きる根っこになり、自分をそこへ解放しがちです。
 我欲の世界へ放たれ、道を逸した人は、まちがいだらけで生きるようになり、この世の苦を深めます。
 釈尊は、あくまでも我欲ではなく、真理による人の道を柱として生きねばならないと重ねて説かれました。
 これで『法句経』の上巻を終わります。
2008
12.16

違法な殺人 適法な殺人

 12月14日付の読売新聞に、親を殺された遺族が犯人の死刑執行を知った時の様子が記されている。

 平成6年に栃木県益子町で起きた殺人事件の犯人平野勇死刑囚は、9月11日午前11時過ぎに東京拘置所で処刑された。
 娘の渡辺早月さん(60歳)は、死刑が確定するまでの11年9か月、「(殺された)両親と同じ苦しみを味わわせたい」「自分の手で八つ裂きにしてやりたい」と思っていた。
 最高裁で死刑を確定する判決を聞き「とても満足」した。
 しかし、実際に執行されたことを知り、「何とも言えない生理的な拒否感」が起こった。
「まるで手の中で生きた虫を握りつぶしてしまったような、ざらっとした嫌な気持ち」とも述べている。

 この感覚はとても大切であり、その元となっている霊性が人間を人間たらしめている。
 感情が「殺せ」と命じても霊性が破壊されていなければ殺せない。
 時には、無意識の領域からタブー感となって煩悩へストップをかけてくれるのが霊性である。
 霊性は、そこへそっくり入ったことのある釈尊やお大師様などが遺された修行法により、また、霊性が発揮される場面を見聞きし、想像することによって磨かれる。
 霊性に反する状況を正しく見聞きし、あるいは想像することによって汚れが除かれる。
 早月さんは無意識で死を想像し、自分がかかわっていることによって不快感や嫌悪感という実感が生まれた。
 私たちは、まっとうに生きるために学ぶことと想像することが欠かせないはずだが、それは容易ではない。
 学んだからといって「得する」わけでもなく、想像したからといって「楽しい」わけでもないからである。
 しかし、順境が堕落をもたらし、逆境が人格を磨く場合が多いのもまた人生の常である。
 考えつつ人生を過ごしたい。

 早月さんは「今回の事件で、父と母が平野死刑囚に殺され、平野死刑囚もまた、国家の手によるものとはいえ、人為的に殺されたのだ」という気がしてならないが、何をやっても死刑にはならない国ではいけないとも思っている。
 そして、記事は「刑が執行されて初めて知った。死刑というものが、あんなにまで生々しく、自分に迫ってくるということを」で終わる。
 殺人違法な手段で行われれば事件になる。
 適法とはいえ、戦争と死刑も、まぎれもなく殺人である。
 自殺もまた違法適法を超えた殺人である。
 いずれにせよ、違法適法はあくまでも人間の都合でしかないことを忘れないようにしたい。
2008
12.16

四国遍路 7

【第8番 普明山熊谷寺
  本尊:千手観音様
  御詠歌:たきぎとり 水熊谷の 寺にきて 難行するも 後の世のため

 何とも言えぬ趣に魅せられる並木道と四国一の偉容を誇る仁王門。
 一切の無駄がなく躍動感にあふれ、十楽寺の鐘楼門と好対照である。
 教育委員会が由緒来歴を記した表示板はさすがに色・形・場所に心配りが行き届き、不満がない。
 まったくきらびやかなところのない本堂の擦れた床の木肌は、ここがまぎれもなく修行の場であることを物語っている。
 正面の石段の両サイドは円形になっており、大師堂への上り下りに心配りがなされている。
 左手奥に登った位置に大師堂があり、幕の向こうは暗い。
 お大師様は暗霧の中に溶けこんでおられるようだ。
 胎蔵界大日如来、阿閼如来、宝生如来、無量寿如来、不空成就如来を祀る多宝塔もまた四国随一で、山門と共に無常へ挑戦するかのような圧倒的な存在感を発揮している。
 光明真言を二百万返唱えた供養塔にある阿字の刻まれた深さは観る者を立ち止まらせる。
 お大師様が熊野権現のお導きで千手観音様を感得されたという森は深い。
 往事、お殿様がここを訪ね好んで月見をしたという理由が解った。

