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2009
10.31

キャラクターの愛称が決まりました

 江口正子様よりいただいたウサギのキャラクターについて愛称を募集したところ、ただちに生みの親である江口様よりお申し込みがありました。
 よって、決定です。

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ラヴ姫」です。
「日本だけにとどまらず、世界へも跳び出し、辛く、苦しむ人達のため、ラヴ姫は得意の耳でよく聞き、優しさと力を届けます」

 この投稿をいただき、やはり、当山の信念に呼応したものが縁になるのだなあと納得しました。
 当山は、かねてより、日本におけtる仏教の位置を定めたのは聖徳太子であり、東の果てで仏法を洗練の極みまで到達させたのはお大師様であると判断しており、「ラヴ姫」は、一度に1十人の話を理解できる聖徳太子であると直感しました。
 もちろん、万能選手である「仙哉」君はお大師様です。
 これから先、揃って活躍してくれるにちがいありません。。
 


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2009
10.31

ペット霊園「やすらぎ」さんでの慰霊祭

 10月18日に行ったペット霊園やすらぎ」さんでの合同慰霊祭の写真が届きました。
 とてもたくさんの方々が供養に足をはこばれ、にぎやかな会になりました。

〈駐車場からバスで来園された方々が会場を埋め尽くしました〉
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〈墓園はお焼香の煙に包まれました〉
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〈個別の墓前でご供養しました〉
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風車がいっぱいです〉
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2009
10.31

キツネつき ─動物霊との縁について─

 キツネヘビなどの動物霊とさまざまな縁ができた時に結ぶ法に大黒天法があります。
 良き縁の場合も悪しき縁の場合も唱える経文の柱は(クウ)を説く「中論八不偈(チュウロンハップゲ)」です。
 その心臓部が「八不偈(ハップゲ)」と呼ばれているものです。

「不生亦不滅(フショウヤクフメツ) 不断亦不常(フダンヤクフジョウ)
 不一亦不異(フイチヤクフイ)   不来亦不去(フライヤクフコ)」

「何ものであれ、それ自体として生じることなく、滅することもない
 何ものであれ、それ自体として断滅することなく、常恒に在ることもない
 何ものであれ、それ自体として同一であることなく、別異のものでもない
 何ものであれ、それ自体として来ることなく、去ることもない」
というのです。

 あらゆるものは原因とそれにはたらきかける縁によって生じ、滅しています。
 だから、私たち自身、「おかげさま」と依存するものなくしては、一瞬たりとも生きられません。
 決して自分だけで生きているのではないのです。
 また、思いを込めた言葉は、その因縁が現象を生じさせ、滅する場合もあります。
 だから善き祈りは大切であり、呪詛は避けねばなりません。

 では、なぜ、こうした修法を行うのか?
 それは、人間も動物霊であり、共にであるという真実世界が顕わになる時、存在から汚れが剥落し、「あるべきありよう」が明らかになるからです。
 そこにこそ、悟りも救いもあります。
 こうして心の次元が変われば、お香の香りのように良き影響が同心円状に広がり、周囲の人々へも福徳が訪れるきっかけとなります。

 どのような形であれ、動物霊を感得したなら、至心に祈りましょう。
 本来は戦いの神であり食堂の神でもあった大黒天は「おん まかきゃらや そわか」の真言に呼応し、富貴をもたらす守護神として動き、虚空蔵菩薩の宝の世界へと案内してくださることでしょう。

〈ここにいるよ〉
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〈現れた〉
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〈変容〉
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〈こんにちわ〉
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2009
10.30

実践

 隠形流(オンギョウリュウ)居合は、気合を発し、真言を唱え、観想し、身体を動かして〈み仏と自分との関係〉についての〈感じ〉をつかむものです。
 だから、女性にも、年配者にも修行は可能です。
 修行で大切なのは、正しく覚えることです。
 不動明王の印や摩利支天(マリシテン)の真言を間違えば、行は普通のスポーツでしかなくなります。 
 覚えた内容をくり返す稽古は、その人なりの体力や環境などに合わせて無理なくコツコツとやり続ければ良いのです。
 そうしているうちに、必ず〈感じ〉が判るものです。
 人それぞれではあっても、この感じを大切にして生きて行けば心が磨かれ、まっとうに生きられます。
 隠形流居合は、望みを正しく持ち、正しい手段でそれを実現しながら生きて行くための柱となるものです。

 実践しなければ〈問題を抱えた自分〉が、そのまま、かけがえのないいのちを砂時計のようにすり減らして行くだけです。
 最近、人生の根本問題に正面から立ち向かうようになったAさんが言われました。
「自分も布施行をやりたいと願っていますが、ボランティア団体を調べると、どう選んだらよいか分からず、なかなか踏み込めません」
 それを聞いていたBさんが言われました。
「団体なんかあてにすると、いろいろな葛藤に悩まされますよ。
 それよりも、まず、お隣に一人暮らししている人がいたら、庭の草むしりでもしてあげなさい。
 それが一番ですよ」

 何がこうした実践へ導くか?
 それは、「求道心」です。
 このままではいられない、どうすればよいか、自分はどうならねばならないか、どうすれば変わられるか。
 いいかげんなままではいられない必死の思いがあって初めて、真の人間的向上という長い道へ踏み出すための扉は開きます。
 求道心を支えるものは何か?
 それは、「慈悲心」です。
 思いやりの心があれば、苦に呻く人を見捨ててはおけなくなります。
 病人を救いたい、理不尽に虐げられている人を救いたい、こうした願いが医師や弁護士になるための勉学を支えます。
 一人暮らしで草むしりもできずに悶々としている年老いた隣人の庭で汗を流すのも同じです。
 道を歩めばどうなるか?
 「方便力(ホウベンリキ)」が得られます。
 時に応じ、ことに応じ、相手に応じて適切な実践ができるようになります。

 こうした成り行きは「大日経」に説かれており、密教修行である隠形流居合は、その実践道です。
 五輪の剣をふるって 「地」のように自他を支え、「水」のように自他を潤し、「火」のように煩悩を焼き尽くし、「風」のように無知・迷いを払い、「空」のように浅はかな分別を離れましょう。

仙哉君〉
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2009
10.29

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 38 ―欺かず、怒らず、足るを知る─

 心を制御し、人としてのまことを尽くす生き方になれば、周囲にどんな魔ものが現れても、自分の心にそよ風を保つことができます。
 10月28日に学んだ『法句経ダンマパダ)』の「忿怒品(フンヌホン)第二十五」は、そうした道を具体的に説いています。

「欺かず、怒らず、意(ココロ)に多く求めず、是の如きの三事は、死して則ち天に上る」

(真実を語り、怒らず、足るを知り与える者は、死後、天界へ行く)

1、 言葉に偽りやへつらいがあってはなりません。
 コミュニケーションの手段が汚れていれば、結果は必ず汚れたものになります。
 また、汚れた言葉を用いていれば、思考もどんどん汚れた方向へと深まり、道理と思いやりから遠くなる一方になります。
 そうなれば、表面を繕いきれるものではありません。
 いつかきっと馬脚を現す時が来て、因果に応じた報いを受けねばならなくなります。

2、 怒らないとは、耐えられる心になっているということです。
 仏法で言う場合の耐えるとは「忍辱(ニンニク)」の行を実践することを意味します。
 普通口にしている「がまん」ではありません。

 一つには、暑い、寒い、辛い、苦しいなどの思いに押しつぶされないことです。
 これを「安受苦忍(アンジュクニン)」といいます。

 もう一つには、たとえ憎い相手へも思いやりをかけることです。
 それは、み仏の「慈悲」は決して相手を選ばないからです。
 自分の都合で思いやりをかける相手を選ぶならば、それは、自分の満足が先に立っていることになり、真の慈悲ではありません。
 当山の【現代の偉人伝】第71話で紹介した駆逐艦「雷」の艦長工藤俊作中佐などは、慈悲の実践者です。
 彼は、沈没したイギリス艦の乗組員たち422名を救助し、重油にまみれた身体を拭き、衣服や温かい食事も与えました。
 生死をかけた戦いの最中にあっても、相手の人間としての窮状に目をつぶられない思いこそ、本ものの慈悲です。
 これを「耐怨害忍(タイオンガイニン)」といいます。

 もう一つには、何があっても真理に基づく道理を心に保って忽せにせず、それを柱にした生き方をすることです。
 その場をうまくやり過ごそうと、真理・道理に反していても自分に都合の良い理屈を持ちだしたりするならば、恐ろしい我(ガ)は育ち続けましょう。
 み仏の教えを主とし、暴れ回ろうとする我を制御することこそ、釈尊が「最も尊い行」とされたものです。
 これを「無生法忍(ムショウホウニン)」といいます。

 こうした忍辱が心に確立されれば、つまらぬことで怒って人間関係を破壊し、自分の人生を破壊することはあり得ません。

3、 常に自分をふり返り、どうしても必要なものは何か、求めているものは本当に必要なのか、持っているがために苦を生じさせているものはないか、などとチェックしてみましょう。
 冷静になってみると、欲しくてたまらなかったものが急に色あせて見える場合もあることでしょう。
 現代は消費社会であり、社会を挙げて「欲しがらせる」競争に走っています。
 その結果、私たちは、意識するとしないとにかかわらず、いつも〈不足している〉という感覚に縛られています。
 現代人にとりついたストレスの最たるものの正体は、この不足感にあるのではないでしょうか。
 言い換えれば、問題意識を持たない人は、常に欲しがり症候群と二人三脚になっているのです。

 そもそも、自分が何かを得た時よりも、何かを与えた時の方が、深く、持続し、喜びと達成感を伴う満足感を得られるはずです。
 もちろん諸条件によるので一概には言えませんが、乗り物のイスに腰かけた時の安心感と、イスを譲って喜ばれた時の「ああ、良かった」という気持とを比べてみれば明らかです。
 それは、他のためになることが霊性の導く方向だからです。
 時代の持つモンスターのような力に操られないよう、よく考えてみましょう。



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2009
10.28

托鉢と仙哉君

 仙哉君の新しい作品が届きました。
 作者松尾佳央理さんは、きっと、私の出版物を読んでくださったのでしょう。
 しかし、一度もお会いしたことのない方がこうした心象風景を描けることが不思議で「ウーン」と唸っていたら、横でニコニコしていた行者橋里佳さんが言いました。
「きっと、仙哉君は前から先生と一緒だったんですね」

 文殊菩薩につながっています。
 年生まれの方の一代守本尊であり、の年・月・日・時を守り、の方位(東)を守るのが文殊菩薩様です。
 当山は、私が出家得度した頃に縁となった文殊菩薩様の尊象を所持しており、江戸時代の作とされる童子形でどう猛な獅子に乗る小さな文殊様を、いつ、どのようにお祀りすればよいか決めかねていました。
 文殊様が托鉢行を守り、私をここ宮床兎野へ導いてくださったのかも知れません。
 初めて大和町宮床という見知らぬ山里を訪れた冬の早朝、凍てつく道路の真ん中でちょこんと立って出迎えてくれたリスは、もしかするとだったのでしょうか。

 童子形の文殊様は当地の守本尊としてお祀りし、その代理で仙哉君に活躍してもらいましょう。
 文殊様はきっと、当地と、当山を訪れる方々へ大きな福徳をもたらしてくださることでしょう。

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2009
10.27

輝くもの ─仕事の不満・結婚願望─

 Aさんは、時代の最先端を行く業種の企業に勤めるOLです。
 給与・待遇は申し分ないけれども「自分をかけている」という実感を持てず、介護士の資格をとって困っている人々のためにはたらきたいという夢を捨て切れません。
 しかし、介護士になったとしても勤め口があるかどうか不安であり、身体がついてゆくという自信も給与の激減に耐えられるという見通しもなく、悶々とした日々が続いています。
 もちろん結婚願望も人後に落ちないものがあって、生活の安定よりも、得られない不満や未来への不安の方が大きくなって来山されました。

 観たところ、岐路に立つAさんは、今の境遇を捨てて新しい道へ進むよりも、持っている宝ものを磨いてその輝きが新たな人間関係を作るのを待つ方が運気を活かせると判断し、仕事以外の生活ぶりを訊ねました。
 案の定、Aさんは多忙な仕事の合間を縫って、定期的に福祉関係のボランティア活動を行っていました。
 そうしたことを誇りたくないので、自分から言い出さないでいたのです。
 これこそが今のAさんの最大の宝ものです。
 人間関係についての迷いも生じているAさんへアドバイスしました。

「1日は24時間に決まっています。
 いかなる運命を生きるかは時間の使い方によります。
 仕事と、寝たり食べたりのいのちを養う時間以外の数時間をどう使うか、見なおして下さい。
 宝ものを磨くという一点に、もっと時間を集中させるのです。
 そうして貴女が変われば、周囲の人々の貴女に対する視線も姿勢も変わります。
 
こんな例があります。
 貧困国の病人を救おうというを持った学生Bさんは、仲間から『つき合いの悪い奴』と思われていました。
 授業が終わると、遊んだりだべったりせず、サッといなくなるからです。
 後になって、医師になったあかつきには必ず外国ではたらこうと決めてその国の言葉を猛勉していたことが判り、仲間は唖然としたそうです。
 ことを為すのは、そうしたと向上心のある人です。

 また、20歳そこそこで裁判員になった人の感想にも大事な示唆が含まれています。
 Cさんはかっこいい好青年で、トントン拍子の人生を送っていました。
 ある日、裁判員に選ばれ、まったく日常生活から離れるという体験をしました。
 見ず知らずの被害者と被告の人生に向き合い、正義のありかを真剣に考えました。
 そして今までになかった眼が開けました。
 Cさんは言います。
『私の人生で、他人のためにあんなに真剣に考えた経験はありませんでした』
 自分のためでない努力の尊さを知ったのです。
 Cさんは今、定時制高校などで道徳その他の教科を受け持ち、教壇に立っています。

 来年は、そうした貴女の輝きが、これまで縁のあった人々に貴女へ対する新たな目を開かせ、新たな人間関係を作りもします。
 運勢が大きく開けます。
 それが活きるためには、自分自身の中にある〈このままではいけないもの〉を早めに処置することです。
 ブレーキを外し、加速できる環境を作るのです。
 365日、24時間を守る守本尊様は必ずやそのための大きなお力になります」
 
 そして、この運勢を良き方向へと導いてくださるよう、守本尊様の御守をお渡ししました。
 はじけるような笑顔になったAさんは、今度はご本尊様へお礼参りに来ますと言い、長いブーツで颯爽と降りしきる雨の中へ消えました。

※実話がベースですが、プライバシーを考慮し、フィクション仕立てになっています。




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2009
10.26

死後の和解

 秋も深まった寒い朝、いつものように子供たちを学校へ送り出して一息ついたAさんは、電話の音に腰を上げました。
 遠い他県の役場から届いた若い男性の一語一語確認するように話す言葉に、Aさんは息を呑みました。
 それは、30年前、父親と離婚して家を出た母親の死を告げていました。
 たった一人で亡くなっており、身内が引き取りにきて欲しいというのです。

 平和な日常生活に激震が起こりました。
 大好きだった母親の突然の死にうろたえているいとまはありません。
 すぐに実家の父親と夫と二人の妹へ連絡し、子供たちが帰るのを待って車のハンドルを握りました。
 同乗者はすぐ下の妹です。

 小さな港町ではたらいていた母親は脳溢血で急死し、地域の集会所で白い蒲団に横たわり、香が焚かれていました。
 お世話してくださった近所の方々は、過去を語らず黙々と事務の仕事を務め、いつも静かな笑顔を絶やさなかった母親の生活ぶりを教えてくれました。
 二人は涙も乾かぬままに遺体を乗せ、夜道を走りました。
 姉妹が交わす母親との思い出話は尽きませんでした。

 離婚をきっかけに自分の実家の親戚筋との縁を一切絶っていた母親は夫の元へも帰られず、お骨の行方も定まらぬままに、三人の娘たちが荼毘に付しました。
 死を知った親族や関係者たちはそれぞれに異なった助言や主張をするだけで、実際に遺骨を引き受けようとする人は誰もいません。
 母親が住んでいたアパートの整理も終わり、膝をつき合わせた三人は、当山へ人生相談に訪れました。
 知人から活動について聞かされていたからです。

 助言を受けながら気丈に涙をこらえて具体策を相談する三人は、たちまち、すべての結論に達しました。
 当山で遅ればせながらの葬儀を行う。
 喪主は長女が務める。
 父親に葬儀への列席を促す。
 親族は一切、呼ばない。
 遺骨共同墓法楽の礎』に納める。
 位牌は当山へ納めて永代供養を受ける。

 三人の夫たちは揃って妻たちの出した結論を尊び、助力すると約束してくれました。
 父親は、黙って葬儀に出ました。
 子供たちも別れた夫も知らない生活の中で写した一枚の写真は、参列者すべてにとって、昔のままの故人の面影を宿していました。
 帰り際、〈昔の夫〉は合掌してポツンと言いました。
「ありがとうございました。良いやつでした」