 しかし、参詣する人々は、ここで何を学ぶのだろう。
 時の流れを超えて〈在る〉ものに非日常を感じて帰るだけであるならば、観光でしかない。
 事実、とんでもない私生活を送りながら他人様へ道を説き、巡拝後もその傾向は増す一方で、満願によって「箔をつけた」だけとしか思えない方もおられる。
 せっかく八十八もの寺院があるのだから、巡る方々が具体的に、また体系的に仏法を学べる方策はとれないものだろうか。

【第9番 正覚山法輪寺
  本尊:涅槃釈迦如来様
  御詠歌:大乗の ひほうもとがも ひるがえし 転法輪の 縁とこそきけ

 平地にあるこじんまりした寺院。
 修行大師の像があり、あやかる「道中安全わらじ」などが並び、中でもキーホルダーが人気のようだ。
 本堂は修理中で、回廊をやや右へ下がると大きな紫の幔幕に囲まれた大師堂がある。
 さらに右奥には五輪之塔がさりげなく建っている。
 帰り道、境内地内にある茶店へ立ち寄る。
 赤い横断幕がかかり、「いなかの味くさ餅」「鳴門金時石焼きいも」などと書かれた紙がカウンターの高さに貼ってある。
 文字どおり、ホッとさせられる。
お接待させていただきます。お茶をどうぞ。これも召し上がってください」
 お茶と蒸したてのサツマイモ二個がパックへ入れられ、そのまま手渡された。
 店主らしい中年婦人の「お接待」である。
 一枚千円で受け付けていた屋根瓦の奉納をしなかったことがチラッと悔やまれた。
「良かったね。これを知るのも修行。四国の人の人情はありがたいでしょう」
 こう笑う師も、三十年前は、高知の方々に大変お世話になったという。
 ここでは、僧侶姿で歩けば、必ず修行を続けられるとされている。
 今も、お接待として脈々と続けられている布施の心。
 この種を蒔かれたお大師様の大きさは計り知れない。

 ここまでは師が最後尾におられたが、遅れた人の面倒を見ていただくにしのびなく、しんがりを申し出た。
 師はそれを待っておられたようだった。
 早速仕事が生じた。
 足が悪くやや太った方が置き忘れた杖を取りに走る。
 助けられることは嬉しいに違いないが、助けることもまた嬉しい。
 
 もっとも、しんがりがありがたいなどと味わえるのは平時のことであり、織田信長が朝倉義景と戦って敗れた際に後備え(アトゾナエ)として追撃してくる敵軍を抑えた池田勝正軍の困難な戦いぶりなどは想像を超えている。
 剣を学ぶ者として敵と戦いながら退がる体勢の難しさが理解できるだけに、胆力や知力や武力は途方もないとしか思えない。
 こうした窮地でも手柄を挙げ、出世のきっかけとした木下藤吉郎は飛び抜けた強運の星を持って生まれたのだろう。
2008
12.15

二つの奇跡

 12月13日付の河北新報によると、岩手・宮城内陸地震に見舞われた「湯ノ倉温泉・湯栄館」の八代目ご主人三塚倉雄さん(69歳)は、一時、水没していた建物の中から、母親の写真奇跡的に発見した。
 文政3年(1820年)に釣り人が発見した温泉宿に生まれた倉雄さんは、若くして亡くなった父親に代わり、20代から大黒柱となった。
 かつては林道すらなく、4~5時間もかけて山道を歩き、必要物資を運んだ。
 山を開墾しては稲を作り、農協へ出荷した資金を元にして、登山客や観光客のためにコツコツと宿を造ってきた。
 そうした無理がたたって片足へ障害が残った。
 手塩にかけた旅館の宿泊棟も管理棟も地震によってダムへ沈んだが、大雨によって土砂が動き、水位が下がったため、管理棟が姿を現した。
 三塚さんは、親の写真を求めて、管理棟を解体する作業現場へ通った。
 そして、ついにガラスケース入りの母親の写真一枚を探し当てたのである。
 彼は笑顔で言ったという。
「心血注いだ旅館が守ってくれたのだと思う」

 これは容易ならざる一言である。
 写真や位牌に宿る亡き両親が旅館を守ってくれたというのなら理解できる。(もっとも、今回は成り立たないが)
 しかし、旅館が写真を守ってくれたと喜ぶのでは、69年の生涯をかけた旅館よりも一枚の写真の方に価値があるという感覚ではないか。
 よく考えてみると、前掲の精進ぶりは欲得によるものでなく、こうした姿勢のもたらした奇跡に思える。
 商売をなりわいとしてきたとはいえ、氏の生涯そのものが、うまくやろうという姿勢とは無縁な現代の奇跡ではないか。
 だからこそ、「どこかで温泉を復活できないか。行政を含め関係者が模索を続けている」状況がもたらされたのだろう。
 私たちは、二つの奇跡に学ぶところ大なるものがある。
2008
12.15