 後日、花を持って訪れた長女は、妹と一緒に、涙の浮かんだ目を輝かせ、笑顔で頷き合いました。
「お父さん、別れてもずうっとお母さんを好きだったんだよねえ。きっと、お母さんもそうだったんだろうね」

※実話がベースですが、プライバシーを考慮し、フィクション仕立てになっています。




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2009
10.25

【現代の偉人伝】第86話 ─不作為への挑戦・千代田区役所職員加藤哲夫さん─

 10月24日付の読売新聞は小さな〈地上の星〉を報じた。
「NEWSなおにぎり」欄の「公務員の仕事って何だろう」である。
 記事は、たった一人でアスベストによる公害から区民を守った千代田区役所職員加藤哲夫(61歳)さんを紹介している。

 最近、東京都千代田区にある古い立体駐車場アスベストの除去工事が終了した。
 工事費(2000万円)は国土交通省が全額負担した。
 このモデル事業第一号が誕生したのは、「長く建築畑を歩み、欠陥建築や不良鉄骨などの数々の問題に取り組んできた」加藤哲夫さんの人力による。

 定年間近になった頃、加藤さんは気づいた。
石綿がむきだしの古い立体駐車場では、車が中を移動するたびに飛散するのでは」ないか。
 そして、動き出したが、周囲は冷たかった。
「対応できない問題を公表しても、いたずらに不安をあおるだけ」
「余分な仕事を作るな」
 こうした目をつぶろうとする姿勢は、道義的には典型的な不作為であるが、実行を義務づけられていない者の不作為は罪にならない。
 だから、動かないでいてもそれまでである。
 汗を流さないで済むならその方が楽である。
 ここを突き崩すのは「」の力しかない。
「命の問題。今動かないで、30年後に肺がん患者を出したら区民に申し訳がたたない」
 加藤さんの30年後を見すえた責任感は、もはや義務がどうのというレベルを超えている。
 仕事師としてやらずにはいられない。やらずにを捨てたならば、仕事師として生きられない。自分の仕事師人生を汚すなら、死んだ方がましである。
 きっと、安っぽいヒューマニズムなどではなく、こうしたプロの意地ではないだろうか。

 加藤さんは、コツコツと区内の駐車場管理会社に内部調査の公表を依頼して歩き、ようやく平成20年春に2社が応じてくれた。
 案の定、基準を超えた石綿の検出が確認され、各地の自治体にも危機感が広がり、国は全額補助事業をスタートさせた。
 多くの場合、莫大な石綿撤去費用は一企業のまかないきれる範囲を超えるので、国民の安全を守るためには国費による解決しか方法はない。

 加藤さんは平成21年春に退職し、担当者として第一号を見届けることはできなかった。
 しかし、30年後の危機を救うため、国も自治体も立ち上がっている。
 は周囲の不作為の壁を突破し、確かな形となったのである。



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2009
10.24

あなたと一緒になれて幸せでした ありがとう

 最近、葬儀の後で、印象的な会葬お礼状とめぐり会いました。
 ぜひ書き残しておきたいと願い、作者の了解をいただきました。
 以下はその文章です。

「あなたと一緒になれて幸せでした ありがとう」

 十八年前に受けた手術の代償として夫が失ったのは『声』でした。
 それまでのように言葉のやりとりをして意思疎通を図ることは難しくなってしまいましたが、夫の持つ優しさや穏やかさは少しも変わらなかったものです。
 筆談などの手段を使って、一生懸命夫が伝えようとしていた思いを受け取るため、夫婦二人三脚で頑張った生活は、今思えば密度濃くかけがえのない日々でした。
『二人で悲しみを半分に 喜びはその倍に』
 今は別れを悔やむ思いもありますが、それ以上に、孫達がこんなに大きくなるまで家族と過ごせたことを感謝すべきなのでしょう。
 夫Aは、最愛の家族が見守るなか、命のともしびがふっと消えたかのような、静かな最期を迎えました。満~歳の生涯でした。
 夫が心満ち足りてその人生を終えることができましたのも、ひとえに支えて下さった皆様のおかげと、心より感謝申し上げます。
 本日はご多用の中、ご会葬を頂き誠に有難うございました。
 略儀ながら書状をもってお礼申し上げます。


 ちょうどAさんが声を失った年に生まれたお孫さんは、お別れの言葉を述べました。
「お祖父ちゃんは一度も言葉を交わしたことのない家族でしたが、とても優しくて大好きでした」。

 A家の皆さんは、Aさんの容体が厳しくなった時点でご家族揃って当山を訪ね、法務の内容に共鳴し、将来、檀家になる決意を固められました。
 あまりに早い〈その時〉の到来でしたが、こうした皆さんと心を通わせ会う間柄になれたことを、とてもありがたく思っています。
 また、文面の作成に協力された葬祭関係者の細やかな気配りにも合掌です。
 Aさん、どうぞ安心してお休みください。



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2009
10.23

魔女

 信徒Sさんの作品です。
 迫力のある魔女とかすかな粉雪の取り合わせが佳いですね。
 風邪の高熱に負けず投稿されました。
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2009
10.22

11月の俳句

 俳人で信徒総代でもある鈴木妙朋さん(仙台市太白区在住)の句です。
 妙朋さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって俳句を投稿しておられます。(掲載が月遅れになる場合があります)

坂多き秋寒の膝「コキ」となる


 作者は坂の多い地域に住んでおられる。
 寒い日に外出するのはなかなか骨が折れることだろう。
 古稀は数え七十歳だが、もう、その坂を越えられた。
 膝に負担がかかり、時として出る音に「古希」の発音をかけている。
 悠々と楽しむ境地と年齢を感じさせられる。

兄弟のさんにんは仏秋彼岸


 私はまだ兄弟を亡くしてはいないが、同級生はもう、何人も冥界入りしている。
 仕事柄、自分の身内や友人を特に強く偲ぶという意識もあまりないままに彼岸は過ぎて行く。
 作者のように〈自分一人だけ〉になってしまった時は、やはりそれなりの感慨があるのだろう。

秋刀魚焼く一匹で足る独り住


 秋刀魚を焼く時の盛大な煙と一瞬でそれと判る独特の香りは、祝祭の気配を伴っている。
 若き日の独り住まいで焼いた秋刀魚は、いつも豊饒な気分にさせた。
 頭は「侘びしい」でも、口は「美味しい」のだ。
「一匹で足る」には、若くない作者がいる。

秋寒や無理せぬやうにと友の文


 春と秋とでは秋の方がずっと気温が高い。
 四月と十月の平均気温を比べると、十月は五~六度も高いという。
 それだけに、秋の朝夕に気温が低くなると身体に応える。
 春は陽の気が高まるので気分も盛り上がるが、陰の気が深まる秋はそうはゆかない。
 やはり要注意。

文机に消しゴムの屑秋深む


 本に親しみ、活字に親しんで時間が経つのを忘れる秋は、ものを書いていても同じである。
 夢中になっているうちに消しゴムの滓が机に広がってしまう。
 しかし、それも「今は昔」になりつつある。
 パソコンは鉛筆を急速に葬りつつある。
 機械は季節と溶け合わない。

昨日の事忘れさうなり秋日和


 陽の当たっている場所でくつろぐネコを眼にすると、あまりに気持ちよさそうでこちらもボンヤリしてくる。
 晴れ渡った秋空を眺めていればなおさらだろう。
 きっと惚けないようにと願っておられるに違いない作者にも、一瞬それを忘れる時があるのではなかろうか。

手を振りて別れしよりの金木犀


 甘く遠くまで通る金木犀の芳香は、人に強い印象を与える。
 場面やできごとの記憶を支えて忘れさせない力がある。
 香りにドラマが伴う。
 暗闇で香りに気づくと、立ち去りがたく、ついその方向へ引き寄せられそうになる。
 作者にはどんな別れがあったのだろう。

ねこじゃらし伸び伸び育つ独り住


 独り住まいで来訪者もさほどでないと、庭の草々を伸びるに任せておいたりする。
 放置しておかれた雑草はたちまち茂り、勢力圏を広げる。
 ねこじゃらしの背丈も相当のものだろう。
 ところで、「伸び伸び」には作者の心も重なっているのではなかろうか。

風流れ先づは真昼のちちろ聞く


 空に浮かぶ真っ白な雲は風に流され、ゆっくりと移動して行く。
 あるのは「動き」だけ……。
 ふと、コオロギの声がする。
 一旦、耳へ入れば占領者だ。
 小さな声だが、立派な主役である。
 雲は遠すぎる。
 コオロギは格好のお相手だ。
 まずは「聞かせてね」。

草刈られ家のほとりの虫鳴かず

 草苅を依頼したら虫の住処がすっかりなくなってしまったという。
 以下は作者の文である。
「今年は腰膝が痛ひので人に草取りを頼んだら、余りきれいに刈ってくださり、昨年迄は自分で適当に刈ってゐたので虫も住む所があり、毎年同じ所で鳴いていたのに、今年は可愛ひそうな事をしてしまいました。
 鳴き声を聞かれません」



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2009
10.22

お地蔵様の笑い

 お地蔵様の真言

「おん かかか びさんまえい そわか」


です。
 ペット供養でこの真言がくり返されるのを聞いた方から「『かかか』などと印象的な言葉ですねえ」と言われました。

「かかか」は、呵々大笑(カカタイショウ)と同じく喜び笑う声です。
 お地蔵様がありがたいご利益をたくさん授けてくださることを願い、感謝もしつつ唱えます。
「びさんまえい」とは、珍しい、不思議なといった意味です。

「おん」は帰依しますという聖語、「そわか」は成就しますようにという聖語です。

 全体では、
「すべての人々が喜悦する不思議霊妙なご利益をお授けくださる地蔵菩薩へ帰依します。その成就あらしめたまえ」
となります。
 
 ただし、こうした意味を考え「ああ、そうか」と思っても、生き方はあまり変わりません。
 真言はあくまでも実際に唱えてこそ、その意義が発揮されます。
 お大師様は「真言は不思議である。はたらきを知って唱えれば無明(ムミョウ)を除く」と説かれました。
 私たちが真理に導かれず右往左往するのは、真理を生きるための柱とせず、我欲によって動くからです。
 そうさせてしまう無明と呼ばれる根元的な愚かさを脱するには、知識を貯めるだけでなく、いのち全体をかけた実践が欠かせません。

 お地蔵様は菩薩(ボサツ)であり、菩薩は智慧による慈悲行の実践者です。
 お地蔵様の持つ智慧は、宿命無漏智力(シュクミョウムロチリキ)という生き死にの宿命と歴史を知る力です。
 お地蔵様は、この智慧によって貧乏な人も、病気の人も、家運が衰退した人も、その苦のよって来たるところを観てお救いくださいます。
 また、お地蔵様は手にした錫杖を聖なる音で打ち鳴らし、迷いの六道にいる私たちへ「目覚めよ」と呼びかけておられます。
 そのお力にすがり、呼びかけに呼応するためには真言を唱えることです。

 ずうっと唱えていると、聞こえている声が自分の喉から出ているだけではなく、自分のいのちを含むこの世全体が発しているような気持になります。
 凡夫の世界とみ仏の世界の交感です。
 こうした即身成仏体験を重ね、より「かかか」というお地蔵様の浄土へ近づきたいものです。



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2009
10.21

平成21年11月の運勢と開運法

 11月運勢について記します。

 今月は、以心伝心で〈通じ合う〉時です。
 自分の意志を相手へ届けたい場合は、誠心誠意言葉を尽くし態度で示しましょう。
 ただし、希望していないことまで伝わってしまう場合もありますから要注意です。
 心のまっすぐな方にはとても心地よく、暗い邪なものを抱いている方には困る場面もある時期と言えます。

 また、〈覚醒〉を感じる機会のある時期です。
 これまで大して興味のなかった画家や音楽家の作品に魂を奪われるような経験をしたり、福祉や教育に関する活動に強い意義を感じて参加したりします。
 特に、これまでも何らかの関わりがあったものごとについての動きは一過性でなく、未来へとつながる場合があります。
 価値あるものを積極的につかみ取りたいものです。

 こうした時期になると、どうしてもカンやひらめきで動きたくなりますが、きちんと理解・納得ができた場合は速やかに動き、そうでないならば慌てずにやりましょう。
 錯覚は危険です。

 今月は離合集散が起こりがちです。
 男女間ではたらく引力のように、気づいた時にはもう、側にいたといった感じで結びつき、ちょっとしたもつれで離れやすくなります。
 人間関係は常に双方によってつくられるものであることを認識し、うまくいってもうまくゆかなくても、自分自身を省みることが肝要です。
 さもないと、フラフラしている間に時は流れ、後悔の残る虞れがあります。

 与謝蕪村

「きのふ花翌(アス)をもみじやけふの月」

と詠みました。
「きのふ花」では、「花の時期もあった」と過去をふり返っています。
「明日をもみじ」では、「やがて紅葉の時期がやってくる」と未来を見すえています。
 過去を想う心は永遠の過去へと伸び、未来を想う心は悠久の未来へと伸びています。
 無窮の時間の流れにあってキラリと輝いた現在には、過去も未来も含まれています。
 蕪村のように「今日の月」をしっかり眺める姿勢を持ちたいものです。
 若者は若者らしく、年配者もどこか若々しくなるこの月を、「和顔愛語(ワゲンアイゴ…穏やかな表情と思いやりのある言葉」の豊かな心で活き活きと過ごしましょう。

 今月、特に気をつけねばならないのは感染性のある病気です。
 インフルエンザにはくれぐれも注意して無事安全に過ごしましょう。

 人の道をしっかりと歩むために、菩薩をめざす六波羅密(ロッパラミツ)行に邁進し、まっとうに生きましょう。
布施行と運勢お水を供えましょう。
精進の人は目上や賢者から認められ援助されて成功します。
精進の人は焦りから孤立し、援助を受けられる機会が台無しになってしまいがちです。
持戒行と運勢塗香で手や心を清めましょう。
精進の人は今あるものや人間関係が生きて成功します。
精進の人は我欲で自分勝手に動き、宝ものが手から離れてしまいがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
精進の人は本分を守り、どっしりと構えて無事安全です。
精進の人は慌てたり、うまい話に騙されたりして失敗しがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
精進の人は気分に左右されず約束ごとを守り、信用を得て成功します。
不精進の人は小事に翻弄され、つい感情的になって失敗しがちです。
[禅定行と運勢飯食(オンジキ)を供えましょう。
精進の人は分をわきまえ、力の範囲で動き無事安全です。
不精進の人は誘惑に乗り、自分の利益のみに走って失敗しがちです。
智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
精進の人は実践第一で生きる誠実さが認められ、成功します。
不精進の人は口先だけでうまくやろうとして魂胆を見透かされ、失敗しがちです。

皆さんの開運を祈っています。



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2009
10.21

キャラクターの命名について

 江口正子様よりいただいたウサギキャラクターも使わせていただくことになりました。
211020322web.jpg
 ハートを象(カタド)った印象的な作品です。
 名前を募集しますので、ひらめいた方は大師山法楽寺のお問い合わせフォームより(http://www.hourakuji.net/)メールでご連絡いただけないでしょうか。
 応募をお待ちしています。合掌



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2009
10.20

当山のキャラクターが決まりました

 当山は大和町宮床字「」野という所にあります。
 それにちなんでウサギのキャラクターを募集していましたが、このたび、松尾佳央理様から応募いただいた「ウサギ野仙哉」君に決定しました。

 仙哉君は、オスの5歳です。
 性格は、普段は穏やかですが、熱くなりやすい一面もあります。
 好きなものは団子です。特に三色団子には目がありません。
 苦手なものは怖い話です。
 尊敬する人は伊達政宗です。

 これから、この野を根城にして大活躍してくれることでしょう。
 松尾佳央理様、本当にありがとうございました。
 また、応募してくださった方々へも、心よりお礼申し上げます。

仙哉君は、隠形流居合の行者でもあります]
sennya_web.jpg

[最高のひとときです]
sennyadanngoweb.jpg



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2009
10.20

例祭だより(10月の第二例祭)

 10月も下旬になりました。
 ここのところ朝晩が冷え込む日が続くようになりましたね。
 紅葉の季節到来です☆
 今週は早朝には霜が降りていて、朝日が当たるとキラキラと輝いてとてもきれいでした。

 17日は第二例祭でした。
 ~こんな小春日和のおだやかな日は~♪とまるで「秋桜」の歌詞さながらの護摩日和です^^
 今は百万返堂が護摩堂となっていますので、参詣の方はテントの下です。
 晴れてくれるとほっとするんですホントに;

 護摩の炎もおだやかで・・・
 住職も「平和でしたね・・・」とつぶやいておられました。
 第二例祭では、
 一本の蝋燭に「天下泰平」。もう一本に 「萬民富楽」と書いて祈願し灯します。
 この世が平和になりますように。
 一人一人がしあわせになりますように。