厄年について

これまでも厄年についていろいろ記しましたが、最も良くないのは、最初に恐れてしまうことです。
厄年だから~をやってはいけない」と尻込みしてしまっては最悪です。
 せっかくの足腰を鍛える機会が活かされません。
 厄年に、生きる土台をしっかり鍛えておけば、濁流の上を渡る人生の丸木橋を前にした時、敢然と一歩を踏み出せます。
 いずれ必ずやってくる〈その時〉にぶつかるのは、厄年とは限りません。
 なぜなら、『大日経』に説く四つの魔ものは、私たち一人一人の存在と共にあり、社会と共にある影法師のようなものだからです。

〈その時〉に自信がなく、恐怖心を抱くと橋そのものが正確に見えなくなり、見えても渡り始められず、安全に渡りきるのは大変困難になります。
 よそ見せず、前を向き、確かな足取りで向こう岸へ着くためには、厄年にこそ運勢を学び、守本尊である千手観音様の教えに学び、無事安全に過ごす体験をしておく必要があります。
 代表的な厄年である本厄年には、歴史に学び、ご先祖様に学び、目上に学び、自らの因縁を知って千手観音様へおすがりすることが肝要です。

 厄年の反対が、普賢菩薩様のご守護を受ける運気の盛んな年です。
 この時期には、善願をしっかり固めてより良きことを求め、培った信用を活かして新たな発展のチャンスを見つけましょう。
 しかし、年が変わり、八方塞がりへ入ったならば、むやみと周囲へ〈求める手〉を伸ばさず、合掌して尊きものへ帰依する姿勢で手元にある宝ものへ磨きをかけ、あるいはそれを熟成させてレベルアップを図れば、無事安全に発展できます。
 たった一年の違いで、同じ手の主たる役割が変わります。
 それは、天地にバイオリズムがあり、私たちにもまたバイオリズムがある以上当然であり、そこを観て手の用い方を知るのが智慧というものです。
 坂道を上る場合と下る場合は、それぞれ、つま先の向きを変え、川を遡ろうとした場合に、急流と緩流とでは船の舳先を向ける角度を変えるのと同じ理です。

「厄年だから」「八方塞がりだから」と恐れず、正しく学び、大切な人生の一時期を最も有効に生きていただきたいと願っています。

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2008
12.14

12月の俳句 3

 12月師走です。
 俳人で信徒総代でもある鈴木悦子さん(仙台市太白区在住)の句です。
 鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって俳句を投稿しておられます。(掲載が月遅れになる場合があります)

散り尽す黄葉(モミジ)や空をさらけ出し


「黄葉」は銀杏黄葉(イチョウモミジ)であり、銀杏の葉を表す。
 舞い散る銀杏を眺めているうちに、枝がどんどん裸になり、繁る銀杏の陰に隠れていた空が顕わになって光景の主人公が黄色の銀杏から蒼い空へと入れ替わるおもしろさが表現された。

極月(ゴクヅキ)やひそと冥きは針の穴


極月」は毎月の交代が極まった月、すなわち師走の別名である。
 極まりは「いのちの極まり」をも連想させ、穴へ糸を通しにくくなった針を手にした作者は、自分の心が招いた冥きものをそこに感じて、ふと、作業を止めている。
 ひっそりした気配が迫り来るようだ。

年逝くや心に残る事多く

 一月からここまでのできごとを回想している作者の心には何が残っているのだろうか。
 嫌なことや早く忘れたいできごともあっただろうが、決して忘れられないみ仏からの贈りものも、多々あったに違いない。
 まっすぐで率直極まりない一句には後者への感謝がある。

半眠にひとを見てをり日向猫


 日向でまどろむ飼い猫が、半眼になったまなざしをこちらへ向けている。
 そこには何の不安も疑いもない。
 穢れがないのである。
 こうした視線をあびると、自然に我が身をふり返った人間の方が「あらら」となったりする。
 仏像のまなざしと同じである。