 と、お祈りしていても・・・自分はいつも上がったり下がったり、菩薩のような行いをしなくてはと。。。自分の中に仏様がいるんだと信じているつもりでも、いろんな煩悩が出てくる出てくる^^;
 そう簡単に煩悩護摩の炎が焼き尽くしてはいただけません(笑)
 でも。。。そう簡単にいかないからこそ人生なんですよね;
 自分の中に苦があるんですから、その苦を一つ一つ追い出していきたいものです。^^

 さてさて、例祭の次は瞑想会でした。

阿息観」という瞑想法です。

 住職より教えていただきました。

「阿」の文字は、現象世界の母であり、命ある者の故郷。
 それを象徴するのが「大日如来」だそうです。

 まずは、足をあぐらをかくように右足を左の太ももあたりにのせるのですが、これがなかなか大変です。
 安定するようにお尻だけ座布団を敷きました。(ひどい方は正座でも椅子でもいいのですよ)
 そして、5つ数えながら息を吸って、3つ止め、7つ数えながらゆっくり吐き出します。
 イメージとしての一例は・・・好きな自然の景色を思い浮かべ、そこから新鮮な空気(エネルギー)をもらうように息を吸い、息を止める時に全身にそのエネルギーが満たされ、吐く時は自分の中の悪いものが全部出て行くような感じです。

 次は本番です。
 吐くときに「阿」「あ~~~~~~~」と声を静かに出します。
 この声を出すことによって、
 息を吸う時は命をいただいているので吐くときは自分の体から声を出すことが出来るんだなぁ。生きているんだなぁ生かされているんだなぁと実感できました。だって息を吸えなくなったらたちまち死んじゃいますもん;

 そして、皆さんと一緒に「あ~~~~~」とやるので、それぞれの方の声が耳に届いてきて「ああ、みんなで生きているんだなぁ」と思えるのもとても良かったです。

 この瞑想、呼吸法を続けてやっていたらかなり心身の健康増進になることでしょう!

 何かと忙しい毎日ですが、深呼吸・・・==3=3
 とても大事なことなんですね。

 また来月も一緒にやりましょう☆
(来月は11月1日(日)ですv)(書き手…橋里佳

※この原稿は、橋里佳さんのブログ「大日如life」http://blog.goo.ne.jp/lebleucrystal/から転載させていただきました。



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2009
10.19

ペット霊園「やすらぎ」さんでの合同慰霊祭

 10月18日、恒例となったペット霊園やすらぎ」さんでの合同慰霊祭において修法を行いました。
 前日の天気予報ではお昼まで雨が残りそうだったにもかかわらず、早々と晴れ渡り、すべてが終わった午後4時30分頃になってようやく雲と風が出てきました。
 これ以上ない日よりにたくさんの参詣者が集まり、5名の警備員はてんてこ舞いでした。
 ご夫婦揃ってのご精進はめざましく、年々参加者が増え、午前中の個別墓での供養、午後、二度に分けての共同墓での供養に参加した方々はおよそ500人にも上りました。
 どのお墓にも花や風車や食べものなどが供えられ、人間の墓地以上に心が向けられている様子には、ただただ感心するばかりです。
 それもこれも、お二人がまめに、丁寧に、手をかけ、目をかけ、心をかけておられるからに相違ありません。
 
 当山は、ペットのご葬儀もご供養も、人間と変わらぬ心で行っています。
 それは、飼い主の皆さんにとってペットは文字どおり家族だからです。
 ご葬儀の願文は「あなたは家族、あなたは友」という呼びかけから始まります。
 修法は、もちろん、ご本尊様と一体になって行いますが、家族を亡くされた方々のお心とも一つになって送りたいと願っています。

 これからも、弟子たちと共に、「やすらぎ」さんに学ばせていただきたいと願っています。

211018.jpg



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2009
10.19

【現代の偉人伝】第85話 ─「東北楽天ゴールデンイーグルス」野村克也監督─

 野村監督は、クライマックス第一ステージを迎え、こう言った。
「私は今年で監督をやめる。
 皆は誰の方を向いてプレーするのかよく考えてくれ。
 今やらなければ皆が一体になることはできない」
 きっと、毒舌で鳴らす監督の短い言葉に勇み立つ選手、歯を食いしばる選手、涙する選手、震える選手がいたことだろう。
 そして2連勝し、パリーグ優勝をかけて札幌へ向かう。
 パリーグ優勝を成し遂げられなければ、もう、監督としてクリネックススタジアム宮城のグラウンドで指揮をとることはない。
 試合後、グラウンドでの挨拶である。
「今日、お礼を申し上げないと、ひょっとして皆さんに言う機会を逃すことがあるかも分かりませんので、この場を借りて報告とお礼を申し上げます。
 先だって正式に球団の方から今シーズン限りで解雇という報告を受けました(ファンが辞めないでコール)。
 ありがとうございます。
 4年間はアッとおい間に終わった感じがします。
 球団から何とか強いチームを作ってほしいということで引き受けました。
 おかげさまで選手も順調に伸び、チームも力をつけてまいりました。
 今年は皆が頑張ったご褒美として、第二ステージ、日本シリーズとチャンスが残っております。
 何としても日本一、頂点に立って、皆さんに恩返しをしたいと、強く、強く胸に刻んでおります。
 後は残り少ないですけれども、どうか、今まで以上にご声援、ご支援よろしくお願いします。
 1試合でも多く、皆さんの前に立てるよう残り試合頑張ります。
 4年間、本当にありがとうございました」(10月18日付読売新聞による)

 野村監督は、しばしば、平然として、選手のプライドを正面から破壊する言葉を用いる。
 鍛えるためである。
 ヘボな選手を並の選手にし、並の選手を一流の選手にし、一流の選手を超一流の選手にし、超一流の選手を日本一の選手にするためには、妥協せずに鍛えるしかない。
 少しでも選手に良く思われよう、好かれようとする気持があれば徹底できない。
 無四球、9三振、自責点0で完投したばかりの田中投手についてこう語れる監督が他にいるだろうか。
「短期決戦なのに、ペース配分を考えている。
 全力投球してあとは助けて(が望ましい)。
 投球術は、2、3年先の安定期に入ってから考えればいい」
 文字どおり持てる力を出し尽くし、もっともっと地力をつけろと言っている。
 自分に勝利を与えたことなど、田中選手の成長の前には何ごとでもないかのようだ。
 今の勝利よりも、三年先、五年先の田中選手を見すえている。
 選手のレベルアップしか眼中にない。

 私はこの道へ入り、やはり手抜きせぬことを教えられた。
 特に祈祷のための読経では、経文であれ真言であれ、最初からフルパワーで唱えよと指導された。
 長時間になれば、当然、最後はへたり、ろくな声もでなくなる。
 しかし、それをくり返すうちに読経の地力がついた。
 野外で護摩を焚く時は顔をやけどし、帰山する前から、毛穴という毛穴が黄色い汁を流した。
 しかし、不思議にもケロッと治り、火が怖くなくなった。
 式典があれば、準備の段階で必ずへとへとになる。
 一分を争うように着替えながら、これでお経は大丈夫だろうかと心配になるが、大丈夫であり、準備の疲れを厭わなくなった。
 師なくしては、落伍者だった人間がこうして袈裟衣をまとい続けていることはあり得ない。
 逃げようのない、ごまかしようのない活きた修行をさせてくださった師への感謝は増すばかりである。

 さて、監督と同じグラウンドで挨拶した選手会長岩隈投手は誓った。
「日本ハムを倒して、仙台で日本シリーズをやります。信じて待っていて下さい」
 わずかに残された監督の闘いが始まる。
 采配ぶりはどうか、何を語るのか、勝ち負けを超えた最後の輝きを確認したい。



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2009
10.17

めぐり逢いと導き

「ご先祖様がお世話になっていると聞きました。ついては、供養のお経を唱えていただけませんか」
 こうして日時を約束し、他の寺院から移ったお墓を目ざして10名の方々が来山されました。
 修法が終わり、笹倉山を眺めながらお墓へ行った一行は、お花やお菓子を供えていましたが、やがて一人が驚きの声を上げました。
「あれ、Aさんの戒名があるよ。赤文字がないし、もう亡くなったのかな」
 今度はこちらが驚く番です。
 確かにご葬儀は家族葬でしたが、ご親族が知らなかったとは思いもよらない事態でした。
 命日は法名碑へ明記してあるので、しっかりお送りしたことをお伝えしました。
 いかなる事情があったのかは知りません。
 しかし、中には涙を溜めて手を合わせる方もおられ、車で数時間かけて訪ねてきた一行はゆっくりと過ごし、口々に「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と言って帰られました。

 その翌日です。
 今度は、「ちょっとご住職に話を聞きたいのですが」と、ご年配の方々が3人、寺務所へ声をかけました。
 十三仏様に眠っている兄弟Bさんへお線香を捧げようとやって来たら、隣にその奥さんの碑盤もあって驚いたと言われます。
 またまた驚きました。
 全日とほとんど同じパターンで、しかも来山された方々は、前日の方々と同じ県から来られたからです。
 他の寺院へ預けてあったお骨が十三仏様の共同墓へ埋葬され、やがて、その奥さんも亡くなり家族葬が終わってまもないところでした。
「ぜひ、供養のお経をあげ、塔婆を立ててください。来られる限り、毎年お詣りに来ます」

 Aさんのご遺族も、Bさんのご遺族も、それなりに思うところ、考えるところがあってご親族へ知らせなかったのでしょう。
 しかし、「お彼岸にお線香をあげられなかったから、行こう」と出かけてこられた方々は、結果的にできごとを知り、皆さん、心から故人のご冥福を祈られました。
 故人とご親族、あるいはご遺族とご親族、もしくは故人とご遺族の間にいろいろなことがあったとすれば、それは、この世のできごとです。
 しかし、故人は御霊になられた以上、もはや絡まった糸から離れておられます。
 み仏の世界へ旅立った聖なる御霊へ手を合わせる時は、誰しも過去の軋轢から遠ざかっているはずです。
 そうでなければ、合掌は嘘になります。

 やはり、人は死をもって人生最後の大仕事をするのです。
 故人は、この世に残った人々が合掌し供養することによって心の修行をする機会を作りました。
 生前、いかなる関係にあったとしても、亡くなられた方へは清い心で供養したいものです。
 供養はみ仏の導きであり、み仏の元へ先に旅立った方の導きであり、やがては導かれる人々も又、例外なく導き手になることをよく考えてみたいものです。
 


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2009
10.16

夢慧(ユメサト)フィルムコンサートのご案内

 去る10月11日に逝去された故夢慧さんの追悼コンサートを行います。

 夢慧さんは、歌手としてのいのちをまっとうしようと、抗ガン剤による治療などを行わず再起を期していましたが、残念な結果となりました。
 最後までファンと家族に思いをかけ、「じゃあ、また会おうな。がんばれよ」が別れの言葉だったそうです。
 奥様は「主人をお支えくださったのは心優しい方、心正しい方ばかりでした。主人は強い人でした」と言っておられます。

 当山の寺子屋運動に共鳴しておられた夢慧さんは、完成した講堂でのコンサートを楽しみにしておられましたた。
 最後の作品となった『聖山を行く』(6月1日発売)を鑑賞し、強くまっすぐな歌声に在りし日を偲びましょう。

[日時]平成21年11月14日(土曜日)午後2時より
[場所]法楽寺本堂
[参加費]1000円(味わいのある軽食がつきます)
[申し込み]電話などで、必ず前日までにお申し込みください。
[送迎]午後1時30分に地下鉄泉中央駅前「イズミティ21」前へ送迎の車がまいります。乗車ご希望の方は、事前にご連絡ください。
※お預かりしていた夢慧さんのCDをお分けします。これからのプレスがあるかないかはわかりません。ご希望の方は、どうぞこの機会にお求めください。
夢慧万葉の世界を謳う」「夢慧美空ひばりを謳う」「夢慧日本を謳う~金子みすゞの世界~」「夢慧日本を謳う~長崎の鐘~」「夢慧日本を謳う~千の風になって~」など



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2009
10.16

阿息観(アソクカン)を行います

 10月17日、第二例祭の後、午後4時より「阿息観」を行います。
」の文字は、目に見え耳に聞こえる現象世界一切の母であり、いのちある者の故郷です。
 故郷を形にすれば大日如来です。
 私たちは「おぎゃー」と生まれ、「うーん」と息が止まってこの世の旅を終えます。
 その間の365日、24時間を一刻の休みなく守ってくださるのが守本尊様方などのみ仏であり、み仏を祀る寺院は「あ」と「うん」の金剛力士によって護られています。
 森羅万象の根元たる「」は常にいのちと共にあり、どんなに心が乱れていても、「」に帰すれば母親に抱かれた嬰児のような安心の世界へと入ることができます。
 吸う息、吐く息に「」を観じ、いのちと心の故郷へ帰る体験をしてください。

 観法の前に、心身を浄化する呼吸法を行います。
 不浄のものを解き放ち、大日如来のご加護をいただき、ゆったりと「」の世界へ入りましょう。
 どなたの心にもあるオアシスを復活させてください。



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2009
10.16

愚痴や妬みに悩まされる時は

 愚痴を言われたり、妬まれたり、なじられたりすると、つい、その調子に引きずられ、言い争いになる場合があります。
 それは、相手の心の土俵に乗るからです。
 やりとりが終わって我に返り「ああ、馬鹿馬鹿しい」とため息をついてから、「私はどうしたんだろう?」と考えたりもします。

 自分の心をどこの土俵ではたらかせるかは自分次第です。
 相手に合わせれば相手の土俵に乗ってやりとりするしかなく、自分の土俵から降りなければ相手はこちらへ乗ってくるか、去るかします。
 中にはこちらの土俵のまわりでウロウロする人もいますが、いずれにしても、相手の土俵へ乗らなければ自分をしっかり保ちながら対応しやすくなります。
 戦いの気配がみなぎっている戦場に行って「さあ、かかってこい」と言われれば、「愚かしいことは止めておきなさい」と制止するのはなかなか大変です。
 家へ暴漢が入って来た時に「愚かしいことは止めておきなさい」と制止する方が楽ですね。
 釈尊は、面罵された際に、いつもと変わらぬ風情で黙って聞き入りました。
 そして、「あなたからの暴言という贈り物は受け取りませんから、どうぞお持ち帰りください。差し出したものの影響は自分が受けるしかないんですよ」と諭しました。
 もちろん、我々凡人はなかなかこうはやれませんが、いきり立つ相手の気持を「外して受ける」ことはできそうです。
 それが、相手の土俵に乗らないという意味です。

 不快な、あるいは理不尽な、あるいは根も葉もない言いがかりを受けたなら、自分が試されていると考えてみましょう。
 自分から飛び出すものは何か?
 相手同様の修羅か、それとも畜生か、あるいは天人か──。
 それによって、自分がいかなる世界の住人であるか、傾向は把握できそうです。
 
 もしも自分が争う修羅界にあって相手とやりとりをしている場合は、八正道の正念(ショウネン)を心がけて対応しましょう。
 自分が迷う人間界にあって相手とやりとりをしている場合は、正思(ショウシ)を心がけて対応しましょう。
 そうすれば、相手が餓鬼界の住人であっても、畜生界の住人であっても、そこの険しい心に絡め取られないで済まされることでしょう。

 当山の人生相談は、このようにみ仏の説かれた道理をもって行います。
 怪しい超能力やお告げによるものではありません。
 釈尊の説かれた道理は永遠の灯火です。



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2009
10.15

NHK文化講座「生活と仏法」講義録 37 ―怒りと怖れの克服─

 怒りは、年月かけて積んだ福徳を一瞬にして吹き飛ばしてしまう恐ろしい煩悩です。
 10月14日に学んだ『法句経ダンマパダ)』の「忿怒品(フンヌホン)第二十五」は、その害毒について諄々と説いています。

忿怒は法を見ず、忿怒は道を知らず、よく忿怒を除く者は、福喜常に身に随う」

怒りが起こると真理が解らなくなる。怒りが起こると仏道が見えなくなる。怒りを除く者は、いつも福徳と喜びに満たされている)

 カッとなったりムッとなったりすると、解っているはずの「ものの道理」がどこかへ吹き飛んでしまい、考えてもいなかったようなことを口走ったり、とんでもない行動に出たりします。
「ものの道理」は、やりたいことにつける順番を誤らせない基準ともなりますが、怒りが起こるとそれが真っ白になってしまいます。
 人望や信用を得るには長い年月を要するのに、失うのは一瞬です。
 暴力事件や殺人事件のほとんどに怒りが介在していることは容易に想像できます。

 さて、感情は脳内物質の分泌量と関係があり、ノルアドレナリンは怒りなどを、その変化したアドレナリンは怖れなどを司るとされています。
 しばしば怒りや怖れを抱くようになると、こうした脳内物質が血液中に糖分を増やし、糖尿病を引き起こしたりするケースもあるとされていますから、そうした面からも怒りっぽい方は要注意です。