いんぎんに宅配の人十二月


 お歳暮の時期になると、配達人は、モノと一緒に感謝を届けるのに忙しい。
 自分が感謝を発する人ではないのに、いつしか成り代わって、仕事の「ありがとうございます」へ、それを重ねていたりする。
 いつもの挨拶に「いんぎん」を観た作者は、さすがに鋭い。

2008
12.14

12月の俳句 2

 12月は師走です。
 俳人で信徒総代でもある鈴木悦子さん(仙台市太白区在住)の句です。
 鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって俳句を投稿しておられます。(掲載が月遅れになる場合があります)

歳月は拘りもなし去年(コゾ)今年


 年末年始という区切りの時期には、一年を丸ごと捉える気持が高まります。
 歳月は星霜と表現する場合もありますが、それは、星は一年かけて天を一巡りし、霜は真冬が廻ってくると降りることに由ります。
 人間と違い、自然は何の拘りもなく時間の中を変化します。

茫々(ボウボウ)と過ぎし月日や年惜しむ


「茫々」には、果てしない広さと何ものも遮られない激しさの意味があります。
 ふり返ってみれば、去ろうとしている一年にどれだけの内容があるか、どれだけの長さだったのか、もう、判然とはしません。
 それは、ただ、いのちをここまで連れてきた一筋の流れです。

餅搗きし事もなつかし一人住み


 かつては、皆で行う餅搗きを楽しみ、あるいは搗きたての餅を頬ばる楽しみもありました。
 一人で住むことに慣れると、わざわざ人の群を探して飛び込もうという気持が薄れ、餅搗きは懐かしい過去となりました。
 気持が行動を促し、あるいは止め、「今」を決めます。

木の葉髪生涯遅々と学ぶべし


「木の葉髪」は、木の葉が散るように晩秋から初冬にかけて特に目立つ抜け毛のことで、無常、寂寥、孤独などの真理が背景にあって用いられる言葉です。
 どちらかというとマイナスのイメージが強い言葉へ「遅々と学ぶべし」をぶつけた背骨の勁さには驚嘆です。
2008
12.13

夢と救い

 ユングという心理学者が、夢を見ました。
 
 丘の中腹に建つ礼拝堂へ入ったところ、祭壇の前で瞑想している行者がおり、顔を見たらユング自身でした。
 驚いて目を醒まし、彼は考えました。
「彼は私のことを想って瞑想していたのだ。
 眠りへと続く瞑想が夢をもたらし、その中に私はいる。
 いつか彼が目を醒ました時、私はいなくなるにちがいない」

 ユングは、無意識が心の主人公であり、普段、私たちが〈自分〉と考えている心は、その一部分がもたらしている〈ひとときの夢〉であると考えたのでしょう。
 夢といえば、ヒンズー教ではヴィシュヌ神の夢が存在の全体であり、この世も、さまざまな神々や仏陀すらも、そのまどろみの中に現れたものであると考えています。
 ひるがえって私たちのふるまいをつぶさに観察してみると、無意識で行っている動作がほとんどであることに驚かされます。
 こうして考えていることすら、「考えよう」という意志などなく行われ、ユングの夢物語も、ヴィシュヌ神の信仰も、いつしか記憶という湖の底から湖面へ浮かび上がってきたものです。

 仏法では、目や耳など5つの感覚器官が外界から受けた刺激によって動く意識を「前五識」とします。
 関ヶ原の合戦で先陣をきった井伊直政のように、一番前に出てはたらく意識です。
 その後に〈自分〉があります。これが普通に言う「意識」です。
 その奥にこれまでの生涯で体験したすべてを蔵のようにしまいこんでいる「マナ識」があり、さらにその奥に、誕生と共に過去から引き継いだ「アラヤ識」があります。
 親の恩とは、「アラヤ識」を伝え、幼い頃に社会で生きるために必要なものを「マナ識」へ溜めさせてくれたことと言えましょう。
 肉体を持たせてくれなければ「アラヤ識」は眠ったままであり、教育してくれなければ「マナ識」は空虚になってしまいます。
 人間の子として生まれても人間らしく育てられなければ人間そのものになれないことは、オオカミに育てられて発見され、獣性のままに逝った少女マカラを観れば明らかです。
 密教では、これら八つの後にあり、あるいは八つを包み、あるいは八つを生み出すものとして第九識である「アンマラ識」を説き、日々、その本来清浄なる自性清浄心(ジソウショウジョウシン)へ立ち戻る修行を行っています。
 行者にとって、み仏の恩とは、「アンマラ識」へ入る扉を開け得る存在としていのちを授けてくださったことと言えます。