 対処法は、やはり忍辱(ニンニク)行の実践に尽きます。
 を捧げ、「我、雨風に負けず咲くのごとく、堪え忍び、心のを咲かせん」と心に刻みましょう。
 さらに行を進めるならば、合掌し、忍辱行を守る菩薩様の真言を唱えましょう。

「おん ばぎゃばてい きしゃんてい だりじ うん はった」


 こうした実践によって身体は堅固になり、家庭や職業が安定するといった福徳も得られましょう。

 ところで、怒りは凡夫にとっては害毒だけれども、み仏にとっては必要な場合があります。
 普段、私たちが相手のつまらぬ言葉などでカッとなるのは、わけもなく怒りが起こった状態です。
 しかし、み仏が悪しき心を調伏(チョウブク…ねじ伏せること)したり、息災(ソクサイ…災いを抑えること)をはかったりしてくださる場合の怒りの表情は、慈悲と智慧に裏打ちされています。
 不動明王がその代表的なもので、経典は「表には憤怒の相を表し、内心には深く憐れみを垂れたまう」と説いています。
 私たちもまた、社会悪などに立ち向かう場合の公憤は必要です。
 それが虐げられている人々への思いやりなどに発したものであれば、問題を解決するための妥当な方法がきっと見つかることでしょう。

 最後に、怒りの兄弟である怖れについて記します。
 怖れもまた、道理を見えなくしてしまう場合があるからです。
 たとえば、道ばたに堕ちていた縄を蛇だと思ってしまえば、怖くなって走り出したりします。
 縄を見て逃げるなど、まったくおかしなことですが、「怖い!」と思ってしまえばどうにもなりません。
 平成20年11月に米アメリカ南部サウスカロライナ州サムターで起こった事件も、恐怖心が引き起こしました。
 ハロウィーンの行事に仮装して参加していた少年が、お菓子をもらおうとしてドアをノックしたところ、強盗と勘違いした男が射殺したというものです。
 こうした怖れを克服するには、禅定(ゼンジョウ)行の実践が有効です。
 供物を捧げ、「我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん」と心に刻みましょう。
 さらに行を進めるならば、合掌し、禅定行を守る菩薩様の真言を唱えましょう

「おん ばぎゃばてい さらば ばんぱかりに まかなちえい うん うん うん はった」


 こうした実践によって心の塵を祓い、悪因縁を離れ、清々しい日々を送られるようになりましょう。



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2009
10.14

如来の力

 私たちは、何でも自分で行い、自分の力で生きていると思っています。
 本当にそうでしょうか?
 朝、目覚めた時に蒲団の上にいること自体、自分以外の人々のはたらきに負うところがいかに大きいか、考えてみればただただ、ありがたくてなりません。
 畳も、屋根も、電灯も、冷蔵庫にある白菜も水道も、そして安全も、かかわるすべての人々のおかげによって、今、あるのです。
 その想像しきれない大きさに比べれば、〈自分の力〉などいくばくもありません。

 お大師様は諭されました。

如来威神(イジン)の力を離れぬれば、十地(ジュッチ)の菩薩(ボサツ)もその境界(キョウガイ)にあらず、いわんや生死(ショウジ)の人をや」


如来の不思議なお力を離れては、高い悟りを開いた菩薩といえども、自分の世界に安住はできない。
 ましてや、凡人においてはまったく不可能である)

 日本が敗戦した直後、歌人佐藤佐太郎は詠みました。

なでしこの透きとほりたる紅が日の照る庭にみえて悲しも」


 日本が戦争に敗れるという未曾有の危機にあっても、なでしこは紅の花を咲かせ、陽光を浴びています。
 なでしこの可憐さが、悲しみゆえに際だっています。
 この時点で日本人は敗残者であり、すでに230万人もの犠牲者が出ていたのですが、なでしこは百年前と変わらずに微笑み、世界は厳然として在り、時は同じ速さで流れ続けています。
 泣き、笑う人間も、一輪のなでしこも、み仏の手のひらを舞台として生じ、滅します。

 時には自分の視点を離れ、如来の視点を仮想してみることも大切です。
 そうすると、「こんな自分がこうして生きている」という不思議さ、ありがたさに気づくことでしょう。
 そこから懺悔が始まり、帰依が始まります。
 如来威神の力を感じとる素直さと柔軟さを失わないようにしたいものです。



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2009
10.13

夢慧氏が逝去されました

 13日午後、車の運転中、ラジオのスイッチを入れて選局しようとしたところ、まちがってボタン押したらしく、夢慧氏の曲が流れました。
 以前かけたCDが、いつの間にかハードディスクへ記録されていたのです。
 糸を引くような独特の抒情歌に浸りながら、不安が起こるのを抑えようがありませんでした。
 7月10日のブログへ書いたとおり、夢慧氏は喉のガンに冒され、闘病生活を送っていたからです。

 午後7時過ぎ、帰山したところ、携帯電話が鳴りました。
 写真家櫻井恵武氏の沈んだ声が聞こえ、夢慧氏が亡くなったことを知りました。

 この夏、ガンを宣告された夢慧氏は「歌手としての再起」を闘病生活の目標に掲げ、体力を消耗する西洋医学の治療を行わず、自己快癒力を高めるための手法によって日々を送っていました。
 抗ガン剤の投与によっていのちを永らえても、歌が唄えないならば歌手夢慧は死んだと同じであると考えたのでしょう。
 宿泊先へ加湿器を持ち込むなどして厳しく自己管理を行い、60歳を過ぎたとは信じられないほど豊かな声を保っていた夢慧氏の姿勢はよく理解できます。
 夢慧氏はモルヒネを用いず、最期まで意識を明瞭に保ったまま支援者へのメッセージなどを書き続け、家族へ託したそうです。
 理解者、ファンを大切にする姿勢もまた、一貫したものでした。
 
 夢慧氏は、一切、商業ベースで唄う歌を選ばず、自分が唄わねばならないものだけにかけていました。
「いつか股旅ものを復活させたい。あと何年かわからないけれども、この声を確保できるかぎり可能性を追求したい」との夢は叶わぬままになりましたが、妥協しない唄いぶりと思いの一途さは忘れられません。
 また、当山の寺子屋建立運動へ共鳴し、平成20年4月26日、最初で最後の野外チャリティコンサートを行ってくださったご恩も忘れられません。
 以前の本堂では夢慧氏の唄った万葉集を流していましたが、これからも、おりにふれ、夢慧氏の音楽を流し続けます。
 心より冥福を祈り、寺子屋開始へ向かって邁進します。合掌



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2009
10.12

【現代の偉人伝】第84話 ─「なごみの里」柴田久美子氏─

 10月10日の朝日新聞は「『幸齢者』満ち足りた旅立ち」を掲載した。

 島根県壱岐の知夫里(チブリ)島に「なごみの里」という看取(ミト)りの家がある。
 柴田久美子さん(56歳)が7年にわたって運営しているターミナルケアのホスピスである。
 ターミナルは終着駅を意味し、終末期を迎えた人への看護がターミナルケアである。

 柴田さんは、ヘルパーとして特別養護老人ホームなどではたらき、最後は病院で死を迎える人々と接しているうちに100歳のキクさんと出逢う。
 当時一人暮らしをしていたキクさんは、寝たきりになり、一人の縁者である孫の暮らす広島にひきとられることになった時。叫んだ。

「後生だ。柴田さん、ここに置いてくれ。
 わしはどこにも行きたくない。
 この島で死にたい」


 柴田さんは「足にしがみつかれ、泣きじゃくられた。トイレに駆け込み、泣くしかなかった」。

「島のために力を尽くした人の最後の願いさえ聞き届けられない。
 そんな自分を恥じました。
 本人の望む幸せな死をまっとうする場を作りたい」


 そして、「なごみの里」を設立する。

 従業員7人と有償ボランティア3人で24時間の看護体制をとり、月給は12万円たらずだという。
 これだけの人員が必ずしも必要なわけではないが、食べたい時に食べるという一人一人の希望に合わせて対応するには、いつもスタッフが控えていなければならないのだ。
 何ごとも強制しない。
 おむつをつけねばならなくなった場合も、本人が納得するまで待つ。
 中には2年間かかった男性もいた。

「最後はみんな『つらい』って泣きました。
 でも、私は『泣きなさい。みんなの気持を素直に出しなさい』って言ったんです」


 こうした日々によって、介護する若い人たちがお年寄りの笑顔や感謝の言葉に癒され、心が豊かになるという。

 お年寄りを「私たちに幸せを運んできてくれる存在」と考えている柴田さんは、お年寄りを「幸齢者」と呼ぶ。
 100歳で最後は自宅へ帰り、「夢のようだ。今が一番元気だ」と言い遺した人もいる。
 柴田さんは亡くなったばかりの仏様を抱き「アキさん、ありがとう」と言った。

「人は亡くなる時、たくさんのエネルギーを出します。
 私たちは、逃げずにそれを受け取るべきだと思う。
 たとえば、アキさんの良心は、今も私の中に生きている。
 加えて、今までに看取ったすべての方たちが私を支えてくれているんです」


「亡くなる時にたくさんのエネルギーを出す」とは、間近でじっと向き合う人であればこその言葉である。
 これを真正面から受け取ることのできる人は、確かに幸せ者なのだろう。
 しかし、その幸せを手にする資格は、心身のすさまじい格闘を経なければ得られないのだろう。
 柴田さんたちの格闘を可能にさせているものは何か……。

「普段の生活から遠ざかり、最近は『死は怖いもの』といったイメージが先行しがちですが、満足して逝かれる幸齢者の方を見るたびに、死は恐れるものではないと感じます。
 そして、旅立ちを看取る者は、最期のぬくもりを直接感じることで、その人のことを記憶に留める。
 それこそが命のバトンなのではないでしょうか」


 最期の温もりがバトンであるとは、あまりに重い言葉である。
 バトンタッチが真実のものとなるためには、格闘が欠かせないのではないか。
 看取りは最期の瞬間だけでなされるものではない。
 目をかけ、手をかけ、心をかける格闘がなければ看取れない……。

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2009
10.11

『法句経』物語15 双要品(ソウヨウボン)第九 「第一話の2」

 官吏は神馬を連れて支度を調え、国王の印と紐を携えて国王となるべき人を求め歩きました。
 それを眺めるおびただしい数の人々に混じって、あの商人はいました。
 官吏は気づきました。
「あそこに黄色の雲がたなびいている。
 王者の気である」
 商人に近づいた神馬は膝を屈し、商人の足を舐めました。
 群臣はあらかじめ用意しておいた香湯で商人を清め、国王として礼拝しました。
 商人はこうして国政を司る位に昇りました。
 そして深く自省しました。
「私には微かな積善すらない。
 なぜこのような位を得たのだろうか。
 仏陀の恩によるものに相違ない」
 国王は、群臣と共に、以前、釈尊と出逢ったコーサラ国に向かい、頭を地につけて願いました。
「私のような卑賤で徳のない人間でも、釈尊の慈悲のご恩によってこの国の王となりました。
 明日、できることならば、アラカン方と一緒におでかけくださり、御心を垂れ、三ヶ月間お守りください」
 それを知った釈尊は弟子のアーナンダへ告げました。
「行者たちへ知らせよ。
 明日、あの国王が私たちを招くことになった。
 皆うち揃い、神通力をもって変身し、国王と人民を喜ばせようではないか」

 翌日、皆うち揃い、神通力をもって国王の待つ城へ到着しました。
 供養の膳を終え、手を洗った釈尊は、国王のために教えを説きました。
 国王は問いました。
「私はそもそも下賤でつまらぬ人間です。
 これといった徳もありません。
 なのに、なぜ、こうした福徳を得られたのでしょうか」
 釈尊は告げました。
「昔、この国のパッセナディ大王は仏陀を四つ辻で供養したことがあった。
 その時、国王は深く観じた。
釈尊は帝王で、弟子たる国王は忠臣のようだ』
 国王はそこで福の種を植え、今、その果を得たのである。
 あの時、もう一人はこう言った。
仏陀は牛で、弟子は車のようなものだ』
 彼は、自ら車に轢かれるという結果を生じる種を植えた。
 今、地獄にあって火車のために轢かれ、自分で結果を得ている。
 国王の境遇は、自分の現世的な力によって得たものではない。
 善行をなせば福が従い、悪行をなせば禍が追ってくるだけである。
 これを自分でつくる因果と言うのである。
 天・龍・鬼神が関与するものではない」

 そして釈尊は、詩をもって真理を説きました。
「心がものごとの大本である。
 心が主となる尊きものであり、心がものごとのありようを決める。
 心中に悪を抱いて語り、行えば、必ず罪苦が伴うのは、車がわだちを踏むようなものである」
「心がものごとの大本である。
 心が主となる尊きものであり、心がものごとのありようを決める。
 心中に善を抱いて語り、行えば、必ず福徳安楽が伴うのは、に随うようなものである」

 こうして釈尊が語り終えた時、国王も無数の聴衆も皆歓喜し、ものごとのありようを見極める智慧の眼が開きました。


 この教えで重要なのは、自分の努力だけで得られるものは、せいぜい得たいと願ったものの範囲でしかないけれども、善業も悪業も、思慮を超えた結果をもたらすということです。
 凡夫の考える「こうすればこうなるだろう」の因果応報は、み仏の眼から観た善悪に基づく因果応報とはレベルがまったく違うのです。
 勝手な見返りをあてにせず善行を行い、どんなに大きな災いがあるか予想できないという畏れをもって悪行を慎みたいものです。



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2009
10.11

バラの光

 バラを詠った一句があります。

「みづからの光のごとき明るさをささげて咲けりくれなゐの薔薇 ─佐藤佐太郎─」


 深紅のバラに、いのちが輝いています。
 その明るさはバラの内部から発しています。
 なぜ明るいのか?
 それは、いのちが天地へ感謝しているからです。
 だから、「ささげて」と書いてあります。

 明治生まれの歌人佐藤氏はどこへ行ったのでしょう。
 バラを眺めていたはずの歌人は、感謝の放射を浴びているうちにバラと同化し、歌人もまたバラを通じて「おかげさま」と言っているのではないでしょうか。
 あるいは、歌人の心からも同じ感謝が生まれ、相対したまま、明るさを通じて感応し合っているのでしょうか。

 そもそも、「光のごとき明るさ」は佐藤氏にもあったればこそ、バラからの放射をつかまえられたはずです。
 公園で遊ぶ小さな子供たちを眺めていると、皆、こうした明るさを秘めているのが解ります。
 バラのように、すなおに生きて欲しいと、密かに祈ってしまいます。



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2009
10.10

『法句経』物語15 双要品(ソウヨウボン)第九 「第一話の1」

法句経(ホックキョウ)』のお話です。

 昔、パッセナディ王が釈尊のもとを訪ね、五体投地をで礼を尽くし、願い出ました。
「できることならば、明日、四つ辻にて釈尊飯食をもって供養し、釈尊がこの上なく尊い方であることを国中の人々へ知らせたいと願っています。
 どうぞ人々から悪鬼や呪詛を退け、五戒を報じて憂いをなくすようにしてください」
 釈尊は答えました。
「善きことです。
 国の主は人々をきちんと導かねばなりません。
 仏道をもって統治し、福徳の道へ進んでください」
 お礼を述べて退がった国王は自ら飯食を手配し、翌日、お迎えに行きました。
 
 弟子たちを伴って四つ辻に現れた釈尊飯食を摂り、国王のために説法しました。
 その時、数え切れないほどの見物人に混じった二人の商人がいました。
 一人が唸って言いました。
仏陀は帝王で、弟子たる国王は忠臣のようだ。
 仏陀は明らかな真理を説き、弟子はそれを会得して弘める。
 仏陀を尊ぶべきであると知ってへりくだり、奉じているこの王様は名君だ」
 もう一人も、唸って言いました。
「この国王は愚かだ。
 最高の統治者でありながら自分以外に何を求めるのか。
 仏陀は牛で、弟子は車のようなものだ。
 牛は東西南北どこへでも行く。
 釈尊もそのような人だ。
 国王は何をなすべきと考え、へりくだって釈尊を奉じているのか」

 四つ辻を遠く去った二人は宿へ入り、酒を酌み交わしながら先ほどのできごとについて議論していました。
 善き思いを持つ者は四天王が守りました。
 悪しき思いを持つ者は、冥界悪鬼によって酒が火となり、身体が焼かれて苦しみました。
 外へ飛び出して轍の中を転げまわっているうちに、通りかかった商人たちの車が轢き殺してしまいました。
 これを知った友人は考えました。
「このまま帰国すれば、私が彼を殺して財物を奪ったと疑われるに違いない」
 そして、財物を離れ、身軽になって他国へ去りました。

 さて、国王が崩御し、跡継ぎがいません。
 預言の書にはこうありました。
「インド中央部に国王となるべき身分の卑しい人がいる。
 亡き国王の飼っていた神馬がそれを見つけ、膝を屈するであろう」



〈奈落へ堕ちるか堕ちないか〉
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