 17世紀に一店主として生涯を送ったヒンズー教の聖者トゥカーラームが遺した詩の一節です。

「食を捨つることなかれ、森の庵に赴くなかれ。
 汝の悩みあるいは楽しむいかなる場合にも、
 ナーラーヤナ神(ヴィシュヌ神)を念ずべし。
 母の肩におぶさる子は苦難を感ぜす。
 これ以外の一切の念慮を捨てよ。
 世の快楽にとらわるるなかれ。またそれを捨つるなかれ。
 汝のなす一切のことを神に捧げよ」


 どこにいても、いかなる境遇にあっても、夢の泉を枯らすことなく、慈しみとして発揮される自性清浄心を輝かしつつ生きることができます。
 み仏を信じ、神々を信じ、救いを信じて生きたいものです。
2008
12.12

人間はどのようにして人間になったか

 市場原理すなわち〈合法的に行われる弱肉強食〉の持つ欠陥は、人間が人間となった経緯を観ればすぐ解る。
 かつて「輪廻転生 4 ─ご先祖様は『いじめられっ子』だった─」に書いたことをもう一度、指摘しておきたい。
 日本をこれほど荒んだ国にした思想と政策の問題点をしっかり検証してもらいたいからである。

 かつて、恐竜が絶滅した頃、私たち人間の祖先は天変地異をかいくぐって危うく生き残り、次いで訪れた弱肉強食の試練をも乗り切って人間になった。
 敗者のご先祖様は、まず、肉食獣の脅威から逃れるために樹へ登った。
 そこでくり広げられた弱肉強食の闘いに敗れ、草原へ降ろされた。
 水平線の彼方からやってくる敵にいち早く気づくために後ろ脚で立ち上がり、共同生活を始め、脳が発達して霊性が輝き出したのである。
 勝者は、いまだに森林の王ゴリラであり、あるいはチンパンジーである。

 また、ニホンザルの研究も興味深い。
 青年期に達したオスは、ヒトリザルとして群の加護を受けずに生きねばならない習慣がある。
 ある厳しい冬、食べ物に困った一匹のヒトリザルは釣り人の獲物を盗み、魚を食べて生きながらえた。
 本来、食べなかった食材を思い切って口にしたところ、美味であることを知った。
 追いつめられた弱者のヒトリザルによるいのちをかけた乾坤一擲(ケンコンイッテキ)の勝負が、ニホンザルの社会へ魚食の文化をもたらした。

 2年前の大晦日に書いた文章を再掲しておきたい。
 ──文化を転換する岐路に立った日本が過たぬよう願いながら。
「悠久の過去に思いをはせれば、勝ち組負け組という粗野で殺伐とし嫌悪感を催させる流行語などは、一枚の紙切れほどの重みもありません。
 輪廻転生の摂理は、決して世間的勝ち組に極楽を、負け組地獄を用意しているのではなく、むしろ、他を蹴落とし権勢に驕った者はその報いとして地獄や畜生や修羅の世界へ行かねばならず、恵まれぬ生活にあってもまっとうに生きた者には人間や天人の世界が待っています。
 肩を寄せ合って生き始めたご先祖様たちの思いを大切にしたいものです」
2008
12.11

新疆ウイグル自治区で行われた核実験について

 東京新聞(平成20年11月21日)の「特報」をご紹介します。
 当山は特別な政治的立場に立つものではありませんが、人の道に関する重大な問題は、仏法上、見捨ててはおけず、注目し、宗教者としてできる範囲の対応をして行きたいと願っています。

 東アジアでは北朝鮮の核兵器開発が国際社会から問題視されているが、中国は既に1950年代半ばから核兵器開発にまい進してきた。
 少数民族が居住する新疆ウイグル自治区で行った核実験は40回以上に及ぶ。
 しかし中国政府は実験データはもちろん、実施の事実すら公表していない。
 核汚染や周辺住民への被害はこれまで闇の中だったが、その実態が日本人科学者の手によって初めて明らかになりつつある。(外報部・浅井正智)

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「旧ソ連時代、中国の核実験による放射線の影響は、(新疆ウイグル自治区の)ロプノル核実験場から北西に約千キロ離れた隣国カザフスタンで監視さていた。
 そのデータを2001年に入手したことは、中国の核実験の実態を追跡する上で大きな意味があった」
 原発事故のチェルノブイリや臨界自己の東海村をはじめ、世界各地の 放射線被害の現地調査を手掛けてきた札幌医科大学教授(放射線防護学)は、札幌市内の研究室でこう語りはじめた。
 中国は実験現場を公開していないが、どう調査したのか。
 用いたのは、旧ソ連が監視していた中国の核実験威力や爆発温度、風向き、さらに風下のカザフスタン東部マカンチに実験直後に降り積もった核分裂生成物の分析から、新疆ウイグル自治区の被害を推定するという手法。
 現地調査をせずに核汚染を科学的に分析するこの方法を適用することで、中国が隠し続けてきた核実験災害の実施時期に突破口をひらいた。
 中国が同自治区で行った核実験は、1964年か96年までに延べ46回とみられ、「これらの実験のために致死レベルの放射線を浴び、死亡した住民は19万人と推定されると高田教授は具体的な数字を挙げた。
 劣悪な医療環境などから、その4倍の75万人が死亡したとする説もあるという。
 死に至らなくとも、白血病やその他のがんの発生、胎児への影響が高まる地域には 129万人がいたとみられる。
 核実験はもう10年以上 行われてはいないものの、「住民の健康被害は続いており、まさに現代の問題」にほかならない。
 
 実験地点はシルクロードの要衝として栄え、日本人が好んで観光に訪れる楼蘭に近い。
「地下核実験で地下水が汚染されている恐れがあり、飲むのは避けるべきだ」と警告する。
 46回の実験のうちメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の3回。
 核爆発は爆発点により、空中、地表、地下に分類されるが、地表爆発は核汚染された土壌の粉じんを巻き上げ、周辺および風下に大きな放射線災害をもたらす。
 高田教授によると、メガトン級の地表書く爆発は米国も旧ソ連も内陸では行っていない。中国はそれを3回強行した。
 インターネットの動画サイト「ユーチューブ」では中国の核実験の映像が見られるが、防護服などを着ていない人々が巨大なきのこ雲に向って万歳する姿が映し出されており、安全面の対策を講じないまま実験を行った可能性が極めて高い。
 ただ中国当局は一つの重要な「配慮」をしたとみられる。
 67年と73年のメガトン級地表核爆発は同じ6月に行われ、当時の気象記録からカザフスタン方向に風が吹いていたことが分かっている。
「毛沢東ら共産党指導者のいる北京に゛核の砂゛が飛んでいかない季節を選ぶという最大級の配慮をしたはずだ」と高田教授は皮肉を込めた。
 残る1回のメガトン級爆発時(76年11月)の気象データは、今のところ判明していない。
 11月という季節から、核の砂は北風によって南に隣接するチベット自治区に運ばれた可能性が考えられるが、解明は今後の研究に委ねられている。
 
 高田教授は研究成果をまとめ、北京五輪に合わせて今年、著書「中国の核実験」(医療科学社)を出版した
 先月下旬、アルゼンチンで開かれた国際放射線防護学会でも「中国の核実験災害と線量評価」と題し報告を行った。
 これまで謎に包まれていた中国の核実験の実態から見えてくるものは、「主にウイグル人が居住している場所で、安全面の対策も立てず、国家によって犯罪的実験を行った。」(高田教授)というおぞましい現実だ。
 3回のメガトン級爆発は、すべて文化大革命(66~76年)という未曽有の大混乱の間に行われている。
 中国共産党は81年、新中国成立以来の歴史を総括する「歴史決議」で、その文革を「過ち」と公式に認めた。
「ならば」と高田教授は強調する。
「文革の熱狂の中で行われた危険な核実験の過ちも認め、データを開示し、被災者の補償をすべきだ。それをしない限り、中国は決して国際社会から信頼される国家にはなれない」


2008
12.11

Category: □守本尊様に学ぶ   Tags:
 信徒Sさんの投稿です。

「厚塗りというものを試して見たんですが難しいです・・・。
って本当は黄色なのかな?それとも白?赤に見えるときもあるし青に見えるときもある・・・不思議ですよね。
 昔、暗い夜道を1人帰っているときにとても大きい赤いを見たときはすごく気持ち悪かったです。
 けど青いは神秘的で引き込まれてしまいそうな・・・。
 そんな経験からをイメージしたイラストを描いてみました」

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